月光夢想

其之三  不思議色恋唄

作:中井真里

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ずっと、君を見ていた。


君の瞳、笑顔・・・。


僕のすべてになった。



だから、その瞳が何処に向いているのかも知っていた。
敵わぬ恋と知りながら、僕は君に夢中になった。


偶然のようで、偶然でない僕らの出会い。


”忍ぶ恋”に胸が張り裂けそうになる。
恋は、人の心をさまざまな色に染め上げる。






◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇





−夜



この辺りでは恒例の祭りが行われていた。
屋台がところ狭しと並び、人々の楽しそうな声が
あちらこちらから響き渡ってくる。


その中を瑠璃色の鮮やかな瞳を持つ少年が
提灯を片手に、美しい金髪をなびかせ、
周りを物珍しそうに見回しながら
ゆっくりと歩いていた。


少年の名はノゾム・デ・ジャルジェ。
オランダ特使の息子である彼は、
父親と江戸へ出向いていた。新しい品物を
将軍に献上し、取引を申し出るためだ。


ノゾム達一行は、将軍との謁見が明日に迫り
江戸での最後の夜を想い想いに過ごしていた。
明日には長崎へと帰らなければならないのだ。


それはノゾムも同じだった。
彼にとって江戸という都市は
何とも不思議な印象を感じさせる街だった。


オランダやヨーロッパの都市では
決してみられない光景が
目の前に広がっている。


知らない言葉、知らない食べ物を
当たり前のように話し、口にする人々。
美しく、華やかな着物。


綺麗で不思議な香りのする街を
この目にはっきりと焼き付けておきたくて
とにかく夢中で歩いていた。


そんなとき、ふと足下に違和感を感じて立ち止まった。
すぐに提灯を照らしてみると
そこには美しい細工の施してある髪飾りが
持ち主を失い、淋しそうに横たわっていた。


思わず手にとってかざしてみる。
春の花・桜を象った美しい髪飾りは
月の光に照らされ、その姿をくっきりと現していた。




「何て美しいんだ」




あまりの美しさにノゾムはそう呟く。
もはや”美しい”の一言では表しようも無かった。


同時にこの髪飾りとの出会いは
初めてじゃないような気もしていた。




(なぜか、以前にも見たことがあるような予感がする)




そう感じたが、すぐに思い出せるはずも無かった。
腕を組み、考えを巡らせる。
そして、行き着いた答えは・・・。



瑠璃色の瞳は”ひとつの姿”を探し
夢中で辺りを走り回っていた。






◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇






その少女との出会いは一年程前の夏祭りの日。
あの日も満月だったような気がする。



こんな風に屋台の中をさまよっていた時だった。
すぐ側を二人の少女が横切った。




「お久里ちゃん、早くしないと屋台の食べ物がなくなっちゃうよ」
「お未夢ちゃん、待って下さいな」




ひとりは栗色の髪を頭で結っている、白い瞳の少女。
あどけない表情が可愛らしい。



もうひとりは、黒くて長いさらさらとした髪に
くりっとした眼の、まるで日本人形のような少女。





(ふふっ。僕の国の女の子より可愛いや)





心の中でそう呟きながら、ふと足を止めて見とれる。
特にお久里と呼ばれた少女の清楚な雰囲気に釘付けになる。
頭には美しい髪飾りが月の光に反射して輝いていた。



ふたりはそんな自分に微塵も気付かず、
手をしっかり繋ぎながら走っていく。



ノゾムにとっては一瞬の出来事ではあったが
少女の姿を蒼い瞳に焼き付けるには十分な時間であった。
いわゆる一目惚れというやつであろうか。



しばらくして、その少女が
江戸ではその名を知らぬものはいないという
呉服問屋・花屋の一人娘であることを知る。



江戸に出てくるたびに、その姿を見かけるたびに
胸が熱くなった。後を付けたこそさえある。



しかし、彼女の美しい瞳に写っているのは、いつも同じ姿であった。
黒い髪に黒と茶色の瞳を持つ若い剣士。



彼女はそんな彼に他の誰にも見せないような笑顔を向ける。
いつも連れ立っているお未夢にも見せない生き生きとした笑顔を。



ノゾムの胸はそんな彼女の姿をとらえるたびにズキリと痛んだ。
この恋は一筋縄ではいかない。そう思った。



それでも彼は走り続けていた。彼女の姿を目指して。







◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇







「ない・・・」




お久里は哀しそうに呟いた。
あれから半刻以上も探し回ったが
一向に見つかる気配が無かった。




(あれは・・・本当に大切な・・・わたくしにとっても
お未夢ちゃんにとっても無くてはならないものですのに)




そう呟きながら先程と同じ場所に戻ってみたものの、
到底見つかるはずもなく・・・。
今日何度目かのため息を付いたときだった。





「もし、そこのお嬢さん」





肩越しに声が聞こえたような気がして振り返ると
蒼い瞳の青年が、こちらを真っ直ぐに見つめて立っていた。
右手には、自分があれ程探しても見つからなかった
髪飾りが握られている。




「これ・・・貴方のですよね?」
「は・・・はい」




お久里は蒼く綺麗な瞳で見つめられて、思わず眼をそらした。
そんな様子の自分に、目の前の青年は
探していた髪飾りを両手で握らせてくれた。




「じゃあ・・・私はこれで」




ノゾムは小さくそう告げると、背中を向けて歩き出そうとした。
しかし、お久里の声がそれを引き留める。




「ありがとうございます。あの、せめてお名前を」
「私の名はノゾムと申します」
「ノゾム・・・様」
「それでは、ごきげんよう。お久里さん」
「どうしてわたくしの名前を・・・」




お久里の心には、自分の名を呟いて去っていく
ノゾムの姿だけが強く残されていた。







◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇







-西遠寺邸




あれから、お未夢の熱心な説得により、ルゥとワンニャーは、
西遠寺の屋敷に居候をすることになった。
お未夢が時々世話に来るという条件付きではあったが。


最初は不満そうだったお未夢も、彼らのためと渋々同意した。
彷徨にとって、新しい生活が始まろうとしていた。




(それにしても、成り行きとは言え
妙な奴らを抱え込むことになってしまった)




そんな彼の不安をよそに、当事者のふたりは自分達の身の振りが決まり
すっかり安心しきったのか、奥の部屋ですやすやと眠り込んでいる。




「ところで、お未夢」
「何ですか?」



お未夢がぽかんとした表情で聞き返すと
彷徨は言い難そうに言葉を続ける。



「嫁入り前の娘が・・・その・・・男の家に何度も出入りする
というのは、お父上も許さないのではないか?」
「あ・・・その点は大丈夫です。父上は私には甘いですから」



そう言って、まるで稚児のような悪戯っぽい笑みを浮かべた。
そんな彼女の表情に、彷徨の胸が高鳴る。




「そ・・・そうか」
「どうかされたのですか?」
「いや、な・・・何でもない」




気が付くと、目の前に心配そうな表情をしているお未夢の顔。
透き通った白い瞳が、こちらを真っ直ぐに見つめている。


彷徨は慌てて自らの顔を背けた。先程から鳴り始めた心臓の音は
しばらく収まりそうもない。




「そうですか。私はそろそろ失礼しますね。もう夕刻ですし」
「送っていく」
「でも・・・」
「いいから。男の好意は素直に受け取って置くものだ」




妙に真剣な表情の彷徨に、お未夢は初めて"男"を感じた。







◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇







その頃、光月邸はちょっとした騒ぎになっていた。
使用人は何かの準備に慌ただしく動き回っている。





「ねえねえ、綾。聞いた?」
「なぁに?おなみちゃん」
「とうとうお未夢様のお輿入れ先が決まりそうなんだって。
しかもかなりの名家で、ご容姿は麗しく、
それでいて剣の腕も一流って噂よ・・・」
「う・・・嘘ぉ・・・」
「今日にも、お未夢様には事の次第をお話になるって
旦那様が奥様とお話していたのを聞いちゃった」





女中として幼少の頃から住み込みで奉公をしている
おなみと綾も例外ではなく、仰せつかっていた
廊下の掃除の手を止めて、ここぞとばかりに騒いでいる。
綾などは、自ら執筆している芝居の題材を逃すものかと
瞳を一層強く輝かせている。




何せ、名家・名医と名高い、光月家で
現当主である、光月優之介が溺愛するほど
大切に育てられてきた娘のお輿入れである。



少しでもこの家に関わってきたものであれば、
騒がぬものを探す方が難しい。





「お未夢・・・」




おなみと綾がふとした声に後を振り返ると
主人である優之介が落ち着かないといった様子で立っていた。




「だ・・・旦那様」
「おなみ、綾。お未夢はまだ帰らぬのか?」
「いえ、夕刻には帰っておられるはずなのですが・・・」
「今日は大切な日だというのに、どうしたことだ」




優之介はそう言いながら、先程から廊下の隅から隅へ、
行ったり来たりを繰り返している。
江戸有数の名医も娘のこととなると我を忘れてしまうらしい。




「ただいま帰りました」




そこへ聞き慣れた愛娘の声。
優之介は颯爽と声のする方へ駆け寄った。



おなみと綾も、そんな主人の変わり様に
いつものことだとため息を付きながらも
その後に続いた。




「お未夢・・・遅かったな。父は待ちくたびれたぞ」
「父上、ただいま帰りました。遅くなって申し訳ありません」




出迎えたおなみと綾に持っていた荷物を渡すと
申し訳無さそうな表情で頭を下げる。




「あの・・・失礼ですが、そちらの方は?」




優之介はふとお未夢の後に控えめな様子で立っている
若い武士に目を向ける。おそらく娘を心配して
ここまで送り届けてくれたのだろう。彼の態度から
すぐにそう察することが出来た。



それにしても、何と聡明な眼をした男なのだろう。
年はお未夢とそう変わりないというのに、
彼に纏う独特のオーラがそれを感じさせない。
お未夢の相手がこんな男ならば、我が娘を任せるに
申し分ないものを。



優之介は、男の眼をじっと観察しながらそう思っていた。
男はそんな彼の態度に少々戸惑っていたが
しばらくすると、静かに口を開いた。




「私は西遠寺彷徨と申します。お未夢様とは、
私の幼なじみを通じて、知り合う機会がありまして。
その縁から、私の家に来て頂いていました。
少し遅くなったので、こちらまでお送りした次第です」




彷徨はそう言って、頭を深々と下げた。




「西遠寺!?するとそなたが・・・」




優之介の表情が、驚きの色に変わる。
そこへ、妻の未来が数人の女中を伴って現れた。




「おお・・・未来。いいところに」
「母上、ただいま帰りました」
「お未夢、お帰りなさい。ところでそちらの方は・・・」




少し首を傾げた様子の未来に、優之介は事の次第を説明した。
すると彼女の表情は、何か大切なものを見つけたときのような
煌びやかなものに変化した。




「貴方が彷徨様なのですね?その顔、その眼
どれを取っても瞳様に生き写しですわ・・・」
「母上を、母上をご存じなのですか?」




今は亡き母の名に、彷徨は思わず声を上げた。




「私と彷徨様の母上は、生前、良きご友人でした。
同じ武家の妻として、共に支え合い、助け合いながら
生きて参りました。そして、ご病気で亡くなられてからも
ご子息である、あなたの身を案じておりました。
今こそ、瞳様の遺言に基づき、お未夢との縁組みを・・・」





未来の全く予期を見なかった言葉に、彷徨とお未夢のふたりは
すっかりその場に固まってしまっている。
縁組みの話を聞いていた、おなみと綾のふたりでさえ、
突然のことに驚きの様子を隠せないでいる。





「母上・・・今、な・・・なんとおっしゃいました?」
「ですから・・・お未夢。瞳様の遺言により
貴方とご子息・彷徨様との縁組みを・・・」





お未夢は未来の言葉が信じられず、心底動揺した様子を見せる。
突然の出来事に、さすがの彷徨も動揺しているらしく、
その場から動けないでいる。




未来はそんな彼らの様子にも、冷静な表情を崩さずに、
先程の言葉を繰り返そうとしたその時。





-コホン




優之介はわざとらしく咳払いをすると、
お未夢を、何時になく真剣な表情で見つめた。




「それでは私の口から話をしよう」




そう言って、一呼吸置くと静かに口を開いた。




「お未夢・・・愛しい我が娘よ。喜びなさい。
そこにおられる彷徨殿との縁組みが決まったのだよ」




運命の歯車が、回り始めようとしていた。







◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇







その頃、花屋では、お久里がおぼつかない様子で
なんとか屋敷に辿り着いたところだった。




「ただいま帰りました」
「お久里お嬢様。一体どうなさったのですか?こんなに遅くまで」
「ちょっと、そこまで・・・」




お久里はそう言い終わらないうちに、
出迎えた女中頭の腕の中に倒れた。


白い肌は赤みを増し、体全体が熱で帯びていた。




「誰か、薬師の先生をお願い。お久里様が凄い熱で。
それと旦那様と奥様にもお知らせして」




女中頭は屋敷中に大声を張り上げた。
そして、その声に駆けつけてきたもうひとりの女中のふたりで
お久里を部屋に運ぶと、手慣れた様子で布団を用意し、寝かせた。




「お嬢様。もう少しで先生が来られますからね」




女中頭の言葉に、お久里は小さく頷いた。





「お・・・みゆちゃん、かな・・・た様、ノ・・・ゾ・・・ム様」




それから一晩中、お久里の口からは、
ひとしきりそんなうわ事が聞こえていた。













皆様、お久しぶりです。
なんとか復活して参りました(汗)。


というわけで、「月光夢想」久々の三話を
お送りすることが出来ました。
本当に間が空いてしまってすみません。
その割りにちっとも話が進んでいないですし。


今回のお話は今後のお話のいわば導入的な部分なので
こんな形になりました。感想など頂ければ幸いです。


それでは次の「其之四 運命かく語りき」で
お会いしましょう♪


'04 5.3 presented by 中井真里


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