小さめのテーブルに、美味しそうなお料理が所狭しと並んでいる。
ローストチキンに、スパゲッティ。
何とかって言うチーズに、シチューの詰まったパイ、等々。
そのテーブルを囲んでるのは、全部で7人。
ママとクリスさん、それにわたしが、みんなのグラスに順番に飲み物を注いで。
注ぎ終わったところで、全員が一斉にグラスを持ち上げる。
「よし。じゃ、始めるか!」
音頭をとる三太さんの声に、みんなは頷いた。
「未宇ちゃんの中学2年生への進級と、未宇ちゃんの今後の健康と、そしてまだまだ続きそーな俺達のくされ縁に・・・乾杯!!」
『乾杯!!』
カチンという音がして、グラスが触れ合って。
みんなは一気に飲み干した。
わたしはジュースで、それ以外の人はお酒を。
あま〜いジュースを味わってたら、隣に座ってるママと目が合った。
お酒が弱いママのグラスは、半分くらいしか、減ってない。
わたしがじっと見てたのが、そのせいだと思ったのかな。
ママはこっちを見て、照れくさそうに笑ってた。
「つーわけで、おめでとうな!未宇ちゃん!」
「ありがとう、三太さん!」
グラスを掲げて、笑顔でそう言ってくれる三太さんに、わたしはお礼を言う。
毎年やってるこの宴会を仕切ってるのは、やっぱりこの人。
ふと見ると、三太さんは早くもお代わりを注いでる。
いつもの事だけど、大丈夫かなあ。
「これで未宇ちゃんも、わたくし達の出会った歳に追いついてしまいましたわね。」
「早いもんだねえ。つい最近まで小学生だと思ってたのに。」
「知ってた?そういう台詞って、オジサンの証拠なんだって。」
ももかさんのツッコミに、望さんは一瞬顔を引きつらせる。
「何をおっしゃる、マドモアゼル。僕はまだまだ、おじさんなんて呼ばれるほど老けちゃいないよ。」
「じゃ、ナイスミドルって呼んであげよっか?」
ママとクリスさんが、同時にプッと吹き出した。
望さんは何食わぬ笑顔でお酒を飲んでるけど・・・・。
あ、よく見ると頬がピクピク言ってる。
「しっかし、すげえよなあ、このご馳走!これ全部、彷徨と未夢ちゃんで作ったのか?」
並べられた料理を前にして、三太さんは感心した声を上げる。
パパとママが顔を見合わせた後、パパがゆっくりと言った。
「いや、俺は手伝ってないんだ。全部、未夢が作ったんだよ。」
『ええっ!?』
その場にいた全員から驚きの声。
「未夢ちゃんが!?これ全部!?」
「本当ですの!?」
みんなの問いに、ママは恥ずかしそうに頷いた。
「うん・・・あ、って言っても、一から十までやったってわけじゃないの。下ごしらえとか、時間がかかるのは、彷徨にも手伝ってもらったんだ。」
「それでも、すごいですわ!」
両手を組んで言うクリスさんに、みんなも一斉に頷く。
三太さんが側にあったローストチキンを取って、口に入れる。
「・・・うおっ、うまいっ!!」
三太さんの言葉に釣られるようにして、みんなも次々に料理に手を伸ばす。
・・・なんてのんびり中継してる場合じゃないよ!
わたしも早く取らないと、無くなっちゃうもんね。
「おいし〜。」
「素晴らしいですわ!」
「ああ、大したものだよ!」
口々に褒められて、ママは照れくさそうに笑った。
「良かった・・・頑張っちゃったもんね〜、今夜は。」
ご機嫌なママの様子を、パパは横目で見て。
安心したようにふうっと息をつく。
わたしと目が合うと、こっそり苦笑いしてた。
わたしもおんなじ気持ち。
ふ〜、良かった・・・。
これで苦労も報われたってもんだよね。
本当のこと言っちゃうと、今日の料理は本当は、ママが一人で作る予定じゃなかった。
いつも通りにパパとママが作って、わたしもちょこっと手伝おうかなって思ってた。
でも、一ヶ月くらい前だったかなあ。
ママが突然言い出したの。
“今年の料理は、私一人で作りたいの!”って。
もちろん、パパもわたしもビックリした。
何でそんな事言い出すんだ、って聞いても教えてくれなくて。
それでも、結局最後には奥さんの頼みを断れないパパが根負けして、教えることになったんだけど・・・。
はっきり言って、それから数週間は、わたし達にとって試練の時だったよ。
だってわかるでしょ?
砂糖と塩を間違えるのは当たり前、味噌汁作ればダシを忘れ、煮物が生煮えだったりするのだってしょっちゅう・・・。
こんなママがご馳走を一人で作ろうって言うんだから、並大抵の事じゃない。
ママにあれこれ教えるのはもっぱらパパの役割で、わたしは味見の方にまわってたけど、何度意識が飛びそうになったことやら。
一度なんて、知らずに食べたお祖父ちゃんが泡吹いて倒れちゃったりしたっけ。
それでも、わたしもパパも協力したのは、ママがすごく一生懸命だったからなの。
いつもなら、パパに呆れたようなこと言われて喧嘩になるはずなのに、今回だけは違ってた。
何度失敗しても、パパにイヤミ言われても、頑張って・・・。
そんな姿見せられると、こっちとしても協力しないわけにはいかないよね。
幸い、素直な性格のおかげなのか、2,3週間経つとママもコツを飲みこんで、そんなに大変じゃなくなった。
けど、今朝もお約束通りにソーセージ焦がしちゃったから、すごく不安だったけど。
何とか成功して良かったよ。
ママが得意げにパパを見る。
「どう、彷徨?私だって作ろうと思えばこれくらい作れるんだから!」
「ん、そうだな。」
パパは静かに微笑んで、そう言った。
他の人が見れば、素っ気ないなあって思うんだろうケド。
「でしょ?」
でもママはそんな言葉でも、嬉しかったみたい。
顔を綻ばせて、みんなに料理を勧めていく。
そんなママを見つめるパパの目は、本当に優しい。
普段はあんなだけど、やっぱりママが楽しそうにしてるの、嬉しいんだろうな。
でもなんで、ママは一人でやろうとしたんだろ?
そんな疑問を抱えながらも、わたしはチキンとチーズを頬張った。
「そういや、聞いたか?」
盛り上がってきて、宴もたけなわになった頃。
不意に三太さんがみんなに言った。
「何を?」
パパの言葉と一緒に、みんなが三太さんを見る。
三太さんは一同を見回した後、ゆっくりと口を開く。
「モモンランドがさ・・・長期休業するって話。」
「ええっ!?」
わたしも含めて、その場にいた全員が思わず声を上げた。
ママが、信じられないって感じで三太さんに聞く。
「三太君・・・それホント?」
「ああ、こないだ店に来た人が言ってたんだよ。再開するのがいつになるかはわからないけど、最低でも1,2年は掛かるって話みたいだぜ。」
そう言う三太さんの顔は、いつもみたいな元気がなかった。
三太さんだけじゃない。
みんな寂しそうな顔をして黙り込んでる。
しばらくの間、沈黙が流れる。
「そっか・・・とうとう来ちまったか。」
「時代の流れってヤツかねえ。」
パパの言葉を受けて、望さんが微かに苦笑する。
みんな反応はしなかったけど、たぶん思いは一緒だったと思う。
隣町にある巨大テーマパーク、モモンランド。
わたしが生まれるずっと前からあった場所で。
そして、パパやママ、みんながたくさんの思い出を作った場所。
この町が開けていくのにつれて、もっと大きな施設がいっぱい出来て。
お客さんが少なくて困ってるって話は、わたしも聞いてた。
わたしはママの顔を見た。
やっぱり元気ない・・・無理ないか。
実を言うとわたし自身は、モモンランドにそんなに思い入れがあるわけじゃない。
わたしが物心づいた頃には、この辺には大きい遊園地もできてたし。
オット星や他の星ですごいものいっぱい見たし、残念だなぁって思うくらいだった。
でも、ママたちにとっては、たくさんの思い出の詰まった場所なんだよね。
「残念ですわね。」
「うん、あの大観覧車、もう一度乗ってみたかったよ。」
クリスさんの呟きに、ママが神妙に頷いた。
「それは止めたほうがいいんじゃないか?」
「何で?」
振り返ったままに、パパがニヤリと笑う。
「お前の体重で、観覧車が止まっちまうかもしれないぞ?」
ピキッ
ママのこめかみに青筋が浮かぶ。
あ〜〜・・・やっちゃったね、パパ。
「な〜んですってえ〜〜〜!?」
眉を吊り上げてパパを睨みつける。
効果音を付けるとすれば、「ズゴゴゴゴ」ってとこかな。
「いま、な〜んておっしゃいましたかなぁ〜〜?かなたさんやぁ〜〜〜?」
こ、怖いよ・・・いろんな意味で。
でも、パパにとっては慣れたもんだから、平気な顔してお酒を飲んでる。
もちろん、小さく舌を「んべっ」て出すのも忘れない。
「彷徨君たら・・・少し言い過ぎですわよ?」
苦笑しながら、クリスさんが間に入る。
ま、たしかにいつものこととは言え、女性に体重のコト言うなんて、今回はちょっと、パパの方に問題ありかな。
でも、それをすぐに認められるほど、パパも素直じゃないわけで。
ぷーいってそっぽを向いたまんま。
ママはムスッとした顔で叫んだ。
「もういいよ〜だ。そんな、女性に対してデリカシーのない人なんて、知りません!クリスちゃん?」
「はい?」
小首を傾げるクリスさんに、ママは立ち上がって言った。
「こ〜んな人放っといて、向こうで飲まない?女だけ、水入らずで!」
「え・・・・。」
クリスさんはちょっと躊躇いがちにパパを見た。
その目は明らかに、「いいんですの?」って問いかけてる。
「ほらほら、未宇も、ももかちゃんも!一緒に飲もう、ね?」
「わたし達も?」
「そうそう、たまには、女性だけで騒ぐのもいいでしょ?」
ニッコリ笑って言うママ。
う〜ん、どうしようかな。
「・・・そーね。たまにはいいかも。」
意外にも、ももかさんが賛成した。
そのまま、わたしの方を問いかけるように見てくる。
「未宇ちゃんは?」
「ん〜〜〜・・・・。」
そうだね、どっちにしろこのまんまじゃ、パパとママは言い合いが続くだけだし。
考えてみたら、こんな風に女だけで話すなんて滅多にないもの。
パパには悪いけど、自分で撒いた種ってことで、納得してもらおう。
「そうだね、一緒に飲もう!」
「お、おい・・・。」
まさか本当に行くとは思ってなかったみたい。
パパが腰を浮かしかける・・・と、一番後ろにいたクリスさんが振り返って微笑んだ。
「少しの間、お待ちになってくださいな。もう少し経てば、お姫様のご機嫌も直りますわ」
妙に説得力のあるクリスさんの言葉に、パパはガクッと肩を落として座り込んだ。
「へえ〜、おいしいね。」
「でしょう?」
ぶどう酒を一口飲んで、ママが驚いたように呟く。
クリスさんがニッコリ笑って、自分のグラスにお代わりを注いだ。
「この間、父が送ってくれましたの。ぶどう酒と言っても、アルコール度は思いっきり低めですから、未夢ちゃんでも大丈夫だと思うのですけれど・・・。」
「うん、だいじょぶ!ありがと、クリスちゃん!」
クリスさんは微笑んで、ママのグラスに注ぎ足していく。
紫色のお酒を流し込んで、ママはわたしの方を見て、心配そうな顔になった。
「二人とも、眠そうだけど・・・・大丈夫?」
「ん、まだ大丈夫だよ。」
「そう?」
時間はもう10時を回ってる。
早寝のわたしには、もうとっくに寝てる時間。
少し目がショボショボするけど、まだ平気。
明日は休みだから、遅くなっても大丈夫だしね。
「ふあ〜〜、ねむ・・・。」
横から聞こえてきた声に振り向くと、ももかさんが欠伸をした所だった。
「ももかさん、眠いんですか?」
「うん・・・・ここんとこ、仕事が連続で入ってたからね。」
「良かったら、今晩は泊まっていきませんか?」
「あ、いいね。色々お話しようか。」
ももかさんが笑って言った。
やっぱりこんな顔を見ると、ももかさんはお姉さんみたいだなぁって思う。
実際、小さい頃はわたし、ももかさんの事を「ももかお姉ちゃん」って呼んで、ちょこちょこくっついて廻ってたし。
昔を思い出してちょっと浸ってたら、目の前にグラスが差し出されてた。
驚いて顔を上げると、ももかさんがぶどう酒を満たしたグラスを持って、悪戯っぽく笑ってる。
「飲むん・・・ですか?」
「そ!」
「いいんですか?」
「な〜に言ってるの!」
そう言ってわたしの背中をバンと叩く。
ちょっと痛い・・・。
「未宇ちゃん、もう中学生でしょ?今のうちに飲めるようになっとかないと、将来困るわよ?」
ももかさんが片目を瞑って、軽くウインクする。
どうしよう。
未成年としては、気が引けるけど。
でも、白状すると、わたしもお酒に関して興味ないわけじゃないし。
せっかくのお祝いだし・・・一口くらいならいいか。
「そうですねっ。」
「話が分かるわね、未宇ちゃん。」
嬉しそうに、わたしのコップにぶどう酒を注ぐ。
注ぎ終わったら、小さく乾杯。
一気に飲み干すのを見習ってわたしもくいっと飲む。
味は思ったより悪くない・・・って言うより、結構美味しい。
少しクラッとするけど、それも大変なくらいじゃないし。
「へ〜、いけるんじゃない。」
笑いながら、ももかさんは自分も一気に飲んだ。
わたしはふーっと息を吐いて、何気なく向こうを見る。
こっちをちらちら見ているパパと目が合った。
でも、すぐにふいっと視線を逸らしちゃう。
もう・・・そんなに気になるなら、あんな事言わなきゃいいのに。
「・・・パパはどうして、ママにあんな風にイジワルなのかな。」
ポツリと漏らした呟き。
心の声が、そのまま出ちゃったみたい。
「構って欲しいのよ。彷徨さんもまだまだ子供っぽいってことね。」
わたしの呟きを耳にしたももかさんが言う。
「・・・なら優しくしてあげればいいのに。」
「ホントにね〜。」
わたし達は口々に言って、クスクスと笑う。
向こうのほうで、パパが居心地悪そうに身じろぎしたのが見えた。
「ま、ほとぼりが冷めるまで、こっちはこっちで楽しみましょ。」
「ですね。」
あっさり頷いて、わたしはグラスを手に取った。
え?ちょっと薄情じゃないかって?
いーの!
どーせ最後には二人とも、お約束どおりになるんだから。
「あっちは何か、盛り上がってんな〜〜。」
三太の声に、彷徨は向こう側のテーブルを見やった。
女性四人という華やかさのせいもあるのだろうが、騒いでいる姿は何だか楽しそうに見える。
ふと、未宇がこちらを振り向いて、目が合った。
何となくばつが悪くて、慌てて横を向く。
未宇が何となく呆れたようなため息を漏らしたのが痛かった。
「そんなに気にするくらいなら、もう少し気を使えばいいじゃないか。」
聞こえてきた声に前を見ると、望がグラス片手に少し呆れ気味の視線を向けている。
気が付くと、三太もウンウンと頷いていた。
「そーゆーとこ、変わってないよな〜〜。」
「未夢ちゃんも大変だね。」
言いたい放題である。
本当のことだから、言い返すことが出来ないのが苦しい。
黙り込んでしまった彷徨を見てさすがに気の毒になったのか、三太は明るく笑いながら言った。
「まあ、お前らのケンカなんて、風変わりな愛情表現みてーなもんだから・・・しょうがないのかもな〜〜。」
彷徨はそれには答えず、もう一度隣のテーブルを見た。
クリスと明るくお喋りしている未夢は、普段と変わらないように見える。
頭の中で、さっきの三太と望の言葉が繰り返されていた。
なぜ自分は未夢に対して、こんなにも意地悪をしたがる。
不器用な自分の愛情表現?
それもあるかもしれない。
でも、それが全てだからではない。
不安、だからだろうか。
(不安か・・・そうかもしれないな。)
自分の頭に唐突に浮かんだ言葉に驚きながらも、彷徨は思った。
昔からそうだった。
いつも側にいて、自分に笑いかけてくれて、自分の言葉に一喜一憂して。
そんな未夢を見て、とても嬉しいと思う反面。
彷徨は時々、未夢をとても遠くに感じてしまうことがある。
間違いなくここにいるのに。
笑顔を見せてくれているのに。
消えてしまわないだろうか。
自分の腕からスルリと抜けて、どこかへ行ってしまうんじゃないか。
そんな事を考えてしまう。
だからそんな時、彷徨は未夢に意地悪をする。
からかって、そして彼女がプンプンと怒って言い返してきて。
そうやって自分を真っ直ぐ見返してくる時、彷徨は安心できるのだ。
未夢は、ちゃんとここに居るんだ、と。
(俺もまだまだ、ガキってことか。)
自嘲気味に心の中で呟く。
だがそんな様子とは裏腹に、彷徨の心はさっきよりも落ち着いていた。
「どうかしたかい?」
「いや、何でもないさ。」
怪訝そうに問う望に微笑んで答える彷徨。
望はしばらく彼を見つめていたが、やがて安心したようにフッと笑みを浮かべた。
「そうか・・・まあ、こっちはこっちで楽しもうじゃないか。まだお酒、残っているんだろう、三太君?」
「あったりまえだろ?もちろん抜かりはないぜ。」
言うが早いか、三太は机の下から酒の瓶を引っ張り出す。
相変わらずの親友に、彷徨は苦笑しながらも、黙って空のグラスを差し出した。
柔らかな風が、闇の中を吹き抜けていく。
それに合わせて、障子が静かにカタカタと揺れる。
「寝てしまったようですわね。」
クリスの声に、未夢は視線を横に向けた。
先ほどまで賑やかだったのだが、さすがに疲れたのだろう。
未宇はちゃぶ台の側に横になり、静かな寝息を立てていた。
その横には同じようにして、ももかが眠っている。
仲良く隣り合わせになったその姿は、本当の姉妹のようだ。
「未宇、いつもはこんなに遅くまで起きてないからね。今日は特別だよ。」
クリスは頷くと、先程から静かな隣のテーブルを見た。
彷徨、三太、そして望も、男同士の飲み会をそれなりに楽しんでいるようだ。
「そろそろ、許してあげてはいかがです?」
「ん?何のコト?」
向こうを見もせずに言い放つ未夢に、クリスは苦笑した。
自分では惚けているつもりなのだろうが、やっぱりそこは未夢だ。
演技力と言う点では、まだまだである。
「彷徨君、寂しそうですわよ?お相手して差し上げた方がいいのでは・・・。」
「関係ないって。私はただ、クリスちゃんと飲みたかっただけだよ?」
「それは光栄ですけれど・・・。」
グラスを傾けながら、クリスは微笑んだ。
「彷徨君と飲まれるのは、楽しくありませんの?」
「・・・いーの、あんなヤツ!」
クリスは吹き出しそうになるのをこらえるのに必死だった。
プクッと膨れた頬に、少し紅潮した顔。
関係ない、と言ったばかりなのに、本当に彼女はわかりやすい
「彷徨君だって、本気であんな事言ったんじゃありませんわ。分かってらっしゃるんでしょう?」
「・・・。」
優しい声で、諭すように言われて、未夢は黙り込んでしまった。
クリスもそれ以上は何も言わず、黙ってグラスの中の氷を転がす。
先に沈黙を破ったのは未夢だった。
「わかってる・・・。」
その声には、先程のような喧嘩腰の態度は無かった。
視線をグラスに落として、未夢は小さな声で言う。
「彷徨、意地悪だけど・・・人を傷つけたいなんて思う人じゃないもん。」
「その通りですわ。」
頷いて、ぶどう酒のボトルに蓋をした。
「三太君も言ってましたが・・・本当、変わっていませんわね、彷徨君は。」
でも、彼がこんな態度を取るのは、未夢だけだろう。
心の底から安心して、遠慮なしに言いたいことを言っているのだから。
未夢はしばらく考え込んだかと思うと、急に真面目な口調で聞き返した。
「彷徨は、変わってない・・・。」
ポツリと呟くような声。
言葉と言うよりも、むしろ独り言に近かったかもしれない。
「私は、どうかな。変わったと思う?」
「未夢ちゃんが、ですの?」
クリスはちょっと考えてから答える。
「いいえ・・・そんなに変わってはいないと思いますわ。さすがに、全く変わっていないとは言いませんけれど・・・。」
そこまで言うと、クリスはそっと未夢の目を覗き込んだ。
緑と赤、二つの視線が絡み合う。
何年経っても、色褪せる事の無い輝きを宿す瞳が。
「どうしましたの?突然・・・。」
「ん、大した事じゃないよ。ただ、ちょっと考えちゃって。」
そう言ったきり、未夢は言葉を濁した。
と言うより、適切な言葉が見つからない、と言う方が正しいかもしれない。
「・・・わたくしにも、よくわかりませんわ。でも・・・。」
そう言って、クリスは未夢を真っ直ぐに見る。
そして、ふわりと微笑んだ。
「未夢ちゃんがこうして、わたくしとお話してくれている。それは変わっていませんわよね。」
「・・・それはクリスちゃんも、でしょ?」
どこかくすぐったそうに、二人はお互いに微笑んだ。
そう、変わらないものもある
あの頃の自分達とは、もう違うけれど。
互いに熱い思いをぶつけあった、少女の頃のようにはいかないけれど。
それでも、二人は今でも、こうして一緒に居る。
かけ替えの無い、友として。
ガチャンッ
不意に響いた音に、二人は隣を見やった。
グラスが倒れており、その張本人である彷徨が、慌ててテーブルを拭いている所だった。
彼にしては、珍しい事である。
「ったく・・・しょうがないなあ。」
そう言うと、未夢は立ち上がった。
ツカツカと彼の側に歩いていくと、黙って座り込む。
彷徨は驚いたように未夢を見た。
もう一枚の布巾を取り上げて、手馴れた様子で片付けていく。
ふと、二人の視線がぶつかる。
少しだけ間が空いたが、次の瞬間、未夢はクスッと笑った。
「しょうがないなあ」という声が聞こえそうだ。
ポリポリと薄茶色の髪を掻きながら、彷徨も、ばつが悪そうに微笑みを返す。
居間の空気がほんわかと、暖かくなった気がした。
皆でさっきと同じテーブルを囲み、昔話に花を咲かせて。
そうやって夜も更けた頃、三太は時計を見て呟いた。
「もうそろそろ、だな。」
三太の言葉に答えて、望が腕時計に目をやる。
時刻はもう11時を回っていた。
「そうだね、残念だけど、お開きにしようか。」
「ですわね。」
望の言葉に、クリスが相槌を打つ。
それを合図に、皆は静かに立ち上がった。
彷徨は改めて、三人の親友達の姿を見渡した。
皆、名残惜しそうに、それでもいつもと変わらず、微笑みを浮かべている。
やがて、静かに三人は玄関に向かった。
眠っている二人を起こさないように、そっと。
玄関まで来て、三太はもう一度振り返った。
彷徨が、昔と同じように別れを告げる。
「・・・みんな、またな。」
「ああ。お前らも、仲良くやれよ。」
そう言って、三太は寄り添った二人を見た。
しっかりと重ね合わせられた、二つの手。
三太の笑みが深くなった。
「じゃあな。」
簡単にそれだけを言うと、開け放たれた扉を潜る。
扉の先には、既に外に出ていたクリスと望が待っていた。
「楽しかったですわ。」
「二人とも、また会おう。」
「・・・うん!」
「ああ。」
夜の闇の中でも、互いの顔が分かる。
多分、自分達と同じような顔をしてるのだろう。
見送る二人に、手を振って。
三人はクルリと踵を返して歩き出した。
夜の闇に、彼らの姿が溶け込んで見えなくなるまで、未夢と彷徨はその後ろ姿を見つめていた。
月明かりの下に、コツコツという音が響く。
真夜中の町並みは、彼らの存在を隠すように、静寂を保ったままだ。
「しかし、変わっていなかったねえ、二人とも。」
歩き始めて、どのくらいたっただろうか。
不意に望が呟いた。
突然の言葉に、三太とクリスは驚いて彼を見つめる。
先に口を開いたのは、三太だった。
「・・・そーだよな。まあ、あの二人はああじゃないと、調子狂っちまうんだけどな。」
そこまで言って、三太はクリスに視線を移した。
「なあ、花小町さんもそう思うだろ?」
「ええ・・・。」
曖昧に答えて、クリスは振り向いた。
闇に包まれた西遠寺は、もうほとんど見えない。
僅かに、高台の輪郭が、月明かりに照らされて見えるくらいだ。
心の中で、未夢の言葉が繰り返される。
“変わったかな、私”
(いいえ・・・変わったのは多分、わたくしですわ。)
心の中で、そっと答えを返す。
もう、彷徨を見ても、あの頃のような熱い想いがこみ上げることは無い。
湧いてくるのは、少しばかりの寂しさと、そして・・・。
「クリスちゃん?」
望の言葉に、クリスは我に帰った。
いつの間にか、足を止めていたらしい。
「あ、ごめんなさい。」
慌てて謝るクリスを見て、望は彼女の見ていた方向に眼を向けた。
「・・・人は変わる。けれど、変わらないものもある。」
まるで、見透かしたかのような言葉に、クリスはハッとなった。
望は彼女に優しく微笑んで、言葉を続ける。
「何が変わるか、変わらないか。それは本人と、運命次第さ。」
「そーゆーコト!」
いきなり、三太が二人の肩に腕を回して、ガシッと抱え込んだ。
ビックリして振り向いたクリスに、彼はニヤリと笑いかける。
「人それぞれなんだから、無理に変えたりすることねーさ。焦らずに行こうぜ!」
昔と変わらぬ、陽気な言葉が、すうっと心に染み透って行く。
(そう・・・ですわね。)
心の中で頷いた。
今はもう、あの頃と同じではないけれど。
でも、彷徨と、未夢と出会えたこと。
共に困難を乗り越えた絆があること。
それだけは、変わらないと思える。
昔も今も、これからも。
それに・・・
(このお二人とも、ですわね。)
クリスは二人に向き直った。
そして、意味ありげに微笑む。
「お二人とも、飲み足りないのでは?」
急に聞かれて戸惑ったが、二人は素直に頷いた。
何だかんだ言っても酒があまり飲めない二人と一緒に居たのだ。
まだほろ酔いの半歩手前、と言うところである。
「そうだね、明日は休みなことだし・・・飲み直そうか。」
「ああ、悪くねーな。けど、花小町さん、いいのか?」
「何がですの?」
キョトンと聞き返したクリスに、三太は問いかける。
「相当遅くなるだろ?執事さん、心配するんじゃねーか?」
「ああ、その事なら大丈夫ですわ。今夜は遅くなると出掛けに言ってありますから。そう言う三太君こそ・・・。」
クリスは含み笑いを浮かべた。
「キョウコさん、お待たせしてよろしいんですの?」
妻の名前を出されて赤くなりながらも、三太は答える。
「・・・だいじょーぶ。親友と騒ぎまくるって言ってあるからさ。」
「そうですの?じゃあ・・・。」
そこで二人は、同時にある方向に視線を向けた。
二人の視線を受けた望は、サラリと金髪をかき上げる。
「愚問だね。僕は風のごとく生きる男。美しい女性意外に僕を縛り付けられるものなど何も無い。」
「つまりは、ヒマだってことだろーが。」
呆れ顔で三太が言う。
ウッと言葉に詰まりながらも頷く望。
この二人との付き合いも、まだまだ続くだろう。
それもまた、悪くない。
「では、決まりですわね。」
「よっしゃ!店は俺に任せてくれよ!深夜から開いてる、いい店知ってんだ!」
三太の言葉に二人は頷いて、三人は肩を並べて歩いていく。
空に浮かぶ月だけが、彼らをそっと照らしていた。
風呂から上がって来た彷徨は、縁側に腰掛けて空を見上げている未夢を見つけた。
柔らかな光が、金色の髪を淡く彩っている。
先に風呂に入っていた彼女の濡れた髪から、甘い香りが微かにした。
隣まで来ると、彷徨は無言で彼女の隣に腰掛けた。
未夢も一瞬彼の方を見たが、すぐに視線を夜空に浮かぶ月に戻す。
しばらくの間、二人は黙って月を見ていた。
「あの時も、こうやって月を見たよね。」
聞こえるか、聞こえないかの小さな声。
彷徨はゆっくりと顔を未夢に向けた。
「ルゥ君が・・・帰った日。」
「・・・そうだったな。」
満月の下で告げられた、家族とも言える赤ん坊との別れ。
あの日もこうやって、月が静かに浮かんでいた。
泣きたいくらい、綺麗だと、そう思ったのが昨日の事のように浮かんでくる。
「ルゥ君、かっこよくなってたね。」
「ああ、いい男になった。」
父親としての気持ちが出たのだろうか。
彷徨の声には、自慢そうな響きが滲んでいた。
「ルゥ君があんなに頑張って、成長してると・・・私も負けてられないって気分になっちゃうんだ。」
「・・・もしかして、それか?お前が急に料理しようなんて言い出したの。」
未夢は照れくさそうに頷いた。
「未宇も中2になったし・・・私も成長度チェックしたくなっちゃって。」
顔を赤らめる未夢を見て、彷徨は驚いて見つめていた。
気付かなかった、彼女がそんな事まで考えていたなんて。
(全く・・・かなわないな。)
心の中でそう呟く。
けれど、口には出さなかった。
そう簡単に負けを認めたら、意地っ張りの沽券に関わる。
「まあ、料理はともかく、お前のそそっかしさは成長してないよな。電話のコード引っこ抜いたり。」
「あ〜、まだ言う!?謝ったでしょ〜〜!?」
グッと彷徨を睨みつける未夢だが、その目は笑っている。
彼も本気で無いと分かっているから。
しばらくじっと見つめあった後、二人はクスクスと笑い出した。
不意に未夢が、ストンと彷徨の肩に頭を落とした。
「お、おい・・・。」
肩のに感じた重みに、彷徨は慌てた。
シャンプーの香りが、まだ微かに残っている。
「・・・どうしたんだよ。」
「別に、なんでもないよ。」
彷徨の側で、そっと紡がれた声。
その声に引き込まれるように、彷徨は彼女の細い肩に手を回す。
暖かい感触が、教えてくれる。
愛しい人が確かに、ここに居ると。
風の音が聞こえる。
少し寒くなってきただろうか。
「寒く、ないか?」
「ううん、平気。」
柔らかく、けれどはっきりと、未夢は囁いた。
「彷徨と一緒なら。」
どちらからとも無く、ふわりと微笑んだ二人。
どうか今、この瞬間が壊れませんように。
心の奥で祈りながら、未夢はゆっくりと目を閉じた。
「ふ〜、やっと仲直りか。」
二人の邪魔をしないように、小さな声で言って、わたしはそっと障子を閉めた。
わたしが寝てると思って、二人とも無防備だよ。
でも、嬉しいな。
二人とも、すごく幸せそうだった。
今夜は、二人きりがいいよね。
起きたことを気付かれないように、抜き足差し足で廊下を渡る。
先にお風呂入っといて良かったよ。
いくらなんでも、シャワーとか出したら、気付かれちゃうもんね。
サササッと素早く廊下を駆けて、素早く部屋に滑り込む。
先に移動してたももかさんが、気持ち良さそうに眠ってる。
その様子を見てたら、何だかわたしまで眠くなってきちゃった。
スポットライトを消して、布団の中の、ももかさんの隣に潜り込んだ。
「おやすみなさい。」
そっと呟いて、一つ寝返りを打つ。
目を閉じる直前、窓からお月様が見えた。
平尾町の大きなお寺、西遠寺。
20年前、全てはここから始まったんだよね。
パパとママ、ルゥにワンニャー、そして大勢のお友達。
みんなここで、たくさんの出会いと別れを見つけた。
これからも、いっぱい色んなこと、あると思う。
それがどんなものなのか、それは誰にもわからない。
未来も、ううん、明日だって、わたし達には見えないんだから。
でも、それがどんなものだったとしても、それは「わたし達の」明日なんだよね。
どんな日だったとしても、精一杯やっていかなきゃ損だと思うの。
だから、わたしは寝る前にこうお願いするんだ。
同じ地球に居る大切な人達と、遠い宇宙に居る大切な人に。
明日も、頑張っていけますように。
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