作:山稜
すこし、ぼぉっとしていた。
係員は、にこやかだ。
「お客さま、チケットかパスポートをお示しください」
「あっ、ごめんなさい」
トートバッグに、手を入れる。
「あれ…っ」
…ない。
「パスポート買って、それ入れて…」
ジーンズの、ポケット。
…ない。
「お客さま?」
係員がくびをかしげる。
あわてて、あちこちのポケット。
かばんの中を、もう一度…。
…ない―…。
「おサイフが…」
係員の視線が、ちょっと痛い。
空いてて、だれも並んでないから、まだいいものの。
顔の前に、手が突き出てきた。
手の中には、赤いサイフ。
その手の主が、息を切らして。
「足、速えーなぁっ、やっと、追いついたぜっ」
そっと、受け取った。
中身を見た。
「あっ…ありがと…」
サイフの中からパスポートを取り出す。
いっしょに笑顔も見せておく。
係員が、声をかけた。
「そちらのお客様も、チケットかパスポートをお示しいただけますか?」
「え、おれ?」
頭のうえに、ハテナ。
ポケットから、パスポート。
「はいっ」
「ありがとうございます、それではどうぞ」
係員は、奥に向かって大声で言った。
「おふたりさまです〜」
「えっ…」
届けた彼は、目をいっぱいに。
「あっ…」
受け取った彼女は、くちを丸く。
「どうぞ、奥にお進みくださいっ」
係員は、顔をにこやかに。
見知らぬふたりが、顔を見あわせて。
どちらともなく、前にすすんで。
「なんか、妙なことになっちゃったね」
申し訳なさそうに、男のコ。
「あっ…いえ、どーせあたし、ひとりだし…」
両手をふりまわす、女のコ。
「そーなの?」
びっくりした顔の、男のコ。
目の前に、ジェットコースターの、車両。
「げっ、ここ、ジェットコースターだったのかぁっ」
「え…そう…ですけど…、『スピードパーク』って…」
プラットホームに、ふたりだけ。
ここまで来たら、乗らざるを得ない。
とにかく、乗り込んで。
ベルトを締めたら、女のコがくちを開いた。
「あっ、まだちゃんとお礼、言ってなかった…ありがとうございますっ」
男のコは照れくさそうに、頭の後ろをひっかいた。
「いやぁ、あたりまえのことをしただけ…」
「帽子、メガネは、お取りくださーい!」
係員が、声をはりあげる。
「あっ、いけないっ」
女のコはあわてて、帽子とメガネをひざに置いた。
男のコが見て、声をあげた。
「…涼子ちゃん?」
「…えっ?」
首をかしげたのが、まるで合図。
がくん、と、動き出す。
「ちがうよね、ゴメンゴメン…」
そのことばの一番後ろが、最初の山の、てっぺんだった。
「のわぁ〜〜〜〜っ!」
◇
くすくす。
ちらっと横目で、のぞき見てる。
見られた自分のくちは、とがる。
「そんなに笑わないでよぉ」
「ごめんなさい、だってあんまり…」
腕組みしながら、ため息ひとつ。
「そう、おれ、わかってるんだ、自分でこわがりだ、って」
うふふ、と笑って、顔をあげる。
首をかしげて、聞いてくる。
「そういえば、さっき、あたしのこと、何とか言ってませんでした?」
ひとちがい、っていうのは結構、ばつが悪いもんだ。
「…ごめん、知ってる人によく似てたもんだから」
女のコは軽く、ため息をついた。
少し首をゆらして、言った。
「知ってる人って…カノジョ、とか」
メガネの向こうの目が、くりくり動いてる。
「えっ、いや、そういうんじゃ…」
とっさにそう、言うクセがついてる。
でもなんとなく、このコには、
「…うそはつけないなぁっ」
両方の眉をぐいっと、上げてみる。
ついでに視線も、上げてみる。
「でもカノジョって言っても、中学生の頃…もう、4年も前のことだぜぇっ」
「ふーん、そうなんだ」
さらっと流してくれそうで、
「そうそう」
さらっと返事だけ、しておく。
上げた視線をもどしたら、そこには先に、視線があった。
…ぶつかって、すぐひっこめた。
なんとなく、あいた、間。
埋めようとして、
「あのさ…」
「そ…そういえ…ば」
ことばまで、出会いがしら。
「先…どーぞ」
レディファーストってわけでも、ないけれど。
おなかの前で両手を合わせ、うつむきかげんの女のコ。
軽くうなづいた。
「あ、あの…まだお名前、きいてなかったですね」
くちを大きく、元気よく。
名のるときには、笑顔がいちばん。
「おれ?おれ、三太。黒須三太」
女のコは、目をいっぱいに開いた。
「くろす…さんた?さんた…くろーすっ!?」
くすくす、笑ってる。
「うんうん、クリスマスだもん、サンタさんサンタさんっ」
最初に自分の名前を聞くと、半分ぐらいはこんな反応。
あとの半分は、気づきもしないけど。
ただ、こんなに笑われたことは、ないなぁ。
…妙になっとくしてるし。
「きみは?」
たずね返してみた。
首をぐっと、左にふった。
「あたし…は、そう、レイコ…って、呼んで?」
「レイコって…あ、」
ひとさし指を上に振る。
むかし流行った、歌の振り付け。
「松戸礼子! 似てるよ、そういえば」
レイコは、くちをとがらせた。
「実はあんまり、うれしくないんだけどね」
「そぉ?アイドルに似てるんだったら、いいじゃん」
「アイドルっても、大昔のハナシじゃない」
「まぁそれでもさぁ」
無邪気にわらってると、レイコの視線は下がってた。
「むかしっから、いつもいつも、似てる似てる…って…」
はたから見ていて、よさそうなことでも、本人にはいやなこと。
ふざけたような自分の名前が、こどもの頃はそうだった。
「気にしてたのかぁ…ごめん」
レイコが両手を目いっぱい、ふる。
「あっ、ううん、そういうんじゃないの…気にしないで」
わらってみせる顔が、なんていうか、…。
かわいい…。
ほんの一瞬、見とれていると、レイコが口もとをほころばせた。
「それよりサンタさん、もうお仕事は終わったの?」
「お仕事?」
目を細めて、首をかしげて。
「よい子にプレゼント、夜どおし配ってたんでしょ?」
「え?」
きょうという日は、クリスマス。
そして自分は、黒須、三太。
「…あぁ、そういうことかぁ」
よくあることだ。
その名の意味に気づいたら、冗談だ、って信じない。
それで、レイコ「って呼んで」、なんだなぁ…。
三太の口から、ため息が、もれた。
それでも、この空気は楽しかった。
「うん…もう今年の分はおしまい」
「え〜っ、あたしのところへはぁ?」
「転居先不明で配達できませんでしたぁ」
「え〜っ、そんな〜っ」
目を見合わせて、わらいあって。
「取りにきましたので、おねがいしま〜す」
「え〜とレイコちゃんレイコちゃん…と」
見えない袋の、中身を探る。
「お願いの品は、なんだったのかな?」
「ん〜とね…」
へへっ、とレイコが、屈託なく笑った。
「いまからいっしょに、あそんでほしいなっ」
「品、じゃないじゃん、それ」
大きな口を開けて、わらってみた。
レイコが意外に、しおれてた。
「だめ…?」
あわてて、わらいとばしてみた。
「そんなこと、ないよぉっ」
大きな声で、元気よく。
「きょうは、レイコちゃんといっしょにあそぼう!」
レイコがようやく、にっこり笑った。
それじゃ、とばかりに、きいてみる。
「ドコ行こうか」
「じゃあねぇ…」
あたりを見回して、あっ、とひと声。
「あれに乗りましょっ」
ゆびの差してる向こうには、大きな建物がそびえてる。
「スペースパーク」と書かれてる。
レイコはニコニコ、笑ってる。
これも…たしか、ジェットコースター…だったよなぁ…っ。
考えているあいだに、三太の手は、引っぱられていた。