残暑見舞いに西遠寺

第九話

作:

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『……透けてる』
俺が飛ばされたのは過去の西遠寺だった。おそらく、母さんが死んで間もないころだろう。
千代ばぁや佐和子のように、自分の身体が透けていることに気付く。無意識に、小雨の降る空にかざした手。その向こうに薄暗く変わろうとしている雲が見えたから。
そして、その雨が当たらないことに、…身体をすり抜けて落ちることにようやく気がついた。



きっと、この世界の人間には見えない。千代ばぁたちに言われた訳じゃないけど、なんとなくそう思った。
見えたらどうしようか、なんて微塵も考えずに。俺は母屋に向かい、3歳の俺を昼寝させてるオヤジの前に立った。

『やっぱ、見えないんだな』
眠る俺を見つめたまま微動だにしないオヤジを見て、確信する。特に驚きはしない。
うちに宇宙人がいるせいだろうか。…いや、未夢がそうじゃないあたり、元来の性格のせいもあるだろうけど。
ちょっとやそっとのことじゃ慌てなくなってた、…けど。

ふ、と顔を上げたオヤジが目を見開いたから、驚いた。こんなんだけど…一応、寺の住職だし。千代ばぁたちも見えてる訳だし。
(…やべ)
『あ…、えっ……と…』
確信が崩れて、焦った俺は何を言っていいのかわからずにうろたえた。
だけどオヤジが見てたのは、俺の向こう側だった。


「瞳……!」



『えっ…!?』
俺は振り返った。身体があったらぶつかりそうなくらい至近距離に、母さんが立ってた。
俺の布団を避けて、オヤジが這うように母さんの前に出ようとしている。
「…ほ、本当に瞳か…!?」
足がもつれて、小さな子供用の布団を挟んだ畳一枚分の距離が、なかなか進めないでいる。
ルゥやワンニャーに会っても、時空の歪みに巻き込まれても、大した驚きを見せなかったオヤジが。驚愕していた。
『オヤジ……』
どうにか脚を動かし、俺をすり抜けて、母さんとの間に座り込んだ。母さんはさっきから、ただ笑っているだけで、何も言わない。

「…宝晶、彷徨はわしらが見とる。 ―――行ってくるがいい」
千代ばぁが突然、俺の枕元に現れた。母さんが、千代ばぁに笑いかけてから、本堂に向かう。
オヤジにその声が聴こえているのかいないのか、わからなかった。返事もせずに、千代ばぁを見ることもせずに、ふらふらと母さんを追って行ったから。



「佐和子。 …見届けて来い」
「………はい」
母さんとオヤジが出て行ってから、佐和子がタマと共に姿を現した。
「な―――ご…」
真っ直ぐに千代ばぁを見据えて返事をした佐和子が、涙を溜めていた。流れた一筋を手の甲で払いのけたけど。
『佐和子…?』
それっきり、溢れ出る涙を拭うことをやめた。服の裾を掴みしばらくそこに佇んでいた佐和子は、タマの鳴き声に促されて、消えた。

「本当に…これでいいのか? 瞳…」
いつも飄々としている千代ばぁが、噛みしめて呟いた。俺はよくないことを予感せざるを得なかった。
『―――追うか…』





「ひとみ…瞳じゃな…!? 良かった! おまえが見える…! ワシは今ほど、この力をありがたく思ったことはないぞ!」
秋雨が静かに降っていた。追い付いた俺が見たのは、戸を開けずにその中に消えようとしている母さんと、その手を掴もうとしたオヤジだった。
「…ひと、み……」
『………』
オヤジだって解ってはいるはずだ。触れられないことくらい。すり抜けた自分の手を見つめるオヤジが言葉を失っていて、俺は思わず目を背けた。
母さんはすでに本堂の中。微かな鈴の音に視線を戻すと、その戸の傍らに、俺はタマを見つけた。

「――瞳ィ!」
両の引き戸を勢いよく開いたオヤジには、きっと母さんしか見えていないのだろう。本堂の真ん中の母さんに、一歩、二歩と近付いて…足を止めた。
「瞳……瞳………よう…よう戻ってきてくれた…!」
手の届かないギリギリの距離で自分を制したように、俺には見えた。
でもやっぱり、手を伸ばすのを止められないらしい。触れた感触も温度もないであろう母さんの頬に、オヤジの手が重なる。
「宝晶さん……」
『―――!』

朧気に残る記憶は曖昧な映像しかない。初めて、母さんの声を聴いたのに、ひどく懐かしく思えて…ここの気温は全く感じないのに、身体の内から喉に上る熱を感じた。
溢れないうちに呑み込んで、自分を誤魔化すようにかぶりを振った。

「きっと…、きっと彷徨にもおまえが見えるはずじゃ! そうしたら、肉体がなくとも何も変わらん! ワシのそばに…ここに居ってくれるな…?」
適当で行き当たりばったりで、言葉も生き方ものらりくらりとしたオヤジが、こんなに真剣に、必死になってるのは初めて見た気がした。


……けど。俺はその結末を知っている。
母さんは“今”、いない。今どころか、俺は一度も見たことがない。仮にオヤジだけが見えていたとして、それを今まで隠し通せたとも到底思えない。

『別れに来たんだ…』

それを解ってしまうと、母さんに縋るオヤジが憐れに見えてきた。
悲しそうな目でオヤジを見る母さんが今からつくる経緯を、俺はじっと待った。




『…!』
半分透けた身体は、床に立った感触すらなかった。外の熱も風も感じない。
唯一感じるのは自分の持つもの。知らず、力が入っていた拳に絡みついた別の感触に驚いた。
『――未夢!?』
俺と同じように向こう側の見える未夢が隣に居た。

『…ごめ、ん……っ』
何に対しての謝罪かわからなかった。いつから居たのかも。
たぶん、俺と一緒にここへ来て、何処かでずっと見ていたんだろう。俺の独り言も聴いていたのかもしれない。
いつもは俺より冷たい手をしてるくせに、ボロボロと涙を流す未夢の手は熱い。
『うん……』
俺もわからない返事をする。そうするのが当たり前のように、その手を繋いだ。



「違うの…。 違うのよ、宝晶さん…」
ついには泣き出したオヤジに、母さんは静かに首を振った。口元に薄く笑みを浮かべて。
「…いってしまうのか……?」
問いかける言葉とは裏腹に。オヤジは母さんより力強く首を振った。
「…わたし…幸せだったわ…。 あなたと共に居られて…彷徨を産んで……。
 もっともっと、一緒に居たかった…」
「おればいいではないか、一緒に……っ!」
母さんは一層、笑った。困ったように、少しだけしかめた眉を下げて。そして、やっぱり首を振る。
「見えてしまうから…。 あなたも、…きっと彷徨も。 わたしが見えてしまうから。 だから、お別れをしに来ただけよ。
 彷徨を……よろしくお願いします」
「瞳…!」
オヤジに合わせて膝をついた母さんを…その空間を、オヤジは抱き込んだ。
未夢の手に力が入る。熱すぎて、汗ばんできたのにも構わずに、俺も握り直した。

「何故じゃ…! 何故……」
続きは言葉にならなかった。

何故。
死んでしまったのか。ここに居られないのか。わざわざ別れを告げに来たのか…。



母さんは多くを語らなかった。
数えるほどの言葉だけを交わして、いってしまった。
ただ。その笑顔は、幸せそうだった。





「瞳――――……!」











◇◇◇


「…―――おお、帰ってきたか」
「あの子、いつの間に巻き込んじゃったのかしら…?」


「もう少し話すことがあったんじゃが…」
「しばらく待ってあげましょう? ゆっくりでいいわ…」




繋いだ手は離さないまま、時折しゃくり上げながら涙を流す未夢を片腕で抱き寄せていた。
その熱に触れたら。
俺の内側でずっと溢れかけていたものも、引き寄せられるように沸き出した。




こんばんは。杏です。
もうひとつ…!次で最終話です。
長かった…。。これで糸が切れたので、最終話は近々にします(><)
山場はこっちになりそうなので、ちょっと気が抜けそうです(笑)

これは…いちいち表現に悩む。
なんだかいつもより精神力使うお話になっちゃった…。
読んでくださる方に変な伝染しなきゃいいのですが(^^;
あとがきも、最終話に総括ガンッと長く書こうかな。
こっちが長いって、結局お話の中に表現出来てないってことじゃないか!?と最近気付いて凹み中。。
表現力が欲しい…。

ではでは、次回もよろしくお願い致します。
ご覧戴きありがとうございました。

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