昨日の雨が嘘のような晴れ模様となった日曜日の朝。
「ふわぁ〜、・・・・。もう朝かぁ・・・・。」
未夢が起きてきたのは10時を過ぎたころだった。もっとも、これは珍しいことではない。朝、早起きするということ自体、ねぼすけの未夢にとってはかなり難しいことなのだ。さすがに、学校のある日などはワンニャーに起こしてもらっているが、今日のような休日は好きなだけ寝ていられる。
「ん〜、おはよ〜〜・・・。」
未夢がまだ重いまぶたをこすりながらリビングに入って来た時、ルゥとワンニャーはもうテーブルについていた。
「おはようございます、未夢さん。もう朝ごはんできてますよ。」
「うん、ありがと・・・。」
まだ半分眠った頭で未夢も席に着いた。
「マンマ〜〜ァ!」
「おはよ、ルゥ君。」
ルゥにもにっこり笑いかけながら、運ばれてきたトーストを手に取る。そのうち、あることに気がついた。
「ねえ、彷徨は?」
未夢は台所のワンニャーの声をかけた。
いつも「相変わらずねぼすけだな」などとからからかってくる彷徨の姿が見えないの。だ
未夢と違って、彷徨は朝が早い。たいていは自力で起きられるし、早い時間でも目覚ましさえあれば時間通りに起きてくる。たまに遅刻しそうになることもあるが、それは寝坊した未夢を待っていたときの話。
少なくとも今まで彷徨が未夢より遅いことなどなかった。
「それが、まだ起きてこられないんです。珍しいですね。未夢さんの方が彷徨さんより早いなんて。」
「それ・・・どーゆー意味?」
未夢はムゥっとした表情で言い返した。
「え・・・いやその・・・、と、とにかくワタクシ、彷徨さんを起こしてきますね!」
「あ、いいよ。私が起こしてくる!」
あわてた様子で駆け出そうとしたワンニャーを呼び止めると、未夢は部屋を出た。いつも「ねぼすけ」などと言って馬鹿にしてくれる彼を先におきて起こすというのは結構気分がいいものだ。
廊下を進み、彷徨の部屋の前まで来ると、トントンとノックしてみる。
「彷徨〜?朝だよ〜?もうご飯できてるよ〜。」
・・・・・。
返事がない。未夢は首をかしげた。よっぽど深く眠っているのだろうか。昨日のことを考えれば、ありうる話だ。しばらくためらっていたが、
(別に・・・いいよね。起こさないと、ダメだもんね・・・やっぱり・・・)
なぜか心の中で言い訳をしてしまう。意を決してふすまを開けた。
「彷徨・・・?」
彷徨は頭の方まですっぽり布団をかぶって寝ている。そっと歩み寄ると、布団に手をかけてゆさゆさと揺さぶった。
「ねえ、彷徨?」
「・・・・・。」
「彷徨さ〜ん、朝ですよ〜。」
「・・・・・。」
一向に返事がない彷徨に、未夢はムッとなった。
「もうっ、起きてよ!彷徨!」
勢いよく布団を掴むと、力任せにバッと引きはがした。
「ほらっ、彷徨ってば・・・・・・彷徨?」
様子がおかしい。いくらなんでも、ここまでやれば起きないはずがない。
未夢は彷徨の顔を覗き込んだ。
「彷徨・・・?具合、悪いの?」
彷徨の顔がいやに赤い。額には汗がにじみ、時々苦しそうな顔をする。
(もしかして・・・・)
いやな予感がする。未夢は彷徨の額に手を当てた。が、次の瞬間、びっくりして手を離す。
普通よりもかなり熱い。
「ワッ、ワンニャー!ワンニャー、早く来て!大変だよ!!」
未夢は慌てて、台所のワンニャーに声を張り上げた。
「風邪、ですね。」
ルゥのおもちゃのお医者セットから取り出した体温計を見て、ワンニャーは言った。
おもちゃと言ってもオット星のものだ。知能の高いオット星の子供に合わせて作ってあるため、本物に劣らない機能がある。
「昨日、雨に打たれすぎたんですね・・・。かなり熱が高いですよ。」
ワンニャーの言葉に未夢はハッとなる。やっぱり昨日の彷徨の態度は、無理していたのだ。
「とにかく、」彷徨の頭に氷まくらを乗せながら、ワンニャーが言った。
「彷徨さんが起きたとき、何か食べられるようにしてないといけませんね。ワタクシ、お粥の材料を買っ
て来ますから、その間、未夢さん看てて頂けますか?」
「うん・・・・。」
未夢が頷くと、ワンニャーは大急ぎで部屋から駆け出していく。
残された未夢は、黙って彷徨を見つめ続けた。
(どうして・・・・?こんな苦しそうなのに・・・)
胸が苦しくなる。未夢は唇をきゅっと噛んだ。
そうしないと、泣き出してしまいそうだったから。
熱い・・・・。
頭がぼうっとする・・・・。
のども痛い・・・・。
朦朧としていた意識がだんだん戻ってくる。
彷徨は自分の体の状態を理解しようとした。熱を持った頭で必死に考えてみる。
体がなぜか異常にだるい。
とりあえず、首を動かしてみる。何とかなりそうだ。
ゆっくり首をうごめかすと、次第にある人影が目に入ってくる。
正面に座って心配そうにこちらを見ているのは・・・
「・・・・未夢。」
少女の名を口に出してみるが、普通の声が出ない。どうしても、かすれ気味になってしまう。
「彷徨・・・起きた?」
未夢が声をかけてくる。ずっと、付いてくれていたのだろう。
「・・・未夢・・・・俺・・・・・・。」
「だめ!!」
何とか体を起こそうとするがすぐに押し戻されてしまう。
「彷徨、熱あるんだよ!?おとなしく寝てなきゃ!!」
彷徨はまた横になりながら、ようやく今の自分の状態を理解した。
(そっか・・・・。やっぱり、風邪ひいちまったのか・・・・。)
無茶な自分に呆れるのは、これが初めてではない。けれど・・・・
彷徨は未夢を見た。泣くのを必死にこらえているような表情で、氷を取り替えている。
(そんな顔・・・するなよ・・・。)
心がかき乱されていくのがわかる。自分が熱を出してぶっ倒れるだけならいいが、彼女にこんな顔をさせてしまうとなると話は別だ。
「ごめん・・・な。迷惑かけちまって・・・。」
さぞ怒ってるだろうな、と思いながら未夢に声をかける。
未夢は氷を取り替え終わった後も、じっと彷徨を見つめていた。
「どうして?」
不意に未夢が口を開いた。
「どうして、連絡くれなかったの?」
昨日と同じ問いを繰り返す未夢に、彷徨は戸惑いながらも、答えを返す。
「どうしてって・・・昨日も言ったろ?あれくらい、平気だって。ちょっと濡れるぐらい、何でもないってさ。」
自分の心の中にある本音は隠したままで、そう答えた。説得力がないのは解っていたけど。
「平気じゃないっ!」
未夢の鋭い声が響く。
「こんなに熱出して、こんなに苦しそうで、平気なわけないじゃない!どうしてなのっ、ちゃんと答えて!」
言葉が止まらない。どうしようもない悲しさと悔しさに駆られて、未夢は言い募った。
彷徨は、視線を未夢から外す。未夢の真剣な瞳が痛くて、目を合わせられなかった。
未夢はまだ彷徨を見ている。
彷徨は大きく息を吐いた。これ以上ごまかすのは・・・・・無理だ。もう、耐えられない。
そっぽを向いたままで、ポツリと言葉を紡いだ。
「お前が・・・濡れちゃうだろ・・・・・・。」
小さく、でも、確かに聞こえた。彼の言葉。
心の奥にしまってあった・・・彼の本音。
未夢は大きく目を見開いた。
(私のこと、考えて・・・?私のこと、心配してて、それで・・・・?)
胸が熱くなる。彼の優しさが、心に流れ込んでくる。今までに何度も感じてきた、言葉には表れない、け
れど本当に暖かい、彷徨の優しさ。
しばらく、沈黙が降りる。
未夢はしばらくうつむいていたが、やがてゆっくりと顔を上げた。
「いいよ・・・心配・・しなくても・・・。」
「!?」
今度は彷徨が驚く。未夢に視線を戻すと、
「何でだよ?」
つい、問い詰めるような口調になってしまう。
「私・・迷惑、かけてばっかりだもん。彷徨が心配してくれても、私のこと、考えてくれてても・・・。私、彷徨のために、何も・・・・・。」
泣きそうになっているだろう、自分の顔を見られたくなくて、未夢は横を向いて話し続けた。
いつも、そう。彷徨は優しい。自分や、ルゥや、ワンニャー。家族のことや、友達のこと。ちゃんと考え
て、いつも助けてくれる。
でも、自分は違う。一緒に暮らし始めたときから、何となくわかってた。料理はできないし、ドジだし、
いつだって失敗ばかり。それでも、ルゥたちと一緒に暮らすようになってから、少しはしっかりしたと思
ってた。だからせめて、自分の仕事はキチンとやり遂げようとも、心に決めた。けれど結局は、こうして
最後には、彷徨の負担になる。
そんなこと、するくらいなら。もっと自分のこと、考えてほしい。気遣ってほしい。
「だから・・・いいよ。心配なんて、しなくて。」
寂しげに笑う未夢を見た瞬間。
彷徨は自然と、動いていた。
未夢の手を掴むと、そのまま力任せにぐぃっと引っ張る。
「あっ・・・。」
病人とは思えないほどの強い力で引っ張られて、未夢はそのまま彷徨の方へ倒れこむ。
「ちょっ・・・彷徨!?」
慌ててじたばたもがく未夢の肩を左手で押さえ、右手をそっと、未夢の頬に添える。
「・・・・なよ。」
「えっ?」
「馬鹿なこと・・・・言うなよ。」
しぼり出すような、本当に辛そうな方向の声が耳元に響く。
「そんなこと、ない。未夢が何もしてないなんて、絶対ない!」
強い口調で言い切る彷徨に、未夢は頑なに首を振る。
彷徨はしばらく考えた後、ゆっくりと話し出した
一言一言、言葉を選びながら。
「お前さ・・・・。どうして雨の中、俺のこと、迎えに来てくれたんだ?」
「それは・・・・。」
うまい言葉を探せないのか、口ごもる未夢の代わりに、彷徨が言う。
「心配してくれたんだよな?俺のこと、ちゃんと考えててくれたんだろ?」
彷徨の言葉に、未夢はハッとしたように顔を上げ、ゆっくりと頷いた。
「嬉しかったよ・・・・。ホント、嬉しかった。」
風邪のせいで頭がぼんやりする。それでも、彷徨は話し続けた。
「お前にだって、俺はたくさんもらってるよ、大切なもの。いっぱい、いっぱいもらってる。ルゥだってワンニャーだって、同じだよ。本当に、お前がいてくれてよかったって思うこと、たくさんある。」
「彷徨・・・・。」
未夢は思わず、彼の名を呼んだ。目が熱くなる。涙が止まらない。
彷徨の言葉、ひとつひとつが、未夢の心の中の氷を溶かしてくれる。
彷徨は、さすがに疲れたのか、未夢に背を向けて横になると、そっと呟いた。
「だから・・・・そんなこと言うなよ・・・な?」
「うん・・・・。」
まだ涙の残る目で、それでも未夢は、笑顔を浮かべて、はっきりと頷いた。
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