物語

町娘が一人 1

作:あかり

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「ルゥ、私、本当は怒っているのよ。どうしてあなたを他の人にそれも人間に託さなくてはいけないの・・・。それでも、あなたが私の隣に立つために望むというからこんな、こんな恐ろしいことをしているんだから。絶対に無事に帰ってこないと承知しないから。」
目を赤く泣き腫らしながら首が据わったばかりであろう赤ん坊を抱きかかえる10歳くらいの女の子。それでも、顔立ちは子供のあどけないものから大人に変わりつつある。
ヘイオゥの町では見かけない顔ではあるものの、早朝の店準備に忙しい町の者たちはさして気にした様子も見せない。
町の中心にある噴水広場。広場から数メートル先にある『cosmos』と掲げられた木製の看板。町にひとつしかない雑貨屋。もうすでに開店準備が整った様子で、店先のカゴには焼きたてのパンが並んでいる。朝食にと買いに来る客がいる様子で、何人か出入りしている。
少女は、看板と客応対をしている黄金色の柔和な顔をした背の高い男性を幾度か見直す。肖像画と瓜二つ、そして話に聞いていたとおりの店の様子、間違いないことを確認しふぅと大きく息を吐いた。店に入って手紙を渡してしまったら、いくらも経たないうちに腕の中にいる彼とは別れなくてはならない。その前にしておきたいことがあったから。
ぎゅっと一瞬ルゥを抱きしめ、噴水前に設置された椅子へとルゥをそっと載せて両膝を地面へつけて胸の前に手のひらを重ねて祈りの形にする。

「願い奉る」

少女の凛とした声に空気が少女のいる噴水を中心に清涼なものへと徐々に変化する。じわじわと広がったそれが、広場全体に広がりを見せたとき、声を発してから伏せてていた瞳を開く。すっと細く息を吸い、ルゥへと手を伸ばして腕の中にいることを確認するように抱きしめて立ち上がる。願いをこめ、歌うように、囁くようにそれでも、広場全体に広がるように言葉を紡ぎだした。



慈しみ 加護の精霊 ユーミィ  強き剣 猛る護りの精霊 ターナン
光る国 アーサー建国より守りの神である 水神よ
全精霊をすべる 光の精霊皇子 ルゥの旅立ちにおいて災厄 禍を祓うこと
その身の安全を守り いと高き心を護り慈しみにて 癒すこと
ルゥ生涯の伴侶を約束された モカの名において願い奉る



一瞬の静寂の後、水柱が噴水より湧き上がる。一旦立ち上がったそれはほんの一瞬人の目にとらえるかとらえられないかのわずかな時間龍の形を作った後一滴の水を放った後すぐに噴水にまぎれてしまった。不思議なことに、近くを歩いていたものがいたにも関わらず、誰一人としてそちらのほうを向くことはなかった。いや、ただ一人、雑貨屋の店主ユーウを除いて。
モカと精霊に名乗った少女は、ルゥと呼ぶ赤ん坊の額に水神の飛ばした水滴がすっと溶けるように吸い込まれることを確認して、ほっと安堵のため息をついた。しゃべることの叶わないルゥは一瞬驚きの表情を見せた後、赤ん坊だけの持つ天使の微笑をモカに返した。少女は泣きそうに瞳を潤ませて祈りをこめて額へ唇を落とした。





ヘイオゥの町は、何もなかったかのように、朝の雑然とした小さな物音をのぞいて、静けさを取り戻している。町の中ほどにある噴水も、あれほど大きな水柱をたてた後とは思えない清涼なサラサラと流れる水の音だけを周囲に響かせている。
呼吸を整えた後、少女は意を決し『cosmos』へと飛び込んだ。
先ほどまで、誰それが出入りしていたはずであったのに、店主のユーウ以外は無人となっているその店へ。



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