わんだりんぐ・どりーむず

#8

作:山稜

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≪こぼれるんだ―…≫

 砂漠の真ん中で、小さな少年が、しゃがみこんでいる。
 少年は、足元の砂をすくっている。
 何度も何度も、すくっている。

≪すくっても、すくっても、こぼれるんだ―…≫

 また、同じ夢―…。
 この何日か、同じ夢ばかりみる。

 あの男の子が、すごく悲しそうなのが―苦しい。



 学校のある日はコーヒーにトーストだけで済ましてしまうこともあるが、今日のように休みの日には、ふたりでちょっと時間を割いて何か作ってみる。
 未夢は最近、料理をするのが少し楽しみになっていた。料理するとき、食べているときは、彷徨の機嫌は悪くならないからだ。

 最近はいつも、ごはんは一緒に作ることにしている。
 ワンニャーがいなくなって大変になったのもあるが、一番の理由は彷徨からいろいろ教えてもらえるからだ。
 何とか自分の手で彷徨をうならせる料理が作りたい…。
 別に、料理じゃなくてもいいのだけれど、とにかく―悩みのない、彷徨の笑顔が見たい。

 時間があれば、和食にする。
 和食の方が、彷徨が喜ぶから。
 お味噌汁の具は、今朝はジャガイモとわかめ。
「ダシ、取ったか」
「もー、とったわよっ」
 こないだの失敗が、ちょっと恥ずかしい。
「じゃそのダシ、ちょっとくれ」

 彷徨が卵焼き器を取り出してくる。
「…って、だし巻き?」
 だし巻きにはちょっと、苦い思い出はある。
「ここにちょっと、おしょーゆ入れるだろ…って、きーてるかっ」
「へ?」未夢はその思い出から、ようやく帰ってきた。
「顔赤くしてないで、きーてろよっ」
 彷徨は知らん顔している。
 未夢が何を考えていたか、彷徨にはお見通しなのだろう。未夢はまた、恥ずかしかった。
「あっ、あはは、ごめんごめーんっ」



「いただきまーす」

 ワンニャーの作っただし巻きもおいしかったが、彷徨と作った―というより彷徨が作った、といった方が正しいが―このだし巻きはもっとおいしいように思えた。
「彷徨ってやっぱり、料理上手だよねーっ」
「別に上手になりたくて上手になったわけじゃないけどな…おやじが留守のときに、どうしても自分で作らなきゃいけなくなって、それからいろいろやっただけだ」
 だし巻きをほおばる。食べながら言った。
「未夢でも、やりゃできる」

「未夢『でも』って何よっ」
 そう言いながら、その抗議が無意味なことはわかっていた。彷徨から反論される前に、未夢は話を少しかえた。
「でも味付けとか焼き加減とかって、センスがものを言うところも多いと思うんだけどなぁ」
「まっ」彷徨は応えた。「そうかもな」彷徨はぺろっと舌を出して、ウィンクしてみせた。
「何よそれ、私にセンスがないって意味っ」
「べつに」

 こんな言葉のかけあいが、楽しい時間…。

 彷徨が続けた。
「おれ、和食は結構いけると思うけど、洋食はあんましやってないしな。お前の父さんなんか…」
 彷徨はそこで言葉を止めた。
 その言葉を無邪気に未夢は引き継いだ。
「そうそう、パパって洋食作るの、すっごく上手でしょ」
「…そう…だよな」

 あれ?
 わたし、何か彷徨の気に入らないこと、言ったかな…。
 また何か、彷徨の機嫌が傾いたような気がする―…。

 突然、彷徨が思いついたように言った。
「そうだ、お前、きょうヒマか?」

 え…っ?
 どっか連れてってくれるのかな…。

 未夢は今までの不安を吹き飛ばして、嬉々として言った。
「うん、何にも予定ないよっ」
 彷徨の応えは未夢の期待を裏切った。
「じゃ、部屋片付けるの手伝ってくれ」



「だから、何でせっかくいい天気のお休みの日に、お片づけなのよっ」
「天気が良くて、休みだから、片付けるんだろっ」
 言い合いながら、ルゥとワンニャーが使っていた部屋へ向かう。
「もうすぐオヤジも帰ってくるし…まだオヤジはいいけど、お前の母さんや父さんに見つかったらまずい物だって残ってるかもしれないじゃないか」

 スタイ1枚でも、それが地球外の物質で作られたかどうか判別できるような機械が、未夢の母・未来の手許にはある。前回は勝手に故障と勘違いしてくれたが、もし詳しく調べられたりしたら、大騒ぎになってしまう。
「そうか…そうよね」

 ママとパパも、もうすぐ帰って来るんだもんね。
 ママにルゥくんたちを会わせてあげたかったな…偉い人には内緒で。
 でも、それで大騒ぎになるのは、ちょっと困るし…。

 なぜ?
 どうして大騒ぎになると困るんだろ…。

「とりあえず、怪しそうなものが見つかったら、こっちへよけといてくれ」
 ふと声をかけられて、未夢は我にかえった。
「あ、う、うん」

「うっわー、ミニUFO、そのままになってるぞ」
「ほ乳瓶とかって、こっちで買ったんだっけ?ワンニャーが持ってきてたんだっけ?」
「このロンパスは…デパートで買ったんだよなぁ?」
「あー、このぬいぐるみ、星矢くんがルゥくんにおみやげ、って買ってきたやつだよね」

 それぞれに見つけたものに、思い出を重ねて声を上げる。
 ひとつひとつを取り上げて、ふたりで語る。

 …ここでの思い出を、他人にふみ荒らされたくない―…。
 ママとパパも、もうすぐ帰って来る。
 そうしたら、私は…。
 だから―…。

「…と、これぐらいでいいか」
 彷徨は地球では手に入りそうにない、いかにも怪しそうなものを集めた。
「これ、どうすんの?」
「そうだなぁ、ヘタに捨てたりしてもまずいし、ぶっこわそうとしてまた別の時代に連れてかれそうになったりしても困るし…」彷徨は少し思案して、決めた。「とりあえず、おれの部屋の押入れに入れとくか」



 来てかなりの時を過ごしたとはいえ、未夢が彷徨の部屋に入る機会はそうそうあるものではなかった。今まで、それぞれの部屋ぐらいは、ひとりになることのできる場所として、できるだけ侵さないようにしていたからだ。そういう意味で言えば、未夢にとって彷徨の部屋は新鮮だった。

「うわーっ、ホントに本だらけだねーっ―…」

 書棚には、本が所狭しと並んでいる。
 マンガもいくらかは置かれているが、ほとんどは文庫本だ。

「あっ…」
「なんだよ」

 未夢が見つけたのは、彷徨がルゥから取り上げた絵本だった。あの、人魚姫もある。
 ふたりは顔を見合わせて、すぐ目をそらせた。

 目をそらせたその先に、未夢は厚手の本を見つけた。背表紙には「聖書」と書かれている。

「彷徨、聖書なんか読むの?お寺の息子サンなのに?」
 未夢は不思議そうに尋ねた。

「あぁ、それ、おふくろの形見らしいんだ」

 ちょっと、胸の奥が痛んだ。
「ごめん…」
「ん?」うつむいている未夢の頭を、彷徨はぽんぽんとなでた。「気にしてねーよ」

 そういわれて、未夢は改めてその聖書を見た。
「ちょっと、読んでいい?」
「いーけど、よごすなよ」彷徨はてきぱきと荷物を整理している。
「そんなことしませんっ」

 形見の聖書を手に取った。
 思ったより、ずっしりと手ごたえのある重さだ。
 何ページか、めくってみる。
 …書いてあることが、よくわからない…。

「ありがとっ」
 苦笑いしながら、未夢は元の書棚に聖書を戻そうとした。
 そのとき、その周辺に何冊かの本を見つけた。ナントカカントカ批判とか、闘争だとか、ナントカさんはかく語りきとか、難しそうな題名の本がいっぱい並んでいる。
「ふーん、このあたりの本も、お母さんの形見なの?」
 そう未夢が尋ねると、彷徨は「いや、自分で買った」と応える。

「へー、こんな難しそうな本、彷徨読んでるんだ」
 感心して言うと、照れくさいのか、
「悪かったな、難しそうな人間で」
彷徨がそう応えると、未夢は
「まっ…それはあるけどねーっ」
と、いつもの彷徨の口調を横取りして返した。

「…くっそぉ」彷徨は口を尖らせた。
「へへっ、たまにはやり返さないとねっ」

 喜ぶ未夢の目に、一冊の本が目にとまった。
 背表紙には、「死にいたる病」と書かれている。

 指差して尋ねた。
「この本も買ったの?」
「ああ」彷徨の返事は簡単だ。

 …そっか、彷徨のお母さん、難しい病気で亡くなったんだもんね―…。
 キルケゴールって、お医者さんなのかな。

 未夢は率直に聞いた。
「彷徨もやっぱり医療関係とか、興味あるんだ」
 それを聞いた彷徨は応えた。
「…お前、ひょっとして、その本のタイトル見て言ってる?」
「そうだけど、なんで?」

 不思議そうな未夢を見て、彷徨は笑った。
「お前なぁ、それはそういう意味じゃないって」
 未夢は少しむくれた。
「なによ、知らないんだからしょうがないでしょっ」
 彷徨は腹を抱えて笑っている。
「そんなに笑ってないで、どういうんだか教えてくれたっていーじゃないっ」

 さすがにこのまま笑っているのはあんまりと思ったのか、彷徨は本を手にとった。
「キルケゴールの言う『死に至る病』っていうのは、本当の病気のことじゃない。『死に至る病』とは、絶望のことだ…いや、正確には『絶望とは、死に至る病である』って書いてる。読んでみるか?」

 未夢はあっけにとられたが、彷徨の言葉の意味が何となく理解できるようなできないようなことがわかると、ぶんぶんと首を振った。
「そんなの読もうとしても、たぶん寝ちゃうから、いい」
 彷徨は笑った。



≪すくっても、すくっても、こぼれるんだ―…≫

 まただ。
 今夜ぐらい、この夢を見ないかと思ったが、今夜もだった。
 特に今夜は、はっきりしているような気がする。

 こうなったら、とことんあの子を助けてあげたい―…。

 未夢は意を決して、もう一度眠りについた。


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