作:杏
「すぐ戻るから」
「うん、待ってるよ。 かぼちゃ買いに行かなきゃだし」
久々に見た制服姿。スニーカーを履いて立ち上がった彷徨が、未夢に手を伸ばす。
「ん。 俺のカギ、預けとくから。 うちから出るなって訳にもいかないだろ?」
うちでのんびりするにしろ、出掛けるにしろ、別行動の予定なんてなかったから。未夢の使っていたカギは仕舞ったまま。
「ありがと」
「行ってらっしゃ〜い」
こうなったら、1分1秒でも早く終わらせて帰らなければ。ニコニコと手を振る未夢に、後ろ髪ひかれる思いで、彷徨は石段を下りた。
「…さてと、行っておいでよとは言ったものの、ひとりでどうしますかなぁ」
振り終えた手を突き上げて、伸びをする。
住んでいたころは、家事なり、自分の部屋で雑誌を読むなり、ルゥと遊ぶなり、何かしら時間をつぶす方法はあったのだけど、今は何もない。
「ん〜〜〜タイクツですなぁ〜」
ルゥとワンニャー、そして自分が居た去年の夏と、変わらない空気。それが嬉しくて、少しだけ、寂しい。
門の前で勢いよくまわれ右、本堂を見上げた。
「へへ、散歩しよっと」
「お昼は何かあるのかなぁ〜? なかったら買い物にィ…おっと、ケータイ! 誰だろ〜?」
ふらふらと境内をまわり終えた未夢が、冷蔵庫を開けて食材を探していると、持ち始めたばかりの携帯が鳴った。小さな画面に、最近見知った名前。
「はーい!」
「うん、特に何も…大丈夫だよ! …………えっ、今から? 今からだと…3、4時間かかっちゃうんだけど……」
嘘をつこうとしたつもりはないけれど、口から出たのはえらく大きな数字。本当は、長く見積もっても2時間半。
「…うん、わかった。 じゃあ、……うん、駅前のコンビニね」
「―――仕方ない、帰りますかぁ…」
まだ、彷徨とゆっくり話もできてないのに。待ってるって言ったのに。
片付けるほどもない荷物をまとめて、未夢は玄関に立った。
◇◇◇
『はい、光月です』
「…どうしたんだよ、急用って」
『彷徨! ごめん…、今日、塾の日なの忘れてて…』
結局、翌日の分も仕事をこなしてきた彷徨が、未夢と連絡がとれたのは夜。もらった携帯の番号ではなく、自宅の方に、初めて電話をかけた。
「塾…?」
『で、でも、水野先生に会えてよかったよぉ!
生徒会室なんて覚えてないし、ホントは下駄箱に入れてくつもりだったんだけどね、見つかんなくって…』
不可解な単語を彷徨が繰り返していると、遮るように話は変えられた。
「うん…。 先生も喜んでたよ、久し振りに未夢の顔見れたって」
『電車の時間ギリギリだったし、ホント助かったよ〜。
…あ! そうそう、浴衣だけね、そっちに置いてきちゃったんだぁ。
昨日は着てったんだけど、電車で持って帰るの大変だし、今度、パパの車で取りに行くから、それまで置かせて?』
「あぁ、急がなくても、今年はもう着ないんだろ? 未夢の部屋に仕舞っとくよ」
頬が緩む。もうそこに暮らしてはいないのに、“未夢の部屋”と言ってくれる。
『…ありがと、彷徨』
短い通話を終え、ソファーにポスっと子機を放り投げた。静かな家。今日も、誰も居ない。
ピリリリリリリ…
今度は高い音を響かせた携帯に呼ばれた。ディスプレイを見た未夢は、顔をしかめて携帯もソファーに投げる。
クッションの隙間に埋もれた携帯は、しばらく苦しそうに鳴り続け、やがて、諦めた。
これで一区切り。夏休み編が終わりました。
次回、○○○編では、あの子が登場。
また次回、お待ちしております。