わんだりんぐ・どりーむず

#9

作:山稜

←(b) →(n)


 目の前には小さな少年がいた。
 少年は優しい光に包まれていた。

 しかし、その光は突然はじけ飛んだ。
 少年はあたりを見回した。砂漠になっていた。
 あちこちに光の粒が散乱している。
 少年はそれをかき集めようとした。
 だが、光たちは輝きを失っていった。
 かき集めることができた幾らかの粒たちも、指のすき間から、こぼれ落ちていく。

≪こぼれるんだ―…≫

 少年は、しゃがみこんで砂をすくっている。
 何度も何度も、足元の砂をすくう。
 すくった砂が、指のすき間から、こぼれ落ちていく…。

≪すくっても、すくっても、こぼれるんだ―…≫

 やがて少年は、砂の中からまばゆく輝く光の粒をすくい上げた。
 少年は歓喜の声を上げた。
 しかし次の瞬間、手の中の光は指のすき間から、こぼれ落ちていった。
 少年は落胆し、足許をじっと見つめた。

 未夢は少年に近づこうとしたが、砂に足を取られ、前に進めない。
 声をかけようとしても、砂の舞う音にかき消されて届かない。

 少年の姿は大きくなった。
 すらりと手足は伸び、体は細身の割にがっしりとしている。

 大きくなっても少年は、砂をすくった。
 しかし、もう光は見つからなかった。
 少年は悲しみにくれた。

≪もう、いい―もう、いやだ―…≫

 未夢は一生懸命少年に近づこうとした。
 やはり砂に足を取られ、前に進めない。
 でも、この少年が、こんなに悲しむところを、見たくない。
 息を振り絞って、声をかけた。

「がんばって、あきらめないで―…」

 少年は未夢を見つけた。
 すると、少年の目の前に光が現れた。
 しかし、少年はそれを見つめたまま、手を伸ばそうとしない。

≪もう、いいんだ―…
 どうせすくっても、すくっても、こぼれるんだ―…
 どこかに行ってしまうんだ―…≫

 それでも光は少年から離れようとしなかった。
 やがて光の中から、小さな天使が現れた。
 天使は少年の目の前で小さな羽根をはばたかせて、そして笑顔で言った。

≪パンパッ?≫

≪もう、やめてくれ―…≫
 少年は叫びをあげた。
 それでも天使は無邪気な笑顔を携えたまま、やめなかった。

≪パンパッ!≫

≪もう、いやなんだ―大切なものを失うのは!―…≫

 天使は少年から少し離れると、指を振りかざした。

≪きゃーい!≫

 一部始終を見ていた未夢の視界は、急に切り替わった。
 あっけにとられていたが、気がついてみると、自分の姿が光り輝いている。
 顔を上げてみると、目と鼻の先に少年の―彷徨の顔が、あった。

 天使は言った。

≪パンパッ?マンマッ!≫

 未夢と彷徨が天使の方を見ると、天使は満面に笑みを浮かべた。
 彷徨は一瞬ためらって、天使の顔を見た。
 その笑顔に意を決したのか、未夢を抱き寄せた。
 何も言わず、強く抱きしめた。
 痛くはなかった。心地よかった。

「未夢―…どこにも行かないでくれ」
 その言葉に、驚いた。
 うれしかった。
 でも―…。

≪あきらめないで≫

 天使は言葉を発した。
 見る見るうちに、成長していく。

 成長は、背丈が彷徨とちょうど同じぐらいになったところで止まった。
 羽根は大きく、何枚もに増えた。
 それでも、愛らしい大きな瞳と透き通るような金髪は変わらなかった。

≪あきらめないで―ぼくは、あなたがたが大好きなんだ≫

 そういうと、10枚はあろうかという羽根をひろげた。
 そして思い切りはばたかせる。
 みるみるうちに、砂漠が消えていく。

≪あきらめないで―約束だよ≫

 天使はその言葉を残して、飛び去っていった。



 小鳥の鳴き声で、目が覚めた。
 いまのは―…夢…だよね。
 でも―

 着かえる間も惜しんで、彷徨の部屋に向かう。
「彷徨っ」
 見ると、彷徨はふとんの上に座っていた。こちらを向いて、目を大きく見開いた。
「未夢―…ひょっとして、おまっ」
「見た…天使のルゥくん…」
「そうか…」彷徨は驚いたような、納得したような顔をした。

 未夢は彷徨のすぐ隣に座った。

 きっとそうだという、確信があった。
「…どこにも行かないでくれって、言ってくれたよね…」
 彷徨は未夢を見つめた。そして顔を赤く染めて、視線をそらせた。「ああ」とだけ応えた。

「…ひょっとして、機嫌―急に悪くなったりしたのって…」

 そうなんだ。
 もうすぐ、わたしはここをでなきゃいけない。
 そのことを、彷徨は―…
 そういうことに触れたときに、彷徨は傷ついていたんだ―…。

「わたしっ…あきらめないよ」
 彷徨の顔を見た。彷徨も未夢に顔を向けた。未夢は続けた。
「だって、…約束だもんっ」

「おれも…もう、あきらめない」
 彷徨はそういうと、未夢の肩を掴んだ。そして、自分の意志を確かめた。
「あきらめないよ―約束だ」

 強く抱いた。
 やっぱり、痛くなかった。
 心地よかった。

 彷徨の肩越しに、キルケゴールが目に入った。
 未夢は彷徨の言葉を思い出した。
≪絶望とは、死に至る病である―…≫

 …ルゥくんが、絶望から救ってくれたのかな…。

 彷徨は未夢が何を見ているか、気がついた。

 …絶望を契機に、か―…。

 彷徨はさらに、その向こうにある聖書に目をやった。

「なぁ未夢」
 彷徨はふと問いかけた。なに、と未夢が応えると、彷徨は言った。
「ルゥの本名って、ひょっとして、ルシ…」
 その後の言葉は、電話のベルにかき消された。
「え?なに?」
 未夢は問い返したが、彷徨は鳴る電話に呼ばれて立ち上がった。
「いや…お前に聞いても、わかんないよな」
 両眉を上げていたずらっぽく言う彷徨に、未夢はちょっとむくれてみせた。
「なによそれーっ!」

 まさか、な…ちょっとそういうの、読みすぎだな、おれ。


←(b) →(n)


[戻る(r)]