待ちに待った上映当日、未夢たち六人は都心部の映画館を訪れた。
「うっわ〜、すっごい人だね、こりゃ・・・。」
ななみがげんなりした声を上げる。
映画館の前は、これまでに無い混み具合だった。
通常なら、基本的にチケットは当日になっても買うことができる、というより普通そういうものだろう。
が、この映画だけは勝手が違った。チケットはもちろん完売。立ち見でもいいから見ようという客も居るが、それさえもスペースが一杯で全員入りきらないというのが現状だ。
「ホント、あたし達って運がいいよね〜。事前予約もしないでこうやって席が取れて、しかも最前列でしょ!?こうなったら、他の人には悪いけど、思う存分ブラトを見て帰らなきゃ!もし・・・もし運がよければ、握手とかしてもらえちゃったりするかも!ね、そう思うでしょ?クリスちゃん!」
呼びかけられたクリスははっと夢から覚めたような表情をし、
「え、ええ、そうですわね。」
と生返事を残して再び視線をある一点――――彷徨のほうに注ぎ始めた。
「ね、綾!」
一瞬呆れ顔になったななみが気を取り直して綾に向き直る。
「え〜と、この映画の予想される伏線は、こことここ、後ここも・・・・。」
「・・・・・・。」
「な、ななみちゃん・・・?」
不穏な空気を察した未夢が恐る恐る声をかける。と、突然ななみは頭を抱えて叫びだした。
「だぁ〜〜もう!二人とも事の重要さがわかってな〜〜い!!」
「おっ、抑えて!ひとまず抑えようよ、ななみちゃん!」
「ブラトよ?ブラット・トットが間近で見られるんだよ?なのに、はしゃいでるのがあたし一人ってどういうことよ〜〜!!」
「まぁまぁ・・・。」
未夢は苦笑しながらななみを取り成している。
今回の映画は、クリスが全員分のチケットを出したのだ。したがって招待主はクリスということになるのだが、当の彼女はここに着いたときから、彷徨のほうをちらちらと恥ずかしそうに見ているばかり。映画スターにはまったく興味がないらしい。
俳優に興味が無いというのは綾も同じだ。彼女が興味あるのは脚本、演出などの映画の中身のほうなのだ。なんでも、聞いたところによると、今回製作指揮を執ったのは『モッチリーニ』とか言う名前の名監督らしい。演劇部副部長の肩書きを持つ身としてはやはりチェックすべきなのだろう。
そんなわけで、女の子4人という華やかな面子にも関わらず、俳優の話ではしゃいでいるのはななみだけ。
端から見ると、結構寒い状況ではある。
ちなみに、最後の一人である光ヶ丘望にも一応声をかけたのだが、根っからのスター気質の彼はトットに対して妙なライバル意識を持っているらしく、結局来なかったのである。
「ほら、ななみちゃん、トットだったら私もファンだからさ。後で一緒にサインもらいに行こ?」
「ああ〜、ありがと〜未夢!あたしの味方はあんただけだよ〜〜。」
ふざけて未夢の首にオヨヨと抱きついてきたななみだったが、急に体を起こすと真剣な口調で切り出した。
「で?未夢のもう一人のスター君、何かあったの?」
離れたところを目で指し示す。そこには、彷徨が腕を組み、壁にもたれかかるようにして立っていた
「えっ、ち、ちょっと待ってよ。」
急に聞かれて、未夢はわたわたと手を振った。
「かっ、彷徨は別に私のスターなんかじゃ////・・・。」
必死に否定しようとするが、顔が赤くなっているのは隠しようが無い。
ななみは未夢の言葉に、ただ苦笑いしてふ〜んと言っただけだった。未夢の下手な嘘を見破るときの彼女の癖だ。もっとも未夢は気づいていないのだが。
「ま、そういうことにしといてあげますか。で、何があったの?昨日からなんとなく様子変だったし、今日だって来てから一言も口聞いてないじゃない。喧嘩でもした?」
「あ・・・うん・・・。」
いくら未夢でも、ここで「なんでもないよ」などと白々しいことは言えなかった。それほどに、今日の彷徨は様子が変なのだ。
家を出て、映画館に向かう時も、不機嫌な顔をして黙りこくってばかり。それでも、普通の話ならちゃんと返事をしてくれるが、なぜか今日のイベントとか、主演俳優の話になるとそっぽを向いて、会話が途切れてしまう。
(私、何か怒らせる様な事、言っちゃったのかな・・・?)
今、彷徨は三太と話している。どんな顔をしているかは遠くてよく見えないが、怒っているようには見えない。なんで彷徨が怒っているのかはわからないが、確かなのは彼の不機嫌さは未夢にだけ向けられているということだ。
知らず知らずのうちに、顔が下を向いていってしまう。
「未夢?」
しゅんとしてしまった未夢に、ななみが心配そうに声をかけてくる。
未夢は顔を上げると、無理やり作ったような笑顔で、
「ん・・・・大丈夫。」
「でも・・・・。」
ななみが何か言いかけたとき、
「未夢ちゃん、ななみちゃん!もうそろそろ入場時間だよ〜!」
「は〜い!今行くよ〜!」
綾の声に未夢は荷物を持ち直すと、入り口に向かって駆け出した。
その後姿を見ながら、ななみは大きくため息をつく。
「どう見ても、大丈夫なんて感じしないんだけどね・・・・。」
一人呟くと、ななみは未夢たちを追いかけ始めた。
「それでさ、モンスターの一体に『WANNIYAR』っていうのがいるんだよ〜。モンスターって言うにはちょっと愛嬌ありすぎるけど、そこがまたさぁ・・・・・。」
「ふ〜ん。」
どこかで聞いたような名前だな・・・と思いながらも、彷徨は気の無い相槌を打った。普段なら聞きとがめるような事も、ぜんぜん頭に入ってこない。
頭の中から、未夢の昨日の台詞が離れてくれなかった。
“すっごくかっこいいよね〜”
それは、昨日未夢が、教室で言っていた言葉。
未夢にしてみれば、本当に何気なく言ったのだろう。けれど、その一言は彷徨の心に、暗い、もやもやしたものを投げかけてきて。
(何でこんなにムカつくんだ・・・・あいつが、他の奴をかっこいいって言ったから?)
そんなことあるはずない、と自分に言い聞かせる。
実際、彷徨は自分が美形かどうかなんて事をあまり意識していない。少なくとも以前はそうだった。学校で女の子たちから「かっこいい」といわれる事はよくあるが、だからと言ってそれを自慢しようなんて、考えたことも無い。それなのに・・・・
(くそっ・・なんでなんだよ・・!)
自分に心の中で舌打ちする。今朝からずっとこんな調子だ。未夢が話しかけてきてくれても、出てくるのはぶっきらぼうな返事ばかり。一生懸命気を遣ってくれている彼女に自分がしたことといえば、そっけない態度と冷たい言葉で、悲しそうな顔をさせただけ。
「何やってんだ、俺・・・。」
ため息をつきつつ、自己嫌悪に陥っている彷徨。
そんな彼の横では三太が自ら仕入れてきた事前情報を披露し続けている。
「でさぁ、CGを使ったシーンなんかもたくさんあるんだけど、これがすごくてさぁ・・・・・って、聞いてるか?彷徨!」
「あっ?ああ・・・。」
心ここにあらず、といった調子の彷徨の返事に、三太はやれやれというように首を振った。
「なぁ、どうしたんだよ〜。昨日からお前、変だぜ?」
三太の呼びかけにも返事は無い。というか、聞こえているかどうかさえ怪しい。
彷徨の様子が変だ、というのは三太もうすうす気づいていた。一見すると普段と変わらないように見えるが、付き合いの長い三太には、体の奥から湧き上がる感情を彼が必死に抑えようとしているのがわかってしまうのだ。
(光月さんかな・・・・)
一番高い、というより唯一に近い可能性を考えてみる。原因がなんであれ、彷徨の心をここまで揺り動かすのは未夢しか考えられない。けれど、今それを彷徨に言ったところで、恐らくまともな答えは返ってこないだろう。
『入場10分前となりました。チケットをお持ちのお客様は、4列になってお待ちください』
係員のアナウンスとともに、周りの人々が移動し始める。
「彷徨、行こうぜ!」
「ああ・・・・。」
三太は彷徨を無理やり引っ張るように、列に並ばせた。何にせよ、今は気分転換をさせてやるのが一番いいように思えたのだ。
期待に胸を膨らませた、たくさんの観客の前で『モンスターズ・オブ・マリン』は上映された。
前評判をはるかに上回る、息をもつかせぬストーリー展開と、迫力満点の映像。
訪れた客たちは皆、それに息を飲み、興奮に引き込まれていく。
いつもは大騒ぎしながら見ている三太でさえ、声を上げるのも忘れ、物語に没入している。
その興奮は映画が終わった後でも残っていた。
いまだにざわめきの収まらない会場。その中央のステージに、派手な衣装に身を包んだ司会者が姿を現す。
『さあ皆さん、お待たせいたしました!!いよいよ本日第二のメインイベント・ブラット・トット氏が日本公開を記念して皆様にご挨拶をさせていただきます!皆さん、盛大なる拍手を〜!!』
残っていた観客たちが一斉に歓声を上げる。特に、そのうちのほとんどを占める女性陣の声は悲鳴と区別するのが難しいほどだ。そう、ここにもそんな娘が一人・・・・。
「きゃああああ!トットだよ、未夢!ブラトが目の前に・・・。あっ、そうだサインもらわなくゃ!色紙どこにしまったっけ・・・。カメラは?ちゃんとフィルム入ってるよね!」
「な、ななみちゃん・・・なんかスゴイね・・・。」
「う、うん・・・。」
ななみのパワーに未夢と綾は圧倒されっぱなしだ。
不意に綾がステージの端を指差す。
「あっ、出てくるみたいだよ?」
未夢も背伸びして、その方向をに目を向ける。ステージの端から姿を現した金髪長身の男性。
ハリウッドスター――ブラッド・トットだ。
ステージに現れた彼はゆっくりとした足取りで中央へと歩いてくる。
スポットライトが彼を照らすと、ファンの歓声が一際大きくなる。それだけではなく、何人かのファンが大胆にもステージに駆け上がろうとして、スタッフに制止される光景もちらほら出てきた。
「すっごいねぇ・・・。これじゃ、スピーチも聞こえないんじゃない?」
綾がぽつりとこぼした。確かに、この大音量の声援の中ではマイクを最大にしても聞こえないだろう。
係員は静かに、静かに、とがなり立てているが、一向に治まる気配は無い。
ところが、壇上のスターはそんな周囲の喧騒をよそに、ステージ中央まで歩いてくると、まるで動じる気配も無く、人差し指を唇にあてて、静かに、というジェスチャーをする。
その途端、まるで洪水のように騒がしさが引いていき、あっという間に静寂が劇場内に戻ってくる。
「うわぁ・・・。」
ななみがため息ともいえる声を漏らす。
「素敵・・・ですわね・・・。」
クリスでさえも感心した声を上げる。
短く刈られた金色の髪。吸い込まれそうな青い瞳。スリムではあるが、ガッシリとした体つき。
だが、そういった外見の特徴以上に皆を惹きつけているのは、その身にまとう雰囲気だった。
スター、と呼ばれるにふさわしい、気品に満ちた物腰と、黙っていても隠しようのない魅力。
皆を静まり返らせたのも、彼のスターとしての雰囲気がそうさせたのだ。
(はあ〜・・・、かっこいいな〜・・・)
未夢はしばらく、ポ〜ッとなっていたが、不意に横からの視線を感じた。
振り向くと、隣に座っていた彷徨が、先ほどよりも一層ムスッとした顔でこちらを見ている。
(やっぱり・・・怒ってる?)
未夢の胸が、昨日と同じようにチクリと痛む。
その間にトットはマイクを手に取ると、驚いたことに、カタコトではあるもののちゃんとした日本語でしゃべり始めた。
『日本の皆さん、今日は集まってくれて、ホントにありがとう。
僕は今まで、いろんな映画に出て、すべてにおいて一生懸命やってきた。
監督、スタッフ、みんなおんなじ。みんなの想いが、この映画にこもってる。
ボクと同じようにがんばっている監督やスタッフの想いが、皆さんに届くように!
そして、皆さんがこの作品から、何かをつかめるように!』
トットの言葉が終わると同時に、場内が、割れんばかりの拍手に包まれた。
観客の声援と拍手に見送られて退場していく彼の姿を、未夢はしばらく見つめていたが、ふと、隣に彷徨の姿が見えないことに気づいた。慌てて辺りを見回す。
(あれ・・・彷徨?)
未夢は扉を抜けて会場の外へ抜ける人影を見つけると、熱狂の渦を飛び出して、後を追いかけた。
ざわめきから抜け出した彷徨は、大きく息をつくと、壁にもたれかかった。
顔も体も熱い。
さっきまで興奮した人間の中に居たから?いや、違う。
(どうかしてるな・・・・俺・・・。)
さっき、未夢の顔を見てからだ。こんな感じになったのは。
顔を赤くして、憧れの表情で、壇上のスターを見ていた未夢。
それを見ているうちに、必死に抑えていたもやもやした感情が、飛び出してしまいそうな気がして。
気がついたら、会場を飛び出してしまっていた。
(ほんと、おかしい・・・。頭、冷やしたほうがいいかも・・・。)
とりあえず、何か冷たいものを飲もうと、自販機に歩み寄る。
「彷徨っ!!」
後ろからの声に、彷徨は振り向いた。
未夢だ。走って追いかけて来たのだろう、膝に手をついて、肩で息をしている。
「彷徨・・・どうしたの?昨日から、変だよ?」
未夢の問いかけに、彷徨は何も言えなかった。ただ黙って未夢を見つめているだけだ。
「もしかして、私、何かした?私のこと、何か怒ってるの?」
不安そうな未夢の言葉に、彷徨は、はっとなった。
自分がどれだけ未夢を傷つけていたかに、今更ながらに気付く。
(当たり前、だよな・・・・。)
あんな態度とったら、誰だって傷つくに決まってる。
そんなことにも気づかなかった自分が情けない。その相手が未夢なら、なおさらのこと。
(謝ろう。)
そう思った。まだ気持ちが抑えられるかわからないけれど、これ以上未夢を傷つけたくない。
「あのさ・・・・。」
彷徨が口を開きかけたとき、
ドンッ
「きゃっ・・・。」
通路から飛び出してきた人影にまともにぶつかって、未夢はしりもちをついてしまった。
「いったぁ〜・・・。」
「Oh!Im sorry!!」
なぜか英語で話しかけてきた、その人物を見て、未夢と彷徨は驚いた。
帽子を深くかぶり、目立たない服装をしているものの、その人物は、
(そうだ、この人・・・ブラト、だよね・・・。)
どうして、こんなところに居るのだろう。未夢は疑問に思ったが、その思考はすぐに止まってしまった。
相手が、じっとこちらを見ているのに気がついたからだ。
トットらしき人物は、未夢の顔をしばらく見つめていたが、やがて、何かを思い出したようにパッと顔を輝かせると、一歩、前に踏み出した。
「あっ、あの・・・・。」
緊張で固まっている未夢の前に来ると、彼は未夢の手を取り、力強く握り締めた。
ごつごつした外見からは想像もできない、温かみのある手。
知らず知らずのうちに未夢も笑顔になる。
にっこり微笑んでいたトットだったが、ふと、横に視線を向けた。
未夢もつられて横を見る。
(えっ?彷・・・・徨?)
彷徨がすごい目つきで彼を睨んでいたのだ。グッと拳を握り、肩を怒らせながら。
トットは苦笑して未夢から手を離した。そして、彷徨に向けて何か話しかけようとしたが、通路のほうから客たちが出てくるのを見ると、慌てたように帽子をかぶり直し、サングラスを引っ掛けながら、足早にその場を離れていった。
後に残ったのは、気まずい沈黙。
「未夢〜!!」
「未夢ちゃ〜ん!」
名前を呼ばれて振り返るとななみ、綾、クリスの三人がこちらに走ってくるのが見えた。
「見たよ見たよ!あれ、トットでしょ!?」
「う、うん。」
「あ〜、うらやまし〜!!握手なんかしてもらっちゃってさ!!あたしも一緒にいればなぁ〜!!」
ななみが悔しそうに言う。綾も、興奮気味でずずいっ、と顔を近づけてきた。
「もしかして未夢ちゃん、彼に気に入られちゃってたりして〜。」
「もう、綾ちゃんてば・・・。」
未夢は恥ずかしそうに、顔を真っ赤にしてつぶやく。
「そんなわけねーだろ。」
突然聞こえた冷たい声。
顔を上げた未夢に、彷徨が硬い表情で言葉をぶつける。
「相手はハリウッドスターなんだぜ?未夢なんかにかまうわけ無いだろ?スターだからな、ファンにはサービスしなっきゃいけないんだよ!」
“スター”の部分を皮肉っぽく強調した彷徨の口調に、さすがの未夢もむっとなる。
「な、何よ!イヤイヤやったんだっていいたいわけ?!」
その言葉に、彷徨の頭にカッと血が上る。
「ああ、そうだよ!お前なんかと握手させられて、きっといい迷惑だろうな!!」
その瞬間、その場が、凍りついた。
「あっ・・・。」
しまった、と思ったときにはもう遅い。
未夢はうつむき、肩を小刻みに震わせている。
「何よ・・・そんなこと言わなくったって、いいじゃない・・・。」
未夢の顔が上がる。目が涙でうっすら光っているように見えた。
「彷徨の、バカ!!」
未夢は叫ぶと、出口に向かって走って行ってしまった。
『未夢(ちゃん)!!』
あわててななみ達も追いかける。
彷徨は、その場に立ち尽くしたまま、動けなかった。
周りの人々の声が、まるで、別次元のように響く。
「彷徨〜待たせたな〜って、あれ、みんなは?光月さんはどうしたんだよ?おい、彷徨ってば!」
三太の声に、彷徨はゆっくりと振り向いた。
「彷徨・・・?」
三太は彷徨の顔を見て驚いた。整った顔立ちには言葉にできない感情がないまぜになり、まるで覇気が感じられない。
今までに目にしたことの無い親友の表情を、三太は呆然と見つめていた。
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