作:杏
「…守るって、なにから…」
ルゥたちが居る頃は、いろいろあったけど。今となってはそんな非常識な危険は滅多にあることじゃない。
疑問半分のまま返事をしたけど、一体何から守れというのだろうか。可愛くてならないんだと、娘を映す優の瞳が言っていた。
その父の目は、きっと自分がルゥを見ていたものとは、似て非なるもの。血の繋がりとか、仮の親とか、そんなことじゃなくて。違わせるのはおそらく、子が同性か、異性か…ということ。
もっと漠然とした、何とは言えない何かであり、逆に言えば“すべての物事”から、なのだろうとは彷徨も察してはいるのだけど。
それはあまりに輪郭がなさすぎて、つい具体的な何かを捜したくなる。
(…となると、男、か…?)
そっち方面には、確かに疎い未夢。誰にでも愛想振りまいて笑いかけるのは、如何なものかとは思う。
(男…か…)
未夢の通う塾で見た、アイツ。のぞみの話では、未夢に言い寄っているらしい。
「…アイツが、電話のヤツか…?」
未夢が呼んでいた名前は忘れたけど。そんなことは、どうでもいいけど。
「……………」
―――ドンッ
…ダダダダダダダダダッ
「彷徨ぁっ!
いくつタイルを割れば気が済むんじゃ! いい加減にせい!」
宝晶が怒鳴りこんできた風呂場。浴槽に身を沈めていた彷徨の叩きつけた拳の先には、ヒビ割れたタイル。
「………」
「何しでかしたか知らんが、そんなもんに当たらんととっとと謝ってこい! うちを壊す気か!」
「……るせっ! オヤジには関係ねーよっ!」
投げつけた洗面器は、先に閉められたガラス戸に当たって、風呂場に鈍い音を響かせた。
「モタモタしとると他の誰かにとられてしまうぞ〜些細なことでへばっとるおまえなんぞより、もっとイイ男になぁ〜!」
ガラス越しに舌でも出していそうな父に、その焚きつけるような物言いに、余計拳に力が入る。
「………なんでそんなヤツのことで俺が苛々しなきゃなんねーんだよ…」
目をやった壁のタイルには、真新しいヒビの入ったものがいくつか並んでいる。持て余した右の手を、水面に落とした。
◇◇◇
「さーんたー!」
「おー、アキラ〜」
「…あれ、彷徨は? また呼び出し?」
いつもの放課後。校門で待つアキラの元にやってきたのは、三太ひとりだった。
「ああ、みんな懲りないよなぁ〜アキラもだけど!」
「ふふ、女の子はタフなのよっ」
「でもなんか、今日は朝から超不機嫌でさぁ〜。 呼び出した子もタイミング悪いよなぁ〜…」
「ふぅん?」
「その上、光月さんがこっちの高校受けるーなんて噂が入ってきてさぁ〜。 それ聴いた奴らに質問攻めに遭うもんだから…っと、わりぃ…」
「そっかあ、未夢ちゃん、戻ってくるんだ?」
「あ、うん…たぶんだけど」
「そんなに気にしなくてもいいわよっ! これでフェアになるじゃない? あ、でも一緒に暮らすんだから逆ハンデ、かな?」
全く気に留めていないような笑顔でアキラは言う。どちらが言うでもなく、そのまま彷徨を待った。
「三太、そろそろ…あ! 来た来たっ」
揃って目を向けた生徒玄関。待つ二人を知りながら、特に急ぐこともなく彷徨が歩いてきた。
「早すぎじゃねー?」
「そう? いつもより遅いくらいじゃない?」
「秒殺かぁ…」
“呼び出し待ち”慣れした二人には、その用件もおおよその所要時間もわかっている。三太の同情の言葉に、アキラも苦笑の同意。
「…おまえら、勝手なこと言ってんなよ」
ジロリと睨みつける彷徨。でも、三太が言うほど不機嫌そうではない。…むしろ。
「ご機嫌ね、彷徨? 何かいいことあったの?」
「別にー? で、今日はどーすんだ? 図書館?」
「あっオレ、腹減ったからバーガー屋にしよーぜぇ!」
「明日から期末なのにいーのかよ?」
「期末ぅ? 知らねー知らねー! 腹が減っては戦なんて無理ムリっ! 腹ごしらえゆーせーんっ!」
スキップまじりに先を行く三太に、彷徨とアキラが顔を見合わせて続いた。
「ねぇ、彷徨」
「ん?」
「今日の子は何か違った?」
ニコリと微笑む。三太が彷徨の機嫌を見誤るなんてないだろう。ということは、このご機嫌は呼びだされてからのもの。
「そーだな、変な奴だった」
それだけ言って、三太を追いかけた彷徨。楽しそうに口角を上げていたのは、見なくてもわかる。
(…第三のライバル、現る?)
「まさか、ね…?」