作:中井真里
いつの間にか、あのまっすぐな瞳に
惹かれている自分に気付く。
純粋で、一点の曇りも無いあの瞳に。
女心はうらはらにて、男心を揺らすものなりに候
◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇
−力の源は仏間にあり
以上の結論から、三人は仏間に向かった。
彷徨は家紋のついた刀を手に取り、お未夢は竹刀を握る。
目の前にいるのは、金色の髪に新緑色の瞳が印象的な赤ん坊に
背丈はお未夢の半分くらいであろうか?
ふさふさした毛並みに、山のようなふたつの耳
丸く大きな眼に、左右六本に張り巡らされている髭。
このような特徴を兼ね備えた、犬にも猫にも見える
世にも不思議な生物が、白く小さな二本足で立っている。
「おい、あれ何に見える?」
信じられない光景に、彷徨の刀を構える手が震える。
「赤ちゃんと・・・物の怪・・・?」
ふたりがそんなやりとりをする中、 お久里は
お未夢の着物をしっかり掴み、ぶるぶると震えている。
「お前らはここに居ろ。俺が行く」
ふたりを制して、彷徨ひとりが
赤子と物の怪らしき生物に近づいていく。
「私も行きます」
お未夢も竹刀を両手でしっかり握りしめ、彷徨の後ろに続く。
「お・・お二人とも待って下さいな」
彼女にとって一生分の気を使い果たすかのように
震える足でゆっくりと歩く。
赤子の周りは金色の光に包まれていた。
まばゆいほどの光を手で覆い隠し進む。
しばらくして、物の怪の閉じていた眼が見開かれる。
三人は思わず足を止めて、その光景に見入った。
「う・・・ここは何処でしょう?わたくしたちはいったい?」
「お・・お未夢ちゃん・・・」
「確かに今、しゃべったわよね」
「な・・こいつはいったい」
三人は、顔を見合わせながらそれぞれの反応を見せる。
驚くのも無理はない。この世のものとは思えない、
まるで物の怪のような生き物が、
突然人間の言葉を口にしたのだから。
その黒い大きな眼が、キョロキョロと辺りを見回している。
が、すぐにこちらの視線に気付くと動きが止まる。
「俺は西遠寺彷徨。この屋敷に住むものだ。
お前達はいったい何者なんだ?この場で斬り捨てようとは思わんが、
場合によっては、我が屋敷に侵入した狼藉者として、
奉行所に突き出さなければならない」
彷徨は警戒する様子を緩めず、
”謎の生物”から事情を聞き出そうとする。
が、警戒の色が未だ含まれている彼の表情に
”謎の生物”の顔は怯えの色に染まる。
「彷徨様、そのような物言いでは
相手を警戒させるだけですわ。ここは私が。」
お未夢は彷徨にそう告げるとゆっくりと”謎の生物”に近づいていく。
「お未夢。お前は下がっていろ。相手は何者か分からぬのだぞ」
彷徨は右腕で制止しようとするが、
お未夢はその手を振り払い、こう言い放つ。
「誰かが危険を冒さなければ、
一歩を踏み出さなければ何も変わりません。
どうか、ここは私を信じてください」
−真剣な眼差し
彷徨には、それがまるで、今の自分に対する言葉に思えて
胸に刀が突き刺さるような感覚に襲われた。
(こいつは強いんだな・・・やはり俺とは違う)
先程以上に、お未夢の瞳が眩しく自分の目の前に写し出される。
美しく染め上げられた純白の瞳に
彷徨の心の中は激しく掻き乱される。
「彷徨様?」
お未夢は、そんな彷徨の様子が気になって
思わず顔を覗き込む。
一方の彷徨は、純白の瞳に近距離で見つめられて
胸の音が一層高まる。
「あ・・ああ。お前を信じるよ」
これが精一杯だった。
今の自分には、精一杯の言葉。
彷徨は先程とは違う穏やかな瞳で、お未夢を見つめた。
(お前を信じる)
そう強く語りかけるように。
お未夢はそんな彷徨の視線に答えるように
ゆっくりと腰を下ろし、”謎の生物”を
穏やかな表情で見つめる。
そして、語りかけるような口調で話し始める。
「私はお未夢と言います。さっきはごめんなさい。
私達はあなたが恐いわけでも無いし
あなたをどうにかしようなんて思ってない。
ただ、あなた達が一体何者なのか、
そして何処から来たのか・・・それが聞きたいだけなの」
お未夢は右手で”謎の生物”の頭を優しく撫でた。
手には体中を覆っている毛の温度が柔らかい感触と共に伝わってくる。
同時に、先程まで怯えの色を見せた、”謎の生物”の表情が少しずつだが、
元に戻っていくのが分かる。
「その・・・わたくし達は・・・!?」
”謎の生物”は何かを想いだしたように再びキョロキョロし始める。
「ルゥちゃま、ルゥちゃまぁ。一体何処に・・・って
ここにいらしたんですかぁ。よかったですぅ〜」
すぐ側に眠っている赤子を見つけると、瞳を涙でいっぱいにしながら
愛おしい眼で見つめつつ、大切そうに抱き上げる。
「うきゃ〜わんにゃ」
赤子はすぐに眼を覚ますと腕の中で、こう叫びながら
”謎の生物”の毛を引っ張っている。
「いろいろ忙しい奴だな」
彷徨はその様子を呆れつつも穏やかな表情でみつめる。
「ふふっ、そうですね」
彷徨の言葉に頷きながらも
お未夢の心の中は何処か懐かしいような
不思議な親近感に満たされていた。
◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇
「で、結局あなた達は何者なの?」
お未夢は西遠寺家の居間にて
彷徨の淹れたお茶を啜りながら、話を切り出す。
「はい。わたくしはワンニャーと言います。
そして、この方はルゥちゃま。わたくしの主人です」
そう言って、お茶菓子を口に頬張る。
「あい」
ルゥは返事をするように小さな手をちょこんと挙げた。
その笑顔は穏やかで愛らしい。
「ワンニャー、ルゥか・・・まるで異国の言葉みたいね」
お未夢は頬を当てて考え込む。
小さい頃、父・優之介は自分が関わったことのある
異国の国について、良く話をしてくれたのを思い出す。
世界には、日本より豊かな国が多く存在する。
口癖のように繰り返しながら、いつか、
お未夢をそこに連れて行ってやりたいと
優しく笑っていた父の姿が思い出される。
そして彷徨はと言うと、その様子を興味深そうに覗き見ていた。
「で?結局、お前達は何処から来たんだ?」
一通り観察を終えると、話の続きを促す。
「はい。今の時点で詳しくはお話出来ませんが、我々のすみかは
こちらとは違う、異世界にあるのです。わたくしたちは
追っ手から身を隠すために、こちらの世界へ逃げて参りました
正直、私の力ではこちらの世界に飛べるか分からなかったのですが
どうやら、このお屋敷の仏様が力を貸して下さったようです」
「仏の力・・・か。でも良かったよ。ここで。
他のところなら見つかったらすぐに奉行所に突き出されて
大変なことになっていたかもしれないしね」
お未夢は心底ほっとした顔で、微笑みを浮かべる。
が、心の中は一つの確信によって支配されていた。
(もしかして、彼らを引き寄せたのは、
私かもしれない。いや、そうに違いない)
と。
が、今の彼女には自分の力を
彷徨に告げることなんて出来る筈も無かった。
拒絶されるに決まってる。
お久里にだって話したことは無いのだから。
◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇
「仏の力・・・母上の力か・・・」
一方、彷徨は自分にだけ聞こえるように
そう小さく呟きながら
今は亡き母・瞳の不思議な力を思い出す。
母の力が今も仏に宿っていて、
ヤツらを引き寄せたのだろうか?
そんなことを考えながら。
同時に、新たな疑問が沸き上がる。
俺の過去を見破った”お未夢の力”
あれは母上と同じものだった。
なぜ、こいつが母上と同じ力を・・・。
いや、考えすぎか。
そっと心の中で自分なりの結論を出してみる。
が、心の奥底が何かで支配されているのが分かる。
思わず、お未夢の顔を覗き見る。
白い瞳が、母の姿に重なった。
胸が痛くなる−
「彷徨様・・・」
母と同じ、白い瞳が彷徨を心配そうに見つめる。
「いや、お前が気にすることじゃない」
図星を突かれて思わず強い口調になる。
(こいつは全部知ってる。俺の過去も、俺自身の醜い心も。
俺にとっては危険な娘だ。それが分かっていても
なぜか心が、眼が、引き寄せられてしまう。)
−でも・・・どうしようもない。どうにもならない・・・。
そう自分に言い聞かせても、胸の痛みは
心の中に深く入り込んでいた。
”いや、お前が気にすることじゃない”
彷徨の一言が、お未夢の心を支配していた。
私の力のせいだ。私の力が
またひとりの人間を傷付けてしまった。
こんな気持ちを幾度と無く感じてきた。
が、胸の痛みはいつも以上に深いように思える。
お未夢は彷徨自身を支配している
温かいオーラを感じ取りながら
自分の中に燻っている感情を心の奥底に封印した。
それに−
今はそれどころじゃない。
そう思ったから。
お未夢はちらりとルゥとワンニャーの方に眼を向けた。
◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇
「で、ワンニャーさん、これからどうするのですか?」
お未夢は自分の心を押し殺しながら思い出したように話を続ける。
「そのことなのですが・・・」
ワンニャーは残っていたお茶を飲み干すと、彷徨そして
お未夢の顔を交互に盗み見た。
「旦那様、奥様。どうか、ルゥちゃま共々
こちらに置いて頂けないでしょうか?」
彷徨とお未夢はワンニャーの予想も
出来ない言葉に、一瞬固まった。
そして、ワンニャーの方を
鋭い眼で睨み付けると、声を揃えて叫ぶ。
「「夫婦じゃない!!」」
「だぁ?」
ルゥは人差し指を舐めながら、
どうしたのだろう?と言った様子で
彷徨とお未夢を交互に見つめる。
「そ、そうなのですか。では、改めて彷徨様。
こちらに置いて頂けませんか? どうかお願い致します。
ルゥちゃまのお世話なら私ひとりで十分ですし」
ワンニャーはふたりの鋭い視線に負けじと食い下がる。
「彷徨様、こちらは江戸の外れですし
追っ手にも見つかりにくいと思いますよ
それに、赤子はどうするのですか?」
「お前なぁ・・・」
未夢の提案に彷徨は不満の声を上げる。
「大丈夫。こうなったら渡りに船です。
私達もお手伝いに来ますから。ね、お久里ちゃん」
お未夢は隣りに座っている
お久里の方に顔を向けると目配せをした。
「え・・ええ」
お久里はそう答えを返すのが精一杯だった。
「分かった。分かったよ」
彷徨はお未夢とワンニャーの視線に圧倒されて
諦めたようにそう呟く。
「ううっ、よかったですぅ〜」
ワンニャーの黒い大きな眼が涙で染まる。
(よかった・・・)
お未夢は思わずほっと胸を撫で下ろす。
が、同時に不安もあった。
ワンニャーとルゥには何処か不思議な力を感じる。
自分達が生きている世界とは違う、未知の力。
今のお未夢にはそれしか判らなかった。
何か災いを及ぼさなければいいのだけれど・・・。
お未夢の心は暗雲で覆われた。
一方、お久里は一連の光景を眺めながら
何処か胸が痛むものを感じていた。
(彷徨様は、お未夢ちゃんに惹かれ始めている)
そんな心の中の叫びが頭の中を駆けめぐる。
(わたくしにはどうしたって
お未夢ちゃんに敵うはずが無い
お未夢ちゃんは魅力的ですもの)
お久里には月のように儚く、
太陽のように美しい微笑を浮かべる
お未夢の姿が思い出される。
そう、彷徨様ならきっとお未夢ちゃんを選ぶ。
私など、ただの幼なじみに過ぎない。
そんなこと、分かっているはずなのに、
こんなにも胸が痛い。
嫉妬・疎外感・自己嫌悪
しだいに芽生えつつある、さまざまな感情。
秘められた想いは彼女自身でさえ
止められない程強くなっていた。
−自分ではどうにも出来ないくらい、嫌な女になっていく。
−同時に感じる胸の痛み。
−想いをぶつけることで、相手を傷付けてしまうことへの恐れ。
−私って醜い・・・。
「あ・・あの、お未夢ちゃん、
わたくし用事を思い出したので帰りますわ
今日は本当にありがとう」
お久里は自分の心の奥底にある
醜い心に堪えきれずに屋敷を飛び出した。
「お久里ちゃん?」
お未夢にはお久里の気持ちが見えなくなっていた。
いつも一緒にいて、分からない事なんて一つも無かった。
彼女のことが、まるで知らない人のようで、寂しく感じた。
◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇
−はぁ、はぁ
お久里は荒く息をする。
(いったい何処まで走ったのかしら?)
無我夢中で走っていたら、知らない場所に来てしまったらしい。
川の畔には、見事な桜が咲き誇っている。
人々は思い思いの服装に身を包み足早に歩いている。
(お祭りでもあるのかしら?)
お久里は心の中でそう呟くと
気晴らしにはなるだろうと思い
人の多い方に向かって歩き始めた。
祭りの会場は見物客で賑わっていた。
あちらこちらに屋台が建ち並び
威勢のいい声が響いていた。
ふと、頭が軽くなったような気がして手を当ててみる。
−ない・・・
頭に付けていたはずのかんざしが無くなっていた。
何処かで落としたのだろうか?
お久里がいつも肌身離さず身に付けているかんざしは、
昔、お未夢がくれたものだった。
「これ、おともだちになったしるし。
ちちうえにもははうえにもないしょだよ」
そう言って、自分の頭に付けていたかんざしを
お久里の手のひらに載せて、 笑顔を浮かべた
お未夢の姿は、今でも眼に焼き付いている。
お久里は人混みを掻き分けて
必死に辺りを探すが見つからない。
−どうしよう
そう思ったときだった。
「もし、そこのお嬢さん」
そう後ろから声がして、思わず振り返ると
金髪で、青い眼をした美しい青年が
自分の探している筈のかんざしを握って立っていた。
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引き続き「月光夢想 其之二 君想ふ心」
をお送り致しました。
いろいろあって、随分二話に時間が掛かってしまいました。
ストーリー展開はほぼ決まっていたのですが、場面ひとつひとつが
つながらなかったり、苦心していました。
三話では、恋愛面がさらに進行していく予定でいます。
ドロドロに拍車が掛かるかも・・・。
それでは、「其之三 不思議色恋歌」
をよろしくお願い致します。
BGM:NECESSARY song by okui,masami
2003.4.29
('04 4.10 加筆修正させて頂きました)
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