作:山稜
「ふぅん」
秋刀魚が芳ばしい香りをたてている。
その横に彷徨は大根おろしを添えた。
「あいつって、お嬢様でなに不自由なく育ったんだと思ってたけど、結構いろいろあるんだな」
「そうなの」未夢は鍋に向かっている。「ねぇ、お味噌これぐらいでいいかな」
「それじゃ多いって…その3分の2ぐらいでいい」
「じゃあこのぐらい…と。ちょっと味見てよ」
未夢は小皿に少し取ってみた。彷徨がそれを受け取る。
「…なんかこれ、おかしくないか?」
「え、なに?」
確かに、未夢は料理に慣れていない。はっきり言ってヘタだとは自分でもわかっている。でも、このしばらくの共同生活の中で少しはマシなものが作れるような気がしてきていた。だから、おかしいと言われてしまうとやっぱりちょっとショックではある。
「お前、ちゃんとダシ取ったか?」
「えっ、お味噌汁ってお出汁とらなきゃいけないのっ」
彷徨は頭を抱えた。「―あのなぁ…」
「だってお味噌で味付けるから―…」言い訳しようとしてみたが、鍋の中の液体の味は、彷徨の言うことが正しいことを証明していた。「ごめん…やり直す」
はー、わたしってどうしてこんなにだめなんだろ。
クリスちゃんなんか、何でも上手に作るのに…。
どうしたら、あんな風になれるんだろ―…。
「これでどうだ」
彷徨は小皿を差し出した。
ひと口飲んでみる…あ、ちゃんとお味噌汁の味だ。
「えっ、これ、なんで?彷徨これどうしたの?」
「だしの素でごまかした」
彷徨はぺろっと舌を出して見せた。そして口元を少しほころばせた。
「ちょっと失敗してたけど、いいセンいってるんじゃねーの」
このひとは、いちいち心臓に悪い。
それとも、わたしの心臓が弱くなった…?
未夢は立ち尽くしていた。
「おい、つっ立ってないで、食うぞ。冷める」
彷徨はわざとぶっきらぼうに言ってみせた。未夢にはそれがわかった。
「あっごめん、食べよ食べよ」
ふたりは盛り付けの終わった品物から、居間に運んだ。
◇
「ふぅん…クリスちゃん、そんなことを…」
「ああ」秋刀魚を口に入れたところだった彷徨は、短く応えた。小骨を取り出すと言った。「まっ、これで物が壊れなくて済むようになるか」
「ちょっと彷徨、そういう問題じゃないでしょっ」未夢は少し怒ってみせた。
彷徨は知らん顔をした。
こういうときは、ばつが悪いときのしぐさだ―未夢はそれ以上、言うのをやめた。
「しかし、望のヤツ―…」
言いかけて彷徨はやめた。
「えっなになに、光ヶ丘くんがどうしたの」未夢は興味津々だ。
「…いや」彷徨はそれ以上言わなかった。
「なによ、言いかけてやめたら気持ち悪いじゃない、話しなさいよ」
「別にいいだろっ」
「よくないよっ」どうしても未夢は聞きたげだ。
「お前、全然気づかなかったか?」
彷徨は未夢をまじまじと見つめた。
「なにを?」何のことだかわからない。
「…お前、ほんとーに鈍感だな」そう言うと、彷徨は箸を置き、自分の前で手を合わせた。「ごちそーさま」
「なによ、教えてくれたっていーじゃない、ねー、ちょっと、彷徨っ」
未夢の抗議を背に、彷徨は食器を台所へ持っていった。
◇
「なに?」
長い髪を乾かすのは時間がかかる。途中で彷徨の視線に気づいて、未夢は尋ねた。
「…べつに」
彷徨は視線をそらした。相変わらず、あまりしゃべろうとしない。
「今朝から彷徨、ヘンだよ?」
未夢は彷徨の側まで行った。少し心配そうに彷徨の顔をのぞき込んだ。
「あのさ…」
彷徨は未夢を見つめた。
っなに?
自分でも、顔が赤くなるのがわかる。
なんだろ…まさか、彷徨…
「その位置にいると、見えるぞ」
未夢は一瞬固まった。
次の瞬間、平手が飛んだ。
◇
何も、ひっぱたくこと、ないんだよね…。
未夢は自分の部屋で、さっきのことを少し悔んでいた。
…でも、あんなこという彷徨が悪いんだからっ!
ホント、なに考えてんだかっ―…
ほんと、なに、考えてるんだろ…。
結局、今朝からおかしかったの、聞けなかった―…。
彷徨、何か悩んでるのかな…。
布団に入っても、なかなか寝付けなかった。
ひとつひとつ、思いが浮かんできては、消える。
全部吐き出せばいーだろっ、て、自分はどうなのよ―…。
わたしって、彷徨の相談相手にもならないのかな―…。
―…。
◇
≪こぼれるんだ―…≫
砂漠の真ん中で、小さな少年が、しゃがみこんでいる。
≪こぼれるんだ―…≫
未夢はふと、目が覚めた。
何だろう…夢?
すごく悲しそうな―…。
◇
「そういえば昨日、ヘンな夢見たんだ」
学校への道すがら、未夢は彷徨に話しかけていた。
「またおとぎ話に入っていったんじゃないだろーな」
彷徨はしょうがなさそうに聞いている。
「ちがうよっ」
未夢はちょっとむくれたが、気を取り直して言った。
「男の子が砂漠の真ん中で、砂をすくってるの…それで、こぼれるんだって、悲しんでるの」
彷徨は目を丸くした。しかし、口から出た言葉は「ふ…ぅん」だった。