作:中井真里
人は何のために生き、死ぬのだろうか。
俺は医者になって初めてそんなことを
考え始めた。
中には、宝石箱のような青春時代を過ごせずに
死んでいく子供達もいる。
そんな子達のために、俺は何が出来るのだろうか?
何度考えても答えが出なくて、もがき苦しんで。
だけど、あいつは教えてくれたんだ。
本当の心の温かさを。
そして、俺が何をすべきかを。
俺にとっても、あいつにとっても
決して忘れることは無いだろう。
星のように輝き、消えていった命を。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
-6月:平尾町病院・外科病棟
「西遠寺センセ」
ここは病棟に設けられている個室。
ひとりの少女が、ひまわりのような笑顔で俺を出迎える。
名前は藤井奈津実。高校一年生。
中学時代はバスケットボール部のレギュラーになるほど
活発な少女だったが、ふとしたことから体を壊し
一年以上の入院生活を余儀なくされている。
先日の診断結果では癌が体中に転移していて
もって三ヶ月との宣告が下された。
今は本人の希望もあり、延命治療が施されている。
しかし、病は気からと良く言ったものだ。
ここのところ、特に目立った症状は出ておらず
元気な笑顔を外科病棟中のドクターやナースに振りまいている
「奈津実、調子はどうだ?」
俺はその笑顔に圧倒されつつ
声を掛ける。
「今日もバッチリよ」
奈津実はそう言って親指を上げて見せる。
「そっか。良かったな」
そう言って頭を撫でてやる。
「また子供扱いして〜」
「だって子供だろ?」
「いったなぁ」
いつものような会話を交わし、
いつものように笑う。
俺はそんな奈津実の態度が理解出来なかった。
半年後・・・いや、もしかしたら明日にも自分の命が
費えてしまうかもしれない。にも関わらず、彼女の瞳は
星のようにキラキラと輝いている。
同時に感じるのは医者として何も出来ない無力感。
どんなに手を尽くしても、
救うことの出来ない命が目の前にある。
彼女の笑顔を見るたびに、
俺の心は否応のない罪悪感に駆られた。
「じゃ、俺行くな」
「え〜もう行っちゃうの?」
「カルテの整理を思い出しちまってな」
奈津実の顔が少し曇ったようにも思えたが
すぐにいつもの表情を取り戻す。
「また来てね。待ってるから」
「ああ、またな」
俺はそう言い残し、病室を後にする。
入れ替わりにこの外科病棟のナースである
光月未夢と出くわした。
新緑色の透き通った瞳に。
夏の風に吹かれて揺れる
金色の髪。
そして、春の花を思わせる
ふんわりとした優しい笑顔。
そんな彼女の姿は病棟中の人間を
引き付けて止まなかった。
彼女は俺に気が付くと
金色の髪を靡かせつつ
花のような笑顔を浮かべて見せる。
そして軽く会釈をすると
俺と殆ど入れ替わりに
奈津実の居る病室に入っていった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ねえ、西遠寺センセ」
「なんだ?」
「未夢さんって素敵だよねえ。綺麗だし。
ちょっぴりドジだけど底抜けに明るくて
元気で、目が離せなくて」
その日の午後、俺は再び奈津実の病室を
訪れていた。窓から拭く心地よい風に
吹かれながら彼女の話に耳を傾ける。
ここ最近、奈津実は光月の話をすることが多い。
担当のナースだということもあるが、何より
光月に同性としての憧れを抱いているようだ。
「光月か?まあな」
(にしても、こいつ・・・俺の気持ちを見透かしてるのか?)
俺はそんなことを思いながら、
いつものように素っ気ない返事を返す。
「そんなこと言っていいのかなぁ?
私、知ってるんだよぉ〜」
奈津実は顔をニヤニヤさせながら俺の方に
じりじり迫りよってくる。
本当に病人かというくらいに。
「な・・・なんのことだよ?
そ・・・そんなことより体の方は大丈夫なのか?
ベットから乗り出したりして」
俺は自分の奥底にある気持ちを覆い隠すように
一生懸命話題を変えようと試みる。
しかし、全く通じる気配は見られなかった。
「誤魔化してもダメだよぉ。西遠寺センセって
未夢さんのこと好きでしょ?」
奈津実はそう言って、俺の指にちょこんと触れる。
「////な・・・」
クリティカルヒット。
俺の心臓は早鐘のように鳴り響いた。
(こいつなんで知ってるんだ。俺の態度って
そんなに露骨なんだろうか?)
俺がそう思いながら、呆然としていると
面白がってさらに追い打ちを掛けてきた。
「やっぱり図星だね。ふふ、だって西遠寺センセって
いっつも未夢さんのこと見てるもん。
車椅子で通りかかるたびにそのときの表情や態度が面白くって」
やはり、見られていた。
あぁ、俺って情けない顔してるんだろうなぁ。
そう考えると、少し空しくなって
思わずため息をつく。
「ったく。お前には敵わねえな。
絶対誰にもいうなよ。特に光月にはな」
そう言って、頭を撫でる。
何だか気恥ずかしくて、体全体に熱を感じる。
「でもどうして?」
俺はふと疑問を感じ、目の前の小悪魔に聞いてみる。
『私も・・見てたから』
「何かいったか?」
「ううん、何でもないの」
そう言った奈津実の顔が少し曇ったような気がした。
ときおり見せる淋しそうな表情。
「ところで、こんなに長居して大丈夫なの?」
「あ・・・そうだった。お前と居ると時間を忘れちまうな」
俺は腕の時計を見ると、慌てて座っていた椅子から立ち上がる。
「うふふ。また来てね。センセ。デートで無ければね」
「ばっかやろ」
そして、いつものように明るい笑顔で手をふる。
先程の表情とは想像も出来ない程。
そして、いつもとは少し違う雰囲気を感じる。
あぁ、こいつも女だ。そう思えるくらいに。
俺はそんな奈津実に”あいつ”の姿を重ねていた。
掛け替えの無い日々が、こうして過ぎていく・・・。
星が流れ、輝き、そして散っていくように。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
-8月下旬
熱かった夏も終わり、秋の風が吹こうとしていた。
夏のうちはあんなに元気が良かった奈津実も
延命治療に少しずつ限界が近づいているのを
察すると、淋しそうな顔をする回数が増えていった。
癌の進行は思ったよりも早くなっていた。
それに合わせて毎日のように投与される抗ガン剤は
反動として強い副作用を与える。
奈津実はその苦しみに耐えながら
涙を見せたことなど一度だって無かった。
日に日に弱っていく少女。
俺は医者として、何もしてやれない自分がもどかしく
腹が立った。
そして、自分が彼女に何をしてやればいいのかも分からず
ただ意味のない空しい毎日が過ぎていく。
弱っていくひとりの少女をただ見ているだけの。
そんなある日の夜。帰ろうとしていた俺は
偶然、光月の姿を見かける。
「よ・・・よぉ。お疲れ」
思い切って声を掛けてみる。
今の俺にはこれが精一杯だ。
「あ、西遠寺先生。お疲れさまです」
そう言ってニッコリ笑う。
「あ・・・あぁ」
そう言っては見たモノの
次の言葉が続かない。
そう思いながら、しばらく黙っていた。
光月もそんな俺にどう接して良いか
分からなくなったのだろう。
不思議そうな顔をしながら、きょとんとした目で
俺の方を見つめている。
沈黙がふたりの間を支配する。
そして、意外にも
第一声を発したのは彼女の方からだった。
「西遠寺先生。これから少し呑みに行きません?
お話したいことがあるんです」
「お・・・俺は別に。君がいいんなら」
思わぬひとことに、心臓がトクントクンと鳴り響く。
最近は、奈津実のことで頭がいっぱいの筈なのに。
こいつは、そんな俺の心を簡単に掻き乱す。
「じゃ・・・じゃぁ行くか」
「はい。そう言えば、西遠寺先生って
バイクですよね?」
「ひとりぐらい乗っても変わらねえよ」
そう言って、バイクのキーをちらつかせた。
-ブルンブルン
後ろに光月を乗せて走り出す。
その間、心臓の音が止まることは無かった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
向かったのは、少しこじんまりとしたバー。
俺は、ジントニックを片手に
彼女が話を切り出すのを待っていた。
「奈津実ちゃんの延命治療、もう限界でしょうか?」
「・・・・」
彼女の深刻な表情から
おそらく奈津実の話だという見当は付いていた。
続ける言葉を探して必死になる。
「やっぱりそうなんですね・・・・」
俺の態度を見て、状況を察したのか、
顔を曇らせ、俯く。
「・・・・」
俺は何も言えずに、黙って頷く。
「・・・・先生は、奈津実ちゃんの両親のことはご存じですか?」
光月は暫く黙って何かを考え込んでいたが、
マティーニを口に含んでグラスを置くと再び話を続けた。
「いや、あまり。両親が離婚して、
事故で亡くなったというくらいだな」
奈津実の両親は、奈津実が小さいときに離婚をしている。
引き取って男手ひとつで育ててくれた父親も、
一年前、事故で亡くなった。
こうして、奈津実は天涯孤独になってしまった。
見舞いや付き添いに来る人間が
ひとりもいないのはそのためだ。
入院費などの金銭的保証は
母方の実家によってなされているが。
俺達はそんな奈津実を気遣って
なるべくひとりにしないよう、心がけていた。
入院してきた当初は、誰にも心を開かず
自分の殻に閉じこもってしまっている子だったが
光月を初めとするナース達の献身的な態度に
少しずつ心を開いていった。
今やそんなブランクを感じさせないくらいに
明るく、元気な少女であるが。
「奈津実ちゃん、いつも話してくれるんです。
両親が離婚して、母親が家を出ていった日のことを
星の朝のことを・・・」
『ねえ、未夢さん。星の朝って知ってる?』
『星の朝?』
『うん。月の夜が終わって、星の朝が始まるの』
『でも星と朝ってちょっとミスマッチじゃない?
朝ってもっと希望に満ちているような気がするし』
『本当はそうなんだけどね。だけど、ママが出ていった日は
朝になっても、星の出ている夜のまま。そんな気がしたから』
『ねえ、未夢さん』
『なぁに?』
『私、最近思うんだ。命の終わりって
星の朝に似てるなぁって』
『奈津実ちゃん・・・』
『でもね、こう思えるようになったの。
私には朝が来ないかもしれないけど。
その代わり、沢山の星が輝いている
そのひとつひとつが私を元気づけてくれるの。
一生懸命生きて、そして終わりを迎えようって
だからね、私幸せなんだ』
「あいつがそんなことを・・・」
「ええ」
俺は、衝撃が走った。
自分には決して見せることのない
心の弱さ。
(星の朝・・・か。あの日もこんな夜だったな)
同時に、自分の母親が死んだ日を思い出した。
目の前のすべてが闇に覆われたあの日。
否応のない孤独感、そして絶望感。
俺は奈津実の気持ちを思うと胸の奥がズキリと
痛むモノを感じていた。
医者として何一つ与えてやれない自分
彼女の心の叫びさえ、分かってやれない自分。
無力感・自己嫌悪・喪失感・・・・。
そんなものばかりが頭の中を支配する。
「西遠寺先生・・・・」
「光月、俺はどうすればいいんだろうな?」
次第に目頭が熱くなってくる。
俺はぽたりぽたりと滴り落ちてくる涙を
必死で堪えていた。
「先生・・・」
「俺は、今程自分が無力だと思ったことは無い。
目の前で、あの子が苦しみ、弱っていくのを
ただ、見ていることしか出来ない自分が。
苦しくて。すべてを投げ出して、逃げたくもなる」
「先生、それはナースである私たちも同じです」
新緑色の瞳が、まっすぐに俺を、俺の心を射抜いた。
透き通った、一点の曇りも感じられないその瞳が
俺と同じ気持ちであることを物語っていた。
「光月・・・すまん。担当医の俺が
こんな弱気じゃダメだよな」
俺は、そんな自分に情けなさを感じていた。
「わ・・私ったらつい。すみません」
光月はそう言って、慌てて頭を下げる。
そんな仕草が可愛くて、愛おしくて。
先程まで冷たかった心の奥が、少しずつ温度を増す。
「私達に出来る事って、彼女の生きた証を
残してやることじゃないかな?って」
「生きた証?」
「彼女が今を精一杯生きたって証です。
彼女を星の朝から救ってやれるのは
私達だけ。そう感じるんです」
彼女のそんな言葉のひとつひとつが
俺の心の奥底に刻み込まれる。
俺自身が今、何をすべきか、今後どうしていくべきか、
はっきり分かったような気がした。
「・・・そうだな。何だか迷いが
吹っ切れたよ。サンキューな」
「いえ。私も同じでしたから」
光月は、そう言っていつものような笑顔を浮かべた。
「きゃあ」
「ど・・・どうした?」
突然声を上げた彼女に
思わず目を丸くした。
(そんな顔もするんだな)
彼女の知らなかった面が少しずつ見えてくる。
「もうこんな時間。帰らなきゃ」
「送ってくよ」
俺がそう言うと、
彼女は少し決まりが悪そうな顔をする。
「でも、私の家って先生の家とは
逆方向ですよ?」
「いいよ。どうせ大した距離じゃねえし
それに・・・今日の礼な」
言い終わってから、少し照れくさくなった。
当の彼女はそんな俺の気持ちを知ってか知らずか
くすくすっと笑っている。
「西遠寺先生もそんな顔するんですね」
「・・・お前、俺をなんだと思ってるんだよ」
口を突いて出てきたのはそんな言葉。
「だって、いっつもしかめっ面で、何考えてるか
分からないし。患者さんの前では、暖かくて笑顔の素敵な
優しい先生なのに、どうしてって疑問がずっと抜けなくて。
でも先生のそんな一面を知って、嬉しかったっていうか」
(こ・・・こいつは、本気で言ってんのか?)
そこまで言われて、俺の顔は見る見る熱を帯びていく。
「先生?」
「か・・・帰るぞ。早く乗れ。遅くなっちまうからな」
照れから思わず、語気が強くなってしまう。
「は・・・はい」
そういって、光月は俺から手渡されたヘルメットを装着すると、
俺の腹を両手でがっしり掴んだ。
夜の町を、俺の運転する深紅のドゥカティが走り抜けていく。
後ろを気遣って自然とスピードが落とされる。
彼女の家までの時間が妙に長く感じられた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
-9月
夏が終わり、心地よい風が
秋の訪れを感じさせる。
俺は今日も診察のため、奈津実の部屋を訪れていた。
度重なる副作用と疲労のため
口数こそ以前より少なくなったものの
時折見せる笑顔は、まさしく
この少女が生きている証だった。
俺は聴診器を当て、彼女の心拍数が正常であることを
確認する。そこへ、光月が静かにドアを開け、入って来た。
手には比較的新しい型のデジタルカメラ。
「奈津実ちゃん、先生の診察も終わったことだし
写真でも撮らない?」
「未夢さん・・・私、写真なんて・・・」
奈津実は戸惑いの色を浮かべつつも
嬉しいような、照れているような
そんな表情になる。
「よし、笑って笑って。あっ
西遠寺先生も入って下さいな」
「俺?しょーがねーなぁ」
俺はそう言いながらも、ベットの横に立つ。
「ほら、ふたりとも行きますよ〜
はい、チーズ」
-カシャッ
そうしてシャッターが切られた。写真には
少しぎこちないがふんわり微笑んでいる奈津実の
横で、照れくさそうに頭を掻いている
俺の姿が映し出されていた。
「お前も取ってやるよ」
俺はそう言って彼女の手からカメラを受け取ると
奈津実の横に並ぶよう促す。
そうして後ろの画面には、憧れのお姉さんの横で
臆面も無く笑う奈津実。そしてそんな彼女に答えるような
光月の美しい笑顔が映し出された。
「今度は私が二人を撮るね。いいでしょ?」
「お・・・俺達は別にいいよ。なぁ?」
「私は構いませんよ」
(///おいおい・・・)
光月は奈津実の企みにも、俺の心中にも気づかず
その提案をあっさり受け入れる。
奈津実はこういうときに限って
小悪魔的面を否応なく発揮させる。
恐る恐る奈津実の方を見ると、ニンマリと笑いつつ
俺の反応を楽しんでいる。
まるで、先生の心はすべてお見通しと言わんばかりだ。
「ほら、撮るよ。二人とも、もう少しくっついて。
大人のくせに奥手なんだから」
「そ・・・そんなことより早く撮れよな」
俺はというと、緊張感と照れから語気が少し強くなる。
同時に、横の反応を伺っている素直な自分がいた。
一方、光月はそんな俺の態度に首を傾げつつも
カメラのレンズに向けて、ふんわりとした笑顔を浮かべた。
(はぁ〜少しは気づいてくれよな・・・)
俺が内心そう思っていることにも気づかずに。
こうして、穏やかな時間が過ぎていく。
俺の胸には、このときに見た奈津実の幸せそうな
笑顔が今でも胸に焼き付いている。
思えば、神様がくれた
最後のプレゼントだったのかもしれない。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
-10月
すでに季節の移ろいを感じる余裕すら無くなっていた。
奈津実は衰弱し、麻酔を打たれたまま
ベッドに横たわる日々が多くなった。
それは、忘れもしない、10月14日のこと。
俺は、彼女から思いがけない言葉を聞かされる。
その日、俺はひとりで奈津実の病室にいた。
光月は、仕事のため今日はまだ来ていなかった。
「先・・生、未・・夢さんは?」
奈津実は突然、麻酔が切れていない
辿々しい口調で話をし始めた。
「すまん。今日はまだ来てない。
光月がどうかしたのか」
「そっか」
俺がそう答えると
ほっとしたような、そうでないような
複雑な表情をしていた。
「ううん。何でも・・・ないの」
それから何度聞いても同じ答えしか
返ってこなかった。
それから暫く黙っていたが
再びゆっくりと話をし始めた。
何かを決心するように。
「先生・・・わ・・たし。伝えようか
迷っていたことが・・・あるんだ」
「なんだ、言って見ろよ?」
俺は、タオルで額に流れ出した汗を
吹いてやる。
息を付きながら、俺に
何かを必死に伝えようとしていた。
「わたし、先生がす・・き・・だった。
ちょっと照れ屋だけど私を見る瞳とか
未夢さんを見る私とは違う、暖かい眼差しとか。
ぶっきらぼうだけど、本当は優しいところとか。
ぜんぶ・・・好きだった。
ずっと・・伝えたかったけど先生・・こまると思ったし。
それに私、先生も未夢さんも両方・・・好きだから」
「奈津実・・・ごめん」
俺にはこれが精一杯だった。
何も言える資格はない。
そう思ったから。
ずっと苦しかったんだな。
誰かにうち明けることも
頼ることも出来ない。
行き場のない想いを
どうすることも出来ずに
ただ宛のない道を彷徨うだけ。
それは俺も同じだから。
しだいに目頭が熱くなってくる。
「泣かないで。先生は・・・悪くない。
これは、まぎれも無く”私の恋”。
そして、私自身が生きた証。本当に幸せだった・・・」
奈津実は俺の顔を手でなぞると、そう言って笑った。
瞳からは涙が溢れ出していた。
そのとき、個室のドアが勢い良く開かれた。
入り口には光月が呆然と立ち尽くしている。
「ごめんなさい、私・・・今の話を・・・」
「未夢さん。お願い、ここに居て欲しいの」
光月は遠慮がちな態度で、すぐに
その場を立ち去ろうとしたが
奈津実が引き留める。
俺にはその様子を横で見守ることしか
出来なかった。
それだけ奈津実の言葉は、俺の心に
重くのし掛かっていた・・・。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ねえ、未夢さん」
「なあに?」
ベットの横で、静かに会話が交わされる。
俺はその様子に思わず見入った。
その姿は、まるで本当の姉妹のようで。
「ごめん・・・ね。本当の・・・気持ち・・が
言えなく・・・て。自分にも、
未夢さんにも、先生にも嘘をついてた・・・」
奈津実はそう言うと、申し訳無さそうに俯いた。
俺の胸が再びズキリと痛む。
「ううん。私だって奈津実ちゃんの立場なら
そうしてたと思うもの。好きな相手を
傷つけてしまうのが恐いって気持ち、
私にも分かるから」
光月は、そう言ってにっこり微笑んだ。
その笑顔を見るだけで、自分の心が
少しだけ救われた心地がしていた。
光月・・・ごめんな。
俺だって、自分の気持ちが曖昧のまま
ここまで来てしまった。
奈津実のことも、全く気づかなかった訳じゃない。
一歩を踏み出すのが恐かったんだ。
そんな弱い自分が、いつの間にか
相手の心を傷つけているとも知らずに。
そんな気持ちで一杯だった。
「ねえ、未夢さん。私・・・ね、すごく幸せ・・・だったよ。
もうすぐ星の朝を迎えるかもしれ・・ない。だ・・けど
私には、この胸に・・・未夢さんや、先生や
出会ったひとたち・・・輝き続ける星が・・ある・・・から
淋しくないよ。ねえ、ホント・・・だよ」
未夢の瞳からは涙が溢れ出していた。
俺自身もいつのまにか
涙が頬を伝っているのが分かる。
目の前の少女が、最後の力を振り絞って
精一杯生きている。
そして、その少女が自分達を輝き続ける星だと
言ってくれた。それだけで、もう十分だった。
その三日後、奈津実は眠るように
息を引き取った。最期の瞬間まで
笑顔を絶やさなかった。
「あ・・・りが・・と」
それが最期の言葉だった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
それからさらに一週間が過ぎた。
何事も無かったように毎日が過ぎていく。
医療の現場にいる以上、
つらいとも言えなかった。
それぞれが、それぞれの想いで
死に直面しているからだ。
悲しんでばかりはいられない。
今までならそう思ったかしれない。
だけど、ふと感じる胸の痛みは、その言葉だけで
片づけることが出来ないほど深く、重かった。
この気持ちは、きっと光月も同じだ。
そう考えたら、少しだが救われた心地がしていた。
この悲しみはひとりじゃない。
そう思えるから。
夜。仕事が終わって帰ろうとすると
入り口で、光月が壁に寄り掛かって立っていた。
「西遠寺先生、これから帰るんですか?」
「あ・・・ああ」
「これから暇ですか?」
「ああ」
「海に行きません?」
そう言ってにっこり笑った。
しかし、いつもの笑顔とは違って
儚げで、切なかった。
それから俺達は、バイクを走らせ
病院から2キロほど走ったところにある
海岸に向かった。
下では波が砂浜にサブンサブンと押し寄せていた。
空には満天の星。
海面には、満月がぽっかり顔を出している。
光のコントラストが、目の前の
見事な光景を作り出していた。
「ねえ、先生。奈津実ちゃんは、
あの星になったのかな?」
光月は空を見上げ、
輝く星のひとつひとつを見つめながら
そう言った。
「そう・・・かもな」
俺はそんな彼女の姿に見とれながら
ゆっくりと言葉を返す。
「私、ずっと思ってました。奈津実ちゃん
本当に幸せだったのかなって」
「それは俺にも分からない。だけど、あいつ
最期まで笑ってた。その気持ちは嘘じゃないと思う」
「そっか・・・そうですよね」
小さく呟くと、にっこり笑った。
作り笑いが痛々しい。
「どうした?」
「・・・・」
光月は下を向いたまま、
顔を上げようとはしなかった。
「光月」
「いや・・・」
「こっち向けって」
「嫌ぁ〜」
瞳からは大粒の涙が
今にも溢れ出そうとしていた。
あれほど、強くて、明るくて、
終始笑顔を絶やさなかった
光月が、今、俺の目の前で泣いている。
その姿は、あまりに儚くて、
夜の闇に消えてしまいそうだった。
気が付けば、彼女を
その闇から遮るようにして
自らの腕に包み込んでいた。
「せ・・・先生」
「光月、泣きたいなら我慢するな」
同時に、悲鳴のような鳴き声が
俺の胸に響き渡ってくる。
「俺がいるよ・・・悲しいのは
つらいのは、お前だけじゃない」
自然と腕の力が強くなった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
どれくらいそうしていたのだろうか?
体中に伝わってくる熱を感じながら
自分にとって、目の前の彼女が
掛け替えのない存在であることを
改めて認識していた。
「先生」
「もう・・・いいのか?」
「はいっ。大丈夫だと思います」
「そっか・・・」
「///先生?」
「す・・・すまん」
俺はその言葉でふと我に返ると
慌てて彼女から腕を放した。
「綺麗・・・」
「そうだな」
空は、まもなく夜明けを迎えようとしていた。
朝焼けの空は、何とも言えない色を作り出す。
もう少しゆっくりと見ていきたかったが・・・。
「きゃあ、もうこんな時間?」
ふと時計を見る。朝の7時を指していた。
「先生、早く早く」
「あ・・・あぁ」
気が付くと、光月がバイクの横で
手を振っている。
そんな彼女に想いを伝える日は
いったい、いつになるのだろう?
(それまで待っててくれよな)
心の中でそう呟いて、ふっと笑った。
何も知らず、無邪気な笑顔を浮かべる彼女に
複雑な想いを抱きながら。
ふと、海の向こうで奈津実が笑ったような気がした。
THE END
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
こんにちは、流那です。
白衣かなたんシリーズ第二段。
前回はコメディだったので
今回はシリアスモードにしてみました。
ってか暗いよね・・・これ。
タイトルは、「月の夜 星の朝」(本田恵子)
から頂きました。星の朝という表現が凄く
綺麗に感じる反面、切なくなったのを覚えています。
それではお目汚し失礼いたしました。
突っ込みおよび感想なども是非。
BGM:「月の夜 星の朝」オリジナルサウンドトラック
PONYキャニオンより。
'03 9.2 流那
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇