でぃせんばー・ぱずる

#7

作:山稜

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 遅い…。
 ったく、なにやってんだっ。

 呼び鈴に、手を伸ばしてみる。
 開き戸の向こうから、どたどたとにぎやかな音が聞こえる。

「なんで起こしてくれなかったのよっ」
「ママ起こしたわよ、未夢が起きなかったんじゃないの」
「もうこんな時間っ!? やーんママっ、パン持ってきてパンっ」
「まだ焼けてないわよ、そんなこと言っても」
「焼けてなくてもいーからっ、持ってきてよぉっ」

 思わず、笑ってしまう。

 勢いよく、扉が開いた。
「ごえんあなわっ、おあわえっ」
「お待たせじゃねーだろ…テスト初日っから、遅れてどーすんだ」
 彷徨は無愛想ぶって、きびすを返す。
「ほらっ、いくぞっ」

 足早に行く彷徨を、小走りで追う。
 口先に加えた生焼けのパンが、もどかしい。
「ひゃーん、わってよぉっ」



 とりあえず、走らなくても良さそうだ。
 パンはなんとか、食べ終わった。

「もうちょっと、早く起きらんねーのか?」
 呆れ顔の彷徨。
 ちょっと、文句を言ってやりたくなる。
 でも、いまは、言えない。
 なんて、言い返そうか…。

 黙っていると、彷徨が横目で見てくる。
 その視線をまた、前に戻すと、白い吐息とともに言う。

「とにかく、体、こわすなよっ」

 なんとなくその言葉が、ふんわりしてて、うれしい。

 かなた、と声をかけようとして、ちょうど角にさしかかる。
 向こうから、三太が来た。

「三太っ」
 とっさに彷徨が声をかける。
 三太は顔を上げた。
「おっ、おぉ、おっす」
「おはようっ」

 あいさつもそこそこに、まっさきに聞きたいことがある。
 しかしそれは、彷徨が横取りをした。
「きょうはおまえ…ひとりか」

 ひとごとのように、言う。
「そうらしいな…」

 頭の後ろで手を組んでみる。
 空を見上げる…。
 何もさえぎるもののない、冬の晴れ間。
 冷たい空気を、胸いっぱいに吸い込んで、一息で大きく吐く。
 目の前に、もやが広がっていく。

 いつもの笑顔で言ってみる。
「行こう、遅れるぜっ」
 その言葉に合わせて、足取りを速める。

 未夢は立ち止まってしまった。

 わたしが知ってること、言ってあげた方が、いいのかな…。
 でも、
 …言わない方が、いいのかな…。

 彷徨が頭をひとつ、くしゃっとなでた。
「おれたちが悩んでも、もうどうしようもないぞ…っ」
「でも…」
「だれしも…自分で解決しなきゃならない問題ってのは、あるからな…」

 でも…。

「三太だけじゃない、佐倉も…天野も、あいつらが自分で越えてかなきゃ、ならないんだ…」

 でも、

 未夢は思わず、口に出していた。
「でもそんなのって、冷たいじゃないっ…大事な、友達なんだよっ?」
 彷徨は、三太の背中を見つめていた。
「友達だから、そっと見守っておくだけしかできないときも、あるんだ…」

「そんなこと…」
 未夢は彷徨の顔を見た。
 少し、こわかった。

 めずらしく、彷徨が足もとの小石を蹴った。
「行くぞっ、ほんとに遅れる」



 答案のでき具合にうちひしがれて、帰ろうとしたときだった。
「未夢ちゃん、いい?」
 かおりだ。

「えっ、なに?」
 片手で、拝むしぐさをする。
「きのうの…三太くんに、ひとことあやまりたくって…つきあって?」

 そう言っている間に、三太は教室から出て行ってしまった。
 未夢があわてて口をもごもごさせていると、

「どこに連れてけば、いーんだっ」
 彷徨が机に手をついて、割り込む。
 かおりは圧倒されながら、何とか答えた。
「えっ、えーと…体育館の裏…かな」
「体育館の裏だなっ?」
 彷徨は返事も聞かずに走り出した。



「連れてきたぞ…っ」
 三太を連れた、彷徨が呼びかける。
 かおりが気づいて、一歩あゆみ寄った。
「あっ…ありがとう」

 目の前のようすがよくわからず、三太は呆然と立っていた。
 かおりは少し迷ったが、思い切って口を開いた。

「三太くん、きのうは…ごめんね、ひどいこと言っちゃって」
 その言葉を聞いて、三太は首をふった。
「い、いや、いいって…おれだって、突然あんなこと言って、ごめんなっ」

 かおりも首をふった。
「クリスちゃんから聞いたんだ…三太くんは状況に流されてしまってるだけ、けっして不真面目なんじゃない、って」
「あっ、あぁ…おれ、自分でも…わかんなくなってて、その…」

 かおりは乾いた地面を見ながら、言葉を続ける。
「あたしね…なんか…まだ、だれか男の子とお付き合いするっていうのが、よくわかんなくて…だから、三太くんだからイヤ、っていうんじゃないの、それは、わかって、ね」
「うん…」

 三太はホッとした。
 とりあえず、自分の立場はわかってもらえた。
 きらわれてもいなかった。

 …きらわれていなければ?
 その程度のことだった…のか。

 かおりはまだ、話を続けていた。
「三太くん、あたしでなきゃ、もてるんじゃないの?」
「いやぁ、そんなことないって」
 三太は両手を振りながら、苦笑いをした。

「でも、いつもひとの気持ち、大切にしてるじゃない? そういうの、女の子は結構見てるよ」
 首をかしげて、未夢に同意を求める。
 未夢もうなずいた。

 三太の頭の中には、かおりの言葉がひびいた。
 ひとの気持ち…。
 そうだ。
 最近おれ、ひとの…相手の気持ちを、考えてなかった。
 おれにとって、大事なことって…。

「ごめんな天野さん、おれ、天野さんの気持ち、考えずに行動しちまったよ」
「ううん、もういいよ…気にしないで」
「わりぃ…今度、なんかで埋め合わせするからさぁ」

「なに、それっ」
 かおりは思わず笑った。
 三太も笑った。
 そこには、いつもの三太の笑顔があった。

「じゃ、今度じゃなくて、これからぱぁっと遊ぼうぜ?」
 彷徨がそばによる。
 口もとをほころばせながら、三太の肩をたたく。
「おい…期末テストの真っ最中だぞ…?」

 みんな、笑った。

「じゃ、あたし、帰るから…埋め合わせ、考えといて?」
 かおりは後ろ向きに微笑むと、足早にその場を発った。
 三太はその後姿を満足げに、見送っていた。

 三太の澄んだ顔を、久しぶりに見た気がする。
 ぽつりと言うのが、聞こえた。

「あとは、佐倉さん、かぁ…」


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