parallel story〜crusades〜 作:OPEN
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遠い昔、人々が信じていたものがあった。

それは今でも、誰もが一度は耳にするもの。

夜、寝る前に母親に聞かせてもらったり、

町の紙芝居のお爺さんが、面白おかしく語っていたり、

幼い日に人の心に残る、不思議な物語。



翼も無いのに、空中を自由に飛び回る少年。

何にでも姿を変えられる、見た事も無いような動物。

子供の頃、私達はその話を、目を輝かせて聞いていた。

本当にあるんだ、心からそう思っていた。


時は流れ、私達は成長して。

幼い日の物語は、私たちの記憶の奥底に埋もれていく。

「夢」「幻想」そんな言葉と共に。



同じように、人が信じるものも変わっていった。

移り行く歴史の中で、彼らはその存在を忘れられていった。

「幻の獣」として。












太陽が燦々と照りつける砂地に居を構えている、十字軍の陣地。
延々と広範囲に渡ってその存在感を誇示する、この軍団の一角。
第5中隊・第17小隊駐屯区。

今、そこで、ちょっとしたイザコザが起こっている。

「何だと!?お前、もう一度言ってみろ!!」
「おお、何度でも言ってやらあ!!」

言い争っているのは二人の兵士だ。
ニらみあいながら向かい合い、周りの兵士達はそれを見物するように囲んでいる。

「この軍が・・・この遠征が馬鹿馬鹿しいなんて、よくそんなことが言えるな!」

こう言っているのは、すらりと背が高い、細身の男だ。
真面目そうな顔立ちの、どこにでも居るような青年。
今までの人生を、コツコツ地道に歩いてきた、そんな感じの人間。

彼の言葉に、相手も負けじと言い返す。

「何言ってやがる!事実だろうが!こんな戦い、やってられっかよ!!」

こちらは、釣り上がり気味の目と少々きつめの顔立ちが特徴の青年。
相手と同じくらいの年齢だが、どちらかと言えば「不良っぽい」印象だ。
酒場や賭博場などに行けば、周りの風景にピッタリ溶け込むことだろう。

二人は、殴り合いにならないのが不思議なくらいの剣幕で言い合いをしている。

「俺達の目的を忘れたのか!?俺達は異教徒どもを倒して、聖地を取り戻さなきゃいけないんだぞ!俺達の誇りだった聖地を踏みにじられたままでもいいって言うのか!?」
「知ったことかよ!俺はな、聖地を取り戻すだの、民衆を救うだの、そんな事どうだっていいんだよ!俺がこの軍に入ったのは、いい暮らしが出来るって聞いたからだ!俺は異教徒どもから戦利品分捕って、ひとヤマ当てたいって思ってた!それが理由なんだよ!」
「な、何!?」

いきり立つ右側の男。
その前に立つ左の男は、チッと舌打ちをした。

「異教徒を倒して一攫千金、なんて夢みてえな話、今にして思えば信じてた自分が馬鹿らしいぜ!お前らもそう思わねえか!?」

言葉の後半は周りで見物していた他の兵士達に向けられたものだった。
彼の言葉に、野次馬達もざわつき出す。


「確かになあ・・こんなくそ暑い所にまで来て、あんな死ぬような思いまでして、それでも利益な〜んも無しってのはな・・・。」
「やってられねえよな・・。いっそどっかに逃げちまうか・・・。」
「何言ってんだ!ここまで来て止めてどうするんだよ!」
「正気か、お前ら!?」

兵士たちの間でも、言い争う声が聞こえてくる。
そんな喧騒を他所に、言い争ってた右の男は怒りの声を上げた。

「・・・そうか、わかったよ。お前、怖いんだろ?」
「何?」

左の男の眉がピクッと上がる。

「お前は、戦うのが怖くなったんだよ!それで尻尾をまいて逃げ出そうって言うんだろ!腰抜けが!!」
「何だと!?喧嘩売ってんのか、てめえ!!」
「やる気か!?臆病者め!」
「上等だ、この野郎!!」

言い放った次の瞬間、取っ組み合いを始める二人の兵士。
互いに殴り合い、地面に転がる。
彼らだけではなかった。
あちこちで罵り合い、あるいは掴み合いが始まっている。


「利益が何だ!俺達が聖地を取り戻さなきゃ、俺達の未来はどうなる!?」
「うるせえ!こっちは今を生き抜くだけで手一杯なんだ!」


「だいたい、てめえは最初から気に入らなかったんだよ!」
「そりゃ、こっちのセリフだ!」


お互いの主張のぶつけ合いから、単なる誹謗中傷まで。
その範囲は、どんどん拡大していく。

「おい!お前達、何をしている!」

言いながら走ってきたのは、他の者より少し質の良い鎧を身に着けた男。
この小隊の隊長だ。

「今すぐに止めろ!これは隊長命令だぞ!」
「何が隊長だよ、この前の戦いじゃ、何の役にも立たなかったくせに!」

兵士の一人の言葉に、周りがそうだそうだと呼応する。
小隊長の顔が引きつった。

「あ、あれは、乱戦だったせいで、連絡が取れなかっただけだ!」
「へっ、どうだかなあ・・・。」
「隅っこで震えてたんじゃないのか!?」
「な、何だと!?」

顔を真っ赤にして怒る小隊長。
止めに来たはずの彼も、今や乱闘の中に加わろうとしていた。





軍令本部では、望とそれぞれの中隊長が難しい顔をして考え込んでいた。
議題は、この所の一番の問題である、十字軍内の混乱、内紛についてである。

「昨日だけでも、兵同士の言い争い、もしくは殴り合いはあちこちの隊で起きています。私の中隊では・・・多数対多数の乱闘に発展してしまったものも、少なくありません。」

一人の騎士の報告に、他の者も続く。

「わが中隊もです。幸い負傷者は出ていませんでしたが・・・。」
「不平不満を並べる者も、後を絶ちません。」

口々に言う中隊長達の顔が、かなり疲れている。
ここ数日、兵士達の争いの仲裁にまで駆り出されて、いい加減うんざりしているのだ。

彼らの言葉に、望はため息をつく。

「まいったね。分かっていた事だけど、このままじゃ・・・。」

頭痛をこらえるように頭に手を当てて、彼は椅子に座り込んだ。





一週間前の夜に起きた、グランドール正規軍による襲撃は、発足間もない十字軍に深刻な打撃を与えていた。
戦死者・二千五百人に、四千人を越える負傷者。
三万の遠征軍にとっても、決して軽い被害ではない。

そして、それ以上にあの戦闘は、兵士達の心の方に大きな傷を残していた。
聖地を取り戻さんと、意気揚々と出発した聖なる軍。
栄光を掴ために堂々と行進していた十字軍。
個人個人の違いはあっても、皆は大きな理想を持ってウィルランドを発った。

だが、あの一夜で全ては崩れ去った。
情け容赦なく迫ってくる、ラクダ騎兵の姿。
数の上では遥かに劣っていた敵に、為す術も無く蹴散らされていく自分達。
それまで抱いていた幻想は、木っ端微塵に打ち砕かれた。
軽蔑していたはずの、「異教徒」と呼ばれる者達の手で。

これがきっかけとなって、兵士たちの間には悪い雰囲気が流れ出した。
もともとこの十字軍は、西方諸国の至る所から、身分を問わず参加している。
それぞれ、違う境遇の者が集まっているだけに、考え方もそれだけ違うのだ。

例えば、一口に同じ平民とは言っても、様々な者達が居る。

裕福な商人の家庭に生まれ、何不自由なく暮らし、聖地奪回の理想に燃えてこの遠征に参加した者も居る。
幼い頃から一人で暮らし、その日その日で賃仕事をして食い繋ぐアウトロー社会に生きてきて、この遠征で一旗上げようという野心から参加した者も居る。

今までの人生も、物に対する価値観もバラバラ。
これまでは表に出る機会も無かったが、一度「現実」を目にするとその違いははっきりと出てしまう。
それが、先程のあの対立だった。

もちろん、これはほんの一例にすぎない。

特に戦利品目当てで参加した者にとっては、戦利品が無いことも大きな不満の種になっているらしい。
ロア襲撃事件以降、望は略奪に関する規則をより厳しくし、民間から略奪する事は絶対ならない、と宣言していた。

けれど、そもそも人間という生き物の大多数は、見返りがあるから命を張っていられるのだ。
命懸けの戦いの後に、ご褒美の一つも無いというのでは、「やってられない」と思うのも無理は無いかもしれない。

そんなこんなで、ここ一週間、十字軍の進軍は停滞したままだった。
早く進まなければ。
そう思っていても、望はその命令を出せなかった。
こんな状態では、聖地奪回など絶対に不可能だと分かっているからだ。




「どうしたものかな・・・。」

望は薔薇を見つめながら考え込んでいた。
少し外の空気が吸いたい、そう言って出てきたものの、善後策は浮かばないままだった。

(やっぱり、僕のやり方は間違っているのか・・・。)

いっそ、略奪を許可してしまった方がいいのだろうか。
そんな考えが頭に浮かび、望は自己嫌悪に陥った。
そんな事がいいはずないのに。

同じ略奪でも、敵から奪うのならまだいい。
あちらにどんな事情があるにせよ、お互いに戦場で戦うことを受け入れている。
だから、敵の捕虜の扱いについての取り決めはあっても、敵からの分捕りについては特に規定を設けていない。

だが、何の関係も無い民からの略奪となると話は別だ。
武器と殺意とを持った兵士がそれを行えばどうなるか、望はロアで嫌と言うほど目にした。
もう二度と起こしたくない、そう思ったからこそ、略奪の権利は敵のみに限定した。

けれど、それは自分の理想であって、皆の理想では無い。

「・・・どうすればいいんだろうね、オカメちゃん。」
「ピイ?」

肩に乗っていた白い鳥は、主人の沈んだ様子に戸惑った鳴き声を上げる。
そっと頭をなでながら、望の思考は泥沼に入っていった。

今一番必要なのは、勝利と、それによって得られる戦利品。
その事は望も認めざるを得なかった。
何としても、兵士達に士気を取り戻さなければいけない。
そのためには・・・

(せめて、どこかじっくり腰を落ち着けられる所が在れば・・・。)

そう、ちゃんとした拠点でなくてもいい。
こんな荒野の真ん中で無くて、きちんと体勢を整えて敵を迎え撃てる所。
そこでちゃんと準備をして戦えば、勝利によって彼らを奮い立たせることも可能だ。

けれどそれを手にするには、そこを防衛しているグランドール軍と戦って奪い取らなければいけない。
今の状態でそんなことが出来るはずも無い。
まさに、泥沼状態だった。


望は薔薇を一輪取って香りを吸い込む。
いつもは心を和ませてくれるそれも、今の望の心を落ち着かせてはくれない。

そろそろ戻ろうか。
重い身体を引きずるように立ち上がった時。

「失礼します。」

天幕の向こうから近習の声。
ここには立ち入るなと念を押してあったのを思い出し、望は中に入った。

「何だい?」

声をかけられた騎士は、どことなく声を潜めて言った。

「その・・・『ファーレン』の村長が王子にお目に掛かりたいと参っているのですが・・・。」
「ファーレン?聞き覚えがあるな・・・。」
「はい、ここから真っ直ぐ北上した、セヴル山岳地帯に在る村です。現在は、グランドールの勢力下のようですが。」
「ふうん・・。で、そのファーレンの村長が僕に何の用なんだい?」
「それが、王子に直接話したい、と申しまして。」
「そうか・・・わかった。」

望はマントを羽織ると、作戦本部へ向かう。
とにかく会ってみよう、そう考えたのだ。



テントの中に入ると、一人の老人が待っていた。

もう70を超えているだろうか。
つるりと禿げ上がった頭。
口の周りには、豊かな白髭を蓄えている。
背中も曲がり気味だが、その姿からはある種の威厳が感じられた。

老人は望の姿を見つけると、深々と一礼する。
望は彼の正面に立って声をかけた。

「僕が、ザフト・ウィルベルク・望だ。貴方が・・・ファーレンの村長殿か?」
「はい。ゲオルグ・フォンバッハと申します。」

しゃがれた声で自己紹介をしながら、老人は望をじっと見つめた。
望はそれに戸惑いながらも問いかける。

「それで、僕に話したいこととは?」
「それは・・・。」

ゲオルグは口ごもりながら、周りをチラチラと見ている。
その意味を即座に察した望は周りの騎士達に命令した。

「皆、席を外してくれ。」

望の言葉に顔を見合わせながらも、側近達は黙って立ち去る。
それを見ていたゲオルグの目に、微かに満足が浮かんだ。

「お若いのに、大したものですな。」
「世辞は要らない。用件を言いたまえ。」

望は少し苛立ちながら言う。
この気が立っている時にこんなやり取りを出来るほど、望は大人では無い。
美しい女性なら、まだ言い方を考えたかもしれないが。

苦笑した老人は、ゆっくりとした口調で、だがあくまで真剣に語りだした。

「単刀直入に申します。私共の村を・・・攻めて頂けませんかな?」
「!?」

望は彼の言葉に、驚いて立ち尽くす。
皺だらけの顔に埋もれた目は、冗談を言っているようには見えなかった。







十字軍第2中隊・第3小隊駐屯地。
先の戦闘において負傷した者の手当てが、ここでも急いで行われていた。




「痛い・・・ちくしょう・・・。」
「おい、しっかりしろって!くそっ、・・・・何で薬が足りねえんだよ!」

重傷の仲間の手当てをしていた兵士が、やり切れないといった口調で叫ぶ。
目の前の彼は、腹にかなり大きな刀傷を負っている。
とは言え、治らない怪我ではない。
ちゃんと薬を付ければ、助かる可能性はいくらでもあるはずなのに、その薬が足りない。
夜襲の際に負傷者が続出し、それに加えて薬品の貯蔵庫に火を放たれてしまったので、予定より早くストックが切れ掛かっているのだ。

「早く・・・早くしねえと・・・。」
「どうしたの?」

上から掛けられた声に、兵士は振り向く。
金色の髪の少女が心配そうに覗き込んでいた。
見覚えがある。
小隊長が連れてきた、異教徒の娘だ。

「・・・あんたに関係ないだろ!!」

つい突き放すような口調になる。

何を白々しい、こうしたのはお前の仲間だろうが。
そう言いたいのを堪えるだけで精一杯だった。

だが、彼女はそれに構わず、横たわった男の傷口をじっと見つめている。

「おい・・・。」
「これ、使って!」
「え?」

言葉と共に少女が差し出したのは、薬草の入った袋。
驚いて顔を上げた兵士の手に、ぐっとそれを押し付けると、彼女は立ち上がった。

「早く、良くなるといいね!」

そう言って、向こうへ歩いて行く。
次の負傷兵の所へ。

その時になって、兵士は初めて気づいた。
彼女の肩に、白い包帯が巻かれていたことに。




(早く良くなってね、か・・・。私が言うことじゃ、無いんだけどね・・・。)

歩きながら、未夢は思った。
多分、彼らの耳には、さぞかし白々しく聞こえただろう。

けれど、やっぱりあんな所を見ると、放っておけない。
見て見ぬ振りをしたくない。
だから、今自分はこんな風に動き回っている。


戦闘で負傷した兵士の手当てや食料、水の供給。
俗に「補助作業」と呼ばれる仕事に、未夢は数日前から参加していた。
実際、今の十字軍に人手はいくらあっても足りないのだ。

自分に戦う力は無い。
けれど、こうやって、戦っている人達を助けることはできる。

今、自分に出来ることを精一杯やりたい。
そう考えて、選んだ仕事だった。



未夢は、水の入った桶がたくさん並べてある所へ駆け寄った。
飲料水から傷の治療まで、どこの軍でも水は必需品だ。
取っ手に手を掛けて、持ち上げようと力を入れた瞬間、肩にズキリと痛みが走った。

「いたっ・・・。」

思わず声を上げて肩を抑える。
包帯の下がジンジンと疼いている。

「ちょっと、無理しすぎちゃったかな・・・。」

肩の傷は、軍医の女性の的確な処置のおかげで大事には至らなかった。
だいぶ痛みも引いてきたのだが、どうやら調子に乗りすぎたらしい。




「未夢!」

(あちゃ、見つかっちゃった。)


背後から聞こえてきた声に、未夢は反射的に首を竦めて、恐る恐る振り返る。
予想通り、怖い顔をした彷徨が仁王立ちしていた。

「何、やってるんだ?」
「何って・・・みんなの手当ての手伝い。」

低い声で問う彷徨に、未夢はきっぱりと答える。
次の瞬間、彷徨は眉を吊り上げてものすごい勢いで詰め寄った。

「何度言わせるんだ!お前、怪我人なんだぞ!何、動き回ってるんだよ!しかも自分の分の薬草まで、あいつらに渡しちまって!」

やはり、見られていたのだ。さっきの場面。
未夢はムッとして言い返す。

「だってみんな、私よりひどい怪我してるんだよ?さっきの人なんて、立てない位だったんだから!」
「それはお前だって同じだろ!医者が言ってたこと忘れたのか!?傷口が発熱したら、取り返しがつかなくなるんだぞ!」
「けど私は、こうやって立てるし動けてるじゃない!」

あくまで自分の意志を曲げようとしない未夢に、彷徨は途方に暮れた。
どうもこの少女には、自分にとっての損得という概念が欠落しているらしい。

「お前は、兵士じゃないだろ?」

無駄だろうな、と思いつつ、少し口調を和らげて尤もらしいことを言ってみる。
予想通り、未夢は真っ直ぐ自分の目を見て答える。

「でも、やりたいの!私は戦えないけど・・・それでも、今の私にだって出来ること、こんなにあるじゃない!何もしないでただ見てるだけなんて、私は嫌だよ!」

(ほらな、やっぱり。)

彷徨はやれやれと天を仰いだ。
この調子では、もう彼女に翻意させるのは無理だろう。

「約束しろ。」
「え?」
「必ず、後でもう一度、医者に見てもらうって、約束しろよな。」

精一杯の妥協案。
彷徨としても、これ以上は譲れなかった。
もしこれでも未夢が納得しないなら、無理やり引っ張って言って寝かしつけるつもりだ。

未夢は驚いた様に眼を見開いたが、やがて笑顔になって、

「・・・うん、分かった。約束する!」

今度はちゃんと素直に頷く。
それを見て、彷徨もほっと胸を撫で下ろした。

多分、今日も一日移動は無いだろう。
とりあえず、自分も手伝うか。

彷徨は密かに決意した。



「ようっ、お二人さん!」

横合いからの声に、未夢と彷徨は同時にそちらを見る。
ひょいと片手を上げて、三太が歩み寄ってくるのが見えた。

「三太君、お疲れ!」
「よっ、三太。」

言いながら、二人は彼の様子が普段と違うことに気づいた。
いつもなら、すばしっこく走り寄ってくるのに、今日は何だかゆっくり歩いている。

彷徨と未夢は顔を見合わせた。
横たわる怪我人を見回しつつ、三太は二人の側までやって来ると、ふうっと息をつく。

「あ〜、疲れた!ホント、参ったよ・・・。」
「何かあったのか?」

幼い頃からの付き合いで分かる。
三太が「疲れた」と口にする時は余程の事だ。

「たった今、喧嘩の仲裁に行って来たんだけどさ・・・。」
「喧嘩って・・・またか?」

しゃがみこんだ三太の言葉に、彷徨は顔をしかめる。
ここ数日、小隊内の喧嘩について、何度報告を受けたか分からない。

「で?原因は何なんだ?」
「戦利品が無いって誰かが愚痴ったのがきっかけらしいぜ。」
「らしい?」
「周りの奴らはそう言ってた。俺が行った時には、単なる悪口の言い合いになってたけどな。」
「なるほど・・・。」

彷徨は額に手を当てた。


今、十字軍を悩ませている内部分裂問題。
それは、この第3小隊においても例外では無かった。

彷徨の統率力と三太の人望のおかげで、大人数同士の乱闘は何とか起きずに済んでいるが、口論や個人同士の喧嘩はあちこちで起きている。



「せっかく生き残れたのに・・・。」

悲しそうに言う未夢。
三太は肩を竦めた。

「みんな、気が立ってんだよ。一週間前の戦いで、結構痛めつけられたからな・・・」
「ああ。まずいな、このままじゃ。」

彷徨も頷いた。
このままの状態が続けば、またロアの時の様な先走り集団が出る可能性もある。

「何とかしないと・・・。」

三人共通の思いを、彷徨がそのまま口に出す。




「その通り。」




よく通る澄んだ声。
三人が振り返ると、望が歩いてくる。

「望・・・お前、軍議じゃなかったのか?」
「さっきまでやってたんだけどね。・・・重大な知らせだよ、諸君。」
「重大な・・・知らせ?」

未夢が首をかしげて問い返すのに、望は大きく頷いた。

「うん。この状況が、解決できるかもしれない。」
「何だって!?」

三太が驚きを顕わにする。
もちろん、未夢も彷徨も同じだった。

「解決って、このひでえ状況がか?」
「ああ。もっとも、まだ決まったわけじゃないけれど。」
「どう言う事なんだ?」
「実はね・・・。」

三人の顔を見渡しながら、望は話し始めた。
先程まで聞いていた、ファーレン村長の話を。







「村を、攻めて欲しい?」
「はい。」

呆然とした望の声に、老人ははっきりと頷く。

「・・・どういう事だい?」

呆然とした望の声。
この老人は一体何を言っているのだろう。
彼の意図がさっぱり読めない。

事態を把握しきれない望に、老人は笑って言う。

「言い方が少しまずかったようですな。ならば・・・『解放』とでも言えばよろしいでしょうか?」
「解放・・・。」
「はい。我らの村を、ファーレンを解放して頂きたい。今日はそれを、お願いに参ったのです。」
「・・・・・。」

望はゲオルグをじっと見つめた。
彼の視線は、真っ直ぐこちらに向けられている。
とりあえず、敵意は無いようだが・・・。

「・・・さっきよりはわかりやすいね。けれど、僕にはまだ、貴方の願いの意味がわからない。」
「でしょうな。」
「とりあえず、もっと話を詳しく聞きたいんだが・・・。」

そう言うと、望は手で隅に置いてあった椅子を示す。

「よろしいか?」
「もちろんですとも。」

満足そうに頷くと、ゲオルグは薦められた椅子に腰を下ろす。
それを見届けてから、望も着席した。





「我々の村ファーレンは、昔はクルゼア教圏とイリス教圏の勢力が、ちょうど均衡する場所に存在しておりました。」

席に着いたゲオルグは、机の上で手を組みながら説明を始めた。
望はその前に座り、腕を組んで話を聞いている。

「東西の力が緩衝するという地理的条件のため、我々は今まで、どちらかの陣営に厳しい支配を受けることはありませんでした。ですが・・・。」

ゲオルグは顔を曇らせた。

「近年になって、東西の対立が激化するにつれ、西方の君主達は勢力圏を拡大するべく、一つの要塞を建造いたしました。それが・・・。」
「城塞都市ゼラード、だね。」
「ご存知でしたか。」
「そりゃあね。」

望は肩をすくめる。
鏡が無くても、自分が不快な顔をしているのが自覚できた。




今では東方諸国の西側に対する第一線の防衛拠点となっているゼラードだが、元々はクルゼア教国の造った要塞なのだ。

5年前、西方の君主たちは共同で費用を出し、聖地ヴェルディアに通じる街道に一つの城砦を建設するという計画に着手した。
その目的は、表向きは聖地に向かう巡礼者の保護及び休養のためと成っていたが、真の目的が全く別のところにあるというのは誰の目にも明らかだった。
つまり、ここを東側に対する防衛の要とし、あわよくば勢力圏を広げる足がかりにしようというわけである。

多くの諸侯がこの計画に賛成し、2年の歳月をかけて、歴史上最高の出来とも言える要塞が出来上がった。
そして、その時築造に携わった職人やその家族、そして彼らを監督するためについていった高位司祭達はそこで新たな生活を切り開くことを決め、そこに街を作って移り住んだ。
これが、城砦都市ゼラードの始まりである。

ところが、ようやく完成したこの城砦を誰に守らせるか、という段になって問題が持ち上がった。
諸侯が共同で費用を負担していたために、誰がゼラードを守るべきかというのがなかなか決まらず、諸侯達はこぞって自分こそが守護人に相応しいと譲らなかったのだ。

もしこの街が今後東方への足がかりとなるならば、それは聖地へ一番近い場所であると同時に、新たな土地を得る機会が一番得やすい場所でもある。
彼らはその大きな利権をどうしても獲得したかったのである。

先に国内を固めるのを重要視していたブルーメ公クレイン公爵、北方の異民族との交易に力を入れていたノール侯ガゼル侯爵ら、少数の君主は特にゼラードの所有権を主張してはいなかったが、それ以外の君主達は連日のように王宮に集って論争を繰り返した。

望の父である現ウィルランド王サイラスは、自身と同じく名君と謳われていたクレイン公爵を街の統治者にしようと考えていたらしいが、彼がその命を下す前に事態は悪化した。

すなわち、この城砦の建設が、結果的に東側を刺激してしまったのだ。

ゼラードを足場として、クルゼア教国が勢力を広げてくれば、イリス教国は今までは距離の関係で幾分軽減できていた脅威をもろに受けることになる。

東方諸国の王達は、ならば満足な兵力が集結しない内にこのやっかいな城砦を攻略してしまおうと決議し、強国グランドールの軍を主力に諸国の軍勢を結集。
まず聖地を攻め、そこに居た西方の守備隊を蹴散らした。
そしてそのまま、ゼラードを攻略するため、勢いに乗って西へ進軍した。
これが3年前。

ところが、西側の諸侯達は援軍をすぐに出すことが出来なかった。
東側の力を甘く見てはいなかったにも拘らず、である。
自分がゼラードを所有したいという野心から、足を引っ張り合ってしまったのだろうか。
いずれにせよ、西方諸国がようやく連合軍を丸一年かけて組織する頃には、東方軍はすでにゼラードに攻めかかってしまっていた。

駐屯していた少数の守備隊は奮戦したが守り通すことは出来ず、城砦を捨てて西へ退却していった。
こうして、難攻不落であったはずの城砦都市ゼラードはあっさりと占領されてしまったのである。

ここに至って、西方の君主達はようやく事態の深刻さに気が付いた。
ゼラードを落としたグランドール軍は、手を緩めずに国境を越えて進軍してきている。
この危機に諸侯はひとまず争いを中断し、王の指揮下で敵を迎え撃つ事に合意した。

結局、最終的にはラーゼスの会戦で何とか敵を撃退し、最悪の事態は免れた。
しかし、終わってみれば、クルゼア側の損害は目に余るものであった。

彼らは聖地を奪われただけでなく、莫大な費用と歳月を掛けて作り上げた要害を、東側にただ同然で贈呈してしまうという大失態を犯したのだ。
その上、今回の事件で、諸侯の間に如何にまとまりが無いかという事が暴露された挙句、お互いが自分の利権を拡大しようと狙っていることが明らかになってしまい、以後のクルゼア教国圏に多大な悪影響を及ぼすことになった。

そんなわけで、ゼラードについての話は、西方人にとってあまり聞き心地のいい話ではない。
特に、王家の人間にとっては尚更だった。



渋い顔の望の様子に気づいているのかいないのか、ゲオルグはそれまでと変わらぬ口調で話を続けた。

「ゼラードがグランドールの手に落ちた後、その防衛にも彼らの軍が当たりました。そして、程近い位置にあった我らの村にも軍勢が派遣され、以来彼らの軍が度々派遣されて来ているのです。」
「その軍勢を、僕らに撃退して欲しい、と?」
「はい。」

望は首を捻った。
なるほど、言いたいことは分かった。
だが・・・。

「なぜ、そんな願いをする?君達もイリス教徒なんだろう?彼らは同じ信仰の者にそんなに恨まれているのかい?」

望の言葉を聞いた瞬間、老人の眼つきが変わった。

「我らは、イリス教徒などではありませぬ。」

口調は今までと変わらず穏やかだが、その中には強い抗議の意志が込められていた。
その変化に、望は思わずたじろぐ。

「我らが信ずるのは、イリスの数多き神々でも、もちろんクルゼアの至高神ルゥレスでもございません。」
「じゃあ、何を?」

ゲオルグは、大きく息を吸い込んだ。


「神よりも昔、太古より受け継がれし、人ならざるもの。神ではないが、我らの正と死を、常に見守ってきたもの。」


力強く言うゲオルグ。


「古の獣・・・『幻獣』。それが、我らの信ずるものです。」









幻獣信仰。
それは、かつて人々が文明を築き上げる以前。
暗黒時代と呼ばれた、遠い昔に存在したと言われている。

クルゼア教とイリス教に人々が分かれる以前、人間は皆がこの信仰の元で生活していた。
なぜ衰退してしまったのか、それは今日でも謎に包まれている。
自然の中で生きていくことを義務付けられたため、次第に人々は豊かな暮らしを望むようになったのだ、とも言われているが、実際のところは分からない。
暗黒時代と言われるだけあって、記録があまりにも少なすぎるためである。

現在信じられている二大宗教の登場と共に、幻獣信仰は姿を消したらしい。
今では、もう残っている場所は無いと言うのが定説になっており、望自身もそう思っていた。




「我らは幻獣を信じ、彼らを畏れ、敬い、その庇護の元で暮らして参りました。今日でも、それは変わっておりませぬ。我々は、その信仰に支えられ、導かれて、今日まで生きてきたのです。」

老人の言葉に、望はどう答えていいか分からなかった。

そう言われれば確かに、そんな話を聞いたことはあった。
旧国境近くの山岳地帯に、今もって古代の宗教を信じる者達の村がある、と。
だが、大人達について宮廷に出入りし、その華やかさにどっぷり浸っていた当時の自分は、父が真剣に聞かせたその話を一蹴してしまっていた。


「東西の対立がまだ今に比べてそれほど激しくなかった頃、我々はまだ、自分達の信仰を守り通すことができていました。しかし、ゼラードの建設が全てを変えてしまった・・・。」

ゲオルグの顔に、今度ははっきりと苦渋の色が浮かぶ。

「ゼラードが建設された後、そこに住み着いたクルゼアの聖職者達は我々に改宗せよと言ってきたのです。古い原始宗教を捨てて、我々の神を受け入れよ、と。他にも彼らは、食料の供給など、様々な要求を押し付けて参りました。」

大きくため息をつくゲオルグ。
望は居心地悪げに視線をそらした。

「そして、ゼラードがイリス教国に奪われ、彼らの姿が消えた途端、今度はグランドールです・・・。我々への要求は西側よりは柔らかいものでした。その代わり、村の者を兵士として取り上げていきましたがな・・・。」

皮肉交じりの苦笑を浮かべて、老人は肩を落とした。

グランドールを含めた東方諸国の正規軍人は、西側の騎士のような、いわゆる主従関係で結ばれた戦士とは違っている。

彼らの多くは国内の、もしくは征服された土地の民が王によって徴兵され、訓練を受ける。給金や装備などの費用は、選ばれなかった他の者からの税収によって支給されている。
もっとも、最近では被征服民の占める割合が多くなりつつあるようだが。
「徴兵制」と呼ばれる、東側特有の軍制度である。

「東も西も、結局は同じ・・・我らに改宗を迫り、われらの暮らしを抑圧する点では同じだったのです・・・。」

呟かれた言葉は、望の胸に深く突き刺さった。


同時に望は理解した。
この老人がなぜ、「解放」という言葉を嫌がったのか。
当たり前だったのだ。
彼らにとっては東西どちらも、そんな言葉を冠するに値しなかったのだから。

「けれど、それならなぜ、僕らに協力を頼む?君らにとっては、信用できない相手だろう?」
「おっしゃる通り。ですから、取引を申し出ようと思いましてな。」
「取引?」
「はい。」

微かに微笑むゲオルグ。
彼の顔がまた、ついさっきまでのような底の知れないものに戻る。

「失礼を承知で申し上げるなら、王子の軍は今、かなり悪い状況でいらっしゃる。ここに来るまでに兵士の様子や話し声を耳にいたしましたが、何でも食料、医薬品などにかなりの損失があり、その上兵士の間に不協和音も出ているとか。」
「・・・その通りだ。」
「そこで、取引をしたいのです。もし、我々の村からグランドール軍を追い出してくださるなら、わがファーレンは貴方がた十字軍に協力いたしましょう。」

望は驚きに眼を見開いた。
自分を見つめる老人の顔は先程と変わらず微笑んでいる。

「協力する?僕達に?」
「はい。食料や医薬品等は村に備蓄がございますし、駐屯部隊が我らに管理を任せていった分と合わせればかなりの量になります。無論、無限にとはいきませぬが、当面は大丈夫でしょう。もちろん、兵の休息等に関しても、できるだけの事をさせて頂きます。」
「そして、村が解放された後は、もう自分達を放っておいて欲しい・・・かい?」
「その通り。中々聡明でいらっしゃる。」

満足げに頷くゲオルグ。
老人の賛辞をひとまず流して、望は考え込んだ。

普通に考えれば、一も二も無く承知するところだ。
食料、医薬品に加え、兵の休む場所まで提供してくれるという。
それに、駐屯部隊に勝利することが出来れば、兵の指揮も上がるはずだ。
今の十字軍にとっては、正に渡りに船である。

だが、望は素直に首を縦に振ることが出来なかった。
あまりにも都合が良すぎる。
さっきの話には一応筋は通っているが、そうホイホイ信用するわけにもいかないのだ。
彼らがなんと言おうと、今ここは敵の勢力圏なのだから。

「もし、僕らがこの話を断れば?」
「その時は、我々に道は無くなりますな。」

探りのつもりで言った望の言葉を、彼はあっさりと認めた。

「王子の軍の協力が得られなければ、事実上他にグランドール軍に対抗できる軍勢はおりません。我らは未来永劫、彼らの支配の下で生きてゆく事になるでしょう。ですが・・・。」

ゲオルグの視線が挑むようなものに変わった。
強い自信と共に問いかけてくる。

「王子は断れますまい。正直申し上げて、今の十字軍は、我々の提案を呑む以外、道は無いのではありませぬかな?」

その通りだ。
悔しそうに唇を噛んで、望は心の中で認めた。
彼の言う通り、今の自分達に選択肢は極めて少ない。

(油断したな・・・)

一見すると、只の田舎の老人にしか見えない。
だが、それは全て演技だったのだ。
この老人がかなりの食わせ者であることを、今までのやりとりから感じていた。

彼はただ、支配を耐え忍んでいたのではない。
ひっそりと機会を待ちつつ、逆転の時を伺っていたのだ。
自らの願いが確実に聞き届けられる、その時を。

「・・・もう一つ、聞かせて欲しい。」
「なんでございましょう?」
「我々が願いを聞き届ければ、なるほど、双方の利益に適うね。けれど、その後はどうする?」

望は探るような眼で老人を見据えた。
彼は相変わらず、微笑したままだ。

「僕らが敵を駆逐した後、君達との約束を破って再度支配しようとする可能性は考えなかったのかい?食料その他を接収した後で。」
「ほお・・・。」

ゲオルグは感嘆の声を上げる。

「お気付きだったとは・・・さすがですな。」
「世辞はいいと言ったはずだよ。」
「そうでしたな。」

望の抗議にも全く動じた様子は無く、彼は言った。

「もちろん、その可能性を考えなかったわけではありませぬ。曲がりなりにもこの歳まで生きて、いくつものごまかしや裏切りを見てきましたからな。しかし、同時にこの歳になりますと、そのような偽りを口にする輩を見分けられるようにもなるのですよ。察する所、王子はその様な事ができるお方ではない。特に名誉を重んじるお方とお見受けいたしました。」

自身たっぷりの口調。
望はため息をついた。
全く、どこまでも痛い所を突いてくる。

「それに、我々もこのままではどの道、抑圧され続けるか反乱を起こすかの二択しかありませんからの。少しでも可能性の高い方に望みを託したいと思うのは当然でしょう。」

真摯に語りかけるゲオルグ。
しばらくの間、望は黙り込んだが、やがてゆっくりと顔を上げた。


「お話は承った。ゲオルグ・フォンバッハ殿。重要な事なので、よく検討して決めたい。後日、こちらから返事をしよう。よろしいか?」
「結構でございますとも。」

老人は満足したように頷く。

「では、私はそろそろ失礼致します。村の方を長いこと空けているのも心配ですからな。」

頭を下げて、彼はテントからゆっくりと出て行く。
ただ一度も、こちらを振り返らずに。
その後姿を、望はしばらくの間見つめ続けていた。









「と、言うのが、ファーレン村長の話だ。」

語り終えて、望は3人の顔を順々に見渡した。

「幻獣うんたらって、大昔の話だろ?今でも残ってるもんなのか?」
「別に止めましたって記録がある訳じゃないんだよ、三太君。ただ、確認されなくなったから、もう終わったんじゃないかって言われてるだけで。」

肩をすくめる望。
まあ、歴史というものは、大なり小なりそういう部分があるものなのだが。

未夢が感慨深げに呟いた。

「そのお爺さん、ずっと戦ってたんだね。すっごく長い間、ずっと・・・。」
「ああ。僕個人としては、彼らに協力したいけど・・・。」
「でも、本当かどうかわからないんだろ?その話。」

彼らしく冷静な台詞を言う彷徨。

そう、確かに筋は通っているし、今の自分達の利益に適うことでもある。
だが、話が全て真実かどうかは分からない。
老人の言葉を信用してのこのこ行ってみたら、ずらりと並んだラクダ騎兵の大軍がお出迎え、と言う事だってありえるのだ。

「そう。本当かどうかは分からない。全面的に信用するには、情報が足りないからね。そこで・・・。」

望は意味ありげに彷徨を見た。

「彷徨。君が偵察に行ってきてくれないか?」
「俺が!?」

驚く彷徨に、望は頷いた。

「ああ。君が一番適任なんだよ。ファーレンまで赴き、村の様子、住民の暮らしぶり、本当に抑圧されているのか、いるとしたらどの程度か、それを調べてきて欲しい。」

真剣な目で彷徨を見る望。
今までかなり悩んだのだろう。

本当なら、小隊長クラスを行かせるのは大げさすぎる。
斥候を何名か出せば済む話だ。
だが、今回の任務は毛色が違う。

ただ敵の数や陣形を報告するのではなく、住民の日常を見るのが目的なのだ。
状況に合わせて臨機応変に行動しなければならない。
彼が今考え付く中で、この任務に最も適任で最も信用が置ける人物は、目の前に居るこのぶっきらぼうな少年騎士しかいなかった。

彷徨は望から視線を外すと、やれやれと苦笑した。

「分かった。俺が行くよ。」
「本当かい!?」
「総大将の命令は聞かなっきゃ、だろ?」

微かに微笑んで、未夢と三太の方を向く。

「そういう訳だ。悪いけど、小隊の連中にはそう伝えといてくれるか?」
「ま、しょーがねーよな。」

三太も頷いた。
が、未夢はなにやら考え込んでいる。

「?どうしたんだい、未夢ちゃん?」
「あのっ・・・。」

思い切って未夢が叫ぶ。

「私も行っちゃ、ダメかな?」
『え!?』

思いも寄らない言葉に男3人は硬直した。
言った後で、未夢は気まずそうな顔になる。

「あ・・・やっぱり駄目だよね。私、一応『捕虜』なんだし・・・。」
「いや、そんなことは無い。東の住民に案内させるとか何とか言っておけば、十分理由になるよ。」
「そうなの?」
「ああ。けど、どうして?何だって山岳の村なんかに行きたがるんだい?」

望が理解できないと言った風に言う。
横を見ると、彷徨と三太も似たような事を思ったらしかった。

「知りたいの、幻獣のこと!いないって私の周りの人達、言ってたけど・・・でも、そのお爺さんみたいな人達が居るってことは、居るかもしれないってことだよね!?」
「いや、あのね・・・。」
「だったら、私、行ってみたい。行って、いろいろ見てみたいの!」
「・・・・・。」

望は呆気にとられて未夢を見つめた。
瞳をキラキラと輝かせて、期待に胸を膨らませている。

この軍に来てから、初めて見る彼女だった。
普通の町や村の少女と何ら変わることの無い、少し夢見がちな一面。

初めて彼は実感した。
明るさと勇ましさ、そして芯の通った優しさのために素晴らしいほど頼もしく見えても、やっぱり未夢は14歳の女の子なのだ。

(僕としたことが、ミスだったな。)

頭に手を当てる望。
そんな彼の様子をどう感じたのか、未夢は慌てたように言った。

「あ、もちろん、できれば、だから。私のほうが我侭言ってるんだし・・・。」
「いや、構わないよ。」

望は手を振って答えた。

「ただ・・・。」

そう言って彷徨を見る。
この任務は彷徨がやるのだ。
望が許可しても、彼が嫌だと言えばそれまでである。

未夢は腕を組んで考え込んでいる彷徨をじっと見つめた。
期待と、不安が入り混じった視線を向ける。

(やっぱり無理かなぁ・・・。)

それならそれでしょうがない。
駄目でもともと、という感じで言ってみたことだし。
今回は留守番か・・・。


「いいぞ、別に。」
「え・・・。」

彷徨の言葉に、未夢は目を丸くした。
望と三太は驚いたように彼を見る。

「ホントに!?」
「ああ。」
「やったぁ〜、ありがと、彷徨!!」

満面の笑みで彷徨に礼を言う未夢。
三太は彷徨に問いかけるような視線を向けた。

「ほんとに・・・良いのか?」
「何だよ。お前は不満なのか?」

挑戦的な瞳を向ける彷徨。
その目に宿った光に、三太は一瞬ひるんだ。

「い、いや、そんなことねーよ。お前が良いって言うんなら・・・。」
「なら、決まりだな。」

彷徨はそう言うと自分のテントの方に歩き出す。
途中で立ち止まると、首だけで振り返って未夢を見た。

「1時間後に、入り口でな。」
「あ・・・うん。わかった。」

未夢が少し戸惑いながら頷いたのを確認すると、彷徨は向こうへ歩いて行った。

(どうしたんだろ、彷徨。)

「・・・なんて言ってると、間に合わなくなっちゃう!じゃっ、二人とも後でね!」
「あ、うん。」

望がまだ呆然とした様子で答えると、未夢は自分のテントの方に疾走していく。
残された二人は顔を見合わせた。

「どういう風の吹き回しだい?彼。」
「さあ・・・。」

しきりに首を捻る二人に、一迅の強風が吹きつけた。






未夢は服の襟元に付いている紐をきゅっと締めた。
望が貸してくれた、日除けのマントが風に吹かれている。

望と三太が側にやって来た。

「ファーレンについての情報はあまり無い。けど、住民の中には閉鎖的な考えの人間もいるかもしれない。気をつけてくれたまえ。」
「うん、大丈夫!」

未夢は大きく頷く。
彷徨が声をかけてきた。

「準備できたか?」
「うん・・・って、彷徨、それ・・・。」

彷徨の問いに答えた未夢だったが、彼の横に居るものを見て驚く。
一頭の丈夫そうな馬が、手綱を取られて一緒に歩いてきたのだ。

「何それって、見ればわかるだろ?馬だよ。」
「いや、それは分かるけど・・。もしかして、馬で行くの?」

彷徨は呆れたように未夢を見た。

「当たり前だろ?ここから何キロあると思ってるんだよ。歩きで行ったんじゃ、着く前に日が暮れちまうよ。」
「でも、私乗れないよ?」
「知ってる。だから、一緒に乗ればいいだろ。」

未夢は驚いて聞き返した。

「・・・一緒に!?」
「ああ。」

彷徨は事も無げに頷くと、馬を未夢の前まで引っ張ってくる。

「ほら、早く乗れよ。」
「乗れよって言われても・・・。」

未夢は胴体の高さが自分の顔辺りまである馬を見上げた。
生まれてこの方、馬を見たことさえない。
ラクダなら何度か見たが。
けれどそれにしても、実際に乗ったことは無かった。

(大きい・・・けど、二人も乗れるのかな。)

ふと、馬と目が合う。
乗るんならとっとと乗れ。
馬の目はそう抗議しているようにも見えた。

途方に暮れていると。彷徨が焦れたように寄って来た。

「何やってんだよ。早く乗れって。」
「だって・・・。」

抗議しようとした瞬間。
未夢の身体がふわっと浮いた。

「きゃっ!?」
「時間が無いんだから、さっさとしろよ。」

未夢の身体に脇から手を回して、彷徨はひょいと持ち上げた。
そのままストンと、鞍の上に降ろされる。

馬の上は、不安定に揺れている。
景色が急に高くなった。

「よっ・・・と!」

彷徨はバッと身を翻して未夢の後ろに飛び乗った。

「ちょっ・・・彷徨!////」
「ん?」

真っ赤になって振り返る未夢。
彷徨は涼しい顔だ。

未夢の後ろに彷徨が乗り、彼は未夢の左右から手を前に回して手綱を握っている。
横から見ると、後ろから抱かかえているように見えてしまう。

背中に彷徨の身体が密着していて、彼の体温が直接伝わってくる。
ずしりという背中の重みが、それを強調していた。

「落ちないように、しっかり捕まってろよ。」
「う、うん・・・///」

コックリ頷いたのを確認すると、彷徨は二人に向き直った。

「じゃ、行ってくる。」
「ああ、こっちは任せておいてくれ。」

望の言葉に彷徨は頷いて、馬の腹を蹴った。
馬は一声いななくと、すごい勢いで飛び出す。

「明日には帰るからな!!」

飛び出す間際にそんな声を残して、二人を乗せた馬はあっという間に走り去っていった。







「行っちまったよ。ホントに二人で・・・。」

三太がまだ驚きから覚めていない様子で言う。
何か悪いものでも食べたのだろうか?
今日の彷徨は積極的と言うか、大胆だ。

望は腕を腰に当てて呟いた。

「全く、彼は誘い方がなっちゃいないね。女性を遠乗りに誘うなら、もうちょっとやり方があるだろうに。」
「いや、そう言う事じゃないだろ!」

思わず突っ込む三太。
望は彼に笑顔を向けた。

「まあ、いいじゃないか。たまにはあの二人にも、こんな時間があってもさ。」
「おいお〜い、王子様が公私混同していいのか〜?」
「失敬な。ただ任務に就かせただけじゃないか。彼以上に適任な者がいるかい?」
「いや、お前が正しいよ。」

三太は苦笑した。

「まあ、僕らは二人の帰りを大人しく待とうじゃないか。」
「そ〜だな。あ〜、それまでヒマか〜。」
「何言ってるんだい、君には大事な仕事があるんだよ?」
「へ?」

三太は思わず間の抜けた声を上げた。
望の顔はどこか意地悪い。

「彷徨はいない。と、言う事は、彼がやっていた仕事は必然的に君に回ってくるわけだ。」
「げっ!」

露骨に嫌そうな顔をする三太。

「あ、あの、やっぱり俺も二人と一緒に・・・。」
「だ・め・だ!仕事にかかりたまえ。」

満面の笑みを浮かべた望に、三太はガックリと肩を落とした。






二人を乗せた馬が、砂漠を駆けていく。
吹き付ける風が、何となく心地よい。


風のせい、だけ?
本当に?


「・・・夢。未夢!」
「え、な、何!?」

ボ〜っとしていた未夢は、慌てて返事をする。
すぐ後ろから、彷徨の呆れたようなため息。

「全く・・・気を付けろよ。ボンヤリしてると落ちるぞ?そうでなくても、お前はドジなんだからな。」
「な、何ですってぇ!」

思わず後ろに身を乗り出そうとする。

「こら、暴れんなって!マジで落ちる!」
「くぅ〜〜〜。」

悔しそうな声と共に、未夢は大人しく前を向いた。
むすっとして、黙り込む。

(何よ、もう。いきなり一緒に乗れっていったり・・・そりゃ、行きたいって言ったのは私だけどさ。もうちょっと、デリカシーってものを・・・。)

「おい、未夢。」
「何よ!」

突っけんどんに答える未夢。
彷徨はそっと聞いてきた。

「傷、大丈夫か?」
「へ?」
「だから傷。このスピードで、辛くないか?」
「あ・・・うん。大丈夫・・・。」
「よし。」

頷くと、彷徨はまたさっきまでと同じように、前方を睨んだ。

未夢は俯いた。

(何よ・・・ホントにもう・・・こんなに優しいなら、普段も優しくしてよね・・・。)

そう思いながらも、この状況は嫌じゃない。
吹きつける風も、この速さも、そしてすぐ背中に感じるあったかい感触も。
全てが心地良かった。

(彷徨は、どうなのかな・・・。)

未夢は、そっと後ろに体重を預ける。
少しだけ、彷徨が身じろぎしたような気がした。



風を切り、太陽の光を浴びて。
二人を乗せた馬は、走り抜けていく。
砂漠をただひたすらに、まっすぐに――――。











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