作:山稜
教室のドアが開く。
「おや〜きみ達っ、えらく早いじゃないかぁ〜?」
三太と彷徨が振り向いてみると、望だ。
彷徨の顔は引きつった。
「あれぇ彷徨くん、きょうは未夢っちと一緒じゃないのかい?」
「未夢は後から来る…そういうおまえ、花小町はどうしたんだ」
「ん〜、きょうはクリスが風邪を引いて病院に行ってしまったからねぇ〜…いつも迎えに行く時間にうちを出たら、こんな時間に着いてしまったよ」
望はオカメちゃんのカゴをかばんから取り出した。
冬場、登下校中はオカメちゃんは特注の保温カゴに入っていた。
オカメインコは元来、オーストラリア内陸部が原産の鳥だ。連れ歩くには、寒くないようにしてやらないと…という、望なりの配慮だった。
「まだ寒いね…もう少し、そこにいておくれ、オカメちゃん」
「じゃ、花小町は休みか」
彷徨にそういわれると、望はオカメちゃんにバラを促した。そのバラを、鼻先に持ってくる。
「それがそうじゃないんだ…クリスったら、注射1本で治るから、昼からでもぼくに会いに来る、そう言うんだよ〜」
望は満足げだ。
「おれなら寝とけって言うけどな」
呆れ半分に彷徨がつぶやく。
望は聞き逃さなかった。
「きみ達のように一緒に住んでるんなら、それもいいだろうけどねぇ〜」
「もう一緒に住んでねーだろっ」
彷徨の反論は通じなかった。
「ほぼ一緒に住んでるようなものじゃないか〜、いつ結婚するんだい〜?」
これには、さしもの彷徨もあきらめざるを得なかった。
「もういい…お前と話してると疲れる…」
「ふふん、ぼくの勝ちだな」
「あーもー、なんとでも言っとけっ」
望はあることに気がついた。
いつもなら、望が彷徨をからかっているときは、三太は面白そうに聞いている。
それが、けさに限って、ずっと窓の外の方を見たままだ。
「三太くん、どうしたんだい?悩みごとかい?」
三太の思考がいつもどおりなら、望にそう言われたところで、なにか言い返してからかうところだ。
実際、望もそう返ってくることを期待していた。
しかし、三太はいつもどおりではなかった。
頼みにしていた彷徨からも、有効な解決策をひき出せない。
困り果てていた。
バケツをひっくり返すように、話した。
「望ぅ、ある女の子が自分に気がありそうで、でもそれがはっきりと言われたわけじゃなくて、なのにまわりはもう既成事実のように扱ってて、でも自分は別の子が好きで、納得できてないなら、お前ならどうするぅ」
望は拍子抜けした。
いつもと調子が違う。
本当に悩んでいるのだと、わかった。
「佐倉さんのことかい」
望の言葉に、三太は目を伏せた。
「あのコ結構かわいいじゃないか〜、なにが不満だって言うんだい」
彷徨は頭を抱えた。
「そういう問題じゃ、ねーだろ…」
「そうかい?」
望はあっけらかんとしている。
「ぼくならとにかく、来てくれる相手にはやさしくする、ふりむいてくれない相手にはアタックを続ける、だなぁ」
「おまえ、それ何の解決にもなってないぞ…」
もう、彷徨はあきれ返っている。
「それもだめなのかい?」
望は目を丸くした。
あごに手を伸ばして、考えこんだ。
「ふ…む、好きだと言われたわけじゃないから突き放せない、周りが認めてしまってるから本命に打ち明けることもできない、現状に納得もできないかぁ…まるで…」
望が首をかしげたとき、教室のドアがまた開いた。
「おはよ…っ」
「やあ未夢っち、きょうも美しいね〜」
未夢は思いもよらない相手からのあいさつにおどろいた。
「げっ、光ヶ丘くん?」
「いやだなぁ、『げっ』はないじゃないか〜」
「クっ、クリスちゃんは?」
望が答えかけるのを、彷徨がさえぎった。
「風邪だってさ、病院に行ってから来るらしい」
「へぇ…」
未夢はそこまで聞くと、ひきつった顔を元に戻した。
「あっ…彷徨っ、ちょっといい?」
彷徨は片眉を少し吊り上げて、手招きする未夢のあとから廊下に出た。
◇
「あのね…っ」
未夢は来る途中のいきさつを一通り、彷徨に話した。
彷徨はつぶやいた。
「またむずかしいピースが増えたか…」
「ピースって?」
「いや…」
大きなため息がひとつ、白く広がる。
望の言いかけたとおり…
「…まるで、こみ入ったパズルを解いているみたいだと思って、な…」
未夢は彷徨の横顔を見つめた。
5メートルほど先の天井を、彷徨は見上げていた。
「それにしても、おまえ…」
「え?」
未夢が応えると、彷徨は未夢を横目で見た。
ピンポン玉を弾くように、言った。
「バカ」
うっ…。
自分でも、そう思う。
言い返す言葉がない。
うなだれる未夢に、彷徨はそっと、言った。
「まぁ…もう言っちまったもんは、しょうがねーだろっ」
未夢に顔を向ける。
「…佐倉をどーするかは、後で考えよーぜ」
「ごめん…」
未夢はそう言うのがせいいっぱいだった。
彷徨はだまって、未夢の頭をぽんぽんとなでた。
目頭が熱くなる。
「ばかって言われるたびに、いちいち泣いてたら、そのうちミイラになっちまうぞ」
言葉の意味がよくわからなくて、彷徨の顔を見る。
「だっておまえ、しょっちゅうバカなことばっかやってるじゃん…そのうち体中の水分、涙になって全部出ちまうって」
彷徨はあさっての方を向いて、舌を出していた。
「どーせっ、…」
そこまで言って、やめた。
彷徨が気づいて、不思議そうに見ている。
降ろした彷徨の手の小指、その先を、未夢はそっとにぎった。
「ありがと…」
彷徨はしばらく、黙って微笑んでいた。
どこかから、足音が聞こえる。
「入るか…」
未夢はうなづいて、彷徨のあとをついていった。
◇
「どうして佐倉さんじゃいやなんだい」
望が尋ねていた。
「なんとなく…納得いかない…」
三太が答えている。
「何がそんなに納得いかないんだい」
「だっておれ…女の子に好きになられたことなんてないから…」
ちょうどその言葉を耳にして、未夢は胸の奥を握りつぶされた。
自分も、そんなことを言った覚えがある…。
違うのは、自分の心に住んでいるひとがいることに、気づこうとしなかったこと。
あのとき、それに気づいていれば、栗太くんは―…
傷つかなくても、すんだのかもしれない…。
やっぱり、だめだ。
「三太くんっ」
思わず、声が出た。
3人とも、未夢を見た。
「だめだよっ、…はっきりさせないと―…」
苦しげな顔の未夢に、彷徨が心配そうな目を向ける。
二人の姿に、三太の瞳は力を取り戻した。
「そう…だよなぁ、おれ…はっきりさせてみるよ」
「三太!?」
「三太くん…」
望だけは驚いていなかった。
「ん〜…なら、本命のコに打ち明けるのが先だろうねぇ〜…」
彷徨はまゆをつりあげた。
望がまともなことを言っている…?
しかしどうであれ、まともな意見だ。
「それも一理あるな…」
彷徨は三太に視線を向けた。
「どうするんだ?」
「思い立ったんだ、決心が変わらないうちに、言ってしまいたいなぁ」
三太の言葉を、彷徨が受けた。
「未夢、」
呼びかけられて、彷徨のほうを向く。
彷徨はつづけた。
「なんとかして、昼休みに天野を体育館の裏に連れ出せないか?」
悩んでいる場合では、ない。
「ん…なんとか、してみるよっ」
みんなの顔に少し、明るさが戻った。