Venus in the dark 作:流那
  act1 蒼い月 vol3 ← → ← 





『未夢・・・・未夢っ』




自分を呼ぶ声がする。
未夢はそう感じながら重い目を開けた。



(彷徨・・・)



どこからか、愛しい人の声が
聞こえてきたような気がしていた。



そして、辺りを見回しながら
今、自分の置かれている状況にはっとする。




「私・・・いったいどうしたんだろ?」



思わずそう呟いてみる。
いつのまにか、白いベットに寝かされていた。
右腕には点滴の管が繋がれている。
どうやら、医務室のようだった。



自分以外は誰もいない部屋。
見たことのない機材。



そして、頭の上には知らない天井が覗く。



部屋はガラスケースで覆われ、
外は一面の花畑が広がっている。



訳が分からないまま辺りを見回していると
コツコツという足音と同時に、背の高い女性が近寄ってきた。
蒼い髪に蒼い瞳が印象的な美しい女性だった。




「目が覚めたのね。気分はどう?」
「あなた誰ですか?それにここはいったい・・・」
「紹介が遅れてごめんなさい。私はグラディス=スミソン。
アメリカ人よ。あなた方のようなM-遺伝子を持つ人達の
養育を担当しているの。ここはそのための施設です」



グラディスは戸惑いを隠せない未夢の様子に構わず
淡々とした口調で状況を説明した。



「あの・・・彷徨は?」
「彷徨?」



グラディスは未夢の質問に少し顔を顰めた。



「西遠寺彷徨。私・・・彼と暮らしてたはずなんですけど
なんでこんなところにいるのかしら?帰らなきゃ」


未夢はそう言って、立ち上がろうとするが
麻酔で弱っている体と点滴に阻まれた。



「ああ・・・望様がおっしゃっていた・・・。
彼がどうなったのか、私は存じません。
とにかく今は落ち着いて、ここに慣れることね」
「ここに慣れるって・・・私、帰れないんですか?」




新緑色の瞳が不安の色で染まった。




愛する人の側に帰れないという不安。

今、自分はどこにいて、
どのような状況に置かれているのかという不安。



頭の中は、そんな漠然とした不安ばかりが渦巻いていた。




「・・・・ともかく、あなたは私達にとって特別な存在よ。
今はここに慣れることを最優先にしてちょうだい」



グラディスはそんな彼女の表情にも
一切顔色を変えず、そう言い残して部屋を後にした。







◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇







未夢はグラディスの言葉が頭から離れず
しばらく呆然としていたが、しばらくして
麻酔が切れ、点滴が取れると、ベットから降りて
あらかじめ着るように用意されていた白い服に身を包んだ。



先程ガラス窓から見えた、辺り一面の花畑を
周りの様子を伺いながらゆっくり歩く。
どれも精巧で綺麗だが、人間の精気を感じることは出来なかった。



少し歩くとホールの中央に大きな噴水が見えた。
その手前にあるベンチに、
自分と同じような服を纏った少女が座っていた。



少女は自分より少し年上らしかった。
紅く長い髪が腰まで伸びている。
白く美しい肌に、透き通った瞳が印象的な美少女だ。
未夢に気付くと読んでいた本を閉じて顔を上げた。



「あら。あなた見かけない方ですわね。
新しく来るって言ってたお嬢さんかしら?」
「そ・・・そうです」



未夢は、彼女の蒼い透き通った美しい瞳に
戸惑いの表情を浮かべた。



「私はクリスティーヌ・ドゥ・ジャルジェ。フランス人なの。
クリスって呼んで下さいな。あなたは?」
「わ・・・私は光月未夢です」
「未夢ちゃんですわね。よろしくお願いします」
「よ・・・よろしく」



クリスはそう言って右手を差し出すと、ニッコリ笑う。
未夢も突然のことに訳が分からずも
それにつられて微笑んだ。



「クリスさんも誰かに連れられてここに来たんですか?」
「そうですわね。望様に言われました。私には特別な能力がある。
それを生かすために体を預けて欲しいって。
確かに最初は不安だったけど、今は新たな能力を発見するという、
強い充実感に満ちています。なんたって、私達は特別なんですもの。
あなたもそのつもりでここに来たんでしょ?」

「私・・・私は自分の中に、そんな潜在能力があるなんて
全く知らなかったし、分かるはずもありませんでした。
それに、昨日からの記憶が無いんです。何だか怖い・・・。」
「私も初めはそう思いましたわ。でも高まっていく力とは
反比例して、怖いという気持ちは段々と薄れていきました。
未夢ちゃんも慣れればそうなりますわよ」




その後もいろいろな話をした。不安な表情を隠せない未夢とは対称的に
クリスは自分の能力を誇らしげに語る。気のせいか、
望の話になると、表情が柔らかく、穏やかに感じられた。



未夢には自分の能力を価値あるものだと強く信じる
彼女の気持ちが分からなかった。



人間の価値は潜在能力という物差しでは計れない。
そう思っているから。



この場所には懸命に生きている命も
誰かを想う愛も感じられない。
どんなに強い能力があったとしても
生命の強さや愛が無ければ
人間として生きているとは言えない。



そう感じるから。



未夢の中で、何かが弾けた瞬間だった。
心の奥底から力が満ちてくる・・・。




「み・・・未夢ちゃん?」




金色の髪は揺れ、華奢な体が少しずつ浮き始めている。
新緑色の瞳は先程よりも濃いモノに変化していく。
未夢の中の能力(ちから)が再び目覚めた。




クリスは変貌した彼女の姿を呆然と見つめるしか出来なかった。




「クリス・・・・望はどこにいるの?」



そう呟く彼女の表情には、穏やかさも
優しさも感じることは出来なかったが、
鋭い瞳から、大切な何かを強く求める意志が伝わってきた。



「み・・・未夢ちゃん、どうかしたんですか?」



先程とは印象が180度違う彼女の様子に
クリスは戸惑いながらゆっくりと口を開いた。



「クリス、あなたは騙されているわ。早く目を覚ましなさい。
望はあなたの心を利用しているだけなのよ。
彼は私達の力を利用して自分自身が力を得たいだけ。
以前から彼を知っている私が言うんだから間違いないわ」



「だ・・・騙すって、望様が?そんなの嘘ですわ!!」



未夢の言葉に、クリスの穏やかな表情が
少しずつ怒りに変わっていく。
望ことだけは・・・そんな心の内が見えてきた。




「嘘じゃないわ。現にこの空間がそれを証明している。
人間としての精気を感じることが出来ない。
ただ単に化学と言う名の空間に縛られているだけよ。
あなたの意志はどこにあるの?それに、私達の力なんて
人間として生きて行くには邪魔なだけだわ」




未夢はそんなクリスの変化に構わず
淡々と言葉を続ける。



「・・・・そこまでおっしゃるには
相当の覚悟がおありということですわね?」



クリスの透き通った瞳が光った瞬間
彼女を不思議な空間が包み込んだ。
同時に叫び声のような音が聞こえてきた。
それは未夢の体から発せられた音だった。
声でもない、人間の作り出す音とも違う・・・。




「こ・・・これは、この音・・・」



クリスはそう呟いて気を失った。
未夢はそんな彼女の体を抱えると、
グラディスが待機しているはずの部屋に向かった。







◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇







夕刻。すでに辺りはオレンジ色の空に包まれていた。


彷徨はバイクを止めると、記憶の中の
厳かで大きな門を見上げていた。




(ここに未夢がいる・・・)




そう思うだけで、心が逸る。
こんなにも自分は彼女を必要としているのか?
改めてそう感じる程・・・。




(さて、行くか。未夢・・・待ってろよ)



彷徨は心の中でそう呟きながら
煙草を吹き消すと、持ち前の頭脳で
門に施された固いセキュリティーを難なく突破した。



そして、中央玄関までの長い道のりを走っていく。
鍵も掛かっておらず、扉はすんなり開いた。
辺りを警戒しながらゆっくり歩いていくと
目の前に一つの影が立っていた。
まるで、彼が来るのを待っていたかのように・・・。




「お前は・・・」



金髪に、サングラスの下に蒼い瞳を宿す男


彷徨はその姿にはっとする。
まさしく地下の駐車場で、自分を襲った男であったからだ。
思わず、特殊ルートで入手したリボルバーを腰に構える。




「ふふ。西遠寺彷徨くん、待っていたよ」
「お前は一体誰なんだ?」




望は前回同様、余裕の笑みを浮かべている。
その態度は挑発しているのか、それとも、
彼の実力による絶対的な自信から来るものなのか、
全く分からなかった。



彷徨はそんな彼に鋭い視線を向ける。



「そんなに怖い顔しないでおくれよ〜。まずは自己紹介だね。
僕は光ヶ丘望。光月家の援助で、M-遺伝子の研究をしているものさ」



望はそう言いつつ、右手で一輪の薔薇を掲げながら
少し気取ったような、おどけているような
彷徨にとっては不可解なポーズを見せた。



「・・・M-遺伝子!?もしかして、特殊な能力を持つ人間のみが
持っていると言われる幻の遺伝子。その能力は月の力に
強く関係しているという・・・。あのM-遺伝子か!?」



望は驚愕の表情を見せる彷徨を後目に話を続けた。



「さすがだね。西遠寺財閥のドラ息子だけあるよ」
「"ドラ息子"だけ余計だ」



彷徨は望の挑発に珍しく眉をひそめながら、
いつもより少し低い声でそう呟く。
その表情は、彼の性格を良く知っているものからすれば
半ば拗ねているようにも感じられる。



「そして、お姫様のフィアンセでもあるのさ。
ふふん。彼女の王子様は君じゃなくて僕だ」



望はそう言って、目配せをして見せた。
そんな態度とは裏腹に、鋭い表情を浮かべている。



「・・・それで?」
「何だい?」
「言いたいことはそれだけか?」



彷徨も負けじと、鋭い眼光を送りつつ
腰のリボルバーを引き抜いた。
そして、弾が入っていることを確認すると
望の端正な顔にまっすぐ銃口を向けた。



しかし、彼のポーカーフェイスは崩れなかった。
相変わらずの表情でこちらを見下ろしている。




「未夢はどこだ?」
「・・・・冗談は通じないみたいだね。
今お姫様の元に、招待して差し上げるよ。王子様。」




望はそう言って、着ていた背広のポケットから、
特殊な弾のような物体を取り出すと
彷徨に向けて放り投げた。




「!?」



弾から放出された煙は、彷徨の体を、
あっという間に覆い尽くした。
咄嗟の判断で、振り払おうとしたが
タッチの差で間に合わなかった。




そして、これ以後の記憶がぷっつりと切れたのだった。




目論み成功とニンマリ笑う望の表情を残しながら・・・。







◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇







一方未夢は、研究室にて
グラディスと対峙していた。



そこは彼女専用の研究室だった。
あらゆるコンピューターや実験用の機材が配備され
詳細な実験データがすぐに取れるようなシステムが出来ている。



実験用のメスをクリスの胸に突きつけ
新緑色の瞳を真っ直ぐに向けている。



「未夢・・・あなたどういうつもり?」
「クリスを失いたくなかったら、私を望と会わせなさい」
「・・・分かったわ。付いてきて」



グラディスは暫く考えて、一つの結論に達すると
未夢の要求に従い、望の部屋へと向かう。
すぐ後はクリスを人質に抱えた未夢が続いた。



その部屋は、たとえ関係者でも
ごく一部にしか知らされていない特殊な場所にあった。



グラディスはドアの右側にあるプレートに
細く白い人差し指を押しつけた。
そのすぐ上にある特殊カメラが彼女の網膜を認識する。
ピピッという発信音と同時にドアが開いた。



「ここよ」




グラディスはそう言って、中に入るよう促した。
その瞬間、素早い動きでクリスの体は奪われ
未夢の頭に銃口が向けられた。
能力を使おうにも力が入らなかった。



「ふふ、この辺りの部屋はあなた達の力を
封じるように出来ているのよ」



当のグラディスはしてやったりという表情で
薄笑いを浮かべている。




「・・・私の負けね。とりあえずおとなしく捕まることにするわ」




未夢はそう言って笑うと、両手を頭の後に回した。




「ふふ。ずいぶん素直な娘だこと」




グラディスはそう言って薄笑いを浮かべながら
未夢の上半身を自分の方に引き寄せると
ジャケットのポケットから、蒼色の液体が入った注射器を取り出して、
白い雪のような肌の見えている右腕に差し込んだ。





「まぁ、この部屋で暫くおとなしくしていてちょうだい。
"例の彼"もいらっしゃることだし」




「!?」




グラディスがそう言い残すと、未夢の意識は一瞬のうちに途切れた。
心の奥底が何かに揺れ動かされたような気がしていた。



その瞬間、能力によって広げられた髪は元に戻り
宙に浮いていた体も地面にストンと落ちた。








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