日が暮れる頃、彷徨達は陣に帰還した。
ルーガスが倒れた後の傭兵達は脆かった。
わずかに抵抗を続ける者を除いて、ほとんどが逃亡もしくは捕縛されていた。
第10小隊の先走りがどこから伝わったのか、残された他の者たちは騒然となっていたが、指揮官である望が戻り、彼の口から詳しい事情が説明されると、次第に落ち着きを取り戻した。
もっとも、略奪に走った元味方が、ほとんど生きては居ないという事実にショックを受けたものは少なくなかったようだったが。
ロアの住民の行方は依然として知れない。
捜索しようにも村は壊滅状態で、どこに誰が居るのかも分からない。
そんな余裕も無かったのだ、肉体的にも、精神的にも。
第一、見つけたとしても、難民を養うには食料や寝床まで確保してやらねばならない。
今の十字軍にはそれほどのゆとりは無い。
推測によると、身寄りもしくは友人同士で集まって、どこか別の町や村へ逃げたらしい。
無事を祈る。それしか彷徨達にはできなかった。
出撃した500名の中に、死者はあまり出ていない。
特に第3小隊は彷徨の檄が功を奏したのか、怪我人が何人か居るだけで、犠牲者はゼロだった。
結果だけ見れば、成功といっていいものだ。
だが、そんな言葉で片付けられる物ではないことは、帰ってきた彼らの疲れ切った表情が物語っていた。
もちろん、それは彷徨達3人も同じこと。
望は「一人にしてくれ」と言ったきりテントに篭ってしまい、三太もいつもより格段に口数が減っている。
彷徨は自分のテントに向かって歩いていた。
足が鉛のように重い。
疲れた体を引きずるように歩く。
『隊長!!』
後ろから聞こえてきた大勢の声に、彷徨は振り向いた。
彷徨の第3小隊の面々が、揃って走り寄ってくる。
「何だ?」
「お許し下さい、隊長殿!!」
いきなり頭を下げたその中の一人に、彷徨は戸惑う。
突然謝られても、何がなんだかさっぱりわからない。
彷徨の疑問に答えるように、別の騎士が言った。
「我らは、貴方を誤解しておりました。隊長のことをよく知らず、どうせあんな子供、大した事無い、家柄で隊を任されたに違いない、と・・・戦いが始まるまで、そう思い込んでおりました。」
「当然だろうな・・・。」
小さく息をつく彷徨に、また別の騎士が勢い込んで言う。
「ですが、先の戦いで思い知らされました。貴方ほど隊長にふさわしい人間はいない、と!」
「あれほどまでに見事に戦い、我らのことを気遣う、隊長殿の心を、我らは知りました!」
「自分達の不明を、思い知らされました!我々第3小隊は、隊長についてゆきます!なあ、諸君!!」
一斉に力強く頷く騎士達を、彷徨は黙って見つめていた。
しばらく沈黙した後、彷徨は踵を返して歩き出す。
「隊長?」
戸惑うように、騎士の一人が声をかける。
彷徨は足を止めると、振り向かずに言った。
「明日も早い。早く休んでおけよ。」
「は、はい・・・。」
返事を聞くなり彷徨は再び歩き出した。
背後で、彼らのざわめく気配を感じる。
気分悪いだろうな、あいつらも。
彷徨はため息をついた。
当然だろう。
最大級の賛辞を送った相手が、こんなに素っ気無い対応しか返さないのだから。
気分を害するのも当たり前だ。
けれど、彷徨には彼らの褒め言葉を素直に受け取ることができなかった。
彼らの尊敬の眼差しが痛かった。
確かに、自分の剣の腕、そして戦いぶりは群を抜いているかもしれない。
けれど、それを使って一体自分は何をしたというのか。
村をみすみす破壊され、同胞を殺してしまっただけではないか。
そんな自分に対する褒め言葉は、彷徨にとっては逆に辛かった。
本当に、尊敬されるべきは、あの少女だ。
いきなり村を焼かれ、家族も友人も失ってしまったというのに、決してへこたれず、命がけで子供を助けた。
本当は、誰より辛かったはずなのに。
(どうしたかな、あいつ・・・。)
一緒に居たのはあの母子を助けた時まで。
避難させるから、と彼女は二人と一緒に走って行き、自分も敵の残党の始末や住民の救出などで追いかけられなかった。
たぶん、もう会うことも無いだろう。
そう思うと、一抹の寂しさを感じる。
(バカか、俺・・・。)
まだ、東方軍との戦いにもなっていないのに、そんなことに神経使ってどうする。
それよりも、明日に備えて休むべきだ。
そう考えて、頭に浮かんだ少女の顔を振り切る。
そんなことをしているうちに、テントが見えてきた。
(何か・・・本当に疲れたな・・・。)
思いながら、テントの入り口をくぐった瞬間。
「きゃあああああ!」
「!?」
聞き覚えのある、女の子の悲鳴が聞こえて、彷徨は顔を上げて。
そこに居た人物を見て仰天する。
腰まで届く金色の髪に、緑色の綺麗な瞳。
目の前に居たのは、あの時の少女だったのだ。
「お、おまっ・・・なんでここに・・・って言うか、その格好・・・。」
彷徨は少女の姿に目を丸くし、一瞬遅れて真っ赤になった。
少女の足元には、昼間会ったときに来ていた服が脱ぎ捨てられ、本人は代わりの服で身を隠しながら、顔を真っ赤にしてこちらを睨んでいる。
「あ・・・。」
「バカ!チカン!スケベ!出てけーーーーー!!!」
叫ぶなり少女は、側にあった物―――彼女の本のケース―――を引っ掴むと、彷徨めがけて投げつける。
パコーンッというお間抜けな音と共に、彷徨は慌てて頭を抑えつつ、転がるように外へ飛び出した。
(な、何であいつがここに!?しかも何で俺のテントに居るんだ!?)
彷徨は必死で落ち着こうと努力した。
平常心確保のため、深呼吸を何回かして見る・・・が、悲しい事に、効果は全く無かった。
それどころか、さっきの少女の姿が頭をよぎってしまう。
(意外と・・・肌、白いんだな・・・////)
こんな暑い所に住んでいるのだから、もっと焼けているかと思ったけど。
白い、白磁のような肌が眩しかった。
(・・・・って、何考えてんだ、俺!!////)
ぶんぶんと頭を振っていると、望と三太がやって来た。
「どうしたんだい?彷徨君。」
「何だよ、彷徨。そんな大声出して・・・。」
二人は一応、落ち着きを取り戻しているようだ。
本来ならいい事なのだろうが、今の彷徨にはそれどころでは無い。
「ああ、彼女に会ったんだね・・・って、その額は?」
「そんな事より、なんであいつがこの陣に居るんだよ!しかも俺のテントに!」
「ん〜、それがね・・・ロアの住民はあらかた避難したらしいんだけど、あの子、ほかの人達を避難させるのに一生懸命で、気が付いたら友達がみんな、散り散りになってしまったらしいんだ。だから君のテントを提供したわけだよ。もうすぐ日が暮れるって言う時に、女の子一人放り出すわけにもいかないだろ?」
「何でそれを早く言わない!?」
「今話したじゃないか。」
「お前なあ・・・。」
余りと言えば余りな望の発言に彷徨が詰め寄ろうとした時、少女がテントから出てきた。
着替えは終わったのか、ちゃんと服を着ている。
ついでに言うと、当たり前だが、かなり怒っている。
「信じらんない!!女の子の着替え覗くなんて、さいってー!!」
さすがの彷徨もカチンときた。
大体、どんな事情で彼女がここに居るのか知らないが、元々ここは自分のテントなのだし、彼女がここに居たことだって知らなかったのだ。
それを、いきなりケースをぶつけられ、しかも覗き呼ばわりされるなんて、どう考えても割に合わない。
「何だよ!いきなり物をぶつけといて、言う言葉がそれか!?」
「そっちがいきなり入ってくるのが悪いんじゃない!」
「しょーがねーだろ!居るなんて知らなかったんだから!」
「何よ!人のハダカ、嬉しそーに見てたくせに!!」
「はっ、冗談言うなよ。そんな幼児体型、見たって嬉しかないね!」
「な、よ、幼児〜〜〜!?」
何という低レベルな会話。
そばで見ていた望も三太も、騒ぎを聞きつけて集まって来た兵士たちも、呆気に取られて成り行きを見つめていた。
睨み合う二人。
いち早く我に帰った望が、二人に割って入る。
「はい、そこまで!続きはまた後でやりたまえ。」
ギロッと睨んでくる彷徨に軽く肩をすくめながら、望は少女に向き直る。
「十字軍へようこそ、マドモアゼル。よろしければお名前を聞かせ願えるかな?」
「未夢、よ。ライヒスモンド・未夢。」
いきなり現れた望に、未夢は臆することも無く答える。
初めて聞く少女の名前。
(未夢・・か。)
彷徨はそれを、ゆっくりと心の中で繰り返す。
「貴方こそ誰?すごく身分の高い人みたいだけど・・・。」
「これは失礼。」
望は軽く頭を下げる。
「ザフト・ウィルベルク・望。ウィルランド王国第一王子にして、この軍の指揮官さ。」
「指揮官」と聞いた途端、未夢の表情が強張る。
当然の反応だろう。
「信じてもらえなくても無理は無いが・・・これだけは誓う。君に危害を加えるつもりは無い。今はひとまず、僕らの言う通りにしてくれないか?」
「本当・・・に?」
「ああ、神とわが祖国に誓って・・・本当だよ。」
望の真剣な目を、未夢はじっと見つめていたが、やがてコクンと頷いた。
「ありがとう。」
望は微笑んで、三太を示した。
「彼はシュバルツフット・三太。元・エーベンブルクの粉屋の息子だよ。」
「よろしくなっ!未夢ちゃん!!」
人懐っこい三太の笑顔で、未夢もいくらか緊張が解けたらしい。
「こちらこそ」と笑顔を見せて、三太が差し伸べた手を握り返した。
望は最後の一人を指差す。
「そして彼が、ヴェストヴァイト・彷徨。三太君と同じエーベンブルクの騎士で、今は第3小隊を束ねてもらっている。」
「よろしく・・・。」
彷徨はぶっきらぼうにそれだけ言って、そっぽを向く。
三太が、「もう少し愛想良くしろよ〜〜」などと言うのを聞きながら、未夢は彷徨を見つめた。
(彷徨・・・っていうんだ、この子・・・。)
あの傭兵から、自分を助けてくれた少年。
少女といっても通用しそうな整った顔立ちから目が離せなくて。
そのままボ〜〜ッとしてしまう。
「で、君の今後の処遇だけどね。」
「あ、はい!」
望の声に、未夢は慌てて我に帰った。
(何ドキドキしてんのよ、こんなヤツに!)
動揺を抑えようとしている未夢に気付いているのかいないのか、望は真面目な口調で切り出した。
「僕らはこのまま、東へと向かう。もし君がどこか当てがあるのなら、送り届けることも可能だ。もちろん、僕らの進路上にある町なら、だけどね。」
「・・・そんなの無い・・・。」
一転して寂しげに言う未夢に、三太が慌てたように言う。
「え、な、無いって!?」
「パパもママも、仕事で王都に行っちゃってるんだもん・・・行く所なんて、もう・・・。」
「王都って・・・あの王都バレスか?」
彷徨の戸惑い気味の問いに、未夢は小さく頷いた。
「そうか・・・さすがに王都までは僕らも行かない・・・って言うより行けないからね・・・。じゃあ、どうする?もし、ここに居たくないと言うのであれば、必要な食料と旅費は提供するけれど・・・。」
「わからない・・・どうしたらいいのかなんて・・・わかんないよ・・・。」
下を向いて言った未夢の言葉に、三人も何も言えずに黙り込む。
無理も無い。
いきなり前触れも無く、こんな状況下に放り込まれたのだ。
すぐに身の振り方を決めろ、というのは無茶というものだろう。
「なあ・・・・。」
沈黙を破ったのは彷徨だった。
「とりあえずさ・・・今晩はここに泊まって、明日ゆっくり考えるのがいいんじゃないか?どのみち今からじゃ、行こうったって何処にも行けないだろ?」
彷徨の意見に、二人も同意の仕草を示す。
「ああ、彼の言うとおりだね。」
「うん。俺もそれがいいと思うな・・・敵の中で寝るなんて、嫌だろうけどさ・・・。」
未夢はしばらく下を向いて考え込んでいたが、やがて顔を上げると、はっきりと頷いた。
「わかりました。お願いします。」
「よし、決まりだね。」
望の言葉に、ようやく彷徨も肩の力を抜く。が・・・
「じゃあ、彷徨君。彼女のこと、よろしく頼むよ!」
「は?」
次に続いた望の台詞に思わず聞き返す。
「だからあ、君が彼女の面倒をみるんだよ。今日一日だけなんだし、彼女には君のテントで寝てもらうことになるだろうし、ね。」
(な・・・・。)
『ええええ〜〜〜〜////!?』
彷徨と未夢が同時に叫ぶ。
彷徨は真っ赤になって抗議した。
「ば、馬鹿言うな!何でそんな・・・。」
「仕方ないじゃないか。元々この軍には予備のテントなんてごく少数しか無いんだ。そう軽々しく使えないだろ?」
「だ、だからってなあ・・・。」
「そ・れ・に・・・。」
望は彷徨の腕を掴んで引き寄せると、耳元で囁く。
「君がもし嫌だって言うなら、彼女には別の誰かと一緒のテントで寝てもらうことになるんだよ?いいのかい、それで・・。」
「うっ・・・。」
彷徨が一瞬ひるんだ隙を突いて、三太も言い募る。
「そうだぜ、彷徨!兵士の連中、ここんとこ女の子に飢えてるみてーだし、誰か傍に居てやらねーと・・・・。」
「・・・!!」
彷徨の表情が、いつに無い位強張る。
三太は驚きに目を見張った。
(こいつが、こんな顔するなんてな・・・。)
もちろん、彼の正義感の強さはよく知っているが、それを差し引いても彼の今の表情は凄かった。
今まででも見たことの無い、凄まじい怒りの表情。
(こ、怖え〜〜・・・。)
焚き付けたはずの三太のほうが思わず後ずさりしてしまう。
望はと言うと、そんな彷徨を満足げに見ている。
「まあそんなわけで、頼んだよ、彷徨君。それじゃ二人とも、アディオス!!」
「じゃあな、彷徨!お休み、未夢ちゃん!」
「お、おい!待て、お前ら!!」
ハッと我に帰った彷徨の止める声も空しく、二人はさっさと自分のテントに戻って行ってしまった。
後の残されたのは彷徨と・・・未夢のみ。
「行っちゃった・・・ね。」
呆然と呟く未夢。
さっきまでとはまた別の気まずさが、二人の間を支配していた。
「しっかし、お前も悪党だよな〜。」
彷徨の元から立ち去った後、自分達のテントに戻る途中で三太は笑いながら望に言った。
「おいおい、何が悪党だい、失礼な。」
「とぼけんなよ。彷徨とあの子がお互い気にしてるの知ってて、わざとああしただろ。」
「んん?何のことだい?」
素知らぬ顔をする望だが、その目は明らかに笑っている。
「いくらテントが貴重だからって、女の子を初対面の男のテントに一人で寝かせるほど、お前無神経じゃないだろ。仮にもここは敵陣なんだしさ。」
「お見通し、か・・・。」
望は観念したように両手を上げた。
「よく分かるもんだねえ。」
「分かるって。幾らなんでも、あからさま過ぎだぜ、ありゃ。」
もちろん、三太がおかしいと思った理由はそれだけではない。
筋金入りのフェミニストであるはずの望が、女の子のための寝床をケチっていた時点で、既に怪しいと思っていたのだ。
彼ならば、例え自分が森の中で寝て来いと言われても、女の子が相手ならそっちにテントを提供するはずだ。
他に特別な事情が無ければ、だが。
「けれど、三太君だって、止めなかったじゃないか。」
「ああ。実を言うと・・・俺も気になるんだよ、あの二人がどうなるか。」
三太はペロリと舌を出して笑う。
先程の彷徨と少女の言い争いを見た時、三太は心底驚いた。
滅多な事では動じない彷徨の、珍しく焦っている姿。
しかも会話の内容は、ほとんど痴話喧嘩じみたもので。
「ほんと、彷徨とは思えなかったもんなあ・・・。」
いや、そうとも言えないかな・・・。
三太は心の中で思い直した。
彷徨のあんな一面が、「出かけた」ことならあった。今まで何度も。
けれどその度に彷徨特有の、つっけんどんな受け答えが邪魔をして。
ようやく表に出そうとした時はもう遅い。
みんな彷徨のことを、「怖い」「怒ってばかり」、そんな風に見てしまう。
けれど、あの娘なら。
もしかして、全部引っ張り出せるかもしれない。
彷徨の心の奥にしまいこんである、あいつの本当にいい所、全部引き出してやれるかもしれない。
そんな期待が、三太にはあった。
だから、望を止めなかったのだ。
そんな三太の考えが、何となく分かったのだろうか。
望は微笑んで言った。
「友達想いだねえ・・・君は。」
「何だよ。お前は違うのか?」
「僕はただ、彷徨に早く立ち直って欲しいと思っているだけさ。でないと、指揮官としても困るし、それに・・・。」
「それに?」
続きを促す三太に、望はファサッと髪を掻き上げて言う。
「彼は僕の認めた、ライバルだからね。落ち込まれたままでも、張り合いが無いだろ?」
「ライバル、ねえ・・・。」
明らかに彷徨の嫌がりそうな言葉だな、と思ったが、口に出すのは止めておく。
どう思っていようと、心配していることに変わりは無いのだから。
三太はふと、後ろを振り返った。
彷徨のテントは、もうほとんど見えなくなっている。
(どうしたかな、あいつら・・・)
コポコポコポ・・・・
彷徨が器にお茶を入れる音が、テントの中に静かに響く。
お茶といっても、軍のちょっと上の位の人間が飲む軍用のお茶で、正直あまりうまくない。
体を暖めるくらいのものだが、今の彷徨には不思議と美味だった。
外が寒いからだろうか、いや、あるいは・・・。
この雰囲気があまりに重苦しいからだろうか。
彷徨はため息をついて、座り込んでいる未夢を見た。
二人で簡単な食事を済ませておよそ30分。
お互いに話すきっかけも掴めず、だんまりの状態が続いていた。
二人とも、とにかく何か話そう、そう思ってはいるのだが、会話にまるで反映されない。
彷徨が、未夢に湯気の立つ器を差し出す。
「ほら。」
「・・・ありがと。」
こんな調子である。
とにかく、このままというのははっきり言って拷問に等しい。
彷徨は腰を降ろすと、とりあえず気になっていたことを聞いてみる。
「なあ・・。」
「何?」
「お前の両親の仕事って・・・もしかして天文学者か?」
未夢の目が、驚きに見開かれる。
その表情を見て、彷徨はやっぱりなと確信する。
「何で、わかったの?」
「これ。」
目を丸くしたまま聞く未夢に、彷徨が黙って差し出したのは、さっき彷徨に未夢が投げつけた本のケースだった。
タイトルは『天学大全・ハール=アブーフ著』。
「あ・・・そっか。それでわかったんだ。」
「俺も行ったことねーけど・・・有名だからな、バレスの話は。」
西側よりも格段に科学や天文学などの発達した東側の中でも、最高峰といわれる、グランドール王国首都、王都バレス。
中でもそこに設置された天文台は、東方国家群の頭脳と技術の粋を集め、事実上世界最高の天文学府らしいことは、彷徨も噂で知っていた。
「うん。パパとママ、そこの天文台で働いてるんだ。」
「へえ・・・優秀なんだな、お前の両親。」
「・・・家には、全然帰ってこないけどね・・・。」
寂しそうに言った未夢の言葉に、彷徨はなんと言っていいか分からなかった。
ただ、こんな表情は彼女に似合わない。
それだけは、確かだ。
何か他の話題を探そうと悪戦苦闘していると、未夢はカップのお茶を取った。
ゆらゆら揺れる表面を、じっと見つめながら言う。
「いっつもそうなんだよ、うちの親。私の都合なんか考えもせずに、いつも勝手に決めちゃって。ロアに行くっていう話だって、聞いたの出発の前日だったんだから!」
プンプンと怒る未夢に、彷徨は言った。
「でも・・・尊敬してるんだろ?親のこと。」
未夢の表情が硬くなるのを見て、言いすぎたか?と思う。
けれど、これは確信だった。
もし、嫌いなら、わざわざ決して安くは無い天文学の本なんて買わない。
帰って来なくったって、寂しそうな顔なんかしない。
「・・・うん。大好きだよ、パパもママも。子供の頃からの夢、叶えてる。目標に向かって、一生懸命に頑張ってる。二人とも、すごいんだよ、ホントに・・・。」
彷徨は黙って聞いていたが、ふと、未夢のカップを持つ手が震えていることに気付いた。
「私のことも、ちゃんと考えてくれてる。好きで居てくれてるんだよ・・・・。でも・・・でもね・・・・。」
未夢の声が、押し殺すような声に変わっていく。
彷徨は彼女の顔を覗き込んで、驚く。
未夢は、泣いていた。
あの戦いの中でも、望との会話の中でも、常にしゃんと背筋を伸ばして、あんなに堂々としていた未夢が、今は大粒の涙を零して泣いていた。
零れた涙が、頬を伝って落ちる。
「やっぱり・・・考えちゃうんだ・・・。私、邪魔なんじゃないかって・・・パパも・・・ママも・・・私の事・・・どうでもいいんじゃないかって・・・・。」
「何言って・・・。」
未夢の小さな肩が震える。
もう、自分でも何を言っているのかわからない。
「ロアに来たときもそうだった・・・。あの時も、泣いてばっかりで・・・・でも、みんなが優しくしてくれて・・・だから、今日までやって来れたのに・・・・なのに、みんな・・・みんな・・・・。」
一度溢れた涙は、もう止まらない。
募る悲しみに流される様に、未夢は言葉を吐き出す。
「何で・・・こんなことになっちゃったの・・・?やっと、帰る家が・・・・出来たのに・・・どうして・・・・。」
泣き続ける未夢を見て、彷徨は愕然とした。
戦いがこの少女から奪ったものの、本当の重さに。
親と離れて、それでもがんばっていたこの少女の、やっと掴んだ居場所が一瞬で踏みにじられた。
友達も、住む家も、みんな無くして。
けれど、そんな中でも弱音を吐かずに、がんばり抜いたのだ。
こんな風に泣きたい時が、何度もあったろうに。
彷徨はそっと、未夢の肩に手を置いた。
華奢で、ちょっとでも力を込めたら、壊れてしまいそうな、小さな肩。
こんな苦しみを背負うには、まだ早すぎる。
どうすればいい?
こんな時、どうしてやればいい?
必死で考えて、だけど実際に出た行動は、戸惑うように未夢の肩の手に、力を込めただけだった。
「・・・・!!」
不意に、未夢が抱きついてきた。
彷徨の胸を掴んで、涙を流し続けている。
「ふえ・・・ひっく・・・う・・・・。」
嗚咽がテントの中に響く。
そっと、未夢の背中に手を回す。
背中を撫ぜながら、彷徨は天を仰いだ。
未夢は、彼の胸の中で泣きじゃくった。
彼の手が背中に回された瞬間、こらえていた涙まで溢れ出す。
ずっと我慢してきた悲しみが、溢れ出して留まらない
夜の闇と静寂の中で、二つの影が重なる。
テントの中に、少女の小さな嗚咽だけが、静かに響いていた。
「ごめんね・・・。」
どれくらい時間が経っただろう。
泣き続けていた未夢の声が小さくなって、ついには聞こえなくなって。
不審に思った彷徨の胸からそっと顔を上げて、未夢は言った。
「別に・・・もう、いいのか?」
「うん・・・ありがと。」
小さな声で礼を言う未夢。
緑色の目は、まだ光る物が残っている。
彷徨はゆっくりと首を振った。
「礼なんていい。お前の村を焼いたのは俺達だ。何を言われても、何をされても、文句は言えない。礼なんて言うこと無い。ましてや、謝るなんて・・・。」
「そんなこと無いっ!!」
彷徨の自嘲気味の言葉を遮って未夢が上げた声に、彷徨はびっくりして彼女を見た。
「どうして、そんなこと言うの?あの人達と、貴方とは違うよ!貴方は私を、助けてくれたじゃない!そんな事言わないで、絶対に!!」
「あ、ああ。」
彷徨はたじろぎながらも頷く。
未夢はゴシゴシと目を擦る。
涙の跡は完全には消えていなかったが、とにかくそれなりには元気になってくれたようだ。
「悪かったな。」
「もう!謝らないでって・・・。」
「違うよ。そうじゃない。村のことじゃなくて・・・その・・・さっきの・・・。」
「え・・・あ!」
未夢も彼が何を言いたいかに気付いて真っ赤になった。
さっき、未夢の着替えを見てしまったことを言っているのだ。
「わざとじゃ、ねーからな・・・。」
「う、うん、いいよ。私こそ、ちょっと騒ぎ過ぎちゃって・・・。」
お互いに見つめあって。
どちらからとも無く笑い出す。
「ふふっ、何か変だね。二人で謝ってばっかり。」
「ああ。もう、これでホントに、謝るのは最後な。」
「うん!」
ニッコリ笑って頷く未夢に、一瞬見惚れて。
「どうしたの?」
「い、いや・・・。」
言える訳が無い。
初めて見た未夢の笑顔に、見とれてしまってたなんて。
「ね、彷徨様・・・。」
「様なんて付けるな。彷徨でいい。」
「・・・いいの?」
「ああ。っていうより、そっちの方がありがたい。」
彷徨は憮然として言った。
いや、別に様付けで呼ばれたからと言って支障があるわけでは無いが、何となく落ち着かない。
もともと自分は身分云々があまり好きではないのだ。
「うん、わかった。じゃあ、彷徨!」
「何だ?未夢。」
初めて呼び合う、互いの名前。
ややぎこちないながらも、口に出す。
「ん・・・何でもない。ちょっと、呼んでみたかっただけ!」
「変なヤツ。」
「何よ。」
ぶうっと膨れる未夢を苦笑で流して、彷徨は立ち上がった。
「さて・・・と。もう遅いし、そろそろ寝るか。」
出口に歩き始めた彷徨に、未夢は慌てて呼びかけた。
「え、ち、ちょっと待ってよ!彷徨、外で寝る気?」
「ああ。他に空いてるテントも無いみたいだしな。」
「何言ってんのよ!風邪ひいちゃうじゃない!」
「しょうがないだろ?」
「しょうがなくない!なら、私が出てく!」
「バカ言うな。女を外で寝かして男がぬくぬくと中で寝れるかよ!」
未夢はむっとして立ち上がった。
彷徨も対抗するように睨む。
「バカとは何よ!ここ、貴方のテントでしょ!」
「うるさいな!俺が出てけば問題ないだろ!!」
睨み合いながら、またしても言い合いを繰り返す二人。
結局それは、隣のテントから「うるさいぞ、寝られないじゃないか!」という苦情が来るまで、延々数十分にわたって繰り広げられたのであった。
「何だかなあ・・・。」
彷徨は呟いて、布で仕切られた自分のテント内を見渡した。
その向こうには未夢が居る。
あの後、お互いが外で寝ると言って譲らず、結局こうして布でお互いの間を仕切ることで妥協した二人。
この薄い布が果たしてどれくらい仕切りの役目を果たせるのかは大いに理解に苦しむ所だが、とりあえずはこれで我慢するしかない。
要は今夜一晩だけ、彷徨の理性を持たせてくれれば良いのだ。
彷徨は横になると、毛布を被った。
隣でも、未夢が同じことをしているはずだ。
「ねえ、彷徨・・・・聞いていい?」
「何だ?」
布越しに聞こえてきた声に、彷徨は目を開けて答える。
「この軍、聖地に行くんだよね。」
「ああ。そのための軍だからな。」
「彷徨は・・・何で参加したの?この十字軍。」
ストレートな問いに、一瞬沈黙する。
「聖地に・・・行きたかったからさ。」
「やっぱり、奪い返したいって思ってる?」
「そんなこと無い。」
先ほどとは打って変わって、彷徨はきっぱりと言った。
確かに、十字軍に参加している者、特に騎士を初めとする貴族層の中には、そんな動機で志願してきた者も数多く居る。
イリス教徒が我らの誇り、神の舞い降りる地、聖地ヴェルディアを汚した。
奪い返せ、そんな目標を掲げて。
だが、それはクルゼア教徒側の理屈でしかない。
ヴェルディアは、西と東の間に挟まれるような位置にあり、クルゼアの聖地であると同時にイリスの聖地でもあるのだ。
どちらが正しいのか、それは彷徨にもわからない。
けれど、一方的に奴等が奪った、と決め付けることは出来ない。
少なくとも彷徨には、そんな思いがあった。
「じゃあ、どうして?」
「それは・・・。」
彷徨は答えられなかった。
答えが無いわけじゃない。
母が言っていたあの言葉がある。
「異教徒だからって、嫌う理由にはならない」
あの言葉に引かれてここまで来た。
けれど、それだけではない。
こうして、未夢と出会って、実感した。
東方の民のことを知っても、まだ聖地に行きたいと思っている自分が居る。
何かあるのだ。
もっと心の深い部分にある、自分の本当の理由が。
黙ってしまった彷徨に、未夢は心の中で呼びかけた。
(何で、黙っちゃったの?彷徨・・・。)
私、何か悪いこと聞いちゃった?
それとも、私には話せないのかな。
やっぱり、異教徒だから。
いくら彷徨が、面倒見が良くても。
会ったばかりの私に、こんな辺境の異教徒に、そんな大事なこと、話せないのかな。
何だか、悲しかった。
「なんか、余計なこと聞いちゃったね・・・。もう、寝よっか・・・。」
未夢はそう言うと、彷徨の側に背を向けて、毛布を被る。
ビュオオオオッ
外を吹き行く風に、甲高い音がテントを揺らす。
相当、風が強くなってきているようだ。
「これから、どうしようかな・・・・。」
未夢の呟く声が、風の音に混じって聞こえてくる。
「帰る家が、また無くなっちゃったな・・・。」
「見つければいい。」
「・・・!」
しっかり言った彷徨の答え。
未夢が息を呑む気配が伝わる。
「見つければいい、お前の帰る家。きっと見つかる。大丈夫だ。」
彷徨は言葉を切った。
顔が無意識の内に火照ってくる。
「・・・うん、ありがと。おやすみ、彷徨。」
「おやすみ、未夢。」
言ってからしばらく経って、もう未夢の寝息。
よっぽど疲れてたんだな。
そう思う彷徨の頭も、今にも眠りに落ちそうだ。
ふと、出発前のクリスの問いが頭に浮かんだ。
『東方の異教徒のこと、わたくしよく知りませんけれど・・・本当に、野蛮で恐ろしい人たちですの?』
(・・・普通の子だったよ。)
心の中で答える。
普通に泣いて、普通に笑って、普通に怒る。
今の自分を、精一杯生きている。
一生懸命で優しい、普通の女の子だったよ、未夢は。
隣に居るはずの未夢の寝息を感じつつ。
彷徨は、まどろみの中へと、身を任せた――――。
見張りで起きている兵士たちを除いて、皆がほとんど寝静まった頃。
望はテントを抜け出して、陣の外れの方まで来ていた。
ここまで来ると、兵士の姿も見えない。
東方特有の暖気と砂を含んだ風が望の横を吹きすぎてゆく。
クエッという鳴き声に望は上を見た。
今までと違う空気に興奮しているのか、オカメちゃんは夢中で空を飛び回っている。
何となく、それをぼんやりと見つめる。
不意に、突風が吹いた。
オカメちゃんの小さな体は、たまらず流されてしまう。
「ピ、ピイイイッ!!」
「あ・・・!!」
慌てて追いかけようとする望だが、間に合わない。
白い小さな体が、地面に叩きつけられようとした時。
「あぶねっ!!」
「!?」
いつの間にかやって来ていた人影が、間一髪のところで手を差し伸べる。
三太だ。
見事キャッチに成功した彼は、ふうっと息を吐いてから呆れたような目で望を見る。
「何やってんだよ。ちゃんと見とけよな!この辺の風、急に強くなったり弱くなったり、危ねーんだから。」
「すまない・・・。」
いつに無く素直に望が頷く。
三太はそれに首を傾げながらも、歩み寄ってきてオカメちゃんを手渡した。
怪我は無いようだ。
「大丈夫かい?」
「ピイッ。」
「大丈夫だ」とでも言うように鳴きながらも、さすがにビックリしたらしい。
望の手の中に入り込んで、出てこようとしない。
指先で、そっと撫でてやると、クエッと気持ちよさそうに鳴いた。
「どうしたんだい、三太君?」
「そりゃこっちの台詞だって。何やってんだよ。明日も早いから早く寝ろって言ってたの、お前だろ?」
別れ際の望の台詞を持ち出して、三太が指摘する。
望は、目の前に広がる砂の台地に目を移して言った。
「ちょっと、考えたいことがあってね。」
「ふうん・・・。」
三太は望の横に立った。
そのまま並んで、夜の荒野を見つめる。
しばらくの間、沈黙が流れた。
「・・・女の子に、夢を与える。」
「ん?」
ポツリと漏らした望の言葉に、三太は聞き返した。
望は相変わらず前を向いたままだ。
「父上が、口癖のようにいつも言っていたんだ。『国王は国民に夢を与えるもの。男は女に夢を与えるもの』ってね。小さい頃から、よく言われたものさ・・・。」
「お前の親父さんって・・・ウィルランドの王様か?」
望は頷いた。
「父上は、まさにその言葉を具現化させたような人なんだ。『与える』って言っても、決して相手を見下したりはしない。この人のために頑張ろうという気にさせてくれる。自分にも他人にも厳格で、『王様』なんてのは正にあの人のためにあるような言葉だよ・・・。」
尊敬の口調でそう言って、望は自分の剣を見た。
柄に彫りこんである王家の紋章を、じっと見つめる。
「僕も、小さな時からその言葉を目標にしてきた。この紋章にふさわしい王子になろうと、それだけが目標だった。」
「・・・・。」
三太は黙って聞いている。
望の表情からは、彼の思いを知ることは出来ない。
「実際・・・女の子の方はうまくいってるように思えたよ。舞踏会なんかでも、僕の差し出す薔薇を、喜んで受け取ってくれた。僕の話を、みんな目を輝かせて聞いてくれた。ああ、自分はこれでいいんだ、今、自分はこの子達に夢を与えているんだ、そう思っていたけれど・・・そうじゃなかったみたいだね・・・・。」
三太は驚いた。
彼に似合わない、いつもの自信が欠片も無い表情。
「・・・ルーガスの言ってたこと、気にしてんのか?」
「彼の言っていた言葉は、みんな事実だよ・・・。あの戦いが・・・ラーゼスの会戦が起こった時、僕は何してたと思う?いつも通り、薔薇を育てて、オカメちゃんと遊んで、帰ってきた彼らに、何もしてやらなかった・・・。自分のことしか、見えていなかったのさ・・・。」
望の口調が弱々しくなっているのを察知して、オカメちゃんが心配そうに上を見上げる。
三太は、死に際のルーガスの言葉を思い出した。
「それが、あいつの言ってた『あの時』か・・・。」
「あの時だけじゃない。この軍に加わってからもそうさ。彷徨を小隊長に抜擢した理由だって、私情を思いっきり挟んでいたくせに、偉そうに周りに命令して・・・!」
望がグッと拳を握り締める。
彼の手は、自分への怒りに震えていた。
「こんな僕に、王子の資格なんて、無いのかもしれない・・・。みんなの期待をかけて、戦う軍の指揮官なんて、僕には・・・。」
そう言って、望は黙り込んでしまった。
三太はしばらくじっと彼を見つめていたが、やがてゆっくりと、けれどはっきりした口調で問いかけた。
「なあ、王子様・・・。お前の考えてる、『夢』ってなんだよ?」
「え?」
突然の問いに、望は顔を上げた。
「例えばさ、女の子に夢を与えるって、お前言ってっけど・・・じゃあ、その夢ってどんなのだよ?かっこいい王子様が来て、自分に微笑みかけて、お喋りしてくれて・・・お前、女の子の夢がみんなそうだって思ってないか?」
「違う・・・のかい?」
望の呆然とした言葉に、三太はため息をつく。
「まあ確かに、そういうのに感じる『夢』ってのもあるだろうけどさ。何か・・・違う気がするんだよな。」
「じゃあ、どういうのが『夢』なんだい?」
望の素朴な疑問に、三太は首を捻りながら答える。
「う〜〜ん、俺も女の子のこと、そんなに詳しいわけじゃないから、はっきりとは言えないけど。たださ・・・『夢』っていうのって、お前が思ってるほど通り一辺倒なもんじゃ無いと思うぜ?人によって、『夢』なんて違うもんだろ?」
「・・・!!」
望は、衝撃を受けて立ち尽くしていた。
同じじゃ無い。
人によって、夢が違う。
その言葉が、頭の中で繰り返される。
三太はなおも続ける。
「そりゃ確かに、お前はすごいよ。剣は彷徨にだって負けてないし、頭もいい。ルックスなんて、世界の男の中でも結構いいセン行くんじゃないかってレベルだし。お前がニッコリ微笑んで、薔薇渡しゃあ、女の子はポーッとなって幸せな気分になるかもしれないけど・・・それと『夢』ってのがイコールじゃない場合だってあるだろ?そう言うの、考えたことあるか?俺の知り合いに一人、貴族のお姫様がいるけど・・・その子に同じことしたって、たぶん夢なんて感じないぜ?それだけじゃ、な。」
三太は上を見上げて、夜空にはためく旗を見上げた。
十字をかたどった、クルゼア教の、そして十字軍の旗。
「女の子だけじゃない。この十字軍だってそうだろ?西と東の、違う夢を持ってる奴らがぶつかって、戦って、それで聖地を奪い合って・・・だから俺たち、ここに居るんじゃねーか。みんながみんな、同じ夢を持ってんなら、最初からこんな十字軍なんて、要らないと思うぜ?」
言い終わって望の表情を見た三太は、照れくさそうに頭を掻いた。
「何か、偉そうなこと言っちまったけど・・・お前に足りないもんっつったら、それくらいしか思い浮かばなかったからさ・・・。」
「三太君・・・。」
「ん?何だよ?」
「君は・・・。」
言いながら歩み寄ってきて、望は三太の肩に手を置いた。
「な、何だよ?」
「君は・・・。」
「?」
「熱でもあるのかい!?」
真剣そのものの表情で言った望の言葉に、三太はズルッとこけた。
「お前なあ・・・。」
「いや、だって・・・君がそんな立派なことを言うなんて、熱があるとしか考えられない!」
「だぁ〜もう〜!珍しく心配してやったらこれかよ〜〜!」
言いながらも、三太は内心ほっとしていた。
こんな軽口が、また出てくるようになったことに。
「そんだけ元気なら、もう大丈夫だな。じゃ、俺は先に休むぜ〜〜!」
「三太君!」
「何だ?」
去ろうとした三太を呼び止めた望は、しばらく躊躇った後、そっぽを向いて言った。
「ありがとう。」
「おお?本日二度目か?ここまで来ると、新記録だな〜〜!!」
「日記にでも書いておくんだね。『今日、王子に2度礼を言われた』って。」
「そうさせてもらうぜ!じゃな!!」
手を振って戻って行った三太の後姿を見送って、望は呟いた。
「それぞれの夢・・・か。」
ふと、オカメちゃんがもがいていることに気付く。
飛びたがっている。
そう察した望は、両手を夜空に広げた。
バッと羽ばたいて、オカメちゃんは嬉しそうに飛び回る。
「君の夢は、なんだい?」
翼を広げた友達に、望はそっと、問いかけた。
テントの隙間から、光が差し込む
そしてそれは、彷徨の顔を、静かに照らして。
「ん・・・・。」
ゆっくりと目を開けて、眩しさに目を細めた。
(朝・・・か。)
ゆっくりと体を起こす。
不思議と、疲れは残っていなかった。
昨日、あんなことがあったというのに。
あんな事。
それを思い浮かべた時、頭に一人の少女の顔が浮かぶ。
(あいつは・・・どうしたかな。)
とりあえず、声をかけようとした彷徨は、何かがおかしいことに気付いた。
人の気配が無い。
まだ未夢が寝ているのなら、昨日のように寝息が聞こえてくるか、せめて気配くらいはあるはずなのに。
「未夢?起きてるか?」
呼びかけても、返事は無い。
彷徨はしばらく躊躇っていたが、意を決して布を少しだけ持ち上げる。
「未夢・・・!?」
彷徨は思わず立ち上がった。
未夢の姿が無い。
毛布は綺麗に畳まれて、隅っこに置いてある。
(あいつ、まさか・・・!)
出て行ったのか?俺に何も言わず?
やっぱり、こんな軍隊の中に居るのが嫌になって。
俺が寝ている間に、どこかへ行った?
「っ・・・!」
彷徨は服を引っ掴むと、素早く着替えていく。
本来なら鎧も着けるべきなのだが、あいにくと今の彷徨の頭からはすっ飛んでいる。
着替え終わると、彷徨はすぐに飛び出した。
周りはもう、ほとんど起き出して朝食の準備を始めている。
いきなり飛び出して来た少年に、皆は一様に驚きの表情を浮かべているが、彷徨は構っていられなかった。
未夢の姿は、どこにも無い。
彷徨が、周りに「女の子を見なかったか」と聞こうとしたとき、
「わあ〜、綺麗・・・薔薇って、一つ一つ違うんだね!」
「そうだろう?この色は、長い間かけて、やっと花を咲かせる種でね。この微妙な色合いが何とも言え無いのさ!」
「奥が深いんだねえ〜。」
「うわっ、何か変な虫が居たぞ!っていうか何で俺のとこにだけ来るんだよ!」
「日頃の行いじゃないのかい〜?」
奥の方から楽しそうな声が聞こえてきて、彷徨はそちらへ足を向ける。
一人は望。
もう一人は三太だろう。
そして、もう一人は・・・
「でも、ホントに綺麗・・・?・・・・あっ、彷徨!」
一番奥、望のテントの側で、未夢と望が談笑していた。
未夢の金色の髪が、朝日を反射してキラキラと光っている。
その風景に、一瞬見惚れて、ボーッと立ち尽くす。
「おはよ、彷徨!」
未夢の声で、彷徨ははっと我に帰る。
居なくなったんじゃなかった。
安心すると同時に、置いてけぼりを食ったようで、何だか気に食わなくて。
ことさらムッとした顔で歩み寄る。
「やあ、おはよう。彷徨君。」
「オッス、彷徨!」
「ああ・・・。」
微笑んでくる三太と望に膨れっ面のままで返す。
ふと、未夢の手に薔薇が一輪握られているのが目に入る。
「あ・・・これ?いいでしょ〜、さっき望君がくれたんだよ!」
嬉しそうに言う未夢に、ますます憮然とした表情になる彷徨。
不思議そうな顔の未夢と、面白そうな表情の二人の視線。
(ん?望・・・「君」?)
「お前、何で名前で呼んでるんだ?こいつの事。」
「えっ・・・何でって・・・二人とも名前で呼んでくれっていうから、そうしてるんだけど・・・・何かまずい?」
「別に・・・。」
プイッとそっぽを向いた彷徨と、首を傾げる未夢の間に、二人が割って入った。
「まあまあ、今はとりあえず、置いとこうぜ。それより・・・。」
「そうそう、そうだった。彷徨君、彼女から僕らに、重大発表があるそうだよ。」
「?」
彷徨は未夢に視線を戻した。
「重大発表?」
「あ、うん!そうなの!」
頷いた未夢は、ゆっくりと息を吸い込んだ。
「あのね。夕べ一晩、色々考えたんだ。これからどうしようかって。ホントにホントに、たくさん考えて、それで私、決めたの。」
聞き入る3人の前で、未夢はいったん言葉を切った。
そして、緊張を抑えるように、胸に手を当てて、はっきりと言葉を紡ぐ。
「私、一緒に行く!彷徨やみんなと一緒に、聖地に行くよ!」
3人は一瞬、何を言われたのか分からなかった。
望も三太も、そして彷徨も、あんぐりと口を空けて、呆然としている。
「本気・・・かい?」
「うん。もう、決めたから。」
一番早く立ち直った望の問いに、未夢は力強く頷く。
「何言ってんだ!」
彷徨は立ち上がって叫んだ。
「お前、分かってるのか?この軍は、戦いに行くんだぞ!ここに居るってことは、戦争に巻き込まれるってことなんだぞ!」
「もう十分、巻き込まれてるよ。どこに行ったって、それは変わらないでしょ?そもそも、私がここに居る時点で、もう無関係じゃないんだし。」
「確かにそうだよな・・・。」
三太は頷いているが、彷徨はまだ納得できなかった。
「けど・・・。」
「彷徨。」
未夢は手を突き出して、彷徨を押しとどめた。
それから、ゆっくりと言葉を捜しながら言う。
「昨日、彷徨言ってたよね。私の居場所、見つければいいって。そうなんだよ。私今まで、自分で見つけようとしてなかったんだよね・・・。ロアに来たのだって、パパとママに流されてて、『見つけた』んじゃ無くて、『そこにあった』だけ。それじゃダメなんだよ。自分の居場所、自分で探さなきゃいけないの。うまく言えないけど・・・聖地に行けば、それが見つかるかどうか、分からないけど・・・でも、何かが見つかると思う!私、それを見つけたい!」
一生懸命に訴えてくる未夢を、彷徨は驚いて見つめた。
胸を張って、背筋をしゃんと伸ばして。
昨日小さな肩を震わせて、泣いていた少女と同じとは思えない。
全く、コロコロとよく変わる。
本当に、見ていて飽きない。
(・・・そうか・・!)
彷徨はやっとわかった。
自分が、聖地を追い求めたわけ。
母のあの言葉に、あれほど惹かれた理由。
何のことは無い。
自分も同じだったのだ。
貴族として生まれて、騎士を目指して、一方通行だった自分の、新しい居場所を見つけたかったのだ。
聖地を目指すことで、自分の世界が広がると信じて。
(やっと気付くなんて・・・まだまだだよな、俺も。)
目の前の未夢と、三太と、望を、交互に見つめる。
俺一人じゃ、無理かもしれない。
けれど、こいつらと一緒なら、きっと・・・!
そう思うと、自然と彷徨の口から言葉がこぼれる。
「・・・・わかった。・・・好きにしろよ。」
素っ気無い、小さな言葉。
けれど、その言葉を聞いた瞬間、未夢は満面の笑顔を浮かべた。
「うん!ありがと、彷徨!」
嬉しそうに頷く未夢を見て、ほっとしている自分に気付く。
こいつと一緒に、旅ができる。
おれは、嬉しいのか?
どうして?
答えなんてすぐには出ない。
けれど、それでもよかった。
少しずつ、この気持ちも確かめていけばいい。
これからは、このメンバーで旅をするのだから。
「よし!なら、決まりだね。よろしく頼むよ、未夢ちゃん!」
「おお、王子様も行くのか?てっきり、もう嫌だとか言い出すと思ってたけどな〜。」
「王子はよしてくれ。望でいいよ。」
三太の茶化すような言葉にも、もう望は動じない。
苦笑して、答えを返す。
「君が言ってた事、正しいと思うよ。みんな、それぞれの夢を、心の中に持っている。自分だけの『譲れぬもの』をね。だから、夢を与えるって言うことも、人の数だけ答えがあるんだ。」
望は肩に乗ったオカメちゃんを見ながら言う。
そこにはもう、自分に溺れた御曹司の姿は無かった。
「僕は王子だ。ならば、より多くの人の夢を、知る義務がある。そうして初めて、人々に夢を与えることが出来ると思う。そのために、聖地へ行く!」
「そっか。」
三太は満足気に頷いた。
やっぱり、望はこうやって毅然としているのが似合う。
「そう言う君はどうなんだい、三太君?昨日の戦いではヒイヒイ言って、死にそうになっていたけれど?」
さっきのお返しか、意地悪く言う望に、三太はバツが悪そうに答えた。
「・・・・正直俺も、何度もこんなの嫌だって思いかけたけどさ。ここまで来て止めるのも、逃げ出すみたいで嫌だし・・・付き合うぜ、最後まで!」
彷徨と望も、力強く頷き返す。
「あ〜〜、いいないいな、男の友情!」
未夢のうらやましげな声。
3人の顔に笑みが浮かぶ。
「ね、彷徨は?」
未夢が聞いてくる。
見ると、三太と望もこちらを見ていて。
俺は、どうするかって?
そんなの聞くまでも無いだろ?
俺は・・・
「行くよ。」
3人の視線を真っ直ぐ受け止めて。
はっきりと言葉にする。
不器用で、無愛想な彼の、精一杯の言葉。
「俺も行くよ。お前らと一緒に、な。」
「なら、答えは一つだ。」
言って望は、腰から剣を鞘ごと引き抜いた。
それを、柄の部分を上にして、3人の前に掲げる。
「共に行こう・・・・・!聖地へ!!」
掲げられた柄に、三太がニッと笑って手を置く。
望がその上に、力強く手を重ねる。
未夢がそっと、小さな手をその上に被せて。
最後に彷徨が、ぎこちなく、けれどしっかりと、片手を乗せる。
4人の手がしっかりと重なって。
太陽が明るくそれを照らし出す。
東方で巡り会った、異教の少女と共に。
少年達と十字軍は、東へと進む。
その先に待つ、聖地ヴェルディアを目指して。
本当の「仲間」との旅が、始まったのだ―――――。
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