ラーゼス平原と呼ばれる、いまだ未開拓な土地がある。
村落も無く、ただ家畜の世話をして暮らす人間が点在するだけの広原。
ここまで来れば、大陸国境ももう間近だ。
エーベンブルクを出発して5日目。
ウォルス河より西に10キロほどの地点。
彷徨と三太は、ようやくここまで辿り着いた。
さっきまで夕暮れに染まっていた大地は、少しずつ暗くなり、冷たい夜の風が吹き始める。
三太は彷徨より一足先に小高い丘の上に駆け上ると、辺りを見回し、振り向いて彷徨に叫んだ。
「今日はここいらで、野宿にしようぜ!!」
わかった、と頷いて、彷徨は荷物を下ろした。
適当な木の枝を周りからかき集め、一箇所にまとめる。
火を起こそうとした時、駆け下りてきた三太が言った。
「おいおい、俺に任せておけって!お前は座ってろよ!」
「何言ってんだよ、俺もやるよ。」
三太は小さくため息をつく。
「火の準備までやる騎士様なんて、聞いたことないぜ?」
「俺のことよく分かってる奴が必要だって言ったのはお前。俺がそういうの嫌いだって、知ってるだろ。」
三太は苦笑すると、しゃがみこんで火打石を取り出した。
旅を始めてからずっとこんな調子だ。
普通の騎士は、こんな細かい仕事までやらない。
大抵は従者に任せて、自分は武器の手入れをしたり、そうでなければ超然とふんぞり返っているだけだ。
最初の頃は、三太もそのつもりだった。
が、彷徨はそれでは嫌らしい。
なので今は、こうして共同でやっているのだ。
もっとも、こうして仕事をしていると、やはり三太のほうが手際がいい。
騎士の家系で、ある程度は家政婦に任せることの多かった彷徨よりも、三太の方がこういう事には慣れている。
そのことを発見した時、三太は得意気に言ったものだ。
「初めてお前に勝ったな!」と。
程無くして、パチパチという音と共に、紅い炎が燃え始める。
三太は袋から食べ物を取り出した。
ベーコンにソーセージ、干し肉などなど。
それを串に突き刺して、火の周りに置いていく。
「野宿っていうのも、やってみると結構悪くないよな〜。」
「お前は多分、世界中どこに行っても生きていけるよ。」
街に居る時には気付きもしなかったが、外に出ると勝手が違う。
それでもここまで旅を続けてこられたのは、三太の機転としぶとさがかなり大きかった。
「何はともあれ、結構順調だよな、俺達の旅。」
「ああ。差し当たって問題と言えば・・・。」
「何だよ?」
「・・・取り合えず、三太のイビキが最大の問題だな。」
三太が思わずプッと吹き出し、つられて彷徨も笑う。
二人でひとしきり笑った後、三太は真面目な顔になって話しかけた。
「で?これからどうするんだ?まさかこのまま、聖地まで行こうなんて考えてないよな?」
「まさか。」
彷徨は程よく焼けたベーコンを引き抜いて、一口かじった。
「この辺りに、十字軍の本隊が駐屯してるはずなんだ。詳しい場所は分からないけど、とりあえず其処に合流する。」
「・・・確か、ウィルランドの王子様が指揮を執ってるんだよな。えっと、確か名前は・・・。」
「ザフト・ウィルベルク・望。」
「そうそう、それだ。」
三太は少々焦げ目の付いたソーセージに食い付きながら相槌を打つ。
「どんな奴なんだ?」
「俺も噂でしか聞いたことないけど・・・。」
新しい枝を火の中に放り込みつつ、彷徨は自分の記憶を探った。
「筋金入りのフェミニストだって評判らしい。宮廷で開かれる舞踏会なんかには必ず顔を出してるそうだ。容姿端麗なんで、貴族の女性からの評判もいい。俺が知ってるのはそれぐらいだな。」
「まさに『王子様』ってワケか。」
「ああ。もちろん、十字軍の指揮官に選ばれるくらいだから、それだけじゃないだろうな・・・。まあ、会ってみればわかるさ。」
水筒を取り出して、水を喉に流し込む。
量に限りがある以上、節約しなければならないのが辛いところだ。
「貴族の女性って言えば・・・お前、クリス様に会ったんだよな、出発前に。」
「ああ・・・。」
「どうだったんだ?」
興味津々という様子で三太は聞いてくる。
三太がクリスに最後に会ったのは、彷徨たちが10歳の頃。随分前の話だ。
彷徨と兄弟同然に付き合っていたので、小さい頃は3人で遊んだこともあったが、成長するに従ってその機会もだんだん少なくなっていく。
話でしか聞けないクリスが今どうしているのかも、三太の重大な関心事の一つだった。
「ん・・・。まだ、立ち直れてなかったけど・・・それでも、前よりはずっと元気だっな・・・。」
「そっか・・・。」
半年前の「あの事件」の事は、三太にも話してあった。
お姫様の運命が大きく狂い始めた、あの日の事を。
彷徨にとっては幸いな事に、三太はそれ以上追及しなかった。
「いい娘だよな、ホント。俺、あの人に会うまでお金持ちのお嬢様って見た事なかったけど・・・俺なんかにもフツーに仲良くしてくれたしな〜。」
「ああ・・・。」
天秤のように不安定な心で、一生懸命に相手を気遣う優しさを持っている人。
金とか、権力とかじゃ無く、自分自身で相手と向き合える少女。
だから、傍にいて振り回される事はあっても、決して苦痛じゃ無かった。
「お前、話して来たんだよな?何かあったか?」
「別に・・・何もねえよ。」
「何だよ〜・・・。お前ってホント、そっちの方はからっきしだもんな〜〜。」
しょうがないだろ、と心の中で彷徨は文句を言った。
クリスは確かに、自分にとっても大切な友人だ。
それは今も昔も変わらない。
けれど、1人の女性として見ることは、どうしてもできなかった。
親友か、歳の近い妹。
表現するとしたら、多分それが一番ふさわしい。
もっとも、自分が誰かに対して恋心を抱くということ自体、今となっては想像もできないことだった。
小さい頃から、常に前だけを見ながら走り続けて。
気が付いたら、自分の純粋な感情をぶつけるやり方を忘れてしまった。
そんな気がする。
(人を好きになる、か・・・。今まで、考えもしなかったもんな・・・。)
そんな事を、ボンヤリと考えていた、その時。
(・・・ん?何だ?)
耳元にかすかに響いた音と、唐突に走り抜けた違和感に、
彷徨は思わず顔を上げた。
「・・・彷徨?どうしたんだよ?」
「しっ!黙ってろ。」
不思議そうな顔の三太の言葉を制して、辺りを見回した。
周りはさっきまでと同じように静まり返っている。
(気のせいか・・・?)
そう思いかけた彷徨だったが、すぐにそうじゃないと気付く。
低い、だがはっきりとした音が聞こえてくるのだ。
そしてそれは、次第に大きくなっていく。
聞き違いでなければ、これは・・・。
「何だ?この音・・・。」
音に気付いた三太が立ち上がろうとした瞬間、
ビュンッ
「・・・!?」
彼の頭のすぐ上を何かが勢いよく掠めるのを感じた。
「い、今のって・・・。」
「気をつけろ、三太。」
立ち上がりかけた姿勢のまま、硬直した三太に注意を促しつつ、彷徨は立ち上がった。
剣を引き抜くと、焚き火の中から枝を取って照明代わりにする。
少し離れた所に、矢が刺さっているのが見えた。
やっぱり、聞き違いじゃなかった。
(どういうことだ・・・)
国境にかなり近付いているとはいえ、この辺りはまだクルゼアの勢力圏内のはずだ。
そんな場所でなぜ、こんな物騒な物が飛んでくるのか。
(・・・野党がここまで出て来てるのか?)
彷徨がそんなことを考えている間にも、音はどんどん迫り、ついに二人の目の前で止まった。
「貴様らっ!!」
闇の中から高圧的な声が響く。
彷徨のかざしたタイマツに照らされて、浮かび上がる人影。
二人、いや、三人だ。
彼らのその姿を目にしたとき、彷徨は我が目を疑った。
全身のほとんどを覆う重装鎧に、羽飾りのついた兜。
男達はれっきとした騎士の姿をしていたのだ。
先程からの音は、彼らの馬蹄の響きだったのだろう。
「何なんだよっ、あんたら!!」
三太の怒りの抗議にも、三人が答える様子はない。
代わりに、先頭にいた男が剣を向けて叫ぶ。
「ついに見つけたぞ!貴様らの悪行の数々、今宵で終わりだ。覚悟しろ!!」
「ちょっと待て、一体何の話・・・。」
「問答無用!!」
叫ぶや否や、先頭の騎士が剣を抜き放ち、馬に鞭を入れて突進して来る。
「うわっ!!」
すれ違いざまに振り下ろされた一撃を、彷徨と三太は横に跳んで何とかかわす。
「か、彷徨ぁ!一体何なんだよ、こいつら!!」
「わからない。ただ一つだけ、確かなのは・・・。」
彷徨は決意を含んだ目でそう言うと、タイマツを投げ出し、残り二人のほうを向いて剣をしっかりと構えた。
「このままじゃ、確実に殺られるってことだ!」
先程感じた小さな違和感。
初めてということもあって分からなかったが、今ならわかる。
これは、殺気だ。
この三人は、本気でこちらを殺す気で来ている。
となれば、やるべき事はただ一つ。
この三人が、何処の何者で、どうして二人を殺そうとするにしろ、このまま黙って叩っ切られるなんてまっぴらだ。
(まだ、何にもしてない。聖地にも着いてないんだ。こんな所で・・・。)
そうこうしている間に、二人目は彷徨の目前に迫り、剣を振りかぶっている。
「おとなしく、死・・何!?」
男が剣を振り下ろした瞬間、視界から彷徨の姿が掻き消える。
「死ねるかよ!!」
振り下ろされた剣を、紙一重でかわした彷徨は、その回転の勢いのままに、騎士の背中に剣を思い切り叩きつけた。
「ぐあっ!!」
無防備な背中に痛烈な一撃が入ったのだ。
分厚い鎧のおかげで、何とか命は取り留めたろうが、とてつもない激痛が走ったに違いない。
騎士はそのまま馬から転げ落ち、背中を押さえたままうずくまっている。
「貴様・・・!!」
怒りの声を上げ、最初に仕掛けてきた騎士が迫ってきた。
彷徨めがけて、かなり力の入った剣が次々と打ち下ろされてくる。
それに対し彷徨は、押されているように見せるため、相手の剣を受け流しつつ後ろに下がり、頃合いを見計らってわざと体勢を崩した。
「もらった!!」
騎士が叫びと共に大きく剣を横に薙ぎ払う、それこそが彷徨の待っていた瞬間だった。
水平に払われた一撃を、身を沈めて避けた彷徨が、相手の懐に飛び込む。
「何!?」
男の驚愕の声が響いた。
もう一人は三太に向かってくる。
「うわわわ!!」
繰り出される剣を何とか避けつつも、三太は後ろに下がりっぱなしだ。
もともと三太は、剣を・・・というより武芸を正式に習ったことはない。
せいぜいが子供の頃、近所の悪ガキと取っ組み合いをやらかした程度だ。
それにしても、決して人並以上に強いとは言えなかった。
「ちくしょう・・・うわっ!」
何とか避けていた三太だったが、後ろにあった石に脚をとられて躓いてしまう。
ここぞとばかりに突っ込んでくる相手の騎士。
殺される?
死ぬのか、俺?
・・・嫌だ!死んでたまるか!
周りを見回した三太の目に、未だ赤々と燃える焚き火が映る。
反射的に三太はその中から一本枝を抜き取ると、迫ってくる相手に投げつけた。
「うおっ!?」
さすがにこれには驚いたらしく、騎士は身をよじって避ける。
馬の上で男がバランスを崩した隙に立ち上がった三太は、これまた側にあった槍を掴んだ。
「こんのおぉ!!」
もはやパニックに陥った頭で、それでも力いっぱい振り回す。
その槍の柄の部分が、何とか体勢を立て直した相手の横っ腹にもろに当たった。
「ぐはあっ!!」
もんどりうって倒れる騎士。
それっきり相手は立ち上がらず、時折ピクピクと痙攣するだけだった・・・。
「大丈夫か、三太!?」
走り寄ってくる彷徨に、地面にへたり込んだ三太は力無く笑いながらVサインをする。
無事らしい彼の様子に、彷徨も安心した様に肩を撫で下ろす。
「じ・・・寿命が縮んだぜ、全く・・・。」
「ああ、俺もだよ。けどこいつら、一体・・・。」
倒れた男達を調べようとした時、また新たな馬蹄の音が響いてきた。
「新手か!?」
「お、おい・・・。」
三太が滝のような汗を流している。
迫ってくる音は、さっきより遥かに大きい。
詳しい数は分からないが、数十人はいるだろう。
「くそっ・・・。」
彷徨が悔しそうに唇を噛む。
相手は騎馬だ。徒歩で逃げ切ることはまず不可能。
となれば、相手から奪って逃げるしかないのだが、あれだけの人数相手にそれが可能かどうか・・・。
いずれにしろ、このままでいてもどうにもならない。
馬のいななきと共に、騎士たちが二人の前にやってくる。
全員、さっきの三人と同じ騎士の姿をしていた。
「貴様ら、我が兵を・・・。」
前列にいた男達が、倒れている先程の騎士たちを見て、怒りの声を上げた。
「許さんっ!!」
男の叫びに呼応するかのように、騎士達が一斉に剣を抜き放つ。
彷徨は舌打ちをした。
先程の男達の動きと言い、今の彼らの一糸乱れぬ行動と言い、間違いなく訓練を受けた兵士たちだ。
(ダメかもしれないな・・・)
彷徨は覚悟を決め、剣を構える。
一拍遅れて、三太が槍を構えて隣に並ぶ。
と、その時・・・
「待ちたまえ!」
突然、後ろから聞こえた声に、騎士達の動きが止まる。
もちろん、彷徨と三太も驚いて騎士団の後方を見つめた。
集団の中央からゆっくりと馬に乗って出てきたのは――――少年だった。
彼らの持つタイマツに照らされて浮かび上がったのはどう見ても、彷徨達と同じくらいの歳の少年だ。
短い、けれど美しい金髪が、炎に照らされて赤く染まっている。
他の者達と比べて、着ている鎧の豪華さも群を抜いており、顔立ちは彷徨にも引けをとらない美少年。
青い瞳に整った顔、そして美しい鎧を無理なく着こなすその姿は、童話に出てくる王子様がそのまま抜け出してきたようだった。
彼は騎士達の先頭まで進み出ると、彷徨と三太の顔を交互に見つめ、それから倒れた男達に視線を移した。
「ふむ・・・やるじゃないか。」
少年とは思えないほどの涼やかな声。
だが彼の目には、どことなく鋭さがある。
だから彷徨は警戒を解かなかった。
「兵士諸君!!」
彼は後ろに控える騎士たちに向かって声を張り上げた。
「ここは僕に任せてくれ!」
「い、いや、しかし・・・。」
騎士の一人が異を唱えようとするのを制して、少年は剣を抜く。
「手出しは無用だ!」
その言葉に、男達は黙って剣を納めた。
主人の面目を考えたのだろう。
決闘に下手に手を貸すことは、主人の恥になる。
少年は満足気にそれを見届けると、彷徨に向き直った。
「・・・勝負!!」
瞬間、剣を構えて走り出す。
「な!?こ、こいつ・・・。」
「下がれ、三太!!」
叫びながら、彷徨も前に飛び出した。
周りに命令し、そしてそれが大人しく受け入れられているところを見ても、この集団のリーダーは彼だろう。
ここで彼を倒さなければ、逃げることもできない。
彷徨は剣を構えて走り出す。
一騎打ちが、始まった。
「はっ!」
目を見張るような速さで疾走した相手の少年が、袈裟懸けに振り下ろした剣を、彷徨の剣が受け止める。
そのまま相手の剣を後ろに流しざま、切り上げるように剣を振るう。
が、少年は即座に身を捻ってそれをかわし、横に剣を薙ぎ払った。
剣を縦に構えた彷徨がそれを受け止める。
(・・・こいつ・・・!)
彷徨は内心で驚いていた。
先程の三人とは段違いに腕が立つ。
こんな少年がなぜ騎士団を束ねているのか疑問だったが、これなら納得がいくというものだ。
互角の戦いを演じながらも、彼の剣捌きは彷徨とは対照的だった。
同じ騎士とは言え、どちらかと言うと力技に近い彷徨に対し、少年は華麗という表現がふさわしい、流れるような戦い方だ。
闇夜に二筋の銀光が、炎に照らされて煌く。
ガキッ、 キインッ
二人の剣がぶつかり合う度、甲高い音が響き渡り、火花が飛び散る。
三太も、他の騎士達も、凄まじい打ち合いに息を呑んで勝負を見守っている。
何度目かの交錯の後、二人は互いに飛び退いて距離をとった。
「いい腕じゃないか・・・。驚いたよ。」
少年は構えたままでそう言った。
からかっている、とかそういう感じはしない。
純粋に心の底からそう思っている。
そんな口調だった。
「君ほどの腕の持ち主が、なぜこんな仕事に身を投じている!?」
彷徨は困惑した。
こんな仕事、とは何のことか、さっぱり分からない。
「何のことだ?」
「とぼけるな!盗賊まがいの行為なんて、君みたいな男のすることじゃないだろう!」
慌てて彷徨は言った。
「ち、ちょっと待て!俺たちは盗賊でも盗賊もどきでもない!只の旅の者だ!」
「白々しい嘘を!こんな辺境を旅する者など、いるものか!」
「本当のことだ!十字軍に加わるために、ここまで来たんだよ!」
少年の目が大きく見開かれる。
「十字軍に・・・?」
「ああ、そうだ。」
彼は戸惑った様子で尋ねた。
「けど、君たちは彼らを・・・。」
「何言ってんだよ!」
それまで黙っていた三太が、ズカズカと前に出てきた。
「俺達が何にも言わないうちに、あいつらがいきなり襲い掛かってきたんじゃねーか!」
三太の言葉に少年はじっと二人を見つめる。
強い意志を持った二人の目を順番に見渡すと、ふうっと息をついて剣を収めた。
「嘘じゃあ・・・無いみたいだね・・・。」
少年は手を振って、後ろの騎士たちにも合図する。
それを受けて、彼らも剣を収めた。
彷徨と三太も、ようやく緊張を解く。
「どうやら、こちらの間違いだったようだ・・・。すまない。」
頭を下げる少年に、三太が詰め寄る。
「間違いってなぁ・・・!」
「本当にすまない。」
もう一度謝罪すると、彷徨のほうにも視線をやった。
「とりあえず、こんな所で話すのも何だし、僕らの陣へ来ないか?君らも僕の軍に加わってくれるのなら丁度いい。」
「僕らの?」
怪訝そうに聞き返した彷徨はそこで初めて気がついた。
少年の肩にある紋章。
薔薇の花の上に留まった白い鳥の模様。
見間違うはずも無い、ウィルランド王家の紋章だ。
(まさか、こいつ・・・)
彷徨の疑問に答えるように、少年は急に気がついたように言った。
「ああ、自己紹介がまだだったね。僕の名は望。
ウィルランド王国第一王子、ザフト・ウィルベルク・望だ。」
呆気に取られる二人の前で、少年―――望は優雅に微笑んだ。
望と、彼の配下の騎士達に案内され、彷徨と三太が辿り着いた十字軍の陣地は、国境の目と鼻の先にある平野に設営されていた。
「これが・・・十字軍・・・。」
三太が目の前に広がる光景に目を奪われたまま、呆然と呟く。
驚いているのは彷徨も同じだった。
延々と続く野営用テントを、無数のタイマツが照らし出ている。
少なく見積もっても、3万人を越すことは間違いないだろう。
まさに、「遠征軍」と呼ぶにふさわしい威容を、強烈に誇示していた。
「話には聞いていたけど・・・すごいな・・・。」
「そうだろう?」
彷徨の隣に、望が馬を進めてきた。
「西方諸国の勇士達が集まった聖なる軍、聖地を求める人々の希望・・・「十字軍」さ。」
胸を張って言う望。
その様子は誇らしげでさえあった。
望を先頭に、彼らは陣の中へと入っていく。
先頭にいる王子の姿を見ると、騎士達が一様に敬礼をする。
やはり彼はここの指揮官なのだと、彷徨は確信した。
「なぁ・・・騎士だけじゃ、無いみたいだな。」
三太の言葉に、彷徨は辺りを見回した。
なるほど、奥の方に入るにつれて、騎士以外の人間の姿も数多く見かける。
三太のように、平民の姿に武器だけ持った者もいれば、騎士のものとは明らかに違う無骨な鎧に身を包んだ者もいる。
一人でむっつりと黙っている者、周りの人間とうるさく騒いでいる者・・・色々だ。
「そうさ。我々に身分は関係無い。信仰と名誉のために命をかける気高き意思さえあれば、皆同じ、十字軍の勇者だよ。」
「信仰と名誉、ね・・・。」
望の熱い言葉に彷徨が何気なく横に視線を向けると、不意に男達の集団の中の一人と目が合う。
がっしりした体格に毛むくじゃらの腕をした、無骨な鎧の中年男だ。
男は彷徨に気付くと、ニヤリと笑みを見せる。
だがそれは、親愛の表現とは程遠い、歪んだ笑み。
相手の事を歯牙にもかけない、侮蔑するような笑いだった。
彷徨の体に、嫌な予感が吹きぬける。
(なんだ、あいつ・・・。)
格好や風体からして、騎士でないことは一目瞭然。
かといって、真っ当に暮らしている一般人にも見えない。
となると・・・・
(傭兵か・・・。)
戦争中に特に見られる、金で戦争に身を投じる戦士。
平和な時には諸国を歩き、時には強盗まがいの行為をするため、他の者からは非難と恐怖の目で見られている。
確かに、この十字軍は彼らにとってまたと無い稼ぎ場だろう。
だがそれにしても、さっきのあの表情は・・・。
「ん?どうした、彷徨?」
「あ、いや、何でも無い・・・。」
三太の声に、彷徨は現実に引き戻される。
(気のせい・・・だろうか・・・。)
彷徨は無理やり納得しようとしたが、無理だった。
あの男達の漂わせる雰囲気と、あの歪んだ笑み。
それらは陣の一番奥、望の本陣に案内されている間中も、彷徨の頭にこびりついて離れなかった・・・・。
望のテント、すなわち最高指揮官のために作られた軍本営は、陣地の一番奥に建てられていた。
「さあ、入ってくれたまえ。遠慮は入らないよ。他の者は今丁度出払っているからね。」
望はそう言って二人をテントの中へ招き入れる。
彷徨と三太が戸惑いがちに中に入ろうとした時、何かが二人の間をヒュンッと掠めた。
「うわっ。」
「何だ!?」
思わず身構えた二人の見たのは・・・・鳥だった。
一羽の白い小鳥が、ものすごい勢いで飛んできたのだ。
「何だ?この鳥・・・。」
「ただいま、オカメちゃん。」
唖然とした二人を尻目に、望はごく自然に鳥に近付くと、スッと腕を差し出した。
すると途端に、小鳥はピョンと彼の腕に飛び乗り、嬉しそうに頭をこすり付ける。
「ごめんよ・・・。留守中、寂しかったかい?」
言いながら望は、腰に下げていた袋から餌を取り出し、手のひらに乗せた。
一心不乱に餌をついばむ小鳥を見て、ようやく彷徨が立ち直った。
「それ・・・お前の鳥か?」
「そう、僕の親友、オカメちゃんさ。」
その言葉を受けて、クエッと鳴いてみせる小鳥。
(オカメちゃん・・・白い鳥・・・オカメ・・・?)
「もしかして・・・「オカメインコ」か?そいつ。」
「その通り。さすが、よく分かったね。」
「わかるさ。名前そのまんまだろ?」
オカメインコ。
大陸の中でもウィルランド王国の、その中でもさらに首都である大聖都エリュシオンの付近にしか生息していない、珍しい鳥。
ウィルランド王家では代々縁起のいい鳥とされており、国章にもこの鳥を意匠として取り入れている。
「今度の遠征に連れて行くか、迷ったんだけど・・・他人に預けるのも気が引けてね。」
オカメちゃんが満腹になったのを確認すると、望はかごを取り出してそっと中に入れた。
そして、表情を改めて二人に向き直る。
「さて、改めてだけど・・・ようこそ、十字軍へ。歓迎するよ、ええと・・・。」
望は、ふとそこで何かに気づいたように二人を順番に見回した。
「そう言えば、名前をまだ聞いていなかったね。」
「ヴェストヴァイト・彷徨。エーベンブルク出身だ。」
「同じく三太。シュバルツフット・三太だよ。」
二人が名乗ると、望は驚いたように目を見開いた。
「エーベンブルク・・・あの、ブルーメ公国の首都の、かい?」
「ああ。」
「そんな遠くから二人で・・・。これはホントに、予想以上にすごい人間みたいだねえ・・・。」
うんうんと頷いた後、望は目を輝かせながら聞いてきた。
「ブルーメと言えば、花の美しい所だよね?噂は聞いているよ、『花と緑の国』の事は。」
「ああ、そうだけど・・・。」
彷徨は戸惑った。
なぜ突然、そんな話になるのだろう。
彼の表情に気付いたらしく、望はニヤリと笑って立ち上がった。
「実は僕も、花には並々ならぬ関心があってね。特に・・・。」
望はテントの後ろ側の布を掴むと、バッと一気に引き上げた。
「薔薇は僕の一番のお気に入りなのさ!」
そこは、テントの裏側に通じていた。
無数に並んだ植木鉢と、そこに咲く色取り取りの花。
園芸に関してはあまり知識の無い二人だが、それが全て薔薇である事だけはわかった。
「すごいだろう?ここにある薔薇は全て、ウィルランド王国産だよ。多少、品種改良したものもあるけれど、基本的には全て、自然のままの姿を保っているんだ。」
「はぁ・・・。」
彷徨は言葉が出なかった。
目の前に広がる薔薇にも驚いたが、それ以上にわからないのが、この望という人物だ。
公国でも一、二を争う腕前の彷徨と互角の勝負をしたかと思えば、こうやって戦地にまで薔薇を持ち込んでいる。
驚くとともに、「大丈夫なのか、こいつで?」という思いも浮かんでくる。
三太も同じ気持ちだったらしく、口をあんぐりと空けて、ただ立ち尽くしている。
そんな二人を現実に引き戻したのは、不意に後ろから掛けられた声だった。
「望王子。そろそろ軍議のお時間です。」
「ん?もうそんな時間か・・・。」
望は立ち上がると、苦笑しつつ彷徨達に言った。
「すまないが、諸侯と打ち合わせをしなければならなくてね。指揮官の辛い所さ。」
彷徨達を促して外に出て、先ほどと同じく薔薇が隠れるようにテントの後ろ側を閉め直す。
呼びに来た騎士と連れ立って外に出ると、望は振り向いた。
「好きに見て回ってくれて構わない。じっくり見て、ここの事を知っておいてくれたまえ。君ほどの男なら、かなり重要な役職を任せられそうだしね。あ、それと・・・。」
望はそこで言葉を切ると、声を潜めた。。
「あの薔薇のことは、秘密にしておいてくれ。頼んだよ。」
ウインクして去っていく望を見送ると、三太は大きくため息をついた。
「ふう〜ビックリしたぜ〜。大丈夫なのか、あいつ・・・。」
三太にしても、望の実力に疑いはない。
彷徨との一騎打ちをこの目で見ているのだから、
だが、戦場まで薔薇を持ち込むというのは、指揮官のする事ではない。
「なあ、彷徨・・・。大丈夫かな・・・。」
「俺も不安だけど・・・まだ、戦いにもなってないだろ?今からそんなこと言ってもしょうがないさ。」
「う〜ん、そりゃあ俺だって、お前と互角の勝負をできる奴の力は疑わないけどさ・・・。」
彷徨は三太の方をポンポンと叩く。
「まっ、俺たちに出来るのは、信じることだけだ。それに・・・。」
「それに?」
「・・・いや、何でも無い。」
彷徨は言葉を濁しながら、望の去っていった彷徨を見つめた。
(あのオカメインコ、ずいぶん懐いてたな・・・。)
一般的に、オカメインコという鳥は人間には懐かない。
白く美しい姿に、訓練すればかなり高度な芸さえできるという高い知能を持つため、昔からこの鳥は密猟者の格好のターゲットだった。
何代か前のウィルランド国王が密漁禁止令を発布し、違反者を厳罰に処すと宣言してからは数の減少に一応の歯止めがかかったが、相対的に見ればまだまだ絶滅の危機にある。
そのせいかどうかはわからないが、オカメインコは人間に対しては半ば敵意に近いものを持ち、近付く人間に対しては逃げるか、攻撃するかのどちらかなのだ。
ある時には、エリュシオンに住む子供がイタズラ半分に巣を覗き込み、反撃してきたオカメインコのせいで顔中傷だらけになるという事件まで起きたくらいである。
だがさっきの「オカメちゃん」は、そんな俗説とは全く無縁の人懐こさだった。
人間同士だって、あそこまで以心伝心できる者はそうそういない。
望が本当にどうしようもないのなら、今頃あの美形は引っかき傷で台無しになっているはずだ。
まあどちらにしろ・・・・
「俺たちにできるのは、前に進むことだけなんだからな・・・。」
彷徨は小さな声で言った。
そう、もうここは戦士達の中。
疑いを持ってなんか、いられない。
後戻りのできない旅の中へ、二人は今、足を踏み入れたのだ。
「じゃあ、おじさん、おばさん、いってらっしゃい!」
「ああ、行ってくるよ。」
「留守番、よろしくお願いね。」
出発する二人を手を振って見送ると、未夢はふうっとため息をついた。
この村に古くから住み、未夢の面倒を見てくれている未夢が王都に行くことになったのはつい三日前。
何でも、十字軍接近に備えて武器の増産が決定され、国中の鍛冶屋が王都に呼び寄せられているらしい。
鍛冶職人の資格を持っていた二人も、王都へと赴くことになったのである。
「寂しい、なんて思うの、勝手だよね・・・。」
未夢はガランとなってしまった家の中を見渡しながら、小さな声で呟いた。
わかっている。
自分は大事にされている。
恵まれている方だということは。
目立った産業も無く、完全に自給自足でやっているこの村では、食い扶持が一人増えただけでもかなりの負担になる。
血縁とはいえ、決して近い縁とは言えない未夢を引き取ったことで、二人の生活は間違いなく苦しくなったはずだ。
にもかかわらず、二人は未夢に対して嫌な顔一つせず、実の娘のように接してくれた。
「二人がいない間、しっかりやらなくちゃ、うん!」
自分を元気付けるようにそう言って、食事の準備をしようとした時、突然後ろから肩を叩かれる。
「みーゆっ!」
「な、ななみちゃん!?」
いつの間にいたのか、ななみが大きな袋を持って立っていた。
「驚かさないでよ〜。」
「あはは、ごめんごめん。」
小さく舌を出して謝るななみ。
「お買い物?」
「うん。今日の夕食の買出しにね。」
袋を持ち上げてみせたななみは、開けっ放しになっている扉から見えた家の中の様子に眉をひそめた。
「・・・あれ?未夢一人?家の人達は?」
「あ、うん。しばらく出かけるんだって。」
「そうなんだ・・・・。」
ななみは頷きかけたが、ふと気付いて慌てて聞いてくる。
「えっ、ちょっと待って!じゃあその間、未夢一人ってこと!?」
「そうだよ。」
「・・・で、どれくらい?」
「一年だって。」
ななみは飛び上がって叫んだ。
「いっいちねん!?一年も未夢一人で暮らせって!?」
「大丈夫だよ。生活費はちゃんともらってるし・・・。」
「そういう問題じゃない!全くもう・・・。」
憤然と腕を組んでプンプンと怒っているななみに、未夢は慌てた。
「ホ、ホントに大丈夫なんだってば。私だってもう14だもん。一人で留守番くらい・・・。」
「未夢は、それでいいの?」
じっと視線を向けられて、未夢は下を向いた。
「・・・仕方、無いよ・・・。」
俯いたその表情はどう見ても「大丈夫」には見えない。
ななみはしょうがないなぁという表情で天を仰いだ。
(どうしてみんな、こんないい娘を一人にしちゃうんだろ・・・。)
未夢が一人で居なければならない理由も、それが止むを得ない事だということもわかっているつもりだ。
それがわからないほど、ななみは子供ではない。
けれど、こうやって寂しそうにしている未夢を見ていると、どうにもこうにも納得がいかない。
(ええい、こうなったら・・・。)
ななみは意を決して未夢の肩をグッと掴んだ。
「未夢、家で暮らさない?」
「えっ!?」
未夢は驚いて、自分より頭一つ分背の高いななみを見上げた。
「ねっ、いいでしょ?おじさん達が帰ってくるまでさっ!」
「だ、だめだよ!そんなの・・・。家の人にも迷惑かけちゃうし・・・。」
「ノープロブレム!!」
ななみは親指を立ててウインクする。
「未夢なら家の家族、誰も文句言わないって!食事にしたって、うちはもともと大食い揃いだからさ。今更一人増えたって何とも無い!」
「ななみちゃん・・・。」
「あ、ただし・・・。」
?という顔の未夢に、ななみは笑って言った。
「漬物だけは残さないように!うちのおばあちゃん、漬物嫌いな人を見ると怒り狂うからね!」
プッと思わず噴き出す未夢をみて、ななみはようやく胸を撫で下ろす。
(やっと元気出たか・・・。)
やっぱり未夢は、笑っているのが一番似合う。
この笑顔を見たくて、だから自分もおせっかいになるのかもしれない
「よっし、決まり!と言うことで、さっそくレッツゴー!!」
未夢の手を取ると、ななみはズンズンと歩いて行く。
引っ張られるような感じで、後についていく未夢。
「え、ちょつと、今から行くの!?」
「そ!善は急げって言うでしょ?」
「まだ荷物とかあるんだよ〜、ななみちゃ〜ん。」
抗議しながらも、嬉しいような、くすぐったいような感じがして、未夢は思わず微笑んだ。
「ななみちゃん・・・。」
「ん?」
「ありがとね・・・。」
「いいってこと!」
きっぱりと答えるななみ。
未夢も足を揃えて、並んで歩く。
(何か、お姉さんみたいだなぁ・・・。)
そう、思った。
一人っ子だけれども、もしお姉さんがいたらこんな感じなのだろうか。
不意に、雑踏の中に見慣れた後姿を見つけて足を止めた。
「あ、あれ・・・、綾ちゃんじゃない?」
「え?綾?」
ななみも立ち止まって、目を凝らした。
なるほど、黒い三つ網の少女が歩いているのが見える。
「ホントだ。」
「お〜い、綾ちゃ〜ん!!」
未夢の呼びかけに、綾はくるっと振り向く。
そして、二人の姿を認めたかと思うと・・・。
「未夢ちゃん、ななみちゃ〜ん!!」
突如、ものすごい勢いで突進してきた。
思わず身を引く二人。
二人の手前まで来ると、綾は急ブレーキをかけて立ち止まった。
「二人とも聞いてよ!ひどいんだよ〜〜!!」
「ち、ちょっと綾、落ち着きなって!」
「何かあったの?」
面食らった顔で二人は尋ねる。
綾は、頬を膨らませ、いかにも「怒ってます!」といった表情をしている。
こんな顔の彼女もかなり珍しい。
「今ね、グルーバさんのお店に行ってきたの。こないだの本、いつごろ入るか聞こうと思って。そしたら・・・。」
「そしたら?」
綾はダンッと地団太を踏んで叫んだ。
「そしたら!次の馬車は当分来ないっていうのよ〜!」
「ふ〜ん、来ないんだ・・・って、来ない!?」
ななみの驚きの声に、綾はコクンと頷いた。
未夢も信じられない表情だ。
「ど、どうして?」
「十字軍が迫っているから、危険だって・・・。安全が確認されるまで、馬車は出せないって・・・。」
言い終わると、綾はシュンとしてしまった。
「そんな・・・。」
未夢は呆然と呟いたが、ななみには何となくわかる気がした。
ロアにやって来る定期馬車は、この小さく退屈な村の人々の娯楽という意味を持つため、かなり珍しい品を積んでいる。
もちろん、この村の人々から見ればの話で、王都では何でも無い物ばかりだ。
だが、遠方からやって来る兵士達にして見れば、喉から手が出るほど欲しい物だろう。
おまけに、辺境ということが災いしてか、警護に付く兵士は、多くても、10人前後。
この状況下でこんな馬車がウロウロしていたら、襲ってくださいと言っているようなものだ。
「ああ〜・・・せっかく今書いてる話の参考にしようと思ってたのに・・・じゅーじぐんのバカー!!」
「まぁまぁ・・・。」
残念なのは未夢達もおなじだが、ここで何を言ってもどうにもならない。
何とか綾の機嫌を直すために未夢は別の話題を振った。
「そう言えば、綾ちゃんのお話、どこまで進んだの?」
未夢にとっては、本当に気になっていたことでもあった。
綾が今、全力を傾けている一台長編の話。
どんな物ができるのか、楽しみにしているのだが・・・。
「ん〜〜、それがね〜〜、まだまだ決まんないのよ・・・。」
ありがたいことに、綾の関心はそちらに向いたようだ。
「そもそも、どんな主人公にするか、それも決まんない有様なのよね〜。人物は物語の命だから、きちんと決めたいんだけど・・・。」
「実際にいる誰かをモデルにしたら?」
「簡単に言わないでよ〜。小説の主役にできそうな人が、その辺に転がってるわけ・・・」
言いかけた時、力無くさ迷っていた綾の視線がある一点で止まる。
ななみもつられてその方向を向く。
そこに居るのは・・・
「え・・・な、何?」
二人に凝視されて、未夢はたじろいだ。
「・・・そうよ。」
綾の目が徐々に輝きを増していく。
「そうだわ!」
綾はビシッと未夢を指差して言った。
「未夢ちゃんよ!」
「はい?」
何がなんだかわからない未夢。
ただ、何となく嫌な予感がするのだが・・・。
「そう、未夢ちゃんを主役にすればいいのよ!あ〜、なんでもっと早く気付かなかったのかしら!我ながらグッドアイデアだわ〜〜!!」
未夢は慌てて叫んだ。
「わ、私が!?」
「そうよ!その可愛さ!その素直さ!そのオッチョコチョイさ!どれをとっても私の物語の主役にピッタリよ〜!!」
「前の二つはわかるけど・・・最後の一つって関係あるの?」
ななみのツッコミに、綾はぐるんと振り返る。
「当然よ!主人公の女の子はちょっとドジなのが基本!外見も能力も完璧、なんてのは主人公にふさわしくないわ!そういうのはむしろ、主人公のお相手にこそ・・・。」
綾はそこまで言うと、再び未夢のほうへと向き直った。
「・・・そう言えば未夢ちゃん。今まで聞いたこと無かったけど・・・未夢ちゃんってどんな男の人が好みなの?」
「あ、それ、あたしも興味ある〜。」
ななみも加わって、興味津々で見つめてくる。
未夢の顔は、もう真っ赤だ。
「べ、別に、そんなこと考えたことも無いし・・・。」
「え〜〜・・・。」
「未夢って、そういうとこ鈍そうだもんね。」
ななみは苦笑した。
村の兵士にあれだけ人気があるのに本人は気付かないのだから、ある意味当然かもしれない。
「まっ、いいわ!その件はひとまず保留にしときましょう!今はもう、未夢ちゃんという素晴しい主人公がいるんだから!ああ〜火がついてきたぁ〜、こうしちゃいられないわ・・・この火が消えないうちにプロットつくんなきゃ!それじゃ、そういうことで!」
「あ、ちょっと綾ちゃん!」
未夢が叫んだときにはもう、綾は駆け出していた。
「新作、期待しててね〜〜、一世一代の大作になるはずだから〜〜!!」
あっという間に走っていってしまった綾の後姿を見送ると、未夢とななみはようやく我に帰った。
「な、何か綾ちゃん、人が変わってる・・・。」
「これから大変そうだねぇ〜〜。」
しみじみと言うななみに、未夢は抗議する。
「そんな落ち着いてないで助けてよ、ななみちゃ〜ん。」
「ムリだって。ああなると綾は止められないよ・・・。あたしも身をもって体験したからね・・・。」
未夢はまじまじとななみを見つめる。
「もしかして、前にネタにされたのってななみちゃ・・・。」
「ストップ!それ以上は聞かないで!」
(なにがあったんだろ・・・。)
ななみの引きつった顔を見て、未夢はそう思わずにはいられなかった。
「それにしても・・・。」
一転して真剣な表情になったななみが呟く。
「十字軍とか、戦争とか、あたし達には関係ないと思ってたけど・・・そうもいかないみたいだね・・・。」
「うん・・・。」
未夢も神妙な顔で頷く。
大丈夫だ、と思っていた。
十字軍が来ても、これまでの生活は何も変わらない、と。
だが現実、十字軍の影響は明らかに現れてきている。
馬車が来ないのも、未夢のおじ達が去っていってしまったのも。
戦争の足音が、確実に迫っているのだ。
(ただ静かに暮らしたい。それだけなのに・・・。)
なのに、それさえも許してはくれない。
悲しくて、悔しかった。
不意に、風が吹いた。
かなり強い風、土ぼこりが巻き上げられる。
未夢とななみは慌ててフードを引き上げた。
「もう、砂嵐の季節なんだね・・・。」
「うん・・・。」
二人は手をかざしながら、西の方を見た。
この風の中をやって来る、異国の軍隊。
それが、今までとは比べ物にならない脅威であることを、ほとんどの人々は、まだ知る由も無かった。
国境に近付くにつれて、気候にも変化が出てくる。
もう夜だというのに、生暖かい風のせいで、昼と同じような服装ですごすことができる。
それはつまり、敵の勢力圏に近付いたということで。
通常より見張りの数を増やした十字軍野営地は、どことなく緊張した雰囲気が漂っていた。
「異常は無いか?」
彷徨に声を掛けられた見張りの兵士は一瞬意外そうな顔をしたが、すぐに彷徨に向き直って頷く。
「はい、特にありません。」
「そうか。お前も、ちゃんと交代して休んでおけよ。」
「は、はい!」
ますます意外そうな兵士の表情に、彷徨は心の中で苦笑した。
(そんなに構えなくてもな・・・。)
只の兵士には、騎士と話す機会など早々あるものではない。
下級兵士の中には、騎士について必要以上に神格化してしまっている者も少なくないのだ。
自分より年下とはいえ、そんな人間に声を掛けられたことが、驚きだったらしい。
これが、身分差というやつなのだろうか。
彷徨にとってはあまり有難くない話だったが、仕方が無い。
彷徨はむりやり納得した。
彷徨と三太が十字軍に加わってから3日目。
十字軍は東進を続け、ついに国境まで数キロの地点へ到達した。
明日にはいよいよ国境を越え、異教の地へと踏み込む。
「旅」はすでに始まっている。
だが、「戦い」は明日から幕を開けるのだ。
そう考えると、自然と気持ちが高ぶってくる。
はやる気持ちを抑えるように、彷徨は大きく深呼吸をした。
この軍に加わった彷徨は、下級、中級貴族の子弟で構成された隊の小隊長を任された。
聞くところによると、望が軍議で強く自分を推薦したらしい。
その理由について彼に尋ねてみても、「君が適任なんだ」とだけ言って、それ以上は語らなかった。
理由といえば、初めて会ったあの日、なぜ自分達を襲ったのかについても、今ひとつはっきりしないままだった。
状況から考えれば盗賊か何かと勘違いされたというのが妥当だろうが、それでは説明にならない。
普通の格好の三太はともかく、鎧を身に付け、騎士の姿をした彷徨を見れば、盗賊でないことは一目でわかったはずだ。
結局、腑に落ちないことが多いまま、ここまで来てしまった。
三太には安心させるようなことを言ったが、正直彷徨も、望についてはよくわからない。
悪い人間でないことはわかる。
腕も並の大人より遥かにたつ。
だが、こうして敵地に近付いてしまうと、こいつに自分の命を預けてもいいのかという思いがどうしても出てきてしまう。
彷徨は軽くため息をついた。
テントの中からは笑い声が響いている。
意気投合したもの同士、騒いでいるようだ。
自分は、あの中には入れないだろう。
さっきの兵士の態度を見るまでも無く、それがわかる。
身分差を抜きにしても、自分のこの性格が、周囲に壁を作っている。
もし、三太ならば、たぶんあの輪の中にもすんなり入っていけるのだろうが。
(三太を下につけてもらって、正解だったな・・・。)
小隊長になるにあたって、彷徨は望に一つ条件を出した。
三太を自分と同じ隊にし、「伝達係」にして欲しいと頼んだのだ。
いくら騎士とはいえ、人によっては自分の年齢の半分にも満たない小僧っ子に命令されるというのは誰でもあまり気分のいい物ではない。
実際、彷徨に命令される彼らの目には、明らかに不満の色が見えた。
彷徨にとって、パイプ役となってくれる人間、自分の事を理解し、兵士にも反感を持たせない人物は必要不可欠だった。
その点、幼い頃から一緒に育ち、平民の心情も理解できる三太はうってつけだったのだ。
その効果か、今のところ兵士から不満が出た様子は無い。
今のところは、だが。
(もう、寝るか。)
明日も早いだろう。
休息は取れるうちに十分とっておくべきだ。
そう思って自分のテントに戻ろうとした彷徨は、ふと見つけた人影に足を止めた。
その人影は、陣地の奥のほうに入っていく。
記憶違いでなければ、あそこにあるのは望の本陣だったはずだ。
(何だ?)
彷徨はそっと後をつけた。
望がこんな夜中にであるく理由がわからない。
もし、彼でないのなら・・・・。
人影は、やはり本陣に入って行った。
彷徨も、気付かれないようにテントに入る。
が、そこに人の姿は無かった。
代わりに、裏のほうから、何やらガサゴソやる音が聞こえる。
彷徨は、そっと幔幕を上げる。
「・・・王子?」
そこに居たのは、望だった。
すぐにわからなかったのは、普段とはまるで違う格好をしていたからだ。
布でできた長袖の服に、麦藁帽子という、まるで農家の親父のような服装。
はっきり言って、彼にはあまり似合っていない。
彷徨の声が聞こえたらしく、望は振り向くと微笑んだ。
「やあ、彷徨君。」
「・・・なに、やってるんだ?」
彷徨は薔薇の側にしゃがんでいる彼に言った。
位で言うなら望のほうが遥かに上なのだが、彼が普通に話せと言うので、彷徨は皆がいないところでは普段語を使っていた。
「見ればわかるだろう?薔薇の世話さ。」
「世話って・・・お前が自分でやってるのか?」
「そうだよ。」
「ここにあるやつ、全部か?」
「もちろんさ。」
初耳だった。
ここに来てから随分たつが、その間彷徨は、この薔薇の世話を彼自身ではなく、従者か誰かがやっているとばかり思っていたのだ。
しゃがみこんだ望の手にはビンが握られており、中には明らかに虫としか思えないものが動いている。
「それは?」
「僕の薔薇の、天敵さ。」
つまり、害虫ということか。
一匹一匹、細い棒でつまんでいく望に、彷徨は怪訝な顔をした。
「そんな面倒なことしなくても、薬を使えばいいだろ。殺虫剤とか・・・。」
望は呆れたように振り返って言った。
「そんなことをしたら、薔薇達はどうなる?」
「?」
「虫を殺す薬が、花には何の影響も無いなんて、あると思うかい?」
「あ・・・!」
彷徨は思わず声を上げた。
そんなこと、考えたことも無かった。
だが確かに、虫を殺すということは、それなりに毒性を持っているはずだ。
薔薇の状態を考えれば、手で取ったほうがいいに決まっている。
それくらいの理屈は彷徨にもわかった。
だが、これだけの薔薇の虫を、一匹一匹取っていくのは、想像以上に骨が折れるはずだ。
「さて、終わりかな。」
立ち上がって出て行く望。
彷徨もその後を追って、二人は外へ出た。
「おい。」
「なんだい?」
「なんで十字軍に参加したんだ?王族のお前が。」
望は少し驚いた顔をしたが、いつも通りの答えを返してきた。
「何でって・・・前にも言っただろう?信仰と名誉のためさ。」
「それだけか?」
普段ならここまで突っ込むことはしない。
どうせ突っ込んでも答えないからだ。
だが、なぜだかわからないが、今なら聞き出せそうな気がした。
「・・・・証明するためさ。」
「何を?」
「・・・自分の力を、さ。」
まだよくわからない彷徨に、望ははっきりと言った。
「14の少年でも、王族でも貴族でも、力のあるものは居るということを証明する!そのために、僕はやらなくちゃならないんだよ!」
ああ、と彷徨はようやく理解できた。
普通、騎士になるためには、剣術、馬術、学問などの試験に合格する必要がある。
だが、王族や、侯爵以上の高位貴族の子弟は例外だ。
彼らは満14歳になると、自動的に騎士の資格を得る。
特権とはいえ、そこに入るまでには厳しい英才教育を受けなければならないし、場合によっては能力以上の仕事を任されることもある。
つまり、決して楽をしているということではないのだが、そこが誤解されるのは世の常。
この少年も、多分今までに経験してきたのだろう。
自分の力で掴んだ地位に対する、色々な中傷を。
何だか、不思議な気持ちだった。
普段は気取っていて、王子然とした望の、隠されたれた素顔。
14歳の、少年として、彷徨たちと変わらずに悩んでいる姿。
「つまらないことを聞かせたね。」
望はそっぽを向いた。
彷徨もただ黙って空を見る。
気まずい沈黙。
「おお〜い、彷徨〜〜!!」
声が聞こえて、誰かが走ってくる。
三太だ。
「あれ、王子様も一緒か?ちょうど良かったぜ〜!!」
「なんだい?」
望は三太に向き直った。
もう、彼は平静を取り戻している。
「次の目的地は、とりあえずどこかって、みんな聞きたがるんだよ〜!大まかでいいから聞かせてやりたいんだけど・・・。」
「次の目的地は・・・・とりあえず、城塞都市ゼーラスだね。一応は。」
「一応は?」
「まだ何かあるのか?」
尋ねる二人に、望はしばらく迷っていたが、結局話すことにしたらしい。
「ロアという村があるんだ。オアシスを開拓したらしい場所で、国境に一番近い村なんだよ。最近放った斥候の報告で分かったんだけどね。」
「そこに、行くのか?」
望は首を振った。
「取り立てて目立った拠点があるわけでもなし。兵士もいないようだし、そのまま通り過ぎてかまわないと思う。何より、住民に迷惑がかかってしまうしね。」
望の言葉に、彷徨と三太も頷いた。
二人にしても、あまり無関係な人間に手を出したくは無い。
「わかった!じゃあ、みんなにそう伝えておくぜ!」
そう言い残して三太は駆け出していく。
望は三太を見送ると、彷徨に言った。
「いい従者じゃないか、彼。」
「従者じゃない。三太は友達だ。」
「友達・・・か。」
「何だ?」
望の言葉に含むものを感じて、彷徨は望に視線を向ける。
「いや、何でもない。」
望は踵を返して歩いていく。
「明日は早く出発だ。君も休んでおきたまえ。それじゃ、アディオス。」
テントに入っていく望を見て、彷徨もその場を立ち去った。
自分のテントへ戻り、明日に備えるために。
だが・・・・。
「おい、聞いたか?」
「ああ、もちろんよ。」
「ロアって言ったな・・・。」
「俺らにも、運が回って来たよなぁ・・・。」
草むらに隠れていた男たちの会話。
それに気付いた者はいなかった。
もちろん、彷徨達3人も。
これが、惨劇の引き金になることを。
誰一人として知らなかったのである。
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