「というわけなんだ」
一通り、ミユとの経緯を説明し終わると
カナタはコーヒーの残りを飲み干し、
カップを置いた。
「ね・・・ねえ、カナタ、クリス。
ニンゲンって力もちなのねえ。
私にはなかなか堪えるわ」
ミユはというと、カップの中のコーヒーを
スプーンですくうように飲んでいる。
そんな仕草が可愛らしくて思わず顔が綻ぶ。
一方、アヤ、ナナミは、
皿に出されたコーヒーをくちばしで
何とも器用に飲んでいる。
「それにしたって、いかにもカナタに起きそうな出来事ね。
いつもひとりで、人一倍優しくて。
だけど心の中は何処か満たされていない。
それだけ純粋って証拠なのかも」
クリスはカップを置くと、くすくすっと笑う。
「それはどういう意味だよ。俺が子供っぽいってことか?」
「ううん。とっても素敵なことだと思うわよ。
こんな可愛いお姫様なら大歓迎だしね。お友達の鳥さん達も。」
クリスはそう呟くと、ミユの頭を優しく撫でた。
「そうだな。俺もそう思うよ。母さんのことがあってから
いいこともなかったしな」
そう言って優しい笑みを浮かべた。
ミユはこんなに暖かくて満たされた気持ちになったのは初めてだった。
こんな温もり、いままで感じたことは無かったから。家族の愛情さえも
ミユは知らなかった。
(ワタシ、ココニイテモイインダ・・・)
そう思うと、何か胸からこみ上げてくるものを
感じていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
朝の日差しが顔に差し込んでくる。
カナタは鳥の鳴き声と共に眼を覚ました。
ソファーの上で横になっている自分の体制に
気づいて、昨日の出来事を思い出す。
向かいにあるソファーでは
クリスが使ったであろう、
布団が綺麗に畳んである。
すでに朝食の支度でもしているのだろう。
机の上では、ミユがアヤ・ナナミの背中を枕代わりにして
気持ちよさそうに眠っている。こんな姿を見ていると
改めて現実の出来事なんだ。そう思えて何だか嬉しくなる。
(昨日、あのまま寝ちまったんだなぁ)
あれから、カナタ達は夜遅くまで談笑していた。
主な話題提供者はミユだ。自分たちの生活や
持っている特別な能力のこと。
自分は姫であるが、毎日村の子供達と
楽しく遊び回っていること。
アヤ・ナナミとは子供の頃からの
付き合いであるということ。
布団には狐の毛を貰うこと。
などなど、人間のふたりには興味深い内容ばかりで
思わず聞き入ってしまい、深夜の談笑までに至ったのだった。
だけど、いつもより暖かい夜が迎えられたような気がしていた。
(こいつのおかげか・・・)
カナタはふっと微笑を浮かべた。
それは何年かぶりかしれない、
心からの笑顔だった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
AM7:30
テーブルの上にはツナのサラダに
アプリコットのジャム、ミルクティが
白い湯気を浮かべている。
「ねえ、クリス。あなたってお料理がじょうずなのねえ。
ばあやにひけを取らないと思うわ。うちの料理長にも。
この紅茶もいい香り」
「ふふ、ありがとう」
フリルのエプロンを来たクリスが嬉しそうに笑っている。
ミユはマフィンを口一杯にジャムをくっつけながら
一生懸命頬張っている仕草が可愛らしい。
カナタが時々ナプキンを取り出し、ふいてやる。
アヤとナナミはミルクと
小さく砕いたマフィンをくちばしに運んでいる。
「なぁ、ミユ。俺、今日仕事なんだけど、おまえも一緒に来るか?
ひとりで家にいてもつまんないだろ。姉さんも仕事だし」
クリス特製マフィンの香ばしい臭いを嗅ぎながら
カナタはそう提案した。
「うん。行く行く。ロンドンって町も見てみたいし。
私ってあの森出るの初めてなのよねえ。アヤもナナミも」
ふたりはマフィンを頬張りながら
コクコクと頷いてみせる。
『ねえ、ナナミちゃん、ニンゲンについていって大丈夫かなぁ。
ニンゲンってとっても危険って聞いたよ。私なんだか心配。
ミユちゃんったらすっかりあのカナタってひとに懐いてるし』
『まぁ、彼なら大丈夫だよ。きっと』
『そうかなぁ?』
『大丈夫だって』
ナナミはカナタの瞳をじっと見つめる。
何処か寂しそうなのに、否応のない暖かさを感じる。
この瞳に嘘は無いと思った。
ふたりのこんなひそひそ話にも気づかずに
あっさりとカナタの提案を受け入れるミユ。
ナナミとアヤはそんな二人の纏う空気が
同じように思えた。
きっと彼もミユと同じ痛みを、同じ悲しみを
寂しさを抱えているんだ・・・。
そう考えたら、何も言えなくなってしまった。
AM8:00
朝食を終えると、カナタは支度を整える。
イーゼルに絵の道具一式。
その様子をミユが興味深そうに見ている。
「カナタって、何のお仕事してるの?」
「俺?小さな塾で、子供達に絵や勉強を教えてるんだ」
「へ〜おもしろそう。私、子供って大好き!
あ、私もまだまだ子供か。」
ミユはえへへと笑って頭を掻く。
「さて、出かけるか。見つかるとまずいから
シャツのポケットに入ってろよ。じゃあ
姉さん、俺行くから」
「は〜い。あ・・・ちょっと待って」
台所の奥で片づけをしているクリスに声を掛ける。
暫くすると包み紙を抱えてやってきた。
「これね、作ってみたの。ミユちゃんに来て貰おうと思って」
中にはレースやらフリルがあしらわれていたり
花柄の刺繍がしてあったりと、可愛らしい服がたくさん。
「うわぁ、素敵。クリスありがとう。
でも私に似合うかなぁ」
ミユは大喜びしつつも、恥ずかしそうな仕草をしている。
「ふふ。きっと似合うわよ。せっかくのお出かけなのに
おめかししないとね。カナタ、しばしお時間を下さいな」
クリスはミユを自分の手の中にひょいと抱えると奥にある
彼女の部屋に入っていった。
カナタはまたいつもの癖が始まったとばかりにため息をつく。
クリスは可愛いモノに目がないのだ。かたや可愛らしいこびとの少女、
彼女が黙ってみているはずもなく・・・。
しかし、弟としては、いつもより一層生き生きしている
姉の姿を見るのも悪くない。
もうすぐ母さんの命日か。
親父、どうしてるかな・・・。
カナタはふと離れて暮らしている
父親に想いを馳せた。
「じゃあ、行って来る」
「いってらっしゃい。」
「アヤ、ナナミ、行って来るよ。
おみやげ話楽しみにしててね」
ミユは置いてけぼりにされて少し拗ねているふたりに
優しくほほえみながら、手を振る。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
AM8:30
あれから支度をすること30分。
ミユの姿は見違えるようだった。
レースのドレスに、頭にはピンクのリボン。
何度も恥ずかしそうにしている仕草が可愛らしい。
「うわぁ、カナタぁ〜ロンドンって凄いのねえ
あんなの私が住んでる森には無いわ」
ミユはキョロキョロしながら、思わず声を上げる。
カナタの家と彼が勤める塾への距離は
そう遠いものではなかった。
しかし、ミユにとっては
まるで宝石箱の中にいるような心地がしていた。
人が行き交う地下鉄。
立ち並ぶ店。
木々が生い茂る公園
楽しそうに遊ぶ人間の子供達。
すべてが初めて目にするものばかり。
調子に乗りすぎて、
うっかりシャツから顔を出してしまい
カナタが必死に誤魔化す始末。
そして、公園から暫く歩くと少しこぢんまりとした
都会的な建物が見えてくる。カナタは入り口の前で
足を止めると、シャツのポケットに向かって
独り言のように呟く。
「さぁ付いたよ。ここが、俺の働く場所だ」
AM8:45
授業が開始される。
今日はスケッチ。
子供達はそれぞれ持ち寄ったものを
机の上に置き、一生懸命スケッチしている。
年はミユより四つほど下。
思わず、シャツのポケットから顔を出し
キョロキョロしていると、ひとりの男の子と
目が合ってしまった。
「うわぁ、先生がおもしろいモノ持ってるよ」
「どれどれ〜私にも見せて」
「わたしも見た〜い」
ミユはこれまでと思い、カナタが止めるのも聞かず、
ひょっこり顔を出すと簡単な自己紹介をしてみせる。
「私、ミユっていうの。体はみんなよりずっと小さいけど
これでも四つ年上なのよ」
「うわぁ。しゃべったぁ〜」
「先生いいなぁ。私も欲しい」
カナタは一部始終を黙ってみていたが
コホンと咳払いをすると、子供達に向かって
話し始める。
「あのな、こいつはモノじゃないんだ。
ちゃんとおまえ達と同じように生きて、食べて寝るんだよ
みんなのおもちゃには決してなれないけど、
友達になることは出来る。約束できるか?」
カナタはニッコリ笑ってそう諭す。
ミユはそんなカナタの笑顔に胸が高鳴るものを感じていた。
「は〜い」
子供達は意味を理解したのか、一斉に声を上げた。
純粋な子供達とミユはすぐに心が通い合った。
休み時間になるたび、話をしたり
お昼になると一緒にお弁当を食べたり。
ミユにとっては夢のような時間。
学校に行って友達とおしゃべりをしたり
お弁当を食べたり。
すべてが家庭教師のミユには未知の経験だった。
同時に、カナタへの感謝の気持ちで一杯になった。
PM4:00
ーチリンチリン
鈴の音がなる。一日の終わりを告げる音・・・・。
「よし、今日はここまで。
スケッチ仕上げて来いよ。また来週な」
カナタがそう言うと、子供達は一斉に教室を出ていく。
「先生〜さよなら」
「あぁ、さよなら」
子供達の挨拶にひとつひとつ笑顔で答える。
ミユもそれにならって手を振ってみせる。
ジャックもナンシーもエリーも笑顔で返してくれた。
(こんな当たり前の暖かさ・・・すっかり忘れてた。)
ミユは子供達の笑顔を見るたび、そう思ったのだった。
PM4:30
カナタは残っていた雑務を終えると
塾を後にした。外は夕方。
オレンジ色の夕日が空を覆っている。
一日の終わり。
寂しい夜の始まり。
いままでそう思って来た。
だけど、今は違う。
明日になればカナタに、クリスに会える。
もう、ひとりじゃない・・・。
そう考えたら何だか胸が熱くなって来た。
「ねえ、カナタ、今日はありがと。
元気づけてくれたんでしょ」
ミユはシャツのポケットから顔を出すと
さっきから黙って歩いているカナタに話し掛ける。
「ま・・・まぁな。元気になったんなら良かったよ。
ところで、お前、母さんと喧嘩してるのか?」
カナタは彼女の仕草ひとつひとつが可愛くて仕方が無くなっていた。
そんなこと、口に出せるわけもなく、ずっと黙っていたのだ。
誤魔化すように話題を変える。
「・・・・ママは私が嫌いなの」
ミユは寂しそうに顔を背ける。
また、あのすべてを悟ってしまったような
氷のような瞳。自分と同じ瞳・・・。
カナタは胸がチクリと痛むのを感じていた。
「俺も母さんがいないし、親父とも一緒にくらしてないし、
お前の気持ちがなんとなく分かるから」
「カナタ・・・」
ミユの顔がしだいに曇る。彼の寂しさ、悲しみが痛いほど伝わってきて。
(そうだ・・・カナタなら知っているかもしれない。
あの本の言い伝えも。きっと)
「あのね・・・」
「なんだ?」
ミユは話し始める。銀色の月の伝説を、
一族に伝わっている言い伝えを。
そして、自分に課せられた運命を。
それを偶然、本で知ってしまったことも。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
PM5:50
夜。すでに時計は六時を回ろうとしていた。
ふたりのいる公園も街灯に明かりが点り始めていた。
「そっか・・・」
カナタは話を聞き終えると
そう呟く。それが精一杯だった。
こいつの瞳を見ると胸がいっぱいになってくる。
自分をまっすぐみつめる小さな小さな新緑色の瞳。
その悲しみも、その寂しさも包んでやりたくなる。
この気持ちは・・・答えは見つけても、口に出せそうもなかった。
「それでね、カナタなら知っているかと思って、
こっちに来たの」
新緑色の瞳はカナタを真っ正面にとらえた。
カナタにはミユの瞳には寂しさというだけでは言い表せないものが
宿っている。そんな気がした。自分と同じ魂が。
「俺も言い伝えについては聞いたことがないけど、
小人族の話なら本で読んだことはある。昔は俺達人間と
共存していたんだよな。だけど、人間が変化し続ける中で
彼らは自分達の世界をつくり、そこに閉じこもるしかなくなってしまった。
しかし、今はその世界さえも犯されようとしている・・・」
ミユはこくこくと頷いた。
「・・・もしかして、その言い伝えの少女って、お前か?」
カナタが確信したように呟く。
「うん」
ミユは瞳に不安の色を宿しながら、そう言葉を返す。
「・・・なら」
「え?」
「俺達なら、その銀色の玉をつくりだせるかもしれない」
「え・・それってどういう・・・」
言い終わらないうちに、カナタの顔がゆっくりと近づいてくる。
まるでスローモーションのように。
ミユは思わず、瞳を閉じた。まるで、夢の中に入り込むように。
目の前に闇が広がる。
そこに光を灯すのは・・・。
優しく微笑むあなた。
ねえ、カナタ、ねえ。
この気持ちはまだ上手く伝えられないけど
あなたと私の心がつながっているのは分かる。
初めてのキスは優しくて、ミントの味がした。
「お前の魂は俺と同じ気がする。
その寂しさ、悲しみを包んでやりたくなる。
お前となら、魂をひとつにすることが出来るかもしれない」
カナタはミユを両手で抱くと
自らの胸に優しく包み込む。
ふと、ふたりを淡い光が包んだ。
光は二転三転すると西の方へ向かって伸びていった。
「これはいったい・・・」
カナタはその光を呆然とみつめていたが、
ミユは先程のキスの余韻でそれどころではなかった。
「カナタ・・・私・・・」
ミユはそう言いかけて、口を噤んだ。
どれくらい時間が経ったのだろう。
それさえ分からないでいた。
ふたりの間を沈黙が支配する。
「なぁ、ミユ。俺も西の森に行くよ。
あの光の正体を確かめられるかもしれないしな
それに・・・」
カナタはその沈黙を破るべく、思わず口を開いた。
(お前の気持ちを聞いていない)
そう言いかけて、口を塞ぐ。
「カナタ・・・私・・・ママと向き合ってみる。
貴方がいればそれが出来るような気がして・・・」
ミユはそんな彼の仕草に全く気づかずに言葉を続ける
「うん、そうだな。それがいい。銀色の玉だって
見つかるかもしれないし」
「うんっ。私頑張るよ」
そう言ってニッコリ笑う。
その笑顔がたまらなく愛おしい。
俺は、お前をどれだけ愛せるか分からない。
種族の違いにも悩むかもしれない。
それでも・・・お前を離したくない。
思わず、手に込める力が強くなる。
「カナタ、痛い・・・」
「あ・・す・・すまん」
「帰ろうか?」
「ああ、そうだな」
そう言って、またふたりで笑い合った。
そして、再び歩き出す。
夜の月が一層光り輝いていた。
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