作:中井真里
私の運命は私自身が決める。
ずっとそう思って生きてきた。
そして、これからも・・・。
◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇
「今日もいい天気!」
少女はそう呟きながら自分の部屋の鏡の前で身なりを確認する。
少女の名はお未夢。
江戸でも有名な医者の家系・光月家のひとり娘。
年は、今年で十七。 栗色で長い髪を頭で結っている。
透き通った白い瞳の道を行く、誰もが振り返るような美少女。
その愛らしい笑顔と身分を感じさせない屈託のない明るい性格は
江戸中の人々を惹き付けて止まない。
「ちょっと花屋のお屋敷に行って来ます。夕方には帰る予定だから」
「お未夢様、いってらっしゃいませ」
「いってらっしゃいませ。だんな様と奥様にはそうお伝えして置きますね」
お未夢は身支度を整え、光月家の女中・おなみ・お綾のふたりに
自分の行き先を言付けると、彼女らの声を背に
立派な構えの長屋門を出た。
◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇
お未夢が向かったのは、 江戸でも一二を争う
大きな呉服問屋・花屋の屋敷。
「おばさん、こんにちは」
「あら。お未夢様、ご機嫌うるわしゅう」
お未夢は屋敷の前をほうきで掃いていた
中年の女中にいつもの挨拶をする。
「お久里ちゃんいる?」
「お久里様なら、お部屋でお待ちですよ」
未夢は女中の言葉に満面の笑みで答えた。
「お久里ちゃん、わたし。入ってもいい?」
「はい」
未夢が障子を開けると、お久里と呼ばれた少女が
机の上に書物を広げていた。
どうやら、商いに関する書物のようだ。
こちらも、お未夢に決して劣らない美少女。
黒くて長いさらさらとした髪に くりっとした眼の
まるで日本人形のような少女。
人々は彼女を”花屋・小町のお久里ちゃんと呼ぶ程だ。
ふたりは幼い頃からの親友だった。
幼い頃はよく連れだって遊んだものだ。
身分の関係上、お久里の家をお未夢が尋ねるということが殆どだったが、
ふたりの関係はすでに身分を超えていると言えるだろう。
「お未夢ちゃん、いらっしゃい。お待ちしてました」
お久里は彼女を笑顔で迎えると、自分の前に座布団を敷き
座らせた。
「ところで、話ってなんなの?」
「そのことなんですが・・・」
お久里は恥ずかしそうな表情で畳みの上を人差し指で掻いている。
「???」
お未夢はここ最近、お久里の様子がおかしい。
そう思っていた。
話し掛けても上の空だったり、何処かそわそわしていたり。
お未夢にとって、お久里は姉妹同然の関係。
お互いのことなら手に取るように分かった。
分かるはずだった。
が、最近は彼女が何を考えているのか分からない。
ふたりの関係が少しずつ変化していた。
お互い幼いままではいられない。
そんなことはお未夢にも分かっている。
が、最近のお久里の態度を見ていると
何処か寂しさを感じずにはいられなかった。
「あの、わたくし・・・好きな方が出来ましたの」
お未夢は突然のことに、驚きの表情を見せる。
「もしかして、お久里ちゃん、世間様で言う、恋煩いってやつ?」
「え・・ええ・・・あ、言っちゃいましたわ」
お久里は赤く染まった顔を両手で押さえながら答える。
やっぱりいつものお久里じゃない・・・そう思いながら話を聞く。
「昔からずっと家でお世話している方なんですけど・・・」
お久里は先程と同じ表情を浮かべながら、
何かぶつぶつと口を動かしている。
「?うん」
「私とその方、お未夢ちゃんと知り合う前から幼なじみで。
最初は本当にただの幼なじみでしか無かったのですが、
ここ最近はお会いする度に、胸の高鳴りを感じるようになったんです。
それで、これは恋煩いだと・・・。」
お久里はそこまで言うと、顔を真っ赤にして俯いてしまった。
お未夢はそんなお久里を可愛いと思う反面、寂しさを感じていた。
そんなこと今まで知らなかった。
私達はいつも一緒にいて、隠し事なんて無い・・・。
そう思ってた。なのにどうして?
やっぱりお久里ちゃんは変わってしまった。
私の知らないところに行ってしまった。
「そ・・・それで?」
お未夢は、心の中でそんなことを
何度も呟きながら、話の続きを促す。
「それだけです」
お久里の表情が次第に曇っていくのが分かる。
「それだけって?」
お未夢は訳が分からないと言った表情で、
その答えの意味を問うた。
「私とあの方では身分違いの敵わぬ恋ですから」
言い終わると、再び俯いてしまう。
そして、先程とは全く逆の暗い表情に変わる。
「それってもしかして・・・」
お未夢はお久里の話から、ひとつの答えを導き出す。
「はい。その方はお武家様。それも格式のあるお家柄の」
”身分違い”その言葉を聞いた途端、お未夢の中の何かが
パリンと弾け飛ぶように感じた。
許せない・・・。
武士だって、町人だって、
病気になれば同じように死ぬのよ。
父上はいつもそう言ってる。
だから父上は、身分によって
治療や待遇を変えたりは決してしない。
私も父上の背中を見ながらそう教えられてきた。
どうして、身分が違うからって
心が通い合ってはいけないの?
どうして・・・?
心の中に、”武士”や”身分”
自分の生まれた家が武士であることに対する怒りと
もどかしさが込み上げてくる。
お久里と身分を変わってあげることが出来たら
どんなに良いだろう?
このときほど、そう感じたことは無かった。
「だから、武士なんて嫌いよ・・・」
お未夢は思わずそう呟く。
眼からは涙が溢れてくる。
「お未夢ちゃん・・・。ありがとう。もう良いですわ。
私が諦めればいいことですから」
お久里は未夢の涙を指で拭いながら、力無く呟く。
「良くない!良くないよっ!」
お未夢は突然立ち上がる。
「お・・・お未夢ちゃん?」
お久里は彼女の突然の行動に
訳が分からずおろおろするばかりだった。
呆然とするお久里に対して、
お未夢は自分の中でひとつの考えをまとめる
「お久里ちゃん、そのお武家さんのお屋敷を教えて」
そう言ってまるで何かを企んでいるような笑みを浮かべた。
(お未夢ちゃん、いったいどうするつもりなのかしら?)
お久里は親友の行動に、不安を感じずにはいられなかった。
◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇
「ふ〜ん、西遠寺家か。格式のある家じゃない」
未夢は目の前の建物を眺めながら
思わず、そう呟いた。
次の日。
お未夢はお久里を伴って、少し外れにある、
”例の武家屋敷”の前に来ていた。
が、屋敷とは名ばかりの、
あまり手入れの施されていない古ぼけた建物だった。
同じ武家でも、”光月家”の建物とは全く違う様を見せていた。
ここ数十年。武士の生活は苦しくなるばかりであった。
光月家のような、医者などの家系を除いて、
武士は基本的に手に職を持ってはいない。
いくら、格式のある家とはいえ、
まともな職に就けなければ、家族を養うどころか、
自分さえも食べていくことは難しい。
そんな、身分を保障されていない、
多くの武家は歴史ある家柄とはいえ
苦しい生活を強いられることになる。
そんな時代背景が、”西遠寺家”の屋敷の有様を物語っている。
思わず、屋敷同様、古ぼけた表札に手を当ててみる。
頭の中に、さまざまな出来事が入り込んでくる。
この家の人間の心の中にある、寂しさ・切なさ・怒り・・・。
すべてを肌で感じ取る。
いつの頃からか、お未夢には”千里眼”と呼べるような
不思議な力が宿っていた。
それは、物や人に触るだけで、人の心や
物に関係する以前の出来事が読めてしまう
というものだった。
こんな力、お久里にさえ打ち明けた事がない。
きっと、怖がるに決まってる。
また、自身さえもこの力を十分に会得したわけでも
理解しているわけでもない。
本人が見たいと意識しなくても、見えてしまうものもある。
お未夢は時々自分の力が恐くなる。
この力が、当たり前のような存在である
お久里でさえ拒絶してしまいそうで・・・。
だから決して言えない。誰にも。
母上にも・・・あれ程尊敬している父上にさえも。
「お未夢ちゃん?」
お久里は先程からぴくりとも動かなくなっている
お未夢の肩をポンと叩く。
「こ・・・こんなところに誰か住んでるの?」
お未夢は、何事も無かったように平然とした言葉を並べてみせる。
「はい。今は、当主の西遠寺宝生様とご子息の
か・・・彷徨様だけしか住んでいらっしゃらないようですが。
でも、お未夢ちゃん、西遠寺の お屋敷で、
いったい何をなさるつもりですの?」
お久里は、お未夢の行動の意味が分からず、訳もなく不安になってくる。
お未夢も、西遠寺家と同じ、武家の人間。
武家には武家にしか分からない考えのようなものがあるのだろうか?
普段はお未夢に身分の差など感じたことはないが、
このようなとき、改めて自分と彼女との格式の違いを感じて
無性に寂しくなる。
幼いときから続いてきた自分達の関係はいつか終わってしまう。
そんな漠然とした不安が心の中に沸いてくるのが分かる。
お久里は心の奥底でそんな考えを巡らせながら、
お未夢からの答えを待った。
「頼むのよ。西遠寺様に。お久里ちゃんと
あなたの息子が一緒になれますようにってね」
「お未夢ちゃん・・・」
お久里はお未夢の気持ちが嬉しくなる。
そうだ、疑う事なんて無い。
こうやっていつも自分の側に居てくれるのだから・・・。
そう自分の心に言い聞かせる。
あなたの言葉にいつも元気付けられている。
私だってあなたの力になりたい。
いつかは・・・。
そう願う。
「お久里ちゃん?ほら行くよ」
お未夢はそう言って右手を差し出す。
「はい」
お久里も笑みを浮かべてその手を強く握る。
運命の瞬間(とき)が、近づいていた。
◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇
「ごめんくださ〜い」
お未夢は玄関の扉の前で声を上げる。
が、誰も出てくる様子は無い。
こんな大きな屋敷に、女中さえも住んでいない。
先程の出来事が再び頭の中をよぎる。
胸の中が寂しさと怒りに襲われる。
「宝生様、彷徨様、いらっしゃいませんか?」
お久里もつられて声を上げる。
そのとき、後ろから声がした。 良く通る、低い声。
「お久里じゃないか。今日はどうしたんだ?こんな早くから」
声の主は黒い髪、きりっとした眉毛に、
黒と茶色の瞳を持つ若い剣士。
年は自分達と同じくらい。
何処かで朝餉前の素振りでもしていたのだろう。
右手には竹刀、首には手ぬぐいが巻き付いている。
ずれた着物からは白い肉体がうっすらと見えている。
その整った美しい容姿は、ひとりの女の心を
ときめかせるのに十分だとお未夢は思った。
父の用事で武家に何度も出入りしているお未夢でさえも
こんな綺麗な男は、今まで見たことが無かった。
「彷徨様!」
お久里の顔がぱぁっと明るくなる。
さっきまで不安に満ちた顔が
まるで嘘のように思えてくる。
まさしく、恋する女の顔だった。
お未夢はそう確信すると同時に、
異様のない寂しさに襲われる。
「お久里、本当に今日はどうしたんだ? 父上に用事なら・・・」
その言葉を遮って、お久里が彼の胸に飛び込む。
「心配しましたわ。まさか、お二人とも出て行かれたのでは?
とそんな悪い予感ばかりが頭の中をよぎって・・・あ、す・・すみません」
お久里は自分の行動の大胆さにようやく気が付いて、その場から離れる。
「???今日は本当に変だな。
ま、とりあえず上がってけよ。
茶ぐらい出してやれるぞ」
幼なじみということがネックになっているのだろうか?
彼はお久里の気持ちなど微塵も気付かずに、家の方に手招きする。
「えっと、そちらの娘は・・・」
彷徨は視線をお未夢の方に向ける。
お久里に勝るとも劣らない美女。
美人というよりも、可愛らしいという代名詞が良く合っている。
透き通った白い瞳がこちらを真剣に見つめている。
その瞳に不思議と惹き付けられるものを感じた。
思わず、凝視する。
一点の曇りの無い美しい瞳に戸惑う。
これほど瞳の綺麗な娘に出会ったことは
一度だって無かったから・・・。
「私は、お未夢。よろしく、”彷徨様”」
お未夢はそんな綺麗な容姿には似つかわしくない
ムスッとした表情で彷徨を睨み付けると、
簡単な自己紹介と挨拶をする。
「あ・・ああ。俺は西遠寺彷徨。よろしく」
彷徨は、相変わらず自分の心を射抜いてくる瞳に
胸の奥がざわつくのを感じながらも
その、聞き覚えのある名前に自らの記憶を辿る。
(そうだ、お未夢。あの”お未夢”か・・・)
あちらこちらで幾度と無く、彼女の名前を聞いた気がする。
高名な光月優之介先生のひとり娘だと。
それを考えれば、先程の瞳にも納得が出来る。
世間の汚れに晒されていない、純粋な瞳・・・。
(この俺とは、住む世界が違う娘だ。)
そう思った。
一方、お久里はそんなふたりの態度にどうしていいか分からず、
おろおろするばかりだった。
と、同時にふたりに何か共通するものを感じていた。
他人を惹き付けて止まない魅力。
が、決してそれだけでは無い・・・。
何か別の不思議な力があるような気がした。
改めて、自分とは住む世界が違うと思い知らされる。
こんなとき、自分は茅の外に追いやられた気分になる。
そんなことを思いながら、 胸の奥が
強く締め付けられるものを感じていた。
「まぁ、ふたりとも上がってくれ
お未夢殿も近づきの印に俺がご馳走しますよ」
彷徨は言い終わると、お未夢の方に向けて軽く目配せをする。
(ばかっ。その顔でこっちを見たら、お久里が誤解するでしょ?
ちっとも女ごころってものが分かってないんだから)
お未夢が内心そう思っているとは知らずに・・・。
「さ、お未夢ちゃん、行きましょ」
「うん」
お久里に促されて思わず頷く。
(そうだ、不覚にも奴に見とれて
今日の目的を忘れるところだったわ)
お未夢は、そう、自分の胸に言い聞かせた。
こうして、西遠寺家の屋敷に、
初めて足を踏み入れることになる。
◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇
「お未夢殿、どうぞ」
お未夢の前にお茶が差し出される。
「どうも」
お未夢はそう答えて一口呑む。
(なかなかね)
そう思いながら、湯飲みを皿の上に置いた。
それまでのいきさつはこうである。
ふたりは応接間に案内され、座るよう促される。
古いが立派な掛け軸。それは、この家がその昔栄えていたことを
感じさせるのに十分だった。おそらく先祖代々のもので、
これだけは売らずに取ってあるのだろう。
一方の彷徨は、わたくしがやりますと、立ち上がろうとした
お久里を制して、台所の方に消えていった。
しばらくして、彷徨自らが入れたお茶を運んできた
というわけである。
「ところで、そのお未夢殿って呼び方、止めて頂けません?
お未夢で構いませんが」
お未夢は出されたお茶を一通り飲み干すと、
先程から思っていたことを吐き出すように口を開く。
「そう言う訳にはいかない。光月家は
うちとは比べものにならないほど格式の高い
お家柄。また、ぼんくらな我が父上とご高名な光月先生では
並べること自体間違いというもの・・・」
(本当にどうしようもない)
彷徨の心の中に自嘲の念が浮かぶ。
言い終わらないうちに、お未夢の平手打ちが飛んだ。
「あなた、自分のお父上を悪く言うなんて・・・。
それに家柄って何よ。 私の父上は
家柄で成り立っているのでは決してないわ。
腕が認められているからよ」
白い透き通った瞳が怒りの色に染まる。
彷徨も負けじと言い返す。
「お前に何が分かる。こんな家に生まれて、
縛られて。確かに剣の腕に自身はある。
だけど、それが生きていく上で何の役にたつというんだ!」
「縛られてるって何よ。あなた自身が逃げてるだけじゃない。
決まった枠の中に己を置いて、逃げてるだけじゃない!」
お未夢はそんな彷徨の言葉を切って棄てる。
「お・・・お未夢ちゃん。言い過ぎですわよ」
お久里はそう言いながらも、親友の予期せぬ行動に、
おろおろするばかりだった。
(逃げてる・・・俺が?)
彷徨は自分をここまで言い放つ娘は
本当に初めてだと思った。
人は薄情なものだ。
剣の腕がある限り、自分を貶すものは誰もいなかった。
しかし、今現在の西遠寺家が
どのくらい周りから蔑まれているかを知っている。
自分は生まれた家のせいでこんな惨めな想いをしてきたんだ。
そう言い聞かせながらこれまで生きてきた。
(いや、それだけだ。俺は何もしていない。しようとはしなかった。)
彷徨はお未夢の言葉に、自分の心が揺れ動かされるのを感じていた。
胸の奥に、何か温かいものを感じる。
「すまん、お未夢。お前の言うとおりだ」
そう言うと、先程とは打って変わって、穏やかな笑みを浮かべた。
「・・・彷徨様・・・ご病気でお母上を亡くされましたね。
その日から、宝生様は変わられてしまったと」
真っ白な瞳が、今度は悲しみの色に染まる。
「・・・お前・・・どうしてそれを?」
彷徨がそう言いかけると同時に
部屋の奥から、何か不思議な力を感じた。
お未夢も同様にその力を感じたのか、
無言で奥の部屋に向かう。
お久里もそれに続く。
「これは・・・仏間の方だ・・・」
そう感じて、彷徨はふたりを仏間の方に案内する。
三人が仏間で見たものは、光に包まれた赤子と
それを守るようにして倒れている
世にも珍しい生き物だった。
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初めまして。
このたび、書棚の完成ということで
こちらに初めて作品を発表させて頂くことにしました。
よろしくお願い致します。
さて、お話の内容ですが、ご覧の通り、
”時代劇版・だぁ!”です。
今まで書きたいなと、ネタを暖めてきました。
感想・要望・文句などなど、いろいろ頂ければ幸いです。
明らかに変〜って突っ込みも是非(笑)。
BGM・「月蝕」・「僕を笑って」by Iwao Junko
いずれも彷徨のイメージにぴったりです。
では、また機会があれば
其之二 君想ふ心 で。
2003 4.29
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