すぷりんぐ すとーむ

襲来

作:

←(b) →(n)




(―――いや……彷徨…っ!)

わたしを映す彼の瞳が、頬に触れた手が、大きな身体が、こわいと思った。こわくて、こわくて、叫んだはずなのに、喉の奥から音は動かなかった。
固まりかけた身体で少し後退りしたわたしの膝に、彼の手のひらが包むように乗せられる。

「ボクはglamourな方がコノミなんだケド…デモ、ミユはカワイイしね。 なんたっテ、カナタのカノジョだし」
耳元の言葉に怒る隙もなかった。そこに唇が触れる音に、かき消されて。

(…彷徨……)

目に映す襖が、お風呂に向かった彷徨の音を早く連れ戻すことだけを願った。
近過ぎて視界にも入らない彼が耳元で何を囁いていたかなんて、わたしには聞こえてない。

「かな、た……。 ―――ッ!!」

ようやっと、喉の奥で恋人の名前を小さく呟いたとき、ももを滑ってきた手にわたしは全身で驚いた。









「そこまでだ、アレックス…」

「カナタ!?」

たぶん、その瞬間、だったんだと思うけど。わたしには長い一瞬だった。
待ち望んだ声は、いつもより低い。静かに彼を制止した彷徨は、開けた襖に手をかけたまま、わたしたちを見下ろしていた。

「ハヤイですヨ、カナタ! ソーユーノ、カラスのギョーレツってユーんですヨ!」

(……カラスの行列? …あぁ、行水、ね…)
そのときわたしは、…彷徨が来てくれた安心感かな?さっきまで真っ白だった頭で、なぜか冷静に事を眺めていた。
慌てる彼から、彷徨は視線を外さない。その表情は、怒っているような、…でも無表情に近くて。
ただ、その目の力だけで彼を威圧しているようだった。

「―――俺、言ったよな? こいつだけは譲れないって」

先に目を逸らしたのは彼。それを待っていたように、彷徨はふっと息をついて、今度はあからさまに彼を睨みつける。
苦笑いの彼がようやくわたしから手を離した。
「…それに」




「おまえが欲しい女じゃないやつを抱いて、何になる?」

「そんなコトないよ? ボクはミユが欲し…」
「おまえが欲しいのは未夢じゃない。 俺の女なら誰でもいいんだろ? …そんなんじゃ、味見させてやる価値もねーよ」

させる気もないけどな、そう小さく繋げた彷徨の口元には、余裕の色が見えた気がした。彼の方が不服そうに唇を結んでいる。
わたしは……彷徨の口から聞いたことのない言葉たちが出てくるのについて行けず、ずっと固まったままだったんだと思う。


「…そろそろ離れた方が、身の為だぞ? アレックス」
彷徨がそう言って時計を見上げた。
意味のわからない言葉に彼が目を瞬いて首をかしげた。…と、ほぼ同時。

ピンポーン



こんな時間のチャイム。彼が来たときのように一度だけなったそれは、すぐに廊下を走る足音に変わった。

「アレック――――――ス!!!」


彷徨の隣に、その人が姿を見せた。彼を呼ぶ小柄な女のひと。

「Alex! 彷徨くんに迷惑かけちゃダメだって、あれほど言っ……!」
「…ハハウエ!」

母上?ってことは、ママ?日本人、だよね?

「…な……っ! 何やってんねん、アンタはッッ!!
 ヒトサマの彼女に手ェ出すようなオトコに育てた覚えはないでっ! 今日はアタシと一緒にホテルや! 帰るで!」
「ハハウエ! 待って! ボクはカナタのものが欲しかったダケ…っ」
「なぁ〜に情けないことゆーてんねん! いい加減、彷徨くんの金魚のフンは卒業せェ!
 ごめんなぁ、彷徨くん。 今日はとりあえず連れて帰るから、また明日寄らせてもらうなぁ」
「いえ…、ご無沙汰してます。 こっちこそ、急に来てもらってすみません」
「エエってぇ〜。 ほな、今晩は彼女さん構ってやってな? 彼女さんも、ごめんなぁ〜ほななぁ〜!」

早口でうわーっと捲し立てていった彼のお母さんは、小さな身体で大きな彼を引きずるように連れて、帰って行った。

ものの2、3分の出来事。
わたしは目を白黒させているしかなかった。



←(b) →(n)


[戻る(r)]