-ブルルルルル
(どのくらい走っただろうか?)
彷徨は海岸沿いの手摺に寄り掛かって一服しながら
そんなことを考えていた。
目指すは未夢の実家。
しかし、自分たちの住む平尾町とは大分離れている。
バイクで流せば半日程で着くと思ったが
その認識は極めて甘いものだった。
そんな訳で、バイクを止めて一休み。
だが、そうこうしているうちにも
未夢の安否が気になって仕方がない。
煙草を持つ手がブルブルと震えている。
(未夢・・・)
ふと呟くのは愛しい恋人の名前。
今の自分にはこれ以上失うものは何も無いはずだった。
家族、仲間・・・自分にとって掛け替えの無いものを
捨ててまで掴んだ未夢との幸せ。
しかし、何者かの手によってそれが壊されようとしている。
心の奥底に感じる恐れ、不安・・・。
過去に様々な抗争を繰り広げてきた彷徨にとって
これ程怖いと感じたことは一度も無かった。
そう思ったら、自然と煙草の数が増えていく。
傷だらけになっていた毎日。例えどんなことがあっても
自分の背中にしがみついていた彼女。
それだけで、どんな相手にも負けない・・・。
そんな気がしていた。
彼女は自分にとっての勝利の女神だったのかもしれない。
しかし、その女神は何者かによって何処かへ消えてしまった。
(もう行くか・・・無くした女神は
自分で取り戻さなきゃな)
彷徨は心の中でそう呟きながら
深いため息をつくと、煙草の火を消す。
そのときだった。
水面に反射し、美しく輝いていた月が
青白く光り出したのだ。
そして蒼い光の下から現れたのは・・・。
彷徨はその姿に、思わず目を疑うのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
蒼い月の光が風に揺れている金色の髪に反射して
見事な色のコントラストを作り出す。
それは不気味なほど美しかった。
「か〜なたっ」
未夢は彷徨の目の前にゆっくり降り立つと
柔らかい微笑みを浮かべて見せた。
しかし、彷徨にとっては
何となくいつもと様子が違うような気がしていた。
「未夢・・・どうして・・・」
彷徨は心の奥底に強い疑問を感じながら
求めて止まなかった恋人の姿を真っ直ぐに見つめていた。
そして、ゆっくりと手を伸ばす・・・。
しかし、彼の唇はその手が届く前に閉じられた。
「・・・未夢」
「彷徨、好きよ・・・だから抱いて。
あたしはあなた以外何もいらない
いいでしょ?」
未夢はそう静かに呟くと、ニッコリ微笑んだ。
しかし、その笑みはいつもの暖かな笑顔とは違っていた。
綺麗だけど、恐ろしい程冷たくて・・・。
まるで氷のような気がした。
好きな女に抱いてと言われて嬉しくない訳がない。
が、そう言われて簡単に抱ける程
"想い"は単純なものでもない。
今の彷徨にとって目の前の恋人は
未夢であって、未夢でないように感じられた。
「未夢・・・いや、お前は誰だ?」
「あたしは光月未夢。光月未夢の中に棲んでいた
もうひとりの光月未夢って言った方がいいかしら?」
"もうひとりの未夢"はそう言って
まるで彷徨の心中などお見通しで
あざ笑うかのようにくすりと笑った。
彷徨はそんな彼女の態度が気に障り
鋭い視線を浴びせかける。
「そんなに怒らないでよ。あたしだって、未夢の中の一部なんだから。
あなたの好きな未夢だって、未夢の中の一部に過ぎないのよ
どんなに中身が変わっても、あなたが好きってことだけは
変わらないから安心して」
「うるさい。いったいお前はどうして出てきたんだ」
「分かんない。だけど月に関係していることは確かね。
あたしの中の遺伝子が何らかのきっかけで反応したって
考えるのが濃厚かもしれないわ」
姿形は未夢なのに、言動のひとつひとつは
彷徨の知っている彼女とは全く異なっている。
しかし、今はそんな感傷に浸っている場合では無さそうだ。
そう思い直し、"もうひとりの未夢"に真っ直ぐ向き合う。
「何らかのきっかけって、お前は心当たりがあるのか?」
「そうね。まだ突き止めてみないことには分からないけど
何らかのきっかけを与えたのが人間であることは間違いないわ」
「人間・・・・もしかして、光月家の人間の誰かが・・・いや
そんなはずは・・・」
(落ち着いて、落ち着いて考えるんだ)
彷徨は必死に心当たりを探したが、自分の知っている情報で
はっきりした手掛かりが見つかるはずもなかった。
彼の端正な顔が少しずつ焦りの表情に変わっていく。
「協力してあげてもいいわよ。ただし
私の条件呑んでくれたらだけど」
"もうひとりの未夢"は彷徨の様子を
楽しそうに観察しながら、そう呟いた。
「・・・・条件ってなんだ?」
「あたしと寝ること」
「・・・・・」
「それが嫌ならあきらめる事ね」
「・・・分かった」
「交渉成立。あたしは調べ物があるから
先帰ってていいわよ」
"もうひとりの未夢"は彷徨にそう支持すると
東の方に飛び立っていった。
「東・・・光月家のある方だ。
こうしちゃいられない」
彷徨はそう呟くと"もうひとりの未夢"が
飛んでいった方角へとバイクを走らせた。
月が、一層蒼白く輝いていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
一方、未夢は光月邸のある部屋を訪れていた。
だが、その場所は普通の人間から見て
到底"部屋"と呼べる空間ではなかった。
全体が鉄の壁で覆われた空間に
机とベット、そしてコンピュータなどの
研究に必要な機材が無軌道に置かれているだけの
極めて質素なものだった。
唯一部屋の端に置かれている棚には
彼が服用しているのだろうか?
大量の薬が並べられている。
「望、いったい何のつもり?」
新緑色の美しい瞳が蒼い瞳の青年をまっすぐに射抜く。
「何のつもりとはご挨拶だね。未夢ちゃん。
いや、僕のフィアンセ殿。まずは僕の部屋に
ようこそというべきかな」
望と呼ばれた蒼い瞳の青年は、
付けていたメガネを取ると
余裕の表情で、薄笑いを浮かべて見せた。
「うるさい。あんたがフィアンセであろうと無かろうと
あたしの体に触っていいのは彷徨だけ」
「ふ〜ん。あの男ですか。お嬢様は随分と物好きなんですね」
「つべこべ言わず質問に答えて。あたしの体に何をした?
それが出来るのはあんたしかいないはずよ」
未夢はそう叫ぶと、目の前の青年を強く見据えた。
望はそんな彼女の言葉に小さくため息を突くと
机の上にあるパソコンから、一つのデータを取りだした。
「これが君の遺伝子データだ。調べた結果、君の遺伝子は
地球外生物に近い要素を含んでいることが分かったんですよ。
我々科学者は、その遺伝子をM-78と名付けた。
それが本物がどうか試すために、君を捕まえて
僕が長年の研究を駆使してつくったベクターを
入れさせて貰った。ふふ・・・狙い通り大成功だったよ
まさに僕が求めていた・・・いや、僕の遺伝子が求めていた
というべきか・・・さぁ、もっと僕に見せておくれ
君の力を、そして体を」
望は一通り説明を終えると、未夢の体に
ゆっくり手を伸ばそうとした。
しかし、彼女の体から発せられた
強力な磁場が彼の体を支配した。
「あたしの体はあたしのものだ。
あんたにそんなこと言われる筋合いはない」
「いいえ。あなたの体は、もはや
あなただけのものではありません。
僕の・・・いや、長年研究を重ねてきた
科学者のものでもあるんですよ。
残念ですが、ここで少し眠って貰います」
望は白衣の下から拳銃を取り出すと
未夢の方に向けた。
未夢は力を発して、その銃を望の手から離そうとしたが
一向に離れる様子が無い。
「・・・・この力はいったい?」
「ふふ、この麻酔銃は君の力をシャッターアウトするように
作られているんですよ。さぁ、覚悟しなさい」
その瞬間、未夢の体は地面にゆっくりと崩れ落ちた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
"もうひとりの未夢”と別れた後
彷徨はいても立ってもいられず
光月邸を目指してバイクを走らせていた。
心当たりは全く無かったが、その場所に
不思議と導かれているような気がした。
唯一覚えている記憶・・・父親に連れられ
一度だけ訪れたことのある大きな屋敷。
あれは確かに光月という家だった。
そして、ひとりの少女との出会い。
西遠寺財閥の一人息子として決まったレールを
歩いてきた彷徨にとって、その少女との出会いは
今思えば、人生の転機のようにも感じられた。
あの日、彷徨は父親の挨拶回りに後継者として
付いてきていたが、実質上の実務はまだ担当しておらず
特にすることもなかった。
屋敷中を見回しながら歩いていると
薔薇の綺麗な庭園に迷い込んだ。
そこには亡くなった母親も好きだった白い薔薇が
辺り一面に咲き誇っていた。
白薔薇など、同じくらい育ちの良い彷徨にとっては
特に珍しくもなかったが、ふらっと引き付けられるように
その中央まで進んでいくと、人影が見えた。
どうやら薔薇の手入れをしているらしい。
少しずつ近づいていくと、その人影が
自分と年格好が同じくらいの少女だということが分かってくる。
彷徨はその姿を間近で見て、唖然とした。
今と殆ど変わらない、腰まで伸びた金色の美しい髪に
透き通った新緑色の瞳。そして、雪のように白い肌の
何とも可愛らしい少女だった。
思わずぼーっと見とれていると
少女の声が聞こえてきた。
それが自分に向けられたものだと判断するのに
随分時間が掛かったのを覚えている。
『ねえ、あなたどこから来たの?』
『父さんに連れられて来たんだ』
『そうなんだ。私、光月未夢。ここの娘なの。
よろしくね。あなたは?』
『俺か?俺は・・・』
それから数年後。気が付けば、家も学校も飛び出し、
煙草を吹かしつつ、バイクを走らせる毎日。
しかし、いつもそんな自分の側にいて
支えてくれたのは・・・。
(未夢、未夢・・・)
心の中で愛しい名前を何度も呟いた。
どうしてもこの手に取り戻したくて
側にいて欲しくて。
今の自分にとって、もはや失う物は何も無い。
宝物はたったひとつだけ・・・。
それだけは、どんなことがあっても守りたい。
彷徨は頭の奥底にある記憶を何度も巡らせながら
心の中でそう決心していた。
そして、彼の記憶の中の古い屋敷は
もうまもなくその姿を現そうとしていた。
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