作:杏
『西遠寺先輩! 好きです! あ、えっと、自己紹介させてください!』
『……は?』
『え?』
『…いや、初めて言われたから』
『だ、だって、先輩、わたしのこと知らないじゃないですか! それなのに付き合ってくださいって、言えないですよぉ〜。
そーゆーのは、これからわたしを知って下さった上で、もし!…もし、わたしに興味をもっていただけたら、そのときに、考えていただければいいので』
(…変な奴)
1年生。この間までランドセルを背負っていたこの少女が大人びて見えた。いつもなら、お決まりの用件を聞いて、自分も決まりきった返事をして、とうに背を向けているはず。
『…いーよ、聞いてやるよ。 自己紹介?』
『…は、はいっ!』
『その代わり、ひとつ訊きたいんだけど』
『はい……?』
『俺がアンタを好きにならなかったら? アンタは俺を嫌いになる訳?』
少女はしばらく、きょとんと目を瞬いていた。
『…好きになってもらえないから嫌いになるなんて……出来ないですよ』
少女の言葉は、思いがけなく、でもどこか期待していたもので。おずおずと想いを紡ぐ少女の声に、彷徨は聴き入った。
『…例えば、望みがなくて、いつしか諦めて、他に好きな人が出来たとしても、先輩を好きだったことは変わらないですし。
もしそれが恋じゃなくなっても、わたしにとって西遠寺先輩は憧れですから。
カタチが変わっても、…好きであることは、変わらないです。 嫌いになんて、なれません。
…これから先輩を知っていって、気持ちが変わる可能性はゼロではないですけどね?
なんて、失礼ですね、スミマセン』
『…いや』
キーンコーン…
「はい、おしまーいっ! 後ろから集めて―――」
チャイムと、周囲の声にはっとする。期末テストの最終科目が終わった瞬間だった。
見直しを終えてまだ半分ほど残る時間に、彷徨は先日の1年生のことを思い返していた。
あのままテスト期間に入ったから、特に寄ってきたりはしてないけれど。顔を見れば、キチンと挨拶をするから、それを返す程度。
今までの、好意を押し付けてきた女子たちに比べれば、少なからず好感は持てていた。
どこから聞きつけたのか、彼女が入学するときにはすでに居なかった未夢の存在も、いささか知っているらしい。
アキラとの噂も、絶えることなく広がっている。
なのにどうして、と考えると。アキラに続いてこの少女の、女の強さに、負けてはいられないと、思う。
「彷徨ぁ、帰ろうぜぇ〜! …お?」
帰り支度を済ませた彷徨は、ななみと綾の居る窓際にいた。
「めっずらし。 彷徨から寄ってくなんて…。 だからこんなさみぃんだぁぁぁぁっ!」
「…うるさいなー、人の机に乗るなって」
「なぁ彷徨ぁ〜昼メシ食ってこうぜ〜! オレ腹減って死にそうだぁ〜」
「…………いいけど。 俺このまま出かけるから…」
「今日はバーガーじゃ足りねー! ファミレス行こうぜ、ファミレス! 平日に堂々のランチ! これぞテスト終わりの醍醐味だろー!?」
「そんな時間ねーよ。 いーじゃん、バーガーで」
すでに帰宅準備万端の彷徨はさっさと教室を出る。慌てて三太もコートを着て、彷徨を追いかけた。
◇◇◇
「…ふぅ……さむ…」
「―――彷徨!
……ここで待ってれば、会えると思って」
彷徨が降り立った駅のホーム。以前もアキラと会った、乗り換えの駅。
「留守電で済ますなんて、ズルいわよ?」
「会えると思わなかったから…」
「うちも今日から期末なの、って言ってなかったもんね」
マフラーを巻き直しながら笑うアキラと彷徨の間を、人の波と冷たい風が抜けた。
「…ごめん、アキラ。
俺…おまえの気持ちには応えてやれない」
「大事なひと、見つかった? …だから行くんだよね?」
「…あぁ。 決着、つけてくる」
「そっか。 …あーあ、残念だなぁ! そのために帰ってきたのに!」
大げさにおどけた表情で、彷徨を見上げる。
「……ふふっ、ウソよ、冗談。 この前会ったときには、決まってたもんね。
後悔しても知らないわよ? こんなイイ女フっちゃって」
「…自分で言うか?」
いつもと同じ気安い空気は、互いに、互いのために。
滑り込んだ電車が小さく風を起こし、なびく髪が彼女の涙を隠した。
風に流れた一滴は見逃さなかったけれど。見せないから、見なかったフリ。
「じゃあ! …行ってらっしゃい!
もう遅いかもしれないけど? フられて帰ってきても、慰めてなんてあげないから!」
べっと舌を出すアキラに、軽く手を上げる。それを見計らっていたように、ドアが閉まった。
「…ホント、今さら気付くなんて……彷徨はズルいよ…」
過ぎ去る電車の後ろ姿は滲んで映るけど、ちゃんと笑って手を振れたはず。