parallel story〜crusades〜 作:OPEN
  2・中編−1 ← →

運命の女神は気まぐれだ。

突拍子も無いことを、前触れもなく人にもたらす。

平穏な生活が一瞬にして崩れたり。

出会うはずもなかった人に出会ったり。

サイコロの目のように、くるくる変わるこの世界。

だから何が起こるか、誰にも分からない―――。






十字軍が国境を越え、東方へと足を踏み入れて二日目。
いつにないくらい早く、彷徨は目を覚ました。
何かが、おかしい。
素早く身を起こすと、鎧を着込んで外へ出る。

表向きは、いつもと変わらなかった。
天気はいつも通りだし、風景も別に異常は無い。
だが、兵士達の雰囲気が違った。
どことなく、落ち着かない様子で、周りの者と話し込んでいる。
いつもなら、談笑している者さえ居るくらいなのに。

敵襲でもあったか?
一瞬そんな考えが浮かんだが、すぐに思い直す。
周囲に戦いの跡など無いし、第一それならとっくに目が覚めているはずだ。

兵士の一人に事情を聞いてみようか。
そう思ったが、必要なかったようだ。
遠くから走ってくる人影がある。
彷徨にはそれが誰だが、一目で分かった。

「おお〜〜い、彷徨ぁ〜〜〜!!」

「・・・三太?」

彷徨の前まで走ってくると、三太は手を膝について息を切らしている。
よほど急いで走ってきたらしい。

「大丈夫か?」
「ああ、大丈夫・・・ってそれどころじゃないんだ!大変なんだって!」
「落ち着けって。何があったんだよ?」
「とにかく、来てくれよ!」

彷徨の手を引っ張りかねない勢いで、三太は促した。
彷徨は戸惑ったが、とりあえず彼の後をついて行く。
三太が案内したのは奥の方にある、指揮官が軍議を開くためのテントだった。

彷徨が中に入ると、すでに望を初めとして幕僚達が控えていた。
どの騎士も皆一様に難しい顔をしている。
望でさえも、いつもの余裕は欠片も無く、厳しい顔で黙り込んでいた。
遅れてきた彷徨に対する怒り・・・・ではない様だ。

「何があったんだ?」

彷徨は望に尋ねる。
長い沈黙の後、望は苦々しげに言葉を紡いだ。

「・・・・昨夜、一個小隊が行方不明をくらました・・・。」
「何だって!?」

彷徨は驚いて叫んだ。
もし脱走なら、一人か二人、多くて十数人に留まっているはずだ。
一個小隊、約150人がいなくなったと言うのは只事ではない。

「敵にやられたのか!?」
「敵は確認されていない・・・。」
「じゃあ、一体・・・。」
「・・・その事なんだけどな、彷徨・・・。」

三太がためらいがちに口を挟んだ。

「一昨日の夜、これからの予定の話、したよな?ロアって村があるって・・・。あの話、盗み聞きしてた奴らが居たらしいんだよ・・・。見張りの兵士が、そいつらが内緒話してたの、偶然聞いてて・・・。」

彷徨の顔色が変わる。
三太が何を言おうとしているのか、分かったのだ。

「いなくなったのは、どの隊だ!?」
「第10小隊・・・・傭兵出身者が大多数を占める部隊だ・・・。」

答えたのは上座に座る、二十歳くらいの騎士だった。
それを肯定するように、もう一人の騎士も頷いて続ける。

「おそらく、彼らの目的は・・・略奪だろうな・・・。」
「馬鹿を言うなっ!!」

大きな声に、皆が同時にそちらを見る。
望が怒りの表情を浮かべてその騎士を睨み付けていた。

「そんな・・・そんな事があるはず無いだろう!我らは十字軍だぞ!?聖地奪回のために集まった勇者達が、そんな事をするはずが無い!!」
「しかし、王子・・・。」
「黙れっ!!」

望の一喝に、その騎士も黙らざるを得なかった。
なるほど、この重苦しい空気の正体はこれなのだ。
たぶん、朝から今のようなやり取りを何度も繰り返していたのだろう。

彷徨はしばらく腕を組んで考え込んでいたが、やがて一つのことに思い当たった。

「ロアには兵士も少ない・・・。襲われたら、一たまりも無いだろうな・・・。」
「彷徨っ!君までそんな事を言うのかい!?」
「落ちつけよ!!」

つい彷徨の声も荒くなってしまう。
口調も、敬語を使う余裕が無い。

「俺だってそんな事、考えたくねーよ。けど、他に考えられないだろ?もし嘘だって言うなら、あいつらが消えたわけ、どう説明するんだよ!?」
「それは・・・。」

望は悔しそうな顔で黙り込んでしまう。
彷徨だって、そんな事あって欲しくないと思う。
同じ十字軍の仲間が、無関係の民を襲いに行ったなど、想像もしたくない。
だが、現実は違うのだ。

騎士道物語のように、皆が皆正義のために戦っているのなら、確かにそれは理想的だ。
けれど、名誉や信仰では、人は食べていくことも、住む家を持つこともできない。
金のために戦う者も居る。
それは紛れも無い事実だ。
それに・・・

(あいつら、多分その隊だったんだろうな・・・。)

彷徨は、この軍に加わった初日に、自分と目が合ったあの男を思い出した。
人を人とも思わぬ、あの濁った目。
あの傭兵も、おそらく第10小隊に所属していたのだろう。
彼の目はどう控えめに見ても、「正義の勇者」の目ではなかった。

望自身、それは何となく分かっているのだろう。
ただ、認めたくないだけで。

もともと重かった空気が、さらに沈んでいく。
彷徨と望だけではなく、他の騎士たちも、言うべき言葉を見つけられずに黙ったままだ。
隅に控えていた三太が、雰囲気を打開しようと何か言いかけたとき、


「おい、あれ何だ!?」
「煙だ!南の方角から、煙が上がってるんだ!!」


外の見張りが上げた声が響く。
中に居た一同は、一瞬顔を見合わせ、急いで外へ飛び出した。

「あれは・・・。」

騎士の一人が呆然と呟く。
南の方角に、確かに煙が上がっている。
そう近くないが、黒いものが立ち上っているのがはっきりと見えた。

「ロアの方向だ・・・・。」

三太の声を聞くまでも無く、誰もが確信していた。
もう、疑う余地は無い。

「王子っ!!」

彷徨の、彼に似合わないほど切迫した声がとどめだった。
望はギリッと歯を食いしばると、怒りが混じった声を張り上げた。

「騎士団出撃準備!待機中の各小隊に伝令を飛ばせ!!」

朝焼けの中の十字軍本営が、にわかに騒がしくなった。






時を遡ること、数時間前のロア―――

「では、次の質問。未夢ちゃんは、結婚するとしたらどんなタイプが・・・。」
「もう15回目だよ・・・その質問・・・。」
「21回目じゃなかったっけ・・・ふ、ふあああ・・・。」

大きくあくびをしたななみと、眠そうに目を瞬かせる未夢を交互に見て、綾は不思議そうに尋ねた。

「どうしたの?二人とも眠そうだけど・・・。」
「当たり前でしょーが・・・。」

ななみは時計を見た。
時刻は現在、午前4時。
普段ならまだ寝ている時間だし、実際村の人間はほとんどまだ夢の中だ。


未夢がななみの家で暮らすようになって、未夢と一緒に居る時間が増えた。
綾も二人が居ることが確実なここによく立ち寄り、3人でもよく話す。
それはいいのだが・・・・

(よく元気だよね〜、綾・・・。)

何度目かになるかも分からないあくびをかみ殺しながら、ななみは心の中で呟く。
昨日綾が、未夢を訪ねてこの家にやって来た。
なんでも、物語をもっと精巧なものにするために、未夢に聞きたいことがあるのだそうだ。
それから延々、十数時間。
食事や入浴の時間を除けば、ずっとこうして話し続けている。

「未夢ちゃんの、好きな色は?」
「・・・赤、かな・・・。」
「好きな食べ物は?」
「ん〜、カスタード・・・・プリン・・・・。」

今にも寝てしまいそうな感じで、頭がうつらうつらしている。
それでも、質問には律儀に答えようとするのが、未夢らしい。

「じゃあ、次!未夢ちゃんが男の子とデートするなら、どんな所がいいですか?」
「ん〜〜、公園とか・・・。」
「もう、真面目に答えてよ〜!」
「答えてるよ・・・。」

未夢は困ったように言う。
綾はいくつもの質問を未夢にしているが、そのざっと3分の1は恋愛関係だ。
これを聞くために来たのではないかとさえ思えてしまう。

「も〜、未夢ちゃん、普通な答えばっかりじゃない・・・。なんかこう、運命的な出会いを期待するとか、情熱的な恋がいいとか、そういうの無いの?」
「別に、私は・・・。」

未夢は目を擦りながら言う。
実を言うなら、半分冗談で、半分本気だった。
未夢だって女の子だから、かっこいい男の人との出会いに憧れることもある。
だが、その一方で、そんな都合のいい話があるわけ無いという諦めもあるのだ。
言ってみれば、ななみと綾のちょうど中間辺りというところか。

「もう、未夢ちゃん可愛いのに、もったいないよ〜・・。」

綾にしてみれば、村だけでなく、東方全土でも間違いなく美少女と呼ばれていいはずの友人が、恋愛に対してあまりにも平凡なのが不満なのだろう。

ななみは立ち上がって、硬くなってしまった体を伸ばした。
このままで居ても、永遠に終わりそうに無い。
そろそろ止めようか、そう思った時。


カンカンカン、カンカンカン、


聞こえてきた音に、三人はおしゃべりを中断して外を見た。

「・・・警鐘?」

ななみが思わず声を上げる。
ロアに駐留している警備隊が、非常を告げる時に使う鐘の音。
もっとも今までは非常事態といっても、せいぜいが小さな火事くらいなものだったが。

「どうしたんだろ・・・火事でもあったのかな・・・。」

未夢が心配そうに言う。
もし火事ならば、寝ている人が逃げ遅れる可能性もある。
だが、続けてあがった叫び声に、三人の動きが止まった。




「敵だ!!敵襲だああ〜〜!!!」



「日常」が、崩れ落ちた瞬間だった。






「敵・・・襲・・・?」

綾が困惑した声を上げる。
未夢もななみも同様だ。
一瞬、自分達の耳に入った言葉が、事実なのか、それさえも分からなかった。

あまり長く起きていたために、寝惚けているのではないだろうか。

いや、もしかしたら、知らないうちに寝てしまっていて、これは夢なんじゃないだろうか。

そんな思いが三人の頭をよぎる。
だが、続いて上がった叫びは、そんな疑念を吹き飛ばした。

「十字軍だ!!西のヤツらが攻めてきたんだ!!」

未夢は外へ飛び出した。
夢にしてはリアルすぎる。
ななみと綾もそれに続く。

外へ出た未夢は息を呑んだ。
町の入り口の方向から、黒い煙が上がっている。
正面だけではない。
あちこちの入り口から、煙と血の匂い、そして叫び声が上がっている。

「嘘・・・どうして!?」

綾の悲痛な声。

「そんな・・・・。」

未夢も大きく目を見開いて、立ち尽くしている。
悲しみと怒りと、恐怖をその瞳に映して。
今目の前で起きていることを、信じたくないかのように。

だが、それが現実であることは、もう疑いようが無かった。
ななみはバシッと綾の背中を叩く。

「しっかりしてよ、二人とも!!」
「ななみ・・・ちゃん・・・。」

綾は震えながらななみを見る。

「まだ間に合うでしょ!?綾はすぐ自分ちに戻って、家族を避難させて!未夢は他の皆をお願い!あたしは家の連中を叩き起こしたら、すぐ追いかけるから!!」
「う、うん・・。」

まだ震える声で頷いて、綾は駆け出して行き、ななみも家の中に駆け込む。

未夢は走り出した。
走りながら、あちこちに目を配る。
煙の立つ場所が、どんどん多くなっていく。

目を伏せて、未夢は祈るように呟いた。

(みんな・・・無事でいて・・・死なないで!!)

自分の体が、他人のようで。
頭も状況についていけていない。
それでも、必死に走り続ける。


「敵」はもはや、間近に迫っていた。






ロアの北方、数キロ地点。
かなりの速さで、南下していく一団がある。
鎧に身を固め、馬を駆って疾走する男達。
本営から出撃した、十字軍騎士団だった。

数はおよそ500名前後。
一糸乱れず隊列を保ち、走り続けるその姿は頼もしげですらある。
だが・・・・




「三太、大丈夫か?」

彷徨は、後ろに乗っている三太に声を掛けた。

「な、何言ってんだよ・・・大丈夫に・・・決まってるだろ!」

青ざめた顔で、それでもはっきりと叫ぶ。
だが、彷徨の肩にしがみつくその手は、明らかに震えていた。
決して武者震いではないだろう。

三太だけではない。
他の騎士達も、顔色は優れない。
ある者は三太と同じく青い顔で黙り込み、ある者はじっと前を見つめている。

唯一、表情が分からないのが先頭を行く望だが、たぶん同じような表情をしているだろう。

無理も無い。
この軍に加わって初めての戦闘の敵が異教徒ではなく、同胞とも言うべきクルゼア教徒なのだ。
そして、イリス教徒を守るための戦いを、彼らはしなくてはならない。
気が進まないのも当然だろう。

出発したのがおよそ2時間前。
それから、休むことなく駆け続けている。
馬がぶっ倒れないか心配なところだが、仕方が無い。
どの道、村に入ったら馬から降りざるを得ないのだから。

相手は150人。
指揮官のルーガスという騎士を除いて、全員が傭兵、あるいは元傭兵だ。
それに対してこちらは約500人。
彷徨の小隊を含む3個小隊に、望直属の近衛騎士50名ほどが加わっている。
全員を騎士で固めたのは、裏切る可能性の少ない者を選んだため、そして一刻も早く到着するためだった。
本当はもっと連れて来たいところだが、大軍を動かして動揺を招くわけにもいかず、この人数になったのだ。

数の上では3倍以上。
普通に考えればこちらがはるかに有利だ。
だが、そううまくはいかないだろうな、と彷徨は心の中で呟いた。

このメンバーの中に実戦を経験したことのある者はいない。
クルゼア教国とイリス教国が最後に激突したのは、2年前の「ラーゼスの会戦」
にまで遡る。

前年に聖地ヴェルディアを陥落させたグランドール軍を主力とする東方国家軍は、その勢いを駆って一気に西方へ勢力を拡大するべく、国境の西、ラーゼス平原にまで侵入した。
これに対し西側は、望の父である現ウィルランド国王の元、それぞれの国から王族、貴族、騎士達が結集し、西方諸国連合軍としてイリス教国軍を迎え撃った。

彷徨の主君にあたるクレイン公爵が、高齢でありながら獅子奮迅の活躍を見せ、西方にその人ありを知らしめたことで有名なこの戦いで、ウィルランド軍は見事に敵を撃破し、十数年ぶりに東方国家軍に対して勝利を飾り、国中を沸き返らせた。

だが、その損害は決して小さな物ではない。
この戦いで各国の名のある騎士達のほとんどは戦死、もしくは重傷を負っての引退を余儀なくされてしまった。
もちろん、敗北した東側も甚大な被害を受け、それ以来両軍とも大っぴらな行動を起こせず、せいぜいが国境付近で起こる小競り合い程度のものだった。

ウィルランド王国ではその時を境に、新米騎士の訓練や兵力の確保に力を注いできた。
本来、貴族や騎士だけで構成されるべき十字軍に、平民の参加が認められたのにはそんな理由もあったのだ。
従って、指揮官である望を含めて、ここに居る騎士達は本物の戦場を経験したことが無い。

だが、相手は違う。
いくつもの戦場を渡り歩いてきた、百戦錬磨の傭兵達なのだ。
いくら数で勝るとは言え、有利どころか不利とさえ言えるこの状況。

だが、引くわけにはいかない。
何の罪も無い民が虐殺されようとしているのを、黙って見過ごしていいはずが無い。

(そうだよな!母さん、親父!)

脳裏に浮かんだ二人の顔。
それに勇気付けられるように、手綱を持つ手に力がこもる。

「もうすぐだ!」

望の声に前方を見る。
村が視認できる所まで来たのだ。
既に煙があちこちから上がっている。

「・・・・間に合ってくれ!!」

彷徨は前を見据えて叫ぶ。
村の正門を確認すると、騎士団は一気に加速した。




未夢は、村のあちこちを走り回っていた。
一人でも、多くの人を助けたい。
そう、思って。
だが・・・・

(どうして・・・!?・・・どうして、こんな・・・。)

村の中は、もはや地獄と化していた。
あちこちで、斬り合いの音や悲鳴が響き、家々が無残に燃やされていく。


「何だ・・・何があったってんだよおお!」
「助けてくれ・・・助けて・・・!!」
「逃げろ、どこでも良いから早く・・・うわああああ!!」

村の人々の混乱と恐怖も、極限に達していた。
寝ている人が半数以上だったため、逃げるのが遅れたのだろう。
通りには、人々の死体が横たわっている。
もう二度と目を開くことの無い人々。

(綾ちゃん!ななみちゃん!みんな・・・!!)

二人は逃げたのだろうか。
いや、逃げているはずだ。
そうに決まっている。

未夢は無理やり納得させようとした。
そうしないと、耐えられそうに無かった。

見慣れた平和な風景が蹂躙されていく
仲良しだった友達も。
いつも声を掛けてくれた、店のおじさんやおばさん達も。
みんな、追いかけられ、斬り倒されていく。

涙を必死でこらえて、未夢は通りを曲がった。
裏路地に入った所で、倒れている一人の人の姿が目に入る。

「ジェムズさんっ!!」

未夢は駆け寄った。
村の警備隊の兵士の一人だ。
いつもグルーバさんのお店で、一緒にお茶をしてた。
冗談の好きな、陽気な人だった。

「しっかりして!」
「み・・ゆ・・・ちゃん・・・か?」

微かに目を開けて、名前を呼んでくる。
抱き起こした未夢は、思わず息を呑んだ。
肩口から、斜めにバッサリと切り下ろされた傷がある。
青い兵士の制服が、血で真っ赤に染まっていた。

「よ・・かった・・・。無事・・・だったんだ・・・な。ちくしょう・・・あいつら・・・いきなり・・・襲ってきやが・・・ゴホッ!」
「喋っちゃダメ!」

未夢は必死で手当てをする。
もう手遅れだ。
そう分かっていても、せずには居られない。

「もう・・・いいよ。・・・たすからねえ・・・。せめて・・・未夢ちゃんだけは守ってやりたかったけど・・・すまねえ・・・頼りなくって・・・な・・・。」
「お願い・・・もう喋っちゃ・・・。」
「なぁ・・・未夢ちゃん・・・。」

必死で何か言おうとしている、そのことに気付いて、未夢は口元に耳を寄せた。

「他の奴らに・・・抜け駆けするみたいで・・・悪いけどな・・・。」
「うん・・・。」
「俺・・・未夢ちゃん・・・・・が・・・・。」

途切れ途切れだった声が止まる。
微かに見開かれたままの目から、静かに光が消えていく。

「ジェムズさん・・・?ジェムズさんっ!!」

いくら呼びかけても。
もう、答えは返ってこない。

未夢は顔を伏せた。
涙が、溢れる。

(嘘だよ・・・こんなの・・・。夢・・・そう、夢なんだよ・・・。朝起きたら、御飯食べて・・・綾ちゃん、ななみちゃんと、みんなでお茶して・・・みんな一緒に・・・。)

力が抜けて、ぺたんと座り込む。

(どうして・・・。)

ただ静かに暮らしていたかった。
やっと見つけた、第二の故郷で。普通に暮らしたかった。
それだけなのに・・・。

俯いたまま、もう立つ気力も無くて。
涙を零し続けて。
もういい、もう、どうにでもなってしまえ。
そう思いかけた時。

「・・・・うあ〜ん!!ママァ〜〜〜!!。」

不意に聞こえてきた泣き声に、未夢は顔を上げた。
遠くからだが、確かに聞こえる。
幼い、子供の泣き声。

(・・・・そうだ!)

まだ、泣くべき時じゃない。

(何へこたれてるのよ!しっかりしろ、未夢!!)

心の中で、自分に叱咤を入れる。
横たわった彼の目を、そっと閉じて。
涙を拭って、走り出した。

ななみだって、綾だって、頑張っているのだ。
自分の大事な人達を守るために。

涙を流すのは後でもできる。
今は・・・・

(今は・・・皆を助けなきゃ!!)

未夢は泣き声の方向へ走り続けた。
自分の故郷の人々と、最後まで戦うために。







「・・・ひでえ・・・。」

村に足を踏み入れた三太は、思わずそう呟いた。
無論、彷徨も望も、他の騎士達も、目の前の惨状に息を飲み、立ち尽くしていた。

破壊され、煙を上げる家屋。
そこら中に響き渡る悲鳴と泣き声。
血まみれになって横たわる人々。
突然の嵐になす術も無く踏みにじられた村の姿が、そこにはあった。

ついさっきまで、ここには人々の生活があった。
普段通りに笑い、怒り、悲しんでいた日々が存在した。
けれど、それはもう無い。
もう二度と、戻っては来ないのだ。

彷徨はギリッと唇を噛んだ。

(何が聖なる軍だ・・・。これじゃ、俺達の方が野蛮人じゃないか・・!)

これは一部の先走りだ。
俺たち全員でやったんじゃない。
いくら自分にそう言い聞かせても、やり場の無い怒りが後から後から湧いてくる。

「・・・おい、彷徨!どうしたんだよ!?」

三太の声で、彷徨は現実に引き戻された。
怪訝そうな顔でこちらを見ている。

「何してんだよ!早く行かないと・・・!」
「ああ。」

剣を引き抜いて、村の中央を貫く道を走る。
周りの騎士達も剣を抜き、村のあちこちへ散って行く。

不意に前方に人影が現れた。
鎧で分かる。傭兵部隊の一人だ。

相手もこちらに気付いているらしい。
もうこの軍には居られないと分かっているのか、それとも既に正気ではないのか、手に持った大剣を振り上げ、こちらに向かってくる。

「はあっ!」

ビュンッと唸りを上げて、振り下ろされた剣はしかし、彷徨に当たることなく空を切る。

「・・・!?」

驚く男の脇を駆け抜けざま、彷徨の剣が閃く。
ドウッと倒れ付す相手の傭兵。
立ち止まった彷徨は、反対側から出てきた男の剣もかわすと、切り上げるように剣を振るった。
身に着けたマントが、動くたびにふわりとなびく。

周りの騎士達の驚く気配が伝わってくる。
彷徨を小隊長と、全ての者が認めていたわけではない。
中には、なんでこんな若造の下に、と不満を持っていた者もいただろう。

だが、今の彷徨の戦いぶりは、そんな彼らの不満を解消するのに十分だった。

(すごい・・・なんて剣捌きだ・・・。)
(本当に14の小僧なのか?)
(あれが・・・俺達の隊長・・・。)

しばし戦いを忘れて、立ち尽くす騎士達に彷徨の檄が飛んだ。

「後ろを空けるな!背中合わせに隊列を組むんだ!」
『は、はい!』

我に帰った彼らも、それぞれ戦いを始める。
彷徨はふと、望が居ないことに気が付いた。

「大丈夫だろうな・・・。」

彼のことだ。
そう簡単にやられはしないはずだ。
近衛騎士団も付いているし、望のほうは大丈夫だろう。
むしろ心配なのは・・・。

彷徨は自分の隊の騎士達に目を向けた。
思ったとおりだ。
実力なら決して負けていないのに、こちらが劣勢を強いられている。
傭兵の持つ迫力と戦場の雰囲気に呑まれてしまっているのだ。

「三太っ!」
「何だぁ!?」

右前方で槍をぶん回していた三太を手招きで呼び寄せる。
何かあると勘良く察して、彼は素早く走り寄ってきた。

「伝令か?」
「ああ!みんなに伝えるんだ!一人で戦うなって。二人以上で戦えない時は後退しろって伝えてくれ!」
「そんな、隊長!」

周りに居た騎士達が一斉に抗議の声を上げる。

「敵前逃亡は、騎士の恥です!」
「そうです!その上、多勢で無勢を打ち果たそうなどと・・・。」
「そんな卑怯な真似はできません!」

「バカッ!!」

普段の彼からは想像も付かない怒声に、皆の動きが止まる。

「死んじまったら、終わりなんだぞ!くだらない意地で、命落としていいのか!?俺は嫌だ!お前らの剣持って、お前らの親の所に行くなんて、俺は絶対に嫌だからな!!」
「・・・!!」

その言葉に、騎士達は息を呑んだ。
普段はあんなにクールな彷徨の熱い本音の言葉。
こんな状況で無ければ、情けない、それでも騎士か、と一蹴されそうな言葉。
それでも、彷徨の想いは確かに皆に伝わっていた。

「死ぬな!生きるんだ、絶対に!」

『はっ!!』

力強く答えると、彷徨の指示通りに、固まり、多対一に持ち込む戦法に切り替えようとしていく。
崩れかけた体勢が、持ち直そうとしている。

「三太、頼む!」
「分かってるよ!ちゃんと伝えるぜ、お前の今の言葉!!」

ニッと笑って親指を立てると、三太は走り去っていく。
その姿を確認してから、彷徨も走り出そうとする。が・・・

「くたばれっ、異教徒め!!」

唐突に聞こえた声に、彷徨は反射的に身をひねった。
直後、ついさっきまで彷徨が居た空間を、槍の穂先が通り過ぎていく。

身をひねった勢いで、彷徨は相手に体当たりをかますと、そのまま地面に押し付ける。
傭兵にしてはあっさりしすぎている。これは・・・。

「くそっ、放せ!ちくしょう!!」

それは村の兵士だった。
必死に逃れようとしているが、関節をしっかり押さえ込んでいるためにビクともしない。

「この村は俺達の村だ!!潰させねえ、絶対に!!」

剣を振り下ろそうとして、直前で止まる。

俺の敵・・・?違う・・・!!

こいつらはただ、この村を守ろうとしているだけだ。

自分の大切なものを、必死で守り通そうとしているだけなのだ。

俺達と、変わらない。

彷徨は剣を持ち替えると、柄の部分を兵士の首筋に打ち付けた。
一瞬うめき声が上がった後、彼はバッタリと倒れる。
見つからないよう、物陰に運び込んで、彷徨は立ち上がった。

「このままじゃ、ダメだ・・・。」

リーダー格の傭兵がどこかに居るはずだ。
それを見つけて倒さない限り、いつまで経っても終わらない。

彷徨はマントを翻すと、村の奥に向けて突っ走った。




未夢は微かに聞こえる泣き声を頼りに、声の主を必死に探そうとしていた。
だが、悲鳴と建物の崩れる音が頻繁に響いているせいで、どこにいるのかわからない。
普段なら声の感じで、誰の声かも分かるのだろうが、この状況では全く期待できなかった。

(どこ・・?どこに居るの?)

焦りだけが募っていく。
とにかく、探すしかない。

崩れかけた民家の角を曲がった時、

ドンッ

「きゃっ!」

目の前に居た何かにぶつかって、未夢は道端に倒れこんでしまった。

「んん?まだ生き残りが居やがったのか。」

頭上から聞こえてきた声に顔を上げると、二人の男が立っていた。
重そうな鎧に、一人は剣、もう一人は長柄の斧を持っている。

「なんだ、まだガキじゃねえか・・・。ったく、もう少し大人なら楽しもうと思ったのによ。」
「俺は構わねえぜ、ここんとこ女にもご無沙汰だったしなあ・・・。ガハハハッ。」

勝手な会話を交わす二人を見て、未夢は確信した。

村を焼いたのはこの人達だ。
この人達が、みんなを・・・。

怒りで胸がいっぱいになる。
ありったけの怒気で男を睨み付ける未夢に、剣を持った方が近付いてくる。

「じゃあお前はそこで見てろよ。どうせすぐなんだしよ・・・。」
「ったく、しょうがねえ奴だな。」

斧を持った方がそう言って、傍の家の壁にもたれかかる。
それを見てもう一人の男は、未夢に近付いて来た。

「ってなわけだぜ、お嬢ちゃん!」

言って男は、無理やり未夢を引っ張って立たせる。

「痛っ!」

手の痛みに顔をしかめながら、男をキッと睨み返す。

「結構気が強いじゃねえか。気に入ったぜ!」
「何で・・・・どうして、こんな事するの!?なんで、こんなひどいこと・・・。」
「何で?もうすぐあの世に行く嬢ちゃんが、んなこと知ってもしょうがねえだろ?もっとも、その前に少しばかり楽しませてもらうけどな!」
「・・・!やだっ、離してよ!」

抵抗する未夢を、男が押さえつけようとする。
大きく揺れた未夢の頭から、いつも被っているフードが落ちる。
その拍子に、隠れていた整った顔立ちと、金色の髪が表にさらされた。

「おおっ!?」

男が歓声を上げ、壁で見物していた方も、思わずヒュウッと口笛を吹いた。

「驚いたね・・・思ったよりずっといい女じゃねえか!こりゃ、楽しめそうだぜ・・・。」
「嫌っ・・・放して・・・・。」

未夢は迫ってくる男の顔から目を背け、ぎゅっと目を閉じた。




彷徨は村の奥の方を目指して走り続けていた。
入り口付近には居なかったのだ。
村の奥の方に、リーダー格の男が居る。
そう確信していた。



「嫌っ、放して!」

(何だ?)

横手から聞こえてきた悲鳴に、彷徨は足を止めた。
マントを翻すと、躊躇無くその方向へと飛び込む。
そこで彷徨が見たのは・・・

(女の・・子・・・?)

二人の傭兵と、無理やり押さえつけられている少女の姿だ。
男は片方が壁にもたれかかって見物し、もう一人が少女に詰め寄っている。
少女は必死で逃れようとしているが、所詮大の男と少女では力が違う。

「諦めな・・・誰も来やしねえんだからよ!!」
「やっ・・・!」

男が口元を歪めて、グイッと少女を引き寄せた瞬間。

(・・・・!!!)



彷徨の体を信じられない程の怒りが支配した。
頭が熱くて、完全に血が上っていた。

「その手を・・・・っ!!」

叫びながら、彷徨は駆け出した。
何も考えられなくなっていた。
なぜだか、自分でも分からない。
けれど、頭の中には、もう今の状況すらも入ってこない。
怒りに突き動かされるままに、彷徨は拳を突き出した。

「放せっ!!!」

ガシイッ

「っがあああっ!!」

手加減も何もない強烈な鉄拳が男の顔面にぶち当たる。
たまらず男は少女を放すと、そのままよろけて、炎が燃え上がる民家の中に突っ込んだ。
力無く倒れそうになった少女を、両手で支える。
幸い、目立った怪我は無いようだ。

(良かった・・・。)

心から、そう思った。
助け起こしたその体が、想像以上に華奢な事に驚きながら、声をかける。

「大丈夫か?」

彷徨の声に、少女はゆっくりと顔を上げた。




「大丈夫か?」
(・・誰?)

上から声が聞こえる。
さっきの男達とは全然違う、暖かい声が。
気が付くと、未夢を今支えているのも、あの男の恐ろしい手じゃない。
大きくて、でも安心できる、優しい手。

(誰・・・なの?)

未夢はゆっくりと顔を上げた。



少年と、少女。


彷徨と、未夢。


二人の視線が、絡み合って。


そのまま二人で、見つめ合う。





運命の歯車が、今静かに、回り始めた――――





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