長い間、戦ってきた相手。
憎しみの対象だった者達。
どんなに優しくていい子でも、疎まれるのは自明の理。
故郷を遠く離れた、戦いの地で。
十字の中の光月は、輝くことが出来るだろうか―――?
ロア襲撃事件から5日が経過した現在。
十字軍は表向きは問題なく、聖地へと向かっていた。
戦闘も全く無く、心配されていた気候や風土の違いによる病気なども最小に抑えられている。
だが、それは決して長く続くものではない。
十字軍の次の目的地である、城塞都市ゼラードまではそう遠くない位置に来ている。
今のところ敵の襲撃は無いが、この辺りまで来ると、警戒偵察中の敵部隊と遭遇する可能性もかなりある。
戦いは最早、間近に迫っていた。
朝日と共に差し込む光が、ゆっくりと少女の顔を照らし出す。
それは、朝の訪れを告げる光。
「ん・・・・。」
意識が少しずつ覚めてくる。
徐々に体に力が宿るのを感じながら、未夢はゆっくりと目を開けた。
「ふあ・・・。」
体を起こしながら辺りを見回す。
自分が居るのは、薄暗いテントの中。
外からは怒鳴り声やら馬のいななきやらが聞こえてくる。
「朝・・・か。」
寝床を抜け出すと、寝乱れた髪をとかして顔を洗い、服の上から日除けのマントを羽織る。
テントの中を綺麗に片付けると、未夢は外へ出た。
ほとんどの人間はもう起き出して、一日の準備を始めている。
掛け声と共に、男たちが忙しそうに駆けずり回る。
ある者は馬に飼い葉をやり、ある者は武器の手入れをし、ある者は博打の道具のような物を囲んで騒いでいる。
十字軍。
東方へ向かう遠征軍。
未夢は今、ここに居る。
んっと大きく伸びをして体をほぐす。
降り注ぐ朝日が眩しい。
未夢は我知らず目を細めた。
決して長くは無い雨季を除いて、東方の気候は皆こんな感じだ。
多分、今日も一日暑くなるだろう。
「よっ!おはよう、未夢ちゃん!」
聞こえた大きな声に、そちらの方向を見る。
三太が手をひょこっと上げて歩いてくるのが映った。
未夢もふわりと笑って挨拶を返す。
「おはよっ、三太君!」
三太は近くまで歩いてくると、持っていたパンと水筒を未夢に手渡した。
「ほい、朝飯。スープの方は向こうにあるってさ。」
「ありがと。」
礼を言ってパンと水筒を受け取った。
「彷徨と望君は?」
「望は今日も軍議。彷徨は・・・・。」
「また、偵察?」
「ああ。小隊の連中、何人か連れてったみたいだけど。」
「そっか・・・。」
未夢は呟くと、パンを頬張った。
この陽気で人懐っこい少年とは、こうしてよく話している。
一つには彼の性格がそうさせるというのもあったが、もう一つには他の二人の仲間と話す機会が余り無いという理由もあった。
敵地に近付くにつれ、ここ最近の十字軍では、戦いに備えて忙しさが増している。
一番忙しいのが指揮官の望だ。
なにしろ、3万人弱の兵士の最高責任者である。
参謀以下の幕僚達と、細部を詰めるための軍議が毎日のように開かれ、一日中テントにこもりきり。
おかげで薔薇の世話をする時間を取るのにも一苦労らしい。
望ほどではないが、小隊長である彷徨もそれなりに忙しい。
部隊内での担当部署の決定などの事務面での仕事もあるが、どちらかというと彼の場合は外に出ている事が多い。
部下を引き連れて、近くに敵が居ないか確認しに行くのだ。
最近では陣に居る時間がほとんど無いくらい。
二人に比べると、実質的には一兵卒に過ぎない三太は暇だった。
もちろん、移動した後の陣の設営などは彼らの仕事だが、そもそも歩兵は数がべらぼうに多い。
従って、自分の分の労働を済ませてしまえば、後はやることが無い。
必然的に、未夢は彼と話す時間が増える。
三太は未夢の隣に並ぶと太陽を見上げた。
昼間はやたらと暑いこの土地だが、朝はポカポカ陽気といった感じで、結構心地いい。
しばらくの間、二人は日光浴を楽しんだ。
「どお?よく眠れてる?」
「うん、もちろん!本当にいいのかな?私がテント独り占めしちゃってて・・・・。」
未夢は申し訳なさそうな顔で、自分にあてがわれたテントを見た。
この軍に留まると決め、それを皆に伝えたあの日。
望は予備テント一つを引っ張り出して、それを彼女に貸してくれたのだ。
かなり破格の扱いである。
「毛布だけ貸してもらえれば、外で寝たのに。」
「何言ってんだよ!風邪引いちまうだろ?それに、女の子を外で寝かせるなんて論外!」
「でも私、居候の身なんだし・・・・。」
「いいんだって!どうせ今んとこ誰も使ってないんだし。」
パタパタと手を振る三太に、未夢は微笑んだ。
「ありがとね。」
「礼なら彷徨に言ったほうがいいぜ?『未夢にテントを貸してやってくれ』って、望の所に頼みに行ったの、あいつだからさ。」
「彷徨が?」
初耳だった。
驚く未夢に、三太は熱心に言う。
「ああ!あいつ、未夢ちゃんのこと、心配でたまらないんだよ。なんせ、異教徒の軍隊の中だろ?本当なら、自分が傍についててやりたいんだろうけど、そうもいかないからせめて、寝床だけはちゃんとしてやりたいって思ったんじゃねーかな。」
「そう・・・かな・・・。」
「そうだって、絶対!」
拳を握り締めて力説する三太。
そんな彼を、未夢は覗き込むようにじっと見つめた。
「な、何?」
「三太君は・・・・。」
言いかけて言葉を切る。
戸惑う三太に、未夢は拗ねた様な口調で言った。
「・・・よく分かるんだね、彷徨のこと。」
「まあ、ね。何つってもガキの頃からの付き合いだし。」
「子供の頃から!?」
思わず聞き返す未夢に、三太は目を丸くした。
「あれ?言ってなかったっけ?俺のお袋、彷徨ん家の家政婦やってたんだよ。」
「彷徨の家って・・・ヴェストヴァイト家?」
「そ!俺もお袋の仕事にくっついて、屋敷に泊まりこんでてさ。毎日一緒に遊んでたんだよ。で、今は晴れて親友になったってわけ!今は引退して、親父の粉屋を手伝ってるけどな。」
「そう、だったんだ・・・・。」
未夢は納得して呟く。
平民の三太が、最下級の騎士とは言え貴族である彷徨となぜ親友なのか。
小さな頃から共に過ごして、お互いのことをよく分かり合える、そんな仲。
三太は彷徨と、長い時間を共有してきたのだ。
自分よりも、ずっと。
我知らず俯いてしまった未夢に、三太は悪戯っぽく聞いた。
「あいつのこと、気になる?」
「え・・・・。」
未夢は顔を上げた。
三太はじっとこちらを見ている。
「・・・うん。」
小さく頷く未夢。
気になる・・・・・そうかもしれない。
ここに来た最初のあの日を除いて、未夢は彷徨とほとんど話せていなかった。
顔を合わせる機会自体が少ないのだから、仕方ないのかもしれないが。
それでも、何とか話をしたいと思って、彼が暇な時を見つけて話しかけても、返ってくるのは「ああ」とか、「うん」とかの素っ気無い返事だけ。
もちろん、彼の忙しさを思えば当然のこと。
けれど、やっぱり何だかつまらない。
できることなら、もっと彷徨と話したかった。
初めて彷徨と出会ったあの日。
燃え上がるロアの村の中で、二人で必死に皆を助けていた時。
こらえきれなくなって溢れ出してしまった涙を、彼がただ黙って受け止めてくれた時。
そして、自分と彷徨、三太と望で、共に聖地に行こうと誓ったあの時。
ほんの一時だったけれど、それでも未夢は感じたのだ。
彷徨の言葉にできない、けれどとっても熱くて、優しい心を。
あの瞬間、確かに自分と彷徨は「仲間」だった。
少なくとも未夢は、そう信じたい。。
だから、もっと彷徨と話したいと思う。
もっといろんな事を話してもらって、自分も彼にたくさん話したい。
はるか西からやって来た、あの少年と。
胸を張って、自分は彼の仲間だ、と言うために。
黙ってしまった未夢に、三太は少し慌てた。
「じ、じゃあさ!今度話に行ってみなって!確か今晩、俺達の隊が夜の見張りだからさ!いつもより長く話せるはずだぜ!?」
「迷惑じゃないかな?」
「何言ってんだよ!そんなこと無いって!」
思わず強い口調になってしまう。
驚いて顔を上げた未夢に、三太はなんと言っていいものか迷って、ガジガジと頭を掻いた。
(あ〜〜、ったく彷徨のヤツ、何やってんだよ・・・。)
せっかく、彼を理解しようとしてくれているというのに。
剣も学問も常に一流なのに、どうして人付き合いに関してはこんななのだろうか。
本気で彼の将来が心配になってくる。
「・・・あいつさ、愛想悪いし、つっけんどんだし、言葉もきついかもしれないけど・・・。」
そこまで言うと、三太は真正面から未夢を見た。
「けど、いい奴なんだよ、彷徨。あいつと話してて、多分未夢ちゃん、これから何度も、今みたいに嫌な気分になっちまうと思うけど・・・あいつの事、悪く思わないでやってくれよ!勝手かもしれないけどさ・・・・。」
真剣そのものの三太の表情。
それを見ているうちに、未夢の胸に、可笑しさと羨ましさがこみ上げてきて。
未夢はつい笑い出してしまった。
「え、な、何?俺、なんか変なこと言った?」
「ううん、三太君って友達思いだなって・・・。」
三太はバツが悪そうに頭を掻く。
「やっぱ、親友だからさ・・・。放っとけないっつーか・・・。」
「大丈夫だよ。私、彷徨のこと嫌いになんてなってないから。けど・・・いいなあ〜、何だか・・・。」
「いいって、何が?」
「彷徨と三太君。幼馴染って感じがして。そういうのって、いいよね。」
「未夢ちゃんはそういうの、いない?」
未夢はコクンと頷いた。
「パパとママの仕事で、小さい頃から何度も引っ越してて・・・。一ヶ所に長く居るって無かったから・・・。」
「そうなんだ・・・。」
「でも、友達は居るよ。ロアにも居た。ななみちゃんと綾ちゃんって言ってね、引っ越してきた時からすっごく良くしてくれて。今は、離れ離れだけど・・・でも絶対、無事だって信じてる!」
力強い未夢の言葉に、三太は頷きかけて・・・ふと止まる。
(ななみちゃん、綾ちゃん・・・?)
聞き覚えのある、その名前。
確か、ロア襲撃事件の時、自分が助けたあの二人の少女が確か・・・。
(まさか・・・。)
「な、なあ、未夢ちゃん。その二人ってもしかして、背の高くて短めの髪の娘と、三つ網で背の低い娘?」
「そうだけど・・・なんで知ってるの、三太君?」
首を傾げる未夢に、三太は勢い込んで言う。
「見た!俺、その子達見たよ!入り口でばったり会った子!多分その二人だ!」
未夢の目が大きく見開かれる。
「見たって・・・・それホント!?」
「ああ!そっかあ・・・あの二人が待ってた友達って、未夢ちゃんだったんだなあ・・・くっそ〜、何でもっと早く気がつかなかったんだろ・・・。」
「生きてる・・・ななみちゃんと、綾ちゃんが・・・・。」
未夢は手を胸の前でぎゅっと握った。
「ああ。心配してたぜ、未夢ちゃんの事。ギリギリまで待つんだって聞かなくてさ。避難させるの一苦労だったよ。」
冗談めかして笑う三太の言葉も、未夢には聞こえていなかった。
(生きてる・・・生きてるんだ、二人共・・・。)
「よかった・・・よかったよお〜。」
今にも涙ぐみそうな未夢の肩を、三太はポンと叩く。
「よっし!そうと分かれば、絶対生き抜こうな!もしかしたら、聖地に行く途中で会えるかもしれないしさ!」
「うん・・・。」
目を擦って、未夢はニッコリ笑う。
「ホントに・・・ありがと、三太君。」
「べ、別にいいって。礼なんか・・・。」
三太が照れくさそうに笑って、未夢が微笑み返して。
和やかな空気が流れ始める。
「おーおー!泣かせてくれるねえ!」
「全く、感動的な話じゃねえか!ホントなら、だけどなあ!」
突然、横合いから聞こえてきた、バカにしたような声に、二人は同時に振り向いた。
いつの間に集まってきたのか、10人程の兵士達が腕を組んで、ニヤニヤしながら二人を、と言うより未夢を見ている。
その表情に浮かんでいるのは、紛れもない侮蔑と――――嫌悪だった。
乾燥した砂地に、馬蹄の音が響く。
砂で霞んだ風景の中に次第に見えて来るのは、数十人程の馬に乗った騎士の姿。
先頭を行くのは彷徨だ。
本陣の入り口が見えると、彷徨はほっと息をついた。
慣れない土地を馬で駆けるのは、さすがの彷徨でも相当神経を使う。
いつ敵と遭遇するか分からないとあっては、尚更の事だ。
そんな彷徨の気持ちを代弁するかのように、隣にいた騎士が話しかけてきた。
「今日も、何事もありませんでしたな。」
「ああ。」
彷徨が一つ頷くと、それに呼応するように、また別の騎士が口を開く。
「ゼラードまではそう遠くないと言うのに、この静まり方・・・。敵は我々の接近に気付いていないのでしょうか?」
「そんな事は無い。」
首を振って彷徨は答える。
「これだけ大規模な軍が動いているのに何も手を打たないほど、俺達の敵は間抜けじゃ無い。少なくとも、偵察とか、奇襲のための部隊はどこかで動いているはずだ。それに・・・。」
彷徨は周囲を見渡した。
風に巻き上げられた砂埃が、視界をほとんど覆い隠してしまう。
「この砂嵐だ。これじゃ、相当近くまで来ないと、敵の姿も見えないし・・・。」
彼の言葉を聞いて、騎士達はぎょっとしたように周りを見渡す。
砂埃が鎧や兜にぶつかって、パラパラと音を立てている。
「いつ何処で敵に会うかも分からない。これからはより一層、警戒しておいた方がいい。」
「伏兵が潜んでいると?」
「ああ。この砂嵐の、どこかにな。」
話しているうちに、後続の者達も追い着いて来たようだ。
全員が集合するのを待って、彷徨は再び馬を走らせた。
小隊の面々もそれに続く。
陣の入り口の門番を見ると、やはり自分たちと同じように緊張しているのが分かる。
彷徨達に敬礼するその仕草も何処かぎこちない。
門をくぐると、皆は安堵したように肩を撫で下ろした。
万全とは行かないまでも、とりあえず安全は確認された。
馬から降りると、彷徨は部下達に声を掛けた。
「俺は報告に行く。今後の状況にもよるけど、多分今日はもう偵察任務は無しだ。ゆっくり体を休めておけ。」
『はっ!』
綺麗に揃った返事を返して、それぞれのテントに戻って行く騎士達を見届けると、彷徨は望の所へ向かう。
偵察の報告をするためだ。
テントに入ると、望は机に向かって気難しい顔で何やら文書と睨めっこをしていた。
彷徨が中に入ると、顔を上げて微笑む。
「やあ、今日はいつもより早かったね。」
「砂嵐が来たからな。途中で切り上げてきた。」
「正しい判断だ。」
満足そうに望は頷く。
偵察というのは、言うまでも無く周囲の様子を的確に知るための重要な行動だ。
だが、視界が遮られる砂嵐の中にあっては、大して意味が無いばかりか、下手をすると敵と鉢合わせして全滅などということにもなりかねない。
部下の生命のためにも、早めに帰ってきたのは正解と言えた。
当たり前のことだが、今までの西方騎士の中・上級指揮官はこの事ができていなかったばかりに、幾度と無く手痛い被害を被ってきた。
「勇猛果敢」と、「考え無し」は違うのだ。
彷徨はそのことをちゃんと理解していた。
望の机に広げられている紙を見る。
出発前に入手していた、この大陸の地図だ。
赤やら青やらの色で、何やら矢印がたくさん書き込まれている。
「それ、今後の進軍予定か?」
「そう。ヴェルディアまで、なるべく被害を出さずに行きたいからね。君とはまた違うけれど、こっちも色々と大変なのさ。」
大きく手を広げて苦笑した後、望はすっと真面目な表情に戻る。
「で・・・報告を聞こう。」
「『異常なし』だ。・・・今のところは。」
「今のところは・・・か。」
望は渋い顔をする。
敵の勢力圏にはとっくに入っているというのに、本格的な戦闘が一度も無いどころか、敵兵の姿まで見えない。
もちろん、犠牲が出ないのに越したことは無いが、ここまで静かだと帰って不気味だった。
「どこかに敵が戦力を集めているんだろうな。俺達の出鼻を、くじくために。」
「だろうね。とりあえず、兵達には警戒を怠るなと言っておいてくれ。ただし、当直でないものはいざと言うときに備えて十分休むようにと。」
「ああ、わかった。俺の隊にはもう休むように伝えてある。まあ、あいつらも分かってるだろうけどな。」
「彼らは、どうだい?」
彷徨は微かに微笑んだ。
「まずまずだ。もともと腕はいい奴らだったけど・・・何より実戦を経験したのが効いたみたいだ。」
「そうか・・・。」
望は安心したように言う。
あの、ロアが襲撃された日。
第3小隊は傭兵達との戦いを潜り抜け、無事本陣に帰還している。
彼らは少しずつだが、油断や慢心を捨て去り、命令にも確実に従える様になってきていた。
「とは言っても、まだほとんどの兵士は実戦には出ていないんだ。油断は禁物だね。」
「ああ、同感だ。」
頷いて彷徨は踵を返した。
「じゃあ、俺も自分のテントに戻るから。」
顔だけ望に向けてそう言うと、彷徨は出口に向かって歩き出す。
その背中に、声がかかった。
「・・・彼女の所には、行かないのかい?」
彷徨の足がピタリと止まる。
望は持っていた筆をクルクルと回しながら、
「ここずっと、ろくに話もしてないんだろう?せっかく偵察が早く終わったんだ。たまには話に行ってみたらどうだい?」
「俺に・・・何を話せって言うんだよ。」
振り返らずに、彷徨が言う。
「何を話せっていうんだ。特に気になる事件が起こったってわけでもないのに・・・。」
「事件が起こら無くったって、いくらでも話すことはあるだろう。他愛の無い世間話とか、そうでないならお互い自分の事を話すとかさ。」
「・・・・苦手なんだよ、そういうの。」
「ま〜た君は、すぐそんなことを言う。」
呆れたような望の声。
彼は立ち上がると、腰に手を当てた。
「苦手だ苦手だで、いつまでもそんな事じゃ、進展する仲だってしてくれないよ?ただでさえ君は素っ気無いんだから、こういうチャンスを逃したら、永遠に親しくなんてなれないと思うけど。」
望の言葉が、鋭く胸に突き刺さる。
彷徨はため息をついた。
分かってる、そんな事。
小さい頃から、何度も三太に言われてきたのだから。
今までにも、未夢と話す機会が無かったわけじゃない。
偵察を終えて帰って来た時、あるいは、作戦会議の後の休憩の時。
決して長い時間ではないが、それでも話そうと思えば話せたはずだ。
けれどそんな時、未夢に対して出てくる返事は、つれないものばかりで。
もちろん、彷徨から話しかけるなんて出来るはずも無かった。
そもそも、話すといっても何を話せばいいのか分からない。
三太の様に明るく楽しく場を盛り上げることも、望のように気の利いた話題で女の子を喜ばせることも、出来そうに無い。
今思うと、未夢と初めて会ったあの日。
小さなテントの中で過ごしたあの時間が、唯一例外だったような気がする。
もっとも、今はもう元に戻ってしまっているが。
黙ってしまった彷徨に、望はやれやれといった感じで肩をすくめる。
「ま、君の自由だけれどね。ただ、素っ気無くされて悲しくない人間なんて、ほとんど居ないということだけは覚えておいたほうがいいと思うよ。」
「・・・・。」
返事をせずに彷徨はテントを出ようとする。
が、その時、
「ピイイイッ!」
甲高い鳴き声を上げて、オカメちゃんが飛び込んで来た。
「オカメちゃん?どうしたんだい、まだお散歩の時間じゃないのかい?」
望はびっくりしながらも手を差し出す。
が、白い鳥はその手に乗ろうともせず、ただひたすら入り口と外を往復している。
外に出て来いというのだろうか。
彷徨と望は顔を見合わせると、急いで外へ出る。
二人が出てきたのを見届けると、オカメちゃんはクエッと鳴き、くるくると旋回を繰り返しながら向こうへと飛んで行ってしまった。
「何だよ、あれ。」
「わからない・・・。何が大変なことが起こったとか?」
「大変って、何が?」
「さあ、僕にもさっぱり・・・ん?」
不意に望は目を細めると、オカメちゃんの飛んでいった方向を指差した。
「・・・あれは、なんだい?」
「え?」
言われて彷徨も目を凝らす。
遠くの方だが、何か騒ぎが持ち上がったようだ。
人が集まり、叫び声のようなのも聞こえる。
「未夢ちゃんのテントの方角だね・・・。」
「!!」
望の言葉を聞いた瞬間、彷徨はマントを翻して一直線に駆け出していく。
「あっ、彷徨!」
叫んだ頃には、もう彷徨は人込みの中。
望は呆れたように言った。
「全く・・・あれでよく、『話すことは無い』なんて言えるよねえ。」
愚痴りながらも、望は彷徨を追いかけるべく、自分も騒ぎの方角目指して走っていった。
「何だよ、お前らっ!」
三太が眉を吊り上げて叫ぶ。
が、男達は鼻で笑っただけだった。
鉄製の鎧を身につけ、剣を腰に挿した彼らは、三太と同じ平民歩兵だ。
数が多いのでどこの隊かはわからない。
たぶん、近くに陣を張っている第4か、第5小隊あたりだろう。
「朝からお盛んだな、異教徒。」
「騎士の小僧に続いて、朝っぱらからもう新しい男をたらしこんでんのかあ?」
「ケッ、いいよなイリス教ってのは。男を何人作ってもいいんだろ?」
当たり前だが、イリス教にそんな規則は無い。
彼らがでたらめを言っているだけである。
「未夢ちゃんはそんな子じゃねえ!」
「はいはい、左様でございますか。」
三太の怒声も男達が気にかける様子は無い。
未夢は唇を噛んで、男達を睨みつけていた。
この軍に加わってから何日か経つが、その間何度もこういうことがあった。
今の未夢は表向き、ロアで保護した現地住民ということになっている。
まあ確かに間違ってはいない。
非戦闘員は敵味方を問わず保護するべしという軍規が今回の遠征には含まれているため、少なくとも理屈の上では何の問題も無い。
だが、あのロアでの惨状を目にした者は別としても、大多数の人間はやはり、はいそうですかと異教徒を受け入れられるはずも無かった。
今日のこれも、言ってしまえばまだおとなしい方だ。
男達の一人が歩み出てくる。
長身の男性だ。
未夢の前まで来ると、見下ろすように彼女を見た。
「寝心地はどうだったよ、お嬢ちゃん。やっぱり、同じ小僧でも、騎士と平民じゃあ違うのか?俺らはわかんねえからなあ・・・。」
「なっ!」
未夢の顔が、怒りで赤くなる。
いくらそういう事に疎い未夢でも、彼の言わんとしていることは分かった。
「いい加減にしろよ!」
見かねた三太が、未夢を庇うように割って入ってくる。
「おうおう、必死こいてるよ。もう完璧にたらしこまれちまってんのか。親が見たら、泣くだろうぜ。」
「そりゃ、どっちの親だ?」
「そりゃ、このガキの方に決まってんだろ?」
「つーかよ。こいつに親なんて居るのか?土から這い出して来たんじゃねえのか?」
ギャハハハと煩く笑う男達。
未夢は顔を真っ赤にし、拳を震わせながら、必死で男達の罵詈雑言に耐えていた。
ここで彼らと下手に揉めれば、三太にも、そしてこの場には居ない彷徨や望にまで迷惑がかかってしまう。
自分に必死にそう言い聞かせた。
「ま、この女に親が居たって、悲しまねえだろうぜ。かえって喜んだりしてな。」
「違えねえ!『私の若い頃そっくりよ』とか言ってな!」
「ハハハハッ!どんな若い頃だよ、そりゃ!」
「決まってんだろ、そういう商売の女さ!。」
「・・・!!」
「てめえら・・・!!」
あまりの暴言に本気で切れた三太が、男に掴みかかろうとするが、その眼前を金色の髪がスッと通り過ぎて前に出る。
次の瞬間。
パアンッ
乾いた音が響いた。
「なっ・・・。」
「未夢ちゃん!?」
三太の驚く声。
男の頬を思いっきり引っ叩いた未夢が、緑色の瞳を怒りに染めて、相手を睨んでいた。
予想もしなかった反撃に、引っ叩かれた男も、周りの兵士も、思わず静まり返る。
数瞬の間の後、叩かれた当人が一番先に我に帰った。
「な、何しやがる!」
「ママを悪く言うのは、絶対に許さない!今の言葉、取り消しなさい!」
「っんだと!?」
男が怒りの表情で睨みつけるが、今度と言う今度は未夢も一歩も引かない。
その場の空気が、どんどん険悪になっていく。
「偉そうなクチ聞いてんじゃねえよ!」
「そうだそうだ!」
「何様だ、てめえ!」
「身の程を知れよ、異教徒が!」
男の言葉をを皮切りに、周囲の人間からも次々に罵声が飛ぶ。
明らかに殺気立った視線が向けられてくる。
十字軍兵士とは言っても、彼らは傭兵ではない。
ここに来るまでは一般市民、あるいは農民だった者達だ。
だから過激な実力行使には出ていなかったのだが、今の彼らは、いつ未夢に掴みかかってもおかしくない。
「こいつっ!!」
声と共に、後ろの方から石が飛んでくる。
「あっ・・!」
三太が声を上げるが、間に合わない。
石が未夢に当たろうとした時、
横から伸びてきた手が、彼女の眼前で石をパシッと掴んだ。
その手の主は・・・
「彷徨っ!」
未夢は隣を見て、驚きの声を上げる。
片手で石を掴み取った彷徨が、男達を鋭く見据えていた。
「今、投げた奴は誰だ?」
低い声に、その場に居た面々は一瞬気圧されるが、すぐに気を取り直して言い返す。
「な、何だてめえは!」
「坊ちゃんの出る幕じゃねえ!引っ込んでろ!」
彷徨は声の方向をギロリと睨んだ。
思わず、その周辺の男達が一歩後ろに下がる。
「う・・。」
「な、何だよ。」
怒りの篭った視線に、男達も口をつぐんでしまう。
「もう一度言う。今、石を投げたのは誰だ?こいつをここに置いてるのは俺だ。文句があるなら、前に出てきて俺に直接言え。」
そう言って辺りを見渡すが、誰も出てくる気配が無い。
彷徨は息を吸い込むと、先程よりも声を一段と低くして言う。
「聞こえないのか?出て来いって言ってるんだよ!」
男達のうちの何人かが、体をビクッと震わせる。
殺気すらはらんだ彷徨の様子に、未夢も三太も息を呑んだ。
静まり返ったままの男達。
彷徨はふんと鼻を鳴らした。
「情け無い奴らだな。女一人に寄ってたかって罵声を浴びせる事はできても、相手が男だとまともに文句も言えないのか?」
それは違うな、と三太は思った。
男だから言えないのではない。
今目の前に立っている彷徨が怖いのだ。
それぞれの事情があるにせよ、十字軍として戦場に飛び込んで来る様な者達である。
決して度胸の無い人間ではないはずだ。
だが、そんな彼らでさえ、文句どころか言葉を口に出すことも出来ない。
それくらい、彷徨が放っている怒気は凄まじかった。
端正な顔立ちが恐ろしいほどに冷たくなり、男達の背筋を凍らせている。
はっきり言って、今の彷徨に正面から意見するくらいなら、異教徒の軍隊に一人で突撃したほうがずっとましだろう。
彷徨が拳を握り締めて、さらに一歩前に出ようとする。
兵士達も顔を青くしながらも、これ以上は引けないのか、グッと彷徨を睨む。
一触即発の空気。
「それくらいにしておきたまえ。」
緊張を破ったのは、横からの声だった。
皆がそちらを見ると、望がゆっくり前に出て来る。
「今は仲間割れをしている場合じゃないだろう?持ち場に戻るんだ。」
兵士達は顔を見合せた。
彼ら一般兵は普段から望と顔を合わせる機会など全く無いが、この軍が出発する際に演説をしたので、彼の顔くらいは知っている。
しばらく重い空気が流れた後、彼らは不満そうな顔でブツブツ言いながらもそれぞれの部署に戻っていく。
さすがに、総大将に逆らうわけにはいかないのだ。
だが、彼らのほとんどは、立ち去る間際に未夢を睨みつけていた。
何人かの者は、「いい気になるなよ」と捨て台詞を残して。
「災難だったね。」
「ったく、何なんだよ、あいつら!」
望がふうっと息をつき、三太がイライラを抑えきれない様子で言う。
「・・・・ありがと、二人とも。」
「居るんだよね、ああいうヒマな連中。」
「しょうがないよ。私が異教徒だって言うの、ホントだもん。」
「だけど・・・。」
何か言いかける三太に、未夢はパタパタと手を振った。
「だいじょぶ。私の決心、変わらないから。」
「無理、してない?」
「ん。ごめんね、何か揉め事ばっかりで。」
「べつに、僕らは構わないけれど・・。」
なお心配そうな二人を安心させるように微笑むと、未夢は彷徨の方を向いた。
「彷徨も、ありがとね。」
「別に。」
さっきの怒りはどこへやら、いつも通りの素っ気無い返事。
未夢が何とか続く言葉を探していると、彷徨は静かに問いかけてきた。
「怪我、無かったか?」
「あ、うん。大丈夫。」
「そうか。ならいい。」
そう言うと、すっと踵を返して、自分のテントへと戻って行く。
「お、おい!彷徨!」
三太が呼びかけるが、彷徨は返事もせずに向こうへ行ってしまった。
望が呆れたようにため息をつく。
「もう少し気遣ってもいいのにねえ。」
「しょうがないよ。」
先程と同じ言葉を繰り返して、未夢は彼の去っていった方向をじっと見つめる。
その目は何か、決意を含んでいて。
「未夢ちゃん・・・。」
「やれやれ。」
三太が心配そうに呟く横で、望が両手を上げて首を振る。
ビュオオオッ
彼らの心情を代弁するかのように、砂嵐が一際大きな音を立てて通り過ぎた。
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