作:栗田
ビーチの中を、未夢は一気に駆け抜けた。
途中、何人かの人たちが「どうしたの?」と声をかけてくれたようだったが、全部無視した。
立ち止まれば、その時点で涙がどっと溢れてきて止まらなくなりそうだった。
未夢は、この海岸に着いたときみんなで立てた、大きなビーチパラソルまで来ると、その下に逃げ込んだ。
幸い、三太や望、それにななみや綾も戻ってきてはいない。
どさっと倒れ込むようにビニールシートに身を投げ出して、身を縮めるように丸くなって顔を覆う。
すでにあふれ出していた涙が、手にしっとりとからみついてきた。
ひどいよ、と思った。
いくら悪気がなくたって、ああいう言い方はないんじゃないかと思う。
こっちは、彷徨に初めてこの水着姿を見てもらって、なんて言われるかドキドキしていたというのに・・・。
でも、さっきのセリフは、未夢がある程度予想していたものでもあった。
きっと彷徨は、笑うか、けなすか、どっちかだろうと思っていた。
そういうふうに覚悟していたのに。やっぱり自分は心のどこかで、褒めてもらえるんじゃないかと期待していたのかもしれない。
現実に彷徨にああ言われたら、ざくっと胸が切りつけられたように痛かった。
声を押し殺して、泣き続ける未夢。
その未夢の上に、ふっと、濃い影が落ちる。
三太たちか、ななみたちが戻ってきたのかと、未夢がはっと顔を覆っていた手を離して見上げると・・・。
そこには、予想に反して彷徨がいた。
どうやら、あのあとすぐに、未夢を追いかけてきたらしい。
「・・・・・・・」
立ったままじっと見下ろしてくる彷徨から、未夢はふいっと目をそらした。
顔を隠すように身を縮める。
それでも安心できなくて、すぐそばに置いてあった、彷徨とおそろいのサングラスをとってかけた。
白黒になる世界。
これで、彷徨に赤い目を見られずにすむ。
「未夢」
「・・・・・・」
「こっち向けよ。未夢」
「・・・・・・」
「その・・・悪かったよ。さっきは言い過ぎた」
「・・・・・・」
絶対に、返事などしないつもりだった。
けれど、落ち込んだような彷徨の声に、未夢は少しかわいそうになってきた。
いつもパーフェクトな彷徨。
彷徨は、こんな自分なんて放っておいて、彷徨はさっきの人たちと遊ぶことだって出来たろうに。楽しむことが出来るだろうに。
なんだかんだ言って優しいから、家族のような自分のことを放っておけなかったのだろう。
「未夢・・・」
再度。
懇願するように、名前を呼ばれて。
「・・・・・・・・・」
未夢は無言のまま、むくっと起きあがった。
そして、ちょっと気まずげにちらっとだけ彷徨を見上げると、すぐに視線を下に向けて膝を抱えた。
ずりおちそうになるサングラスを抑えながら、小さく首を振る。
「いいよ、別に・・・」
「未夢」
「考えてみたら、さ。彷徨は本当のこと言っただけだもんね。彷徨は悪くないよ」
「・・・・・・」
「私が勝手に気にして、勝手に怒っただけだもん。彷徨が謝る必要ないよ。私の方こそ、怒鳴ってごめんなさい」
「・・・・・・」
小さく頭を下げながら、やっぱりまた涙が出てきた。
言葉に嘘はない。
でも、理屈では、頭では、そういうふうに自分に言い聞かせて決着をつけても、心がついていかなかった。
悲しくて、仕方がなかった。
「あ〜あ、やっぱり無理して、こんな水着買うんじゃなかったなぁ」
いっそ陽気にそうつぶやいてみたが、やっぱり目の奥の熱は引かなくて。
未夢は、ずずっと鼻をすすり上げる。
サングラスの下から、涙があふれ出そうになって、少しだけサングラスをズリ上げて、ぐっと手の甲で拭った。
「・・・未夢」
彷徨が、未夢の前に膝をついた。
そして、しばらく戸惑ったように、膝を抱えてうつむいて震えている未夢を見つめたあと、ゆっくりと未夢の方に手を伸ばしてきた。
そして、未夢の顔を隠しているサングラスに手をかける。
未夢は抵抗しなかった。
抵抗したくても、涙をこらえるのに必死で、できなかったのだ。
サングラスをはずされ、露わになった未夢の瞳。
彷徨の視線から逃げるように伏せられたその瞳からは、黒いガラスを通した視界からでも分かるくらい、大粒の涙がこぼれ出ていた。
彷徨はきゅっと眉をひそめる。
「何、泣いてんだ、バカ」
「だって・・・」
「本当にバカだよ、お前は・・・。オレが口が悪いことぐらい、よく知ってるだろうに」
「・・・・・・」
「嘘だよ、あんなの。・・・照れくさくて、逆のこと、言った」
「・・・・・」
「人のこと言えない。・・・オレもバカだよな」
何かかみしめるような彷徨の口調に、未夢はゆっくりと顔を上げる。
彷徨の口元には、自嘲気味な笑みが浮かんでいた。
「・・・・・・」
驚いて。
涙の勢いが緩んで。
未夢は一度、ひっくっとしゃくり上げて、目をこすった。
そして、戸惑いがちに、首をかしげる。
彷徨が・・・、落ち込んでる?
確かめたくて。
その瞳が見たくて。
未夢は、ゆっくりと彷徨のサングラスに手を伸ばした。
彷徨は両手をそろえて、未夢のされるままになっている。
そうして、露わになったのは。
困ったような、弱り切ったような、そんな表情の彷徨。
久しぶりに見た気がする、優しい色の瞳。
未夢はなんだかほっとして・・・。
涙を浮かべたまま、笑った。
「やっぱり、この方がいいね」
「え?」
「ちゃんと、彷徨の目が見える」
彷徨は一瞬虚を突かれたような顔をして、そのあとふわっと笑った。
◇◇◇
「ああ、そうだな」
鮮やかになった世界を目の前に、彷徨はうなずきながら笑う。
色が付いた世界。
未夢の笑顔。
空気が。
二人を包む空気が、さっきまでの刺々しいものから、優しく戻っている。
ただでさえ気持ちが伝わらないのだ。
目を見て話さなければ、余計に伝わらないのかもしれない。
「そうだよな。オレも、この方が、いいな」
彷徨は、気持ちを確かめるように言葉を舌に乗せて、目の前の未夢を見つめた。
鮮やかな、原色の未夢。
まだ少し潤んだままの、エメラルドの瞳。
白い肌を少し紅潮させて。
太陽の光を反射する髪の一本一本まで。
彷徨の心をつかんで、離さない。
例えばこんなふうに、白黒からフルカラーへ。
自分でも信じられないほど鮮やかに、色づいていく恋心。
ありのままの色で、接することが出来ればいいのだけど。
「素直じゃないよな。オレも、お前も」
「え? なに?」
「いや・・・・・」
小さく首をかしげる未夢に、首を振ってみせて、彷徨は未夢の隣に腰を下ろした。
落ち着いてみれば、二人だけのこの状況が嬉しくなる。
彷徨は、片足だけ立てた膝に顔を乗っけて、横の未夢をじっと見つめた。
その視線を受けて、未夢は紅くなって視線をそらした。
「み、みんな、どこ行っちゃったんだろうね? 探しに行く?」
「いや・・・ちょっとここで、静かにしてようぜ」
「う、うん・・・」
会話を交わしていても彷徨の視線は未夢に張りついたままだった。
未夢は、居心地が悪いのか、ちらっちらっと横目で彷徨の様子をうかがっては、恥ずかしそうに首をすくめている。
流れる沈黙。
無言の内の視線の攻防。
驚くほど甘い感覚の空気が、二人を支配している。
今日この日の、夏の未夢。
彷徨は、一分一秒だって目をそらすのが、惜しい気がしていた。
だけど・・・。
「しかし・・・その水着」
長くて短い沈黙のあと、彷徨がぽつりと口を開く。
「はいはい、似合わないって言いたいんでしょ?」
未夢はもう、分かってるとばかりに苦笑したけれど。
「や、そうじゃなくて、なんつーか・・・・」
「なに?」
「・・・色つきだと余計生々しくて、直視できん」
顔をうっすら紅くして、視線をそらし気味に上に向ける彷徨。
心からの本音だった。
未夢は一瞬きょとんとして。
それから、ぱっと紅くなった。
「なっ・・・なななななっ・・・」
両腕で胸を押さえて口をぱくぱくさせて、彷徨から逃げるように、半身をそらす未夢。
そんな未夢の反応に、彷徨は顔を紅くしながら、ほら見ろとばかりに半目になった。
そんな格好で煽ってくれるくせに、実際に口にすれば、こんなふうにあわてるんだから・・・。
「やっぱりこれ着てろっ、バカ娘。少しは男の目を気にしろよな」
彷徨は片目をつぶりながら、さっきは受け取ってもらえなかった自分のパーカーを、未夢の頭の上から放り投げる。
ふわっと白い布に視界を遮られ、未夢は「ひゃ」っと声を上げた。
そして、しばらくもぞもぞとしてから、恐る恐る顔だけ出してくる。
まだ紅い顔で、上目遣いに彷徨を見あげてきた。
「・・・彷徨のエッチ」
「っるせ! しょうがないだろ。オレだって男なんだから」
ぷいっと視線をそらした彷徨に、未夢は目を丸くして・・・。
そのあとなぜか、えへへ〜と嬉しそうに笑って、彷徨の腕にしがみついてきた。
必然的に柔らかい感触が彷徨の腕にかかってきて、彷徨の心臓は、それこそ一気に跳ね上がる。
「や、やめろ! ひっつくなって!」
「え?なんで〜?」
「いいから離せってば! アブねーんだよ」
「別に危ないモノなんて周りにないよ〜」
「・・・・・」
こいつはやっぱり肝心なところが分かってないと、頭を抱えたくなりながら、彷徨は心臓音と熱を逃がすように息を吐く。
そりゃまぁ、こういうふうにくっついたのは初めてじゃないし。
未夢にとっては、何気ないスキンシップのつもりなんだろうけど・・・。
普段よりずっと薄着だってことを絶対忘れてるな、こいつ、高鳴る心臓をよそに苦く思う。
まったく、こちらはたまったもんじゃない。
それでも、もったいなくて、未夢を引きはがすことは出来ないのだが・・・。
彷徨は、腕に当たっている柔らかい感触と熱をなるべく意識をしないようにしながら、自由な方の手で前髪を書き上げた。
そして、こっちの気も知らずににこにこと、自分の腕にしがみついている未夢を睨んだ。
「とにかく! お前、もう絶対、その水着姿で人前に出るなよ」
「え?なんで?」
「なんででもだ!」
「でもせっかく買ったのに〜。さっきの監視員さんだって、見せないともったいないって言ってくれたよ〜」
「・・・余計なことを」
「え?」
小さく舌打ちをする彷徨に、未夢は首をかしげた。
彷徨はため息をついて・・・・・。
未夢の手を自分の腕からはずし、肩をつかみ、こちらを向かせた。
「未夢」
「な、なに?」
戸惑った様子の未夢を、じっと見つめる。
先ほど泣いたせいか、目の縁が紅くなっている。
もう二度と、こんなふうに泣かせたくない。
大切な大切な未夢。
分かっているのだ。
ちゃんと手に入れるためには、大事にするためには、
もっと素直にならなければならない。
彷徨はそっと未夢の耳元に口を寄せる。
鎖にもならないかもしれないけど。
オレが見てれば充分だろ?
他の誰にも見せたくないんだよ。
低くささやかれたのは、紛れもない彷徨の本心。
独占欲。
彷徨がそっと体を離して、未夢の顔をのぞき込めば、
未夢は、きょとんとしていた。
「え?」
分かったのか分からないのか。
上目遣いに、探るように、彷徨の顔を見上げてくる未夢。
「それって・・・・どういう意味?」
少し頬を紅潮させて、大きく目を見開いて・・・。
彷徨の腕をつかんで、確かめるように聞いてくる未夢に。
彷徨は真っ赤になって思いっきり顔をそらした。
そんなふうにストレートに聞いてくるな、察しろ!と言いたくなる。
やけにクサいセリフに、自分で言っておいて、今頃になって猛烈に照れが襲ってきていた。
「っ! 知らん! それっくらい自分で考えろ!」
吐き捨てるように言って、彷徨は立ち上がる。
後ろで「え?え?」と、戸惑った声を出している未夢をよそに、まぶしそうに太陽を見上げた。
日差しよりも、内側からわき出てくる熱で暑かった。
「さっ、三太や天地たちを探しに行くぞ。やつら、きっと心配してるからな」
振り返らずにそう言うと、
「あ、ちょっと待ってよー」
あわてたように未夢が声を返してきた。
彷徨は数歩先で立ち止まって、未夢を待つ。
未夢は少し首をかしげて考える仕草をしてから、膝の上に載っけたままだった彷徨のパーカーを羽織って、彷徨の所にととっと走ってきた。
自分の隣まで来たその姿を見て、彷徨は笑う。
それを見上げて、未夢も少し恥ずかしそうに笑った。
そのまま二人で歩き出す。
隣り合って歩く、それが二人の定位置だった。
「彷徨・・・ねぇ、彷徨・・・」
歩きながら、未夢が後ろ手に手を組んだ状態で、上目遣いに隣の彷徨を見上げてきた。
「んだよ?」
さっきの照れがまだ残っていて、ぶっきらぼうに聞き返す彷徨。
「私、彷徨の隣にいていいんだよね?」
恐る恐るといった感じでつぶやかれた未夢の言に、彷徨は目を丸くして立ち止まった。
未夢はこわごわといった感じで彷徨を見上げて、次の言葉を待っている。
それをじっと見下ろしたあと、彷徨は・・・。
「当たり前だろ」
何を今更というように言いすてた。
その言い方に、未夢は一瞬目を丸くして、
ほっとしたように、気が抜けたように、「よかった」と頬を抑えてほやっと笑った。
その姿があんまり嬉しそうで、可愛くて、彷徨の方も嬉しくなる。
未夢の頭に手を乗せて、いっそふてぶてしく、当然といった顔をして、片目をつぶった。
「ずっと、な」
決まり切った約束事のように、そう言った彷徨に
「うん!」
未夢はうなずいて、太陽にも負けない笑顔を見せた。
空も海も、抜けるように青く。
ほんの少しだけ、距離が縮まった気がした、夏の日だった。
・・・えっと〜。
くっついたような、くっついてないような・・・。
終わりがすっきりしない、なんとも奇妙な話になりましたな。(苦笑)
ま、なんとか無事に出せて良かったです。
「いろは」になってましたかねぇ?
サングラスを小道具に使おうって所までは良かったんだよね〜。欲を出して、未夢に水着を着せようと思ったのがいけなかった。無駄に長くなりましたね。(遠い目)
「いろは」といえば「ラシド」だわ。と、まず一番はじめにそう思った栗田でした。
最初の音は、い。A。ラ。
ラが基本・・・ラブが基本ってこと・・・。
お後がよろしいようで。(笑)
皆様、よい夏をお過ごしくださいませ。
2004.07.24 栗田