parallel story〜crusades〜 作:OPEN
  3・後編 ← →

夜の闇というのは、人間にとってあまり歓迎すべきものではないらしい。
遠い昔から人の体に染み付いている、暗闇そのものに対しての恐れ。
だから人は明かりを使い、闇を削ろうとするのだと聞いたことがある。


もっとも、明るいというのもあまり良い事ばかりじゃ無い。
夜間の見張りに立ちながら、彷徨はそう感じていた。

あちこちに灯された松明のお陰で、陣の中は昼間のように明るい。
視界も利くし、休む者も安心して寝られる。

だが反面、この照明は相手に自分達の位置を教える格好の的でもある。
まあ、そのためにこうやって自分達が警戒しているわけだが。

彷徨は焚き火の側にしゃがみこんだ。
何とは無しにその火をじっと見つめる。

「彷徨っ!」

聞こえてきた声に、彷徨は顔を上げた。

「未夢?どうしたんだよ。」

彷徨の疑問を他所に未夢はスタタッと走ってくると、持っていた器を差し出す。

「はい、差し入れ。」

そう言って手渡されたのは、ミルクの温めたもの。
湯気の立ち上るそれを意外そうに見る彷徨に、未夢は微笑んだ。

「見張り、ご苦労様。」
「・・・サンキュ。」

短く礼を言ってカップを受け取る。

「ね、ちょっと話したいんだけど・・・いい?」
「別に、いいけど。」
「ありがと。」

未夢は隣に腰を下ろす。
黙ってミルクを啜る彷徨。
しばらくの間、二人は黙ったままだった。


「あのさ、彷徨。」
「ん?」

しばらく躊躇った後、未夢は彷徨を真っ直ぐ見つめた。

「初めて会った時の事、覚えてる?」
「?ああ。」
「どうしてあの時、私のこと助けてくれたの?」
「どうしてって・・・。」

彷徨は返答に困って未夢を見る。
彼女の瞳は、どこまでも真剣だった。

(んな事言われてもな・・・。)

どうしてと聞かれたって、答えられようが無い。
彷徨自身にも、あの時感じた激情は、理解不能なものだったから。

「何でそんな事聞くんだよ。」
「いいでしょ、別に。」

本当言うと、未夢もなんでこんな事を聞いたのか分からなかった。
ただ、似ていたから。
あの時の彷徨と、そして今朝、同じように自分を助けてくれた時の彷徨が。
いつもクールなのに、すごく怒っていて。

何の根拠もないけれど、彷徨の心の奥ってああなんじゃないかと思う。
だから、理由を聞きたかった。

「見捨てるわけにいかなかったから・・・じゃ、不満か?」
「一目惚れしちゃったからじゃなくて?」

彷徨は思わず、ホットミルクを噴出しそうになる。

「・・・・何言ってんだよ。」
「だって、騎士道物語によくそういうのあるっていうじゃない?町で偶然知り合った娘と騎士が、恋に落ちるって話。」

そういう未夢も、実際に見たわけではない。
その手の話が大好きな綾から聞いたのだ。

彷徨は呆れたようにため息をつく。

「それは絶対無い。」
「何でよ!」
「お前な、そういう話の大事な所忘れてるだろ。騎士と恋に落ちる娘っていうのは『見目麗しく美しい』娘じゃなきゃダメなんだぞ?」
「ちょっと、それどういう意味!?」
「さあな。」

んべっと舌を出す彷徨。
未夢は肩を怒らせて叫ぶ。

「ごまかさないでよ!私じゃ無理だって言いたいんでしょ!」
「別に。ただ、相手にも選ぶ権利があるってことだ。」

そう言って、彷徨はふいっと向こうを向いてしまう。
その態度が余計に未夢を怒らせてしまう。

「じゃあ何で!?何で助けたのよ!?」
「しつこいな!何だっていいだろ!」
「しつこいとは何よ、彷徨のバカ!」
「ああ、バカで結構!」

睨み合った後、未夢は立ち上がった。

「もういい!私寝るから!」

そう言ってスタスタとテントの方へ歩き出す。

(もう、信じらんない!)

せっかく彼と話せたのに、彼のことを分かるどころかただ喧嘩しただけ。
何だか悲しかったが。

(いいもん!こいつが悪いんだから!)

綾と再開したら、彼女のお芝居のリアリティの為にも「騎士の嫌味っぷり」というものをとくと話して聞かせよう。
硬くそう決意して歩き出す。

が・・・・



「待てよ。」

(え・・・?)


声と共に、腕がグッと掴まれる。
振り返ると、真剣な表情の彷徨。

「何よ。わたしもう寝たいんだから。」

拗ねたように言う未夢。
が、彷徨の様子を見て驚く。

さっきとは打って変わった厳しい顔で、彷徨は辺りを見回していた。

「彷徨・・・?」
「離れるな。」

呟くような、低い声。
さすがの未夢も、普段とは違うということに気がつく。

彷徨は、未夢を引き寄せて後ろに庇いつつ、周囲に目を配った。
砂嵐のせいで遠くはよく見えないが、少なくとも目に見える範囲では怪しいものは見えない。

「ねえ、彷徨?どうしたの?」
「・・・・。」

未夢の戸惑ったような声。
剣の柄に手を掛けたまま、彷徨は闇をじっと睨んでいる。
辺りは先ほどまでと同じく静まり返ったままだ。

(気のせいか・・・。)

彷徨がふうっと息をついた、その瞬間。







「うわあああっ!!!」







辺りに響き渡るような絶叫。

「!?」
「な、何!?今の声・・・。」

二人は悲鳴の聞こえた方に目を凝らす。
夜風に混じって、微かに血の匂いがする。
砂嵐を突っ切って、こちらに疾走してくる無数の影。


ドドドドドッ

『ウオオオオオッーーーー!!!』



闇を切り裂くような雄叫びとひづめの音が、辺りに響き渡る。

「ひっ・・ひいいい!」

二人から離れた所で見張りをしていた兵士が、恐怖に顔を歪めて、背を向けて走り出そうとする。
が、その横を通過した影は、すれ違いざまに持っていた物を振り下ろした。

ザンッ

「がっ・・・。」

一瞬だけ目を見開き、兵士はその場で崩れ落ちる。



「て、敵だ!敵襲だああああ!」
「どこだ、どこに居る!?」
「武器を取れ!迎え撃てっ!」



陣のあちこちから怒号と悲鳴が上がる。
彷徨達が居る場所の、反対側からも、その他の場所からも聞こえてくる。

「彷徨っ!!」
「分かってる!!」

彷徨は叫ぶと、焚き火の側に置いてあった角笛を吹き鳴らす。

ブオオオオンッ

低い音が、夜空に響く。
敵襲を知らせる笛の音。


『敵』が現れたのだ。











『オオオオオッ!!』

「・・・!!」

凄まじい喚声に、未夢は入り口に目を向ける。
こちらからも、敵が門を破って侵入してきた。

「くっ!!」

彷徨は懐から短刀を引き抜くと、それを先頭の影めがけて投げつけた。

「グッ・・・!」

うめき声と共に影がドウッっと倒れた。
が、他の敵はすでに陣の中にまで入り込んでいる。

「こいつらは・・・!」

彷徨は目を見開く。

素早い動きを維持するための軽装鎧に頭のターバン。
手に持っているのは『三日月刀』と呼ばれる、東方特有の刃の反り返った曲刀。
そして何より、彼らの乗っている、軍用に飼い馴らされたラクダ。

間違いない。

「正規軍か!」
「えっ・・・。」

未夢は息を呑んだ。
彼らラクダ騎兵は、西方の騎士と同じく、東方諸国に仕える軍人達。
5日前戦ったロアの警備隊とは違う。
訓練をつんだ正規の軍団だ。

彷徨は剣を抜くと、未夢に叫ぶ。

「未夢!お前は逃げろ!望達の所に行け!」
「か、彷徨・・・・。」
「早く!」

叫びながら、突進してきた敵兵の一人を切り倒す。
まだ直りきっていない左肩が猛烈に痛む。

「オオリャアア!」
「ぐっ・・・こ、のおおお!!」

叫んで振り下ろされた曲刀を受け止め、体ごとぶつかるように押し返す。
バランスを崩した敵兵に、横薙ぎに一閃。
敵兵がラクダから転げ落ちる。

「痛っ・・・。」

肩を抑える彷徨に、未夢ははっとなった。
ロアで未夢を助けた時の傷がまだ響いているのだ。

未夢は彷徨に駆け寄ると、肩を貸して起こす。

「ばっ・・・お前何やってんだ!逃げろって言っただろ!」
「何言ってんのよ!出来るわけ無いでしょ!」
「お前なあ・・・!」
「第一、彷徨だって危ないじゃない!肩の傷、まだ治ってないんでしょ!?」

彷徨は言葉に詰まった。

「・・・どうってこと無い。」
「説得力無い!却下!」

スパッと言い切られて彷徨はムッとなる。
とは言え、こんな格好では言い訳も出来ない。
彷徨は前を向いたままで言った。

「ここに居ると、危険だぞ?」
「覚悟してる!」
「・・・・好きにしろ。」

呟いて剣を右手で構え、向かってくる敵を睨みつける。
未夢は、そんな彷徨の横に立った。
彼が痛みで倒れそうになったら、すぐに支えられるように。

「彷徨!未夢ちゃん!」

聞こえてきた声に、二人は振り向いた。
槍を担いで走り寄って来る少年の姿が映る。

「三太君!」
「無事だったか、三太!」
「当ったり前だろ!」

言って三太は槍をブンと回して、二人の横に並んだ。

「他の連中は?」
「突然だったからさ・・・みんなバラバラになっちまって・・・。」
「そうか・・・。」

彷徨は頭を振った。
無事で居ると信じよう。
それしかない。

心配を振り切って、入り口をキッと睨む。

「ラクダ騎兵だな。」
「ああ。手強いぞ。」

三太は二人に顔を寄せると、小さな声で言う。

「・・・ここだけの話だけど、さっきから足の震えが止まんないんだ・・・。」
「・・・安心しろ。俺もだよ。」
「・・・実を言うと、私も。」

三人は顔を見合わせて微かに笑う。

「来るぞ!」

入り口から突っ込んでくる新たな敵集団に、三人は肩を寄せ合って備えた。








「退くな!武器をとって戦え!」
「落ち着いて状況を報告しろ!敵は何人だ!?」

中隊長達の必死の叫びが錯綜する。
が、混乱は一向に収まらなかった。

敵の上げている恐ろしい喚声。
曲刀を振り上げ迫ってくる、無数の影の姿。
そして何より、ここ数日、兵士たちの間にずっとつきまとっていた、見知らぬ土地に居るという不安。
それらが夜の闇と合わさり、兵士たちの恐怖を倍加させている。

隊長達は何とかそれぞれの隊をまとめ、敵に向かわせようとしているが、戦わずに逃げる者、ようやく武器を取っても腰が完全に引けている者が大半だった。




「王子!望王子!どちらでいらっしゃいますか!?」

一人の伝令役の小姓が、必死で呼びかけている。

「僕はここだ!」

声の方向に望の姿を見つけると、小姓は一目散に彼のところへ駆けて来た。

「ご無事でしたか!」
「状況は?」
「はっ、敵の数は詳しくは分かりませんが、そう多くないと思われます!せいぜい千か、多く見積もっても二千ほどでしょう。ですが、こちらが混乱しているために、現在はあちこちで乱戦が起きております!おそらくは、隊同士の連絡も絶たれていると・・・。」

側に居た近衛騎士達が顔色を変えた。
相互の連絡が取れなければ、いくら数が多くても単なる烏合の衆に過ぎない。
各個に撃破されてしまうだけだ。



「居たぞ!敵の指揮官だ!」
「討ち取れ!」
『オオオオアアアアアッ!!!』

叫びと共に、敵の一団が真っ直ぐこちらに突き進んでくる。

「!こんな所まで入り込まれたか!」
「剣を取れ!王子を守れ!」

近衛騎士達が剣を抜いて、望の前に壁を作る。
望は目を見開いて、彼らを見た。


僕を、守ろうとしている。
自分達の身を盾にして、戦おうとしている。
僕はいいのか?何もしないで。


(・・・いいはずが無い!)


「はあああああっ!」
「王子!?」

思わず声を上げる騎士を尻目に、敵めがけて望は走る。

「でやあっ!」

銀の剣閃が夜に煌く。
先頭の2,3人が、うめき声と共にラクダから転げ落ちた。

「伝令!」
「は・・はいっ!」

呼ばれてビクッとなりながらも、伝令が前に出てくる。

「速やかに伝えるんだ!敵は多くて二千!わが軍の15分の1だ!一騎一騎を囲い込むように、確実に仕留めていけ!そうすれば、勝てないはずは無い!」
「はっ!」

叫んで駆けていく伝令を見送って、望は大きく息を吸い込む。
そして、命令を下した。

「馬を引け!」
「はっ!」

既に準備していたのだろう。
真っ白な毛並みの見事な馬が、小姓たちに轡を取られ、出番を待っていた。
バッとマントを翻して騎乗する望。
他の騎士達も、自分の馬に乗っていく。

望は剣を掲げ、手綱を握った。

「よし・・・・続け!!」

主人の叫びに、馬は瞬時に応えて走り出した。
白馬を駆り、金色の髪を揺らし、真っ直ぐに駆けていく。
すれ違った敵兵を、袈裟懸けに斬り下ろし、返す刀で反対側の敵も叩っ斬る。
スピードを緩めずに、望は敵集団へ突入した。

「僕の首が欲しければ・・・。」

振り下ろされた曲刀を屈んでかわし、剣を相手の胸に突き立てる。

「せめて、彷徨くらいの男を出したまえ!」

銀色の光が夜空に煌き、敵兵を次々と蹴散らしていく。
その姿は、後に続く部下達を勇気付けた。

「我等も行くぞ!」
「王子に続けえ!」

風のように駆けていく、望以下の近衛騎士団。
少しずつ、戦局は打開されつつあった。




「でりゃああ!!」

振るわれた槍が、敵をラクダから叩き落す。
息を切らせながら、さすがに手を膝についてしまう三太。
その背後で、三日月刀を振り被る影。

ザンッ

「グアッ!」

駆け寄った彷徨が切り下ろした剣に、敵兵が悲鳴を上げて倒れる。
彷徨はそのまま三太と背中合わせに立った。

「はあっ、はあっ、・・・・だいぶ・・・ましになったよな。」
「ああ・・・。」

彷徨は頷いた。

望があちこちに伝令を飛ばしてくれたおかげで、状況がかなり飲み込めるようになってきている。
不意を突かれて混乱したが、実際は3万の十字軍の方が襲撃者よりも圧倒的に数が多いと判明したため、兵士達も落ち着きを取り戻したのだ。
一時は総崩れ状態だった十字軍は、ここに来て何とか持ちこたえ、戦況を五分にまで押し戻している。

もっとも、それほど良い状況というわけでもない。
あちこちで敵味方が入り乱れ、指揮をまともに執れている隊長は半分ほどなのた。

「また来たぜ!」
「しつこい奴らだな!」

剣を構え直して迎え撃つ彷徨。
後ろを振り返って叫ぶ。

「未夢、大丈夫か?」
「う・・・うん。」

未夢はぎこちなく頷く。

自分は大丈夫だ。

けれど・・・・。


未夢は周りを見た。
敵も、味方も、次々と倒れていく兵士達を。
ある者は斬られ、ある者は弓で射られ、骸が積み重なっていく。
同じ人間が、それぞれの「守るべきもの」のために。

(こんなの・・・違う・・。間違ってるよ・・・。)

そう思っても、未夢にはどうすることも出来ない。
戦いを止めることも、死に逝く者を助ける事も。
何一つできない。
未夢は唇を噛んだ。。






私は何もできないの?

こうして、黙って見ているしか。

確かに敵かもしれないけれど。

でも、それでもこの人達は。

この人達の体の中には・・・・・。




不意に未夢の視界に、一人の男が写る。
敵に斬られたのか、肩口を真っ赤に染めてうずくまっていた。
未夢は駆け寄った。

「大丈夫!?しっかりして!」

助け起こそうとした未夢は、その顔を見て驚く。
朝、未夢と口論して、引っ叩かれたあの男だった。
相手も未夢を分かったらしく、露骨に嫌そうな顔をする。

「早く手当てしないと・・・立てる?」

未夢は彼を助け起こそうと、腕を取る。
が、彼はギッと未夢を睨みつけると、腕を振り払った。

「うるせえ!誰が異教徒の世話になんかなるかよ!」
「そんなこと言ってる場合じゃ無いでしょ!」

対抗上、未夢も叫ぶような感じになってしまう。

お互いに睨み合う二人。


その隙を突いて、明確な殺意が、二人に向けられていた。







彷徨は少し離れた所で、その様子を見ていた。
兵士を助けようとして、口論になっている未夢。



(どうして・・・?)

どうして、あいつはあんなに一生懸命になれる。
あんなひどい言葉をぶつけられた相手を。
自分の同胞と、殺し合いをしている人間を。
どうしてあんなに、懸命に助けようと頑張れる?


あいつが優しいから?
違う、そうじゃない。
それだけじゃない。
じゃあ何だ?
なにがあいつをそうさせる?



どうして・・・・あそこまで強くなれるんだ。



そんな事を考えていた彷徨の目に、一瞬チラリと、何かが映った。
夜の闇のせいで、はっきりとは見えない。

もう一度、松明が勢いよく燃え盛る。
また一瞬、“それ”の姿が映る。
闇の中の“それ”の正体を見た瞬間。

「・・・・!!後ろだ、逃げろっ!!」

叫びながら、彷徨は走り出した。

まだ生き残っていたのだろう、ラクダに乗った敵兵が弓を番え、あの兵士に狙いを定めていたのだ。

「・・・!!」

彷徨の声に、未夢はそちらに視線を向ける。
彼女の表情が、凍りつくのがわかる。

だが、兵士の方は気づいていない。
ちょうど背を向けているからだ。
三太が槍を投げつけようとするが、間に合わない。

敵の弓が放たれる。

「・・・!?」

ようやく後ろを振り返った彼の目が、恐怖に染まる。


その時。


「駄目っ!!」


金色の影が、前に飛び出す。
兵士を、庇うようにして。

矢は、まっすぐに飛んでいって。

そのまま、その人影に、吸い込まれていく。




――――――少女が、ゆっくりと・・・・崩れ落ちた。






「・・・未夢?」

彷徨は立ち尽くした。

倒れた未夢が、起き上がらない。

彼女の身体から、赤いものが流れ出していた。




「未夢っ!!」

我に帰った瞬間、彷徨は駆け出した。

駆け寄ると、未夢の身体を抱き起こす。

「おい・・・未夢!未夢っ!!」
「うっ・・・・。」

微かな声が聞こえて、彷徨は胸を撫で下ろした。
生きている。
だが・・・。

矢は、肩に刺さっていた。
血が滲んで、服のその部分が赤く染まっている。
軽い怪我では決してない。


未夢は激痛に顔を歪めながら、顔を上げた。

「か・・・なた・・・。」
「喋るな!」

言いながら彷徨は、マントを剣で切り裂くと、それを未夢の上腕に巻きつける。
出血を抑えるためだ。
手当てを終えると、彷徨はぐっと未夢を引き寄せた。

「待ってろよ、すぐ、医者の所に連れてってやるから!!」

そう言ったものの、周りを見渡した彷徨は、思わずギリッと歯を食いしばった。
負傷者が出た時に備えて、この軍にはもちろん医者も従軍している。
だが、あちこちで戦いが起こり、混乱しているこの状況では、どこに医者がいるのかもわからない。
先ほどの敵兵は三太が何とか食い止めているが、腕に覚えのある男らしく、かなり苦戦している。
とても援護を頼める状態ではない。

(くそっ・・・早くしないと・・・!!)

焦りながら周囲を必死で探る彷徨の耳に、戸惑ったような声が聞こえてきた。

「なん・・・で・・・。」

彷徨は、その方向に目をやる。
あの兵士だった。

「どうして・・・助けたんだよ・・・俺を・・・。」
「どうして?」

彷徨は彼をキッと睨みつけた。

「決まってるだろ、そんなの!!」

叫びつつ、未夢を抱きかかえて彷徨は立ち上がった。
早く未夢を連れて行かなければいけない。
それは分かっていたが、一言言ってやらなければ気が済まなかった。

「こいつが!!助けたいと思ったからだよ!!同じ「人間」のお前をな!!」
「え・・・・。」


彷徨の眼光にビクつきながらも、呆然と声を上げる兵士に、彷徨は自分の右手―――未夢の傷口を抑えていた方の手を、突き出した。

「これが何だか、わかるか?」
「血・・・だろ?」
「ああ。そうさ。」

彷徨は叫んだ。

「お前らと同じ、赤い血だよ!!」
「・・・・!!」


兵士の目が見開かれる。


今ならわかる。
未夢が、こいつを助けようとした理由。


「こいつはな・・・目の前の命を助けたかったんだよ!例え、異教の人間だったとしても!目の前で命が消えるのは黙ってられない。こいつは・・・そういう奴なんだ・・・。」

彷徨は未夢を抱き上げた。
その軽さに驚きながら、しっかりと抱きかかえる。

「お前がこいつ自身を嫌おうが、嫌うまいが、それはお前の自由だよ。俺にどうこう言う権利は無い。好きにすればいい。けどな・・・。」

もう一度、彷徨は視線を彼にぶつけた。

「・・・異教徒だから。ただそれだけの理由で、相手を傷つけて、殺して。こいつみたいな奴の真剣な想いも分かってやれない。そんな奴らに神を口にする資格なんか無い!そんな"十字軍"なんて、俺は御免だ!!」

吐き捨てるように言うと、彷徨は視線を落として佇んでいる兵士に背を向けて、走り出した。




「ちくしょうっ!このっ!」
「三太!」

駆け寄ってくる彷徨。
三太は槍を振るって、必死に敵兵を食い止めていた。

彷徨は、未夢ちゃんを守らなきゃならない。
なら、二人は俺が守らなきゃ。
そんな決意に後押しされて。


ビュンッ

「ガアッ!!」
「え!?」


突如、後ろから飛んできた槍が、敵兵を貫く。

ドドドドドドッ

ひづめの音と共に、数十人の騎士が駆けつけてくる。
その先頭に居るのは・・・

「望っ!!」
「二人とも、無事か!?」

望は馬から下りて、二人に駆け寄った。
よく見ると、近衛騎士団以外の人間も混じっている。
彷徨の部下の姿も見えた。
ここに来るまでに合流したのだろう。


ボオオオオッ

十字軍のものとはまた違う、低い笛の音が響く。
敵の合図だった。

「・・・・!」
「合図だ!」
「退却だ!」
「引き上げろ!」

口々に繰り返しながら、敵兵が退いていく。
もちろん、追撃に備えて、隊列を整えながら。

「敵が退いていく・・・。」
「助かったんだ・・・。」

そんな声が周りで起こる。
そう、十字軍は敵を退けた。
犠牲も多かったが、初めての実戦を乗り切ったのだ。
安心するに値するかもしれない。


が、未だ全く安心できない者も、もちろん居る。
例えば、彼のように。





「望っ!医者は!?軍医はどこだっ!!」

必死の面持ちで彷徨が詰め寄る。
その勢いに望は一瞬たじろいだが、彼の抱えている未夢を見て顔色を変えた。

「未夢ちゃん!?これは一体・・・。」
「いいから早く!!」

彷徨の声で、望も自分を取り戻す。

「・・・軍医は今、消息が知れない。けれど、僕のテントになら典医がいるはずだ。僕のテントに行けば手当てが出来る!早く馬に!!」

望の言葉を受けて、彷徨の部下の一人が進み出る。

「私の馬をお使いください、隊長!!」

その言葉に、彷徨は弾かれたように動いた。
味方の兵士が使っていた馬に未夢をそっと乗せ、自分も飛び乗る。
鞭を入れると、馬は矢のように走り出した。



未夢が、うっすらと目を開ける。

「・・・・彷・・・・・・徨。」
「頑張れよ!もうすぐ医者の所だからな!」
「う・・・ん・・・。」

未夢の手が、彷徨の服をきゅっと握る。
その微かな温もりが、彷徨を走らせた。

(頼む・・・間に合ってくれ!)

祈りにも似た感情と共に、彷徨は心の中で叫んだ。


数十分後、望の命によって各陣に連絡が入り、戦闘の終了が確認された。
十字軍の死者、約二千五百人。
負傷者は四千人近く。

そして、運良く生き残った者達の心にも、重い傷が残った。
聖なる軍という理想を打ち砕く、戦いの傷が。










「・・・・では、私はこれで。安静にしているように。」

一礼して出て行く医者を見送って、彷徨は横たわった未夢を見つめた。
床に敷かれた、毛布の上。
傷に障らないようにと、平坦な所に寝かせて、大急ぎで医者を連れてきて。

今、やっと、手当てが終わった。

特別、顔色が悪いようには見えない。
目を閉じて、静かに横になる未夢を見ていると、一見何とも無いと思ってしまう程だ。
だが、未夢の腕に巻かれた包帯が、それが現実であることを思い知らせてくる。







「う・・・・ん・・・。」
「未夢?」

彷徨ははっとなって覗き込んだ。
未夢の目が、ぼんやりと開かれる。

「大丈夫か・・・?」
「かな・・た?わたし・・・。」

起き上がろうとした未夢の肩に、激痛が走る。

「痛っ!!」
「未夢!!」

崩れ落ちそうになるのを、間一髪で受け止める。

「動くな。じっとしてろ。」
「わたし・・・どうしたの?」

言いながら未夢は、必死で頭を探る。
痛みのせいで、何かを思い出すのも辛い。

「肩に・・・かなり深く刺さってた。医者が上手く抜いてくれたけど、じっとしてた方が良い。傷が熱を持ったら、取り返しがつかない。」

医者が言っていた言葉を繰り返して、未夢をそっと寝かせた。
未夢はゆっくりと思い出す。

(そうだ・・・私・・・・。)

あの人が狙われてて。
それを見たら、もう何も考えずに飛び出しちゃって。
それで・・・・

「!・・・・あの人は?」
「無事だよ。傷一つ無い。お前が、守ったんだ。」

優しく答える彷徨。
未夢はほっと息をついた。

「そっか・・・。よかったぁ・・・。」

彷徨はしばらく未夢を見ていたが、おもむろに立ち上がった。

「何か、飲めるか?」
「あったかい物なら・・・。」
「分かった。待ってろ。」

そう言って、傍にあった薬缶からミルクを取り出す。
怪我人も飲めるよう、ちょうどいい具合に冷まさなければいけない。
しばらくの間、沈黙が流れた。




「・・・みんなは、無事?」

しばらく経って、未夢は問いかけた。
記憶にあるのは、矢を受ける前まで。
その後の事は、朦朧とした意識の中に霞んでしまっていた。

「無事・・・とは言えないな。」

背を向けたままで、彷徨は答えた。

「三太や望は無事だ。何とかな。けど、死者も負傷者も、かなり多い。進軍ルートを変更しようかって話も出てるらしいし。」
「そっか・・・。」

未夢は、一向に振り返ろうとしない彷徨の背中を、じっと見つめた。

(どうして、こっちを向いてくれないんだろ?)

彼は今、どんな顔をしているのだろう。
背を向けている今は、彷徨の表情は見えない。



「・・・・あの時・・・。」
「え?」

小さな呟きに、未夢は思わず聞き返した。
本当に彷徨なのかと思うくらいの、弱々しい声。

「心臓・・・止まるかと思った・・・。もう起きないんじゃないかって、そう、思った・・・。お前、出血ひどくて・・・・顔色も真っ青だったし・・・。」

要領を得ないが、言っていることは分かる。
彷徨はカップを取ると、未夢の傍に来て腰を下ろした。
下を向いたその姿は、何だか母親の大怪我を前にした子供のようで。

「もう、あんなのは嫌だ。」
「彷徨・・・。」
「もう、あんな事するな。もう二度と・・・しないでくれ・・・・。」

苦しそうな彷徨の言葉に、未夢はやっと分かった。

(心配・・・してくれてたんだ。彷徨・・・・。)

そう、そうだったんだ。
ここに来てから、ずっと。
言葉には出さないけど。
でも、彷徨はちゃんと心配してくれてたんだ。




素っ気無かったから、ヤな奴って思ったし、不安にもなったけど。
でも・・・今なら分かるよ。
彷徨の気持ち、ちゃんと伝わってくるよ。


やっぱり、優しかったんだね、彷徨。




「ありがと・・・彷徨。ごめんね、心配かけて。」

カップを受け取りながら、未夢は微笑んだ。
けれど・・・言わなくてはいけない。自分の決意。
彼も、自分の気持ちを正直に出してくれたのだから。

「でも・・・悪いけど私、今の彷徨の言ったこと、約束できないな・・・。」
「何言って・・・。」

何か言いかける彷徨を制して、未夢は言った。

「私ね・・・さっきみんなが戦ってるの見て、すごく悲しかった。敵とか、味方とか、そんな事じゃなくて。みんなすごく痛そうで、苦しそうで・・・・すごく、悲しかったの。あんな事、これ以上続けて欲しくない。」

彷徨は黙って先を促した。
未夢は胸に手を当てる。
そして、彷徨を真っ直ぐに見た。

「私・・・言ったよね。自分の居場所、見つけたいって。もちろんその気持ち、今も変わってないよ。でもね・・・今日、戦いを見て・・・・もう一つ目標が出来たの。」
「もう一つ?」
「うん。」

未夢は頷いた。


「私、この戦いを止めたい。みんなが、同じ人間が殺しあうなんて、もう繰り返して欲しくない!」


未夢ははっきりと言葉を紡いだ。
強い意志を、その瞳に宿して。


「止める?この戦いを?」
「うん。」

きっぱりと肯定する未夢。
彷徨は首を振った。

「無理だ、そんな事。子供の喧嘩じゃないんだぞ?」

彷徨だって、好き好んで彼らと戦っているわけじゃない。
出来ることなら、平和に共存していきたい。
三太だって望だって、同じはずだ。

けれど、長い長い対立の歴史は、東西両者をあまりにも深い溝で隔ててしまっている。
もう、平和共存などと言う所を、通り越してしまっているのだ。

その良い例が、朝のあの言い合い。
兵士達が使っていた「異教徒」という言葉は、単に「違う宗教の者」という意味だけではない。
長い間戦ってきた敵への、憎しみを込めた言い回しなのだ。
相手をはっきり「敵」と見なす、憎悪の象徴。

「俺達もあいつらも、お互いを憎んだ時間が長すぎた。妥協する余地なんて、どこにも無いんだぜ?」
「分かってる。グルーバさんも言ってたよ。みんな“譲れない何か”があるんだって。だから戦うんだって。私なんかが止められるものじゃないかもしれない。けど、それでも、何かしたいの。黙って見てるだけより、何か悪あがきしてみたい。」
「未夢・・・。」
「だからね、やっぱり聖地に行きたいの。宗教なんて関係ない・・・・でもやっぱり、聖地は戦いの始まりの場所なんでしょ。他のどこかにいるより、可能性、あると思う!」

一生懸命話す未夢を見ながら、彷徨はひどく混乱していた。
正直、理性を重んじる彼の頭は、未夢の言うことを素直に受け入れることは出来ない。
実際、未夢の論理は突拍子も無い物だった。

可能か不可能かで言うなら、ほとんどの人間が後者を選ぶだろう。

けれど、と思う。
自分は今まで、彼女のように考えたことはあっただろうか。
未夢のように、可能性がゼロに近い事を、何とかやり遂げようとした事があっただろうか。

(そうか・・・こいつは・・・。)

分かった気がした。
なぜ未夢が、あんなに一生懸命になれるのか。

自分の信じた道を進もうとしているから。
どんなに辛いことがあっても、自分が正しいと信じることをやろうとするから。

だから、こんなに真っ直ぐなんだ。





知らず知らずのうちに未夢を見つめていた彷徨に、彼女は苦笑して言った。

「大丈夫だよ。私、こう見えてもしぶといんだよ?無茶はしちゃうけど・・・でも絶対、途中で死んだりなんかしない!それは約束するよ!それに・・・・。」
「?」

未夢は口ごもると、毛布を引っ張って、上目遣いに彷徨を見た。
気のせいだろうか、顔が赤い。



「頼りになる騎士様もついてるし・・・・ね。」
「・・・・!?/////」


一瞬、呆然となって。
その意味を理解した瞬間、彷徨の顔が真っ赤になる。

「お、おまっ・・・・/////」

パニックを起こして口をパクパクさせる彷徨を見て、未夢も自分の発言が結構とんでもなかったことに気づく。

(ふええええ、何かすごく恥ずかしい・・・/////)

お互いに赤くなって、視線がお互いにそれて。

恥ずかしいけれど、その雰囲気が彷徨にはどこか、心地よかった。







「あの・・・・。」

不意に入り口から聞こえた声に、二人はそちらを向いた。

「!お前・・・!」

彷徨の声が低くなる。
未夢に助けられた、あの兵士だったのだ。

「何しに来たんだ?」

鋭い口調の彷徨に、兵士は黙って腰に下げていた袋を彷徨に手渡した。

「これは・・・。」

袋の中身を見て、彷徨は驚く。
中には薬草がぎっしり詰まっていた。
一兵士のもらえる支給分をとっくに超えている。

「皆に訳を話して、少しずつ分けてもらったんだ・・・。大して集まらなかったけど・・・ねえよりマシだと思う・・・。」

兵士はそれだけ言うと、ペコリと頭を下げてテントを飛び出していった。

未夢はクスクスと笑う。
とっても、嬉しそうに。

「ね?可能性、あるでしょ?」

彷徨は黙って手を上げた。
降参、ということだ。

「・・・・薬、作るか。せっかく貰ったんだしな。」

言って彷徨は笑みを浮かべる。

「うん、お願い!」

横になったままで、けれども力強い笑顔で。

未夢はしっかりと、頷いた。



お久しぶりです。
クルセイダーズ第3章、いかがでしたでしょうか。

実を言うとこの話は、当初書く予定はありませんでした。
つまり、この話が入らずに、次の話が第3章になる予定だったんです。
ですがやっぱり、異分子である未夢がこれから先十字軍でやっていくに当たっては、避けては通れないところですし、十字軍の根本を見るに当たっても大事な所なので、第2章の後に入れようと決意した訳です。

さあ、そして第4章ですが・・・・・お待たせしました、ついに「彼ら」が登場します!
未夢、彷徨と共にだぁ!を作り上げる「彼ら」の登場によって、未夢達の、そして十字軍の運命はどう変わるのか?
その答えは・・・・第4章で(爆)

それでは、次回でまたお会いしましょう。
ありがとうございました(ペコリ)


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