作:杏
「……や、やっぱ明日学校で……いや、でも…」
電話を持ったまま、自分の部屋の中を行ったり来たり。椅子に座って意気込んでは、ため息まじりにドアへと向かう。
何十回と椅子からドアを往復したかわからない。
(よ、よし…!)
ようやく意を決して、ボタンを三つ目まで押したところで。
ガチャリと勢いよくドアが開いた。
「―――ねー電話知らないっ?」
「わっ! ねーちゃん! ノックぐらいしろよっ!」
「探したじゃないの〜あんたが電話持ってくなんて珍しいじゃない、あ、連絡網?」
「……いや、そーゆーんじゃないんだけど……」
慌てて椅子を反した武岡が握りしめていたプリントは、2−1の緊急連絡網。持っているところにはシワが寄ってくしゃくしゃに折れ目ができてしまっている。
「じゃーなによ?」
「えっと……」
「あっ! そういえば今日のやつ! 見に行った友達が、あんたが勝ったって言ってたけど、ホントに?」
「う、うん…一応…」
言葉を探すうちに、話題を変えられて。未だに実感のない結果を訊ねられて、つい自信のない不安定さが口をついてしまった。
「一応っ?」
「え、や、うん…勝ったよ」
遠慮なしに弟の部屋に足を踏み入れた姉が、座ったままの彼を上から睨みつける。
「えーっと、光月、光月…」
ビクっと肩を小さくして訂正する隙に、電話とプリントは姉の手中に。
見当たらないけど、と言いたげに自分を見た姉に首を振って、指差したのは網の頂点。線を束ねる委員長の名前。
「……いや、西遠寺んち」
「あ、そっか。 いいなぁ、あの西遠寺くんと同居なんてェ〜…。 似てはないけど、美男美女なあたりがやっぱり従兄妹よねぇ〜」
しげしげと紙を見ながら言った姉の言葉に、ふて腐れたように黙り込んだ。自分では不釣り合いだと言われているようで、口の中が苦い。
「…………。 や、やっぱり明日にするわ。 学校で直接の方が…」
「西遠寺くんが出たら困るから?」
「…っ」
「堂々とかけなさいよ。 勝ったのはあんたでしょっ!?」
「で、でも…」
姉の勢いに負けて、反論も弱々しく消えていく。目線もだんだんと下がり、今は姉の足下しか視界にはない。
「…はいっ!」
――ルルッ トゥルルルルル…
そんな弟を後目に、呼び出し音を鳴らし始めた電話を押しつけた。
「えっ!? あっ、ちょっ!」
突きつけられた機械から聞こえる小さな音に、武岡は目を見開いた。
『――はい、西遠寺です』
「…あ、えっと、あの…」
『はい?』
男か女かもわからない、中性的な声。
心の準備が出来ていない武岡にも、声の主が未夢でも彷徨でも、おそらく会ったことのない彷徨の父親でもないだろうことはわかった。
「あ、……あの…」
相手が誰であろうと、言うべき言葉が定まっていないのは変わらなくて。
『…もしもし? どちらさまですか?』
「あ〜〜〜じれったいっ! …すみません、西遠寺さんのお宅でしょうかぁ? 武岡と申しますが、そちらにお住まいの光月さんをお願いできますか?」
電話を奪われて、口パクで姉を呼んだ。目線すら寄越さない姉は、電話の向こうの誰かと話し続ける。
「…はい、あら、そうですかぁ。 いえ、じゃあ明日また学校で…はい、大丈夫です。 はい、失礼しますぅ〜」
「…ね、ねーちゃん…?」
「残念! 今お風呂だってー。 長風呂だから出てくるまであと1時間はかかるってゆーから、明日頑張んな! じゃね〜」
バタン、とドアが鳴って室内がしんとしてから、彼はようやく告げられた事態を反芻した。
◇◇◇
「あっ、未夢さぁん〜。 先程お友達からお電話がありましたよぉ〜」
「友達? だぁれ〜?」
乾いたばかりの髪を纏めながら台所にやってきた未夢に、翌日の弁当の下拵えをしていたワンニャーが声をかけた。
開けた冷蔵庫内に向けてかけられた声を聞き留めて、ワンニャーは洗った手を拭きながら未夢に向き直る。
「タケオカさんとおっしゃる方ですぅ〜」
「武岡くん? 彷徨じゃなくて、わたしに?」
「くん? 女性の方でしたよ?」
「??? わたしの知ってるタケオカさんは、うちのクラスの男の子だけなんだけど…。 間違い電話じゃなくて?」
自分用の牛乳パックを取り出した未夢は、食器棚に向かいながら斜め上を見上げて考える仕草。
「いえ、でも…しっかりこちらを西遠寺だと確認されて、そちらにお住まいの光月さん、とおっしゃられたので、間違いではないかと…」
ワンニャーは不安になって記憶を巡らせた。
例えば、訊かれた名前を聞き間違えていたとしても。あの言い方で間違い電話は考えにくいだろう。
「わ、わたくしはてっきり未夢さんのお友達だと思って…」
『あぁ、未夢さんですかぁ〜。 すみません、今ちょうどお風呂に入ってらっしゃるのですが、今日はゆったりのんびりぷんわり半身浴で長風呂しよ〜なんて言ってらしたので、
そ〜ですねぇ〜〜〜早くてもあと1時間はかかるかと思いますが、遅くなってもよろしければ、折り返すように伝えておきますが…』
「…なんて言っちゃいましたよぉ〜」
「ちょ、ちょっとぉ、なんてこと言うかなぁ〜〜〜。 友達だったとしても恥ずかしいじゃないっ、もぉ〜〜〜〜〜」
頬を赤くしてバタバタを両腕を振り回す未夢。
ワンニャーはその隣で、何気なく電話機の方に目を向けた。
「はて…どちらのタケオカさんだったのでしょう〜?」
◇◇◇
「風呂、かぁ…」
時計を見上げて、そのまま椅子の背に身体を預けた。時計の針は8時を過ぎている。
(…今日は、無理だよな……)
「いいよなぁ、西遠寺のヤツ…俺も光月の使った風呂に…」
「――――!??」
自分のため息と同時に、背後から聞こえた声。
「なっ、何やってんだよ、ねーちゃんっっ!」
「ん? あんたの心の声を代弁してたんじゃない」
隠れるように自分の影にしゃがみこんだ姉が、両手を口元に当てていた。
「べっ、別に、おれは…」
「いいよね〜西遠寺くんはあの子と同じごはんを食べて、同じお湯に浸かって、寝起き姿からお風呂上がりまで見ほーだい!
あんたは? そもそもあの子と会話らしい会話すらしたことないんじゃないの?
西遠寺くんに遠慮なんかしてる余裕ないでしょ? せっかく珍しく自分から参加したんだから、その権利くらい胸張って使いなさいよっ!」
仁王立ちで捲し立てる姉を。呆気にとられた武岡は、ただ眺めていた。
「―――きーてるっ?」
「…わ、わかってるよっ…っ!」
内容は入って来なかったけど、姉の言いたいことは大方想像がつく。
納得してなさそうな姉の背中を押して、廊下へ突き出した。バンっと、さっきの姉よりも乱暴にドアを閉める。
「…………」
(そーだよな…おれが勝ったんだし…)
「――まったく、世話のやける弟だこと! 図体ばーっかでっかくなって…」
閉ざされたドアの前でまだ仁王立ちで腕を組む。
(あの西遠寺くんにひとつでも勝てるとこがあったんだから、もっと自信持てばいいのに…)
「ねーちゃん!」
「わぁっ!」
「…あの、ちょっと相談なんだけど」
こんばんは、杏です。お読みいただきありがとうございます!
おやっ?彷徨くん全く出番ナシですねぇ〜。
武岡くんのお姉ちゃん登場。彼の名前も、お姉ちゃんの名前も出すつもりがないので、書き方に悩みました。。
こんな回はなかったはずなんですが…例の三太くんのとこで順々に圧してきてしまって、お誘いの電話までを2話に入れたかったのですが、それができなくて…。
そこでお姉ちゃん登場!で、武岡くんサイドをちょっと掘り下げてみました。
ひとりっ子・男所帯(てゆーか父のみ)の彷徨くんと、女きょうだいのいる彼。
その差が描ければいいな、と思ってます。…となると、必然的にデートのあたりも長くなるだろうなぁ…。
さて、次回はちょっとした衝突が。
今作は一話一話がいつもよりちょっと長めになってますが、いかがでしょう?読みにくくないですか?
つーかもっと早く書けよ!とか?そんなご意見も、しっかりと戴きたいと思います。どんどこぶつけてくださいまし。
次回もまた、よろしくお願いいたします。