日がすっかり暮れ、ファーレンは夜の帳に包まれた。
だが、村は山の近くにあるので燃料には事欠かない。
人々が家に引き上げて間も無く、どの家からも明かりが漏れ始めた。
その一角にある、比較的大きな敷地を有する家。
ファーレン村長・ゲオルグの家である。
「バカ者がっ!!!」
家全体を震わせるかのような村長の怒声に、ワンニャはビクッと身を竦めた。
彼は怒りの形相で、唾でも飛ばしそうな勢いで言葉を叩きつけた。
「全く、お前は何をやっておるのだ!!ルゥが出て行ってしまったのに気付きもしないとは、何たる不注意!!」
「す、すみません!」
頭を下げるワンニャを見て、ゲオルグはため息をついた。
「幸いあのお二人が見つけて、保護して下さったから良かったが、もし何か事故にでもあっていたらどうする!最近この辺りに、赤ん坊や幼い子供ばかりを狙う盗賊が出没しているのを、お主とて知らぬわけではあるまい!!」
「本当に申し訳ありません!!」
ワンニャは必死で謝り続ける。
「ワタクシの不注意でした!これからは二度とこのような事のないように致します!ですから・・・・」
ひたすら平謝りのワンニャを、さすがにこれ以上責める気にはなれない。
ゲオルグは幾分口調を和らげて彼を見つめた。
「ワンニャよ。お前の家事全般に対する能力はたいしたものじゃ。正直儂も、そのお蔭で随分助かっておる。だが!育児に対してこれ以上失敗を重ね、ルゥを危険な目に合わせるようなことがあれば・・・残念だが他の者に頼むことになる。それだけは覚えておけ。」
「はい・・・。」
沈痛な面持ちでコックリと頷くワンニャ。
それを見届けて、ゲオルグは席を立つと、毛皮のマントを羽織った。
「儂は村の者と話し合うことがある。これから出かけなければならんが、留守は頼んだぞ。」
「話し合うこと、ですか?」
「うむ。十字軍についての対応を、他の者にも知らせねばならんからな。」
言いながら彼はドアを開けた。
夜風がビュウッという音を立てて吹き込んでくる。
「帰りは遅くなる。帰ってこられるお二人と共に食事をして、そのまま休んで構わんぞ。但し、戸締りは怠るな。」
「わかりました。いってらっしゃいませ・・・。」
ペコリとお辞儀するワンニャに頷いて、ゲオルグは夜の闇に消えていく。
後に残されたワンニャは、力無くため息をついた。
廊下を通って、ルゥの休んでいる部屋に行く。
ドアをそっと開けると、ぐっすりと眠っているルゥが目に入った。
それを見てほっとする。
ようやく寝てくれたようだ。
未夢、彷徨と別れて家に戻ってきたワンニャを待っていたのは、当然のことながら村長の怒りの説教だった。
最も、これが初めてという訳ではない。
料理に掃除、洗濯から家計のやりくりまで、どんな仕事も一流以上にこなせるワンニャだが、こと育児に関しては失敗ばかりしている。
そして、その度に村長には怒られてばかりだった。
「はあ・・・どうしてこうなってしまうんでしょう・・・。」
呟いて、ルゥの寝顔をそっと覗き込む。
ぐっすりと眠っているように見えるがよく見ると目元が微かに赤い。
たったさっきまで、泣き通しだったせいである。
連れて帰ってきたのはいいが、あの二人がいないのがよほど寂しかったのだろう。
「もうすぐいらっしゃいますから」と宥めても、どんなにあやそうとしても泣くばかり。
つい先程、泣きつかれて寝てしまったのだ。
「ワタクシでは役不足ですか?ルゥちゃま・・・。」
考えれば考えるほど悲しい気持ちになって。
自信もどんどん無くなってくる。
やっぱり無理だったのだろうか。
子育てにかけてはナンバーワン、と周りから言われていい気になっていたけれど、それは同族の間でのことだけで。
人間の子供を育てることなど、初めから無理だったのだろうか。
ふと脳裏に、祖父の言葉が蘇ってくる。
一族の長老であり、自分にもたくさんの事を教えてくれた祖父。
山を降りて、人間と一緒に棲むのだと言ったときの祖父とのやりとりが思い出された。
(・・・どうしてですか!?なぜ人間と一緒に生きてはいけないのですか?)
(・・・わし等が人間と共に生きていたのは遠い過去のこと。今の人間は昔とはあまりにもかけ離れておる。)
(・・・しかし!)
(・・・言うな。良いか、決して山を降りてはならんぞ。)
そうだった。
その言葉に反発し、半ば家出同然で山を降り、人間に姿を変えてこの村に住んで早一ヶ月。
だが、未だに自分はその役目を果たせずにいる。
祖父が正しかったのだろうか。
あの言葉に従い、自分は一生山の中で過ごした方が、この子にも、自分にも良かったのはないだろうか。
こんなドジばかりの自分よりも・・・。
「ワンニャ?」
「!ルゥちゃま・・・起きられたのですか?」
いつの間にか目を覚ましていたルゥの声で、ワンニャの意識は現実に戻された。
寝ぼけ眼の瞳が、ワンニャを見つめている。
透き通った、純粋な青い色。
どうしてだろう、この瞳を見ていると、不思議と心が和む。
ワンニャはニッコリと笑って言った。
「お腹が空かれたでしょう?もうじき未夢さんと彷徨さんもいらっしゃいますから、そうしたら、お食事にしましょうね。」
言ってルゥを抱き上げようとした時。
「動くな。」
低い声と共に、窓からドタドタという音が響いた。
ファーレンの村には、他の小さな村落と同様に「娯楽」というものがほとんど無い。
人々の夜の楽しみと言えば、せいぜいが酒場に集まって一緒に飲むことくらいだ。
もちろん、通りを歩いている人間などほとんど居ない。
未夢と彷徨は、暗い通りを村長宅へ急いでいた。
もっと早く帰るつもりが、予想以上に遅くなってしまった。
きっとルゥもワンニャも待っているだろう。
「あ〜〜、すっかり遅くなっちゃったね。」
「誰かさんがあのおっさんの話を長々と聞いてたせいでな。」
「うっ・・・。」
未夢はぐっと言葉に詰まった。
そう、あの後、未夢はあの店にあった幻獣の像一つ一つについて、店主に説明してくれとせがんだのだ。
最も、彷徨が聞いていたのは、怒っているのか笑っているのか何とも言えない表情をした「ピキピキ天使」の辺りまでで、その後は退屈のあまり寝てしまっていたのだが。
「全く、よくあんな長い時間お喋りできるよな。」
「だ、だって、ホントに楽しかったから・・・。」
言い訳をする未夢に、彷徨は微笑んだ。
「楽しかった、か?」
「う、うん・・・。」
「そっか・・・良かったな。」
そう言って、彷徨は前を向いた。
未夢は怪訝な顔で聞いてくる。
「彷徨・・・?」
「これからは、もうこんな機会無いからな。楽しめたんなら・・・良かったよ。」
そう言う彷徨の優しい顔を見た時、未夢の心に唐突にある事が浮かんだ。
出発前の、彷徨の様子が。
「彷徨・・・もしかして、私のために?ここに連れて来てくれたのも・・・。」
未夢の問いかけに、彷徨は何も応えない。
だが、その沈黙は、彼の気持ちをどんな言葉よりも雄弁に語っていた。
(そう・・・だったんだ・・・・。)
だから彷徨は、あんなにあっさりと、来てもいいって言ってくれたんだ。
村長さんの家に行けって言ったのも、全部・・・。
未夢は顔を伏せた。
嬉しさと切なさで、胸が熱い。
そうだ・・・彷徨はいつもそう。
自分のこと、仲間のこと、すっごく考えてくれて、でも、最初はわからなくて。
「彷徨・・・。」
「ん?」
「ありがと!」
パッと顔を上げて、笑顔で言った未夢。
彷徨は少し目を見開いた後、いつものようにふいっと横を向いた。
「何のことだ?」
素っ気無い言葉、でも温かくて、優しくて。
それまでとは違った気持ちで、未夢は前を向いて歩く。
暗い夜の道にも、不思議と怖さは感じない。
並んだ二人の距離が、前よりも縮まったような気がした。
村長の家の場所は覚えていたので、迷わずに行くことが出来た。
闇夜に光を投げかけるそれを目にした瞬間、未夢の目に安堵が浮かぶ。
「は〜、やっと着いたね。ルゥ君達、待ってるかな。」
「この時間だからな・・・ワンニャはともかく、ルゥはもう寝てるんじゃないのか?」
言いながら彷徨はドアをノックした。
が、返事が無い。
不思議に思って、二人は顔を見合わせた。
試しにもう一度ノックしてみる。
やはり同じだ。
「どうしたんだろ・・・留守かなぁ。」
「でも、そんな事言ってなかったぞ?」
彷徨は腕を組んだ。
急な用事でも入ったのだろうか。
「どうしよう・・・。」
途方に暮れて未夢が言った。
まさか勝手に入るわけにもいかないし・・・。
「?ねえ、あれ・・・。」
「ん?」
不意に未夢が、別の窓を指して言った。
窓から出る明かりが漏れているのだ。
「何だ、居るんじゃない。」
「!待て、未夢!」
安心して窓に近寄ろうとした未夢を、彷徨が鋭く静止する。
何か様子がおかしい。
開け放たれた窓から、人の言い争う声が聞こえてくる。
もちろん、近寄らなければ分からないような声だが。
「・・・どうしたの?彷徨?」
「しっ・・・とにかく、気をつけろ。俺の後について、ゆっくり来い。」
「う・・・うん。」
戸惑いながらも、素直に了解して、未夢は彷徨に習って姿勢を低くした。
窓から見えないように身を屈めて、窓の側まで行く。
そして二人は頷き合うと、そっと中を覗き込んだ。
「なっ・・・!」
「うそっ・・・。」
思わず声を上げてしまう二人。
部屋の中にはワンニャとルゥが居た。
だがそれだけではない。
ずる賢そうな男が三人、ルゥ達を壁際に追い込む様に立っていたのだ。
「だっ・・・誰ですか、あなた方は・・・。」
ワンニャは怯えた声で男達を見回した。
いつの間に入り込んだのだろう。
怪しい男達がニヤニヤしながらワンニャを見ている。
他にも二人居て、全員年齢は三十代の半ば辺りのようだ。
「へっ・・・思った通りだぜ。赤ん坊がいやがる。」
「噂話だから、あんまりアテにはしてなかったが・・・大当たりだったってわけだ。」
言いながら男達はぐるりと二人を取り囲んだ。
ワンニャはルゥを抱き上げると、庇うように後ろに隠す。
「貴方達、一体・・・。」
「俺達か?」
残りの一人がふっと怪しげな笑みを浮かべる。
そして、一歩前に進み出て来た。
「聞いて驚くんじゃねえぜ。俺達はっ!」
『俺達はっ!』
男の声に他の二人が唱和し、三人は同時に自分の服の袖をぐいっと捲り上げた。
そこには、ある動物の刺青が彫られている。
「そっ、それは・・・!」
息を呑むワンニャ。
得意そうな男達。
そして何が何だか分からずキョトンとしているルゥ。
三者三様の沈黙が流れて・・・。
「・・・・ねずみ?」
ワンニャが呟いた。
そう、男達の腕に彫られていたのはネズミ、しかも幼児の絵本に出てくるような、可愛くデフォルメされたネズミだった。
「そう!泣く子も黙る、ネズミ誘拐団とは、俺達のことよ!!」
かっこいい・・・と本人達は思っているのだろう、刺青を見せつけ誇らしげに宣言する。
どうリアクションしていいのかわからず、立ち尽くすワンニャをどう受け取ったのか、男達は得意そうにふんぞり返る。
「へっ、どうだ、恐ろしいか!!」
「いえ、あんまり・・・。」
ワンニャはつい本音を漏らしてしまった。
ルゥに至っては面白がってきゃっきゃっと騒いでいる。
男達は一瞬顔を引きつらせたが、何とか表情を取り繕うと再びねちっこい笑みを浮かべた。
「・・・まあいい。とにかく、動くんじゃねえぜ。でないと・・・。」
男の言葉に、ワンニャは怯えながらも、何とか厳しい表情を作って言う。
「あなた達・・・一体どこから入ったんですか!?」
ワンニャの言葉に三人は顔を見合わせ、同時に窓を指差して異口同音に言った。
『思いっきり開いてたぞ、窓が。』
再び沈黙。
さっきよりも、確実に空気は数段白くなっていた。
「ええい!んな事はどうでもいい!」
これ以上の間抜けな沈黙には耐えられなかったのだろう。
二人目の男が叫んだ。
「そういう訳で、赤ん坊を渡してもらうぜ?ベビーシッターさん?」
「・・・何が目的ですか?見ての通りこの家は、高額な身代金を支払えるような家ではありません!どこにでもある貧乏臭い年寄りの家です!!」
村長が聞いたら間違いなく怒りだすような台詞を言うワンニャ。
何とか手を引かせようと思って言ったのだが、男は薄ら笑いを浮かべて言った。
「ああ、そうだろうな。けど、別に身代金を取らなくったっていくらでもやりようはあるんだ。赤ん坊ってのは高く売れるからなぁ・・・。」
王侯貴族たちの中には、自分の意のままに動く、忠実な家来をいつでも欲しがっている。
もちろん、そんな人間はそうざらには居ないのだが、赤ん坊となれば話は別である。
赤ん坊の時から命令に従うことのみを教えながら育てれば、まさに理想的な、機械のように反抗しない家臣が出来上がるというわけである。
舌なめずりをする男を見て、ワンニャは悟った。
この男達を、話で手を引かせるのは無理だ。
とっさに壁にかけてあった鐘のような物に手を伸ばす。
男達の動きに緊張が走った。
「動かないでください!動いたら、この警鐘を鳴らします!有能なベビーシッター、ワンニャが設計したこの警鐘が作動したら最後、村の人たちに見つかって、貴方たちは仕事どころじゃなくなりますよ!?」
叫んだワンニャを、男達はバカにしたように見た。
「ほお、そんなマネしていいのか?妙な態度とると・・・こいつを割るぜ?」
「そ、それは・・・!!」
男の手にしている物を見て、ワンニャの顔が青くなる。
ルゥお気に入りの哺乳瓶だった。
男はそれを、クルクルと手の中で回しながら言う。
「育児法第五条・その家に雇われてから一年以内に赤ん坊の身の回りの品を紛失・破損したベビーシッターは赤ん坊の繊細な世話に不適格とみなし、解雇とする。・・・こいつを割って、『アンタが割ったんだ』って俺たちが言いふらしたら、アンタ・・・クビだぜ?」
ワンニャは立ち尽くしてしまった。
どうすればいいのだろう。
彼らの口にしている法律が適用されるかどうかは微妙なところだ。
なにせここは、法律の枠外にある、辺境の村なのだから。
だが、自分は今日ヘマをやらかして怒られたばかりである。
この上哺乳瓶を割りなどしたら今度こそクビは免れないだろう。
「聞いたぜ、この家が最初の雇い主なんだよなぁ。最初の仕事であっさりクビなんてことになったら、あんたもう、この先やっていけねえぜ?」
追い討ちをかけるようにもう一人の男が言った。
そして、とどめとばかりに、三人目が猫なで声を上げる。
「下手な意地なんか張らねえで、大人しく赤ん坊を渡しな。盗賊に襲われたって言やあ、あんたもお咎めは免れる。どうせあんたにとっちゃ、『赤の他人』なんだろ?」
「・・・!!」
ワンニャの身体に衝撃が走る。
頭の中に、長老や村長の言葉が再び浮かぶ。
(・・・共存の時代は、終わったのだ。)
(バカ者がっ!何をやっている!)
(ワタクシは・・・。)
「なあ、どうだ?あんただって、こんなガキ一人のために将来台無しなんて、アホくせえだろ?」
「大人しく赤ん坊渡しゃ、あんたももう、こんなヤツのお守りしなくて済むんだぜ?」
口々に言って、男達はにじり寄って来た。
ワンニャはきゅっとと拳を握る。
手の中には、汗が滲んでいた。
「・・・ワンニャ?」
小さな声が聞こえて、ワンニャは手元を覗き込んだ。
ルゥが不思議そうに見上げている。
自分を信じきったその瞳を見た瞬間。
ワンニャは自分の中の迷いが一気に消えていくのを感じた。
そうだ、そうだった。
何を迷っていたのだろう。
答えなど、最初から一つしかないではないか
「それが何だというんです?」
「何?」
決然と顔を上げたワンニャの言葉に、男は歩みを止めた。
カッと目を見開くと、一気に叫ぶ。
「他人だから?大変だから?そんな理由でワタクシがルゥちゃまを渡すとでも思ってるんですか?見損なわないでください!!」
気迫のこもった声に、男達は思わず後ずさった。
ぐっとルゥを引き寄せると、男達を睨みつける。
「例え、他人だろうと、苦労ばかりであろうと、ワタクシはルゥちゃまのベビーシッターです!そして・・・そして同時に、ワタクシの掛け替えのない、御主人なんです!!我が身可愛さにそれを渡すほど、ワンニャは落ちぶれてはいません!!」
叫んだワンニャは、再び警鐘に手を伸ばす。
男は彼を睨みつけた。
「てめえ・・・本気か!?マジで割るぞ!!」
「割りなさい!!」
きっぱりと言うワンニャ。
「哺乳瓶でも、木馬でも、骨董の壷でも、割りたいだけ割りなさい!ルゥちゃまは渡しません!!」
「!っの野郎!!」
男の顔が怒りで真っ赤になる。
手に持った哺乳瓶を、高々と振り上げた。
「じゃあ、遠慮なく割ってやるぜ!これでアンタの未来は真っ暗だなぁ!!」
男の叫びに、ワンニャは身構えた。
次の瞬間に来るであろう、哺乳瓶の割れる音と、その次の男達の行動に備えて。
だが・・・・。
「おい、どうした?」
「早く割っちまえよ。」
他の二人の男が不思議そうに言った。
哺乳瓶を持った男は、手を振り上げた格好のままで固まっているのだ。
「おい、何やってんだよ・・・。」
「手が・・・う、動かねえ・・・。」
「何?」
突然の言葉に、男達も、ワンニャも目を丸くする。
瓶を叩きつけようと腕に力を込める男だが、何度やっても、腕はピクリとも動かない。
ワンニャはルゥを見た。
そして、その姿に驚き目を見開く。
「・・・ルゥちゃま!?」
「う〜〜〜!」
低く声を上げて、ルゥは人差し指を男に向けていた。
よく見なければ分からないが、そこから光の帯のようなものが出ている。
それが男の腕に巻きついているのだ。
「なっ、何だ!?このガキ・・・。」
「いけませんっ、ルゥちゃま!!」
ワンニャが慌てて制止するが、構わずルゥはその指をさらに上に持ち上げた。
瞬間、男の体が宙に浮く。
「うわあっ!!」
「だ〜〜、だぁ!!」
気合の声と共に、ルゥが指を一回転させる。
途端に男は空中に投げ出され、
ドッターンッ!!
背中から地面に叩きつけられた。
一瞬何が起きたのか分からず、唖然とする男達。
そんな彼らを他所に、ルゥは手元に戻った哺乳瓶を、誇らしげにワンニャに見せる。
「わん、にゃあ!」
「ルゥちゃま・・・。」
言葉を無くして、ワンニャはルゥを見つめる。
男は完全に目を回していた。
一番早く立ち直ったのは、男のうちの一人だった。
「こっ・・・このガキ〜〜!!」
怯えながらも、彼はナイフを引き抜いた。
冷静さをどこかに置き去りにして、怒りの声と共に突進してくる。
ワンニャはルゥを隠すようにして抱きしめ、自分を盾にするかのように後ろを向いた。
目を硬く閉じ、予想される激痛に耐えようとした。
「があっ!。」
突如、後ろから呻き声が上がり、続いて男の倒れる男。
慌てて振り返ると、男は地面に倒れ、足を抑えて苦しそうに呻き声を上げている。
その足に刺さっているのは、一本の短剣。
「最近、こういう役回りばっかりだな。」
窓のほうから聞こえてきた声に、一同はそちらを振り仰いだ。
窓の淵に片足を乗せ、短剣を投げた姿勢のままで不敵に笑う少年。
それは言うまでもなく、窓から様子を伺っていた彷徨だった。
「なっ、何なんだ、てめえは!」
男の叫びを無視して、彷徨はヒラリと部屋の中に飛び込んだ。
着地すると同時に、男目指して一直線に走り出す。
「こ、このガキィ!」
叫んで拳を繰り出す男。
だが彷徨は軽く身を屈めてそれをかわすと、相手の顎に拳をぶち込んだ。
「ぐぶっ!!」
くぐもった悲鳴と共に、男は大きく仰け反って、そのまま倒れて動けなくなる。
相手が完全に気絶したのを見て、彷徨はふうっと息をついた。
それとほぼ同時に、もう一つの人影が窓から飛び込んでくる。
「ルゥ君、ワンニャさん!」
言いながら駆け寄ってくるのは、もちろん未夢だ。
二人の側まで走り寄った彼女は、心配そうに聞いた。
「二人とも、大丈夫?」
「未夢さん、彷徨さん・・・どうしてここに。」
「どうしても何も・・・。」
言いながら彷徨が側にやって来る。
「今日、泊まるって言っただろ?けど、ノック何回しても出てこないから、おかしいと思ってたら・・・。」
「窓の方から、貴方達が襲われてるのを見たの。」
彷徨の言葉を引き継いで、未夢が続ける。
そうでしたか、と頷くワンニャの腕の中で、ルゥはニコニコと笑っている。
待っていた二人に会えて嬉しいのだ。
「ルゥ君・・・。」
「あ〜い、マンマ!」
未夢はルゥを抱き上げて、優しく撫でてやった。
嬉しそうにルゥはきゅっと彼女に抱きつく。
「本当にありがとうございました・・・。お二人が来てくださらなかったら、今頃・・・。」
「いや。」
頭を下げるワンニャに彷徨は首を振って、ルゥの頭にポンと手を乗せた。
「お前を助けたのはこいつだよ。こいつが居なかったら、俺達もうかつに踏み込めなかったからな。」
「!そうでした・・・・ルゥちゃま!」
急に何かに気付いたように、ワンニャはルゥを怖い顔で睨んだ。
「ルゥちゃま!なぜあんなことをしてしまったんですか!人前では『力』を使ってはいけないと、あれほど言ったでしょう!?」
「お、おい・・・。」
戸惑う彷徨の前で、ワンニャはまくし立てた。
ルゥがビクッと震えて、怯えた顔になる。
「ルゥちゃまの『力』のことが他の人に知られでもしたら、大変なことになるのですよ!わかってらっしゃいますか!?」
言いながらさらに続けようとするワンニャ。
見かねた未夢が、庇うように間に割って入った。
「ちょっと!そんな大声で怒らなくてもいいでしょ!この子、怖がってるじゃない!」
「あ・・・。」
言われて、ワンニャはようやく冷静さを取り戻す。
未夢はルゥを見つめながら、ゆっくりと話し出す。
「私達、全部見てたよ?貴方がこの子を、命がけで守ろうとしてたのも。この子、本当にそれが嬉しかったんだと思う。貴方のこと、大好きだから・・・だから、守ろうとしたんだよ。そうだよね?」
「あいっ。」
頷くルゥを見て、未夢は微笑んだ。
「だから・・・怒らないであげて、ね?」
未夢の言葉に、ワンニャはシュンとなる。
恥ずかしさと申し訳なさで一杯だった。
「申し訳ありません、ルゥちゃま。・・・ありがとう、ございます!」
「わ〜んにゃ!だぁい!」
天使のような笑顔を見せるルゥに、ようやく和やかな雰囲気が部屋に訪れた。
彷徨はポンとワンニャの肩を叩く。
「まあ、そう深刻に考えるなよ。大丈夫だって。話は一通り分かった。ようするにこいつら、誘拐団なんだろ?ならこのまま役人に突き出せばいい。こいつらが役人に今のことを話したって、誰も信じやしないさ。問題は俺達が見ちまったってことだけど・・・。」
「いいえ・・・。」
ワンニャは静かに首を振った。
「お二人は命の恩人です。それに・・・あなた方なら大丈夫だと、ワタクシは信じていますから。」
そう言うワンニャの目には、もう不安はなかった。
未夢と彷徨は同時に頷く。
「うん、わかった。誰にも言わない!ね、彷徨!」
「ああ。」
その言葉に、ワンニャもほっと胸を撫で下ろす。
さて、それじゃ・・・と、盗賊達についての詳しい対応を考えようとした彷徨は、ふとワンニャの後ろの方を見て、眉を顰めた。
「・・・?」
ワンニャの後ろから妙なものがぶら下がっている。
毛糸のようにふわふわしていて、太さは握り拳ほど、長さは地面に付くほど長い。
まるで「尻尾」のようである。
「なあ、何だこれ?」
「え・・・あっ!!」
ワンニャが慌てた声を上げるが、もう遅い。
彷徨はそれをぐいっと引っ張っていた。
ボウンッ
「きゃっ・・・。」
「何だ!?」
突然、音と共に白い煙が巻き起こり、未夢と彷徨は思わず腕で顔を押さえた。
モクモクと上がる白煙のせいで目が開けられない。
ようやく煙が晴れ、辺りを見渡せるようになった瞬間、未夢は驚きの声を上げた。
「あ、れ?ワンニャさんは?」
未夢は慌てて周りを見回した。
さっきまでワンニャがいた目の前の空間から、いつの間にか彼の姿が掻き消えていたのだ。
呆気に取られて彼の姿を探す二人に、声は下から来た。
「いたい〜〜、いたいですぅ〜〜、ワタクシの尻尾がぁ〜〜!」
『・・・へ?』
聞こえた声に、未夢と彷徨は下を見る。
そこにあった光景は、何と言うか、立ち尽くすしかないような、現実離れした光景だった。
ワンニャは、あの金髪の青年は消えて、代わりにそこに座り込んでいたのは、犬と猫を掛け合わせたような、不思議な動物だったのだ。
二人とも、その姿は知っていた。
あの店で見せられた、幻獣の像の一つだ。
主人の言葉が蘇る。
『赤ん坊の世話をし、何にでも姿を変えられる力を持つ』
(うそ・・・じゃあ・・・。)
混乱しきった頭で、必死に目の前の状況を整理しようとする未夢。
彼女よりも一足先に考えのまとまった彷徨が、恐る恐る尋ねる。
「お前・・・まさか・・・。」
彷徨の言葉を肯定するように、ルゥは『力』を使ってふわりと浮遊し、彼を指差して言った。
「あいっ!ワンニャッ!」
ルゥの言葉が、全てを裏付けた。
未だ目の前の状況が信じられず、ただ呆然と立ち尽くす二人。
彼ら4人の、共に過ごす「時間」は、正にこの瞬間、始まりを告げたのだった。
夜半を過ぎても、家の主人は帰宅しなかった。
先に休んで居ろと言っていたから、もしかすると泊りがけになるかもしれない。
最も、それは珍しいことではないので、ワンニャは特に心配していなかった。
家の中で一番広い部屋である食堂のテーブルを、未夢と彷徨は座っていた。
ちなみにルゥは、さっきまでのドタバタでさすがに疲れたのか、この部屋に来てすぐに眠ってしまった。
今はすぐ側の、椅子を並べて作った即席の寝台の上ですやすやと寝息を立てている。
ワンニャがお盆を持って入ってきた。
その上には、質素だがおいしそうな夕食が並んでいる。
未夢と彷徨の前に食器を並べて、彼は「お待たせしました」と言った。
「ありがと。」
「サンキュ。」
礼を言って、二人は早速食べ始める。
料理を口に運んだ未夢が、思わず呟いた。
「・・・おいしい。」
ワンニャの顔がパッと輝いた。
「ホントですか?」
「うん!」
未夢は頷いた。
それほどいい材料が使われているわけでもない。
羊の肉、近くで取れる種類の限られた野菜、固いパン。
せいぜいそんな所だ。
だが、出来上がったこの料理は、普通に宿屋で出しても文句の付けようがない程おいしい。
ひとえに、彼の料理の腕の良さを証明していた。
「良かったです〜。彷徨さんは、どうですか?」
「ああ、うまいよ。」
羊肉のシチューを口に運んだ彷徨も、そう言って微笑んだ。
しばらくの間、一同は黙々と食事を口に入れる。
彷徨は改めて、食事を運んでいる者の姿を見た。
明らかに人のものではない、その姿。
だが、不思議と恐ろしい感じはしない。
「なあ・・・。」
ワンニャが食卓に着くのを待って、彷徨が再び口を開いた。
その瞳は、真っ直ぐに「彼」の大きな瞳を見据えている。
「話して・・・くれないか?」
彷徨の言葉に、未夢もワンニャを見た。
この問いを半ば予想していたのだろう。
しばらく間が空いた後、彼はゆっくりと話し出した。
「ワタクシの一族は・・・昔からこの地に、セヴル山脈に住んでいました。その正体はお二人のお察しの通り、太古に姿を消した幻獣族の生き残りです・・・。」
その言葉に、未夢は小さく息を呑む。
彷徨は特に驚かない。
薄々感づいていたからだ。
「我々ワンニャー族には、あなた方人間の言うところの『家族』という概念がありません。言うなれば、種族全てが家族のようなものなのです。生まれてきた子供は、誰の子であれ、種族全体の子供として、全てのワンニャーから庇護を受けますし、その子も成人した時には、同様に他の子ワンニャーを守ってやらねばなりません。」
懐かしむように、ワンニャは窓からそびえ立つセヴル山脈を見上げた。
「ですから、ある程度の年齢になると、ワンニャー族は育児、教育に対するあらゆる能力を親から伝授されます。ワタクシ達が赤ちゃんのお世話係として知られたのも、それが理由だったのでしょうね。」
「じゃあ、どうして今は、みんな居なくなっちゃったの?」
未夢の素朴な問いに、ワンニャは首を振った。
「わかりません。その時代を生きていたワンニャーは今ではほとんど亡くなって、当時の様子を知っているのは、長老であるワタクシのお爺様だけですし・・・お爺様も、いくら聞いても語ってくださりませんから。ですが・・・。」
ワンニャは言葉を切った。
側に置いてあったポッドから、熱いお茶をカップに注ぐ。
湯気が勢い良く立ち上るのを見つめながら、彼は続けた。
「おそらく、人間同士の争いに我々が巻き込まれるのを嫌ったのだろう・・・と、ワタクシの父は話していました。何にでも姿を変えられるという我々の能力は、一歩間違えれば戦争に利用されかねませんからね。ですが、父にしてもその時代を生きていたわけではありませんし・・・結局、真相は闇の中、というわけですね。」
ワンニャは笑顔を作ろうとしたが、それはどこかぎこちなかった。
腕を組んで聞いていた彷徨が、不思議そうな顔をする。
「じゃあお前は、何で山から下りてきたんだ?」
「ワタクシは・・・どこにでもいる、『はみだし者』というやつですよ。」
微笑んでワンニャは、湯気を立てるカップを二人の前に置いた。
だが、二人はじっと彼の話に聞き入っている。
椅子に器用にピョンと飛び乗って、ワンニャは続けた。
「ワタクシも一族の習慣に習って、子供の頃から子育てに関する諸々を教えこまれて育ちました。自分でもこの仕事が好きでしたし、先輩であるお爺様にもいろいろ教えて頂いて、ついに同世代の中では一番という評価も頂きました。」
言いながらワンニャは、首に下げられた飾りを見つめた。
それは、一族の中でも優れた者に与えられる勲章
それをもらった時は、本当に嬉しかったのをよく覚えている。
「あの頃のワタクシは、自分の境遇に何の不満も抱いておりませんでした。そして多分、あのままだったなら、これからもそうだったと思います。」
そこまで言って、ワンニャは視線を移した。
その先に居たのは、幸せそうに眠っているルゥがいる。
「でも・・・あの子が変えてしまいました。ワタクシの、運命を。」
蝋燭がジジッと音を立てる。
いつの間にか、蝋燭はもう根元近くまで無くなっていた。
随分長いこと話していた事に気付いて、ワンニャは慌てて二人を見る。
「すみません、つい長々と・・・ご退屈じゃ、ありませんか?」
「ううん、そんな事無いよ。続けて。」
未夢の言葉に、ワンニャは頷いて宙を見上げた。
「あれは、そう・・・もう半年くらい前でしょうか。山菜を採りに山の奥に入ったワタクシは、誤って崖から転落してしまって・・・。」
全ては、一瞬の油断だった。
慣れ親しんだ山を歩いているという安心感のせいで、雨で崖が滑りやすくなっていたことに気が付かなかった。
あまりにも突然で、変身して回避することさえもできなかったのだ。
墜落して全身をしたたかに打ち、一歩も動けなくなって。
自分はもうここで死ぬのだ、そう諦めた瞬間だった。
一人の赤ん坊が、静かに目の前に舞い降りてきたのは。
「最初は自分の見たものが信じられませんでした。こんなことあるはずが無い、幻だ。さもなければ自分はもう死んで、天使が迎えてくれてるんだ。そう思っていました。それくらい、暖かくて、希望に満ちた笑顔を、この子はしていたんです。」
ルゥに毛布を掛け直してやりながら、その時を思い出すワンニャ。
未夢にはその表情が、とても優しく思えた。
「この子はどうやったのか、不思議な力でワタクシを崖の上まで運び、目立つところに置いてくれました。しばらくして、仲間に発見され、ワタクシは助かりましたが・・・その時にはもう、この子は居なくなっていたんです。」
ワンニャは二人のカップを見た。
空になっているのを見てとると、ポッドを取って二杯目を注いでいく。
が、未夢は手をつけず、じっとワンニャを見た。
「で、どうしたの?」
「・・・里に帰ったワタクシは、その事を残らず皆に話しました。若い者は笑って相手にしませんでしたが、それより奇妙なのは・・・年長のワンニャー達は、ワタクシが『人間の子と会った』というだけで、異様に過剰に反応するのです。特に父などは、『もう二度と里を離れるな』とまで・・・。」
ぐっと何かをこらえるように言う。
「それからですね・・・私が一族のやり方に疑問を持ち始めたのは。父や他の年長ワンニャーの態度は、まるで何かを恐れているようでしたし・・・何よりも、」
ワンニャはルゥを抱き上げた。
眠りを邪魔しないように、ゆっくりと抱いて、ゆらゆらと揺らす。
宝物を扱うように、そっと。
「ワタクシはこの子に会いたかった。もう一度会って・・・出来ることならお世話して差し上げたかった。ワタクシのべビーシッターとしての能力はそのために与えられたのだと、そうまで思うようになったのです・・・。」
「で、里を飛び出した、と。」
「はい。」
ワンニャは照れ臭そうに頷く。
「この村に来たワタクシは、人に姿を変え、あちこちを訪ねて回り・・・そして、つい一月ほど前、村長さんが山で赤ん坊を拾ったという噂を、耳にしました。」
二人は身を乗り出した。
「じゃあ、やっぱり村長さんはルゥ君の・・・。」
「ええ。実のお祖父さんではありません。」
「ルゥの、力のことは?」
「ご存じないと思いますが・・・ああいう人ですから、案外知っててとぼけている可能性もありますね・・・。」
沈黙が流れた。
ワンニャは脱力したように、椅子の背もたれに身体を預ける。
「これがワタクシ自身と、ルゥちゃまについて知っていることの全てです。信じて・・・頂けますか?」
二人は黙ったままだった。
ワンニャもそれ以上何も言えず、重苦しい空気が部屋を満たす。
最初に口を開いたのは彷徨だった。
「俺達は・・・ついこの間まで戦いの中に居た。」
言葉を探すように、ゆっくりと話す彷徨。
ワンニャは驚いて彼を見つめた。
「信じられないこと、たくさん見てきた。けど・・・正直、幻獣なんてものを一気に受け入れられるほど、突拍子も無いことは経験した覚えが無い。」
冷静な言葉に、ワンニャは下を向く。
彷徨はしばらく彼を見つめると、フッと笑みを浮かべた。
「だけど・・・あんたは今こうして目の前に居て、こうして俺達と話してる。いくらなんでも、認めないわけにはいかないよな。」
「彷徨さん・・・。」
思わず声を上げるワンニャの肩を、彷徨は力強く掴む。
「信じるよ。お前のこと。少なくとも、お前のルゥへの気持ちは、さっき証明されたしな。」
「ありがとう・・・ございます。」
目を潤ませて、ワンニャは彷徨の手を握り返す。
その時、ずっと黙っていた未夢が口を開いた。
「ねえ、聞きたいんだけど・・・。」
未夢はワンニャを見て問いかけた。
二人は緊張して彼女を見る。
未夢の唇から、言葉が紡がれた。
「貴方の事・・・何て呼べばいいのかな?」
「は?」
余りの台詞に、ワンニャの動きが止まる。
未夢は重ねて聞いてきた。
「だからっ。ワンニャ、てそのまま呼べば良いの?それとも、何か別の呼び方あるのかな?はっきりさせとかないと、これから先、不便でしょ?」
真剣そのものの彼女の様子に、ワンニャは呆気に取られた。
ふと隣の彷徨を見ると、肩を小刻みに揺らして笑いを堪えている。
彼女の言葉の意味が分かったからだ。
「あ・・・ワンニャ、でも結構です。ただ、ワタクシ的には語尾を延ばして頂いた方がいいですけど・・・一応、種族の正式名称なので・・・。」
「うん、分かった!『ワンニャー』だね!」
立ち上がった未夢はニッコリと笑った。
ルゥに負けないくらいの眩しい笑顔。
「改めてよろしく、ワンニャー!私、あなたを信じる!もちろん・・・ルゥ君もね!」
「と、言うわけだ。」
そう言って、ワンニャの両手を二人はそれぞれ握り締める。
ワンニャーは黙って、深々と頭を下げた。
やっぱり間違いではなかった。
山を降りて、この村に来て、本当に良かった。
だって今日、この二人に会えたのだから。
ワンニャーの頬から、嬉し涙が一筋、床に吸い込まれた。
ルゥを伴って自室に引き上げたワンニャーを見送って、未夢は外を見た。
何だか、いろいろな事、ありすぎて。
未だに、身体が熱くなっている気がする。
彷徨がやって来て、隣に並んだ。
未夢は彼の顔を見上げる。
「・・・・。」
「冷えてきたな。」
「うん。」
互いに微笑み合って、また夜空を見上げる。
向こうの部屋からイビキが聞こえる。
きっとワンニャーだろう。
思わず二人はクスッと笑った。
「ね、彷徨。」
「ん?」
彷徨は未夢を見た。
未夢は少し躊躇っていたが、やがてそっと小声で囁く。
「私達も、あっちで寝ない?」
そう言って、ルゥ達の寝ている部屋を指差す。
彷徨は驚いたが、それは表に出さずに聞き返す。
「何で?」
「何でって・・・寒いじゃない?みんなで寝れば、あったかいよ、きっと。」
「みんなで、か・・・。」
もう一度、口に出して呟いて。
彷徨は黙って踵を返した。
「・・・彷徨?」
「毛布。持ってこなきゃダメだろ?」
背を向けたままでの彷徨の言葉に、未夢の顔がパッと明るくなった。
「うん、そうだね!」
嬉しそうに付いてくる未夢の気配を感じて。
彷徨は肩を小さく竦めた。
全く、知らないぞ?歯止めが利かなくなっても。
そう心の中で呟く彷徨は、耳まで真っ赤。
数分後、二つの寝息のあった部屋に、新たに二つの寝息が加わった。
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