作:宮原まふゆ
「おやじぃー、夕飯できたぞ。」
「おう、今行く」
ドシドシと階段を降りる音。今日はやけに降りてくるのが早い。
仕事がスムーズに行っている証拠だ。
「おっ、今日はおでんか」
「そうだよ。おやじ、最近外周りで暖かいのが食べたいって行ってただろ。まぁ、今日は結構寒いしさと思って。」
「うーん、息子の愛が感じるね。」
「んじゃ、明日はかならず夕飯作れよな」
実は今日は父親の友貴が夕飯を作る番であった。
しかし、友貴の帰りが遅くなるのはいつものことで、アスカは半分諦めている。
父子二人だとなかなか大変であるのだが、飛鳥父子は母親が早くに亡くなっているので、二人で暮らしているのが長い。それでも母親がいないことで不自由しないようにと、一生懸命に育ててくれた父親を見ていたアスカは、父親を尊敬していた。寂しいと、思わなかったことは無い。
ただ、一度だけ母親が亡くなって初めて父親の泣いた姿を見た時、この世からいなくなるとは人を悲しませることだ。悲しませるってことは、父親を泣かせることだと幼いながらも思った。
いまはそんなこと考えもしないが、いつかおやじの力になりたい。その為には優秀な探偵になって、おやじと一緒にこの町を守るのが、アスカのそして飛鳥父子の夢になった。
「んー。この大根、味がしみてる。大貴、料理の腕が上がったな。」
「おやじ、お伊達には乗らないからな。なぁそれより、こないだの事件どうなったの」
「ああ、あの誘拐事件な。偽装だよ、偽装。」
「偽装?」
「女が、男を疑ったらしい。男がなかなか会ってくれなくてな。他に誰か好きな人が出来たんじゃないかって、思ったらしい。で、居なくなれば少しは心配してくれるんじゃないかって、思ったらしいよ。」
そう言うと、友貴は鍋の中のこんにゃくを取り出して、一口食べた。
「つまり嫉妬か…」
「けなげだよな。しかし、女の感は当たった。」
「えっ、じゃほんとに?」
アスカは箸で取っていたのを皿に落とした。
「可哀相にな。まぁ、女にしても軽い気持ちで家出をしたらしいが、どこで間違えたか、両親が誘拐と勘違いしてな、この騒動よ」
「で、相手の男は?」
「ん?男?さぁ、どうするかな。連絡は入っていると思うが、この騒動だ。会い辛いんじゃないかな。」
友貴はタバコに火を付けて、ゆっくりと煙を吐き出した。
「ふーん、勝手だな」
「おいおい。その男の身になってみろ。俺だって悩むぞ。まぁ、大貴は経験少ないから、判らんと思うが」
「おやじ、経験あるのか?」
ごほっと、咳き込む。
「おっ、おっ、お前な」
「あるのか?」
やけにしつこいなと思いながらも、語り始めた。
「似たような経験はあるな。うん・・・俺がまだ新米のころな、ある町で女怪盗が頻繁に出没してたんだ。」
「女怪盗…」
「ああ、あの頃は奴を追いかけてばかりさ。追いかけては逃げ、追いかけては逃げの繰り返しさ。今のお前とセイントテールとそっくりだ」
父親は息子の顔を見ながら懐かしそうに言った。
アスカは芽美とセイントテールを思い描いた。
おやじと女怪盗…俺とセイントテール…そして芽美…。
「懐かしくてな、あいつどうしてるかなぁと思う時がある。まぁ、昔の話さ。で、その頃にな母さんと会ったんだ。」
「えっ、お袋と?」
「ああ、母さん初めて会ったとき、変な人だなぁと思ったんだよな。警察のそれも難しい話をだな、じっと聞いてるんだ。好奇心旺盛なんだな。殺人の話なんて、目をきらきらして聞いてるんだ。それでいて、鋭かったな。犯人に対しても、被害者に対しても。何度か話をして、糸口を見つけたことがあったよ」
「ふーん」
おやじから母親の話を聞くのは初めてだ。
あまり母親の思い出がないアスカにとって、新鮮であった。
「で、ある時、女怪盗が捕まったという情報が届いた。その時何故だと思ったね。捕まえるのは自分の役目だ。誰にも渡さないってね…。」
沈黙が流れた。
俺もおやじと似た経験がある。あれは確か ――――――
「その前はまだ、母さんをどう思っていたか、女怪盗をどう思っていたかよく判らなかったんだ。ただ、あの情報で心が揺らいだのは確かだな。」
「じゃ、何故お袋を選んだんだ?」
「くくっ」
急に、思い出したかのように、友貴は笑い出した。
「俺がな、二人の間を悩んでいる時、さらっと言ったんだ。追いかける者と逃げる者との間で、愛情や友情は付き物ですよ。それがなきゃ、人間なんて汚いものですってな」
友貴は目を細めて、母親の写真を見た。まるで昨日の出来事のように、思い出しているのだろう。その表情は暖かだった。
「こいつには適わないなと、一生適わないなと、思ったんだ。で、母さんにプロポーズした」
「へえ、何て言ったの?」
「それまで言わせるきか?」
嫌そうな顔をアスカに向けた。
「いいだろ。そこまで話したんだから。それにおやじとお袋の話初めて聞くんだから」
「そっ、そうか?ん…まぁ、普通だよ。俺は。『結婚して下さい』ってね。だが、母さんは違った。何ていったと思う?」
「?、さあ。」
「『じゃ、これからもずっと、事件の話をいっぱいして下さいね』だと。母さんらしいだろ。」
二人は大笑いした。写真の中のお袋も二人の様子を見て微笑んでいるかのようだった。
アスカは両親の話を聞いて、ついさっきまで悩んでいたことが、嘘のように軽くなった。
まだ答えは見つからない。しかし、二人の思い出を聞いてとても良いヒントを得たような気がした。
***
気がつくと学校の門までていた。
まだ、教会は開いているはず…聖良もきっともいるはずだわ。
芽美は教会へ走り出した。
案の定、聖良はいた。ちょうど最後の参拝者を送り返すところだった。
「聖良」
「芽美ちゃん、遅かったですね。待ってましたよ」
にっこりと聖良は微笑んだ。
「アスカJrのことですね」
「えっ、なんで判るの?」
「顔に描いてありますわ」
ふふふっと笑いながら、奥へ招いた。
中に入ると、さっきまで参拝者がいたせいかまだ人の温もりが残っていた。まるで、芽美をその温もりで迎えくれているようで、何となく嬉しかった。
「あのね、聖良。最近アスカJr,おかしくない?」
「そうですね。ぼーっとしていることが多いですし…、ごめんなさい。私の思い過ごしかも知れないですけど…芽美ちゃんに会わないようにしているような…」
ちらっと芽美を見ると、どーん落ち込んでいる姿があった。
「芽美ちゃん…そこで霊界を作らないでくださいね。」
「聖良…冗談は言わないでくれる」
「冗談ではございませんわ。そんなに落ち込んでたら良い運も逃げてしまいますわ。」
はぁ…と、芽美はため息を付いた。
「たぶん…アスカJrが悩んでいるのは、私とセイントテールのことだと思うの。私が変なことを言ったから…」
「変なこと?」
「私もね、悩んでたの。私とセイントテールのどっちが好きなのか、アスカJrの気持ちが判らなくて…。でもね、その時は解決したの、私の中では。アスカJrが教えてくれたから…でもあの日から…」
「芽美ちゃんが初めてポニーテールをして登校した日ですね。」
「うん…、そう。」
芽美はそのままうつむいた。
「私が思いますに、きっとアスカJr自分が許せないんですわ。あの日猿渡くんのカメラから無理やりフィルムを外したことは、セイントテールの為であって、芽美ちゃんの為ではなかったとしたら、いいえ、芽美ちゃんの為だとしても、心の片隅にセイントテールの為という思いがあった場合、正義感の強いアスカJrのことですものきっと自分が許せなくて、悩んでいるのだと思いますわ。」
「―――――――」
芽美は言葉がでなかった。きっとそう、アスカJrはそういう人だ。いつも一人で考えて解決して行く。とても心の強い人――――― 。
だけど、この悩みだけは自分にも関係がある。話してほしい。何でも打ち明けてほしい…私の為なんかで悩んでほしくない。このままじゃ一緒にいられない。あの時二人の心が通じ合ったは幻なの?
たくさんの思いがあふれ出るように、芽美の瞳から涙がこぼれ落ちた。
聖良は芽美の手を握りしめた。
「芽美ちゃんらしくないですよ。待つだけでは駄目、アスカJrが悩んでいるなら聞いてあげなきゃね。行動起こさなきゃ何も起こらないですわ。アスカJrが芽美ちゃんを勇気づけたのなら、お返ししなくてはいけませんわ」
「聖良…」
ふふっと微笑ながら芽美の手を振った。
「神様が見てますわ」
祭壇の向こうにはマリア像が幼いキリストを抱いて微笑んでる。
聖良が昔言ったことがある。マリア様はキリストを見ながら世界を見ているのだと、一人一人に愛を注いでいるのだと。だからマリア様の瞳を見た人々はまるで自分を見ているような気がして心が休まるのだと。
神様が見ている ―――――――
芽美は聖良に顔を向けると、決心したかのようにうなずいた。
「うん、頑張るね。アスカJrを助けなきゃ、私達二人の問題だもの。アスカJrだけ悩ませるなんてできない。私聞いてみる。何でも聞いてあげたい。そうでしょ?聖良」
「ええ、頑張って芽美ちゃん、きっと神のご加護がありますわ。」
「うん!」
芽美は教会を後にした。
芽美は明日が待ち遠しかった。
早くアスカJrに会いたかった。
会って、たくさん話したい。
その夜、芽美はアスカJrに思いを馳せながら、眠れぬ夜を過ごした。