作:山稜
じっと、見つめていた。
何も、いわず。
じっと、見つめ返した。
何も、いわず。
心を、決めた。
口を、開いた―
「結婚しよう」
ちょうど目を、そらそうかと思っていたところ。
「え…」
そうとしか、言えない。
まさか、そんな。
「クリス…クリスティーヌ、ぼくと…結婚してほしいんだっ」
望の差し出したのは、いつものトレードマークではなかった。
花束になった、白いバラ。
どこからともなく湧き出るように、その手の中から浮かび上がる。
「で…でも…」
クリスはうつむいた。
中学のときから、もう5年。
交際としては長い、とは思う。
彼ほど自分を、理解してくれるひとなどないだろう。
でも―…
「どうしたんだい、…まだ、怒ってるのかい?」
確かに、怒っていた。
離れの建物がひとつ、あとかたもなくなってしまったぐらい、怒っていた。
…つい、さっきまでは。
「そうじゃありませんわ、でも…」
「でも…?」
「こんな…ところで、そんなこと言われましても、わたくし…」
顔を、そむけた。
この場から、にげだしたい―…。
「わたくし、困ってしまいますわっ!」
クリスは、さけんだ。
一目散に、かけ出した。
「あ、ちょっと、クリスちゃんっ!」
すぐそばにいた未夢が、声をかけても止まりはしない。
「わたし、追いかけてくるっ」
「あぁ、そうしてくれっ」
彷徨がうなづくのを待たずに、未夢はあとを追った。
三太があきれた顔をする。
「しかし望ぅ、なんでおまえ、いま、ここなんだよぉ」
だれだってあきれるだろう。
なにせここは、ファンタジーパーク。
そのまん中の、イベント会場「シアターパーク」。
そしていまは、「光ヶ丘望・クリスマスマジックショー」の、真っ最中。
そんなときに、舞台の真ん中にいたマジシャンが、マイクも切らずに客席へ。
なにが起こるかと思えば、プロポーズ。
あきれるなと言う方が、無理だ。
ようやくマイクを切って、望は言った。
「だって三太くん、プロポーズしろって言ったのは、きみじゃないかぁ」
「プロポーズしろって言ったのは、彷徨だろぉ?」
「おれそんなこと、言ってねーだろっ」
「ほうら三太くん、やっぱり、きみじゃないかぁ」
三太と彷徨は、口をそろえた。
「そーゆー問題じゃ、ないっ!」
三太は両手をひらいて、顔の高さで横にそろえた。
文字どおり、お手上げ、だ。
「おれも、ちょっと様子、見てくるわ」
「あぁ、未夢だけじゃ頼りないからな…頼む」
会場は、どよめいていた。
苦笑いをする人、ファンだろうか泣き出す人。
何にせよ視線はぜんぶ、こっちを向いてる。
彷徨も三太と同じポーズを、とりたい気分だった。
◇
未夢はいっしょうけんめい、走っていた。
こんなときは、自分の足の遅さにいらいらする。
「待ってクリスちゃんっ、待ってっ!」
クリスが足を、止めた。
ぽつりと、つぶやいた。
「ずるい…ですわ…」
「えっ…」
未夢は立ちつくした。
確かに、クリスをここに連れてきたのは、自分だ。
三太と…彷徨に、言われるままに。
ただ、何が起こるのかなんてぜんぜん、きいてなかったけど…。
「そんな…何にも、心の準備なんて、できてませんのに…」
「ごめんクリスちゃん、こんなつもりじゃ」
クリスは振り返ると、そっと首をふった。
「ちがいますわ未夢ちゃん、未夢ちゃんのことじゃ、ありませんの…」
ってことは…光ヶ丘くんのこと…だよね。
でも―…。
「クリスちゃん、きっと光ヶ丘くんだって、悪気があるわけじゃ…っ」
クリスは自分の右肩に、ほおをあずけた。
「わかってますの」
「へ?」
「わたくし、わかってますの…望くんが、あんなようなことをするようなひとじゃ、ない…って」
「光ヶ丘望の密会現場を押さえた!」の記事。
知らない女性と、写った写真。
報じたのは、下世話な週刊誌。
信じてはいないけど、気にはなる。
それは、よくわかった。
「でも…いきなりあんなこと、言われてしまったら…わたくし…わたくし…」
未夢は不穏な空気を、感じた。
「ち…ちょっと、クリス…ちゃん…っ?」
クリスとはもう、5年半ものつきあいだ。
さすがにもう、どんなときに何が起こるか、肌でわかる。
このパターンは…うしろにさがらないと、まずい。
そう思った矢先だった。
「もーどーにかなってしまいそーですわぁ〜〜〜〜っ!」
近くにあったベンチが、高々とふりあげられている。
えっ、早いよっ!?
あわてて、あとずさって、
≪お高くなんて、とまってないのに…≫
≪好きこのんで、あたしになんて生まれたわけじゃ、ない…≫
えっ?
なに、この声っ?
ドシン。
後ろに、ひとの体。
ふりかえってみると、同じくらいのトシの、女のコ。
「ごっごめんなさいっ、だいじょうぶですかっ」
女のコは大きなメガネと水色のキャスケットを、ととのえた。
「あっ、へーき、へーきです…」
ふりあげられたベンチを見上げて、おそるおそる、言った。
「そ、それじゃ…」
「あっ、どーも…」
ふ〜、あぶなかったぁっ。
なんだったんだろう、いまの…。
って、それどころじゃないっ。
気づかせ方が、いちばん気をつかう。
理性がふっとんだときには、筋力のコントロールができなくなる。
それで、むちゃな力が出る。
だから、理性がもどったら、急に力が普通になってしまうから…。
そう、ママが言ってたっけ。
このままだとクリスちゃん、ベンチの下敷きになってしまう…。
とりあえず、ベンチを降ろさせないと…。
そうだ、
未夢はだれもいないほうを、ゆび差した。
「クリスちゃん、あっちにヘビがっ!」
「うが〜〜っ!」
クリスが、ベンチを投げつける。
すかさず、後ろに回りこむ。
耳もとで、さけんでみる。
「クリスちゃん、クリスちゃん!」
「えっ、あっ…」
ベンチの残骸が、いやでも目に、入ってくる…。
「また、わたくしったら…」
「しょーがないよ、気にしない気にしないっ」
ふつうなら気にするトコだけど…。
まさか気にしろとは、いえないし。
未夢はクリスに笑いかけた。
クリスは深く、ため息をついた。
その息が白く、たなびいていった。
駆け足の音が、リズムよくきざまれていく。
「は〜っ、やっと見つけたぁっ」
三太の呼吸が、リズムよく出されていく。
合いま、合いまに、ことばが織りこまれていく。
「花小町さん、行ってやってよ…、あいつンとこに、さぁ」
視線が、落ちる。
肩が、こわばる。
ためらいながら、ことばが漏れる。
「でも…わたくし…」
「ごめん、」
頭のうしろをかきながら、三太がそっと、声をかけた。
「おれたちが悪いんだよ…おれたちが、そそのかしたから」
「いいんですの…べつに、わるいことじゃ、ありませんし…」
クリスのことばに、とげはない。
それでも顔は、あがらない。
「ただ…その…」
クリスの言いたいことは、三太にもわかる気がした。
どう言ったところで、あんなところで、あれは、ない。
どう言っていいのか、わからない。
それでもなんとか、言わざるをえない…。
「だからごめん、おれに免じて、望んトコに行ってやってよ、花小町さんっ」
そんなことばでいいのかどうか…。
「行って…って…言われましても…」
やっぱり、だめか―…。
そう思ったとき、クリスは次を続けていた。
「まず両親にちゃんと、話をしませんと…。
そのあと、結納もありますし…」
いつのまにか、クリスは宙に浮きそうだ。
「結婚式の日取りとか…
きていただく方の調整も…
あっ、何人ぐらい、お呼びすればよろしいのかしら…
いけませんわ、わたくし、花嫁修業もちゃんとしておきませんと…」
…行って、の意味が、ちがうだろ。
三太はくちを開いたまま、閉じることができなかった。
ふと気がついて、後ろを見てみると、未夢もぼーぜんとたちつくしていた。
その未夢の、足もと。
「あれ…これ、なんだぁ…?」
手を伸ばしてみる。
上品な革の、赤いサイフ。
「未夢ちゃんの?」
えっ、とちいさく声をもらして、未夢は首をふった。
「花小町さん?」
ちがいますわと、ひと声がかえってくる。
未夢が手のひらをたたいて、声をあげた。
「あっ、さっきぶつかったコのじゃないかなぁっ」
きょろきょろと見回すと、未夢は一方をゆび差した。
だいぶむこうに、細身のひと影。
「あのコあのコ、水色のキャスケットの、白いニットにジーンズのっ」
「あの…さ」
おそるおそる、三太が尋ねる。
「なに?」
「キャスケットって…なに?」
転びそうになるのを、何とか押さえて。
「ぼうしっ!ほら、あそこの、あのコ…」
聞くと同時に、三太は走り出した。
「わかった、おれ、わたしてくるっ!」
「あ、ちょっと、三太くんっ!」
追いかけようとすると、うしろから声。
「また…わたくし、ひと様に迷惑をかけてしまいましたのね…」
また、沈んでる。
「クリスちゃん、ほらっ、三太くんがちゃんと行ってくれてるしっ、ねっ?」
それで…。
クリスちゃんを光ヶ丘くんのところにつれてくのって…。
やっぱり、わたし…だよね…。
未夢の足もとで、枯葉が一枚、舞った。