残暑見舞いに西遠寺

第十話

作:

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「うぇっほん! そろそろええかのう? 彷徨」

息を詰める悲しみが涙の波と共に退いてきたときを見計らって、千代が大袈裟な咳払いをひとつ。
その滴が跳ねそうなほど勢いよく、彷徨が未夢の肩を押し剥がした。
「千代ばぁ、佐和子! いるんならそー言えよ!」

「邪魔しちゃ悪いかと思っての?」
「気を遣ったつもりよ?」
「……っ!」
着物の袖を添えた口元がにやけるのを隠しきれない千代の様子に、余計に彷徨の頬が染まる。
佐和子の目なんて、あまりに生温かくて。憮然と押し黙るしかない。

「――――……」

「お嬢さん、わたしたちが見えるのね?」
誰もいないほうに顔を背けた彷徨の隣で、彼らの様子をじっと見ていた未夢。
未夢がいるからこその応酬だけど。彷徨さえもその存在を一瞬忘れていた。
「! …見えるのか? 未夢」
未夢に気が付いて、掴んだままの小さな手に気が付いて。さり気なくそれを離して、未夢に向き合った。
「あ、あれっ!? 消えちゃった…!」
「消えた?」
「…聴こえてないのかしら?」
「見えてもおらんぞ?」


不思議そうな彷徨に返事をすることもなく、千代たちの方向から目を離さない未夢。
見えていないらしいとわかったのは、すっと近付いた千代が未夢の眼前で手をひらひらと遊ばせていたから。
「……未夢? おい、未夢っ」
隣から、腰を折って覗きこむ。無反応なその手首を掴んだとき。
「――きゃっ!」
彷徨を仰いだあと、ようやく目の前で振られていた千代の手に気付き、遅れて仰け反った。
「おお、見えたようじゃの」
「彷徨の力が伝わってるみたいね?」
「俺の…?」
「初めまして、お嬢さん。 昨夜は怖がらせてしまってごめんなさいね」
中途半端な予想を解説することもなく、佐和子は未夢にニコリと笑顔を向ける。
まだ事態を把握しきれていない未夢が彷徨をもう一度振り仰いだけど、彷徨は黙って首をすくめてみせた。
掴んだ手が離れないように滑らせて、繋ぎ直す。
「な―――ご…」
「猫……? あ――――っ! 昨日の!」

「…今朝もな」
「けさ?」
きょとんと傾げた首に倣って、髪が肩から落ちた。

「彷徨に怒られちゃったわ。 あんまりあなたを怖がらせるから」
「ほほっ、怖がらせたほうが役得じゃないかの〜?」
「やく…??」
「……余計なお世話だって」
ぱちぱちと瞬きを繰り返す未夢。解っていない様子に彷徨は少しだけほっとした。
わかってないってことは、あの言葉の矛先が自分だと、まだ思っているのだろうけど。
(ま、それはあとでいいか…)
この事態を前に、今朝のことを忘れているのか、未夢は今いつも通りだから。
「えっと…ゆ、幽霊さん、ってこと、だよね…?」
「ま、この世のモンはそう言うな」






黙り込んだ未夢を、千代と佐和子は待っていた。
ぱたり、ぱたりと。長い尻尾を地に打ち付けカウントをとっているようなタマは、あくまで我関せず。
彼女らの思惑はわからないけど。彷徨も黙って未夢が追い付くのを待つしかなかった。
一緒にあの過去を見た以上、そして今千代たちが見えている以上。もう誤魔化しはきかない。


「あの…ずっと、ここに居たんですか? わたしが来たときも…」
「いいや、戻ってきたり別のところに行ったり、の。 ずーっと居った訳ではない」
「俺も姿見たのは8年ぶりだからな。 小さい頃はいつも居たけど、いつからかパッタリ姿見せなくなってさ」
「さっきの、おばあさんたちが…?」
自分の数倍、慌てたり驚いたりはするけど、素直に事態を受け入れられるのが未夢だと、彷徨は思う。それこそ、同居宇宙人のおかげかもしれない。
今も。
他の人間なら数え切れないほど出てきそうな疑問をあれこれ並べたてることもなく、すとんとその胸に彼女らを招き入れた。


「そうよ。 いつか真実を彷徨に伝えるのが、瞳ちゃんとの約束だったの」
「「約束?」」
「彷徨が疑問に感じるのは瞳も気付いておったからな。 …いや、自分が居なくなる時にはそうすると、決めておった。 遺していくおまえと宝晶のためにな」
「…………」
未夢は何か言おうと口を動かした。けれど言葉は出てこず、代わりに落ち着きを取り戻していた涙腺がまた働き出した。
視界が滲む。


「………んで…」
「かなた…?」
「なんで、今さらなんだよ…!」
ぎゅっと、繋いだ手が痛いくらいに握られた。
手と、声が。
震えているのはその力のせいか、こぼれそうな涙のせいか。
握り返した自分の手も震えている気がして、未夢はもう一方の手を添えて包んだ。

「三つのおまえさんには理解出来んかったじゃろう? それに、“今”を指定したのも瞳なんじゃよ」
「今……? じゅう、ねんごって、…こと、っ、ですか…?」
ようやく絞り出せた声で訊ねたのは未夢だった。
同時に、涙の筋が乾きかけていた頬を伝った。

「きっかけはお嬢さん、あなたよ」
「わ、たし…?」
自分を指差して、目を瞬く。隣の彷徨からも驚いたような視線。
両目から大粒の涙がまた、落ちた。



「そう…。 『わたしのところに赤いお花を届けてくれる子が現れたら。 そしたら彷徨に真実を伝えてほしい』。
 それが瞳ちゃんとの約束だった」
「赤い、花…?」
彷徨が呆然と繰り返す。隣で未夢がはっと息を呑んだのがわかった。
「心当たりがあるな?」



「―――カーネーション…。
 母の日にママに送って、ここにも、…彷徨のお母さんにもお供えしたの…」
千代に訊かれて頷いた未夢。
お墓に赤いお花なんてどうかとは思ったんだけどね、と涙の残る瞳で上目遣いに見上げる。
涙が撥ね返した暑い太陽の光が、一瞬だけ彷徨の視界に細く鋭く刺さる。
それでも動かない彷徨の顔色を窺うように。今朝の言葉も思い出して、未夢はしゅんと眉を下げた。
「…ごめん、勝手なことして」
「………あぁ、いや…」
(いつの間に…?)
彷徨には縁のなかった母の日。ただの日曜日でしかないその日、自分が何をしていたかも思い出せない。

「…サンキュ」
空いていた手で、未夢の頭に触れる。くすぐったそうに目を閉じた未夢が、溜めた滴を落とす。
自分の目元も濡れていることにはっとして、ゆるく手を動かしながら顔だけ背けた。



「…で! なんでそれがきっかけなん…」


「その子とはきっと、長―――いお付き合いになるから」
「大切なモンができたとき、おまえさんはやっとこさ正面から瞳と向き合える。 瞳はそう思ったんじゃろ」
「その子は瞳ちゃんのことも大切にしてくれる。 もちろん、宝晶さんのことも。
 そして、わたしたちのこともきっと、受け入れてくれる。 瞳ちゃんはそう言ってたわ」
「な――――ご…」
「これからは、もう少し頻繁に顔を出そうかの?」
「そうね。 今度は彷徨から未夢ちゃんを守らなきゃですもの」
「ほっほっ…随分な言い方をされるようになったのう、彷徨」

最後まで言わせてもくれない。両の耳元で、交互に絶え間なくハイペースな会話がなされて。
言うだけ言ったら、満足したように笑って、彼女らは姿を消した。

「…………。 絶対それだけじゃないだろ…」
久しぶりに出てきたくせに、変わらない。いつもこうだ。
肝心なことは全部オブラートに何重にも包んでくるんで、曖昧にして。
ヒントだけを残して、自分がどうするのかをきっとどこかで見ているのだろう。

(まあ…、今回は話してくれた方か…)


「彷徨の…」
「え?」

「…彷徨のお母さんとおんなじだね? おじさまと、たくさん話した訳じゃないのに。
 ふたりとも、言葉にしなくてもわかってるみたいだった。 彷徨も、わかってるんでしょう?」
「………」
柔らかい笑顔を向けた未夢は、ぱっと手を離して瞳の前に座り込んだ。しばらく手を合わせて、そのまま、見上げて。
「なんか、いいなぁ! 阿吽の呼吸ってやつ?」



「あら、あの子だって十分なのにね?」
「気付かんのがあの娘っこの良さなんじゃないかのう?」
「そして彷徨がこれから苦労するところね。 楽しみだわ…ねぇタマ」
「な―――ご…」


fin.




こんばんは、杏です。
大変遅くなってしまいましたが、なんとかとりあえず完結しました。
お読み戴けて嬉しいです。お待たせしてしまって申し訳ありません(><)
ワンニャーは番外で…書きたいですね。希望。うん、あくまで希望です。

ラスト長い…。六話くらいから、上手くまとまらなくて悩みました…。
脳内アニメは良い感じだったのに!

あとがきまで書く気力がない…。ここだけまた編集するかもです。そう、“かも”です…。
次はプールを完結させてーの、短編いくつかやりたいです。
ご意見ご感想、お寄せ戴けると嬉しいです。
最近ラブラブ(なお話)に飢えてる気がするので、甘いの書きたい。あっまあまなやつ(笑)
ベタにすれ違うのとか。
…あんまり宿題課すのはやめときます(^^;
次回もよろしくお願い致します。ご覧戴きありがとうございました♪

2014.09.20 杏


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