『みゆ・・・未夢・・・・』
再び自分を呼ぶ声に、閉じられていた瞳が開く。
「あれ?ここはどこだろう?さっきクリスさんと
ベンチに座って話をしていた筈なのに」
未夢はそう呟きながら、ふと辺りを見回すと
自分は白いベットの上にいた。
頭の上には案の定、知るはずの無い天井。
しかし、最初に寝かされていた部屋とは違う場所のようだった。
未夢が閉じこめられた部屋は
特殊ベークライトで固められており
早々出られるモノでもなかった。
しかし、内部の方は、普段研究員が
休息や仮眠などに使用するためか
全体的にしっかりとした造りになっていた。
(また記憶が途切れてる・・・・)
同時にそう確信していた。研究所の庭で
クリスと話したとこまでは覚えているが
それ以後の記憶がぷっつりと切れているということに。
怖かった。自分の知らない間に何が起こったのか?
心の中にどうしようもないほどの不安が押し寄せてくる。
「こんなとき・・・・いつも彷徨が横にいてくれたのに・・・」
そう呟いてみても、心の中に次々と湧き出してくる不安は、
一向に消えてくれそうも無かった。新緑色の瞳が涙色に染まる。
頭に浮かんでくるのは、愛しい恋人の笑顔ばかり・・・。
こんなにも彼への想いでいっぱいなのに
こんなにも胸が痛いのに、
自分はここで何をやっているのだろう?
そう思う。
「アイタイよ・・・彷徨・・・」
「俺がどうしたって?」
(・・・・え?)
「だから、俺がどうしたって?」
未夢はその声に耳を疑った。
低く通る声。
今、一番聞きたかった声・・・。
「・・・彷徨?」
そう呟いた瞬間、未夢の体は
二つの腕に包まれていた。
暖かくて、いつも吸ってる煙草の匂いがする。
指からは、バイク乗りの彼らしく、
ブレーキオイルの匂いがする。
そんな世界で一番いとおしい腕の中で、
不安な心が少しずつ消えていくのを感じていた。
(もう、大丈夫)
そう思えるくらいに。
「・・・彷徨・・・どうして?」
「どうしたもこーしたもねーよ。俺、お前の隣に寝てたんだけど」
上半身裸の状態で、平然とそう言い放つ彷徨とは対照的に
未夢の顔は朱色に染まった。
「な・・・なんで彷徨が?」
「お前を助けにこの屋敷に乗り込んだら、望ってやつに捕まって、
知らないままここに連れて来られたんだよ」
未夢はそう言われて納得しかけたが、すぐに首を横に振って
もうひとつの疑問を口にする。
「で・・・でもでもっ。ど・・・どうして上半身裸なの?」
「そ・・・それはだな。俺も知らなかったんだ。
気がついたら上半身裸で、お前が横に寝てたっていうか・・・。」
「ふ〜ん」
「な・・・なんだよ〜今更恥ずかしがっても仕方ねーだろが」
彷徨の苦しい言い訳に、未夢は終始疑いの眼差しを浮かべていた。
「でもさ・・・。お前が同じ布団の中にいるって気がついて、
俺、ホント心臓が飛び出そうになるくらい驚いたんだぜ。
さっきみたいにいつもと変わらないお前見てほっとしたし。
ああ・・・無事なんだってな」
彷徨は照れくさそうにそう言った。
未夢の華奢な体を抱く手が思わず強くなる。
「彷徨・・・」
未夢は背中越しに彷徨の右手を強く握った。
嬉しかった。
彷徨が同じ気持ちでいてくれたこと。
こうして、無事に再会出来たこと。
心の奥底から勇気が湧いてきた。
(私達なら大丈夫)
そう確信できるくらいに。
「ねえ、彷徨・・・抱いて」
「あぁ」
そう言い合いながらお互いの唇が
そして・・・・体が重なった。
まるで、このまま解け合うように。
ひとつになるように。
やがて体中が熱くなっていく。
消えて無くなってしまうほどに。
「約束は果たしたからな」
「彷徨?」
「こっちのこと」
「気になるなぁ」
「・・・お前、ホント何も覚えてないのか?」
「?うん」
「まぁ、いっか。それがお前だもんな」
ぽかんとした表情で見つめる未夢に
彷徨は小さくため息を突くと
頭を軽くポンポンと叩いた。
「もうっ。子供扱いして。私だってもうすぐ二十歳になるんだよ」
「はは・・・そうだったな。すまんすまん」
(お前はずっとそのまんまでいいよ。
俺は、そのまんまのお前が好きだから)
彷徨は薄明かりの中で、未夢の麗しい体を
白く透き通った肌を見つめながら
心の中でそう付け足した。
その眼差しは、煙草を吹かしつつ
バイクを乗り回す普段の彼とは
想像も付かないほど優しかった。
こうして2日ぶりの夜は更けていく。
嵐の前の静けさのように・・・。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
-朝
「か〜なたっ」
彷徨はひとつの声で目が覚めた。
知っているようで知らない声・・・
「お前か。未夢はどうしたんだ?」
そう言う彷徨は、何時にも増して
複雑な表情をしている。
「いい加減"お前"って呼び方は止めてよ。
私だって未夢の一部なんだから。
そうだ、"ミユ"って呼んでよ」
さすがのミユも、呼び方については気になっていたらしい。
頬を膨らまして拗ねている。
(そういうところは、未夢なんだな・・・)
彷徨は内心そう思いながら
観念してもう一度言い直すことにした。
「・・・・ミユ。未夢はどうしたんだ?」
「よろしい。グラディスのやつに、能力・・・
つまり、あたしを一時的に抑える薬を打たれたから
暫く眠っていただけよ。その薬が切れたから
私が再び目覚めたって訳」
"もうひとりの未夢”は、髪をふさりと掻き上げながら
平然とそう言い放つ。
「でも・・・約束は果たして貰ったから
バッチリ協力するわよ。ふふ」
(何だか目眩がしそうだ・・・)
彷徨は心の中でそう感じながら、深くため息を突く。
ふたりの全く正反対の未夢がいて。
片方は自分の良く知っている、恋人の未夢。
もう片方は自分も全く知らない、まるで別人のようなミユ。
あまりに非現実的な出来事の繰り返しで
さすがの彼も頭が混乱していた。
しかしそうもしていられない。
(一刻も早く事の真相を突き止めなければ)
そんな気持ちが強くなった。
「それで、奴らの目的はいったい何なんだ?
望ってやつは俺まで狙ってるみたいだったし」
「そうね・・・。簡単に言えば、あたし達の能力を
手に入れようとしているってとこかな?」
ミユは彷徨の問い掛けにそう答えると、
自分が捕まるまでの一部始終を話して聞かせた。
まるで作られた鳥の巣のような空間・・・。
望の本当の目的。
それは研究によって能力者の増幅し
やがては自分達の力にするというもの。
そんな彼に利用されようとしている
罪の無い能力者のこと・・・。
「つまり、望はそんなあたし達の力を成長させることで
その遺伝子や細胞を使って、自らもその力を手に入れよう
としているってとこかな」
彷徨はミユの話を聞き終えると、
腕を組みながら暫く考え込んでいた。
「・・・やっぱ、ほっとく訳にはいかないよな。
未夢を取り戻すためにも、やつを止めるためにも」
(大切なものは、自分の力で取り戻したい。
そして、あいつは俺が止める)
そんな想いから、握る手に強い力が込められる。
「それで・・・どうするんだい?」
突然部屋の扉が開かれる・・・。
蒼い瞳の青年が、薔薇を片手に
さっそうと姿を現した。
そんな彼の表情は、強大な力を手にするという
強い自信と占有感で満ちていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「それで、君達はいったいどうするつもりなんだい?
切り札はこちらが握ってるんだよ」
望はそう言って薄笑いを浮かべた。
自信に満ちた、蒼く鋭い瞳が
こちらをまっすぐに捕らえている。
後ではグラディスを初め、黒髪の男達が
構えを取りつつ、こちらの様子を伺っている状態だ。
彷徨も予備のレボルバーを取り出そうと
腰に手を当てている。
「望、あたしの・・・あたし達の力を甘くみないでよね。
あんたに利用されてる程お人好しじゃないの」
新緑色の瞳が、強い怒りに染まる。
体は少しずつ宙に浮き、腰まで伸びた美しい髪が
蒼い色に変化している。
「俺達はお前を止めてみせる。このまま思い通りにはさせない
未夢のためにも、俺自身のためにも、この先の未来のためにも・・・」
彷徨の心にもう、迷いはなかった。
自分の中にあるのはたったひとつの想いだけ・・・。
その想いがある限り、前に進んでいけるから。
「いきなり、正義の味方気取りかい?
君の頭脳がこのまま無くなってしまうのは
惜しいと思ったけど仕方ないね・・・」
望が指で合図すると、彼が世界中から
選りすぐって結成したガーディアン達が
一声に攻撃を開始した。
彷徨とミユも、迎撃姿勢を取る。
彷徨は腰からレボルバーを取り出し
銃口を前に向けた。
一方のミユは全体に力を集中させ
周りに大きな結界を張った。
しかし、衝突することなく
彼らを不思議な空間が支配した。
音でもない、声でもない感覚が頭に入ってくる。
明らかに普通の人間が持つ能力(ちから)ではなかった。
望率いるカーディアンは、その感覚に飲み込まれ
動きを失い、その場に倒れた。
その力の先には、紅い髪の少女が
鋭い表情を浮かべていた。
瞳は本来の彼女とは比べモノに成らないほど光り、
背中をどんよりとしたオーラが包み込んでいる。
「望様、わたくしを裏切ったのですね・・・・」
思わぬ伏兵の登場に、望の表情は焦りに変わった。
「ふっ。クリス・・・それは君の思い込みじゃないのかい
僕はそもそも君と約束なんてしてないよ」
望は焦る表情を必死で抑えながら、平然と言葉を並べた。
「ひどい・・・ひどいですわ・
わたくしがどれだけあなたを慕っていたか
分かりもしないで・・・」
クリスの瞳が涙で染まる。
その涙にはどれほどの想いが秘められているのだろう?
生きることに迷い、疲れて・・・。
そんな中で彼を信じて、彼に捧げた想いが、
まるで砂浜の上に築き上げられた砂の城のように
脆く崩れ去ろうとしていた。
「クリス、僕が君を利用するだなんて誤解だよ。
君の能力を引き出してやりたい。それだけだ」
「言い訳はもう結構ですわ」
クリスは強い口調でそう言って、瞳から目映いばかりの眼孔を発した。
そうして望の体は壁に強く貼り付けられた。
あまりの強い衝撃に、望の意識は一瞬にして失われた
「今のうちに早く。この研究所のメインシステムが
置かれている部屋の鍵を開けて置きました」
「クリス・・・あんたどうして」
「私もあなたと同じですわ」
「人格が変わったってこと?」
ミユの問い掛けに、クリスは黙って頷いた。
「それより早くメインシステムを破壊して下さい。
この部屋から10程先の部屋にあります」
「10程先の部屋ね。彷徨、行くわよ」
「ああ」
ミユと彷徨はお互いにそう確認すると、
メインシステムの置かれている部屋へ向かった。
「さて、こちらのお片づけをしないといけませんわね」
クリスの腕がポキリと鳴った。
一方、ミユと彷徨はメインルームに到着していた。
途中に施されていた難解なセキュリティーは
クリスの力によって、すべて解かれていた。
「で、これを壊せばいいんだな」
そう呟きつつ、彷徨はレポルバーの引き金を引くと
2・3発打ち込んだ。しかし、びくともしなかった。
「きっと結界が張ってあるのよ。あたし達の能力(ちから)
と原理が全く同じものだわ・・・」
「で、どうすればいいんだ?」
彷徨の問い掛けにミユは暫く考え込んでいたが
何か思いついたように両手を広げると
結界の中に差し入れた。
すると、その部分の結界は一瞬にして消え去った。
「お前、どうやったんだ?」
驚いて眼を見開く彷徨とは対称的に
ミユは平然と答えた。
「要は、あたしの力と同じなんだから、同じだけの力を発して
中和させればいいって思ったわけ」
「なるほどな。よし、後は俺がやるから少し下がってろ」
彷徨の打ち込んだレボルバーの音が
辺りに強く響いた。
こうしてメインシステムは無事停止した。
しかし、大変なのはその後だった。
メインシステム破壊と同時に
地下の研究システムの自爆装置が作動を開始したのだ。
この施設にいた人間全てが犠牲になる可能性もあったが
ミユとクリスの機転により、何とか事なきを得た。
そして・・・。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
『彷徨・・・』
自分を呼ぶ声がする。何だか懐かしくて
くすぐったいような感覚がした。
「彷徨・・・」
「未夢か?」
一番聴きたかった声に、胸が高鳴る。
「俺、どうしたんだ?」
何故か足がズキリと痛む。ようやく体を起こして
辺りを見回すと、病院の個室だった。
「彷徨、私を庇って怪我したんだよ?覚えてない?」
「あぁ・・・なんとなくな」
意識が途切れる前の出来事なので、
あまり記憶がはっきりしていないのだが
ミユを庇って、地面に強く叩きつけられたところまでは覚えている。
「ホントに心配したんだから・・・」
新緑色の瞳が少し赤くなっている。随分泣いた証拠だ。
彷徨はいたたまれない気持ちでいっぱいになった。
「ごめんな、未夢」
「何で彷徨が謝るの?悪いのは私じゃない。こんな想いさせて」
「お前は気にすることなくていいんだよ。それに俺が怪我する事なんて
今日に始まった事じゃないだろ?」
「彷徨・・・」
彷徨のそんな優しさは嬉しかったが、
包帯を巻かれた姿は何とも言えない程痛々しいものだった。
しかし、大事に至らなかったのは、
もうひとりの自分が守ったからだろうか?
未夢は一連の事件の中で、そう自覚し始めていた。
「ミユはどうしたんだ?望は?クリスは?」
あれからどうなったのか、意識の途切れた彷徨には
伺い知れない出来事だった。
「もうひとりの私は、また暫く眠ってるって。
今は必要ないからって」
「未夢・・・知ってたのか?」
「うん。最初は自覚無かったんだけど、怪我した彷徨を助けたとき、
一瞬記憶が戻って・・・。知っちゃったの」
未夢は、自分が能力を得たことは運命かもしれない。
そう感じ始めていた。
大切な人を守るために生まれた力・・・。
そう思えるほどに。
それから未夢は、望とクリスが研究所跡から姿を消したことや、
光月家の屋敷がが家宅捜査の対象となり、
両親が重要参考人として警察に連れて行かれたが
数日間におよぶ取り調べの後、釈放されたことも話して聴かせた
「あのふたり、もしかして一緒なのかな?」
「さあな。一緒にいるかもしれないし、いないかもしれない。
知る人ぞ知るってところかな?」
「・・・そうだね」
未夢は、彷徨の言葉で
心が少し軽くなったような気がしていた。
「ところでさ、俺っていつ退院できんの?」
「あと2週間くらいだって先生が」
「そっか・・・デート、出来なくなっちまったな」
「覚えててくれたんだ」
「ば〜か。当たり前だろ?」
その瞬間、二つの影が重なった。
それだけでもう十分だった。
これから、どんな困難が待ち受けているかしれない。
自分の能力(ちから)のせいで、今回の事件のように
彷徨を命の危険に晒すことだってあるかもしれない。
だけど、お互いの気持ちが繋がっている限り
どんな困難も乗り越えてみせる。
『彷徨はどんなことがあっても、私が守るから。
この能力(ちから)はその証・・・・』
そう思った。
月が、いつも以上に蒼く輝いていた・・・・。
Venus in the dark act1 蒼い月 THE END
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