月光夢想

其之四  運命かく語りき

作:中井 真里

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「お未夢・・・愛しい我が娘よ。喜びなさい。
そこにおられる彷徨殿との縁組みが決まったのだよ」



お未夢の頭の中は、先刻の父の言葉でいっぱいになっていた。









* * * 








あれから数日


お未夢は西遠寺家に毎日のように出入りしては、ルゥとワンニャーの世話をしたり、
屋敷の掃除をしたり、彷徨の食事の世話をしたりという毎日が続いていた。


許婚としてではなく、友人としての義務だと自分に言い聞かせながら。
しかし、周りはそうは見てくれていないようで、両親や女中達は、
西遠寺家に出かけていく自分を微笑ましく見つめているし、
これを機とばかりに西遠寺家や彷徨に対してよからぬ噂を立てるものもいる。


しかし、お未夢にとっては人事のようにしか感じられなかった。
自分の意志とは関係の無いところで、何かが動いている。
そうとしか思えなかったから。






「お未夢・・・愛しい我が娘よ。喜びなさい。
そこにおられる彷徨殿との縁組みが決まったのだよ」





今のお未夢は、父の言葉の意味が分からぬほど子供ではない。
しかし、そんな現実が理解できるほど大人でもなかった。






「お未夢」






屋敷の土間でふと後ろから声を掛けられて振り向くと、
彷徨がこちらを真剣な眼差しで見つめていた。
両手には二本の竹刀が握られている。





「そなたは女ながら、江戸でも指折りの腕前らしいな。
俺と勝負をしてくれないか」
「勝負って、どういうことですか?」





彷徨の突然の申し出に、さすがのお未夢も戸惑いを隠せない。





「なぜ、私と勝負を?」
「・・・・・もし、そなたが勝ったら、この縁談、無かったことにしてもらう。
しかし、俺が勝ったら・・・」
「勝ったら?」
「・・・・・そなたを貰い受けたい」








お未夢を見つめる真剣な眼差し。その言葉に嘘はないように思える。
しかし、それを簡単に受け入れるほど、大人ではないし、
素直な性格でもなかった。


お未夢は彷徨を鋭い瞳で睨み付けると、
こう言い放った。






「・・・・・それが何を意味するのかお分かりですか?」
「分かっている」
「分かっていません!!」
「分かっている」
「お久里ちゃんには何て言うつもりですか?」
「あいつには伝えた。”妹としてしか見られない”と」
「・・・・・・・・・。今、西遠寺家がどのような噂を立てられているかご存知ですか?」
「知っている。言いたい輩には言わせておけばよい」








自分を射抜く鋭い茶色の瞳。
今までどんな男にも負けないと思ってきたが、
この男の瞳には、今まで戦ってきたどんな男達とも違う色を感じた。







「いいでしょう。三本勝負で、二本を先にとった方が勝ちというのはどうかしら?」
「いいだろう」
「その代わり、怪我しても知りませんよ」
「上等だ」







勝負を受けたのは、お久里のためというのが大きいが、
単純な好奇心もあった。

この男の鋭い瞳の意味を知りたい。
そんな好奇心。





そんなやり取りから、互いに竹刀を持ち、
一定の距離をあけて構えたときだった。







「おふたりともお止め下さいまし〜。どうかわたくし達のことで喧嘩なさらないで下さい」





数日前に自分達の前に突然現れた犬猫を足したような奇妙な生物が、
鳥のように体を浮かせながらこちらにやって来たのだ。

しかも、かなり慌てた様子だ。





「わんにゃーとやら。何か勘違いしてないか」
「ワンニャーですってば。って何が勘違いなのですかっ」
「ワンニャー殿、私達は別にあなた達のことで喧嘩していたわけではありません。
私達は訳があって、剣の勝負をしようとしていたのです」





お未夢に優しく諭されて、ワンニャーも少し落ち着きを取り戻したようだった。






「でもお未夢さん、おふたりが勝負しなければならない訳って何なのですか」
「それはそなた達が知るべきことではない」
「彷徨様・・・・・そのような言い方では」
「お未夢。武士の娘たるもの、そのような甘い考えでは生きては行けぬぞ」
「・・・・・。ともかくワンニャー殿、私達は喧嘩していたわけではありません。
お願い。これ以上は聞かないで下さい」



お未夢はそう言って、持っていた竹刀を彷徨に預けると、
はっとしたように突然、仏間の方に向かって歩き出した。








* * *









突然のお未夢の行動に、彷徨、ワンニャーも慌てて後をつける。
ワンニャーはといえば、よっぽど慌てているのか、
先ほどから訳の分からない言葉を口走っている。




「どうした」
「・・・・・ルゥ殿の姿が見えません。どうやらこの屋敷を出たようです」
「どうして分かる?」
「私には幼少の頃から物の怪を引き寄せる力があるようです。
おふたりがこちらにやってきたのも、私の力だと存じます。
そのためか分かりませんが、ルゥ殿の動きも感じ取れるようです。
ワンニャー殿の動きはあまり感じ取れないようですが」





お未夢の言葉に、彷徨は一瞬驚いたような表情を見せたが、
すぐに真顔に戻り、お未夢の方を見た。





「そなた、俺の死んだ母上のようだ」
「瞳様のことですか?」
「そうだ。母上もそなたと同じ力を持っていた。
俺にも微力ながら同じ力があるが、そなた程強くはないし、
使いこなせてもいない。しかし、あのもの達を引き寄せたのは、
そなただけの力ではないはず」
「怖がらないのですか」




自分の力を怖がらない人間などはじめてだと思った。
幼い頃、両親でさえ恐れたような表情をしていたのに。





「他のものは怖いと思うかもしれんが、俺は母上で慣れているからな」
「そう・・・ですか」
「そうだ」





相変わらず自分を射抜くような瞳に、お未夢の胸は高鳴った。
しかし、そんなことを考えている場合ではない。





「彷徨様。早くルゥ殿を保護しなければ、大変なことになります」
「そうですよぉ。ルゥちゃまを、ルゥちゃまをお願いいたしますぅ〜」





ワンニャーは大きな瞳に涙を目いっぱいためて彷徨とお未夢の方を見つめた。





「ワンニャー殿。あなたはここにいなさい。私達がルゥ殿を探してきます」
「いえ、そんなわけには参りません。わんにゃー」




お未夢の制止の言葉も聞かず、叫び声をあげると、見る見るうちに人間の若侍の
姿になっていく。ほっそりとした顔立ち、頭のてっぺんで黒く結った髪。
江戸の武士が着用するごく普通の青い着物。
この姿では誰も物の怪だと疑わないだろう。





「そなた、きつねかたぬきのようだな」
「それってどういう意味ですか?」



彷徨の言葉にぽかんとした表情のワンニャー。




「この世界では、あなたのような力を持つものは、
きつねかたぬきくらいなのです。それも本の中の世界ですけど」
「そうなんですか」



お未夢の説明に納得したようにうなずきつつも、
すぐに表情が真剣なものに変わる。





「そんなことよりも早くルゥちゃまを」
「そうだな。お未夢、いくぞ」
「・・・・・わかりました。平尾神社の方に力を感じます」
「よし、平尾神社に向かうぞ」
「ワンニャー殿、行きましょう」
「はい、お未夢さん」





お未夢は、彷徨の言葉に以前とは違う想いを感じていた。
敵意ではない感情・・・。それが何なのかはお未夢自身にも分からなかった。





「お未夢、これを」





彷徨はいつも朝の修練に使っている竹刀をお未夢の方へ投げた。
一見、どこにでもあるような竹刀だが、念入りに磨かれているのが一目で分かった。






「・・・・・ありがとうございます」
「俺の力だけでは守ってやれないこともあるからな」




彷徨の少しはにかんだ様な笑顔。

お未夢は胸の高鳴りを否定できないでいた。
彷徨に対して、父親とは違う感情を抱き始めているのは分かる。
しかし、その感情に答えを出すことは出来なかった。






「ぼんやりしている暇はない。急ぐぞ」
「・・・・・はい」






彷徨とお未夢はそう言い合いながらお互いの意志と表情を確認すると、
平尾神社の方へ足を急がせた。





「お二人とも、お待ちくださいませ」





ワンニャーも慌てて二人の後を追っていった。









* * *









その頃、平尾神社では、ひとりの若侍が仕事を終えて、
いつものように散歩に訪れていた。






「・・・・・今日も一日が恙無く終わってしまった。
こんな日は何かあるもんなんだよな。
なんて冗談を言っている場合じゃないんだった。
今のおれの状況を考えると」






若侍は勤め先の奉行所で父親の仕事を手伝っている。
ところが最近の奉行所は不穏な空気が漂っているのだ。
ある役人のひとりが、紅毛人との密貿易を見逃す代わりに、
賂を受け取っているという噂だ。




だが、噂は本当だった。
取引の場を偶然にも目撃してしまったのだ。




しかし、彼の奉行所での立場は弱く、
それを申し立てても信じてもらえないばかりか、
自分に罪を着せられる恐れもあった。
そのため、こうして自分の胸の中にしまっておくしかなかったのだ。





そうこうしているうちに数日が過ぎてしまった。
一見、何事もない毎日だが、頭に過ぎるのは、
自分が口封じに切られる姿。






「・・・・・やはり彷徨に相談すべきなのだろうか」






そう思ったときであった。






「だぁ!」







ふと平尾神社の本殿から赤子の声がするではないか。
胸の高鳴りを抑えながら扉を開けると、
見たことも無い姿の赤子が顔を出した。








「きゃーい」
「そ・・・・・そなたは一体・・・・・」








若侍は驚きのあまり、その場から動くことが出来なかった。












皆様お久しぶりです。

ようやく月光夢想の新作をアップすることが出来ました。
感想などいただければ幸いです。

詳細はウィキの方で相談しますね>山稜しゃん


では、其之五「強き願ひ」でお会いしましょう。

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