作:山稜
くすくす…のうちは、まだ良かった。
いまや、レイコはおなかをかかえて、肩をふるわせている。
「そんなに笑わないでよぉっ」
さすがに恥ずかしくなって、口をとがらせる。
「だってぇ、乗ってるあいだじゅう、『のわぁ〜』って」
そりゃまぁ、そう言われるのも…もっとも、なんだけど。
レイコはとりあえず、笑いをこらえた。
「サンタさんなら、ソリで高いところ飛んでるんだから、へーきじゃないの?」
「いや、あれは…」
メガネの向こうから、レイコがのぞきこんでくる。
いたずら好きな、面白げな、視線。
「トナカイって、もっと、ゆっくり飛ぶじゃん」
なんとか思いついた、いいわけ。
それでも、視線は変わらない。
「ふ〜ん、じゃべつに、高いところがこわいってわけじゃないんだ?」
負けじとなんとか、いいかえす。
「そーそー、だから観覧車とかなら、へーきへーき」
「ゆっくり動くものなら…いいのよね?」
なんだ、けっこう気をつかってくれるんだな。
「そーそー」
すかさず、レイコが指をさす。
「じゃあ、あれはオッケーよねっ?」
その、指のむこう。
ゆらゆらゆれる、おおきな船。
空に向かって不安定に、前へ後ろへゆらゆらり…。
はめられた…。
レイコがしっかりと、手をにぎる。
それはその…わるくない気分、なんだけど…。
「さ、行きましょ?」
そのあとが、
「のわぁ〜〜〜〜っ!」
しか、でなくて、約5分。
やっとの思いで、ゲートを出る。
「もーカンベンしてよ、たのむから、さぁっ」
「どーしよーかなぁ〜っ」
肩が触れても、手が重なっても、
なんだか自然にふるまえる。
交わすことばのひとつひとつが、
気持ちよくって、いとおしい。
ずっと、こうしてたい…。
見ると、見てた。
ふんわり、顔がほころんだ。
「なんだかおれたち、きょう初めて会ったって感じ、しないなぁっ」
「そうね…ずっと前から知ってる、って感じで…」
そこで、ことばが…とぎれて。
つないだままの視線に、気がついて。
レイコが顔を、真っ赤にした。
このまま…。
いやだめだって、いまさっき出会ったばっかしなんだぜ?
何かんがえてんだ、おれってばさぁっ。
何とか探して、見つけたことば。
「ひとなつっこいほうなんだ?」
レイコが、大きな目を開けた。
「えーっ、そんなこと言われたことない…だいたいは…」
そう言うと、うなだれた。
「お高くとまってるとか…」
かみ切るように、出てくることば。
「近寄りがたいとか…」
信じられない。
「うっそだろぉ〜っ、こんなにおもしろいコがかぁ〜っ?」
レイコが顔をあげた。
じっと自分の目を、見てる。
見てるその目が、うるんで…流れた。
「あ…、ごめん、そんなこと言うもんじゃないよなっ」
気に…さわったかな。
そう思ったら、首をふられた。
「ううん、ちがうちがう…そんな風に言ってもらったことって、いままでなかったから…」
レイコはメガネを取った。
大きな瞳が少しぬれてた。
それを上手にぬぐって取って、メガネを上にかけなおす。
それから、も一度顔をあげた。
「もうだいじょうぶ…、だいじょうぶ」
レイコは、にっこり微笑んだ。
それ…反則、だろぉっ。
そんな顔されたら…。
だめだめ。
こんなんじゃ、下心があってサイフ、届けたみてーじゃん。
しっかりしろっ、おれっ。
「の…のど、かわかない?あっちでコーヒーでもどう?」
もう、それを言うのもいっしょうけんめい。
なのにレイコは、ごく自然。
「あ、だったらついでに、あそこのショップに寄ってほしいなぁ〜」
ホッとしたような、くやしいような。
「いいけど、なに見るの?」
レイコがまた、にっこり笑った。
「あそこってさぁ…」
◇
ふぅっ、と彷徨が、ため息を吐く。
「ったく…あいつらも手を焼かせるぜ…っ」
こんなときだけは、未夢も言い返せる。
「だって彷徨がいけないんじゃない、いきなりプロポーズしろ、なんてっ」
彷徨がかたっぽの眉を、ぐっと上げた。
「だからおれ、そんなこと、言ってねーって…」
「えっ、だって、結婚しちまえ〜とかって…」
「んなこと言ってねーってっ!」
強い口調。
そのわりに、ばつの悪そうな、横顔。
言ったことを言ってない、っていうひとじゃない。
それは、よく知ってる。
でも…。
「じゃあ、なんて言ったのよっ?」
聞いても、
「いーじゃん…別に」
では、
「よくないよっ!」
って、言いたくなる。
それでも彷徨は、だまってる。
むこう向いて、視線だけ飛ばして。
わかんないから、のぞきこんだ。
また、かたっぽ眉を上げて、ちいさくため息ついた。
くちのかたちを順番に、しょーがねーなと変えてってから、
「いつもそばにいねーから、わかんなくなるんだ―…って…」
ぶつぶつそれを、口にした。
意味がいまいち、わからない。
とにかく首を、かしげてみた。
彷徨が続きを、口にした。
「そしたらあいつ、きみたちはいっしょに暮らしているんだもんねぇ〜とかなんとか…三太までちょーしにのって、ふーふの絆がなんとかかんとかって…」
目の前に、からすがカーとでも鳴いて飛んでいきそうな。
ぼーぜんと、ことばの意味を組み立てる。
ふ…ふーふっ!?
冬だから、寒い。
ほおに風が当たって、赤くなるくらい。
でも…顔じゅう、赤くなるほどじゃ、ない。
あわててしまうと、勝手にぶんぶん、手が動く…。
「なによそれっ、なんでわたしと彷徨がふーふなのよっ」
「だろ?」
彷徨はあっさりしたもので、安心したような、…。
…ような?
そんな迷いをよそにして、彷徨の口から続きが出る。
「だいたい、もうちょっと花嫁修業してもらわねーと、メシ食えたもんじゃ…」
は…花嫁って…。
さっきからふーふとか、花嫁とかっ…。
意味わかっていってるんですか、このひとはぁっ!?
ひとの気も知らずに…
…?
見てみたら、彷徨は舌をぺろっと出してた。
勝手に、口が開いてた。
「ばっ、ばかぁ〜っ!」
ハンドバッグを投げつけたら、彷徨がじっと、それを見た。
「おまえ、まだこれ持ってたのか…っ?」
「え?」
ストラップの金具につけた、キーホルダー。
ちいさなクマの、ぬいぐるみ。
「あ、これ?」
…持ってるの、あたりまえじゃない…っ。
だって…。
「もうだいぶ傷んできてるんじゃないか?新しいの、買ってやるよ」
「いいよっ、いい、いいっ」
「なんでだよ」
彷徨がふしぎそうに、じっと見てる。
「だって…」
だって、彷徨がはじめて、わたしにくれたものだから…っ。
そう、素直に言えなくて。
口ごもってると、彷徨が笑った。
「とにかく、見に行くだけ行こうぜっ」
言うだけ言うと、さっさと先へ。
「あっ、まってよっ」
少し遅れたのを、小走りでとりかえして。
今度は置いていかれないように、腕をしっかり抱きとめて。
◇
レイコが、つってある中をかきわけた。
「あ、あったあった、これこれっ」
「これかぁ…」
持っているのは、クマのキーホルダー。
得意げに、レイコが言った。
「このクマを男の子からもらった女の子は、しあわせになれる…っていうのよねっ」
「ここ、できてすぐぐらいだよなぁ、そんなこと言ってたのってさぁ」
小学生の頃だ。
クラスの女子が、うわさしてた。
それからずっと、このクマは頭のすみに残ってた。
レイコはクマをながめていた。
みぎ…ひだり…上…前…背中…。
そんなに大きなものでもないのに、じっと。
右手にそっと、クマを乗せて。
レイコがなつかしそうな顔をした。
「あたし、ここができたとき、まだ小学校3年生だったから、もらったことなんてなくて…」
「4年生でも、似たよーなもんだぜっ」
レイコが指で、さしてくる。
だまって首を、たてにふる。
「じゃあ1コ上なんだ、サンタのおにーさんっ」
レイコが笑う。
「なんだそれぇ」
つられて笑う。
なつかしいのは、自分も同じ。
「おれ中学のときに、ここに来たんだけど…」
指でぐりぐり、突いてくる。
「あっ、デートだ、デート」
「まぁ…そんなに言えたようなもんじゃなかったけどさぁ…」
その手から、クマをとりあげて。
「でもやっぱり、このクマ、探したんだよね…でも売り切れてて、買えなかったんだよなぁっ」
レイコが見上げて、首をかしげて。
「じゃあ、その恋が実らなかったのって、やっぱりこのクマさんが買えなかったから?」
そう、言えなくもない。
「う〜ん…そうかもなぁ…」
そのすきに、レイコがクマを取り返した。
手のひらに、大事そうにつつみこむ。
「よかった、そのとき売り切れてて」
「え?」
「だから、いま…ここに…」
消え入りそうな声。
たしかに、いまここに、これはある。
でも、
「だって、4年も前じゃん?いくらなんでも、そのあいだに仕入れ…」
そう言うと、レイコがわき腹を、ぐりぐり押してきた。
「そーじゃなくってっ!」
くちを、とがらせて。
そーか、…そーだよな―…。
「…ちょっと待ってて」
またクマを、レイコから取り上げた。
すぐそこに、クマの行き先は…あった。