未夢が突然変貌を遂げたのは
クリスマスも近い、あの満月の日。
それは彷徨がいつものように、バイトを終え
マンションに帰ってきたときのこと。
その日はやけに月が明るく、辺り一面を照らしていた。
当然、彷徨と未夢の棲むマンションも例外ではなく
ガレージ越しの窓からは、丸い月がぽっかりと見えており
その光は部屋中に差し込んでいた。
「彷徨、おかえり〜ご飯出来てるよ」
ピンクのエプロン姿の未夢が、いつものように
お玉を持って、笑顔で出迎える
「あぁ、サンキュ。腹へっちまって。
でも喰えるのか?」
「もうっ、彷徨ったら。素直に
喜べばいいのにさ」
そうして、予想通り腰に手を当てて
頬を膨らませる。
彷徨も、そんな彼女に顔を綻ばせつつも
いつもの憎まれ口を叩く。
彼にとって、これはひとつの習慣にもなっていた。
言い方を変えれば、彷徨にとって、彼女無しの生活は
決して考えられないという事にもなるのだが・・・。
買ったばかりの小さなテーブルの上で
少し遅めの夕飯を食べる。静かで淋しい気もするが
バイトやら、家事やらで大わらわになる
午前中や夕方に比べたら、一日の中で
最もくつろげる時間だった。
「ねえ・・・今年のクリスマス、どうする?
あんまり余裕ないけど、少しくらいなら
奮発しても大丈夫よ♪」
未夢は、彷徨の今日2杯目のご飯を盛りながら
年末の一大イベントに想いを馳せる。
「そうだな、久しぶりに湘南海岸まで流すか?」
余程腹が減っていたのだろう。口一杯に
ご飯を頬張りながら、言葉を返す。
「少しくらいバイクから離れたら?
ここのところ気が張ってたし」
未夢は特製の味噌汁に手を付けながら
少し不満げに漏らす。
「まぁな。でも俺からバイクとっちまったら
何にも残らねえし」
彷徨はそう呟くと、深くため息を突いた。
「もしかして、”みんな”のこと気になってるの?」
「そんなんじゃねーけどさ」
普段は品行方正・頭脳明晰・運動神経抜群の
優等生であった西遠寺彷徨。
しかし、裏の顔はその地域全体を納める
暴走族の頭だったりするから不思議なものだ。
しかし、ある理由から、
マスコット兼恋人の光月未夢を連れて
族を駆け落ち同然に抜けた。
今でも”あの日のこと”は夢に見る。
しかし、後戻りは出来なかった。
「私、バイクで風を切る彷徨も好きだけど
たまにはもう少し恋人っぽいデートが
したいんだけどな・・・」
未夢は飲み干した味噌汁のお椀を置くと
横目で彷徨を見た。元・暴走族の頭も
彼女にこんな表情をされては、逆らえるはずもなかった。
「そうだな。あれから、殆ど出掛けてなかったし。
たまにはファンタジーパークでも行くか。
今年はナイトパレードもあるみたいだぜ」
彷徨はテーブルの上の皿を綺麗に片づけると
ふと思い出したように、そう提案する。
「うん、それいい。たまには羽を伸ばさなきゃね
楽しみだなぁ。ありがと、彷徨」
「///しょーがねーからな」
未夢はそう言って、ふんわり笑った。
彷徨は思わず照れ臭くなって、顔を逸らす。
そんなこんなで、今年は何事もなく
クリスマスを迎えるはずだった。
しかし・・・。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
クリスマスまで一週間に迫ったある日
未夢は部屋の掃除を一通り済ませ
食事の準備に取り掛かっていた。
「あ・・・塩と醤油切らしてたんだ。
オリーブオイルも残り少なくなってるし
買ってこなくちゃ。でもあそこのスーパーだと
高いんだよね。そうだ、彷徨に電話して・・・」
そう思いついて、テーブルの上の
携帯を手に取ろうとすると
玄関のチャイムが鳴った。
「は〜い」
(彷徨かな?今日は遅くなるって言ってたけど・・・)
そう思いながら、少し弾んだ声で返事をしつつ
玄関のドアを開いた。
「未夢お嬢様、お久しぶりです」
「あ・・・あなたは・・・」
未夢がふとそう呟いた途端
口にクロロホルム入りの布が
強く押しつけられた。
「・・・さん、どうして?」
「お嬢様、ご両親がお待ちですよ?」
男はサングラスを取ると
勝ち誇ったような笑みを見せる。
その下からは、鮮やかな
青色の瞳が覗いていた。
この会話を最後に、
未夢の細くしなやかな体は
活動を停止した。
男の手によって気絶した彼女は
”彼”の部下によって、一瞬のうちに
部屋から運び出された。
そして、現場には塵ほどの証拠も
残されていなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
-秀英社・資料室
「彷徨くん、今日はもう上がっていいぞ」
「あ、すみません〜」
彷徨は出版社でアシスタントとして
働いている。大学を中退したアルバイトとは言え、
過去の経験を生かした的確かつ迅速な仕事ぶりは
社員の間でも高く評価されていた。
今日も普段と変わらず、一日分の仕事を終えると
帰宅の準備を整え、ビルの地下に配備されている
駐車場に向かった。
しかし、エレベーターの前には
サングラスの男が待ちかまえていた。
「西遠寺彷徨くんだね。お嬢様が待ってるよ」
そう呟くと、力強いパンチが繰り出された。
彷徨はそれを素早く交わし、足をかけた
その瞬間、男の体は宙に舞い、地面に叩き付けられた」
「お前は一体・・・」
彷徨は立ち上がって、尚も抵抗しようとする
男の顔を鋭い眼光で睨み付ける。
「君が知る必要は無い」
男がそう呟いた瞬間、
粉のようなものが
投げつけられた。
辺りは白い煙に包まれ、
視界はゼロに近いほど塞がれた。
(しまった・・・・!!)
ようやく視界を取り戻すと
すでに男の姿は消えていた。
「いったい何だったんだ?まさか・・・」
(お嬢様が待ってるよ・・)
男の言葉が、何度もリフレインされ、
同時にひとつの不安が頭の中を過ぎった。
そして、その不安が的中する・・・。
彷徨は不安な面持ちでバイクを走らせ
マンションに向かったが
すでに未夢の姿は無かった。
「まさかあいつ・・・」
彷徨は顔を青くしながらも
ひとつの答えに辿り着くと
再びバイクを走らせた。
夜の闇に、深紅のドゥカティが
紅く光っていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「未夢っ・・・」
未夢はふと自分の名前を呼ぶ声に眼を開けた。
自分を見つめているのは両親という名の
四つの眼だった。
そして、クロロホルムが完全に抜けきっていないのか
やっとの想いで体を起こす。
そう、彼女が連れてこられたのは大きな屋敷
もとい自分のかつて住んでいた家だった。
「未夢、あなたのパパとママよ?分かる?」
彼女を覗き込んでいたのは一組の男女。
ひとりはメガネを掛けた細身の男性
そしてもうひとりはボブカットで
すらっとした体型の女性だった。
「あんた達だれ?」
未夢はしばらくふたりの姿を交互に観察していたが
すぐに冷たい眼差しを向けた。
「誰って、あなたのパパとママじゃない?
分からないの?」
自称両親のふたりは事の重大さを理解したのか
必死の想いで名乗り出るが、全く反応が無い。
「あたしはあんた達なんて知らない。
それに、両親なんていないもの。
悪いけど、これ以上用が無いのなら
帰らせて貰うわ」
未夢が小さく何かを呟くと、
クロロホルムで殆ど動かないはずの体が宙に浮いた。
さらに何かを呟くと、堅く閉じられた窓が
いとも簡単に開かれる。
そして、腰まで伸びた
美しい金色の髪を靡かせながら
風のように外へ出ていく。
夜空には、満月が不気味なほどに
青々と光り輝いていた。
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