作:山稜
携帯の画面に、ついた汗。
あわてて、そでの先でぬぐう。
「すいません、たすかりました」
カシンと小気味よい音で、ふたつに折れて、たたんで、返す。
「いいのよ、気にしないで」
女性は、ふっとほほえんだ。
おおきなメガネの向こうの、美人。
おフクロぐらいの、トシだろうか。
わかいころには、モテただろうなぁ。
おばさん…なんて、気がひける。
「なんだかそうやって、言うこときかないのをね、
一生懸命動かそうとしてるの、みてたら…ほっとけなくてね」
ははは、と三太は笑って見せた。
「いやぁ、こいつ、しょっちゅうなんですよぉ」
「しょっちゅうなの?」
メガネの向こうの、目がまるい。
「いまもそう。ここってときに、ゆーこときーてくれねーこと、ケッコーあるし」
そおっと、きかれた。
「いやに…ならない?」
「いや、って、なにがですか?」
「…その…ゆーこときーてくれないのが、いやに…ならない?」
ぱぁっと、わらった。
「正直言って、たまに」
それを聞いたら、目をふせた。
わらいきれない笑みを、うかべて。
バイクのシートに、ポンと、手。
「でも、なんかあって、こいつもこんななんだと思うし…こいつにあわせてやろうかなって。
せっかく縁があって、おれんトコ来たんだし、だいじにしてやりたくて」
ハンパな笑みが、きえていた。
じっと、こっちを見てた。
軽くうなづいて、はき出した。
「さて、もうお家の方も来られるでしょ…わたしは行くわ」
「あっ、ちょっとお名前まだ、きーてませんよぉっ」
「いいわよ、こんなことぐらいで」
「そん…」
「じゃね」
きびすを返した、背中にむけて。
せめて自分のことだけは、頭を下げて、言っときたい。
「あのっ、おれっ、黒須っていいますっ!ホントにありがとーございましたぁっ!」
女性はちいさく、手をふった。
歩きはじめていたところ、くるっとこっち、向きなおし。
歩いていく先、病院の中。
ん…?
しまったぁっ、ついてけば知らん顔で入れたぁっ!
…また見上げるしかない、病棟の窓。
軽くふける、エンジン。
聞きなれた音と、
「三太…っ」
聞きなれた、声。
呼ぶまでもないのに、つい呼んだ。
「彷徨ぁ」
見なれない、光景。
見まわすまでもないのに、つい見回した。
「…未夢ちゃんは?」
「ふてくされて寝てんじゃねーか?」
ちょっとびっくりした。
「けんかでもしたのか」
彷徨はぺろっと、舌だした。
「いーや、親にコドモあつかいされてるだろうから」
…はぁ。
あきれてると、彷徨はポケットから手を出した。
「ホラこれ」
指輪型の、治療器。
なんにも、言わず。
「…きかねーのか?」
「きかない」
こっちむいて彷徨。
くちの端、にやり。
「聞きはじめたら、ハナシ長いからな、おまえ」
あっちむいてやった。
おかえし、にやり。
「このヤロー、言いやがったなぁっ」
ふふん、×2。
病棟を親指で、さす彷徨。
「で…いるのか」
うなずいて。
「意識なくして、運ばれたらしい…」
うなずき返されて。
「…どーすんだ?」
思わず、腕をかかえこむ。
「そーだなぁ…どっかから、しのびこんで…」
「無理だろ…ただでさえ防犯とかいろいろあるのに、」
彷徨が指さす、表玄関。
「まだマスコミも、いるからな…」
「だよなぁ…」
「明日にするか?そしたら、ほかの見舞い客にまぎれて…」
「ちょいまち、」
それは、ちょっと。
手が、前に出た。
「その間に、もっと病状が進んじゃったら…」
「そうは言ってもな…病室もわかんねーのに、しのびこむって言っても…」
腕をかかえた、う〜ん、×2。
流れるピアノ、とつぜんに。
彷徨が右手、ポケットに。
取り出して、ひらいた。
「もしもし?」
「彷徨ぁ?」
おれんトコまで、よくきこえる。
未夢ちゃんの、元気な声だ。
「どした?」
「あのさぁ〜、ももかひゃんからヘンな電話かかってきたよぉ」
彷徨がみけんに、しわよせた。
「おまえ、のんだな?」
「えぇ〜っ、のんでらいよぉ〜っ」
彷徨の顔に、書いてある。
”ぜったいウソだ”
「で…その電話って」
「あのねぇ、ソーコ街がなくなって、タラコが三太くん探してるって」
「はぁっ!?」
「倉庫街がなくなって、タラコが三太くん探してるのっ! わらし、ひゃんと…」
こっち見て彷徨は、むこうをむいた。
「もーいい、わかったから…またかける。
うん。
うん!
はい!
わかったからっ!!」
電話切ったところへ、きいてみた。
ったく、とかぶつぶつ言ってるのは、この際気にしない。
「未夢ちゃん、なんだって?」
くち曲げて、首をかしげて。
「きこえてたか…」
「よくはきこえなかったけどな…ぁ」
「いや…ももかちゃんから電話があったらしくてな…
倉庫街がなくなって、タラコが三太を探してるらしい」
いつもながら、感心する。
「…ふーふって不思議だよなぁ、よくそんなんで会話なりたつなぁ」
「おれにもわかるかっ、こんなもんっ!」
だいたいだれがふーふだとか言いながら、彷徨は電話のボタンを押した。
「とにかく、ももかちゃんに直接、きこう」
耳にあててる、彷徨の電話。
むこうですぅっと、通ってく、影。
ひと目を避けて、小走りに。
「もしもし?もも…
…留守電、か…」
彷徨がそう言ってる間にも、あの影は、進む。
タクシーひろって、乗って、行く。
あれは…。
ハーレー・ダビッドソンFL、1948年製。
動かない。
キックレバー、1発、2発。
動かない。
「どうしたんだ?」
返事はあとだ…。
3発、4発…。
「くそぉっ、なんでだよぉっ」
「まさか、おまっ」
彷徨はそこで、言葉を切った。
つくづく、頭のいいやつだと思う。
「…病室にいるんじゃ、ないのか?」
「でもぜったいそうだっ」
こりずに5発。
6発。
動かない。
「こんなときにかぎって…っ!」
ハーレー・ダビッドソンFL、1948年製。
はっきり言って、もうトシだ。
それはわかっているけれど…。
…それでも、あのコのところへ行きたい。
こんどは、はずむオルガン。
彷徨があわてて、携帯をとる。
「もしもし?」
「彷徨おにーちゃん?三太おにーちゃん、見つかった?」
彷徨の携帯、音、でかいのか?
ももかちゃんの声、よくきこえる。
「ああ、ここにいるけど…ももかちゃん、『倉庫街がなくなって、タラコが三太を探してる』って、いったい何のことなんだい?」
「ちがうわよ、ナマコちゃんってキョウコのマネージャーが三太おにーちゃんをさがしてるのよっ…キョウコがいなくなったから、なにか知らないかって」
「…あのバカ…だから酒飲むなって―…サンキューももかちゃん」
パチンと、勢いよくたたむ。
彷徨はカタナ(注)に、またがった。
トンと、おれの肩、たたく。
シートの後ろの空き、指した。
「のれよ…見失うぜ」
ヨンパチ(注)を置いて行くのは、つらいけど…。
それよりもっと、つらいことが、ある。
だまって彷徨の後ろに乗った。
交通量が、まだ多い。
思うようには、走れない。
タクシーまでが、まだまだ遠い。
信号、黄になって、すぐ赤に。
「うわぁっ、彷徨っ信号ぉっ、信号ぉっ」
あわてて止まる。
まだ赤だ。
「…三太」
「ん?」
彷徨がクラッチ切るのが、見えた。
「青になったら、ダッシュでいくからな…つかまってろよ」
つくづく、おれはいい友だちを持ったと思う。
でも。
「もーいーよ、彷徨ぁ」
「よかないだろっ…お前の大事なコなんだろっ!」
「ちがうって、そーじゃなくてさぁっ…あわててくれなくて、だいじょーぶだと思うんだ」
彷徨がふりかえった。
「って…」
おれには、なんとなくわかる。
「あぁ、この方向なら、きっと…」
◇
タクシーのドア、音を立てる。
おつりをもらって、サイフにしまう。
両足そろえて、出て、立って。
運転手さんが。声をかけた。
「けど…いいのかい?ここ、休みだよ?」
ジェットコースターも、
ゆらゆらのバイキングも、
大きな観覧車も、
夜の静けさに、ひそんでる。
行くタクシーのテールランプに、ふりかえって、頭だけさげた。
いいんだ。
ここに、いるんだもの。
ジェットコースターも、
ゆらゆらのバイキングも、
大きな観覧車も、
あのひとの笑い声を、運んでくる。
ここに、いるんだもの。
あたしの、サンタさんは…。
どこ…。
どこにいるの…。
会いたいよ…。
つかれたな…。
ちょっとすわって、待ってよう…。
ベンチに腰掛ける。
日が暮れてしまうと、まだすこし肌ざむい。
《恭子、寒くない?》
《パパの上着、着ておくか?》
《やーねぇあなた、あなたのじゃおおきすぎて、この子ひきずっちゃうわよ》
《それじゃパパの上着の中じゃ、どーだ》
ふわふわの、上着の中。
パパの、笑顔。
ママの、笑顔。
…ママの、ため息。
《家とカメラの前以外じゃ、社長って呼びなさい…って、あれほど言ってるでしょうっ》
…どれだけ飛び出してみても、…。
困らせたくて、やってるんじゃない。
あたしのことを、みてほしい。
笑顔が、ほしい。
くれるのは、ファンのひとたち。
うれしかった。
でもほしいのは、熱い笑顔じゃない。
つつみこまれるような、あったかい笑顔…。
有名人だとわかったとたん、ぱぁっと燃える花火じゃなくて、
そばでほんのり灯ってくれる、キャンドルのようなやさしい笑顔…。
どこにいけば、あえるの?
あたしはどうして、ここにいるの?
ここは…どこ?
「…コちゃん」
この、声。
「キョウコちゃん」
胸の奥のまん中を、ぎゅっと抱いてくれる、声。
「レイコちゃんって呼んだほうが、いいかなぁっ」
待っていた、声…。
声のほう、そっと向いてみる。
考えるより先、声が出た。
「サンタさんっ!」
彼が、
手を、
差しのべてる…。
「きて、くれたんだね」
「あぁっ…よいこのところには、必ずくるぜっ」
わらってる。
まっていたのは、
その。
手をつかもうと、さし出した。
その手は、
体ごと、崩れおちた。
「キョウコちゃん―…っ!」
…またこの引きか(A^^;
う〜む…おかしいなぁ、そろそろ出てこなきゃいけない人物が出てこない(A^^;
予想外にキョウコの回想が長くなってしまいましたからねぇ。その上にこの部分、お世辞にもおもしろい内容じゃないし。キョウコが混乱症状なのが、ちゃんと伝わってるでしょうか?う〜む、自信ないなぁ。
ひさびさの続編です。まるまるふた月、あいちゃいましたね…。
これからまた春企画の準備とかで、なかなか書けないと思います。何とか見捨てずにいてくださいm(vv;m
(注)カタナ…スズキ製のバイク。本作での彷徨のバイク「カタナ」は「GSX400S 刀」で、もとは三太のバイクでした。
(注)ヨンパチ…ハーレー・ダビッドソン製のバイク。1948年製FLを特に「ヨンパチ」というそうで、かなりマニアックなバイクです(^^;