parallel story〜crusades〜

5・中編ー1

作:OPEN

←(b)



焼け付くような日差し。
時折舞い上がる砂塵。

砂漠の中の十字軍は、異様な喧騒に包まれていた。

「急げ!全ての荷物を梱包しろ!」
「誰か手を貸せ!こいつを先に積み込んじまうぞ!」
「おいっ、頭数が足りないぞ!集合してない奴は誰だ!?」

出発を間近に控え、至る所で怒号が響く。
戦いの空気が全軍に広がりつつある。

戦の角笛が吹き鳴らされるであろう、その時に備えて。





短剣を鞘に収めて懐に入れる。
鎖かたびらを身に着け、さらにその上からサーコート――日差しで金属が加熱されるのを防ぐ上衣――を羽織る。
篭手をはめて、最後に長剣を腰に挿す。

天幕の中で戦支度を整えると、彷徨は表情を引き締めた。
身体の中に奇妙な感覚が広がっているのが分かる。
戦いを前にしての、昂ぶりと恐怖が入り混じった感覚。

初陣の時も経験したが、やはり慣れることはできない。

(慣れた所で、あまり良い事じゃないんだろうけどな。)

そう思って苦笑する。

出発の命令が発せられ、全十字軍士はその準備に忙殺されていた。
恐らくあと一時間ほどで、ファーレンに向けて進軍が開始されるだろう。

顔をパチンと叩いて気合を入れ直した彷徨の耳に、部下の声が聞こえた。

「隊長。お目通りを願っている者がおります。いかが致しましょう?」
「俺に?」

彷徨は驚いて天幕越しに聞き返した。

「出発前のこの忙しい時期にか?一体誰が・・・。」
「それが・・・その者は『自分は彷徨様の従者だ』と言っておりまして。」
「従者・・・。」

ますます訳が分からず、彷徨は眉をひそめた。

他の諸侯や貴族なら国に残してきた従者も居るだろうが、ヴェストヴァイト家は元々それほど豊かな家柄では無かった為、そういう人間は一人も居ない。

だとすれば、一体誰が・・・。

「いかが致しましょう?」

天幕の向こうからの声で、彷徨は我に帰った。

「とにかく会ってみる。通してくれ。」
「はっ。」

返事が聞こえて、足音と共に気配が遠ざかる。
ややあって、「入れ」と言う声と共に、一人の青年が入ってきた。

「連れて参りました。」
「ああ。ご苦労さ・・・!?」

その顔を見た瞬間、彷徨は驚きの余り固まってしまった。
表情を見て取った部下が不思議そうな顔を向ける。

「お知り合いですか?」
「あ、ああ・・・。」

何とか冷静さを取り繕いながらも、彷徨は呆気に取られた。
その顔に良く見覚えがあったのだ。

青年は悪戯を見咎められた子供のように縮こまっている。
彷徨はため息をついた。

「取り合えず、下がってていいぞ。二人で話したい。」
「?はあ・・・。」

附に落ちない顔をしながらも、部下の騎士は一礼して出て行く。
それを見届けると、彷徨はやれやれと腰に手を当てた。

「まさかと思ってたけど、本当に来るとは思わなかったぞ・・・ワンニャー。」

言われて青年姿のワンニャーは、おずおずと頭を下げる。

「あの・・・申し訳ありませんでした!こんな所まで押しかけてしまって・・・。」
「いいさ。それにしても、よく陣の中に入れてもらえたな。」
「はい。最初は見張りの方に取り次いで頂けるようお願いしたのですが、聞き入れてもらえなくて。そこへちょうど先程の方が通りかかって、彷徨さんの知り合いだと言ったら、通して頂けたんです。」
「なるほど。」

納得して彷徨は頷いた。

「にしても、お前はホントに忠実なベビーシッターだな。ルゥを追いかけてこんな所まで来るなんて、見上げた根性だよ。」
「えっ・・・。」

微笑んだ彷徨に、ワンニャーは驚いて詰め寄る。

「と言うことは、やはりルゥちゃまはこちらにいらっしゃるんですか!?」
「あ、ああ・・・。」
「ど、どこです!?彷徨さん!ルゥちゃまは、ルゥちゃまは一体どこに〜〜〜〜!?」
「お、落ち着けって!!」

目をカッと見開き、どアップで迫って来るワンニャーに思わず後ずさる彷徨。
と、その時、天幕の入り口がスッと上げられた。

「彷徨〜。こっちはもう準備できたよ・・・って、あれ・・・ごめん、お話中?」

言いながら入ってきた未夢だが、話し込んでいる二人を目にして慌てて口に手を当てる。
が、彼女の抱き抱えていた赤ん坊を目にした瞬間、

「ああ〜〜〜〜!!る、ルゥちゃま〜〜〜!!」
「きゃいっ!わん、にゃあ!!」

ワンニャーは例によって滝のような涙を流し、ルゥを抱いている未夢の元に走り寄る。

「きゃあ!ち、ちょっと・・・。」

慌てる未夢だが、はたと思いつく。
ルゥを見てこんなリアクションをする者と言えば、彼女の知る限りただ一人。

未夢はルゥを手渡すと、そっと彷徨の方に寄る。

「もしかして・・・あれ、ワンニャー?」
「他に考えつかないだろ。」

彷徨は肩を竦めた。

ワンニャーはと言えば、テントの中が洪水になりそうな勢いで涙と鼻水を流しつつ、ルゥに顔を摺り寄せている。

「おお〜〜、我が愛するルゥちゃま・・・お会い出来てよかったです〜〜。姿が見えなくなった時はどうなる事かと〜〜〜!!」
「う〜〜、あんにゃ?」
「グスッ、ヒック・・・もう、もう離れてはいけませんよ?ルゥちゃま〜〜。」

おいおいと泣き続けるワンニャーを、二人は呆れ気味に、でもどこか微笑ましそうに見ていた。

「ワンニャー・・・私達が出てから、すぐに追いかけてきたんだね。」
「だろうな。でなきゃ、こんなに早くここに来れない。」

腕を組んで彷徨が頷くその隣で、未夢は嬉しそうに笑った。

「何だよ?何がそんなに可笑しいんだ?」
「可笑しくないよ。ただ・・・何かホッとしちゃって。」

彷徨は首を傾げる。

「ホッとした?何に?」
「また四人揃ったコト。」

そう言って未夢はニッコリと彷徨に笑いかける。
不覚にも彷徨は一瞬、それに見惚れてしまった。




「それにしても、よく追いつけたね、ワンニャー・・・。」

数十分してようやくワンニャーが泣き止んだ後、未夢は感心したように言った。
馬で全力疾走してきた自分達に追いつくとは、少なくとも同じ馬でない限り無理である。

ワンニャーは不敵な笑みを浮かべた。

「ふっふっふ。未夢さん。ワタクシを誰だかお忘れのようですね・・・ワンニャッ!」

ボンッという音と共に煙が立ち昇る。
その中から一頭の馬が姿を現した。

『おおっ!』
「きゃっは〜!」


未夢と彷徨は驚きの声を上げ、ルゥはパチパチと手を叩いて喜んでいる。
ブルルと鳴くその姿は、本物の馬と全く変わらない。

「ホントに何でも変われるんだ・・・。」
「当然です。これでも、一族の中では最優秀との評価を頂いてるんですから!」

未夢の感心したような声に、ワンニャーはエヘンと胸を張る。
ふと、彷徨は前々から気になっていたことを聞いてみた。

「なあ、変身すると、能力も同じになれるのか?」
「ええまあ、一応は・・・。」
「一応?」
「ああ、つまりですね。」

ワンニャーは大きくなった身体を動かした。
テントの中をゆっくりと歩いて一周する。

「確かに我々ワンニャー族は、変身するとその対象物と同じ能力を持つことができます。馬なら俊足、熊なら怪力、という具合に。ですが真似られるのはあくまでもその『基本的能力』だけなんですよ。先天的な能力は本物そっくりでも、後天的な能力は元のままなんです。」
「・・・どゆこと?」

難しい単語の羅列に、未夢はチンプンカンプンだ。
ワンニャーは慌てて言い直す。

「すみません、分かりにくかったですね。じゃあ、もっと身近な例でお話ししましょうか。例えば、ワタクシが彷徨さんに変身したとしますよね?そうするとワタクシは、肉体的な能力は彷徨さんと全く同じになるわけです。走る速さ、跳躍力、筋力・・・もちろん外見だって全く同じです。」
「ふむ。」

彷徨もじっと聞き入っている。

「じゃあその状態で、ワタクシと彷徨さんが剣で勝負したとしましょう。おそらくワタクシは一分も持ちません。なぜか分かりますか?ワタクシ自身は剣を習ったことが無いからですよ。」

ワンニャーは再びボンッと姿を変えた。
今まで通りの青年の姿である。

「姿をいくら変えて能力を真似ても、その人がそれまで積み重ねてきたもの・・・記憶や知識、戦いの腕なんかはどうやっても真似られないんですよ。要は、何に化けても自分は自分、ということですね。」
「なるほど・・・完璧って訳じゃないんだな。」
「はい。ですがワタクシはこの特徴、結構気に入ってるんです。お陰でルゥちゃまもワタクシだと分かってくださいますし。」
「確かにな。」

ここに入って来たワンニャーを人目で見分けたルゥを思い出して、彷徨は呟いた。
もちろん、ルゥ自身の妙な直感の鋭さも手伝っているのだろうが。

自分は当然変身などできないが、もし自分がワンニャーでも同じ事を考えるだろう、と思う。
自分が自分で無くなるのは、彼にとってもやっぱり嫌だから。

彷徨はさっきからボーっとしている未夢を見た。

「って事だけど、分かったか?」
「・・・え?あ、う、うん!もちろん分かりましたともさ!」
「・・・。」

急に夢から覚めたように何度も繰り返す未夢。
明らかに分かっていない顔だった。

彷徨は未夢の肩にポンと手を置く。

「要するにだ。ワンニャーがお前に化けたとして、見かけは同じ幼児体型。けどお前ほどドジになる訳じゃない、ってことだよ。」
「あ〜、なるほど!それなら何となく・・・ってちょっと彷徨!それ、どーゆー意味よ!!」

ブンブンと彷徨に拳を向ける未夢。
彷徨は余裕でそれをヒョイヒョイとかわしていく。

「ほら、怒るなって。本当のことだろ。」
「言っていい事と悪い事があるでしょ!乙女に向かって幼児体型なんて!」
「ほ〜、どこに『乙女』が居るんだ?あいにく見当たらないんだが。」
「むっか〜、またそういう事言う!」

じゃれあう二人を見つめて、ワンニャーは呟いた。

「一体このお二人は喧嘩中なのか仲良しさんなのか・・・どう思います?ルゥちゃま?」
「あいっ!パンパッ、マンマッ!」

問いかけに対するルゥの答えは、当然ながら答えになっていない。

と、その時。



ブオオオオッ



外から角笛の音が響く。
じゃれ合っていた二人も動きを止めた。

バッと天幕の入り口の布が上がって、ヒョコッと顔が出てくる。
覗き込んできたのは、三太だった。

「彷徨!何やってんだよ!」
「三太?」
「もう出発だぜ!早く行かないと・・・。」

既に準備を終えた格好で、三太は叫んだ。
未夢と彷徨が入り口近くに立っているので、彼からはルゥとワンニャーが見えないのだ。

「分かった。すぐ行くよ。」
「ああ、急げよ!」

言い残して、三太は走り去っていく。
彷徨は未夢の両手を掴んで下ろさせた。

「ってわけだ。続きはまた後でな。」
「くう〜っ・・・。」

悔しそうな未夢に、ワンニャーが苦笑しながら取り成す。

「ほらっ、未夢さん。早く行かないと・・・。」
「分かってるわよ!」

プイッと顔を反らして、未夢は天幕を飛び出していく。
ルゥを抱いたワンニャーがそれに続くのを見送って、彷徨は微笑んだ。

少しからかいすぎたな、と心の中で反省する。

(また、後で・・・か。)

自分でも驚く、こんな台詞が出てくるなんて。

彼女と居ると、何もかもが新鮮だ。



ブンブンと二、三度頭を左右に振る。

最後に身に着けた武具を点検すると、彷徨は勢い良く外に飛び出した。







集合地点に行くと、もうそこには兵士達がズラリと並び、命令を待っていた。
遅れてきた他の兵士達も、それぞれ自分の隊の所へ行って整列する。

兵が全て揃うと、騎士達は順々に馬に乗っていく。
走ってきた彷徨は、軍の真正面、全体を見渡せる位置に望が居るのを見た。

あらかじめ用意されていた自分の馬に彷徨が一息に飛び乗ったのをチラリと横目で見ると、望は剣を引き抜いて叫んだ。


「我が十字軍は、これより北へ進軍、ファーレンを防衛し、グランドール軍を迎え撃つ!戦闘開始は明日の朝、日の出と共に戦いになるはずだ!」

誰かがゴクリと生唾を呑む声が聞こえる
望は一息空けて続けた。

「これまで我々は、相手の攻撃に対し、常に後手に回って来た。そしてその為に、多くの同胞の命を失ってしまった。だが、それももう終わりだ!これからは、我々が反撃に出る!

見せてやろうじゃないか!我らの真の力を!そして掲げよう、十字の御旗を!響かせよう、われらが神・ルゥレスの名を!この、東方の地で、今一度!!」

『おおおおおお!!』

声に応えて、兵士達の怒号が響く。
望は息を吸い込むと、剣を天高く掲げた。


「行くぞ!全軍進発!!」

二万五千の兵士が、一斉にときの声を上げた。







「役者だねえ、王子様は。」
「まあ、あれくらいやらなきゃな。」

歩きながら呟いた三太に、馬上の彷徨が頷く。
隣を歩いていた未夢はキョトンとして二人を見た。

「役者って?」
「士気を引き上げるには、多少おおげさな物言いもしなきゃ駄目だって事だ。」


先の夜襲以来、十字軍の士気はかなり落ち気味になっている。
これから戦いに臨むに当たり、戦闘意欲を取り戻させるためにはあれくらいやらなければ駄目なのだろう。

彷徨は周りを見回した。



現在、十字軍の兵士は大きく分けて三種類で構成されている。

まずは軍の大半を占める歩兵。
対騎馬戦用に長槍を武器とした彼らは、国の正式な兵士である者も居るが、やはりその多くは新たに志願した民兵である。
槍を天に向かって掲げたその姿は中々壮観だが、訓練がまだ十分でない者が多く、統制の面でもやや心もとないのが欠点。
全部で一万二千人いる彼らを、組織的にどう動かすかが鍵になるはずだ。

その歩兵を後方から支援する弓兵は全部で五千。
こちらも、どちらかと言えば平民層が多い。
ただ弓というのは長槍と違い戦場で扱えるようになるまでに訓練と慣れが必要な為、傭兵、及び元傭兵を多く使っている。
中でも西方世界では評価の高い、ルディール候国の弓兵達はこの戦いに多く参戦していた。

そして十字軍の中核であり、緊急時の一発逆転の切り札でもある八千の騎兵部隊。
鎖かたびらに身を包み、集団で馬を駆っての突撃は侮れない効果を発揮する。
特に望の周りを固める、ウィルランド王家直属の近衛騎士団の五百名はその強さや規律正しさで大陸にその名は大いに知れ渡っている。
だがそうは言っても、昔名の知れた騎士達はラーゼスの会戦でほぼ脱落してしまっているし、ルーガスのような不穏分子も出ないとも限らない。
あまり頼りすぎるのは禁物である。

これらを合計して、その総勢二万五千。
その他に、国から来た貴族の妻や子供達、攻城兵器を扱う工兵、治療に携わる医者・司祭なども多数含まれている。







歩兵の足取りに合わせた速度で、十字軍はやや緩やかな進軍を続けていた。

「この分だと、着くのは今日の夜遅くになるな・・・。」

彷徨は空に浮かぶ太陽を見上げた。
青年の姿になり、背中にルゥを背負ったワンニャーが声をかける。

「大丈夫ですよ、彷徨さん!村長様のお話では、敵が来るのは明日になるとおっしゃってましたし、間に合います!」
「ん・・・そうだな。」

頷いた彷徨に代わって、三太が横から口を挟む。

「明日って言うけど、具体的にいつぐらいなんだ?」
「そこまではちょっと・・・ただ、明朝日が昇った後と言うことしか・・・。」
「ふ〜ん・・・まあ、それなら夜のうちに着いて準備しておけば間に合うよな!」
「はい!」

ワンニャーは大きく頷いた。

「ところでさ・・・。」
「はい?」

「さっきから思いっきり自然に話してるけど・・・兄さんダレ?」

ギクッ

言われたワンニャーと、横で聞いていた未夢、彷徨は同時に固まった。
冷や汗を流しながら、「ええと・・・」と言い訳を探すワンニャーを、三太は不思議そうに見ている。

未夢は彷徨に駆け寄った。

(どうするのよっ、思いっきり怪しまれてるじゃない!)
(しょうがないだろ・・・大体、「だいじょーぶ、何とかなるよ」とか言ってたのはお前だろうが。)
(だって三太君、あんまり深く考え無さそうだし、ごまかせるかな〜って・・・そ、それに、彷徨だって反対しなかったでしょ!?)
(そりゃ俺だって、三太ならごまかせるかな、とは思ってたけど・・。)


ヒソヒソ声で言い合う二人。
はっきり言って失礼千万である。

「何だよ〜、どうしたんだ?」

痺れを切らして三太が問いかけてくる。
彷徨は何とかもっともらしい答えを返そうと必死になって考えた。

「あ〜・・・道案内、道案内の人なんだ!な、未夢!」
「そ、そうそう!」

三太はキョトンとして聞き返す。

「道案内?」

問いかけるように見られて、ワンニャーはウンウンと頷いた。

「そ、そうなんですよ〜。村に行った時、彷徨様に雇われまして、はい!」
「へ〜・・・そうだったのか。」

三太は感心したような声を上げた。

「さっすがだな〜、彷徨!きっちり案内人まで雇ってくるなんて・・・やっぱりお前はしっかりしてるよな〜。」
「そ、そうか?」

曖昧な答えを返しながらも、彷徨は内心で安堵のため息をついた。
どうやら怪しまれずには済んだようだ。
やっぱり三太はあまり深くは考えていないのか、あるいは自分の事をそれだけ信用してくれているという事か。

「そういう事なら、よろしく頼むぜ、兄さん!しっかり案内してくれよな〜!」
「は、はい・・・。」

力いっぱい手を握り、ブンブンと上下に振る三太。
困惑顔で、されるがままになっているワンニャー。

(ふ〜、危なかったよ・・・。)

ひとまず危機を乗り越えて、未夢はホッと息をつく。
空を見上げると、太陽は次第に傾きつつあった。






縦列を組んだ軍の最前列。
望はあまり屈強とは言えない身体を、それでも総大将らしく見せようと、背筋を伸ばして馬を進めていた。

これから始まるのだ。
十字軍の本格的な戦いが。

彷徨の情報に寄れば、敵軍がファーレンに到着するのは明日の未明以降。
対してこちらは歩兵中心である為そう早くは動けないが、遅くとも今夜中には着ける。
到着した後、隊列を整え、もし出来れば簡単に休息を取ることもできるだろう。

いずれにせよ、今回は自分達が相手を待ち構える形になる。


「ピピッ!」
「ごめんよ、オカメちゃん。ちょっと静かにしておいてくれ。」

肩に止まって鳴き声を上げるオカメちゃんの頭をそっと指先で撫でて、望は後ろを振り返った。

先の夜襲で損害を被ってしまったが、それでも兵数は二万五千。
対して敵軍はラクダ騎兵が五千か、多く見積もっても六千ほど。
数の上でも大きく勝っている。

(大丈夫。勝てるはずさ!)

そう自分を元気付ける。
兵士達の前では強がって見せたものの、明らかに身体は強張っていた。
声が震えなかったのが不思議なくらいだ。

だが、負けるわけにはいかない。
ファーレンを敵に奪われてならないのだ。
士気を高めるためにも、これからの将来のためにも。

緊張を落ち着けるために深呼吸をした望の耳元で、また甲高い鳴き声が響いた。

「ピピピッ、ピイッ!」
「ああ、もう、オカメちゃん!頼むから静かにしてくれ。僕は今考え事を・・・。」
「ピピッ!」
「うわっ!」

突然オカメちゃんはその嘴で望の頭をつつきだした。
慌てて頭を抑えた望は、馬から落ちそうになる。

「うわわわっ、と・・・ふうっ・・・。」

何とか落ちずに済んで、ほっと一息。
ふと周りを見ると、近衛の騎士達は顔を背けて笑いをこらえたり、呆れた目を向けたりしている。
居心地の悪さを感じて、望はぐっとオカメちゃんを掴んで囁いた。

「こらっ、何てことをするんだい。ご飯ならさっきあげたろう?」
「ピピピッ、ピピッ!!」
「オカメちゃん・・・?」

未だに鳴き声をあげるオカメちゃんに、望は怪訝な顔をした。
何だか様子がおかしい。
いつもならここまで言えば、ちゃんと大人しくなるのに・・・。

まるで何かを知らせようとしているようだ。

(知らせる?一体何を?)

何か自分が見落としている事があるというのだろうか。
色々と考えみるが、全く思い当たらない。

「おいっ、あれは何だ!?」

騎士の一人が上げた声で、望は顔を上げた。
周りの兵達も前方に目を凝らす。

遥か遠くに見える、何か黄色い雲のようなもの。
だが、それが雲で無いことは、地面を這うように移動してくることから分かる。

それに合わせて聞こえる、ヒュウヒュウという、風のような音。
だんだん大きくなってくるにつれ、乗っている馬達が騒ぎ出す。

「あれは・・・!」

望は目を見開いた。






列の中央辺りにいた彷徨達が「それ」に気付いたのは、望より数刻後のことである。

最初に気付いたのは三太だった。


「なあ・・・あれ、何だ?」

額に手をかざしながらそう言って前方を指差す三太。
周囲の皆もつられてその方向を見る。

黄色い雲のようなものが、地を這うようにしてこちらに向かってくる。
かなりの速さだ。

「?何なんだ、一体・・・。」

彷徨もしきりに首を捻る。
その隣で未夢も同じようにして目を凝らしている。

「それ」がだんだん近付いてきた時、未夢の顔が強張った。

「あれって・・・!」
「どうした、未夢?」

彼女の表情を見て取った彷徨が不思議そうに聞く。
が、未夢はそれには答えずに、馬上の彷徨を見上げるとマントを引っ張りながら叫んだ。

「馬降りて、早く!!」
「おい、一体何の・・・おわっ!!」

最後まで言い切ることはできなかった。
未夢が彼のマントを思いっきり引っ張ったからである。
全く予想していなかった彷徨は見事に馬から転げ落ちる。

「って〜、何するんだよ!」

落ちた拍子に口に入ってしまった砂をペッペッと吐き出しながら、彷徨は文句を言う。
が、未夢はまたしても答えずに、ルゥ、ワンニャー、三太、そして周りの兵士達に向かって声を張り上げた。

「みんな伏せて、急いで!」

「未夢さん?」
「マンマ・・・?」
「どうしたんだよ?未夢ちゃん。」

口々に言う三人。
他の兵達も、戸惑いの表情を浮かべている。

そんな彼らを代表するように、彷徨は座り込んだままで未夢に言った。

「おい、一体どうし・・・!?」

どうしたんだ、と聞こうとした、その瞬間だった。




ビュオオオオッ


凄まじい突風が、彼らに向かって吹きつけた。
「うわあっ!」
「何だこいつは!」

辺りに巻き起こる悲鳴。

強烈なのは風だけではない。
巻き上げられた砂が、ものすごい勢いで叩きつけられてくる。

突然の事に兵たちはパニックに襲われる。
目を砂にやられ、顔を抑えて転げまわる歩兵。
驚いた馬が後ろ足で立ち、その拍子に振り落とされる騎兵。

突然のことに、皆パニックになっていた。

「・・・こいつは・・・!」

うずくまって必死に耐える彷徨。
何とか横に目を転じると、未夢が同じような体勢でしゃがみこんでいた。

「くっ・・・。」

匍匐前進のような形で、何とか未夢の側まで行くと、彼女の上に覆いかぶさるようにして抱きかかえる。

「!彷徨・・・。」
「大丈夫か!?」
「うん。」

顔をちゃんと上げられない状況だが、それでも元気なのが分かって彷徨はほっとした。
何とか細目を開けて周りを見ると、皆同じようにして耐えているのが分かる。

(まさか、こいつは・・・。)

彷徨の頭に一つの可能性が昇ったが、それを確認する余裕は無かった。






それから数十分くらい経ったろうか。
だんだんと風の勢いが弱まり、先程までと同じ勢いになる。

安全を確認して、彷徨はゆっくりと身体を起こした。

「止まった、のか?」

付着した砂を払うと、周囲を見渡してみる。
馬が倒れた時に軽い怪我をした者が数名いるだけで、みんな大事には至っていないようだ。

「いたたた・・・。」

未夢が起き上がって、砂をパンパンとはたき落とす。

「平気か?」
「うん、何とかね。」

長い髪にこびり付いてしまった砂に悪戦苦闘しながら頷く未夢。

彷徨は先程の突風に何とか持ちこたえていた馬を、手綱を引いて落ち着かせた。

さっきの現象には聞き覚えがあった。
昔、クレイン公爵の東方遠征の武勇伝を聞かされた時に耳にした、砂漠特有の現象。

「『砂嵐』ってやつか。」
「うん。でもこんなに大きなのは私も初めてだよ。どうしてだろ・・・。」

そう、未夢が言った直後。


「うみゃあ〜〜〜〜!!」
「ああ、ルゥちゃま!大丈夫ですか〜〜!?」

聞こえてきた泣き声に二人はハッとなった。

「そうだ、ルゥ君!」

慌ててルゥの方へ駆け寄る。
泣き叫んでいるルゥを前に、ワンニャーがこちらも泣きそうな顔でオロオロしていた。

「ルゥ君!」
「ルゥ、大丈夫か!?」
「ふええ、パンパッ、マンマァ〜〜!」

未夢はルゥを抱いて、安心させるようにゆっくりと撫でる。

「大丈夫、もう怖くないよ。怖くない・・・」

温かい腕に抱かれて、少しずつルゥが大人しくなる。
彷徨はそっと近寄ると、ルゥの目を覗き込んだ。

「ちょっと、見せてみろ。」

しばらくじっと見た後、彼の表情がホッとしたものになる。

「ああ、大丈夫だ。砂が目に入ってでもしてたら一大事だったけど、何とも無い。」
「ホ、ホントですか!?良かったです〜〜〜!!」

だば〜っと洪水のような涙を流すワンニャー。
その横に、三太がおぼつかない足取りで近付いてきた。

「びっくりしたんだろうな、いきなりあれじゃ当然だぜ。」
「三太!お前は、平気なのか?」
「ああ、何ともないぜ。耳に砂が入っちまったけどな。」

トントンと即頭部を叩いてみせる三太。
思ったより被害が少ないことに、彷徨はひとまず胸を撫で下ろす。

が・・・。

「おいっ、また来たぞ!」
「何だって!?」

驚いて遠くに目を移す一同。
先程と全く同じ砂嵐が、凄まじい勢いで向かってくる。

「っ全員伏せろ!」

中隊長の声が響く。

「第二波か!ワンニャー、ルゥを頼む!」
「はい。・・・こうなったら仕方ありません、ワンニャッ!」

ついになりふり構わなくなったワンニャーが、何か巨大な生き物になってルゥ達に覆いかぶさる。

彷徨が視認できたのはそこまでだった。



その直後、砂と風が、全員の身体に叩き付けられた。







日が暮れようとしている、山岳の村ファーレン。
いつもならばこの時間は、仕事を終えた男達が酒の一杯を頭に浮かべながら家路に着き、女達はそんな彼らを迎える為に食事の支度に勤しむ頃である。

しかし、今日この日、ファーレンの日暮れはいつもと全く違った様相を呈していた。


「おい、そっちの木材運んでくれ!」
「ボヤボヤするな!そこが終わったら次はここだ!」
「手が足りないぞ!誰か、ここの補強手伝ってくれ!!」

辺りに叫び声が響き渡る中、どう見ても若いとは言えない男達が重い木材を運んで廻り、村を囲うように柵を作っていく。
それを補佐しているのは女と、そして子供達だった。

働いている男達の一人が何かに気付いたように一団から離れ、作業を見守っていた老人の元へ駆け寄る。

「村長!」

村長ゲオルグはゆっくりと振り向く。
声の主は骨董屋の主人だ。

「どうじゃ、作業の進展は。」
「村の西側と南側はもうじき終わる。一番遅れてるのは東側だな。男衆がほとんど居ないんで苦労してるんだ。」
「分った。何とか人手を見繕うように支持を出しておこう。」
「ああ、頼む!」

頷いて、また仕事の中に戻っていく彼を見送って、ゲオルグは改めて作業の状況を見渡した。

皆は良くやってくれている。
予想をはるかに上回る速さで柵は出来上がっていた。
ただ如何せん、こう言った力仕事に必要な男手が、今のこの村には不足している。

何しろ、村の男の約半分は、グランドールによる徴兵の為に連れて行かれているのだ。
ゲオルグの今の役目の第一は、その限られた男手を如何に効率的に振り分けるかであった。

(敵の到着・・・そのぎりぎり前といったところか。)

作業の進展具合を見ながらそう判断する。
もちろん、これはその前に十字軍がここにやって来てくれるという前提の上での話である。
いくら柵を作ったと言っても、あくまでも気休め程度。
本格的な援軍が来てくれなければ何にもならないのだ。

実を言うと、作業の前から援軍については疑問の声も少なくなかった。

“本当に援軍はここに来るのか?”
“十字軍とグランドール軍が、グルになってこの村を山分けしようとしている可能性は?”
“いっそ迫って来る軍に降伏して、安全を保障してもらった方がいいのでは?”

こう言った疑問に、ゲオルグは一つ一つ、落ち着いて答えていった。

ここでグランドールに村を渡せば、今まで以上の圧制が待っていること。
自分が会った十字軍の指揮官は信用できる人物で、協力すれば必ず自分達の利益を保証してくれること。
これは自分達が、独立とはいかないまでも、得られる限りの自由を得る最大で最後のチャンスであること。

根気強く説いた彼の言葉に動かされたのか、村の人間はまだ首を捻りながらも、作業に打ち込んでくれたのである。

「間に合えばよいがな。」

そう呟いて、ゲオルグは日が沈もうとしている西の方角を見遣った。
あの慌てもののベビーシッター、いやシッターペットはルゥを追いかけて行ったが、無事に合流できたのだろうか。
最も、あの赤ん坊はこの村に留まるよりも、あの二人と行く方を望むかもしれないが。

何にしろ全てはこの戦いが終わってからだ。

別の作業場の様子を見に行こうとした彼の耳に、女達の声が聞こえてきた。

「ええ?そりゃ本当かい?」
「ああ、本当だよ。今さっき村の外ででっかい砂嵐があったんだ。あとちょっとで巻き込まれる所だったよ。」
「は〜、運がよかったじゃないか。」

ゲオルグはハッとなってもう一度西に目を向ける。
今のこの季節、砂漠では頻繁に砂嵐が起きる。
中には連続して大規模なものがやってくることもある。
まさかとは思うが・・・。

不安なものを感じて、彼は大声を張り上げた。

「おいっ!急ぐのじゃ皆の者!時間が無いぞ!」

とにかく今は急ぐしかない。
ゲオルグは不安を見せないように厳しい顔をしながら、自分にそう言い聞かせた。











進軍中の十字軍。
彷徨は焦る心を抑えきれずにいた。

日が沈んだ砂漠を、軍は全速力で進軍している。
もちろん、混成部隊という性質上、歩兵の足に合わせてはいるが、それでも出せる限りの速度を絞り出している。

だがそれでも、進軍速度は大幅に遅れていた。
あの後も何度も砂嵐に見舞われ、さらに慣れない砂漠での進軍ということもあって、思うように進めないのだ。


後ろに跨る未夢が声をかけてくる。

「ねえ、彷徨。」
「何だ?」
「このままだと、着くのいつになる?」

振り返って見ると、未夢の顔も不安で強張っている。
一拍置いた後、彷徨は低い声で答えた。

「明日の昼。」
「そんな!それじゃあ・・・。」
「わかってる!」

わかっているのだ、明日の昼では間に合わない。

(ちくしょう・・・!)

「なあ、彷徨!」

横でゼイゼイ息を切らせながらも、三太が話しかけてくる。
彷徨は思考を中断して隣を見た。
彼にも非常事態は分っているようだ。

「このままじゃ間に合わねーぞ!何か手、ないのか!?」
「・・・。」

言われて彷徨は黙り込む。
手が、あるにはある。
だが、それは・・・。

ふと、馬蹄の音と共に、騎士の一人が馬で駆けて来る。
着けている鎧と紋章から、望の近衛騎士団だと分かる。

「小隊長はいるか!?」
「ああ、俺だ。」

張り上げた声に手を上げて応えた彷徨に、騎士は近付いてくると背筋を伸ばして叫んだ。

「王子からの命令だ。各隊の小隊長は、指揮下の騎士を集めて望王子の下へ終結。その後騎馬隊のみでファーレンを目指す!」
「!」
「なっ!」

その場にいた一同が顔色を変える中、彷徨だけが冷静に問い返す。

「騎馬隊だけ選抜して連れて来いってことだな?」
「そういうことだ。確かに伝えたぞ!」

そう言うとその騎士は命令を次の隊に伝えるべく、さらに後方へと走っていく。
それを見送って、彷徨は呟くように言った。

「あいつも、俺と同じこと考えたみたいだな。」
「お、おい彷徨!騎馬隊だけで来いって・・・。」

慌てたように言う三太。
未夢もワンニャーも同じような表情をしている。

「このまま行ったんじゃ、敵の到着までにファーレンに着くのは無理だ。けど、足の速い騎馬隊だけならギリギリ間に合う。先行して敵の足止めをして、何とか後続の部隊が来るまで時間を稼ぐ・・・。」
「けどっ!それじゃあ!」

三太が喰らい付く様な表情で叫ぶ。
彼の言いたいことは分かる。

理屈で言うなら確かにそれしか手は無いだろう。
しかし、後続が来るまで持ちこたえられる保障がどこにあるというのだろうか。
砂嵐がさっきので終わりという確証もない。

それに例え間に合ったとしても、先行した騎馬隊は絶対に無傷ではいられない。
下手をすれば、全滅したっておかしくないのだ。

彷徨は首を振った。

「それでも、方法はこれしかない。あの村を守るためには他に方法がないんだ。」
「でも、彷徨さん・・・。」

それでもまだ納得できないワンニャーが訴えるような目で見つめてくる。
その手に抱かれているルゥは、事態はわからないまでも、何となく雰囲気はわかるのだろう。
今にも泣きそうな顔だ。

それらから視線を引き剥がすように顔を背けると、彷徨は三太を見た。

「三太、騎士の連中を集めてくれ。」
「彷徨・・・!」
「早くしろっ、命令だぞ!!」

周りに聞こえるくらいの大きな声でほとんど怒鳴るように言う彷徨。
三太は長いこと、親友を見つめていたが、やがてギリッと唇を噛むと踵を返した。

「伝令だ!騎士様達!大至急集まってくれ!!」

ほとんど喧嘩腰で声を張り上げる三太に、彷徨は微かに苦笑を浮かべた。

(悪いな、三太。)

本当ならあんな言い方はしたくなかった。
長いこと、彼の両親は彷徨の家で従者をやってきた。
けれど、彷徨と三太、二人の間にはどんな主従関係もなかった。

「命令」等と言う言葉を使ったことも、そもそも思い浮かべることもしなかった。
それが二人の暗黙の了解になっていたからだ。

(けど、これからはこういうのが増えるんだろうな。)

寂しさが押し寄せてくる胸の内を見せまいと、彷徨は胸を張った。



未夢はこの一連のやり取りを、不安に押し流されそうになりながら聞いていた。

(別れる・・・彷徨と?)
(もう会えない?)
(ううん、そう決まったわけじゃないよ。でも・・・)

落ち着こうとすればするほど、恐怖が身体を蝕んでいく。
どうしてだろう。
今まで考えもしなかった。

ここは戦場で、彷徨達は十字軍で。
自分はたまたま保護されただけ。
いつ別れる時が来てもおかしくない、それは考えてみれば当たり前なのに。

彷徨と別れ別れになる事を今まで考えようともしなかった。
例え戦いの中でも、いつかの夜戦の時のように、一緒にいるんだと思っていた。

彷徨が自分の知らない所に行くんだ。
そう考えた瞬間、震えが全身を走り抜ける。

「おい、未夢。・・・未夢?」

彷徨の声でハッと我に帰る。
目を開けると、怪訝そうな顔の彷徨。

「聞いてただろ?馬から降りてくれ。」

降りる?
彷徨と別れるの?

(やだ・・!)

マントを掴む手に、ぎゅっと力が篭る。

「!おい・・・。」

驚いた顔で彷徨は俯いている未夢を見つめた。
少し考えた後、マントを掴んでいる彼女の白い手をそっと取る。

「・・・!」

驚いて顔を上げた未夢に顔を近づけると、彷徨は小さく囁いた。

「なあ、覚えてるか?初めて会った日の夜に、お前に言った事。」
「あ・・・。」

未夢はハッと思い出した。
そう、同じテントで過ごしたあの夜。
第二の故郷を焼かれて泣いていた自分に、彷徨は言った。

“見つければいい、お前の居場所を。それが見つかるまでは・・・”

「“ここが・・・わたしの居場所”。」
「よし、いいぞ。ちゃんと覚えてたな。」

ニッと笑って、彷徨は未夢の手をそっとマントから外させた。

「俺にとっても、ここは俺の居場所だ。忘れるな。例え何があっても、俺の心はここに帰ってくる。・・・魂だけに、なってもな。」
「彷徨・・・。」

彷徨は自分で自分に苦笑した。
もっと気が効いたことを言えればいいのに。

それでも彷徨に考え付く、これが最良の言葉だった。
下手な励ましなど言っても、何にもならないと思うから。

それでもまだ泣きそうな顔をしている未夢に、彷徨はふうっとため息をつくと、さらに顔を近づけた。

「そんなに心配なら、別れのキスでもしてやろうか?」
「!!」

一瞬にして未夢の顔が真っ赤になる。

「ばっ・・・何言ってんのよ!」
「要らないんなら、早く降りてくれ。」
「ああ、降りるわよ!降りますともさ!」

言いながら、ストンと地面に飛び降りる。
そして、馬上の彷徨をキッと睨みつけた。

「ほんっと彷徨ってデリカシーないよね!キスだのなんだの、軽々しく口にしないでよ!」
「はいはい、悪うございました。」
「何よ、その態度!?」

怒り心頭に達した未夢を見て、彷徨は可笑しそうに肩を揺らした。

「何がおかしいのよ!」
「そう、それでいい。」
「え?」

彷徨の言葉にキョトンとする未夢。

「お前はそうやって、俺を怒鳴りつけてるのがいいんだよ。その方が何か、俺も安心する。」
「・・・。」

なんと言っていいか分からずに、未夢は黙って彼を見上げた。
彷徨は少し沈黙した後、未夢の後ろを指差した。

「ほら、お前が変だから、ルゥまで不安になってるぞ。」

慌てて振り向く未夢の目に飛び込んできたのは、もう泣く寸前のルゥの顔。
未夢はそっと歩み寄って、両腕でルゥを抱きかかえた。
それを見届けると彷徨は満足したように頷く。

向こうから三太の声が響く。

「彷徨!全員揃ったぞ!」

その声に手を上げて応えると、

「じゃあ、な。」

一言を残して、彷徨は馬に拍車を掛けて走り去っていく。
後に残された未夢とルゥ、ワンニャーは、黙ってそれを見送っていた。






彷徨が自分の第三小隊を引き連れ、さらにそれが所属する第五中隊に合流して望の所に着いたとき、まだ半数ほどの騎士は到着していなかった。

彷徨が来たのを見ると、先頭にいた望は近くの騎士達に断りを入れて、そっと馬を彼の近くに寄せてくる。

「作戦は聞いたかい?」
「大体は。」

簡潔に答える彷徨に、望は小さく頷いて見せた。

「まあ、大雑把な方針以外には、作戦もへったくれもないんだけどね。今回は。」
「・・・。」

そう言う彼の顔は、この作戦を決めるまでにどれだけ悩んだかを物語っていた。
だが、そんな疲れた表情をすぐに振り払うと、彼はまたいつもの不敵な顔に戻る。

「こちらは八千。向こうは六、七千。数の上ではほぼ互角だ。」
「よく周りから反対の声が出なかったな。」
「みんな分かってるのさ。ファーレンを守らなくちゃいけないのは、何も人道的な立場からだけじゃないってね。」

彼の言っている意味が彷徨には分かった。

ファーレンをグランドールに奪われてはいけないのは、もちろん村人を救う意味もあるがそれ以上に戦略的な意味合いが強い。
もしここでファーレンを奪われれば、敵はそこに山岳を利用した要塞を築き、容易に攻め落とすことはできなくなる。

十字軍がいつまでもそこで手こずっていれば、ゼラード、あるいは本国からやって来る援軍と挟み撃ちにできるし、逆にファーレンを無視してゼラードに向かえば、ファーレンの軍が打って出てこれも挟み撃ちができる。

結局どうするにしても、あの村を奪われるわけにはいかないのである。

「俺達とあの村の利害は一致しているわけだ。」
「そういうこと。」

だんだん集まりつつある騎士たちを見ながら、望はポツリと呟く。

「彼女は怒ってるかな?君をこんな事に巻き込んで。」
「はあ?」

思わず間の抜けた声を出す彷徨。
彼女、というのが誰を指すか、流石に彷徨にもわかる。

「あいつは、そんな小さい奴じゃないだろ。第一、こんな事になったのは別にお前のせいじゃないんだし」
「だと、いいけれどね。」

望は笑みを浮かべて馬の手綱を握る。

「そろそろみんな集まってきたみたいだ。また後で。・・・アディオス。」

人差し指と中指でピッと別れを告げて、望は先頭に戻っていく。
何だか、からかわれたような気がして、彷徨はしばらくその後姿を憮然として見ていた。



最後の隊が到着したのを見ると、望は声を張り上げた。

「騎士諸君!作戦は皆、聞いてくれたと思う。もはや僕から言うべきことは何もない!皆、死力を尽くそう!そして・・・必ず勝利を!!」

トンッと拳を胸に置くクルゼア教の儀礼を、望に合わせて全員が行う。
もちろん、彷徨も。

それに頷いて、望は先頭を切って馬を走らせる。
近衛騎士以下、十字を胸につけた騎士達がそれに続く。

ときの声と共に、数千の馬蹄の響きが夜の砂漠に響き渡った。




←(b)


[戻る(r)]