作:杏
まだ4月に入ったばかりで肌寒い雨の夜。
俺は近所の銭湯に向かいながら、隣で上機嫌な元凶を睨むように見上げた。
「…ったく、わざわざ未夢を怒らすよーなことするなよ…」
「? ミユ、怒ってたデスカ? Why?」
「…そりゃあ、おまえ…」
前は俺も“幼児体型”とか、よく言ってたけど。いつだったか、未夢が本気にしてると気付いてからは、言わなくなった。
それをこうもまぁ、悪気なく言われるとなぁ…。
「……ペチャパイは、slenderのホメコトバでショ?」
俺に満面の笑みを向けてそう言ったアレックス。俺が感じとったのは、その音に相容れぬ悪意。
「…おまえ、わざとか」
「カナタ、知らないんだネ」
「何を」
「…ミユのコト」
足を止めた俺たちを、雨音だけが覆った。
笑顔で、笑っていないその目の奥が俺に訴えかける。
「…ボクの好みじゃないケド、ホシイなぁ、ミユ。 カワイイじゃない! She’s so cute!」
想像通りの言葉を口にした。
誰がやるかよ。
要求する手を差し出さんばかりのアレックスから視線を行く先に戻した俺は、銭湯へ向かう道をまた進み出した。
「おまえが欲しいのは未夢じゃなくて、“俺のもの”だろ」
「Ah−ha……バレた?」
「当たり前だ! 昔から変わんねーな」
ガキの頃から、兄貴のように慕ってくれているのは嬉しいことのはずだけど、そのせいか俺の持ってるものを何でも欲しがった。
食べてるもの、本やオモチャ…その究極がこれか。
「他のものは譲れても、あいつだけは譲れねーよ」
「Hahaha〜ジョークじゃない! ツレナイなぁ〜。 ミユもコワイけど、カナタはもっとコワイね!」
「…そーか? 未夢の方が怖いと思うぞ? 頼むから、これ以上怒らせてくれるなよー」
欲しいと言ったのは嘘じゃないけど、だから何かするとも思っていない。未夢に対して、“like”以上の感情を持っていないのもわかっている。
だから。…他の奴なら、とっくに刺してそうな感情に駆られているはずなのに、こいつにはそれはないし、どこか憎めない。
兄弟みたいなもんだからだろうか。
仲の良い兄弟でも、女の取り合いは起こり得るなんて、ひとりっ子の俺はそのとき微塵も思わなかった。