原色

1

作:栗田

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「彷徨〜〜。見て見て〜、これ」

 ばたばたと、騒々しい足音を立てて居間に飛び込んできた未夢。
 床に寝そべって雑誌を読んでいた彷徨は、目だけでちらりと、未夢を見上げた。

「なんだよ。サングラスじゃないか」

 そう。
 嬉しげに未夢が手にかざしていたのは、いかにもといった感じの黒いサングラスだった。
 未夢はそれを、両手に一つずつ持っている。

「うん! ほら、ルゥくんが初めて西遠寺に来たとき、一緒に変装して買い物に行ったじゃない」
「あ〜、あの時の」
「懐かしいよね」

 しみじみとつぶやく未夢に、彷徨は「そうだな〜」とうなずき返しながら、また雑誌に視線を戻した。
 確かに、懐かしいという気持ちは分かるが、いかんせん今は雑誌の中身の続きの方が気になっていた。
 夏のデザート特集。
 『手軽で簡単。おうちで宇治金時!』、などという。
 実に興味深い内容なのだった。

「似合う?」
「お〜、似合う似合う」
「もう、全然見てないじゃないのさ」

 雑誌から顔を上げずに、適当に返事を返す彷徨に、未夢はむっとした様子。「もう!」と言いながら彷徨の隣に座り込んで、ひょいっと横から、彷徨にサングラスをかけた。

「おぉ! 彷徨さんも似合ってるじゃないですか」
「未夢〜〜」
「なんか、大人な男って感じ〜」
「・・・字がよく見えねぇだろうがぁ」

 さすがに雑誌を読み続けられなくなって、憮然とした表情で顔を上げれば、白黒のフィルターがかかった視界の向こう側で、未夢が「ごめん、ごめん」と舌を出して笑っていた。
 悪気のないその笑顔に、彷徨はやっぱり陥落してしまう。
 自分がどれだけこの笑顔に弱いかなんて、未夢は知りもしないのだろうと、深くため息をついた。

 ルゥたちがオット星に帰り、未夢が西遠寺の敷地に住むようになって、もう一年以上になる。
 いまだに、彷徨と未夢の関係は曖昧だった。
 一緒にいることが多いし、周囲から恋人同士に見られることも少なくないのだが、実はまだはっきりとそういう関係ではない。
 お互いに憎からず想っていることは感じているのだが、それを明確な言葉にしたことは、まだないのだ。

 つかず、離れず。
 じゃれ合うように、未夢と過ごす時間が、彷徨は好きだった。
 けれど最近、その曖昧さが、少し苦痛になってきている。


 ・・・未夢は。
 出会ったときよりずっと、綺麗になっていた。


 胸に渦巻く感情に、彷徨はしょうがねぇなぁと自嘲気味に笑って額に手を当てる。
 どうせ未夢にはかないやしないのだと、雑誌を脇に置き、起きあがって、畳の上にあぐらをかいた。そして、未夢に無理やりかけられたサングラスをうっとうしげに取って、天井にかざしてみる。

「お前、これどこから出してきたんだ?」
「物置だよ。ほら、今度の日曜日、ななみちゃんたちと海に行くじゃない。麦わら帽子とか、浮き輪とか出そうと思って探してたら、一緒に入ってたの」
「ふ〜〜ん」

 くるくると、黒光りしているそれを回してみながら、彷徨は生返事を返す。
 西遠寺はさすがにお寺だけあって、古いモノでもわりと残して取っておくほうなのだが、それでも、こんな壊れやすいものがよく残っていたよなと思った。

「でも、ちょうどいいや。このサングラスも持っていこっと! この間買った水着、わりと大人っぽいヤツだから、サングラスかければ余計に格好いいもんね♪」

 未夢は、彷徨の持っているのとは別の、もう一つサングラスをかけて、鼻の辺りを人差し指で押さえながら、嬉しそうに笑っている。
 どうでもいいが、童顔の未夢が少し大きくてぶかぶかなサングラスをかけると、どうしたって遊んでいるようにしか見えないのだが・・・。
 まぁ、それは置いておいて。
 今の未夢のセリフの中で、ひっかかった部分を、彷徨はなるべくさりげなくなるようにしながら聞いた。

「水着? ・・・どんなの、買ったんだ?」
「気になる?」
「べ、別に・・・」

 手にしていたサングラスをもてあそびながら、視線をさまよわす。
 未夢が先日、親友の綾やななみたちと一緒に水着を買いに行っていたことは彷徨も知っている。
 ずっと、気になっていたのだ。
 未夢が海辺で、人目のある場所で、どんな格好をするつもりなのか、と。
 ななみが学校でにやにや笑いながら『楽しみにしておきなよ〜』と言っていたのもひっかかるし・・・。

「ふんだ。内緒だよ〜だ。『幼児体型のくせに』って、いっつもバカにしてる人には教えてあげませ〜ん」
「・・・・・・」

 サングラスをかけたまま腰に手を当てて、ぷんっと横を向く未夢に、彷徨は憮然とする。
 すぐムキになる未夢の反応が楽しくて、からかってばかりいる自分も悪いのだろうが、いい加減、照れ隠しなのだと気づいてくれてもいいはずだった。
 未夢の、あいかわらずの鈍さにため息が出てくる。

「ね、彷徨もさ、このサングラスしていきなよ〜。格好いいから。きっと女の子にウハウハもてちゃうよ」
「ウハウハって・・・あのなぁ〜」
「あ、でも、彷徨さんってば、信じられないことに元々もてもてだから、必要ないかぁ」
「・・・・・・」

 なんだか今日はやけに突っかかってくるなぁと思いながら、彷徨はふぅっと肩を落とした。
 黒いガラスに遮られて、未夢が今どんな表情をしているのか、彷徨には分からなかった。



◇◇◇



(なにあれ、なにあれ、反則だよ〜〜〜)

 未夢は、自分の部屋に入ってバタンと扉を閉めるなり。ドアにもたれかかって、ずるずると座り込んだ。
 ずっとかけっぱなしだったサングラスをはずして、胸のところで握りしめる。
 露わになった未夢の顔は、真っ赤だった。

(悔しいけど・・・やっぱりカッコいい。前の時はそんなこと、あまり感じなかったのに・・・)

 ほてった顔に手を当てながら、未夢は嘆息する。

 ルゥが初めて来た頃とは違う。
 確実に背が伸びて、肩幅が広くなって、男っぽくなった彷徨。
 手の大きさ。
 ちょっとした仕草。
 そんな彷徨の姿に、最近どきりとさえられることが多い。

(あ〜でも、私のばかばか。彷徨もサングラスかけていけば?なんて言っちゃった〜。あれ見たら、きっと彷徨の所にまた女の子たちが・・・)

 想像するだけで顔が歪んだ。
 ただでさえ、パフェーフェクトな彷徨にこんな自分がそばにいていいのか?と、最近不安に感じることが多いというのに。あきらかに自分より綺麗で可愛い女の子たちに囲まれている彷徨を目の前にしたら・・・。平気な顔をしていられるかどうか、自信がなかった。

 “好きなのかな?”という曖昧な気持ちから、“ああ、好きなんだ”という確信に変わったのは、いつだったか。
 それは徐々に、未夢の心に浸透していった、恋心。
 けれども気づいたときにはもう、未夢と彷徨の関係は、気安い喧嘩友達、家族みたいなもの、に確立してしまっていて・・・。
 好き、だなんて、今更言えるはずもなかった。
 今の関係が居心地がよい分、それを崩すのは怖かった。

 もし、拒絶されたら。
 彷徨を失ってしまったら・・・。
 それを考えると、一歩も前に進めなかった。

 けれど。
 いつまでも気持ちを隠したままで、このままの状態でいられるわけがない、ということも、未夢は気づいている。
 彷徨はドンドン、大きく、大人な男に成長していき、まわりに群がる女の子たちもキレイな大人っぽい人が増えて。
 彷徨だってそのうちきっと恋をする。その中から恋人が、できるかもしれない。
 そうなったら、自分の居場所はなくなるのだ。

 未夢はため息をつく。
 のろのろと立ち上がり、部屋の隅に置いてあるクローゼットに歩み寄った。

 彷徨はきっと、自分のことを女の子として見ていない。
 妹のように、家族のように、思ってくれているのだろう。
 それは、あの彷徨の幼なじみ、アキラが来たときに感じたことだった。
 アキラに接する彷徨の態度と、自分に対する態度との違い。
 あれはきっと、自分は家族で、アキラは女の子。そういうことなのだ。

 自分のどうしようもない立場にちょっと涙ぐみながら、未夢はクローゼットを開ける。
 下の方のスペースに、デパートの包み紙がちょこんと置いてある。
 未夢は手を伸ばして、それを取り出した。



『私って、そんなに子供っぽいかなぁ・・・』

 上級生の女の先輩たちに囲まれている彷徨を見て、教室で思わずつぶやいたのは、つい先日だ。
 それを横で聞き止めた親友のななみと綾は、顔を見合わせた。

『未夢ちゃんの場合、見かけより中身がね』
『そうそう。まぁ、子供っぽいというより、鈍いんじゃないかって説もあるけど』
『なぁに? 未夢ちゃん、誰かにそう言われたの?』
『まぁ、誰に言われたのかは、なんとなく見当がつくけどね』

 見透かしたような親友たちの意見に、未夢は目を白黒させたモノだった。



 回想しながら、未夢は包装紙を丁寧に開ける。
 中から、先日買ったばかりの水着を取り出した。



『だったらさ、未夢。今度買う水着。思い切って大人っぽい大胆な水着にしてみたら? 誰かさんがどきっとするくらいにね』

 そう言って、ウインクしたのはななみだった。

『うわぁ〜、ななみちゃん。それナイスアイディア〜!』

 目を輝かせて賛成したのは綾。
 そして、あれよあれよという間に、未夢はこの水着をいつの間にか買わされていたのだが・・・。



(それにしたって、これはちょっと、ね・・・)

 オフホワイトのふんわりとした感じの生地に、ピンクの縁取り。
 色合い事体は普段から未夢も良く着る、可愛らしいモノなのだが・・・。
 問題は、形だった。
 思いっきり露出度の高い、ビキニ、なのである。
 しかも、水着を身につなぎ止めるものは、頼りない紐だけなのだった。

 親友たちの言葉に乗せられて、勢いで買ってしまったけど・・・。

 未夢は、クローゼットにかけてあった鏡の前で、水着を当ててみる。
 大きなため息が出た。

(やっぱり似合わないよね)

 彷徨に見せたら、絶対笑われそう。
 でも今さら、綾ちゃんやななみちゃんに、別の水着を着ていくとは言えないし。
 というか、持ってないし。
 未夢も一応成長しているのか、去年の水着は若干小さくて窮屈なのだ。

(あ〜あ)

 楽しみだった海水浴が、逆に憂鬱になってきて、未夢は、深く深くため息をついたのだった。


◇◇◇


「未夢〜、いつまでそのパーカー来てるの?」
「そうそ。西遠寺くん、さっきから気にしているよ〜」
「う、う〜ん・・・」

 未夢は、口の中でもごもご答えながら、ぎゅっとパーカーの前をかき合わせた。

 目の前に広がるのは蒼い海。そして空。
 常夏の日差しに、白い砂浜のビーチ。
 たくさんの海水浴客たち。
 色鮮やかな、水着の人々。
 歓声と、波音。

 こんなにいい天気で、絶好の海水浴日和で、素敵な日だというのに。
 未夢の表情は曇っていた。

 朝一の電車でこのビーチまでやって来た未夢たち。
 到着してすぐに休憩用のビーチパラソルとビニールシートを設置して、場所を確保。そのあと準備体操を済ませたばかりだった。

 怪しげなつなぎの水着を着た望は、さっそくと言った様子で、ビーチにいる女の子たちに次から次へと薔薇を配っている。
 それを呆れた顔で見ながら三太と並んで立っている彷徨。
 未夢がこの間、物置から見つけてきたサングラスをかけているその立ち姿は、やっぱり人目を引いていた。
 そこら中の女の子たちがちらちらと、彷徨を気にしているのが分かる。
 両親と一緒にフランスへ行っていて、この海水浴に一緒に来ることが出来なかったクリスが、今この場にいたら、きっとすごい惨状になっていただろう。

 と。
 彷徨がすっとサングラスをはずした。
 あちーな、とまぶしそうに太陽を見上げたその素顔に、周囲から歓声が上がる。
 未夢はむぅっと顔をしかめた。

「ななみちゃん、綾ちゃん! ここは騒がしいからあっちのほうへ行こ!」
「え、ちょっと、未夢〜?」
「未夢ちゃんってば、待ってよ〜」

 スタスタと歩き出した未夢に、あわててななみと綾がついてくる。
 彷徨もそれに気づいて、何か言いたげに口を開きかけたが、

「あの〜、すみません。ちょっといいですか?」
「私たちR市から遊びに来てるんですけど、女の子ばかりでちょっとつまらないの。一緒に泳ぎません?」

 女の子数人が、思い切ってというように彷徨に声をかけてきたために、口を閉ざした。
 スタスタと逃げ出すようにして歩く未夢の目の端に、色鮮やかな彼女たちの水着が、映っていた。









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