作:OPEN
静かな山の朝、チチッという小鳥の鳴き声が響いている。
窓の隙間から、微かに差し込む光で、未夢は目を覚ました。
「う・・ん・・・。」
まだボンヤリした目で周りを見回す。
(あれ・・・ここって・・・。)
最初に目に入ったのは、薄暗い部屋の壁。
そこに隙間なく敷かれた布団。
そして、隣で寝息を立てているのは・・・。
「えっ!?」
自分のすぐ前にある、整った顔立ちを目にして、未夢の意識は一気に覚醒した。
「かっ、彷徨!?」
バッと跳ね起きて、思わず後ろに下がる。
静かに寝息を立てている彼を見つめているうちに、段々と昨日の記憶も戻ってきた。
(そっか・・・昨日、みんなで寝たんだっけ。)
少しずつ頭がはっきりしてくる。
未夢は彼の顔をじっと覗き込んだ。
無防備に眠っているその寝顔が、いつもより幼く見える。
「へ〜・・・。」
まじまじと覗き込んで、思わず声を上げた。
朝焼けに照らされて、彼の長い睫が見える。
不意に、それがピクッと動いた。
「ん・・・。」
小さく声を上げて、瞼が次第に開いていく。
やがて半分ほど開いた瞳が自分を捉え、その唇から声が漏れた。
「・・・未・・・夢?」
二、三度瞬きをすると、彷徨はゆっくりと起き上がった。
そして、軽く首を左右に振る。
「朝・・・か?」
言って、隣に目をやる彷徨。
未夢はふっと微笑んだ。
「おはよ、彷徨。」
「・・・ああ。」
目を擦りながら、彷徨は返事を返す。
まだ頭が完全に起きていないらしい。
ふと、未夢が自分の方を面白そうに見つめているのに気付く。
「何ニヤニヤしてんだよ・・・。」
「ううん、別に。」
未夢は微笑んで首を振った。
実を言えば、彼の寝顔が可愛かったからなのだが。
それは口には出さずに、未夢は周りを見回した。
「いい朝だね〜。んんっ、気持ち良い〜〜〜!。」
「俺は身体が痛い・・・。」
気持ちよさそうに伸びをする未夢とは対照的に、彷徨は顔を顰めて肩を回す。
どうやら変な体勢で寝てしまったようだ。
そんな二人を、後ろからクイクイっと引っ張るものがあった。
「?」
振り返った二人の目に、やけに小さな掌が映る。
それを辿っていくと、自分達を見上げている、澄んだ紫色の瞳とぶつかった。
宙にふわふわと浮いて、袖を掴んでいる赤ん坊。
「だぁ!」
未夢は一瞬驚いた顔をしたが、すぐにふわりと微笑んで小さな体を優しく抱き上げた。
「おはよ、ルゥ君。」
「あいっ!」
未夢の胸に顔を寄せるルゥを見て、彷徨は昨日の出来事を完全に思い出した。
目の前にふわふわ浮いている彼を見なければ、まだ夢としか思えないような記憶
それらを順番に辿っていくと、彼の頭の中に何かが引っかかる。
何かが、足りない。
(こいつだけじゃなかったはずだよな。あと一人・・・。)
「あ、お二人とも、起きられたんですか?」
部屋の入り口から掛けられた声に反応してそちらを見る。
妙な生き物がヒョコッと顔を出していた。
丸っこい体型に、不釣合いに短い手足。
犬と猫を足して割ったような顔。
ルゥのベビーシッターである幻獣族の若者・ワンニャーはピョコピョコと音を立てて、部屋に入ってきた。
「おはようございます。未夢さん、彷徨さん。いい朝ですよ〜。ルゥちゃまも早くから起きてらっしゃったようですし。」
「あいっ!ワンニャっ!」
叫んでワンニャーの頭の上に乗っかるルゥ。
ワンニャーはルゥを抱き上げると、まだ目を丸くしている二人を見た。
「朝食の用意、もうできてますよ。顔を洗ったら、食堂にいらして下さいね。」
まるで、長年使えている給仕のようにそう言い放つと、ルゥを抱いてトコトコと廊下を歩いていった。
残された二人はしばらくの間、呆然として彼の出て行った扉を見つめる。
「・・・夢じゃ、なかったみたいだね。」
先に沈黙を破ったのは未夢だった。
「あんまりいろんな事ありすぎて、こんがらがっちゃいそうだけど。」
「まあな。」
彷徨は頷いて立ち上がった。
もう村人達はすでに起き出しているらしく、外からは話し声が聞こえてくる。
すっかり熟睡してしまっていた自分に、彷徨は驚いていた。
この所、眠る時まで気を張っている日が続いていたから、その反動もあるのかもしれない。
「顔、洗おうぜ。」
「うん。」
寝乱れた髪を掻きながら促す彷徨に、未夢は元気良く答えた。
井戸の冷たい水で顔を洗い、交代で部屋を使って着替えを済ませる。
二人が食堂に入ると、もうそこには朝食が並べられていた。
テーブルの周りでは、ワンニャーが忙しそうに走り回っている。
「あ、お二人はそこに座ってください。ルゥちゃまはその隣に。え〜と、パンにスープに・・・ああっ、そうでした!卵があったんでした〜〜!いや〜思い出してよかったです〜〜!!」
驚く二人を尻目に、彼はテキパキと準備をこなしていく。
ふと、ボーッと突っ立っている二人を目にして、ワンニャーはパンパンと手を鳴らした。
「ほらほら、早く席に着いてくださいよ〜!お食事っていうのはみんな揃ってからが基本なんですからね!」
『あ、はい。』
慌てて二人が席に着くと、ルゥがふわりと飛んできて、未夢の膝にちょこんと座った。
未夢は苦笑しながら、ルゥを抱き上げる。
「こら、ダメだよ、お行儀悪しちゃ。ルゥ君はこっち!」
「ぶぅ〜〜!」
ルゥは頬を膨らませて抗議の声を上げた。
その間に、ワンニャーは常人の2倍、いや3倍近い速さで支度を済ませていく。
彷徨は驚いた顔で彼の仕事ぶりを見つめた。
手伝おうかとも思ったのだが、この分では彼らに出来ることは何もない。
むしろ、どこに何があるのかわからない分、邪魔になってしまいそうだ。
程無くして、テーブルの上はおいしそうな料理で飾られた。
ワンニャーが椅子の上に飛び乗って、ようやく全員が揃う。
「ふ〜、終わりました〜。さ、お待たせしちゃいましたね。頂きましょうか。」
「うん。」
「ああ。」
「あ〜い!」
4人は手を顔の前で合わせた。
目を閉じて、それぞれの神に感謝を捧げる。
『頂きます。』
4人の声が、綺麗に唱和した。
「ささ、冷めないうちにどうぞ。」
パンにバターを塗りながら、ワンニャーが勧めた。
パンとスープ、それに茹でた卵。
たったこれだけの、至ってシンプルな食事だが、とても美味しい。
さすがだな、と彷徨は心の中で感心した。
「ん?どうしたの、ルゥ君?」
未夢が隣のルゥを見て尋ねた。
ルゥがその小さな手を、未夢の手元に伸ばしている。
「・・・ルゥ君、これ食べたいの?」
「あいっ!」
「でもこれ、固いし・・・。」
困ったように彷徨に視線を向ける未夢に、彷徨は微笑んで言った。
「柔らかくしてあれば、大丈夫だと思うぞ。そうだろ、ワンニャー。」
「あ、はい。そーですね。」
二人の言葉にパッと顔を輝かせると、パンを小さく千切り、それをスープに浸した。
「はい。ルゥ君。あーん。」
「あーーー・・・。」
パクッと口に入れると、ルゥは嬉しそうに笑う。
「おいしい?」
「あーい!マンマッ!」
天使のような笑顔に、未夢の顔も自然と綻ぶ。
彼女の手はいつの間にか自然に動き、ルゥに食べさせてやっている。
二人の様子を見守っていたワンニャーは、ウンウンと満足そうに頷いた。
「未夢さん、お優しい方ですね〜。ルゥちゃまもすっかり懐いておられますし・・・まるで本当の親子のようです〜。」
「親子、か。」
彷徨は二人を何となく見つめた。
寄り添い、互いに愛情を注ぎあう二人の姿を見ていると、確かにそんな気がしてくる。
考えてみれば彼自身も、こんな風に賑やかな食卓を経験するのは初めてだった。
ふと、彷徨の頭に浮かんだのは、肖像画でしか顔を知らない母・瞳の事。
(俺と母さんも、こんな風に朝食を食べてたんだろうか・・・。)
ボンヤリと、そんな事を考えてみる。
楽しかったであろう日々が、頭に次々と浮かんできて、彷徨はそっと顔を伏せる。
「?彷徨さん・・・?」
「ああ、すまん。何でもない。」
不思議そうに聞いてきたワンニャーにそう答えて、彷徨は再びスープを啜った。
「のどかな風景ですな。」
扉の方から急にかかった声に、未夢達は振り向いた。
「そ、村長様!?」
「やはり、こうなっておりましたか。」
どこか諦めを含んだ声でそう言うと、村長―――ゲオルグ・フォンバッハはゆっくりと部屋に入ってきた。
同時に、はっと正気に返ったワンニャーが慌てて言い訳を始める。
「あ、あのですね村長様。これはつまり、あの・・・。」
「よいのじゃ、ワンニャ。こうなるであろうことは覚悟しておったよ。」
「はあ・・・?」
間の抜けた声を出すワンニャーに構わず、ゲオルグは未夢達に歩み寄った。
「お二人とも、この二人の事をお知りになったようですな。とんでもない事を押し付けて、申し訳ありませんでしたな。」
「い、いえ。」
「俺達は別に・・・。」
取り乱すと思った老人のあまりの落着き様に、逆に未夢達の方が慌ててしまう。
ルゥのこともそうだが、ワンニャーのこの姿を見て、取り乱さないのは不可能だと思ったのだが、それとは対照的に今の態度は落ち着いたものだ。
そんな二人の心中を知ってか知らずか、ゲオルグは先程からのやりとりにキョトンとしているルゥの頭をそっと撫でる。
そして彼は顔を上げ、未夢と彷徨をまっすぐに見据えた。
「お話致しましょう。この子の事を全て。と言っても、わたくしめの知っている事など僅かですがな。」
「村長さん・・・。」
呆然と呟く未夢の前で、ゲオルグは皺の寄った顔をほんの少し、綻ばせた。
「私がこの子と出会ったのは、今から一月ほど前の事でございました。」
テーブルを囲み、ワンニャーがお茶を並べるのを待って、ゲオルグは話し出した。
ちなみにルゥは食事が済んで眠くなってしまったのか、揺り篭の中でお昼寝中である。
「当時、グランドールは今と同じく、この村に兵士を頻繁に送り込み、我らに改宗と服属を迫っていました。皆の不安は日ごとに高まり・・・・私はと言えば自分の持っているずる賢さを最後の一滴まで搾り出して、善後策を模索していた、そんな頃のことです。」
ゲオルグは眠っているルゥに視線を移した。
「ある日、私は不思議なものを見ました。この村の背後に聳え立つセヴル山脈・・・そこから突然光が立ち昇ったのですじゃ。」
「光?」
首を傾げる彷徨にゲオルグは頷いた。
「左様。正確に言うならば、光の「柱」とでも言うべきでございましょうか。それは細い物でしたが、どこまでも高く、そして強い光を放っておりました。」
「光の柱、ですか・・・。」
突飛な単語に眉を寄せる彷徨。
反対に未夢はグッと身を乗り出した。
「そ、それで?」
「初めはこの年寄りの錯覚かと思っておりました。ですがその後、村の人間の中にも光を見たというものが次々と出始めたのです。お二人もご承知の通り、この村は古くから幻獣伝説が根付いている村。ほんの少しのことでも、彼らは敏感に反応しますでな。騒ぎはすぐに大きくなってしまいました。」
「でしょうね。」
彷徨は納得できると言うように、大きく頷いた。
茶を一杯啜ると、ゲオルグは続ける。
「私は信頼できる男を一人・・・おお、お二人もお会いになったでしょう、あの偏屈な、幻獣の彫り物を作っておる、あの男。彼を供に連れ、セヴルの山の奥深く入り込みました。そこで我らが見たのは・・・本当に驚くばかりのものでございましたよ。」
「ルゥ君・・・ですね?」
未夢の言葉にゲオルグは微笑んで答える。
「全く、ここの歳まで生きてきて、多少のことには驚かないと自負しておりましたが、あの時はさすがに腰を抜かしましたわい。何しろ、突然目の前に、光を纏った赤ん坊が、ふわふわと舞い降りてきたのですからな。」
その時のことを思い出したのか、彼は遠い目をして語った。
「そのまま舞い降りてきた赤ん坊は、私の腕の中ですぐに眠ってしまい・・・とにかく、あの男にもこの事は黙っているようにと年を押して、我々はあの子を連れて帰ったのでございます。」
「そうだったんですか・・・。」
彷徨はふうっと息を吐いた。
言われてみれば確かに思い当たる節はある。
あの偏屈な店の主人は、ワンニャーを見た時は「何者だ」と警戒の素振りを見せたが、ルゥにはそれを見せなかった。
今考えれば、既にルゥのことを知っていたからなのだろう。
ふと、未夢が手を上げて尋ねた。
「あの、ホントに何にも無かったんですか?ルゥ君の手がかりになるような物。」
「ああ、一つだけございます。」
そう言うとゲオルグは席を立って戸棚の前に行き、程無くして戻ってきた。
その手には、小さな板のような物が握られている。
コトリとテーブルに置かれたそれには、消えかかっているが「Ru」という文字。
板は金属製だが、見たこともないような輝きを放っている。
彷徨はそれをじっと凝視した。
「・・・これは?」
「その子を見つけた時、首に掛けられていた物ですじゃ。偶然なのかどうか・・・「ルゥ」というのは我らの言葉で「光」を意味する言葉でもありましてな。光の中から飛び出してきたこの子に相応しいと思い、「ルゥ」という名を付けたのです。」
一同はその言葉に、眠っているルゥを見遣る。
あくまで安らかなその寝顔。
「ルゥ・・・光の子・・・か。」
彷徨の呟きに、未夢はうんうんと頷いている。
そんな中、ワンニャーは恐る恐る尋ねた。
「あの〜〜・・・村長様は、知ってらっしゃったんですか?ワタクシのことを・・・。」
ゲオルグは大きく肯定の意を示した。
「ああ。この子を連れて帰ったはいいものの、見境無しに物を浮かせるわ、大人しくさせようとすると暴れるわで、ほとほと弱っていた所に、何やら奇妙な男が『赤ん坊を見なかったか』と尋ねてきたものでな。まあ、一目で人間でないと分かったが。」
「ど、どうしてですか!?こんな完璧な変身を!」
驚いて詰め寄るワンニャーに、ゲオルグは呆れたような視線を向けた。
「尻尾丸出しで、おまけにヒゲまで飛び出しておるものを『人間』と見間違えるものはおるまい?」
「え・・・。」
「儂はもういい年じゃが、それでもまだそこまでは呆けてはおらんぞ?」
硬直したワンニャーに、彷徨はぽそりと言う。
「一発バレだった、ってわけだな。」
「はっはっは。まあ、ルゥの世話以外にも、炊事やら洗濯やら、色々と手伝ってくれて助かったがのう。」
ガックリと肩を落とすワンニャーと、愉快そうに笑う老村長を見比べて、彷徨はため息をついた。
望が言っていた通り、やはりこの老人、なかなかいい性格をしている。
ひとしきり笑うと、ゲオルグはふうっと力を抜いて椅子にもたれかかった。
「これで、知っていることは全てお話し致しました。やっと・・・胸のつかえが取れましたわい。」
「良いんですか?余所者の俺達に、ここまで話して・・・。」
彷徨の言葉に、老人は笑って手を振った。
「何、構いませぬよ。どの道、この子を一生あのまま家に閉じ込めておくのはこの子のためにならぬし、そんな事はまず無理でございましょう。それに・・・。」
彼はそこで一端言葉を切って、二人の目を交互に見つめた。
「?何ですか?」
「いやいや、何でもありませぬ。」
朗らかな笑い声を上げるゲオルグを、彷徨は訝しげに見つめ、未夢は首をかしげた。
この二人ならば。
誰よりも澄んだ目をした、この二人ならば。
信じてもいいだろう。
惜しみない愛情を、ルゥに寄せてくれるはずだ。
自分にはない純粋さを、持っている子達なのだから。
しきりに首を捻る二人に穏やかな笑みを浮かべ、老村長はすっかり冷めてしまった茶を口に含んだ。
バタンッ
「村長っ、大変だ!!」
突然、大きな音と共に、ドアが開け放たれ、一人の男が飛び込んできた。
驚く未夢達の前で、中年くらいに見えるその男はゼエゼエと息をついている。
ここまで走りっぱなしで来たらしい。
「何じゃ、一体何があった?」
「ああ、それが・・・。」
男はいいかけたが、視線の先に未夢達を男は言いにくそうに口を噤む。
ゲオルグは男に向き直ると、彼を促した。
「構わん、話せ。」
「あ、ああ。」
男はしばらく躊躇っていたが、やがて呼吸を整えると話し出した。
ちなみにワンニャーはと言えば、彼が飛び込んできた時点でしっかりと机の下に避難している。
「一大事だ、村長。グランドール軍がこっちに向かってる。それもかなりの大部隊だ!」
瞬間、一同に緊張が走った。
「・・・・数は?」
「俺も隊商から聞いただけだから、はっきりとはわからねえ。けど少なくとも、何千人っていう大軍だそうだぜ!多分、明日にはここに・・・」
「ほう・・・。」
興味深そうな色が、老人の顔に浮かんだ。
「村一つを支配下に入れる割には、大げさな数じゃのう。」
「ええ。十字軍を攻撃する役目も兼ねてるんでしょうね。」
彷徨も深刻そうな顔で呟く。
報告の主はおそらく、昨日追い返された三人の兵士だろう。
「恐らくそうでしょうな。」
そう言って、男の方に向き直る。
「すぐに村中に知らせよ。男はもちろん、動ける者は女、子供でも、全員広場に集めるのじゃ。」
「それでどうするんだ!?」
「貯蔵してある材木を全て使って、村の周りを全て柵で囲む。無論、できるだけ高くしてな。相手がラクダ騎兵ならば、それで少しは時間が稼げるはずじゃ!」
「わ、わかった!」
叫んで飛び出していく男を見送って、ゲオルグは二人を見た。
「お二人とも、今すぐ発たれるのがよろしいでしょう。今から馬を飛ばせば、昼過ぎには十字軍の野営地に着けるはずです。」
「わかりました。」
彷徨は立ち上がった。
「できるだけ早く戻ってきます。」
「お願い致しますぞ。」
頷いて、彷徨は隣にいる未夢に声をかけた。
「そう言うことだ。今、馬を引いてくるから、お前は出発の準備をしといてくれ。」
「で、でも、ルゥ君やワンニャーは?」
心配そうにワンニャーを見る未夢。
「大丈夫ですよ、未夢さん。敵が来るまでにはまだ時間があるんです。ちゃんと避難してますよ。」
安心させるように笑うワンニャーに、未夢はしばらく黙っていたが、
「そう・・・そうだよね!」
一つ頷いて、顔を上げる。
「じゃあ私、準備しとくから!」
「ああ。」
彷徨が頷くのも待たずに、未夢は部屋を飛び出していく。
それを見届けて、彷徨も馬を引いてくるため、馬小屋に向かう。
のどかな風景が、一転して騒がしくなった。
彷徨が馬を引いて戻ってくると、もう未夢は準備を終えていた。
ワンニャーに手伝ってもらって、茶色い旅用のマントを羽織り、それを紐で留めている。
「準備できたか?」
「うん!」
「よし・・・。」
頷いて彷徨はマントを引っ掛けた。
順番に馬に跨る二人に、ゲオルグが歩み寄ってくる。
「お二人とも、お気を付けて。」
「村長も。」
彼と握手を交わしてから、ワンニャーに向き直った。
「しばらくの間、お別れだな。」
「お二人が行ってしまったのを知ったら、ルゥちゃままたお怒りになるでしょうね。」
苦笑交じりのワンニャーの言葉に、未夢と彷徨は微笑んだ。
「必ず戻ってくる。それまで、待っててくれよ。」
「二人とも、会えて嬉しかったよ!」
「はい!未夢さん、彷徨さん、本当にいろいろお世話になりました!」
深々と頭を下げるワンニャー。
未夢の視線が、自然と家に向く。
いや、正確には家の中で眠っている子供に。
「ルゥ君・・・まだ寝ちゃってるんだね。」
「・・・その方がいい。俺もまだ心の準備ができてないから。」
「彷徨・・・。」
前を向いた彷徨の顔は、後ろに乗る未夢からは見えない。
しばらくの沈黙の後、彷徨は見送りの二人を振り返った。
「俺がこんなこと言うのも変だけど・・・ルゥのこと、お願いします!」
「もちろんですとも。」
村長の言葉にワンニャーも同意を示す。
彷徨はそれを見届けて、そして前を向いた。
「飛ばすぞ!しっかり掴まってろ!」
「うん!」
未夢がきゅっとしがみついたのを確認して、彷徨は拍車を掛けた。
ヒヒンと一声嘶いて、馬はものすごい勢いで飛び出す。
後姿が見えたのはほんの少しの間だった。
二人の姿は路地を曲がった所で見えなくなり、蹄の音も徐々に小さくなっていった。
「行ってしまわれましたね。」
「うむ。」
二人を見送った後、ワンニャーとゲオルグはしばらくその場に佇み、彼らが去っていった道を見つめていた。
「不思議な子らじゃ。今までこの村にやって来た兵士達とは目の輝きが違う。奥底に強い意思を感じる。」
「はい。ルゥちゃまが懐かれたのも、分かる気がしますね。」
ワンニャーもウンウンと頷く
家の中に入りながら、ゲオルグは呟いた。
「特にあの少女・・・・儂は生まれてこの方、あのような少女を見たことがない。これからの時代に必要なのは、ああいう娘なのかもしれんな。」
「未夢さんが、ですか?」
華奢な体つきに似合わず行動的な少女を思い出して、ワンニャーは思わず聞き返した。
「そうじゃ。異教徒の中でも自分を見失っていないのが、そのいい証拠じゃよ。」
「異教徒!?未夢さんはクルゼア教徒ではないんですか!?」
村長の後について扉を潜りながら叫ぶワンニャーに、ゲオルグは少し驚いた目を向ける。
「気付いておらんかったか?あの娘はイリス教徒じゃよ。そう敬虔な方ではないだろうが、物腰と雰囲気で分かる。」
「で、ですが・・・。」
未だ信じられないという顔で呟くワンニャー。
「それならなぜ、十字軍へ?十字軍とは、異教徒討伐の為の武装集団ではないのですか?」
「さあの。それは儂らがあずかり知る所ではないさ。ただ・・・。」
廊下を歩きながら彼は遠い目をした。
あの二人はこれから先、どんな運命を辿るのだろう。
緑色の瞳に宿っていた、強い意志の篭った輝きを思い出す。
どんな生き方を選ぶにせよ、願わくばあの輝きが消えないことを望みたい。
「村長様?」
腑に落ちない様子のワンニャーに、ゲオルグは微かな笑みを浮かべた。
「いや、何でもない。それよりワンニャよ、これから忙しくなるぞ。まずはルゥを起こせ。それから村の者と共に、襲撃に対する備えをするのじゃ。」
「はい!」
叫んでワンニャーは家の奥にある部屋へ走り出した。
そこに寝ているルゥを彼が起こして来るのを、ゲオルグはボンヤリと待つ。
が・・・
「ああああ〜〜〜〜〜!!!」
「!?」
突然響いてきた悲鳴に、ゲオルグは早足で奥の部屋に向かった。
部屋の入り口の所では、ワンニャーが部屋の中を覗き込んだままワナワナと震えている。
「何じゃ。何があった?」
「ルゥちゃまが・・・居ません!!」
「なっ、何じゃと!!」
慌ててゲオルグも部屋の中を覗きこむ。
部屋の真ん中にしつらえられた、幼児用の揺り篭。
だが、そこに寝ていたはずのルゥの姿が消えている。
呆然と佇む二人。
開け放たれた窓からは、表の喧騒だけが微かに聞こえていた。
照りつける太陽の中、彷徨はできる限りの速さで馬を飛ばしていた。
手綱の手は緩めないままで空を見上げ、ポツリと呟く。
「何とか間に合いそうだな。」
十字軍の野営地までは、馬を全力で駆って半日くらいの距離。
敵軍が来るのが明日の夕刻と言っていたから、陣についてすぐに進発すれば何とか間に合うはずだ。
余計なアクシデントでも起こらない限りは。
彷徨は自分達を乗せて走っている茶色の毛並みの馬に視線を移した。
三太と一緒にが十字軍に加わる際、望が彼に譲ってくれた馬である。
(いい馬だ。)
彷徨は心の中で賛嘆した。
いくら今の彷徨が鎧を着けておらず、二人がまだ14の子供だとは言え、この砂漠をこれだけのスピードで突っ切って未だに少しの衰えも見せない。
だが、このままのペースで走り続けるのはいくら何でも辛いだろう。
手綱を引いて、少しだけ速度を落とす。
これでも十分間に合うはずだ。
「ねえ、彷徨。」
後ろに座る未夢の声が聞こえてきた。
目だけを後ろにやって答える。
「何だ?」
「ホントに良かったの?ルゥ君にさよならも言わないで・・・。」
体勢の関係でよく見えないが、きっと気遣わしげな顔をしているのだろう。
彷徨は視線を前に戻した。
「言っただろ。心の準備できて無いって。あいつが俺達が出発するの見て、泣き出して、それを見たら・・・俺は簡単にはあいつと別れられない。」
「彷徨・・・。」
「お前だってそうだろ。ルゥの泣き顔を見て、あっさり別れられるか?ママ、ママって叫ぶあいつの声を振り切れるのか?」
「・・・・。」
言われて、未夢は黙り込んでしまった。
確かに、彷徨の言う通りだ。
親と離れている未夢にとって、親のいないルゥは何だか他人事に思えない。
事情がどうあれ、未夢が別れを告げて、ルゥが泣き出してしまったら、未夢はそれを置き去りになどできないだろう。
「それに、これでオシマイってわけじゃないんだ。俺達はまた、あの村に戻ってくる。別れを言いたいなら、その時だっていいだろ。」
「うん・・・そうだよね・・・。」
そう言って、未夢は俯いた。
急に元気の無くなった彼女に、どうしたのかと彷徨は怪訝な顔を向ける。
「ねえ、彷徨。また会えるよね?あの子達に・・・。もう・・・あんな事になったりしないよね?」
「!未夢・・・。」
驚いた彷徨は、馬に乗っていることも忘れて身体を後ろに向ける。
その時初めて、彷徨は初めて、肩を掴んでいる細い手が震えていることに気付く。
「もう、あんなのやだよ・・・あんなもの、二度と・・・見たくない・・・。」
彼女に似合わない、押し殺したような声で未夢は繰り返す。
ルゥとワンニャーは別として、正直な話をすれば、未夢はファーレンの人々のことがあまり好きではなかった。
村を歩いている間に何度か受けた罵声には少なからず不愉快な気持ちにさせられたし、彷徨が彼らを助けた途端、手の平を返したように友好的になるのも気に入らない。
唯一知り合いとも言えるゲオルグ村長だって、未だに得体の知れなさが残っていることは事実なのだ。
だがそれでも、未夢は彼らの誰一人として死んで欲しくはない。
もう、あんな光景はたくさんだ。
(嫌だ・・・・思い出したくないのに・・・・。)
忘れたはずの光景が、未夢の脳裏にフラッシュバックする。
燃え上がる家。
たちこめる煙と、血の匂い。
辺りに響き渡る、断末魔の叫び声。
逃げ惑う人々を次々と切り殺していく、鎧姿の男達。
刺すような痛みを感じて、未夢は右手で胸を抑えた。
手の震えが大きくなる。
抑えようとしても止まらない。
彷徨の肩を掴んだ左手は、何かに怯えるように掴む力を強める。
不意に、その手をふわりと包み込むものがあった。
「?」
顔を上げると、前を向いたままの彷徨が自分の左手をきゅっと握っている。
「大丈夫だ。」
力強い言葉と共に、手に力が込められたのが分かる。
自分よりも大きな、暖かい手だ。
「今回はあの時とは違う。相手が来る場所も、時間も、ちゃんと分かってるんだ。絶対に間に合う。」
「・・・うん。」
コクンと頷いたのを感じて、彷徨はそっと手を離す。
まだ温もりが残る左手を、未夢はぐっと握った。
(震えが、止まってる?)
未夢は手を開いたり握ったりしながら、正面に目を移した。
彼はさっきまでと変わらず前方を睨み据えている。
普段よりも大きく見えるその背中を、何となく見つめる未夢。
と、突然彷徨が首を回して後ろを振り向いた。
「なあ、未夢。」
「えっ・・・な、何!?」
慌てて返事する未夢を、彷徨は見つめ続ける。
真正面から見つめられて、思わずドキリとしてしまった。
「あのさ・・・気になってたんだけどな。」
「う、うん。」
何故か躊躇いがちになりながらも、彷徨ははっきりと言った。
「お前・・・太ったか?」
ゲシッ
「痛!!」
頭に拳骨をくらって、思わず彷徨は仰け反った。
「あんたねえ!いきなり何の脈絡もなく、何てこと言うのよ!!」
拳を作ったままで、未夢はカンカンに怒って彷徨を睨みつける。
鞍から落ちそうになりながらも、彷徨は何とか体勢を立て直した。
「お、お前な!危なく落ちるところだったぞ!」
「自業自得でしょ!」
プイッと横を向く未夢に、彷徨はふうっとため息をつく。
「しょうがないだろ、こいつのスピードが落ちてるんだから・・・何かあったかって気になるだろうが。」
「落ちてるって・・・。」
キョトンとして未夢は下に視線を移した。
馬は相変わらず、素晴らしい速さで走り続けている。
別に速度が落ちてるようには見えないが・・・。
「全然早いじゃない。」
「元々がいい馬だからな。けど、ほんの少しだけ遅くなってる。」
「そうかなあ。」
そう言われても、未夢にはさっぱり分からない。
まあ、日常的に乗馬に親しんできた彷徨だから分かるのかもしれない。
「何か余計なもの積んでるんじゃないだろうな?」
「積んでないわよ。何にも買う暇無かったし。後は・・・。」
未夢は腹に抱える形で持っていた荷物袋を開けて、中をゴソゴソやり始める。
「一日分の着替えでしょ、予備の食料に、お金が少し、あとルゥ君・・・それしか入ってないよ。」
「そうか。じゃあ気のせい・・・。」
『ん!?』
一瞬硬直した二人は、慌てて袋の中を覗き込む。
「だあ!!」
袋の中から顔を出した愛らしい瞳と目が合う。
思わず未夢はニッコリと微笑んでしまった。
・・・・・。
「うわあああ〜〜〜〜!!」
砂漠の果てまで届くかと思える程の大声。
仰天した二人は、未夢に引っ張り出されたルゥを凝視した。
「な、何でルゥ君がここに居るのよ〜〜〜!」
「知らん!まさか・・・寝てると思ってたけど、知らないうちに潜り込んでたのか!?」
「うそっ・・・私たちが話してる間に?」
「それしか考えられない。ったく、道理で静かだと思った。」
狼狽しまくりの二人を、ルゥは不思議そうな顔で見つめている。
未夢はルゥに額を合わせてジロリと睨んだ。
「こらっ!何で着いてきちゃったのよ!ダメでしょ!?」
「きゃーあ!」
「きゃーあじゃない!全くもう・・・。」
どんなに睨んでも、ルゥはニコニコと笑いかけてくる。
情けないことに、未夢はその笑顔にすっかり毒気を抜かれてしまった。
「どうする?彷徨・・・。」
「どうするって・・・。」
途方に暮れたように自分を見る未夢に、彷徨は同じような表情を返すしかなかった。
「しょうがない・・・このまま連れてくか。今更戻るわけにもいかないしな。」
「そだね・・・。」
ハアッとため息をついて、未夢は改めてルゥを見つめた。
「ワンニャー、心配するだろうね。村長さんも・・・。」
「ああ。」
彷徨も困ったように頭を掻く。
それに問題はそれだけではない。
この赤ん坊を野営地まで連れて行けば、皆の注目を浴びる事は避けられない。
一体何と言い訳すればいいのだろう。
頭痛を堪える様に額に手を当てる彷徨。
そんな二人の心中などどこ吹く風で、ルゥは二人の間でいつものような太陽の笑顔を浮かべていた。
未夢と彷徨が出発してもうすぐ一日が経過しようとしている十字軍の野営地。
少しずつ北上しながら、目下の所彼らは警戒と偵察に力を注いでいた。
「暑い・・・。」
隣にいた同僚の兵士の言葉に、三太は顔を顰めた。
男は頭を掻き毟りつつ、叫び声を上げる。
「暑い!何なんだこの暑さは!」
「暑い暑いって言ってると、余計に暑くなるぞ〜?」
そう言う三太も槍にもたれかかって立っているのが精一杯という様子である。
何の障害もなしに照り付けてくる太陽光は、十字軍の兵士達にとって既に拷問にも等しい苦しみになっていた。
「おい、交代だぞ。」
「やっとか!ああ、疲れた〜〜〜!んじゃ、後は頼むぜ?」
「おう。」
交代に来た兵士と挨拶を交わして、三太はその場を離れた。
水飲み場に行き、皮袋から喉に流し込む。
上を見上げると、太陽は相変わらず燦々と輝いている。
「はあ〜〜〜、噂にゃ聞いてたけど、こんなに凄いとは思わなかったぜ・・・これが砂漠ってやつか・・・・未夢ちゃんもこんな所でよく暮らせてたよな〜。」
「全くだね。」
「?」
横合いから聞こえた声に、三太は振り向いた。
「望?お前、こんな所にいていいのか?」
「構わないよ。ちょうど今は暇だし・・・それにどの道、今はここから動けないしね。」
いつの間にかやって来ていた望は天を見上げて手をかざした。
「本当に何とかならないのかな。僕のバラ達も、繊細な僕自身も、このままじゃ耐えられないよ。」
「はいはい。」
肩を竦めて首を振る三太。
望はつまらなそうに彼を見た。
どうやら彼が「誰がセンサイだって?」とか突っ込んでくれるのを期待していたようである。
「つれないね、三太君・・・。」
「あいにく今の俺はお前さんのボケに突っ込む気力がねーんだよ。」
普段はうるさいくらい陽気な三太も、さすがにここ連日の暑さには参っているようだ。
望もそれが分かったらしく、苦笑しただけでそれ以上は言わなかった。
「まあ、これは東へ向かう者への避けられない試練だし・・・僕らの祖先も、異教徒と戦う時はこの苦しみに耐えてたんだろうね。」
「少なくともそれに関しちゃ、俺はご先祖様を心から尊敬するよ。あ〜あ・・・。」
三太はペタリと座り込んだ。
「いつまでここに居りゃいいんだろうな。みんな参っちまってるぜ。」
「そう長くはないさ。君の親友が情報を持って帰って来てくれれば・・・。」
その時は、この神経が滅入るような状態ともおさらばだ。
望の言葉に、三太はニッと笑った。
「そうだな。」
足を伸ばして両手を後ろについて、三太はもう一度空を見上げた。
ふと頭の中に浮かんできたのは、出発した時の二人の様子。
「なあ。あの二人、進展してると思うか?」
「さあ、どうだろうね。僕は進展ありに賭けるよ。君は?」
「俺も進展ありに賭ける・・・って言うより、『してて欲しい』って願望が入っちまうからなあ、俺の場合。」
「ははっ、確かにね。」
望が肩を揺らして笑った時。
「サー・ヴェストヴァイト!サー・ヴェストヴァイトのお帰りだ!」
向こうから見張りの声に、二人は即座に反応した。
「噂をすれば・・・。」
「何とやら、だ。」
二人は顔を見合わせて頷くと、声の方へ走り出した。
「やあ、帰ったんだね彷徨!待ちかねた・・・よ!?」
いつも通りに爽やかな笑顔で二人を迎えた望だったが、馬から降りた二人を見て絶句した。
いや、正確には「二人に」ではない。
少女の腕に抱きかかえられているものを見て、である。
「待たせたな。」
「か、彷徨?お前・・・。」
三太も同じような表情で、ルゥを指差して震えている。
その動作で見当がついたのだろう、苦笑混じりに後ろを振り返った。
「ああ、こいつか。実はな・・・。」
ルゥをゆっくりと揺らしながらあやしている未夢を親指で示して、彷徨が説明しようとした時、赤ん坊の口から無邪気な言葉が零れた。
「パンパッ、マンマッ!」
ピシリッ
目の前の二人が、瞬時に石化する。
四人と赤ん坊一人の間に、沈黙が流れた。
その空気の気まずさときたら、照りつける太陽も気にならないくらいで。
「パパ・・・。」
「ママッて・・・。」
呆然と呟く二人に、慌てて未夢が両手をバタバタと振る。
「ち、違うの二人とも。え〜〜っとね、これには訳があって・・・その、つまり・・。」
うまい言葉が出て来ないのか、混乱しまくりの未夢。
と、三太が彷徨の肩をガシッと両手で掴んだ。
「か、彷徨〜〜・・お前、お前ってやつは・・・。」
「な、何だよ、三太。」
怪訝そうに聞き返す彷徨の前で、三太はガクリと崩れ落ちた。
「そうか・・・そうだよな。お前はもう大人だもんな。・・・俺が『男のロマン』とか何とかガキ臭いコトやってる間に、お前はとっくに大人への道を歩んでたんだな・・・。」
「お、おい、ちょっと待て!お前何か勘違い・・・。」
怪しい雰囲気を感じて説明しようとする彷徨の前で、三太は人差し指で地面に「の」の字を書き始める。
「いや、いいさ・・・。もうお前も14なんだ・・・。大丈夫、お前だけ先に行っちまったからって、俺はひがんだりしないぜ・・・親友として、草葉の陰からひっそりとお前らを見守ってやるよ・・・。」
「?先って?」
「あのなぁ・・・。」
いきなりいじけ出した三太に、未夢も彷徨も呆れ気味だ。
そこに望が、先程の三太と同じように、彷徨の肩をガシッと掴む。
さっきとは違って、力強い目で見つめてくる。
「彷徨・・・君の気持ちは分かるよ。」
「だから何が?」
彷徨のツッコミが聞こえていたのかどうか、望は真剣に語りかける。
「大丈夫。我がウィルランドの法律では、基本的に騎士叙任を終えた貴族は立派に成人だ。法的にも、君たち二人が親となることに何の問題もない。」
「・・・・あのな・・・。」
「いや、何も言わなくていいんだ!」
彼もまた誤解していることに気付いた彷徨は、手を伸ばして押し止めようとする。
が、当の王子様は何やら自分の思い込みに陶酔してしまっており、全然聞いていない。
「全て問題はない。僕は君達を祝福するよ。ただ一つ、気になるのはこの子に洗礼を受けさせる場所だ!」
「・・・・・・。」
「僕の知り合いにエリュシオンの大司教が居る。もしよければ、僕から彼に話してあげても・・・。」
「だから違うって言ってるだろうがーーーー!!!」
頭を抱えた彷徨の絶叫が、砂漠に響き渡った。
「あははっ、な〜んだ、そうだったのかよ〜。」
「全く、そうならそうと言ってくれれば良かったのに〜。」
「お前らが聞いてなかったんだろうが・・・・。」
こめかみを押さえて彷徨が呟く。
二人は、決まり悪そうに笑った。
あの後、望の天幕に場所を移して、二人は彷徨から事情を説明された。
ただし彷徨はルゥの力のこと、幻獣族ワンニャーの事などは黙っていた。
村を歩いていたら偶然拾って、身元が分からないので連れてきた、そういう事にしてある。
「まあそうだよね。考えてみれば、一晩で子供が生まれるなんてあり得ないものね。」
「そういう問題なの?」
ルゥを抱いた未夢にジト目で睨まれて、望は居心地悪そうにゴホンと咳払いをした。
「へぇ〜〜、かわいいじゃん、こいつ。よろしくな、チビ!」
「あーい!」
「チビじゃなくて、ルゥ君!」
未夢が横から訂正する。
自分に危害を加える存在ではないと直感で分かるのだろうか、会ったばかりの三太にもルゥは至って友好的だ。
三太もすっかり気に入ったらしく、頭を撫でたり、肩車をしてやったりしている。
そんな彼らを横目で見つつ、望は未夢に問いかけた。
「どうだったんだい?未夢ちゃん。気分転換にはなったかい?」
「うんっ、とっても楽しかった!結構大変だったけどね。」
嬉しそうに話す彼女の様子は、明らかに気分転換以上の事があったことを示していた。
それについて聞こうとする望だったが、それは叶わなかった。
彷徨が真剣な顔をして、肩に手を置いてきたからである。
「彷徨?」
「話があるんだ。・・・大事な話。」
その一言で一同に緊張が走る。
何の話なのか、聞かなくても分かったからだ。
「聞こう。」
天幕の中にあった椅子に腰を下ろしつつ、彷徨を促す望。
その顔にはもう、さっきまでの幼い顔は消えていた。
数十分かけて、彷徨は村で見てきたこと、明らかになったことを二人に話して聞かてやった。
余計な事は省きつつ、大事な所だけ簡潔に報告する。
話を聞き終わると、望は腕を組んでじっと考え込んだ。
「なるほど、ね。」
そう言って立ち上がる望。
彼はフワリとマントを靡かせて、彷徨達に背を向けた
「本当だった、というわけだ。」
後ろを向いたその姿からは、何を考えているのか分からない。
が、頭の中ではきっとまた色々と計算しているのだろう。
「望君・・・。」
未夢がぎゅっとルゥを抱きしめて、不安そうな顔を向ける。
しばらくの間、皆黙り込んでいた。
「彷徨。」
望が背を向けたままで言う。
「伝令を呼んで、全軍に通達してくれないか?速やかに荷駄の梱包、及び装備の確認を行うようにと。」
「!じゃあ・・・。」
「ああ。」
目を見開く彷徨に、望はニヤリと笑う。
「戦支度が整い次第、ファーレンに向けて出発する。」
「よっしゃ!そうこなくっちゃな!」
三太が勢い込んで叫ぶ。
望はスウッと息を吸い込んだ。
「今までは敵の奇襲に怯えるだけだった。だが今度はこちらが・・・十字軍が攻勢に出る!」
そう言って手を高く掲げる望。
「行こう、みんな!反撃開始だ!」
響き渡った号令に、三人は一斉に頷いた。