作:杏
「…やるじゃない、ワンニャー」
「いやいや、ももかさんのお陰ですぅ。 さぁ、おふたりはどんな顔をして帰って来られんでしょうか…」
咄嗟の作戦は成功を収め、彷徨は今上ってきた来たばかりの石段をまた駆け下りていった。
「たのしみだわ! はやくかえってこないかちら! ねっ、ルゥっ!」
「あーいっ! ぱんぱっ、まんまぁ〜っ!」
ルゥの手の中に、ころんと蝉の抜け殻をひとつ残して。
◇◇◇
「――ごめんね、おれらが勝手に決めた賞品に付き合わせちゃって」
「ううん、ビックリはしたけど…得しちゃった気分だよ。 ありがとう」
夏の夕刻。まだ空も明るく、武岡としてはまだまだ一緒にいたい時間だけど、二人は平尾駅に降り立った。
肩をすくめて笑う未夢の可愛らしさには、丸一日隣にいても耐性がつかない。
そのせいで何度、会話を途切れさせただろうか。込み上げる熱を堪えることで精一杯。
これ以上長くいると身が保たないと、後半の動物は少し足早に流してきたから、帰路につくのも早くなった。
「送るよ」
姉のプランでは、もう二本あとの電車に乗るはずだった。もう薄暗いし、と繋げる予定のセリフも、やむなく変更。
「でも、まだ明るいし…」
青い空はほんのちょっと薄い色になったかもしれないけど、十分に青い。遠慮がちに両手を左右に揺らす未夢に返す言葉がなかった。
「……えっと、その…、もう少し、光月と話したいし…」
「えっ…?」
武岡が絞り出した本音に、未夢は少し頬を赤くした。
信号を待って、人の波に乗る。どちらにしろ、もうしばらくは同じ道。
(…な、なんだか見られてる気がする…っ)
知っている場所に帰って来た途端に、未夢は無性に周囲の目が気になり出した。
デートをする自分をみんなが知っていて、遠巻きに観察されているような気分。動物園にいるときよりずっとボリュームを絞った会話だって筒抜けな気がして、ちゃんと返事ができなかった。
そんなこと、ある訳がないのは頭ではわかっているけど。
バッグの持ち手を両手でぎゅっと握りしめて、俯いた。目線だけをそっと動かして、周りを窺う。
「…じゃあさ、途中の公園、寄っていかない? もう少しだけ、おれに時間くれないかな」
「こうえん…?」
キラキラと舞う水しぶきをバックに、武岡が未夢を覗いた。未夢もそれなら、と顔を上げる。
家まで送られるのはやっぱり避けたかった。賞品であったデートは当然知られているけど、二人でいるところを彷徨には見られたくない。
「そうだね、まだ時間あるし……」
駅前の広場は噴水の水音が涼しげに鳴っていた。
その中央で時を刻む針がカチリと動き、吐き出す水が止むと、遮られていた向こう側の景色が顔を出す。
(…え……っ)
「―――未夢っ」
早く逢いたくて、今は会いたくない人物と目が合う。
自分を呼ぶ声が聞こえた。
きっと周囲を気にしすぎたせい、水音の余韻。耳鳴り、幻、噴水の悪戯。
思いつく限りの言い訳を、未夢は自分の目と耳に言い聞かせる。
「西遠寺…なんで……」
振り返った武岡にも聞こえていた声。未夢から目を離さない人影は、幻ではなく本物だった。
「か、なた…? ……っ!」
彼を認識した未夢の頭は、身体中の血を沸かせる指令を出す。
他の男の子とデート中の自分を見られた。言葉にならない羞恥が未夢を襲う。
行き交う人は流れ続ける。三人はその障害となり、それでもなお動かない。
沈黙を破ったのは、また空へ跳ねた水だった。
「……未夢、こっち」
それに弾かれたように未夢に歩み寄った彷徨。武岡が動けないうちに、その横を難なくすり抜けて、未夢を攫ってしまった。
「―――ちょ、ちょっと…っ!」
「…いいから、座れって」
手首を掴んで未夢の背後に数歩。広場の脇にあったベンチに彼女をすとんと引き下ろす。
「動物園にこんなもん履いてくんじゃねーよ」
ぽいっと足下に放られたのは、未夢のサンダル。かかとの高くないそれを、彷徨はそのまま手にしてきたらしい。
「……! なんで…?」
「何が?」
彷徨はしれっと腕時計を確かめる。未夢の方は見ない。
(武岡くんも気付いてないのに…)
今日一日、武岡が頑張ってくれているのは未夢にもわかった。
だから迷惑をかけないように、長く歩いて足が痛くても、少し歩くペースが上がっても、黙っていたのに。
このミュールの存在さえ知らないはずの彷徨に、どうして見抜かれてしまうのだろう。
「靴擦れ…?」
呆然と二人を見ていた武岡にもやっと状況が呑み込めてきたようで、まだミュールを履き換えようとしない未夢の足下にようやく気が付いた。
「――ごめん! おれ、全然気付かなくて…」
今朝会ったときには、未夢の目線がいつもより高いことに気付いていた。
だからこそ、姉の助言以上に歩く速度には気を配ったつもりだった。なるべく休憩も促した。
けれど、それで長時間動き回ると、どうなるか。そこまで考えが至らなかった。大丈夫だと言ってくれる未夢に甘えていたのかもしれない。
「あっ、ううん! こんなの履いてきたわたしが悪いの! 大したことないから、気にしないで?」
痛々しく血が滲む足を晒した未夢が、それでも笑ってくれる。今日、何度もドキドキとさせられた笑顔に、今は胸が痛むばかり。
「…なぁ、未夢。 おまえ、いくら持ってる?」
未夢が足元を安定させるまでを、武岡はただ見ているしかできなかった。
痛い沈黙。彷徨に怒られでもした方が、まだ楽になりそうだ。そう思った矢先に降ってきたのは、嫌味でも怒号でもなかった。
その意図がわからないようで、未夢は彷徨を見る。目線が交わされたところで、彷徨が繋げた。
「タクシーで帰る。 バス、行ったばっかだし」
「ちょっ…ちょっと! 自分のお金はっ!?」
「……。 それしか持ってきてねーもん」
そう言った彷徨は、何も持ってない、と示すように両手を開いて見せる。
それから、駅のタクシー乗り場を指差して。最後に武岡を見やってから、そちらへ向かった。
「…すげーな」
「えっ?」
「財布も持たずに、ホントにそれだけ持って飛び出してきたんだ。 高いの履いてったってだけで、あとのこと全部考えて」
(たぶん、光月がおれには言わないことも…)
投げられた視線。自分が何をしたいかも、見通されている。
わかっていて、彷徨は遮らなかった。“賞品”の邪魔はしないということだろうか。
「で、おれに時間くれるほどの余裕? ……完敗じゃん」
「たけおか、くん…?」
未夢は神妙な顔で武岡を見上げる。苦笑した武岡は、意を決して、深呼吸。
「…おれ、光月に伝えたいことがあったんだ」
ドキリとした。改まった雰囲気に、未夢にも緊張が伝染する。
息が詰まりそうな空気と、すっと頬に熱をもたらした予感に、一度俯いて。武岡の真摯な視線に合わせて、立ち上がった。
杏です!予告どおりに上げられました!
日付的には過ぎてますけどっw
捻りのないサブタイトルですが、、割と気に行ってます。
でも、アオリっぽくはないですね。。
次回、最終話!…予定!
ホントはタイトルにちゃんとひっかけてラストを迎えたかったのですが、断念です。
ラストまで、二人は触れ合わないようにしたかったのよぅ〜。あーあっ。
力が足りない…ッ!
あ、そういえば。みなしゃん、地震は大丈夫でしたか?
私の住むところは震度3だったそうです。久々に体感しました。あ、被害はないですよ、大丈夫です。
親戚が白馬や小谷にいまして、家が全壊や半壊と聞きました。それでも、どなたにも怪我がなかったのが幸いです。
何かお手伝いが出来るのであれば行きたいところですが、道が無事かもわかりませんし、何も出来ない現状です。
かの大震災からまだ数年。直後は“明日は我が身”と思ったはずが、やはりどこかヒトゴトだったと痛感しました。揺れていても、楽観視した部分はありましたもん。
何より、直前にスマホが鳴ったことにビビった私でしたが。
雪深い地域。一日でも早く元の生活が送れるようになるといいのですが。
祈るばかりです。
脱線な上に長くなりましたが、次回もよろしくお願いします。杏でした。