え〜、突然ですが・・・。
わたし、今とっても悩んでます。
もう、これ以上ないって言うくらいに途方に暮れてます。
どうしてかって?
わたしみたいな中学生が、学期の始まりのこの時期にこんなに悩んでると言ったら・・・
もうわかるでしょ?
そう、「宿題」です。
わたしは帰り道を歩きながら、大きくため息をつく。
あんな宿題出されても困るよ・・・。
そりゃわたしだって、例えば数学とか化学とか、そういう「苦手な」科目なら頑張るけど。
でもあの宿題は、いくらなんでも無理だよ〜。
アリスちゃんは、どうするんだろ。
やっぱり、ちゃんとやってくるんだろうな。
・・・見せてもらおうかな。
ダメダメ、迷惑かけないようにって気合入れ直したばっかりじゃない!
でも、どうしていいかわかんないよ・・・。
新学期いきなり、「宿題できませんでした」なんて言いたくないし・・・。
はあ・・・どうすればいんだろ。
「未・宇・ちゃん!」
声と一緒に肩をポンと叩かれて、わたしは振り向いた。
立っていたのは女の人。
薄いグレーのスーツを着て、赤くて長い髪を後ろでツインテールにまとめてる。
わたしも良く知ってる人だった。
「ももかさん・・・。」
「どうしたのよ、幽霊みたいな顔して。そんな顔ばっかりしてると、顔から先に「おばたん」になっちゃうわよ?」
冗談っぽくそう言う、その笑顔にちょっと気持ちが明るくなって。
わたしも、笑顔になった。
「花小町ももか」さんは、わたしより9歳年上で、子供の頃からこの町に住んでる。
わたしが困ってると、いろいろ面倒を見てくれる、頼れるお姉さんって感じ。
今までに何度も悩んだ時とか、相談したことがあったっけ。
そうだ・・・ももかさんもこの学校の卒業生なんだよね。
多分わかんないと思うけど・・・話してみようかな。
わたしは意を決して話すことにした。
「あのね、ももかさん。」
「ん?何?」
「ももかさんは、「サル」って見たことある?」
予想通りももかさんは、?って顔をして首を傾げてる。
「サルって、あの動物の猿?」
わたしはコクンと頷く。
指を顎に当てて、ももかさんはちょっと考え込んだ。
普段は綺麗でオトナっぽい人だけど、こうしてると何だか可愛いんだよね。
「一応、見たことあるにはあるけど・・・どうしたの突然?」
「宿題なんです・・・校長先生直々の。サルの群れのことについて調べて来なさいって。」
わたしはゆっくりと話し出す。
自分でも、肩がガックリと落ちてるのがわかった。
それは今日の帰りのHRで、いきなり先生の口から出てきたの。
校長先生からの宿題です、サルの習性について、何でもいいから調べて来なさいって。
みんな一斉に「え〜〜〜!?」って悲鳴を上げたけど、毎度ながらあっさり却下されちゃった。
これがまだ、ただサルについて調べなさいって言われるだけならまだいい。
図書館の本で調べれば、何か書いてあるだろうし。
でも「習性」なんてわからないよ。
そんな専門的なこと、中学校の図書館の本には書いてない。
話し終わると、ももかさんは呆れたように腰に手を当てた。
「全くあの校長は・・・まぁだそんなコトやってるわけ?」
「まだって・・・あの先生って、ももかさんの時からそうだったの?」
ももかさんは首を振った。
「それよりもっと前。未夢さんや彷徨さんの代からそうだったって言ってた。」
「ホントに?」
わたしは驚いた。
だって、パパやママがこの学校に居たのは、もう20年も前のことだもん。
「ホントよ。もうここまで来ると『伝統』よね。」
ももかさんが肩を竦めてそう言う。
知らなかった・・・。
「けど、困ったわね〜。第一、今から図書館とか行っても、めぼしい資料とかは他の子に全部借りられちゃってるんじゃない?」
うっ、・・・そうかもしれない。
まいったなあ、資料あっても大変なのに、それが無かったら調べものだってできないよ。
頭を抱えてるわたしの前で、ももかさんが突然、手をポンと叩いた。
「そうだ!」
「?」
顔を上げたわたしを、大きな目で見つめてくる。
「昔、クリスお姉ちゃんの家でね。サルのビデオを見せてもらったことがあるのよ。もう随分前のことだからどんな物だったかは忘れちゃったけど、まだ残ってるかもしれない!」
「!ホントですか!?」
思わず聞き返すわたしに、大きく頷くももかさん。
何とか思い出そうとしてるみたいだけど、やっぱり内容は覚えてないみたい。
でもこの際、贅沢なんて言ってられないよね!
「ももかさん、あの・・・。」
「分かってる。クリスお姉ちゃんに話して、ビデオ借りたら、西遠寺まで持ってってあげるわ。」
「いえ!わたしも一緒に行きます!」
拳をぐぐっと突き上げて叫ぶわたし。
「ちょうどよかったです。ママからクリスさんへの伝言もらってきましたから、それを伝えがてら、ビデオのことも頼んでみます!」
わたしの様子をしばらくももかさんは見てたけど、急にプッと吹き出した。
何か変なこと言ったかなぁ?
「いいわ。どっちみちわたしもクリスお姉ちゃんの所へ行こうと思ってたし、一緒に行きましょ。」
「はい!」
元気よく頷くわたしを見て、ももかさんは面白そうに笑った。
「ホント、未宇ちゃんてやっぱり、未夢さんの娘よね〜。」
「はい?」
よく分からなくて、変な声が出ちゃった。
手を口に当てて、ももかさんは笑い出した。
「そういうめげないトコ、未夢さんにそっくりよ。」
ももかさんはそう言って、先に立って歩き出した。
どういうことなんだろ?
わたし達の町・平尾町は、周りを林で囲まれた町。
外側はもちろん、町の中にも樹がいっぱい生えてて、家の庭の真後ろに林がある所だって少なくない。
もし飛行機かなんかで空からこの町を見たら、すごく大きな森の中に町がすっぽり収まってるように見えるんじゃないかな。
そんなに大きな町じゃないし、ちょっと田舎っぽいかなって思うけど。
でも、わたしはここが好き。
ふんわりした空気と、緑がいっぱいの景色と。
ここに住んでる、賑やかで楽しくて、優しい人達が大好きです。
わたし達が今歩いているのは、その平尾町の商店街。
スーパーに本屋さん、古着屋さんからおもちゃ屋さんまで。
この町のお店の大半がここに集まってるの。
わたしも含めて、みんなも大抵のお買い物はここで済ませちゃう。
もっと大きなお店がいいなら、バスで町外れのデパートまで行くけど。
今日のわたしの買い物は授業で使うノートやらなにやらを買い足すだけだから、ここで十分なんだよね。
「あの、ももかさん。」
「なに?」
わたしの声に、ももかさんは周りの景色に向けてた目をこっちに移した。
文房具屋さんにいって必要なものを買った後、わたし達はクリスさんの家に向かっていた。
それにはここの商店街を突っ切っていくことになるから、自然に三太さんにも会うことになる。
わたしにとっては都合がいいんだけど・・・。
「いいんですか?お仕事の方。」
「うん。今日はお休み。一日大丈夫なはずだから。」
「そうなんですか・・・。」
ももかさんは大学を卒業した後、保育園の保母さんとして働いている。
最初にそれを聞いてた時、わたしはビックリして飛び上がっちゃった。
だって、すごく意外だったから。
確かに、ももかさんは本当に面倒見いいし、保母さんやっても大丈夫かもしれないけど。
でも、わたしの中のももかさんのイメージって、どっちかって言うとバリバリの「キャリアウーマン」って感じだったから。
どうして保母さんになったんですかって聞いたら、ももかさんは笑って答えた。
「ん〜、他の仕事も考えなかったわけじゃないんだけどね。何か私、生まれつきほっとけない性分みたいでさ。子供に関しては特にそうなの。何をやっても、気になって気になってしょうがなくて・・・だったらいっそのこと、子供の世話を本業にしちゃおうかなっておもったわけ。」
わかるようでわからない説明。
わたしが考え込んでたら、そんなにガチガチに考えないでって言われた。
世話好き、か・・・。
わたしのこと心配してくれるのも、だからなのかな・・・。
そんな事を思い出しながら歩いてたら、ももかさんに声をかけられた。
「で?これからどうすんの?クリスお姉ちゃん家にいくのよね?って、その前に寄る所があるんだっけ。」
「はい。」
わたしは頷いた。
キョロキョロと辺りを見回して、お目当ての場所を探す。
この辺りのはずなんだけど・・・。
「あ、あった!」
わたし達の前の方に看板が立ててあった。
黒字に白い字で「レコード喫茶・サンタクロース」って書いてある。
ちょっと目立たなくて、看板が無いと見逃しちゃいそうな店。
この町には、こういうお店が結構あったりする。
さて、三太さんは居るかな?
カランカラン
ベルの音と一緒にドアを開ける。
中はちょっと薄暗いけど、照明が程よく効いてて、いい雰囲気。
席は二種類あって、カウンターの席と普通の座席、好きな方を選べるようになってる。
わたしとももかさんは、カウンターの隅の方に座る。
すぐに奥の方から、店長さんが出てきた。
「いらっしゃい〜って、あれ?未宇ちゃんにももかちゃん?」
「こんにちは、三太さん。」
わたし達を見て驚いた声を上げる店長さんに、わたしはにっこり笑った。
この人がこの店の店長で、パパとママのお友達の「黒須三太」さん。
聞いてわかると思うけど、この名前はひっくり返すと「サンタクロース」になる。
このお店の名前も、そこからついてるんだって。
ダジャレ好きな親がウケ狙いでつけたって言ってたけど、ホントかなぁ・・・。
「久しぶりだな〜。学校はもう終わったのか?」
そう言って三太さんは、この店の人気の一つにもなってる、人懐っこい笑顔を浮かべる。
わたしは頷いた。
「うん。今は帰り。」
「そっか・・・ま、話は後だ。二人ともいつものヤツでいいよな?」
わたしとももかさんは同時に頷く。
三太さんは「待ってな」って言い残して、奥の方へ消えていった。
待っている間、わたしは店の中を見渡してみた。
若い人から年配の人まで、いろんな人が思い思いに話してる。
レコード喫茶なんて、わたしみたいな若い人は、まず来ないよね。
最近の人は、音楽が聞きたければ自分でCD買っちゃうから、わざわざ喫茶まで聞きに来る必要無いし。
じゃあ何でこのお店は人気あるのかなって考えると、やっぱり店長の三太さんが明るくて、と親しみやすい人だから何だと思う。
「あれ、この曲・・・。」
不意にももかさんが顔を上げた。
さっきまで掛かってた曲が止まって、新しい曲が流れ始めてる。
このお店の曲は、どれも明るくてノリのいい曲が多いんだけど。
何だろ・・・切ない感じの曲。
「ももかさん、この曲聞いたことあるんですか?」
「何だっけ、ん〜と、確か・・・。」
ももかさんはおでこに指を当てて、必死で思い出そうとしてる。
「『20years after』。」
三太さんの声に、わたし達は振り向いた。
戻ってきたその手には、カップが二つ。
「音楽家トリ・トリビュートが引退する直前に作った曲さ。つっても、あんまり知られてないんだけどな。ほい、おまっとうさん。」
わたし達の前にカップが置かれる。
ありがと、って言って、わたしは飲み物を受け取った。
ももかさんはコーヒーのブラック、わたしはホットミルク。
三太さんはわたし達の前の棚にもたれかかった。
曲を流してるレコード装置を見つめてる。
「トリって音楽家は天才だったんだけど、人付き合いが苦手なやつでさ。親友って呼べる人間はホンの数人しかいなかったんだと。で、この曲は、20年経ったそいつらを見たトリが、昔の姿を思い出しながら歌ってるってことらしいぜ。」
「へ〜。」
なるほど・・・それでいつもの曲と感じが違うんだ。
流れてくる不思議な音楽に、わたしはしばらく聞き入ってた。
20年経って、友達はみんな大人になったけれど。
それでも、変わらないものもある。
心の根っこにある、大事なもの。
幾つになっても、それは決して変わらないんだ。
そういう内容の曲だって三太さんが教えてくれた。
しばらくして三太さんはわたしの方を見る。
「未夢ちゃんや彷徨はどうしてる?元気にしてるか?」
「ええ、とっても!」
そう答えるわたしの頭に浮かんだのは、今朝のパパとママのやり取り。
なぜか急に思い出しちゃって、それがそのまま口から飛び出してきた。
「・・・元気すぎるくらい。」
わたしが付け加えた一言に、三太さんは笑って顔を近づけてきた。
猫みたいな目が面白そうに細くなってる。
「その様子だと、あれか?また喧嘩とかやらかしたのか?」
うん、まさにその通り。
隣を見ると、ももかさんも同じような顔でじっとこっちを見てる。
わたしは今朝の二人のケンカの様子を、かいつまんで話した。
聞き終わると三太さんは、お腹を抱えて笑い出した。
「〜〜〜〜ったく、あの二人は・・・変わらねえよな、ホントに!」
ももかさんも口元を押さえて、必死に笑いをこらえてる。
自分の親の事ながら何だか恥ずかしくなっちゃって、わたしは下を向いた。
「しっかし、彷徨のヤツも、もう少し言い方考えればいいのになぁ。ガキの頃とおんなじじゃねーか。」
腕を組んで、三太さんは苦笑い。
でも、その顔は何だか懐かしそう。
三太さんはママと同級生だった人なんだけど、パパとの付き合いはそれよりもっと古い。
幼稚園の頃に知り合って、それからこの町でずっと一緒に育ってきたんだって。
「幼馴染」っていうのかな?
だから、パパの事、特に子供の頃のパパに関してはわたしやママよりもずっと詳しいの。
一度ママが「時々妬いちゃうんだ」って話してたなぁ・・・。
「あの、それで三太さん。今晩の集まり、予定通りにやるからって、ママが言ってました。」
「おっ、やっぱ今年もやるのか!?」
子供みたいに目を輝かせて、三太さんは俄然張り切りだした。
賑やかなことが大好きな人だもんね。
「みんなはどうだって?」
「まだ伝えてないけど・・・こないだママが連絡した時は大丈夫だって。」
「よっしゃ!なら俺も行くぜ!遅れずに行くからって、二人にはそう伝えてくれよな!」
わたしは大きく頷いた。
隣でそろそろコーヒーを飲み干す頃のももかさんにも目を向ける。
「ももかさんも、来てくれるよね?」
「うん。もちろん行くけど・・・。」
そう言いながらももかさんは、三太さんをじーっと見てる。
どうしたのかなって思ってたら、カップを置いて立ち上がった。
「ね、『三太オジタン』。」
「ん?」
昔なじみの間でも、ももかさんしか使わない、ちょっぴり失礼な呼び名に、三太さんはキョトンとして聞き返す。
ももかさんは口元に小さく笑いを浮かべて、はっきりこう言った。
「後でガッカリしないように言っとくけど・・・今年はカラオケは無しだって。」
「!!」
その時の三太さんの顔、すご〜く残念そうだった。
どれくらいかって言うと、お小遣いを貯めに貯めて、やっと買いに言った物が売り切れだった時みたいな感じ。
「そんな〜、そりゃねえだろ〜〜〜。」
悲しそうに言う三太さんに、わたしもちょっぴり申し訳なかったけど。
でも、しょうがないよね、うちはお寺なんだし。
毎回あんな大騒ぎするわけにはいかないもの。
「わかった・・・。ならその分飲みまくるぜ!ちょうど飲み頃の上等の酒が手に入ったからな!今夜は飲むぞ〜〜〜!!」
気持ちを奮い起こして三太さんは叫ぶ。
周りのお客さん、びっくりしてこっちを見てる。
ありゃりゃ、これは早く退散したほうがいいかも・・。
「じゃ、じゃあ三太さん。わたし達はこれで!」
お勘定を置いて、まだ一人で燃え上がってる三太さんを残して、わたし達は慌ててお店を出る。
まずかったかな、あんなこと言って・・・。
三太さんはああ言うけど、いつも集まるメンバーはそんなにお酒飲む方じゃないんだよね。
あの人と同じくらいに飲めるのは、望さんくらいで。
パパやクリスさんは「ほどほど」って感じだし、ママに至ってはお酒自体一滴も飲めないんだもん。
持ってくるお酒、また三太さんがほとんど飲んじゃうんだろうな。
去年みたいに、酔いつぶれて帰れない、なんてことになりませんように。
ふと、隣のももかさんを見たら、わたしと目が合った。
考えてること、わたしと一緒だったみたいで、ひょいっと両手を上げた。
こりゃもう、今年も三太さんが酔っ払うのは決定だね。
ちょっと涼しい風が、芝生の上を吹きぬけてく。
草がサワサワ、揺れる音がしてる。
あ〜、気持ちいい〜〜。
お店を出てから商店街を抜けて、わたし達は公園にやって来ました。
クリスさんの家に行くには、ここを突っ切るのが一番早いから。
だけど、芝生がある所まで来たら、ちょっと疲れちゃって。
今、こうやって芝生の上でちょっと一休み。
このまま寝ちゃいそうだな。
って、寝たらダメなんだけどね。
遠くでは、小さい子供の遊ぶ声と。
それを見てるお母さんの声がしてる。。
「しっかし・・・。」
隣にやっぱり寝転んでたももかさんが、起き上がって呟いた。
わたしは寝たまま、顔だけをそっちに向ける
「ここら辺もだいぶ、開けてきたわね・・・。」
「そうですか?」
意外な言葉に、わたしは思わず聞き返す。
この町はいい町だけど、わたしから見たら何となく田舎っぽいかなって、思ってた。
まあ、オット星やシャラク星を見てるからそう感じるのかもしれないけど。
「ここって、結構のどかだと思いますけど。」
「そりゃあ、大きい町に比べればね。でも、あたしが子供の頃はね、もっと田舎だったんだから。」
「そうなんですか?」
今のこれより田舎って、どんなのなんだろ。
ちょっと想像できなくて、あれこれ考えてるわたしの耳にももかさんのため息が聞こえた。
「・・・他所から引っ越してくる人とか、かなり増えたしね。学校の生徒数も、あたし達の時に比べたら増えてるんでしょうね。」
「ももかさん、人が増えるの嫌なの?」
口調が気になって、わたしはそう聞いてみる。
ももかさんは立ち上がって周りを見渡した。
「まあ、いいとも言えないし悪いとも言えない・・・複雑なのよね。」
わたしは身体を起こして、ももかさんを見上げた。
「どうして?賑やかな方が楽しいじゃないですか。」
「そりゃ、あたしだってその方がいいわよ。けどね、」
言いながら、ももかさんはしゃがみこんで、側に落ちてたものを拾い上げる。
何だろうって見てみると、誰が飲んだのか空き缶が捨ててあった。
「賑やかになるってことは、いい人だけじゃない、こういう連中も入ってくるってことなのよ。」
ももかさんはそう言って、空き缶をくずかごにビュッと投げる。
それは見事に、「カン・ビン」って書かれたかごに収まった。
確かに、ももかさんの言う通り。
最近この町でも、こういうゴミのポイ捨てが問題になってる。
空き缶や空き瓶、タバコの吸殻。
ひどいのになると、お菓子の袋がまるごと捨ててあったりする。
この町に昔から住んでる人達の中にはそんなことをする人は滅多に居ないけど。
新しく引っ越してきた人達の中には、マナーを守らない人もいるみたい。
そういう人達が入ってくるのを、ももかさんが嫌だって思う気持ちも分かる。
でも・・・。
「でも、それならももかさんが育てればいいじゃない。ゴミのポイ捨てなんかしない、見てもちゃんと注意できるような子供達を。」
ももかさんはびっくりしたようにわたしを見た。
まずいこと言っちゃったかな・・・。
そう思ってたら、ももかさんは突然可笑しそうに笑い出した。
「み、未宇ちゃんてば、ホントに・・・・。」
笑いながらそう言われた。
何か変なこと言ったかなぁ?
「・・・そうよね〜。あたしが育てればいいんだもんね!」
空を見上げて、ももかさんはう〜んと伸びをする。
ももかさんが何を言おうとしたのか、よくわからないけど。
やっぱりこの人には、こんな明るい表情がいいなって思いました。
そんなこんなで、だいぶ長いこと休んで。
そろそろ行こうかって話してたら、向こう側で何だか騒いでる声が上がった。
「何だろ?」
「さあ?」
わたし達は顔を見合わせて、声の聞こえてきた方向に行ってみた。
公園の中心・噴水のある所に、人だかりが出来てる。
みんな何を見てるんだろ。
背伸びしてみるけど、背の低いわたしには全然見えない。
ももかさんも同じみたい。
しばらく人ごみを睨みつけた後、ももかさんは事もあろうにこんなことを言った。
「しょうがないわね。未宇ちゃん、強行突破するわよ!!」
「え!?」
驚くわたしを残して、ももかさんは人ごみの中に突入していっちゃった。
ちょっと待ってよ〜、そんなこと言ったって・・・。
「もうっ、知らないから!」
こうなればヤケだよね。
わたしは叫んでももかさんの後を追いかける。
ぎゅうぎゅう詰めのおしくらまんじゅう。
その間を、身体を捻ったり、しゃがんだり、軟体化したりしながら、わたしはようやく人ごみの前に出られた。
ふ〜〜、やれやれ、ひどい目にあったよ・・・。
あ〜あ、髪の毛ぼさぼさだし・・・。
「おや、そこにいるのは・・・もしかして未宇ちゃんかい?」
え?
わたしの名前、呼んでる?
しかも、男の人の声?
わたしは顔を上げた。
そこに居たのは、金色の髪の男の人。
もしかして・・・。
「望さんっ!?」
「久しぶりだね。」
驚くわたしに望さんは、薔薇を一輪、指の間に挟んでニッコリ笑う。
周りに居た人達の間で、「キャ〜〜〜〜」って歓声が上がった。
この人も、パパとママのお友達で、「光が丘望」さん。
やっぱり四中の卒業生で、今は有名なマジシャンさんです。
「薔薇の貴公子・光が丘望」って言えば、日本ではもう知らない人がいないくらい。
この町出身の数少ない有名人なんだけど、最近じゃ海外にも公演に行ったりしてて、滅多に平尾町には帰ってこない。
でも、毎年この時期には必ず帰ってきて、みんなと一緒に大騒ぎしてるの。
この通り王子様みたいで、すごくかっこいい人なんだけど・・・。
「ああ・・・。」
いきなり望さんが頭を抑えて、クラリと揺れる。
あれ?
「ど、どうしたんですか?」
気分悪いのかな?
なんて思ってたら、望さんはわたしにすっと近寄って、薔薇をひょいっと差し出した。
その動作はホントに素早くて、どこから出したのかも見えない。
「失礼、君の美しさについ我を忘れてしまったのさ。久しぶりに帰った僕をこんな素敵なレディが迎えてくれるなんて・・・ああ、僕はなんと幸運なんだ!」
「はあ、どうも・・・。」
やっぱり、ちょっと変わってるんだよね・・・。
まあ、そんなこと言ったら、パパとママの知り合いの人って、大なり小なり、どこか変わってるんだけど。
「ちょっと、こんな所で何してるの?」
あ、やっぱりももかさんも、人ごみから脱出できてたんだ。
望さんはくるっと廻ってポーズを変える。
「ご婦人方が僕のマジックをぜひ見たいとおっしゃったのさ。女性に頼まれて嫌とは言えないだろう?」
サラリと髪を掻き上げる望さんの仕草に、周りに居た人達がまた歓声を上げる。
望さんの人気の秘密は、マジックがすごいって言うのもあるけど、この綺麗な顔も理由の一つ。
たぶんここを通った時に望さんの顔を知ってる誰かに見つかっちゃったんだろうな。
女の人に頼まれると、絶対断らない人だもんね。
「ねえ、さっきのあれ、もう一度やってくださらない!?」
「そうよ、もう一度見たいわ〜〜!!」
周りの人たちが口々に叫ぶ。
「ご婦人方の頼みとあれば・・・リクエストにお答えしよう!」
言うなり望さんは、袖口に腕を突っ込む。
そしてそれを思いっきり引き抜くと・・・・。
次の瞬間に出てきたのは、辺り一面埋め尽くすんじゃないかってくらいの薔薇の花。
これよく、テレビで見かけたことある。
確か、「必殺バラの嵐」だったっけ。
いつも思うんだけどこの薔薇、どこから出してるんだろ・・・。
って、それを言っちゃったらマジックにならないか。
「キャ〜〜〜、ステキ〜〜〜!!」
「もう一回見せて〜〜!!」
なんて声が飛び交ってる。
そんな中で、一人だけ冷静なももかさんが、ちょっとイジワルな顔して望さんに言う。
「確かにすごいっちゃすごいけど・・・ちょっとワンパターンよね〜。」
ピクッ
望さんの耳が微かに動く。
ももかさんは横目で望さんを見てる。
さっきキャッチした薔薇をくるくると指で回しながら。
「昔から変わってないし〜〜・・・・こんなに似たようなパターンばっかだと物足りないわよね〜〜〜。」
ピクピクッ
今度は望さんの顔がちょっと引きつった。
あ〜、ももかさんってば、そんなこと言ったら・・・。
「ふ、ふふふふふ・・・・。」
いきなり含み笑いを始めた望さんに、わたし達は思わず一歩引く。
「そこまで言われては、後には引けないねえ・・・。」
少し俯き気味で、小さい声で呟くその姿は、はっきり言って怪しい。
なんて思ってたら、望さんはバッと顔を上げた。
「いいだろう!ならばお目にかけようじゃないか!『薔薇の貴公子』の真髄を!行くよ、オカメちゃん3世!」
オオ〜〜〜!!
ギャラリーの人達からどよめきの声。
ももかさんを見ると、わたしの方を見て、ちょっと笑って舌を出してた。
やっぱりね・・・。
わかってたことだけど、思わず苦笑いしちゃった。
ももかさんはああ言ったけど、ホントは「物足りない」なんて思ってない。
望さんのマジックは本当にすごいから、何回見ても全然飽きない。
だからこんなに人気があるんだしね。
それでもあんな事言うのは、こう言えば新しいの見せてくれるって思ってるから。
女の人にモテモテの望さんだけど、意外とムキになりやすい所があるの。
そういう所は、なんかパパと似てるな・・・。
そんな事をわたしが考えてるうちに、望さんは準備を終えた。
「さあ、レディース&ジェントルマン!ここに取り出しました、一輪の薔薇の花。種も仕掛けもございません。よ〜くごらんあれ!」
マジシャンお決まりの台詞と一緒に、望さんは薔薇を一本取り出して、みんなの目の前に掲げる。
別に不思議な所は無いんだけど・・・。
ももかさんもじーっと見てるけど、やっぱり何も見つからないみたい。
「よろしいかな?それでは、ワン・ツー・スリー!」
望さんがくるっと手首を返して。
次の瞬間、薔薇はもうそこに無かった。
「えっ!?」
わたしも、ももかさんも、周りの人達も、望さんの手の中を見る。
何にも無い。
・・・どこいっちゃったの?。
「未宇ちゃん!?」
ももかさんのびっくりした声。
目を丸くして、わたしの頭の上を見つめてる。
どうしたの?って思ってたら、頭の上を指差された。
「上、上!頭の上!」
「へ?」
言われて頭の上に手をやると、何だか柔らかい感触。
えっ・・・これってもしかして・・・。
慌てて手鏡を取り出して、頭の上を見てみる。
映ったのは、さっきまで望さんの手の中にあった薔薇の花。
わたしの髪留めの所に、コサージュみたいな感じでポンと乗っかってる。
「うそ・・・。」
「何で・・・?」
驚くわたし達の周りで、ギャラリーの人達の歓声が聞こえる。
は〜〜、どうやったんだろ・・・。
「はいっ、これにて終了。どうだい?」
「すごいですっ!」
わたしの言葉に望さんは満足したように笑顔になった。
隣でももかさんが詰め寄ってる。
「な、何で!?どうやったのよ、今の!」
望さんはチッチッと指を振った。
「それはヒミツさ。言ってしまったらお楽しみがないだろう?」
そう言って望さんはくるりと後ろを向いて。
顔だけでこっちを振り返って、わたしを見た。
「その薔薇はプレゼントするよ。久しぶりに楽しい思いをさせてくれたお礼にね。」
そう言って歩き出そうとする望さん。
あれ?なんか忘れてるような・・・。
ってそうだ!伝言!
「あのっ、望さん!!」
わたしの声に、また顔だけで振り返る。
「今日の集まり!予定通りにやるからって、ママが言ってました!!」
望さんの青い瞳が大きくなる。
「それをわざわざ伝えに僕を探してくれてたのかい?ああ、やっぱり君は、なんていい子なんだ!」
「いえ、別にそういうわけじゃ・・・。」
わたしが言おうとしたら、その前に望さんは走り寄ってきて、わたしの手をガシッと握る。
うっ・・・ファンの人達の視線が痛い・・・。
「必ず行かせてもらうよ!君の好意に報いるためにね!二人にはそう伝えておいてくれたまえ!」
「いえ、だから・・・。」
ホントは偶然見つけた・・・
とはさすがにこの雰囲気じゃ言えない。
「それでは、未宇ちゃん、ももかちゃん。また後で会おう!アディオ〜〜〜ス!!」
望さんは叫んで、優雅に歩いて行く。
後に残ったのは、まだ熱狂してるギャラリーと、さっきの謎を必死で解こうとしてるももかさん。
そしてわたしは、さっきもらった薔薇を、もう一度鏡で眺める。
この薔薇、望さんのことだから、きっと自分で育てたんだろうな。
上手く乗っけてくれたけど、このままだときっと枯れちゃうよね。
どうしよう・・・。
まだブツブツ言ってるももかさんの隣で、わたしはそんな事を考えてた。
すっごく大きな門が、わたし達の前にドンとそびえ立ってる。
道の横を通って、うっかりするとただの塀と間違えちゃいそう。
実際、初めて来た時はこの壁のせいで分からなくて、何度もこの道を往復してたんだよね。
あれは間抜けだったなぁ・・・って今はそんな事どうでもよくて。
今、わたし達はクリスさんに家の前に居る。
町外れにある、すっごく大きなお屋敷。
下手すると学校の敷地と同じくらいになるかもしれない。
ここが、本日最後の目的地。
何だかんだで、ずいぶん時間かかっちゃったな。
「やっと着いたね。」
「全くよ。あ〜、すっかり寄り道しちゃった。」
ももかさんが肩をトントンと叩いた。
ホント、色んな所に寄っちゃった。
真っ直ぐここに来るつもりだったのにね。
でも、そのおかげでみんなと会えたし、寄り道も、そう悪いことばっかりじゃないよね。
ももかさんが横のインターフォンをポチッと押す。
しばらくして、男の人の声が聞こえてきた。
『はい、どちら様でしょうか?』
「あたしよ。ももか。」
『これはももかお嬢様。少々お待ちください。』
短いやり取りの後、声が途切れて。
わたしの目の前にあった門が、ズゴゴゴゴッっていう何だかすごい音と一緒に開いてく。
「さて、クリスお姉ちゃん、いるかしら?」
そう言いながら、正面の石畳になっている所を歩くももかさん。
慌ててわたしも、後を追いかける。
丁寧に手入れされてる芝生に、これもまたきっちり手入れされてる花壇。
それと、私の前にそびえ立ってる、お城みたいに大きなお屋敷。
「ふわ〜〜、何度見てもすごいな〜〜。」
まるでお城みたい。
やっぱり圧倒されちゃう。
でも、ももかさんは全然平気みたい。
勝手知ったるって感じで、ズンズン進んで行く。
しばらく歩いて行くと、わたし達の目の前に一人の男の人が立ってた。
この人が、このお屋敷にいるたった一人の執事さん。
優しそうな顔の通りに、穏やかで落ち着いてる人です。
いかにも、「執事」って感じ。
「お久しぶりでございます、ももか様。・・・・おおっ、これはこれは、西遠寺様のお嬢様もご一緒でしたか。」
(お、お嬢様・・・。)
慣れない呼び方に戸惑いながら、わたしはペコッと頭を下げた。
「こんにちは。」
「ねえ、クリスお姉ちゃん、居る?」
「はい。ですが・・・。」
ももかさんの問いかけに頷いて、執事さんは向こう側を指差した。
「お菓子館の方に朝から篭もられて、今日はずっとあの中にいらっしゃいます。」
「お菓子館?何だってそんなとこに居るわけ?」
「何でも、珍しいお菓子に挑戦されるとかで・・・。」
執事さんもよくわからないみたい。
まあ、突拍子もないことを突然始めるのはクリスさんの癖みたいなものだから、わたしも、ももかさんも特に驚かないんだけど。
後でお茶をお持ち致しますって言ってくれた執事さんにお礼を言って、わたし達は「花子町お菓子館」に向かった。
ここにはクリスさんの住んでる屋敷だけじゃなくて、いろんな建物がある。
「お菓子館」はそのうちの一つで、この敷地の一番奥。
いつもいろんなお菓子の材料が用意されてて、いつでも好きな時にお菓子を作って食べられるようになってるの。
ドアを開けると、中から甘い匂いがふわっとした。
グ〜〜〜〜
・・・鳴っちゃった。
慌てて隣を見たら、ももかさんがニヤニヤしながら見てた。
ううっ、恥ずかしい・・・。
学校終わってから何も食べないで、結構歩き回ったもんね。
その上、最初に言った通り、わたしは甘党なんです。
・・・夕飯までもつかな。
「クリスお姉ちゃ〜ん。居る〜〜?」
ももかさんが呼びかけた。
返事が無い。
「おお〜〜い、クリスお姉ちゃんてば〜〜!」
呼びかけながら、あちこちを探すももかさん。
わたしも中に入って、探し回るけど、全然見当たらない。
おかしいなぁ。
ここに居るって言ってたのに・・・。
キョロキョロしながら、並べられてる本格的な調理器具の間を探し回る。
奥の方の、甘い匂いが一番強いところを見つけて。
わたしはひょいっと覗き込んだ。
「クリスさんっ?」
備え付けの調理台の前で、クリスさんが顎に手を当てて、難しい顔をしてる。
さっきのももかさんとそっくりに、ブツブツと呟いてる。
「あの〜・・・。」
「・・・どうしてうまくいかないんでしょう?」
わたしは声をかけてみるけど、全然聞こえてないみたい。
ももかさんも隣にやって来た。
「な〜んだ、ここに居たの?居るなら返事くらいしてよね。」
その言葉にも、やっぱり反応なし。
むっとした顔で、ももかさんは叫ぶ。
「ねえ、お姉ちゃん?」
「・・・甘味が強すぎ?」
「ねえってば!」
「・・・それとも、キュラソーの種類が・・・」
全然噛み合ってない二人の会話。
ももかさんは近付くと、息を大きく吸い込んだ。
「クリスお姉ちゃん!!」
「きゃあっ!」
大声にビックリして、クリスさんは悲鳴を上げた。
そりゃ、いきなりあんな大声出されたら、驚くよね。
クリスさんはわたし達をまじまじと見つめた。
「ももかちゃん?それに・・・未宇、ちゃん?」
「そーよ。」
腰に手を当てて、ももかさんが言う。
クリスさんは胸に手を当てて、ふうっと息をついた
「驚かさないでくださいな・・・。」
「何度も声かけたのに、返事しないからでしょ!?」
プンプン、ていう音が聞こえてきそうなももかさんに、クリスさんは「ごめんなさい」って、少し恥ずかしそうに笑った。
そうして、
私の方を見て、ニッコリと微笑んだ。
「お久しぶりですわね、未宇ちゃん。」
「こんにちは、クリスさん。」
わたしはペコリとお辞儀をした。
この人が、ももかさんの従妹の、「花子町クリスティーヌ」さん。
でもこの町のみんなは、「クリスさん」とか、「クリスお嬢」って呼んでる。
町外れにあるこのお屋敷に、執事さんと二人で暮らしてるの。
髪を腰まで伸ばしてるのはママと同じだけど、髪の色は赤とピンクの間みたいな色。
お母さんがフランスの人なんだって。
やっぱりパパとママの中学時代からの友達で、特にママとは仲がいい。
家がそんなに近いわけじゃないから、頻繁にお互いの家に遊びに行くとかはできないけど、休みの日なんかは誘い合って、よく一緒にお買い物とか行ってるんだよ。
とっても綺麗だし、優しい人なんだけど・・・。
パパとママの友達だけあって、やっぱり変わってる人です。
「一体何やってたのよ。そんなに夢中になって。」
ももかさんの言葉に、クリスさんは笑って答えた。
「ティラミスを作ろうと思って。」
「てぃらみす?って、あの?」」
ももかさんがオウム返しに聞く。
わたしも前に聞いたことあるな。
確か、ムースみたいなお菓子だよね。
クリスさんは頷いて続けた。
「ええ。この間、勉強も兼ねてイタリアまで行ってきたんですけれど、そこで食べたティラミスが本当に美味しくて。何とか再現しようとしてるんですが・・・。」
「ふうん・・・。」
ももかさんが調理台の上を見て呟いた。
イタリア、か・・・。
クリスさんは今、隣町に小さなお菓子屋さんを開いてる。
すっごく人気があって、特にバレンタインなんかの「お菓子シーズン」になると、お客さんいっぱいで、お店に収まり切らないくらい。
もっと大きくしたらって、みんなに言われたこともあるんだけど、自分で作るにはこれが一番いいんだって。
でも、何でこの町に作らなかったのかな。
ここならみんな顔馴染みだし、甘いもの好きな人も多いのに。
「未宇ちゃん、今お帰りですの?」
「あ、はい。」
わたしが答えると、クリスさんは微笑んで、テーブルの上を指差した。
「よろしければ、お菓子でも召し上がっていかれません?ティラミスは残念ながら失敗ですけど、昨日作ったこのチーズケーキはなかなかの出来ですわよ?」
チーズケーキ、かぁ・・・。
普段なら飛びつく所だけど、今日はそうもいかないんだよね。
「ごめんなさい、クリスさん。今日はダメなんです。ほら、今夜は例の・・・。」
「あっ・・・そうでしたわね。」
勘のいいクリスさんは、私が言う前に気付いたみたい。
しばらく考えてから、ポンと手を打ち合わせた。
「では、お茶にしましょう。紅茶なら、食事の妨げにはなりませんわ。」
ふむ、紅茶か。
うん、それなら大丈夫だよね。
「そーですね。じゃ、お言葉に甘えちゃいます。」
「あれ?あたしの分は?」
横で聞いてたももかさんが唇を尖らせる。
「はいはい、ちゃんとありますわ。」
「もうっ。」
ポンポンと頭を叩かれて。
ももかさんは「子供扱いしないでよ〜」って膨れながら腕を振り回す。
笑いながらそれをいなすクリスさん。
なんかこうしてると、従妹って言うより、仲のいい姉妹みたいだね。
羨ましくて、二人のじゃれ合いを何となく見つめる。
結局、執事さんがお茶を持って入ってくるまで延々20分、二人は言い合いをやらかしてました。
「ところで未宇ちゃん。気になっていたんですけれど・・・。」
「はい?」
わたしは紅茶を啜りながら、クリスさんに目を向けた。
執事さんが持ってきてくれたのは、フランスからクリスさんのお母さんが送ってきてくれたアップルティー。
甘いリンゴの香りが、胸の中に広がるのを、わたし達はしばらく楽しんで。
しばらく経ってからクリスさんが、不思議そうに聞いてきた。
「そのバラ・・・どうなさったんですの?」
そう言ってクリスさんは、わたしの頭に視線を向ける。
あっ、そっか。
さっきのバラ、乗っかったままだったっけ。
「さっきもらったんです。公園で、望さんに。」
「望くん?」
クリスさんは少し驚いた顔になる。
と、隣でやっぱり紅茶を啜ってたももかさんが、勢い良く身体を乗り出してきた。
「そうだ!クリスお姉ちゃん!あのマジック、わかる?」
「?」
不思議そうなクリスさんに、ももかさんはさっきのマジックのことを話して聞かせた。
クリスさん、初めの方は頷きながら聞いてたけど、そのうちクスクスと手を当てて、可笑しそうに笑い出した。
「なに?クリスお姉ちゃん、わかるの?」
「・・・そのマジックの時、彼の肩に、鳥が一羽とまっていませんでしたか?」
まだ笑いをこらえながらクリスさんはそう言う。
わたし達が頷くと、クリスさんは人差し指をピンと立てた。
「要するに、それがタネなんですわ。あなた達がバラを見てる間、その鳥はどこにいました?」
どこって言われても・・・。
バラに目が行って、そんなに注意して見て無かったし・・・。
あっ・・・もしかして・・・。
わたしの表情を見て、クリスさんは頷いた。
「そう。あなた達の前にバラを見せて、そのバラをパッと消す。と同時に、別のバラを鳥が加えて、素早く貴方の頭に乗せる・・・昔、彼がクラスのみんなに見せてくれた実験マジックの一つですわ。全部同じというわけではありませんけれど。」
なるほどね〜。
「な〜によ、それ〜〜!!」
ももかさんが立ち上がって叫んだ。
「そんなカンタンなのに騙されるなんて・・・くぅ〜〜、あたしとしたことが〜〜〜!!」
「単純なほど、見破るのは難しいものですわ。それに・・・。」
クリスさんはそこで言葉を切って、また紅茶を一啜り。
「誰にでもできる、というわけではないでしょう?」
そうだよね。
わたしは心の中で頷く。
バラを上手く隠さなきゃいけないのはもちろんだけど、一番大変なのはあの鳥さん。
なにせ、みんなにバレないようにバラを乗せなきゃいけないんだもんね。
「すごいんだ・・・オカメインコって。」
「え?」
わたしの呟きに、今度はクリスさんが驚く。
「未宇ちゃん、どうしてオカメインコだと?」
「あれっ・・・違うのかな・・・望さん、あのコのこと『オカメちゃん3世』って呼んでたんですけど・・・。」
それに、前にテレビで望さんが言ってたの、聞いたことあるし。
間違いないと思うんだけどな。
なんて思ってたら、クリスさんはますます驚いたみたい。
どことなく日本人とは違う、大きな目を見開いて。
「・・・彼が、そう名付けてたんですの?」
「うん。」
「そうですか・・・。」
クリスさんは、何かを考えてるみたい。
黙り込んじゃって、妙な沈黙が流れる。
「あの・・・。」
「あ、ごめんなさいね。」
微かに笑って、クリスさんはわたし達に紅茶のお代わりを注いでくれた。
「オカメちゃん、というのは、中学時代に彼が飼っていたインコの名前ですわ。いつも彼の肩に乗っていて・・・いい意味でも悪い意味でも、彼の一番の友達でしたわ。」
懐かしそうに話しながら、クリスさんは椅子に腰を落ち着ける。
ってことは、あのオカメちゃんはその時の鳥の孫ってことになるのかな。
わたしはももかさんを見た。
その時のことは、ももかさんもちょっと覚えてるらしくて、口元に笑いが浮かんでる。
ただ懐かしいってだけじゃなさそうなんだけど。
悪い意味でもって・・・何かやらかしたんだろうか。
紅茶を飲みながら、わたしがいろいろと想像してたら。
「ああっ!忘れてた!」
突然、ももかさんが椅子が倒れそうな勢いで立ち上がる。
わたしとクリスさんは、思わず目を丸くした。
「な、なに?どうしたの?」
「忘れてたわ!未宇ちゃん、ビデオのこと!!」
「ああっ!!」
そうだった、すっかり忘れてた〜〜〜!!
立ち上がったわたし達を、クリスさんはひたすらキョトンとして見つめてる。
わたしはクリスさんにグッと近付いて叫んだ。
「クリスさん!お願いがあるんです!」
「はい、これですわ。」
そう言ってクリスさんは、わたしに袋を手渡した。
中にはビデオテープが五本入ってる。
中学時代のテープだから、どこにしまったか、やっぱりクリスさんも覚えてなくて。
結局みんなで、家中探す羽目になっちゃった。
クリスさんの子供の頃の写真やももかさんのお古の三輪車、果ては20年前の手榴弾なんていう物騒極まりないものまで出てきたあげく、ようやくわたし達はお目当ての物を見つけた。
初めクリスさんは51巻あるテープを全部貸してくれようとしたんだけれど、さすがにそれはちょっとムリ。
締め切りはそんなに急じゃないけど、来週までには提出しないといけないんだもの。
というわけで、習性って言葉がタイトルに入ってるやつを5本、厳選して貸してもらうことになった。
どーでもいいけど、このビデオ、ホントに誰が作ったんだろ・・・。
「それだけで、本当によろしいんですの?」
「はいっ!ホントに、どうもありがとうございました!」
入り口で、ペコリと頭を下げるわたしに、クリスさんは微笑んで言った。
「始まるのは7時からでしたわよね?」
「はい。みんなその時間に集まってって、ママが言ってました!」
クリスさんは頷いた。
「わかりましたわ。では、その時にまた。」
「あたしも行くからね、未宇ちゃん!」
「うんっ。」
わたしは大きく頷いて、夕日で赤く染まったお屋敷を後にする。
は〜、すっかり長居しちゃったな。
「さあ、急いで帰らなくっちゃ!」
大きく息を吸い込んで、わたしは駆け出した。
夕焼けでくっきり照らし出された西遠寺へ。
大好きなパパとママのいる、わたしの家へ。
トコトン、トコトン
石段を一段ずつ昇っていく。
いつものことだけど、やっぱり疲れるんだよね。
でも、あと少しなんだから。
気合を入れる意味も込めて、出かけた時とは逆に、一段飛ばしで駆け上がっていく。
トン、トン、トンっと。
ふ〜、やっと着いた・・・。
辺りはもう薄暗くなってる。
遅くなっちゃったし、二人とも心配してるかな。
扉に手をかけて、開けようとしたとき。
「・・・ん?」
中から声が聞こえてきて、わたしは手を止めた。
微かだけど、何だか大きな声でなんか言い合ってる。
ドタン、バタンて音も聞こえるし。
これはもしかして・・・。
わたしはじーっと扉を見つめた
しばらくしてから、一気に扉をバッと開けて。
すぐさま、その場に身体を伏せる。
ヒュンッ
さっきまで、わたしが居た所を、何かが通り過ぎてった。
やっぱりね。
いくらわたしがオッチョコチョイだって、そう何度も当たらないんだから。
家の中の様子はいつもと変わらないけど、わたしには嫌でもわかる。
どうせまた、口ゲンカしてるんだろうな。
パパとママのケンカでは、こんな事しょっちゅう。
そしてその被害者は、決まってわたしか、お祖父ちゃん。
一度なんて、お祖父ちゃんにヤカンが飛んできたことがあったっけ。
でも、こんなに何度も経験してれば、いつどこに飛んでくるかもわかるから
今じゃ避けるタイミングも、カンペキに憶えちゃってるもんね〜。
・・・って、この歳の女の子が、こんな技覚えちゃってる時点で、まずいのかな・・・。
やれやれだよ。
「パパ〜、ママ〜、ただいま〜〜。」
言いながら、わたしはそっとリビングの扉を開ける。
「何よっ、彷徨の分からず屋!!」
「お前なぁ、とにかくちょっと落ち着けよ!」
「落ち着いてるもん!!」
・・・いきなり、二人の言い合う声が飛びこんできた。
あちゃ〜〜、かなり本格的にやっちゃってるな〜〜。
「どうしたの?パパ、ママ。」
わたしの声に、二人は同時に振り向いた。
二人の前には、朝使おうとして使えなかった電話が置いてある。
「あ、未宇、お帰り!」
「ねえ、何があったの?」
あちこちに散らかってる、家具やら何やらを避けながら側にやって来たわたしに、ママはすごい勢いでまくしたてる。
「ねえ未宇!お金の無駄遣いって良くないわよね?」
「へ?」
思わず目が点になるわたし。
パパはと言えば、やれやれって顔で、腕を組んでる。
「だ・か・ら!お金はやっぱり節約しなきゃだめだよね?本当ならまだ使えるのに買い換えるなんて、もったいないと思うでしょ!?」
「うん。そりゃ、まあ・・・。」
わたしが何とか頷くと、ママはしてやったりって感じでパパを見る。
「ほら!未宇もこう言ってるじゃない!買い換える必要なんてないよ!」
「だからって、修理したってそんなに安いわけじゃないんだぞ?それにこんなに古くちゃ、また壊れるのが落ちだろ?」
「そんなの、やってみなくちゃ、わからないじゃない!」
「あのなあ・・・。」
パパは額に手を当てた。
わたしもようやく、何となくだけど事情が飲み込めてきた。
つまり、二人は電話を直して使うか、買い換えるかで揉めてるんだね。
で、この部屋はいつもみたいに大戦争状態になってる、と。
う〜ん、ママの考えも分かるんだけど・・・。
「でもママ、今はいいけど、今日みたいに急な用事があったとき、また壊れたりしてたら困るんじゃない?」
「・・・・それはそうだけど・・・。」
痛いところを突かれた、っていう風に、ママは黙り込んで。
上目遣いで。パパの方をじっと覗き込む。
あ、パパ、この仕草に弱いんだよね。
何だかんだ言っても、分類するなら間違いなく愛妻家の方に入る人だもん
案の定パパは困り果てたようにわたしを見た。
ママがどうしてこんなに意地張るのか、わからないんだろうな。
正直、わたしにもわかんない。
だいたい、ママが今まで、お金がもったいないとか、そんな事言ったことないんだもん。
あ、だからって別に無駄遣いしてるってわけじゃないよ。
なんていうのかな、性格そのまんまに、細かいことにあんまりこだわらないから。
倹約しろってうるさいのは、どっちかって言うとパパの役回りなのに。
今はそれが逆になっちゃってる。
「なあ、未夢。どうしたんだ、ホントに。何か理由でもあるのか?」
優しい口調で聞かれて、ママは下を向いちゃった。
少し間が空いて、小さい声で言う。
「・・・瞳さん・・・。」
「え?」
「この電話・・・瞳さんの思い出だったんでしょ?お義父さんが言ってたもん、瞳がこの家に来た時に買ったんだって・・・。」
「未夢・・・・。」
パパも、わたしも、驚いてママを見た。
小さい頃に亡くなった、パパのお母さんの、瞳さん。
本当ならわたしの、もう一人のお祖母ちゃんになるはずだった人。
パパも、もうほとんど覚えないって言ってたけど。
それでも、優しい人だったんだよって、お祖父ちゃんは教えてくれた。
「この家も、もう変わっちゃって・・・彷徨のお母さんの思い出、ほとんど無くなっちゃって・・・だから、わたし・・・。」
文章は変だけど、言いたいことはわかるよ。
そっか・・・だから、ママ・・・。
「未夢。」
パパが優しく微笑んで、ママの側に腰を下ろした。
「母さんの思い出って、そんなヤワなもんじゃないぞ。少なくとも、俺にとってはな。多分、オヤジも同じだと思う。」
「彷徨・・・。」
ちょっと潤んだ瞳で、ママはパパを見上げた。
「こいつが無くなったって、思い出が消えてなくなるわけじゃないだろ?大切なのは思い出の品よりも、俺達自身だよ。俺達が忘れなきゃ、それでいい。・・・母さんも、そう言うと思う。」
きっぱりと言い切ってから、ママの肩に手を置いて。
パパは、ニッコリと笑った。
「だから、気にするな。」
「・・・うん。」
ママが恥ずかしそうに、でも何だか安心したみたいに、コクンと小さく頷いた。
・・・何かいい雰囲気。
こういう時は、邪魔しちゃダメだよね。
わたしは二人に気付かれないように、そっと部屋を出ようとする。
グイッ
「へっ!?」
突然、足元に突っかかるような感触。
そのまま、バランスを崩すわたし。
ドッターン
「あいたたた・・・・。」
転んで、腰を思いっきり打っちゃった。
も〜、何なのよ〜。
「未宇っ。」
「大丈夫?」
パパとママがラブラブを中止して駆け寄ってくる。
「うん、何かにつまづいたみたい・・・。」
「これか。・・・何だこれ。」
そう言ってパパが拾い上げたのは、何だか黒くて、長いもの。
あれ、これってもしかして・・・。
「それ、電話のコンセントじゃない?」
「ってことは・・・。」
わたしたちは顔を見合わせる。
・・・要するに、壊れてたんじゃなくて、コンセント抜けてただけ?
急に、ママがポンと手を叩いた
「あ、そーだ!昨日お掃除してた時に、ちょっと掃除機に繋いで・・・それで戻すの忘れちゃったんだ。」
おいおい・・・。
呆れてものも言えないわたしの隣で、パパが叫びだした。
「お〜ま〜え〜なぁ〜〜〜。」
「だ、だって、すぐに戻すつもりで・・・。」
「それで一日大騒ぎしちまったって!?なんつー人騒がせな・・・。」
「ごめんなさい〜〜〜。」
真っ赤になって弁解をするママ。
パパはもう何を言っていいのやら、とにかく呆れてる。
また、いつものパターンだね。
わたしはさっきとは逆の意味で二人に気付かれないように、そっと部屋を脱出しにかかった。
静かな山の上に響く、元気すぎるくらいの声。
丘の上の西遠寺は、こんな感じで、今日も賑やかです。
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