作:栗田
「未夢〜。そろそろ戻らない? 西遠寺くんたち、きっと心配してるよ」
「そうそ。それに、こんな人気のない場所にいたら、せっかく買ったその水着がもったいないよ〜」
人気のない、岩場に囲まれた小さな浜辺の一角。
ひとしきり、ビーチボールで遊んだ未夢たち。
もう1時間ほど経とうかとした時点で、ななみと綾は未夢にそう切り出した。
未夢は、人目がない場所なら平気なのか、今はパーカーを脱いで、ポニーテールにビキニ姿である。
「いいの。人がいる所じゃ、この格好、恥ずかしすぎて居られないもん。・・・あ、でも、ごめん。ななみちゃんたちはこんな所にいちゃつまらないよね? 私のことはいいから、あっちに戻っていいよ」
いかにも無理してますと言った笑みを浮かべた未夢に、ななみと綾は顔を見合わせてため息をついた。
「そんなことは気にしなくていいけど・・・」
「うんうん。こんな未夢ちゃん置いていけないしね」
「さっきのこと、気にしているの?」
「未夢ちゃん、西遠寺くんがもてるのは今に始まったことじゃないじゃない。どうせ、あんな女の子たちのことを、西遠寺君が相手にするわけないんだしさ」
両脇から、心配そうにのぞき込んでくる親友たちに、未夢は視線をそらしてうつむいた。
「別に気にしてなんか・・・」
口の中でもごもごとつぶやいた言葉にはまったく覇気がなく、自分でも説得力がないことが分かる。
せっかくみんなで楽しみにしていた海水浴に来たというのに、これじゃあななみたちにまで余計に迷惑をかけてしまうと思うのだが、どうしても気持ちが上向かない。
作った笑顔が引きつってしまう。
さっきの光景。
あんな場面を目の当たりにすることは、慣れているはずなのに・・・。
泣きたいような切なさが、胸から離れてくれなかった。
気にするな。どうってことない。
何度自分にそう言い聞かせても、ダメだった。
今は夏。
太陽の光が、いつものようなごまかしを許してくれないような気がした。
強烈な光りと熱が、体と心に突き刺さって痛い。
未夢はまぶしげに空を見上げた。
その悲しげな様子を、心配そうに横から見ていたななみが、ふと思いついたように指を鳴らす。
そして、隣りの綾に何かひそひそと耳打ちすると、二人でうなずき合って、未夢の気を引き立てるように明るい声で提案した。
「ね、未夢。喉乾かない? 私、なんか飲み物買ってくるよ」
「あ、私も行く。向こうの海の家でかき氷も売ってたの。あれも食べたいしさ」
すかさず同行を申し出る綾。
自然の流れで、未夢も「じゃあ私も・・・」と言いかけたのだが。
「未夢はここで待っててよ。その格好、人に見られたくないんでしょ?」
「すぐに戻ってくるからさ〜」
「え?でも」と未夢が言いかけたときにはもう、ななみと綾は岩場の向こうに駆け出したあとだった。
あとを追い損ねた未夢は、二人の背中が見えなくなるまでぼんやりと見送ってから、岩場に座り込む。
一人の空間に、波音が急に大きくなったような気がした。
◇◇◇
「あ、いた〜! もう〜、どうしてこんな分かりにくい所にいるかなぁ」
「さては、女の子の集団から逃げてきたな」
ビーチのすみ、ちょうど浜辺に沿って植えられた防風樹の影に隠れるようにして置き去りにされていた、朽ちかけたボート。
その船底に彷徨はいた。
ふてくされたように海に背を向けていた寝そべっている。
彷徨は、ななみと綾の声にちらりとだけ顔を向けたが、すぐにぷいっとまた背を向けてしまう。
「機嫌悪そうだね〜。西遠寺くん」
「まぁ、あれだけ露骨に未夢に避けられちゃねぇ」
訳知り顔でうなずきあう二人。
彷徨は振り返らなかったが、背中でますます不機嫌なオーラを発して、サングラスをくいっとかけ直した。
「他の二人は?」
「三太はビーチコーミング、光ヶ丘はいつものどおり、女の尻を追っかけてった」
「あいかわらずだね〜」
ぼそりとした彷徨の答えに、綾とななみはやれやれと肩をすくめた。
彷徨は、ふと気づいたというようにななみたちを振り返る。
寝そべったまま、彼女たちの周囲にキョロキョロと目を向けて・・・。
「・・・・・未夢は?」
そう聞いた彷徨の声は、驚くほど不安げに揺れていた。
ななみと綾は顔を見合わせる。
サングラスに隠れて、その目の様子は分からないが、彷徨は恐らく、厳しい表情をしているであろう。
3人一緒にいるはずが、未夢の姿がないことに気づき、相当あせっているようだ。
「さぁ? しらない〜」
「さっきまで一緒にいたんだけどね〜」
ななみと綾の二人は、意味ありげに視線を交わして、しらばっくれる。
すると、彷徨の身にまとう空気が、すっと厳しいモノに変わった。
「一人にしたのか?」
怒ったような、いらだちを含んだ、低い声。
“なんでそんなことをしたんだ”とでも言いたげな口調に、ななみと綾はそれにちょっとむっとする。
そんなに心配なら自分がそばにいればいいのに、というのが、二人の共通する思いだった。
「今頃未夢、どこかの男の子に声かけられてたりして〜」
「未夢ちゃん、本人に自覚はないけど、すごく可愛いもんね〜。ましてや今日はあんな水着姿だし」
彷徨の不安を煽るように、言い合うななみと綾。
彷徨は反射的にがばっと半身を起こした。
けれど、起こしたあとで、ななみと綾がニヤニヤと笑いながらこちらを見ていることに気づいて、はっと口を押さえる。
そうして、バツが悪そうに、ふいっと横を向いた。
「西遠寺くんって、何でもそつなくこなすパーフェクト人間のくせに、未夢が関わってくると、とたんに不器用になるよね」
「恋をすると、誰だって不器用になるんだよね〜」
本人は必死で平静を保とうとしているようだが、横を向いた彼の耳が、うっすらと紅くなっている。
クールな西遠寺彷徨も、かたなしと言ったところか。
はっきり言って、彷徨の気持ちなど、未夢以外の周囲の人間にはバレバレなのだ。
(やれやれ。こんなにはっきり、西遠寺君が未夢にメロメロだって分かるのに、どうして本人は気づかないのかねぇ)
ななみは、つくづくと不思議に思いながら、「ね、西遠寺くん」と声をかけた。
「未夢、すごく落ち込んでたよ。泣きそうな顔をしてたんだから」
だから未夢の側に行ってあげて、と、諭すようにそう言うと、
彷徨はふっと、ななみの方へ顔を向けた。
少し、戸惑ったような様子でななみを見上げる。
「・・・なんで?」
サングラスの奥の瞳の色は分からない。
でも、こういう聞き方をするということは、未夢と違って、彷徨の方は半分は気づいているのだろう。
自分の恋心・・・未夢の恋心に。
気づいていて、いまいち踏み込めてないところが、端で見ていてじれったいところなのだが、あの超鈍感な未夢が相手なのだがから、仕方がないのかも知れない。
「そういうことは、直接聞いてみれば?」
「あっちの岩場の向こうにいるから。速く行ってあげて」
ななみの言葉に追随するように、綾がさっきまで岩場の方を指さした。
彷徨はじっとそちらの方に顔を向けたあと、ふぅっと息をついて。
口元で小さく笑った。
「お前ら、未夢の親友やってるだけあるよ」
「「え?」」
「すげ〜、おせっかい」
きっぱりと言い切る彷徨に、ななみと綾はずるっとずっこける。
「あのね〜」
「なんだ、その言いぐさは〜」
“そんなこと言ってる場合じゃないでしょーが!”と腰に手を当てて文句を言うななみたちに、彷徨はくっくっと笑った。
そして、少し俯き加減に顔を傾け、サングラスに指を当てて、
「でも・・・サンキュウ」
そう、ぽつりとつぶやいて。
彷徨らしくない、思いも寄らない言葉に、ななみと綾がえ?と驚いたときにはもう、彷徨は船を飛び出し、岩場に向かって走っていた。
それを呆然と見送りながら・・・。
「素直じゃないね〜、まったく〜」
「未夢ちゃんと同じだよね〜」
「「お似合いだよね〜。あの二人」」
綾とななみを、しみじみと言い合ったのだった。
◇◇◇
(ななみちゃんたち、遅いなぁ)
膝を抱えて、その上に顎を乗っけて、目の前の海を見つめがら、未夢はぼんやりと思った。
時計を持っていないから正確な時間は分からないが、ななみと綾がここを離れてから、かれこれ20分以上は経っているように思える。
いくらなんでも、時間がかかりすぎているような気がした。
ふと、ビーチのどこかで上がった歓声が、遠く聞こえた。
繰り返す波音。水面に反射する太陽の光。
ゆらゆら揺れるそれが、少しまぶしくて未夢は目を細める。
海風が少し肌寒くて、膝を抱える腕に力を込め、ぎゅっと身を縮めた。
場違いだ。
そんな言葉がさっきから頭を回っている。
今さら言っても仕方のないことだが、こんなことなら気づかなければ良かったなと思う。
彷徨を好きだなんて、こんな気持ち。
そうすれば今までどおり、少なくとももうしばらくは、何でもない顔で彷徨の隣にいられた。
未夢はじわっとにじんできた涙を手の甲で拭った。
その時だった。
「あれ〜。どうしたの? きみ」
ふいの声に未夢はびくっと驚き、涙目のまま、反射的に振り返る。
そこには、一人の男の人が立っていた。
大学生くらいだろうか?
髪は短く、顔はこんがりと綺麗に焼けていて、背が高い。まさに海の男といった感じの人だった。
軽くパーカーを羽織ったその人の腕には腕章がついている。
見覚えのあるそれは、このビーチを監視している、監視員のものだった。
「こんなところで・・・ひとりかい?」
ゆっくりと歩み寄りながら聞いてくる監視員の男。
未夢はあわてて立ち上がりながら首を振る。
「あ、いえあの・・・友達を待ってるんです」
答えた未夢に、男は軽く首をかしげた。
「ここは、潮が満ちると岩場まで水が上がってくるから、危険だよ。すぐに離れた方がいい」
「え? そうなんですか?」
未夢は思わず、すぐ足下の海面を見やった。
じっと見ているうちに、さっきまで全然平気だったのに、急に怖くなってくる。
岩に打ち付ける水しぶきが頬に当たって、未夢は身震いして一歩後退した。
その際に、バランスを崩して「きゃっ」と倒れそうになったのを、監視員に受け止められる。
「ご、ごめんなさい」
未夢はあせって、すぐさま離れようとした。
けれど監視員は、間近で見る未夢の目が不自然に濡れていること気づいたのか、驚いたように目を見開いて、未夢の顔をのぞき込んできた。
「泣いていたの?」
「や、別に・・・」
「友達と喧嘩でもした?」
「そんなんじゃ・・・」
にじんでいた涙をこすりながら、首を振る未夢。
そう。喧嘩じゃない。
喧嘩ならまだ良かった。
ただ一方的に、自分がどうしようもない気持ちをもてあまして、拗ねているだけ。
そう思えば、余計に悲しくてまた涙が出てきた。
うつむいて目をこすり続ける未夢。
そんな未夢に、監視員の男は肩に手を置いて、心配そうに顔を覗き込んでくる。
「きみみたいな可愛い子が、こんなところで一人でいちゃダメだよ」
「え?」
未夢は、聞き慣れない言葉に、思わず顔を上げた。
監視員は、良く日に焼けた顔で白い歯を見せて、にかっと笑っている。
「それにせっかくそんな、色っぽい水着着てるんだからさ。みんなに見てもらわなきゃもったいないって」
未夢は目を見開いて、監視員の男を見返した。
自分のことを言っているのだと、分かるのに時間がかかった。
信じられない、言葉。
「かわいい? 色っぽい? ほ、本当にそう思います?」
恐る恐る上目遣いに聞く未夢に、監視員は何のためらいもなく、もちろんとうなずく。
未夢はぱぁっと顔を朱色に染めた。
どうしたらいいのか分からなくて「え?やだ、うそ」と、手をばたばたさせる。
「や、なんか、そんなふうに言って貰えるの初めてで・・・お世辞でも嬉しいです」
真っ赤な頬を抑えて、蚊の鳴くような小さな声でそう言って、未夢はうつむいた。
それほど彼女にとっては恥ずかしかったのだが・・・。
男のほうは、オヤオヤと意外そうに眉を上げる。
「お世辞じゃないよ。さっきなんてさ、振り返った君を見て、人魚じゃないかと思った」
「・・・にんぎょ」
未夢はぽんっと、さらに茹で上がった。
慣れない褒め言葉のうえに、“にんぎょ”とまで来た。
それは、以前に彷徨と一緒に絵本の中に閉じこめられたことを未夢に思い出させ、心拍数を一気に跳ね上げるだけの効果を持っている言葉だった。
顔を真っ赤にして、恥ずかしげにうつむく未夢。
その姿に、監視員の男は、日に焼けた顔を少し紅潮させて目を細めた。
もともと彼は、一目見たときから未夢に関心を持っていたのだ。
それが、今時珍しいウブな未夢の反応に、がぜん興味を沸かせていた。
「ね。俺、このあとすぐ交代で、監視員の仕事終わるんだ。もし良かったら、一緒に泳がない? 一人でいたってつまらないでしょ?」
「え? でも・・・」
戸惑った表情をする未夢に、男は人のいい笑顔を浮かべて、重ねて誘う。
「なんだったら友達も一緒でいいよ。ここは危ないけど、向こうの方にここよりずっといい穴場の場所があるんだ」
「本当ですか?」
ななみちゃんたちが喜ぶかも、と、未夢が顔を輝かせた。
ちょうどその時、
未夢の体が、後ろから何かに引っ張られた。
そして、え?と思う間もなく、背後から降ってくる声。
「何やってるんだ?!」
いつになく怒気を含んだその声に、未夢は驚いて振り返る。
「か、彷徨?」
未夢は肩をつかまれた状態で彷徨を振り仰ぐ。
黒いサングラスに遮られて、その表情まで分からなかったが、身にまとわせた空気から、彼が怒っているのが感じられた。
何をそんなに怒っているのだと、未夢は首をかしげながら、
それより、こんな薄着で密着しすぎだと気づき、一人わたわたする。
考えてみれば、パーカーを脱いだ水着姿を彷徨に見られるのも、これが初めてなのだ。
「なに、こいつ。君の知り合い?」
いきなり乱入してきた彷徨の存在に眉をひそめながら、監視員は未夢に聞いてくる。
「あ、えと、あの・・・・・・」
未夢はもう、背中のリアルな彷徨の体温に、軽いパニック状態で、上手く答えることが出来ない。
彷徨はそんな未夢の言葉を遮るようにして、きっぱりと宣言した。
「悪いけどこいつ、オレの連れなんで」
言うなり、未夢の腕をつかんで、歩き出す彷徨。
少し痛みを感じるほど強くつかまれた腕。
ずんずんと先を行く彷徨に引きずられるように歩きながら、未夢はただただ困惑する。
「ちょちょ、ちょっと彷徨! ひっぱんないでってば」
そう訴えるが、彷徨は止まらない。
無言のまま、未夢を引っ張り続ける。
未夢はとにかく、このままじゃ監視員の人に失礼だと思い、ひっぱられたまま、後ろを振り返った。
「あ、そ、それじゃあ、失礼します〜〜」
呆然としたまま突っ立っている監視員の人に、手を振りながらそれだけ言うと、その瞬間に、腕をつかんでいる彷徨の手に、ぎゅっと力がはいった気がした。
未夢は、もう、なんなのよ、と前の彷徨を睨みつけるが、彷徨は止まってくれない。むっと黙り込んだまま歩き続ける。
「彷徨?」
痛いほど力で捕まれた腕に顔をしかめながら、未夢は前を歩く彷徨に声をかけるが、彷徨は返事をしてくれない。
気づけばもう、人がたくさんいるビーチに出ていて。
猛スピードで歩き続ける彷徨と、それに引きずられるようにしている未夢の姿は、人々の注目を浴びていた。
未夢は恥ずかしくて、全身かぁっと紅くなる。
「もう、彷徨ったら!」
未夢は業を煮やして、つかまれていた手をぶんとふりほどいた。
思いの外するりと彷徨の手ははずれて、未夢はその場に立ち止まる。
彷徨も数歩前で立ち止まって・・・。
ゆっくりと振り返った彷徨を、未夢はふくれっつらで睨み上げた。
◇◇◇
「せっかくあの人、穴場のビーチを教えてくれるって言ったのに」
ぷくっとふくれて、彷徨を見上げてくる未夢に、彷徨は天を振り仰ぐ。
「あのな〜〜」
ったく、この未夢の自覚のなさはなんなんだ。
あきれた、というようにふぅっと息をついて、彷徨は首を振った。
「あんなナンパに簡単に引っかかってるんじゃないよ」
「え? だってあの人、監視員だよ?」
きょとんとする未夢に、彷徨はもう一度ため息をついて、肩をすくめる。
「だからだよ。それを利用して、女の子に声かけようっていうヤツだっているんだからな」
「そう、なの?」
「ったく、あんなに簡単に、他の男に触られやがって・・・」
「そっかぁ。あれって、ナンパだったんだぁ」
「・・・・・・」
途中の彷徨の本音も軽く聞き流して、未夢は紅くなって両手で頬を押さえた。
彷徨は、サングラスを抑えながら憮然とする。
「うわ〜。じゃあさ、彷徨はいっつもバカにするけど、私もなかなか捨てたもんじゃないってことだよね♪」
「・・・・・・」
捨てたもんじゃない?
とても、そんな程度じゃないだろう。今日の未夢の雰囲気は。
彷徨は叫びたくなるのを必死でこらえた。
嬉しそうな未夢に、余計に腹が立つ。
サングラスをかけているから、まだこうやってまともに話せているが、それがなかったらまともに直視できるかどうか怪しいところだ。
未夢の格好。
これを一緒に買いに行ったという、ななみたちを恨んでしまいたくなる。
水着というより、ほとんど下着と一緒。よりによってビキニとは・・・。
これでは、男が寄ってこない方がおかしい。
千匹の蝶の中に、花を一輪置くようなものだ。
それでいて、本人にまったく自分が花だという自覚がないのだから、余計に始末に負えない。
無知は時に罪だ。
そう言ったのは誰だったか。
「あいつ、よっぽど目が悪かったんだろうな」
腹立ち紛れに、彷徨はいつもの憎まれ口を口にする。
「むっ、何よその言い方」
未夢はいつものとおり、面白いくらい素直にむくれてくれる。
これだから進歩がないんだよなぁと思いながら、少し前から様子のおかしかった未夢のいつもどおりの反応に、彷徨はなんだか安心して、ほっと息をつく。
だがその安心も、つかの間のことだった。
「あの〜〜」
二人流のコミュニケーションに水を差してきた声。
彷徨が、こんな時になんだよ?と、不機嫌に振り向けば、そこには水着姿の女が三人いた。
高校生か、大学生だろうか?
彷徨たちより少し年上らしい、ばっちりとメイクを施した派手な感じの女たちだった。
「キミ、高校生?」
「私たち、R女子大の1年なんだぁ」
「3人だけで来てるんだけど、一緒に遊ばない?」
「・・・・・・・・・・・」
甘えたような口調。
媚びるような目つきで話しかけてくる女たちに、彷徨は返事もするのも面倒で、ぷいっと顔をそらす。
その彷徨の隣から、ひょいっと未夢が顔を出した。
女たちは、え?と驚いたように顔を見合わせる。
「あ、ごめんなさい。彼女がいたの」
そう言うと、あわてたようにそそくさと彷徨たちから離れていく女たち。
どうやら、最初は彷徨の影に隠れてその存在に気が付かなかったのが、ひょいっと現れた未夢の姿を見て、かなわないと悟ったらしい。
当たり前だ。
比べるまでもない。
未夢とあいつらは違う。
彷徨は、思わぬ未夢効果で邪魔者を追い払うことができ、ほっと息をついた。
そして、様子を伺うように隣の未夢を見やる。
未夢は、なんだか今にも泣き出しそうな顔で、女たちが走り去った方を見ていた。
むき出しの、細い肩が寒そうだ。
細さの目立つ首の後ろで頼りなく結ばれたひもと、ポニーテールの髪が、後ろからの風に揺れる。
例えば彷徨は、こんな未夢の姿に激しく動揺する。
らしくもない衝動にかられる。
こんな自分を知ったら、未夢はどう思うのだろうと、怖くなる。
未夢だけだ。
こんなふうに強く。
“欲しい”と思ってしまうのは。
じっと見ていたら、それに気づいた未夢はなに?と彷徨を振り仰いだ。
その無防備なきょとんとした表情にぼぉっとしてから、彷徨は急に気づいた。
はっと、周囲を見渡す。
みんなが見てる。
この未夢を。
自分自身の視線から、サングラスをかけて守ったって、他のヤツラに見られていたら、元も子もないじゃないか。
彷徨は焦った。
本当に。
見るな。
みんな、見るな。
本当は、太陽にだって見せたくない。
オレの未夢・・・。
衝動的で強烈な独占欲に駆られて。
彷徨はとっさに、自分の着ていたパーカーを脱いで、未夢の前に無造作に差し出した。
「ほら、お前はこれを着てろ」
「え? いいよ〜。暑いし」
彷徨の気持ちを知らない未夢は、笑いながら首を振った。
彷徨はイラついたように、さらにパーカーを押しつける。
「いいから! 貧相な体見せびらかしたってしょうがないだろ?」
「・・・・・・・」
未夢の顔が、すっと青ざめた。
それから、何か文句を言おうとしたのか、口を開きかけて・・・でも途中でやめて、悔しそうに唇を噛んでうつむいた。
ぱしっと、差し出された彷徨の手を振り払う未夢。
そのままぎゅっと両手を握りしめて叫ぶ。
「どうせ貧相だもん! 子供だもん!」
「未夢?」
いつもとは違う反応の未夢に、彷徨は唖然とする。
普段であれば、こんな軽いやりとりは序の口のはずで。
未夢がむくれて、彷徨がかわして、いつの間にか仲直りしていて、それで終わりのはずだった。
だが今日は違った。
顔を上げて、きっと彷徨を睨む上げた未夢の瞳は、うっすらと涙が浮かんでいた。
彷徨は驚いて、サングラスの下で目を見開く。
「こんな私なんてかまってないで、彷徨はあのキレーなお姉さんたちと遊んでれば!?」
「お、おい!」
腕を伸ばす間もなかった。
未夢は彷徨の手をすり抜けて、目をこすりながら駆けだしていく。
彷徨は、白黒のフィルターのかかった視界で、ただ呆然と立ち尽くして、その後ろ姿を見送っていた。