作:杏
町を出て、林に沿って進む。もうすぐ丘が見える。そう思うと、足が逸る。
「…!? おい…!」
カナタの手から、少女の手が抜けた。振り返ると少女は、両手を地面について肩で息をしている。
「…大丈夫か? もう少し、あの丘の上で、チビたちが待ってるんだ」
少女は頷くが、辛そうに息を切らしていた。
少し前で、サンタとルクトも立ち止まって顔を見合わせる。瞬間、意見は一致。
「カナタ! オレら先行ってるからさぁ!」
「お姉さんとゆっくりおいでよ! もう時間だし、みんなには僕たちが説明しとくから!」
口々にそう言って、カナタと少女の荷物を預かる。再び駆け出した。
「…おい! お前ら!」
呼び止めたって振り返る訳もなく、二人は闇に消えた。
「…ったく……!
……悪い、勝手に連れてきちまって…。 アンタ、行くとこあるんなら…」
隣に座ったカナタにそう言われて、少女は縋るように首を振ってカナタを見上げた。
「ない…! …行ける所なんて……」
「…やっと喋った。 喋れないのかと思ってた」
カナタがふわりと笑う。少女はその事実に今気付いたようで、目を丸くした。
「ご、ごめんなさい…」
「別に謝らなくていい。 突然連れ出されて、驚いただろ?」
少女はまた首を振って、口を開く。
「ありがとう、助けてくれて…。
あの…英雄の子って? …屋敷の人たちも言ってたんです。 反乱軍を率いるのは確実に英雄の子供たちだ、って」
訊ねてもいいものなのか、躊躇ったが、言葉の意味は悪くない。“良い”意味の呼び名なのだと思ったのだけど。
カナタの顔色が変わった。さっきまで柔らかかった瞳が、鋭くなる。
「あ…ごめんなさい! 言いたくなかったら、いいの…」
「…二度目の反乱だったんだ、今回」
「え……?」
話したくれないのだと思っていた少女は、驚いてカナタを見る。本当に聴いてもいいのか、戸惑った。
でもカナタは視線を地面に向けたまま、言葉を繋ぐ。
「前はもっと大きな軍だった。 町中の男たちが総出で屋敷を襲ったけど、負けた。 多すぎたからこそ結束が弱かったんだ。
途中で逃げ出す奴が出て、そこから軍の士気も統率も、一気に崩れた。 そうなったらもう作戦も何もあったもんじゃない。
後ろの部隊から順番に、散り散りになっていった。 先陣を切って、囚われていた国の兵を助け出した五人の男だけが、何も知らずに戦っていた。 逃げ場のない、屋敷の中心。
でも、相手は数倍の兵、こっちはただの町の平民だ。 あっという間に捕えられ、奴は見せしめに全員を殺した。
それが英雄。 …俺たち六人の孤児の親父たちだ」
「……酷い…」
少女はボロボロと泣いていた。
カナタは何でもないように話すけれど、そう出来るようになるまで、どれだけの事を受け入れて、諦めて、乗り越えて来たのだろうか。
「――すぐに俺らの家には奴の部下が乗り込んできたよ。 家族を殺すために。
俺もサンタも目の前で母さんを殺されたんだ。 俺らは他のチビたちの家に走った。 …けど、あいつらを連れて逃げるのに精一杯だった。
結局、あいつらを独りにしたのは…俺かもしれない」
「そんな! そんなこと…!!」
「ありがと、な。 …そんなに泣くな」
大粒の涙を流し続ける少女の肩を抱き寄せる。暫く、静かに少女は泣いていた。
「あ、あの…」
「ん?」
「本当に、わたしも、一緒に行っていいの?」
涙の止まった少女は、カナタの腕から逃げるように立ち上がった。カナタも腰を上げる。
「アンタさえよければ。 みんな歓迎するよ。 さっきのふたりと、まだ小さいのが三人いる。
8歳のリオ、その妹のメーサが4歳、一番下がシオン、3歳。
デカいのが男ばっかだしさ、チビたちの母親代わりになってもらえると助かるよ。 金も行くアテもない、着の身着のままの旅だろうけど…」
「―――わ、わたし…! 母親代わりなんて…!」
カナタの言葉に少女は大きく首を振る。まだ涙に濡れている瞳を歪めた。
「わかってるでしょう? わたし…汚いのよ…? よごれちゃったの、わたし…。
小さい子の母親代わりなんてそんなの、子供たちが可哀想よ…!」
少女は自分の役目を解っていて此処に来た。未来の総てを諦めていた。心は軋み続けたけど、もうどうでもよかった。
まさか外に出られるなんて、幼い子供と生きて行くなんて。こんな手で子供たちに触れるなんて出来ない。
「…俺にはそんな風に見えねーけど。 汚い大人たちなら嫌になるほど見て来た。 あんたもそんなんなら、俺は見捨ててたさ。
捕まってるアンタ見つけて、その涙がまだキレイだと思ったから助けたんだ。 身体じゃねーだろ? 大事なの」
「………」
少女は呆気にとられた。こんな自分を受け入れてくれるなんて、そんなことを言ってくれる人がいるなんて。思いもしなかった。
「俺はここに来たときのアンタを見た。 そんときと何も変わってねーよ。 …それとも、子供は嫌いか?」
「…好きよ、可愛いもん」
「じゃあ決まりだな。 待ちくたびれてるだろうから、怒られっかもな? リオなんかしっかりしてっから、結構こえーんだ」
「…ふふ、あははっ」
これまでにない優しい笑顔で、カナタが言う。少女が初めて、笑った。
「…よろしくね、カナタくん」
「カナタでいい。 歳もそんなかわんねーだろ?」
「14よ」
「ほら、一緒だ。 名前は?」
「ミユ」
「じゃあミユ、行こーぜ。 弟たちが待ってる。 新しい家族を」
「…うん!」
ミユは差し出されたカナタの手を、しっかりと握る。
満月の咲く時間はとうに過ぎ、杉の先は既に夜空に向かって伸びていた。
杉のたもとの小さな7つの影が二人を待っている。