作:山稜
三太の家の前を抜けて、学校へ向かって少し行ったところの角を曲がる。
やっぱり、いた。
未夢は声をかけた。
「佐倉さん?」
「えっ…」
涼子はおどろいて、未夢のほうを向いた。
「あっ…光月せんぱい、ですよね」
「えっ?」
今度は未夢がおどろく番だった。
「わたしのこと、知ってるの?」
「2年生だったら、たいていみんな知ってますよ…あの光月未来の娘さんだっ、て」
メガネの向こうから、やさしい笑みがこぼれる。
こうしてみると、やはりかわいらしい顔立ちだ。
涼子はさらに付け加えた。
「それに…あの西遠寺せんぱいの、カノジョだって有名ですもん」
未夢の顔は、とたんに赤く染まった。
なにも言い返せなくなった。
だっ、だめだっ、こんな調子じゃ。
未夢は本題を切り出した。
「さっ、三太くん、待ってるんだ」
「あっ…」涼子は困った顔をした。「知ってたんですか…?」
「いや、そういうわけじゃ、ないんだけどねっ」
別に未夢が知っていたわけではなかった。
昨日帰ってから、いつものように彷徨に勉強を教わっているときに、言われたのだ。
あしたの朝、三太の家の先に佐倉がいるはずだから、頼む、と。
こーゆーとこ、するどいよね、彷徨って。
「今日はもう、三太くん学校に行っちゃってるはずだから、行こうよっ」
未夢は涼子に微笑みかけた。
「えっ、そうなんですか」
涼子はとまどっている。
「うん、なんか、彷徨の用事、手伝わされてるみたい」
未夢はそう言うと、涼子をうながすように歩き始めた。
◇
朝早いと、まだ暖房が入らない。
だれもいない教室は、ずいぶん寒かった。
「で、クラスの用事って、なんだ?」
ポケットカイロを揉みながら、三太が尋ねる。
「いや…その…なっ、」
彷徨は答えに困っている。
「どうしたんだ、彷徨ぁ」
三太は彷徨をまったく疑っていない。
それだけに、彷徨は余計に答えに困る。
「あの、なっ…」
彷徨は深々と首を垂れて、三太に手を合わせた。
「すまん三太、用事っていうのは嘘だ」
三太はぽかんと口をあけている。
「朝から呼び出してすまん、こうでもしないと、おまえとふたりだけで話すこと、できねーから…」
「ってことは…望がいるとややこしくなりそうな話なわけか」
三太はにやりと笑った。
「なんだ、未夢ちゃんと何かあったのかぁ?」
彷徨は頭を抱えた。
「じゃなくて…おまえだよ…」
三太はきょとんとした顔をした。
「おれ?」
視線が泳ぐ。
しかし、すぐに、落ちた。
「どうなんだ?」
「どうって…」
「だから、天野と、2年の…」
「佐倉さん…」
「…ああ」
彷徨は手近な椅子を引くと、前後逆に座って、その背もたれに腕を組んだ。
「話したくなければ、ムリに聞かないけどなっ…」
三太はその言葉に、顔を上げた。
「いや…おれももう、どうしていいかわかんなくなってた」
「で、どうなんだ…?」
三太は黙っていた。
彷徨は自分の腕に、首をあずけた。
「未夢が言ってた―…他人のことを思われながら優しくするのは、する方もされる方も傷つくって、な…」
「でもなぁ、」
三太が口を開く。
「佐倉さん、おれのことどう思ってるかなんて、…ただ単に部活の先輩後輩だから、話しやすいだけかもしれないじゃないかぁ…」
「それはそんなこと、ないと思うけどな…っ」
彷徨の言葉を聞き流して、三太はさらに続けた。
「だいいち、好きだ、って言われたわけでもないのに、朝、来るときにいっしょになるだけのことを、どうやって断ればいいんだよぉ」
「そんなの、迷惑そうな顔をしてれば、相手からどっか行ってくれるんじゃないのか?」
彷徨は何でもなさそうな顔だ。三太は応えた。
「まさか、おまえじゃあるまいし…」
三太も手近な椅子を引いた。
「それに、きのうまで楽しく話してた相手に、きょうになったとたん迷惑そうな顔なんて、できねーよぉ、おれ…」
彷徨は頭に手をやった。
「だいたいおまえ、天野のことはどうなんだよ、あきらめたのか?」
「いや…そんなわけじゃないけど…」
三太はうなだれた。
「きのう、金九にあんなこと、言われちまったからなぁ…どう思われたか…」
「まぁ…みんな、誤解はしてるだろうな…」
彷徨は頬づえをついた。
三太は彷徨をじっと見ながら、困りきった顔をしている。
「どうしよう、彷徨ぁ」
彷徨の目の前で、白い吐息が広がっていった。
◇
「黒須せんぱいって、おもしろいですよね」
「そうだね、結構おもしろいこととか珍しいこととか、知ってるよねっ」
「んーそれもですけど、なんか感情の出し方が面白いっていうか…」
「あー、それはあるよ、うんっ」
歩きながら、ふたりは笑った。
「でも、誰かが困ってると、知らないうちにそこにいて、まっさきに力を貸してくれるんですよぉ」
三太のことを話しているとき、涼子の顔が明るくなるのが、未夢にもわかった。
「佐倉さん…っ」
「涼子でいいですよ」
「…涼子ちゃん、三太くんのこと、好きなんだね―…っ」
涼子はためらった。
でも、ちいさく、こくんとうなずいた。
「そうなんだ―…」
それって、すごいよ―…。
わたしなんか、自分の気持ちに気づかなかった―…。
気づこうと、しなかった―…。
素直に、なれなかった―…。
なんとか、してあげたい。
「三太くんには、伝えないの?」
「あの…光月せんぱい、」
「未夢でいいよっ」
「…未夢せんぱい、絶対内緒にしてくれます?」
涼子の真剣な面持ちに、未夢は「うん」とだけしか言えなかった。
「テストが終わって、試験休みがあけたら、すぐクリスマスじゃないですか」
未夢は、うんうんとうなずいた。
「プレゼントしようと思って、マフラー編んでるんです…そのときに、一緒に手紙を入れようと思って―…」
かわいい―…。
ホントにかわいいよ―…。
いまどき、こんなコがいるんだなぁ―…。
「それで、返事がどうでもいいんです…でもそれまでは、せんぱいと楽しくお話とか、したいんです…」
「それで、毎朝待ってるんだ…」
「はい…」
涼子は少しうつむいて、不安げな顔をした。
メガネを少し上げて、目がしらを押さえている。
「だいじょうぶだよっ!」
未夢の声に、涼子は急いで顔を上げた。
「きっと三太くんも、涼子ちゃんの気持ち、わかってくれるよっ!」
涼子はその言葉に、顔を思い切り明るくさせた。
「そうですよねっ、だいじょうぶですよねっ!がんばりますっ!」
その笑顔が、未夢を後悔させた。
しまった、こんなこと言うんじゃなかった―…。
かおりちゃんのこと、どうなんだろ―…。
これで三太くんが、かおりちゃんのこと、好きなままだったら―…。
わたし、なんてこと、言っちゃったんだろ―…。
未夢の目の前でも、白い吐息が広がっていった。