parallel story〜crusades〜 作:OPEN
   中編ー2 ← →

「やってくれるじゃねえか・・・。」

聞こえてきた声に、彷徨は鋭い視線をそちらに送る。
壁にもたれかかっている男の顔には覚えがあった。

(こいつ・・・・あの時の・・・!!)

そう、十字軍に加わったあの日。
彷徨に視線を投げかけてきたあの男だ。

相手も、彷徨を覚えていたらしい。
少し驚いた顔をして、もたれかかっていた壁から背中を離す。

「ほお、どこかで見たと思ったら・・・。いつかの坊やかい。」

彷徨は少女を背中に庇うようにして、男と対峙する。
それに対して相手の男は、無造作に片手で戦斧を持って突っ立っている。

「どうしたよ、んな怖ええ顔して。お前も仲間に入りたいってか?」

バカにしたような笑みを浮かべる相手の男。
彷徨は静かに口を開いた。

「・・・・けるな。」
「ん?」
「ふざけるな、と言ったんだ!!」

静かだが、冷たく鋭い声が空気を震わせる。
並の男なら、竦み上がって腰が抜けてもおかしくない一喝だ。
だが、相手は並みの男ではない。

いくつもの修羅場をくぐり、人を斬って来た傭兵なのだ。
さすがに、驚きに少し目を見開きはしたものの、それで大人しくなるほど甘くは無い。

「ガキの剣術ゴッコに付き合っているほど暇じゃねえんだ。とっとと消えな。」

彷徨はフンッと鼻で笑う。

「笑わせるなよ・・・。消えるのは・・・・。」

剣を振りかざして、男に切っ先を向ける。

「お前だ!!」
「上等だ・・・。」

彷徨の気迫か、腕前か、あるいはその両方を認めたのか。
男も斧を両手で持って構える。

彷徨はちらりと背後を振り返った。
先ほどの少女は、目の前の状況が理解できずに戸惑っているようだった。
それはそうだろう。
いきなり襲われたと思ったら、今度は目の前で決闘。
しかも睨み合っているのは同じ西方人で、そのうち一人が自分と歳の変わらない少年なのだから。

事情を話してやるべきなんだろうけどな。
彷徨はそう思ったが、この状況ではそうもいかない。
さっき話していた時でさえ、この男は隙を全く見せていなかった。

見かけよりも、厄介な相手であることは間違いない。
彷徨は剣を握りなおした。
これは、長期戦になるか・・・。
そう思った瞬間。

「あばよっ、坊や!!」
「!?」

叫ぶなり、突進してきた男の斧が、彷徨めがけて振り下ろされた。




戦いは、乱戦の様相を呈していた。
町の至る所で、剣戟の音が響き、味方の位置すらまともに把握できない。
そんな状況を、第10小隊隊長ルーガスは、歯噛みしながら見つめていた。

「おのれ・・・こんなはずでは・・・・。」

二日前、兵士の一人が計画を盗み聞きしたことをきっかけに発案した、彼の計画は順調のはずだった。
夜の闇に紛れて陣を抜け出し、この村を襲撃する。
金目の物、価値のありそうな物をあらかた略奪した後には、速やかに村を離れ、どこかに潜伏し、ほとぼりが冷めるまで待つ。
それらを資金にして兵士を雇い、傭兵団を形成。
後は、西にしろ東にしろ、勝利を掴みそうな方に取り入ればいい。

実際、村を襲ったところまでは上手くいっていた。
前情報の通り、大した兵力は配置されていなかったし、例え追っ手が来たとしても、この状況では大兵力を動かすわけにはいくまい。
相手がろくに実戦を経験したことも無い小僧ども数百人なら、傭兵が中心の自分の隊の敵ではない。
そう考えていたのだ。

それが今は、完全に思惑が外れていた。
十字軍の騎士、特に第3小隊は、初めてとは思えない動きを見せ、こちらを確実に追い込んでいる。
彼には二つの誤算があった。
一つは、傭兵部隊であったために、統率力という点で明らかに騎士団に劣っていたこと。
もう一つは、どうせ騎士達は一対一にこだわって、集団戦など仕掛けないだろうと決め付けていたことだ。

誰かいるのだ。
理想ばかりが先走りがちな騎士達に、生き残る術を教えた人間が。

それが誰なのか、彼には興味なかった。
彼の頭を占めているのは、この先どうするのか、その一点だった。

(こうなったら・・・もうこんな所には居られん!)

あの王子は裏切った自分を許さないだろう。
ならばもう軍には戻れない。
どこかに身を隠し、再びチャンスが巡って来るのを待つ。
それが今考えつく、最良の方法だった。

決断すると、彼の行動は素早い。
自分の馬を探すべく、身を翻そうとした彼の耳に、女の声が飛び込んできた。

「綾!何やってんの!?早くしないと・・・。」
「でも、まだ未夢ちゃんが・・・。」

二人の少女が何かを言い合っている。
寂しい懐具合が頭をよぎった。
この先のことを思えば、金はあるに越したことは無い。
ルーガスは剣を抜くと、真っ直ぐ少女に斬りかかって行く。

「そんなこと言ったって・・・・!ななみちゃんっ、後ろ!」
「・・・!?」

少女の一人が振り返るが、もう遅い。
(もらった!)
そう確信した瞬間、

ヒュンッ

「なにっ!?」

ほんの少しの差だった。
斬りかかろうとした彼の足元、ほんの数センチの所に、銀色に輝く矢が突き刺さっていたのだ。

「略奪の次は不意打ちかい?」

聞こえてきた声に、思わず振り向く。
何度も聞いたことのある声。

ルーガスの横手に、一人の少年が銀の弓を構えて立っていた。
そして弓を投げ捨てると、状況を把握できない二人に叫ぶ。

「さあ、早く逃げるんだ!」

その言葉にはっと我に帰ると、少女たちは裏に続く道に駆け込んでいく。
二人が無事、逃げたことを確認した彼は剣を抜いて叫ぶ。

「堕ちる所まで堕ちたね・・・ルーガス!君らの悪行、もはや許すわけにはいかない!」
「これはこれは王子、ご機嫌麗しゅう・・・・。」

慇懃無礼に頭を垂れるルーガスに、望の顔が怒りに染まる。

「昨晩までは確かに麗しかったけどね・・・今は怒りでいっぱいだよ!!」
「それは残念。どこかお体の具合でも?」
「き、貴っ様あ!!」

普段とはまるで別人のような怒声を上げて突進して来る望を、ルーガスは冷ややかに見つめた。
いくら剣の腕が一流でも、所詮は小僧だ。まだまだ甘い。
先程の事にしてもそうだ。
弓で射抜こうと思えば、いくらでもできたはず。
それを「一騎打ち」という古臭い概念にしがみついて、剣でバカ正直に突っかかっていく。
奇麗事を盲信して、もっと大事なことに気付かない。

(だから貴様にはついて行けんのだ。騎士道かぶれめ!)

望を迎え撃つべく、ルーガスも剣を構えた。




「だからあ!何度いったらわかるんだよ!俺は敵じゃない!君達を助けに来たんだって!」
「嘘!そんな事言ったって、騙されないんだからね!」
「そうよ!あんたのその格好、あの暴れまわってる連中とそっくりじゃない!」
「だ〜、もう!時間が無いってのに〜〜!!」

村の出口までもう一息という場所で、三人の人物が言い争っている。

一方は伝令の役目を終え、村のあちこちを走り回っていた三太。
もう一方は望のおかげでなんとか村の出口まで辿り着いたななみ、綾だった。
村の出口で三太と鉢合わせし、それからずっとこんな押し問答が続いている。

(ったく〜〜!頼むから信じてくれよ〜〜!!)

心の中で愚痴りながら、それは無理な相談であることも認めざるを得なかった。
最大の難点は、彷徨や望と違い、三太が騎士の姿をしていないことにあった。
あちこちを駆け回ったおかげで、服も顔も泥だらけ。
おまけにあまり役に立っていないとはいえ、槍まで持っている。
これでは傭兵と勘違いされてもしょうがない。
しょうがないのだが・・・このまま何時までも埒の明かない言い合いを続けるわけにもいかない。

「よく見てみろよ!俺のこの顔、傭兵なんかに見えるか!?」

半ばヤケクソで言った三太の言葉に、ななみと綾は顔を見合わせる。

「そう言えばそうだね・・・。」
「うん。そんな迫力無いし・・・。」
「どっちかって言うと猫さんみたい?」
「そうそう!目の辺りなんか、特に似てるよね!」

さっきまでの警戒ぶりはどこへやら、二人とも勝手なことを言いながらうんうん頷いている。

(つ、通じたのか?)

あまりにも情けない気がするが、とにかく信じてもらえたようだ。
本来ならガッツポーズを取ってもいいところだが、空しくなりそうなので止めておく。

「分かっただろ!?早くここから・・・。」
「待ってよ!まだ友達が一人、残ってるの!」
「友達?」

聞き返した三太にななみが大きく頷き、綾も勢い込んで口を挟む。

「その子が来るまで、私達逃げたくない!ここで待ってれば、絶対来るはずだから・・・。」
「んな事言ったって・・・。」

三太は悩んだ。
彼女たちの気持ちは痛いほど分かるが、状況はそれを許してくれていない。
第一、彼女たちの言う「その子」が生きているかすらわからないのだ。
だが、二人の真剣な目を見ていると、口に出すのは躊躇われた。

腕を組んで考え込んだ三太は、ふと上を見上げた。
妙な音が聞こえる。ギギッ、ギギッという音・・・。

「危ない!!」
『!?』

二人が立っていた位置のちょうど上にあった屋根が、炎に耐え切れずに崩れ落ちてきたのだ。
三太はとっさに、二人に飛び掛って突き飛ばした。
勢いで三人は地面に転がる。
轟音を響かせ、崩れ落ちる屋根を見て、三太は決心した。

「わかった!その娘、俺が探すよ!」
「えっ?」

信じられない、という顔の二人に三太は必死に訴える。

「もしその子を見つけたら、責任もって避難させるから!だから頼むよ、避難しててくれ!」

三太の言い分を聞いたのか、それとも彼の必死さに負けたのか、ななみはコクンと頷いた。

「・・・わかった。」
「ななみちゃん!?」

綾が抗議の声を上げるのを制して、静かに語りかける。

「綾、この人の言う通りだよ。あたし達がここにいたって何にもできない。邪魔になるだけだよ。」
「そうだけど・・・。」

納得できない様子の綾に、ななみは言い聞かせる。

「大丈夫!未夢は無事だよ。そう信じよう・・・。あたしたちにできるのは、それだけなんだからさ。」
「・・・うん。」

ゆっくりと頷く綾を見て、ななみは三太に向き直る。

「じゃあ、お願いね。」
「私達は無事だって、その子にあったら伝えてね・・・。」
「ああ。で、どんな子なんだ?」
「え〜と・・・。」

首を捻りながら、特徴を挙げようとするななみ。
だが、突然その足元に、飛んできた数本の矢が突き刺さった。

「わわっ!」
「やべえ、もう来やがった!」

三太は、投げ出してあった槍を掴むと、二人に叫ぶ。

「逃げてくれ!早く!」
「で、でも・・・。」
「いいから!」

強い口調の三太に押されるように、二人はその場を離れる。

「死なないでよ!キミも!」
「また会えたら、私の書くお話に載っけてあげるから!」

という言葉を残して。

(女の子にあんな事言われるなんて、初めてだよな〜。)

などと、顔を緩ませて呟いた途端、また矢が飛んでくる。

「うわっ!」
「見つけたぜ・・・この野郎!」

どこをどう見ても真っ当には見えない男が、弓を持って血走った目でこちらに狙いをつけている。

「うわあああ!」
「待ちやがれ、このガキ!」

(だあ〜〜、一難去ってまた一難かよ!!)

彼には似合わない凝った表現を思い浮かべながら、三太は次々と飛んでくる矢から必死で逃げ続けた。



襲い来る斧を何とか受け流しながら、彷徨は後退を強いられていた。

「ホラホラ、どうした坊や!」
「ぐっ・・・。」

振り下ろされた斧を、両手で持った剣で受け止める。
ガツンという音がして、あまりの衝撃に腕がしびれる。
斧を受けるその度に、一歩、また一歩と後退していく。
かなりまずい展開だ。

(くそっ・・・。)

やりようが無いわけではない。
だが、どんな方法で対抗するにしろ、斧に剣で対抗するためには「動き回る」と言うのが必須条件なのだ。
この状況でそれをやるのは不可能だった。
後ろに少女を庇っているからだ。

金色の髪の少女は、彷徨の後ろで息を殺していた。
怯えが強く伝わってくるが、足がすくんだり、腰が抜けたりしている様子は無い。

(肝っ玉の据わった奴だな・・・。)

心の中で呟く。
有難かった。
もし、動けなくなられでもしたら、それこそ一巻の終わりだ。
もう少し相手が弱ければ、相手の攻撃をかわして突っ込んだり、先に彼女を逃がしたりという手も使えるのだが、あいにくそんな甘い相手ではない。

「頑張るじゃねえか・・・。」

少し感心した様に男が言う。

「けど、もう限界だろ?どうだ?その女置いて、さっさと消えりゃあ見逃してやるぜ?」
「・・・・冗談言うなよ。」

彷徨はもう一度、少女をしっかりと庇いなおした。

「お前みたいな下衆に尻尾振るほど、俺は落ちぶれてないね!」
「下衆?」

男の眉がピクッと上がる。

「金次第でどっちにも転ぶ。無抵抗の人間を虐殺するのも躊躇わない。そんな人間が下衆で無いなら一体何だ!!」
「笑わせんな、このガキィ!!」

瞬間、男の態度が豹変した。
今までとは打って変わった怒りの表情で、彷徨に斬りかかる。

「何が『下衆』だ!偉そうな事ばかり抜かしやがって!なら聞くがな、お坊ちゃん!その『下衆』を雇って戦争やらせてる、てめえら貴族は一体何だってんだよ!ああ!?」
「・・・!」

彷徨の表情に、動揺が走る。

「貴族って奴ぁ、どいつもこいつもそうだ!身分家柄をてめえの力と勘違いして、偉そうに奇麗事を吐きまくる!自分の力で這い上がったこともねえのになあ!」

怒りと共に斧が繰り出される。
彼の、心の叫びをこめて。

「てめえの力でおまんま稼いだことあるか?何から何までてめえでやらなきゃいけねえ暮らしを、したことがあんのか?親の屋敷、親の金、親の力に乗っかってのうのうとしてやがる手前らガキどもに、俺達がとやかく言われる筋合いねえんだよ!!」
「ぐっ!!」

唸りとともに振るわれた斧に、ついに剣を飛ばされてしまう彷徨。
その眼前に、男が威圧するように立つ。

「お別れだぜ、坊や・・・。」

男が斧を構えた。
狭い袋小路、避ける場所は無い。

「安心しろよ。ここまで頑張った根性と、その減らず口に免じて・・・一発で終わらせてやらあ!」

(ここまでか・・・!)

目を伏せそうになった、その時。
ギュッと言う感触が背中に伝わる。
振り向いた彷徨の目に映ったのは、あの少女の姿。
恐怖の色を浮かべて、それでも真っ直ぐに前を見詰めている。

(そうだ・・・。)

彷徨の胸のうちに、さっきと同じ衝動が沸き起こる。
理屈じゃない、何かしよう、そう語りかけてくる。


俺の後ろには、こいつが居るんだ。
こいつを、守らなきゃいけない。
退がれば、こいつが・・・

退がれない!絶対に!

普段の自分なら絶対にしないであろう、心の声に導かれて、彷徨はグッと前を向く。

「くたばんな、小僧!!」

振り下ろされる斧を目前にして。
彷徨は「前」に出た。

「何っ!?」

男の声がチラリと耳を掠める。
彷徨の左肩を鈍い音と激痛が襲った。
鎧の肩の部分がはじけ飛ぶ。

「っおおおおおおおお!!」

懐から短刀を抜き出すと、まっしぐらに男に突っ込む。

「がああああ!!」

絶叫とともに、男が身を屈ませる。

「ぐあ、ああ・・・あ・・小・・・憎・・・。」

血走った目で、それでも最後まで彷徨を睨み付けて。
数秒の間が過ぎた後、男はその場に崩れ落ちる。
一人の男の生きた証を、彷徨の左肩に刻み付けて。
戦斧使いの傭兵は倒れ付していた。


彷徨は、倒れた男をじっと見つめていた。
この少女を守れた。
自分も生きてる。
勝ったのだ、自分は。なのに・・・

なのに全然、安堵の気持ちも、勝利の喜びも湧いてこなかった。
あるのは、底の知れない虚脱感だけ。


この男のやった事は、許されることではない。
それは確かだ。同情の余地など無い。
けれど、と考える。

もし、自分とこの男の境遇が逆だったらどうだろう。
自分がもし、食うのにも困るくらい貧しい家の出だったら?
いや、例え今と変わらぬ家でも、父・宝生が生活の当てを見つけられず、ヴェストヴァイト家が没落していたら?

自分もこうなっていたかもしれない。
金のためには手段を選ばない、どうしようもない男になっていたかもしれない。
それを思うと、彷徨の心は晴れなかった。

ふと、後ろを振り返る。
さすがに緊張の糸が切れたのだろう、座り込んでいる少女に視線を向ける。

この少女には自分はどう思われているのだろう。
この男と同じ風に思われているのだろうか。
それとも、いきなり押し入ってきたこんな連中のことなど、もう考えたくも無いと思っているのだろうか。

そんな事を気にしている自分に苦笑しつつ、声をかけた。

「大丈夫か?」

少女は目を見開いたまま、こちらを見ている。

(無理も無いか・・・。)

たった今、目の前で斬り合いをやっていた現場を見ているのだ。
普通に話せ、と言う方が無理だろう。
さっさと立ち去ろう、そう決めた彷徨は一息に口に出した。

「もう、この辺りには奴らの仲間も居ないはずだ。命令するわけじゃないけど・・・戦いが終わるまでこの辺りでじっとしているのがいいと思う。」

混じりっ気の無い、少女の視線が痛い。
最低限必要なことだけ言うと、逃げるようにして踵を返す。
みんなのところに戻ろう、そう思って。
だが、歩き出そうとした彷徨の左肩に、いきなり激痛が走った。

「ぐっ・・・。」

思わずその場に片膝をつく。

先程の斧。
幸い命には別状無かったが、やはり効いた。
鎧の上からだったし、直撃は外したから、幸い腕は無事だったが、もしかすると骨までイッているかもしれない。

「く・・うっ・・・。」

痛みをこらえて何とか立ち上がろうとする彷徨の耳に、唐突に声が響く。

「動いちゃダメ!」
「?」

怪訝に思って顔を上げると・・・・。
そこには、あの少女がしゃがみこんでいた。
彷徨の目を、まっすぐに見つめてくる、緑色の瞳。
それを見た瞬間、引き寄せられるように見返した自分に、彷徨は気付いていなかった。



未夢は、息を切らせて佇む少年を見つめていた。
戦いが終わった。それは分かる。
けれど、勝者であるはずの彼の目は、あまりにも辛そうで、未夢の胸を締め付けた。
さっきまで勇敢に戦っていた姿とは全然違う。
すごく悲しそうで、寂しそうで。

お礼の一つも言いたいのに、なぜか言葉が出てこない。
そんな自分に悪戦苦闘しているうちに、少年は苦笑いして言った。

「この辺りにはもう奴らの仲間も居ないし、戦いが終わるまでここに居たほうがいいと思う。」

そう言って、クルリと後ろを向く少年。

(あ・・・・・。)

心の中で声を上げる。

(行っちゃう・・・?)
(どこへ・・・?)
(この子の、仲間の所?)
(もう、会えないの?)

色んな思いが、頭の中をぐるぐる回って。

(待って・・・!)

そう、言葉にしかけた瞬間、少年が崩れ落ちる。
肩を抑えて、苦しそうにしている。

「・・うっ・・・くっ・・・。」
「・・・・!」

必死で立ち上がろうとする少年の姿を目にした瞬間、

「動いちゃダメ!!」

言いながら未夢は、少年に駆け寄っていた。






少年―――彷徨は、少女―――未夢を驚いたように見つめた。
自分を怖がっている、そう思っていた彼女が、今、自分のすぐ傍に居る。
それが、とても信じられなかった。

「おい・・・。」
「ダメ!じっとしてなさい!」
「あ、ああ・・・。」

思わず言うとおりにしてしまう。
まるで、母親に手当てしてもらっている子供のように。

(そういえば・・・母さんにこんなことして貰った事、無かったっけな・・・。)

しばらく体の力を抜いて、彼女に任せてみることにした。

未夢は、肩の傷に布を巻きつけようとしている。
止血と、傷口の固定のためだろう。
そんな未夢を見て、彷徨が思ったのは一つ。

(・・・不器用だなぁ・・・。)

手当てしてもらってこんなことを言うのもなんだが、彼女の手つきは余りにもたどたどしくて、危なっかしい。
手当てされる彷徨のほうがハラハラしてしまう。
が、逆らおうという気は、なぜか起きなかった。

「よしっ、できた!」

未夢はふうっと息をつく。
巻き方もいびつで、お世辞にも上手いとは言えない手当てだ。
けれど、気のせいではなく、痛みは確かに和らいでいた。

「サンキュ。」

礼を言ってから彼女に視線を移した。

「ううん、別に・・・。助けてくれたから・・・。」
「・・・・。」

何となく、気まずくて、そのまま二人で黙り込んでしまう。
お互い、どう言えばいいのか分からない。

「あの・・・。」

未夢が口を開きかける。
だが、不意に聞こえてきた声が、二人の注意を奪った。

「うあああ〜〜〜ん、ママァ〜〜〜!!」
「!?」
「この声!」

未夢は辺りを見回した。
さっき聞こえた、子供の泣き声。
戦いに気をとられて、今まで聞こえなくなっていたのだ。

「どうしよう・・・・。」

次第に戦いが沈静化してきたため、さっきに比べればよく聞こえる。
けれど、まだ場所までは分からない。
とにかく、探しに行こう。
そう思って駆け出そうとする未夢。

「待てよ!」
「離してよっ!早くしないと・・・・。」

腕を掴んで止める彷徨を睨み付ける。
が、彷徨は落ち着いて首を振った。

「そっちじゃない。」
「え?」

思わず聞き返す未夢の前で、彷徨は耳に手を当てた。
しばらく耳を済ませて・・・・

「こっちだ!!」
「え・・・あ、ちょっと待ってよ!!」

走り出した彷徨に、未夢も慌ててついていく。
しばらく、道を走り続ける。
次第に、聞こえてくる泣き声が大きくなる。

「・・・居た!!」

崩れ落ちてしまった家の前で、座り込んで泣き叫んでいる男の子。
まだ、5歳か、6歳くらいだろう。

「ふえ〜〜ん、ママ・・・しっかりしてよお〜〜〜!!」

よく見ると、その子だけではない。
崩れた家の木材の、下敷きになってしまっている女性がひとりいたのだ。
男の子の母親らしい。

「キース君!」

少年の名前を知っているらしく、名を呼びながら駆け寄る未夢。
彷徨も走り寄ってしゃがみこんだ。
幸い、男の子には怪我は無い。

「大丈夫!?」
「ふえ、ヒック・・・未夢おねえちゃん・・・・ママが・・・。」

未夢の胸に顔を埋めて泣きじゃくる。
倒れている母親の様子を見た彷徨は、未夢に頷いて見せた。
まだ、生きている。

未夢は板に手をかけると、懸命に上に力を入れる。
だが、家を構成していた木材だ。
少女一人の力でどうにかなる物ではない。
それでも、懸命に持ち上げようとする未夢の、手の中の力が、不意に軽くなった。

ビックリして隣を見ると、彷徨が同じようにしていたに手をかけ、持ち上げようとしている。
一瞬目が合うと、彷徨はなぜかそっぽを向いて言った。

「何してんだよ、持ち上げるんだろ。」
「で、でも、その肩・・・。」
「ボケッとすんな。気合入れろ!」
「・・・うん!!」

頷く未夢にフッと微笑んで、彷徨は渾身の力を手に込めた。
さっきの傷がどんどん痛みを増してくる。
未夢が心配そうな顔をしている。

(頼む!もってくれ、俺の腕!!)

激痛を必死でこらえて、最後の力を振り絞る。
ギギッという音を立てて、板が少し浮いた。



三太は息を切らせながら、次々に飛び来る矢から必死で逃げ回っていた。

「ホラホラ、どうした!モタモタしてると、当てちまうぞ!?」

男は嬉々として、矢を放ちつつ三太を追い詰める。
当てることなど容易いはずなのに、わざと外している。
嬲っているのだ、こちらを。

「くそっ・・・。」

息が続かない。
肺が悲鳴を上げている。
小さい頃から追いかけっこなどで培い、それなりに自信のあった脚力にも限界が来ている。
もちろん、このまま向かっていっても返り討ちにあうのは明らかだ。

「ああっ!?」

三太は足を止めた。
行き止まりになっている。
逃げ回るうちに、いつの間にか袋小路に入り込んでしまっていたのだ。

「行き止まりかよ・・・うわあっ!!」

立ち往生する三太の頬を掠めて、矢が壁に突き刺さった。
体の力が抜け、ヘナヘナと座り込んでしまう。

「もう終わりかい?」

振り向くと、男がニヤニヤしながらこちらを見ている。
その表情には、余裕すら感じられた。
分かっているのだ、もうこちらに逃げる力も残っていないことを。

「まっ、俺も飽きてきたところだしな・・・そろそろ終わりにしてやるよ。」

言って矢を番える男を、壁にもたれて座り込んだ三太はじっと見つめた。
絶望と諦めが、頭を支配していた。
(ちきしょう・・・終わったな、こりゃ・・・。)

三太は思った。

(・・・良くやった方・・・かなあ・・・俺としては・・・。)

そもそも、自分がこんなところに居ること自体、場違いではなかったか。
彷徨や望のような貴族でも、特に戦いに強いわけでも無い。
ただ運だけでここまで生き延びてきた自分。
敵を前にしたら、こんな風に逃げ回るしかできない、みっともない自分。
こんな俺が、エーベンブルクを飛び出して、十字軍なんかに飛び込むなんて、身の程知らずじゃなかったのか。

まあいい。どうせもう・・・

(わりい、彷徨・・・。俺、ここまでみてーだ・・・。)

親友との誓いも、あの娘達との約束も、もう果たせそうに無い。
硬く目を閉じると、飛んでくる矢が自分を貫く、そのときに備える。
相手の矢が、三太の心臓に狙いをつけた、その時。

「うああああん!パパ、ママ、起きてよ!返事してよおおおお!!」
(?・・・何だ?)

突然聞こえた声に、三太は目を開けた。
三太の向かい側、男の後ろからだ。

(子供・・・。)

遠くて顔までは分からないが、子供が泣いていた。
その傍らには、彼を庇うような格好で倒れている、一組の男女の姿。
「死」というものが理解できないのか、それとも認めたくないのか、、動かない両親にとりすがって子供は必死に揺り動かしていた。

(・・・!!)

三太の意識が一気に覚醒する。

幸せであったろう、家族の生活。
これから先にも、ずっと生きていけたはずのあの子の両親の命を奪った。
こいつらが・・・目の前の、こいつらが!!

「うおああああああ!!」

三太は走り出した。
側に投げ出した槍を掴んで。
沸き上がる激情に駆られて、一直線に男に向かっていく。

「バカが・・・。」

男の目に、侮蔑の色が浮かぶ。
一思いに心臓を貫いてやろうと、矢にかけた指を離そうとした瞬間。



風が、吹いた。


「なっ・・・があっ!」

男の目に強烈な痛みが走った後、視界が一気に遮られる。

この季節のロアに吹く、砂嵐をも巻き起こす風。
村の人々が、フード付きマントを被ってやり過ごしていた突風が、男に正面から叩きつけられた。
砂が目に入った程度、放っておいてもすぐに元通りになるくらいのものだ。
だが、男の視界を、数秒ロストさせるには十分だった。

男には向かい風、三太には追い風。
三太には何の影響も無い。
まるでこの村が、三太を後押ししているかのように。
皆の敵をとってくれ、と。

「ぐあっ、ちくしょう!!」

向かってくる三太の気配を察知した男は、慌てて番えていた矢を放つ。
だが、急に視界を遮られ、上体のバランスをもろに崩した状態で放たれた矢は、三太の脇を掠め、はるか後方へと力無く飛んでいく。

「うおりぁあああ!!」

気合とともに突き出された三太の槍が、傭兵の胸板を真正面からぶち抜いていた。




望は、ルーガスとの一騎打ちを、押し気味に進めていた。
銀色の華麗な剣閃が、確実に相手を追い込んでいく。
ルーガスにしても、決して弱いわけではない。
だが、幼い頃から剣に関しても天才である望を相手にするには、荷が勝ちすぎた。
何度目かの鍔迫り合いの後、ルーガスは逃げるように距離をとる。
望はそれを追おうとはせず、静かに言った。

「剣を捨てろ、ルーガス。これ以上は無意味だ。大人しく投降すれば、父上も寛大なご処置をされるだろう。」

ルーガスは小さく鼻を鳴らす。

「愚かな・・・。」
「何?」

望が聞きとがめるのを無視して、ルーガスは再び突っ込んでいく。
押されているのは分かっているはずなのに、どういうつもりだ?
思いながらも、望は剣を構えた。

二人の距離が、剣の間合いまで詰まろうというところで―――
ルーガスは、足元の砂を、望めがけて蹴り上げた。

「うわっ!」

目に痛みを感じて、思わず声を上げる。

「ひ、卑怯な・・・。」
「卑怯?笑わせるな、小僧が!」

ルーガスがここぞとばかりに打ちかかる。
望は何とかそれを受け止めるが、次第に押され始める。
流れが逆転していた。

「信仰だの、理想だの、名誉だの・・・そんなものに何の意味がある!?私に必要なのは、今この世で、自分を強くし、生き残る役に立ってくれる金と物だ!!」

勝ち誇るルーガスの剣を必死で受け流しながら、望は反論した。

「何ということを・・・君には、騎士道が無いのか?弱き者を守ろうという心を、持ち合わせていないのかい!?」

「ならば貴様等は守ってきたか?常に最前線で戦い、命を危険に晒してきた我らに、貴様は何をしてくれた!我らの仲間が戦場で命を散らしていた時、貴様は一体何をしていた!?園芸にうつつを抜かし、貴族の女共とのおしゃべりに興じ、必死の思いで戻ってきた我等には褒賞も与えず、『よくやった』の一言を投げかけたのみではないか!!」

「そ、それは・・・。」

言葉に詰まる望に、ルーガスは一気に剣を叩きつけた。
大きく押されて後ずさりする望。
なおもルーガスは追いすがる。

「貴様が日頃、『女に夢を与える』などと世迷言をほざけるのは、誰のおかげだ!?我らが命がけで戦ってきたからだろう!その我らが、生きるために敵側の人間を皆殺しにしてなぜ悪い!?貴様に非難されるいわれなど無い!断じて無いのだ!!」

「うっ!」

腰を着いた望に、ルーガスは剣を振りかぶった。
目を、怒りで真っ赤に染め上げて。


僕は・・・間違っていたのか?

今までこれが正しいと思ってきた。

理想のため、正義のためにやってきたつもりだったけど。

そんなの全部、僕の勝手な思い込みだったのか?

彼の言うとおり、僕は自分に溺れた身勝手な男でしかないのか?


そんな思いが、望の対応を遅らせた。
相手はもう目前に迫っている。

「あの世へ行け!王子!!」
「・・・!!」

振り下ろされる剣を、望はただ目を見開いて見つめていた。
白刃が今まさに、望の顔面に振り下ろされようとした時。


「やめろおおおお!!」
「何!?」


雄叫びを上げて、誰かがルーガスに踊りかかる。
三太だ。
完全に不意をつかれて、ルーガスは三太もろとも地面に転がる。
必死に相手を押さえつけながら、三太は望に叫ぶ。

「何迷ってんだよ!お前王子だろ!?十字軍の指揮官なんだろ!!」
「三太君・・・。」

呆然と呟く望に、三太は声を張り上げる。


「みんなと一緒に、聖地に行くんだろうがっ!!」
「!!」

望の目が見開かれる。
剣を握る手に、力が戻ってくる。

(そうだ、僕は・・・!)

望は剣を構えて、走り出した。

彼の言う通りかもしれない。
身勝手かもしれない。
思い込みだけの男かもしれない。
だけど、それでも僕は・・・!!


「なめるなっ、小僧め!!」
「うわあっ!!」

怒りの声を上げて、ルーガスは三太を蹴り飛ばす。
目を血走らせて、そのまま剣を彼に振り下ろした。

ガキィンッ

「な、貴様・・・!」

ルーガスの怒りの声。
割って入った望の剣が受け止めたのだ。
望は剣を両手で持ち直すと、力一杯それを上に跳ね上げた。
そして手の中でクルリと剣を半転させると、剣の柄尻でルーガスの顎を打ち上げる。

「ぐっ!」

大きく仰け反るルーガスの胴を、再び持ち替えた望の剣が薙ぐ。

ザンッ

「ぐあああっ!!」

絶叫とともにルーガスが倒れ付す。
それは同時に、この戦いの終焉を意味していた。






「大丈夫かい?」
「いててて・・・全く、今日は最悪だぜ・・・。」

望の差し伸べた手に掴まって三太は起き上がった。

「助かったよ・・・ありがとう。」
「おお?王子様が平民に礼を?こりゃ、明日は台風だな!」
「茶化さないでくれ。君のおかげで、僕は・・・。」
「いいって事!!」

いつも彷徨にしてきたように、バンッと望の肩を叩く。

「うっ・・ぐ・・・・。」

ルーガスの呻き声に、二人は倒れた彼に視線を向けた。

「素晴らしい・・・腕だ・・・。」

息も絶え絶えになりながら、ルーガスが言う。
そこには、侮蔑や嘲笑の色は無い。
自分の主君に対する、純粋な賛美。

「それはどうも・・・。」

硬い表情で言う望に、ルーガスは言い続けた。

「・・・どう・・して・・・それだけの・・・・腕がありながら・・・・あの時・・・来てくださらなかった・・・来てくだされば・・・きっと・・・皆は・・・。」
「・・・・・。」
「あの時?」

三太には何のことだか分からない。
だが、望の表情は明らかに強張っていた。

「どう・・・し・・・て・・・。」

ルーガスの目の光が静かに消えていく。
望は黙って目を閉じると、十字を切った。

「さようなら、ルーガス・・・。」

望は寂しげに呟く。
三太は何も言えなかった。

彼がいつもの言葉「アディオス」を言わなかったこと。
三太にはそれが、望の悲しみを表しているように思えて、ならなかった。




その数十分後、戦いは終わった。
初陣を勝利で飾った十字軍騎士達。

だが、誰の顔にも喜びは無い。

三太にも望にも、彷徨にも、そして全ての騎士達にとっても。

あまりにも苦く悲しい、初陣の勝利だった―――。

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