作:山稜
日本の冬は、オカメちゃんにはつらい。
きょうは野外のステージだから、オカメちゃんとは舞台に立てない。
だからずっと、保温ケースに入ったまま。
そこから出せないのが、つらい。
…こんなときには、特に。
望は横目で、彷徨を見た。
組んだ腕の間に、ため息が流れていっている。
「未夢のやつ…なにやってんだ?」
つぶやく彷徨。
ことばのわりには、落ち着いている。
自分は…じっと、してられない。
「やっぱり…ぼくも行くよっ」
立ち上がったとたん、彷徨に肩をつかまれた。
「おまえはだめだ…っ」
「とめないでくれっ」
彷徨は首をふる。
「…さっきのあれで、楽屋の出入口、すごいことになってんだぞ…っ」
ここにいてもざわざわと、にぎわいが聞こえてる。
確かに、ごった返してるのは、まちがいない。
「おまえがいま、でてったら、花小町探すどころか、おまえがつかまっちまうって」
ことばの意味は、わかる。
わかるけど…わからない。
言い返そうとしたとき、扉が開いた。
「おまたせ〜」
長い髪の、一陣の風。
あかい髪の、雨雲を連れて。
待ちわびた風車が、ことばをくみ上げた。
「おせーぞ、なにやってたんだよ」
ぽん、と、ひと声。
ことばのわりには、あたたかみがある。
自分は…ことばが、見つからない。
「あのねぇ、入り口の人ごみかきわけるの、必死だったんだからっ」
未夢はことばをつぎつぎ、ほうり投げる。
「クリスちゃんなんて、カメラとボイスレコーダーにねらわれっぱなしだし…もー、大変だったんだよっ!?」
彷徨は耳にゆびをつっこんで、んべっと舌を出している。
彼なりの、受け入れかた。
「あ〜ん〜た〜ねぇ〜っ」
そして彼女なりの、受け入れられかた。
このふたりは、よくお互いを知ってる。
自分は…。
ふと、思い出した。
「そういえば、三太くんの姿が見えないようだけど…」
「あっ、三太くんは、女のコをおっかけてる」
「三太くんもすみに置けないねぇ…っ」
言ってしまって、視線が痛い。
彷徨があきれて、ため息まじり。
「それにしてもあいつ、こんなときに、なにやってんだ…っ」
「あっ、あの…、」
クリスが申し訳なさそうに、一歩前に出た。
「わたくしがつい、その…、それで…」
彼女の暴走はいつものこと。
…それだけに、本人にはつらい。
自分で自分のコントロールができないこと―
…それをいつも、気にしてるから。
未夢が見かねて、あとをひきとった。
「わっ、わたしがよけようとして、よろけた拍子に、通りかかった女のコにぶつかっちゃって…」
彷徨が横目で、じろっと見た。
「またお前かよ…」
見られたほうは、なによ、と口をとがらせた。
「そのコ、おサイフ落としちゃったんだよ…で、三太くんがおっかけてくれてるの」
「あいつ、そーゆートコ、マメだからなぁっ…」
彷徨が苦笑いの顔を、天井に向けた。
「なにを言ってるのさ、彷徨くん」
思わず、いつもの調子。
「レディには、やさしくするのがあたりまえじゃないかっ」
彷徨が眉間にしわをよせた。
「おまえ、もうすこし、…」
そこまで言ったら、未夢がセーターのひじをひっぱった。
ひっぱられた顔が、引きつった。
あとにつづくはずのことばは、別のものにかわった。
「命をたいせつにしろよ…な…」
雨雲が、かみなり雲に、変わっていた…。
「じゃっ、おれたちは帰るから…」
彷徨はいっしょうけんめい、平静を保とうとしているようだった。
ただ、それにも限界があるらしい。
…さっきよりずいぶん、早口だ。
「あとはふたりでよくハナシ、しろよっ…いくぞ、未夢」
「えっ…あっ、うん」
未夢は彷徨のあとに、ついていく。
それがごく、あたりまえのように。
「それじゃね、クリスちゃん!」
困ったような笑顔を向けて、未夢が手をふった。
気づいたクリスも手をふっていた。
扉が閉まるのなんて、待ちきれない。
「クリス…ごめん」
「え…っ」
ぱっ、とクリスが、顔をあげる。
見つめられずに、話だけ、つづける。
「何もわかってなくて…きみのこと」
だまったままのクリス。
「まわりのこと…なにも考えてなくて…」
あと、何を言えばいいのだろう。
どんな顔をみせれば、いいのだろう。
「また、きみをおこらせてしまったね…」
「本当に、何もわかってらっしゃらないのね」
胸につきささる。
本当に…。
「わたくしがいつまでも、おこっているとお思いになって?」
はっ…と、した。
それって…。
「で、でも、クリス、さっき…」
「ちょっとびっくりした、だけですわ」
笑って…くれた。
「でも…できたら、ああいうことは、ふたりっきりのときのほうが…」
ほおを赤く染めながら、いたずらっぽい目を向ける。
その意味は、よく、わかる。
もういちど、白薔薇の花束を―。
「クリスティーヌ、ぼくと…結婚、してくれないか」
クリスはそっと、花束を手にした。
目じりにすこし、なみだを浮かべながら。
「よろしく…お願いします」
胸の高鳴りは、ちょっと押さえておこう。
まずは、なみだをぬぐってあげたい。
望はひとさし指をそっと、クリスにさしのべた。
◇
「もうちょっとだな…はやく、はやくくっつけっ」
「しーっ、アニキ、静かにっ」
「ばかやろう、デスクって呼べって言ってんだろっ」
この部屋の、ロッカーの中。
男がふたり、息をひそめて。
「やめましょーよもう、芸能人の盗み撮りなんてこと…っ」
「なに言ってんだヤスっ、これってのもおめーがまた、しょーこりもなく結婚サギにあうからだろーがっ!」
「アニキっ、声が大きいっ」
ひょろ高い方の男は、小柄な小太りの頭をこづいた。
「…デスク、って呼べっ」
「デスク、じゃないですよアニキ、こんな写真ばっか撮って、記事でっち上げて…」
「そのでっち上げの『光ヶ丘の密会』で、おめーはメシ、食えてるんだぞっ?」
「それは…まぁ、そーですけど…」
小柄な方は、弱気な声をさらに細めた。
「でもアニキ…何年か前にカネ目当てに赤ん坊誘拐して、とんでもない目にあったの、わすれちまったんですか…っ?あんとき、もう悪いことは、やめましょーねって…」
ひょろ高い方は、お構いなしにカメラをかまえた。
「シャッターチャンスなんだから、だまってろっ」
「なんか、やな予感、するなぁ…」
小柄な方が、つぶやいた。
◇
コツン、と音がしたような…。
ふりかえってみた。
何もない。
視線の先を、クリスが追った。
「どうか…しましたの?」
「いや…なにか、物音がしたような…ひとの声も」
「きっと気のせいですわ、外がにぎやかですし」
クリスが、にっこりほほえんだ。
この笑顔が、自分にとっては最高だ。
「そうだね…」
ささいなことは、どうでもよくなる。
そんなことより、話しておかなければいけないことは、山ほど。
「それで、ぼくらの住むところだけど…」
「あっ、そうですわね…そういうことも、考えておかなくちゃ…」
望は手もとのバラを、もてあそんだ。
「ちょっと郊外にはなるけど、おもいきって新居を建てちゃおうかと思ってるんだよっ」
「新居…?」
「最初はふたりだけだから、あまり広くなくてもいいだろうし…」
「ふたりだけ…」
「ぼくらの部屋と、マジックの稽古場と、ゲストルームが3組分ぐらい…あとはオカメちゃんのために、ちょっとした温室があれば、十分かなぁって」
「ぼくらの…部屋…」
クリスは、ほおを押さえた。
あつい。
望を見てしまうと、頭のさきから湯気がふきだすにちがいない…。
すこし、壁ぎわに離れてみる。
それでも、頭からことばが離れない。
「ぼくらの…部屋…
さぁ、きょうからここで暮らすんだよ…
きみとぼくとの、ふたりっきりさ…
だれにじゃまされることもない…
さぁ…クリス…」
そんな…そんな…そんなっ…
「きゃ〜っ、はずかしーですわぁ〜〜〜っ!」
ばんばん、思わずたたく。
そこには、ロッカー。
まん中から、へしおれた。
「クリスっ」
「あら…わたくしったら、また…」
肩を落とすクリスの手を、そっと望が、にぎった。
「それぐらいにしておかないと…きみの美しい手が、傷つくのはごめんだよ…っ」
「まぁ…」
「アニキ…今こそシャッターチャンス…」
「ばかやろう…どうやってシャッター、押せってんだ…」
つぶれたロッカーの中で、2人組は気が遠くなるのを、感じた。